58:ノンノ、廃墟へ行く④
玄関ホールから一番近い部屋は応接室のようだ。
護衛騎士が居なくなったため、先頭をプロキオンが守り、しんがりはアンタレスという配置で私たちはぞろぞろと応接室に入った。
ひっくり返ったテーブルや、中綿が飛び出したソファー、枯れた花が入った花瓶、刃物で切り裂かれたようにボロボロのカーテンなどが目に入る。
特に目に入るのは、壁にずらりと並んだ肖像画の数々だ。
この屋敷の歴代当主のようで、どこかしら似通った顔をしているオジサンたちがまばたきをし―――こちらを見てニヤニヤ笑っていた。
オジサンたちから声は聞こえてこないけれど、『プークスクス』って感じに笑っている。口元に手を添えたり、突然こっちを指差したりと、とても意地悪そう。
「絵の中の人が動いていますねっ、カノープス殿下!」
「そうだねぇ、スピカ先輩。これもたぶん幽霊の仕業だと思うけど~、スピカ先輩は怖くない? 平気?」
「私は大丈夫ですっ。絵の中の人物が動いて笑っているなんて、楽しくて素敵だと思いますっ」
スピカちゃんに怖がる様子はない。どんな困難にも悪者にも怪奇現象にも、良いところを見つけることが出来るのが純真ヒロインだからだ。
「ノンノはもっと怖がると思ったけど、案外平気そうだね?」
後ろにいたアンタレスがそっと顔を近付けて、私に話しかけてくる。
「まぁ、一度ゲームで見た展開だし」
金髪美女の入浴シーンがないホラーは苦手ですが、一度見た展開なので心の準備も出来ている。
今回いちばん怖いのは、幽霊を確実に成仏させられるかどうかだしね。
「これも本来はただの肖像画だけど~、幽霊の力でボクたちを嘲笑っているみたいに見せているだけだねぇ」
肖像画を外して裏側まで調べたカノープス王子が、そう断言した。
「まぁ、こっちを見てニヤニヤされるのもなんだか腹立たしいから、封じちゃうけどぉ」
カノープス王子は外した肖像画を壁に戻すと、神官服の合わせ目からロザリオを取り出した。
そしてロザリオを掲げて、祈祷を始める。
「天界におられる偉大なる主よ、カノープス・ギールグッドの名のもとに聖なる光をお与えください。聖なる光よ、邪悪なる闇を打ち祓え!」
なんの変哲もなさそうな純銀製のロザリオから、聖なる光が現れた。
聖なる光は応接室を一瞬で白く染めた。
そして嫌な感じの笑みを浮かべていた肖像画は、もとの動かぬオジサンたちに戻った。
カノープス王子のお祓いに、スピカちゃんがぴょんぴょん飛び跳ねながら喜んでいる。ジャンプに合わせて彼女のピンクブロンドがサラサラと揺れたが、スカートはけっして足首以上には捲れ上がらなかった。
「すごいですっ、カノープス殿下! こんなにあっさりと肖像画をもとに戻してしまわれるなんて!」
「えへへ、ありがとう、スピカ先輩。ボク、照れちゃうなぁ~」
実はカノープス王子は、霊能力者である。
生まれた頃から幽霊が見えたり、その声が聞けたため、たくさん苦しんできたらしい。
お城って古いもんなぁ。幽霊がいっぱい住み着いていそう。
成長するにつれてカノープス王子の霊能力はますます強くなってしまい、国王陛下は早いうちからカノープス王子の将来を決定することにした。大聖堂のトップである大神官に就かせる、と。
その決定によりカノープス王子は幼い頃から大聖堂に通うことが出来て、神官たちから霊能力をコントロールするすべを教わることが出来たのだ。
「ねぇ、ノンノ。カノープス殿下がそんなにすごい御方なら、この廃墟の幽霊もあっさり祓ってくださるんじゃない?」
「そんなにすごい御方なのに、このイベントで『ひとつだけ願いが叶う石』がなければ幽霊を成仏させられなかったことが怖いのですよ、アンタレス君……」
「あぁ、そういうことか」
それだけ幽霊が手ごわいという訳である。
私とアンタレスは顔を見合わせ、溜め息を吐いた。
▽
応接室を後にし、私たちはさらに廃墟の奥へと進んで行く。
やはりどこの部屋も荒れ果てていて、割れた窓ガラスの大きな破片が散らばった部屋など入室することも出来ない部屋もあった。
グランドピアノが置かれた部屋では勝手に鍵盤が動いて曲が流れ、狭い廊下では銅像が走り回って腐った床板を踏みぬいて消えていった。
洗面所には合わせ鏡があったんだけど、鏡が延々と続いているあの光景がさぁ、なんか怖いよね……。
やっぱ、ゲームの展開を覚えていても怖い時は怖いなぁ……。
「絶対に私の後ろに居てね、アンタレス。勝手にどっかに行っちゃったら嫌だよ」
「わかったから」
「もう後ろから私を抱きしめればいいんじゃないかな、アンタレス!?」
「落ち着いて、ノンノ。どう考えても歩きにくいでしょ」
びくびくしながら進むが、それでも私が悲鳴を上げずに済むのは他の皆のおかげだった。
先頭のプロキオンがトイレから飛んで来るおまるを叩き壊し、ポルターガイスト現象が起きている物をカノープス王子がお祓いする。アンタレスは背後からやって来た金髪の人形に小石を当てて撃退したし、スピカちゃんは「大丈夫ですよ、ノンノ様! 私がついていますからねっ!」と言って励ましてくれる。
というか私、最初はスピカちゃんのために廃墟について行くことを決めたんだもんね。
ただ頭に鍋を被ったまま突っ立ってないで、スピカちゃんの役に立たなくちゃ。
私は聖水スプレーを常に手に持ち、プシュプシュすることにした。
―――するとどうだろう。飛んでくる物や怪異が、聖水スプレーを噴射した範囲には入ってこれなくなったのである!
聖水スプレー、すごーい! バリアじゃん!
「すごいよ、ノンノ」
「さすがですっ、ノンノ様!」
「ジルベスト嬢、助かる」
「その調子で聖水スプレーをお願いしますねぇ~、ジルベスト先輩」
そうして調子よく進んで行くと。私たちはついに一番最後の部屋に辿り着いた。
二階でいちばん日当たりの良いその部屋は、年頃の少女が住んでいたようなインテリアが転がっている。
フリルたっぷりのベッドカバーはズタズタ、クッションはボロボロ、テディベアの頭と胴体は別れ、床に落ちた壊れたオルゴールが不快なメロディーを奏でていた。
そして窓際に、ぼんやりとしたシルエットの幽霊が浮かんでいた。




