56:ノンノ、廃墟へ行く②
カノープス第三王子のイベントに使用されるはずだったアイテムがすでに消失されてしまったことを思い出した私は、廃墟へ行く当日までなんとか足掻くことにした。
アンタレスから、
「ラッセは普段街中で靴磨きをやっていて、噂話をよく知っているから、もしかすると廃墟の情報も詳しく集められるかもしれない」
とアドバイスをもらったので、私は家に帰るとすぐにラッセへ伝書バト鳩胸ちゃん♂を送った。
それから二日後に帰ってきた鳩胸ちゃん♂の脚に、『廃墟について情報を集めました。公園で会いましょう』というメモがついていた。
どうやら情報が多くて、手紙にすると重量オーバーだったらしい。
貴族のお散歩コースにもなっている大きな公園で、私とアンタレスがベンチに並んで腰掛け、待つことしばし。
道の奥からキャスケットを被ったラッセが小走りでやって来た。
ラッセはどうやら仕事の途中で抜け出してきたらしく、木製の大きなカバンを持ち、鼻の頭に靴墨が飛んでいた。
「先生! バギンズ様! お待たせしました! 街外れにある廃墟についての情報を調べてきましたよ!」
「ありがとうございます、ラッセ君! 助かりますわ! あと靴墨が鼻についていますよ」
ハンカチを差し出したが、「いつものことなんで」とラッセは笑って、自分のシャツの袖口で顔を拭った。
「ごめんなさい、ラッセ君。編集長との作品作りや靴磨きのお仕事でお忙しいのに、私の調べものまでしていただいて」
「先生のご要望にお答えするのは、一番弟子の俺の役目ですから!」
ラッセを弟子にしたつもりはないけれど、まっ、いいか。
免許皆伝したら『プリンプリン・シリスキー』の名前でもプレゼントしてあげようかな? 私のペンネームの第二候補だったやつ。
プリンって一つだけだと美味しいデザートなのに、二つ並んだ途端スケベなパワーが増すよね。
「取り合えず誰が見ているか分からないんで、バギンズ様の靴磨きをしながら話しますね。『平民とつるんでいるところを見られて、そこから先生の正体がバレたら一大事なんで。気を付けてくださいっス』って、ライトムーン編集長からも言われてるんで!」
ラッセはそう言うと、木の鞄から折りたたみの小さな椅子を出して腰を掛けた。
そしてアンタレスの革靴を磨こうと手を伸ばし、……固まった。
「うわー……。俺、こんなに上質の革靴を磨くのは初めてです。失敗したらどうしよう……」
「別に失敗しても怒らないから、気にせずやって。どうせ帰ったら、使用人がまた磨き直すんだし」
お坊っちゃまなアンタレスの言葉に、ラッセはおっかなびっくりながらも靴磨きを始めた。
最初は指の動きが固かったが、すぐに手際よくブラシで靴の汚れを落としていく。
「それでラッセ君、廃墟についてどのような情報が手に入りましたか?」
「はい、先生。いろいろ集まりましたよ」
ラッセは靴磨きに集中している振りをしながら、話し始めた。
「街外れにある廃墟は、今月の始めにとつぜん地面から生えてきたそうです。生えてくる直前に小さな地震があったみたいですよ」
裏山と同じパターンか。またしてもこの乙女ゲーム、仕事が雑である。
「それで周囲の住人が廃墟を調べるために中へ入ったんですけど、ポルターガイスト現象がひどくて、命からがら逃げてきたらしいです。
次にその地域の地区長が見に行ったんですけど、幽霊に襲われたとかで今は寝込んでいるそうです。地区長に直接話が聞きたかったんですけど、俺では無理でした。
ただ、最初に廃墟に入った人からは話が聞けて、『オレは屋敷の中をおまるが飛んでるのを見たんだ! 嘘じゃないんだ!』って言ってましたよ。
最近じゃ、その廃墟のそばを通るだけで女の甲高い笑い声が聞こえて来たり、とつぜん窓ガラスが割れたり、公道の方へ物が投げつけられたり、周囲の住宅まで悪臭が漂って来たりと、ひどい状況らしいです。他にも、廃墟のせいで宝くじに外れたり、欲しかった洋服がセールの前に売り切れたり、買ってきた卵に最初からヒビが入っていたりと、住人たちのあいだに不吉なことが次々に起こっているそうです。
これはもう住民たちの手に負えないってことで、大聖堂にお祓いを頼んだらしいですよ」
「そうなんですね……。調べてくださってありがとうございます、ラッセ君」
なかなか恐ろしい幽霊のようだ。廃墟に関わって不幸になって、私が狙っている新作下着が売り切れちゃったらどうしよう……。お尻の部分にウサギのしっぽがついているパンツ……。
隣でアンタレスが激しくむせた。
だけど、ここで尻込みしちゃいけないよね。
カノープス第三王子は正直よく知らない人だけど、スピカちゃんが困っているんだし。『ひとつだけ願いが叶う石』を失ったのは私のせいだし。
どうにか廃墟イベント当日までに、解決策を見つけなければ!
「おや、ノンノ。アンタレス君もこんにちは。ベンチでお話し中かな?」
声を掛けられた方向に顔を向けると、お父様が歩いていた。
どうやら打倒ピーチパイ・ボインスキーのために公園をお散歩して、体力づくりをしているようだ。精々健康になって、いっぱい長生きしておくれ。
その日はそこでアンタレスとラッセと別れ、私はお父様と仲良く帰った。
「ノンノ、この店でおやつを買おうか。帰ったら家族皆で食べよう」と、途中のお店でお父様からお菓子を買ってもらった。わーい。
▽
そしてカノープス第三王子のイベント当日。
廃墟の近くでスピカちゃんとプロキオンと合流した後、私はアンタレスにこっそり、自室から持ってきたものを見せた。
「なにそのスプレー? 聖堂で売ってる聖水だったら、たぶんカノープス第三王子殿下もお持ちになられると思うから、それで幽霊を成仏させられるとは思えないんだけど」
「ちっ、ちっ、ちっ。アンタレス君や、これはただの聖水ではありません。三年ほど前に大聖堂で購入した、『お清めの塩入り聖水スプレー(恋が叶うホワイトフローラルの香り)』です!」
当時、令嬢たちのあいだでこれをシュッシュすると異性にモテるという噂がまことしやかに流れていた。
当時の私は、これでモテまくって数多の男を手玉に取るぞ! と思ってスプレーを買ったのだが、特に効果が無かったので二週間くらいで使うのを止めたのだった。
聖水とお清めの塩と香料という、いたってシンプルな材料で作られており、しかも『大聖堂の神官が祈祷しました』とパッケージに書いてあるので、幽霊にも効果があるような気がする。
アンタレスは呆れた表情で塩入り聖水スプレーのラベルを眺めていたが、「まぁ、無いよりマシかもね」とスプレーを返してくれた。
するとちょうどいいタイミングで、廃墟に向かうカノープス第三王子とその護衛の姿を道の先に発見した。
カノープス王子は白い神官服を着ているので、遠目からでもよく目立っていた。
スピカちゃんが「カノープス殿下!」と走り出したので、私とアンタレス、プロキオンも急いで後を追う。
カノープス王子はスピカちゃんを見て驚いたように立ち止まり、私たちが近付くのを許した。
「……スピカ先輩、こんにちは~。こんな場所でどうしたの~?」
ボーイソプラノのような愛らしい声と間延びした口調で、カノープス王子が尋ねた。
国王陛下よりも王妃様に似ていると言われているカノープス王子は、ミントグリーンの髪をしており、王族が持つ特有の金色の瞳をしている。
一学年下の十五歳なのでまだあどけない雰囲気があり、『レモンキッスをあなたに』の攻略対象者の中で一番かわいい顔をした少年だ。かわいくて腹黒というのが彼の設定である。
「カノープス殿下が今日、廃墟のお祓いに向かうとお聞きしていたのでっ。応援に来ました!」
「へー、そうなんだぁ? ありがとう、スピカ先輩。でも、もうこの辺りから危険な地域だから、これ以上は入ってこないでね~。気持ちだけ受け取るよぉ」
「お願いです、カノープス殿下っ! お祓いのお邪魔はしません! 私たちの身はプロキオン様が守ってくださるので大丈夫です! だから、だから……っ、最後まで殿下の応援させてください!」
カノープス王子が修行のために危険な場所へ向かうのに、部外者である我々が一緒について行くに相応しい理由なんぞ、一つもない。カノープス王子にしてみれば、邪魔だから帰れよって感じである。
けれどそれを捻じ曲げることが出来るのが、スピカちゃんの持つヒロイン力だ。
攻略対象者が心配だから、というヒロインの純粋な気持ちを踏みにじることなど―――……。
「もう、スピカ先輩ったら。あれほど危険だって言っておいたのに~。仕方がない人だねぇ。いいよ、ボクの修行についてきても。幽霊からは、ボクが絶対に守ってあげるからね~」
―――出来ないのである。
こうして私たちは上手いこと、カノープス王子に同行することになった。




