6:ノンノ、気まずい
「はぁー……」
朝の爽やかな日差しと涼しい風に似合わぬ暗い溜め息を私は吐いた。
前方には、登校する生徒たちが吸い込まれていく校舎が見える。今日という輝かしい新しい一日が始まってしまった。
昨夜はなにも考えたくなくて、夜遅くまで執筆活動をしていた。けれど物語は思うように進まなかった。
そう、なんだか破廉恥シーンがうまく書けなかったのだ。このままラッキースケベのひとつも導入出来なければ、ただの恋愛小説になってしまうというのに……。
筆が乗らない原因はどう考えてもアンタレスからの告白なのだけれど、……まだあんまり直視したくない。
平常心ではいられないから。
私はとぼとぼと生徒玄関へ向かった。
▽
「おはよう、ノンノ」
「おっふぅ……」
生徒玄関を過ぎると、アンタレスが人気のない廊下の隅に寄りかかって立っていた。ただ立っているだけなのに、脚の長さが際立っている。
その姿はTHE攻略対象者といった感じの麗しさで、後光が差し込んでいる。淡い金髪が輝き、頬は薔薇色に染まり、エメラルドの瞳は逸らされることなく私に注がれていた。
「ぉ、はよ……」
普通に朝の挨拶を返したかったのに、なぜか妙に声が小さくなってしまう。そして私の方が堪えきれずに視線を逸らしてしまう。
なんでだ。なんで告白された私の方がこんなに気まずい気持ちになっているんだ……。
私が床板の木目をじーっと観察している間に、アンタレスは壁から離れて私の目の前に立っていた。
木目から彼の内履きへ、無心に視線を注ぐ私に、アンタレスは困惑した声を出す。
「なんでノンノの方がそんなに照れてるわけ?」
「……わかんない」
「告白したのは僕だし、口付けたのも僕なんだけど」
「そうなんだけどぉ」
私だってどうせなら、百戦錬磨のセクシークイーンみたいに「いい男はみ~んな、私のアクセサリーよ♡」くらいの強気なスタンスになってみたいものなんですよ。男の人を手のひらで転がしてほくそ笑んでみたいんですよ。
でも実際は幼馴染みからの告白にキョドっているだけのびびりです。
アンタレスが「ぶはっ……!」と吹き出した。
思わず顔を上げると、アンタレスは真っ赤な顔をして、見たこともないくらい甘く蕩けた笑みを浮かべていた。
「なっ、なに、その顔ぉ……」
「だって、ノンノがあんまりに予想外の反応で、かわいくて……! かわいくて、……どうしよう」
楽しそうにクスクス笑いながらアンタレスが言う。
こんな上機嫌のアンタレスの方が、私には予想外なんですけど。
ううぅ、私が儚げ美少女なのは自他共に認める事実だし、アンタレスからも『ノンノは顔だけはかわいいんだから……』と(主に呆れたように)言われることは何度もあった。
なのになんで今の言葉には、こんなに火を吹きそうなほど恥ずかしく感じるの?
戸惑っている私に向かって、アンタレスは片手を差し出した。
「話があるから、もう少し人気のないところへ行こう」
「……え? 人気のないところ?」
昨日までなら別にアンタレスと二人っきりになっても何にも身構えなかった。
でもアンタレス、私に告白したじゃん。私に劣情を持ってるってことじゃん。
私を好きだと言う男性と二人っきりになるなんて、破廉恥じゃないかしら? 人気のないところで急にアンタレスが『ノンノ、愛してる!』とか盛り上がって押し倒してきたらどうしよう、私、儚いから抵抗出来る力なんてないし、あれ、今日の私の下着って何だったっけ? たしか……
「おい、ちょっと待って! ノンノやめて!」
アンタレスが真っ赤な顔であわてふためくが、私は思い出してしまう。
今日の下着はーーースッケスケの赤であることを。
「え、……赤?」
呆然とアンタレスは言い、私のささやかな胸のあたりから下腹部へとゆっくりと視線を下ろし、そのままさらに赤面して黙り込んだ。
私はバッと自分の体を守るように抱き締めた。
まるで制服の下の体を想像されているかのようで、“かのよう”っていうか絶対想像しただろう、アンタレス。なにこれめちゃくちゃ恥ずかしい。泣きたい。
「ご、ごめん、ノンノ」
「……いや、私も『うっふ~ん♡ 私の下着を想像するなんてイケナイ子ね♡』ってノリで流せなくてごめんね」
「そのノリもどうなの」
スケベな私はどこに行ったんだ。お色気お姉さんの夢を諦めるつもりなのか、私。
だいたい私がセクシー下着を愛用しているのは、お色気お姉さんになる夢を諦められないからではないか。
前世の私は、破廉恥な物にも憧れていた。そう、黒とか赤とか紫とか総レースとかの、セクシー系下着だ。
今思えばこれは非常に甘ったれた言い訳なのだが、当時の私は親元で暮らし、親のお金で下着を買い、母親に下着を洗濯してもらっていたので、セクシー下着が欲しくても母親から許可が出る気がしなくていつも清純系下着に逃げていた。清純系ももちろん可愛いのだが。
いつか自分でお金を稼ぐようになったら、独り暮らしをするようになったら、好きなだけセクシー下着を買おう。そう思い続けてーーー高校卒業と同時に亡くなってしまった。
バイトをしてセクシー下着を買えばよかったのに。自分で洗濯して部屋で乾かしていれば家族にもバレなかったかもしれないのに。
そんな激しい後悔を抱えて転生したので、今の私はかなり立派なセクシー下着コレクターである。乙女ゲームが元になっている為か、ブラとか紐パンとかも普通に手に入る世界で私は幸せです。
いつも「お嬢様にはまだ早すぎるデザインだと思うんですけど」って言いながら私の下着を洗濯してくれる侍女に感謝の念を送っていると、アンタレスが「コホン」と仕切り直すように咳をした。
「と、とにかく、ノンノに変なことはしないから……。場所を移そう」
「……うん」
私は恐る恐る、アンタレスの手を取った。
慣れ親しんだ手のはずなのに、今日は妙にドギマギした。
▽
人気のない渡り廊下に移動すると、アンタレスは私に向かい合った。
「あのね、ノンノ。来週の休日はジルベスト子爵夫妻に君への求婚の許可を取りに行くから、ちゃんと屋敷に居るように」
「はい?」
「昨日のうちに訪問の手紙は出したから」
「展開が早くないですかね、アンタレス君や……?」
びっくりして尋ねれば、アンタレスは首を傾ける。
実は私とアンタレスの身長差は結構激しい。
私は儚げな顔面に体の方まで合わせてしまったのか、160cmに届かなかった。前世日本的にはごく普通の身長なのだが、ここは見目麗しい登場人物たちが君臨する西洋風乙女ゲームの世界でして、全体的にスタイルの良い人が多い。アンタレスは当たり前のように185cmもあるので、話しているとどうしてもお互い首に負担がある体勢になるときがある。
アンタレスは首を下げたまま答えた。
「早くないと思うよ。結構前から僕の両親が、ノンノの家に婚約を申し出ていたから」
「嘘でしょ?」
あれか、お父様が「ノンノにはすでに縁談が来ているから、慌てなくても良いからね」とか言っていたやつか。
私の心の声に、アンタレスは頷いた。
「昨日までは、両親が言うがままにノンノと結婚するのもアリかな、とは思っていたんだ」
「実に緩いですね」
「うん。どうせ他の人間と結婚するのは怖いし。ノンノだったら別に怖くないし、ノンノも僕のことを理解してくれてるから。君も僕となら執筆活動とか自由に出来て良いんじゃないかなって思っていたんだ」
「たぶんそういう流れだったら、私も『いいよいいよ、全然オッケー』って適当に頷いてアンタレスと婚約したと思う……」
「そうだと思ってた」
アンタレスは楽しそうに目を細めた。
「だけど僕はもう、そんな気軽な気持ちでノンノと結婚したくない」
私の目の前で、アンタレスがゆっくりと跪く。まるで王子様か騎士のようだ。
「僕は君に対しては結構欲張りだったみたい。ノンノ、僕は君から異性として愛されたいんだ」
ひょえええええ!!?
「いつからそんなことに……?」
「昨日、自分の気持ちに気付いたんだ」
「あ、めちゃくちゃ最近なんですね……」
「気付いたのは昨日だけど、ノンノのことを女性として好きなのはたぶんずっと前からだったと思う」
「そう、なんですか……」
恥ずかしすぎて何を言えばいいのか分からない私の手を、アンタレスが取る。そのままそっと手の甲に唇を押し付けた。
「へっ、変なことしないっておっしゃいましたよねバギンズ伯爵令息様!?」
「手の甲へのキスは、別に変なことじゃないでしょ」
アンタレスは照れたように唇を尖らせつつ、立ち上がる。
そして私を見下ろして言った。
「とにかく、異性としてもっと意識してもらえるよう僕も頑張るから……、ノンノもちゃんと僕を男として愛してよね」
さすがは攻略対象者。恋愛ポテンシャルが高過ぎる。
私は茹りそうな頭で、アンタレスの潜在能力に畏れおののいたのであった。