55:ノンノ、廃墟へ行く①
夏期休暇も中盤になったが、夏の日差しの強さはまだ変わらない。
まぁ、前世の世界のような酷暑ではないし、あと数週間もすれば涼しい秋がやって来る。冷たい物でも食べて、のんびり過ごそうではないか。
というわけで本日はスピカちゃんの声掛けで街中のカフェに来たのだが、奥のテーブル席に着く前から、私はかき氷を注文することを決めていた。
アンタレスはカフェの店員さんの心を読んだのか、「……ふうん。このカフェ、王族直轄地にある雪室から届けられた天然氷を使ってるんだ。僕もかき氷にしようかな」と呟いた。読心能力はお得な情報を知ることが出来る、じつに素敵な能力である。
私とアンタレスがかき氷を注文すると、スピカちゃんと、あと当然のように一緒に居るプロキオンも同じものを注文した。この世界ではかき氷は夏だけの楽しみだもんね。
果物を裏ごししたり煮詰めたりして作ったシロップがたっぷりとかけられた、ふわふわのかき氷を食べると、体に篭っていた暑さが引いていく。
そういえば前世のかき氷は、食べるとシロップの着色料で舌に赤や緑の色がついちゃったよなぁ。あれ、楽しくて好きだった。
このかき氷は手作りシロップだから舌に色は着かないと思うけれど、なんだか日本が懐かしくなって、私はこっそりアンタレスに舌を見せた。
「ねぇねぇアンタレス、私の舌に色ついてない?」
「ゴフッ……!」
私がぺろっと出した舌を見て、アンタレスがむせた。
かき氷が変なところに入ったらしく、かなり咳込んでいる。
「喉にマンゴーシロップのかたまりでも詰まったの、アンタレスっ!?」
「……いや、ちがう、違うんだけど……っ!」
アンタレスの背中を必死にさすったが、「ノンノ、もういい。もう大丈夫だから、僕のことは放っておいて……」と言って、彼は私から顔が見えないように体ごと窓の方を向いた。
なんで急にアンタレスが『そっとしておいて欲しい』モードに入ったのかは分からないが、よっぽど咳が苦しかったらしく、耳や首筋まで真っ赤になっている。可哀そうに。かき氷とはいえ、ちゃんと噛んで食べた方がいいよ、アンタレス。
全員がかき氷をあらかた食べ終わった後で、スピカちゃんが話を切り出しはじめた。
「あの、実はみなさんにご相談したいことがあるんです……」
いつも笑顔のスピカちゃんが眉を八の字に下げ、蒼い瞳を曇らせていた。
どうやら彼女の身の回りに、とっても困ったことが起こったらしい。
「私でよければ何でも相談してください、スピカ様!」
「闘いならば私に任せてくれ、スピカ嬢」
スケベなことにしか役に立たないモブ令嬢ですが、それでも困っているお友達のためならば頑張って一肌脱ぎますよ! 一肌脱ぐって言葉、えっちで好きだな。
スピカちゃんの隣に座っているプロキオンも、いったい誰と闘うつもりかは分からないがやる気を漲らせている。表情の変化は乏しいが、紫色の瞳がランランと輝いていた。
そして私の隣に座るアンタレスはというと、ただ静かにスピカちゃんを傍観している。
……アンタレスならすでにスピカちゃんの相談内容が分かっているはずなのに、この態度はいったいどういうことだろう?
私がチラチラとアンタレスを見ていると。アンタレスは『ノンノ、視線がうるさい。ちゃんと前を向きなよ』というように私の後頭部を掴み、スピカちゃんの方向へと顔を向けさせた。おい、もっとベタベタ甘々な恋人扱いしてよ。犬猫や幼児じゃないんだから。
スピカちゃんは気持ちを落ち着けるように一つ深呼吸をしてから、相談を始めた。
「実は私のお友達が、幽霊が出ると噂の廃墟に行くそうなんです。そのお友達は将来大聖堂関係のお仕事に就くことが決まっていて、神官の修行として今回一人で廃墟のお祓いをするらしいんです。でも私、なんだかとっても胸騒ぎがして……、お友達のことがすごく心配なんです……」
「友達想いなのだな、スピカ嬢は」
プロキオンは真剣な表情でスピカちゃんの瞳を覗き込むと、穏やかな口調で言った。
「ならば私もその廃墟とやらに行って、スピカ嬢の友達を守ろう。幽霊に私の拳が有効かは分からないが、荒れ果てた廃墟で物が落ちて来たり、床が抜けたりしたときに、スピカ嬢の友達を助けることが出来るだろう」
「本当ですかっ、プロキオン様っ!? 一緒に来てくださいますか!?」
「私もご一緒いたしますわ、スピカ様! きっとみんなで楽しそうにしていたら、幽霊も廃墟が嫌になって出ていくかもしれませんわ!」
「ノンノ様までご一緒してくださるなんて……! お二人とも、本当にありがとうございますっ! とっても心強いですっ」
「……僕も」
アンタレスが最後にようやく口を開いた。
「みなさんが参加されるのでしたら、参加しますよ」
「バギンズ様もありがとうございます!」
こうしてスピカちゃんの相談は無事に終わり、その後はスピカちゃんのお友達が廃墟に向かう日に、どう合流するかを話し合った。
計画がまとまると、スピカちゃんは安心したようにいつもの笑顔に戻る。やっぱりスピカちゃんにはヒロインスマイルで居てもらわないとね。こっちが心配で落ち着かないもん。
スピカちゃんは「それでは当日に会いましょう、ノンノ様、バギンズ様」と手を振り、プロキオンに送られて帰っていった。
▽
「それでアンタレス、なんでスピカちゃんの相談事が分かっていたのに、参加を渋っていたの?」
自宅に送ってもらうためにバギンズ家の馬車に乗り込むと、私はすぐにアンタレスに尋ねた。
アンタレスは馬車に乗り込んだ時に出来た衣類のしわを伸ばしてから答える。
「だってノンノ、怖いの苦手でしょ」
「……え? それだけ?」
「それだけって……。このあいだプロキオン様の別荘が薔薇のトンネルで妖精たちのお祭り会場に繋がった時、あんなに怖がっていたじゃないか。いくらエジャートン嬢のためだからって、きみまで廃墟に行く必要なんかないんだ。
怖がりのくせに、どうしてあんなにあっさりと参加を決めたわけ? 当日ノンノが怖がって泣き喚いても、僕は知らないからね?」
私がえっちじゃないホラーが無理なことを知っているから、アンタレスは心配してくれたらしい。心配の仕方が、もはやお母さんみたいになっているが。
「……ノンノ、だれがお母さんだって? ひとの心配をなんだと思っ「心配してくれてありがとう、アンタレス! だけど今回の廃墟は大丈夫だよ!」
こめかみの血管をぴくぴく動かすアンタレスに、私は明るく答えた。
「だってこれ、夏期休暇に起こるカノープス第三王子関連のイベントだもん!」
「……ゲームのイベント? カノープス第三王子殿下の?」
そうなのだ。これはただのイベントなのである。
一学年下の双子の王子の片割れ、カノープス第三王子。
彼は幼い頃から大聖堂の大神官になることが決まっていて、貴族学園に通いながらも大聖堂で修行をしている。
王城では王族としての勉強、大聖堂では大神官になるための修行、貴族学園では彼の権力や美貌に近寄って来るあまたの令嬢令息とそつなく交流するという、ハードな生活だ。
そんな忙しい生活から自分の心を守るために、カノープス王子はいつしか偽りの自分を演じるようになった。つまり裏表が非常に激しいのである。私みたいだねぇ。
ヒロイン・スピカちゃんはそんなカノープス王子と出会い、交流を重ね、いつしか彼が偽りの自分ではなく本当の自分をスピカちゃんに見せるようになる……、というストーリーだ。
ちなみに健全乙女ゲームなので、結婚エンドと友情エンドのみである。
「今回のカノープス王子のイベントはね、廃墟に幽霊が出てきて確かにちょっと怖いんだけど。でも、スピカちゃんが一学期の登山イベントで白い猿から貰う『ひとつだけ願いが叶う石』があったでしょ? あの石を使って、幽霊を成仏させるから大丈夫なんだよ! ちゃんと解決出来るホラーだから、ヘーキヘーキ!」
「……ちょっと、ノンノ」
エロ本伝説を作ろうとした、あの裏山で手に入れられるアイテムの出番である。
カノープス王子がトップになるはずの大聖堂も、以前スピカちゃんたちとダブルデートした場所だ。また皆で行きたいなぁ。
私がのん気にそんなことを考えていると、突然アンタレスが両手で自分の顔をおおった。そして弱弱しい声を出す。
「『ひとつだけ願いが叶う石』は、すでに失われているでしょ……」
「あっ!!」
つい先月に出来てしまった私の黒歴史、『清純ノンノ事件』。
山神の庭のそばに生える新種の薬草のせいで私は正気を失い、清純な心が芽生え、闇落ちならぬ光落ちをした。
そんな私を助けるために、アンタレスがプロキオンとともに裏山へ登って、『ひとつだけ願いが叶う石』を手に入れてくれたのだ。
つまり私のせいで、イベント解決アイテムがすでに消失しているのだった。
「あわわわわわ、どっ、どうっ、どうしようアンタレス!? 清純ノンノ、本当に碌なことしない……!!」
「……そうか、本来はこのために使う石だったんだ。でも、最初から使い道を知っていたとしても、僕はけっきょくノンノのために石を使っていたと思うから、結果は同じか」
「幽霊ってどうやって成仏させればいいの!? にんにく!?」
「それは吸血鬼でしょ」
私とアンタレスは帰り道中ずっと、頭を抱えることになった。




