48:ノンノ、グレンヴィル公爵家別荘へ行く⑥
「わぁ! 素敵です、ノンノ様! 浴衣もとてもお似合いですっ!」
浴衣姿に着替え終わったスピカちゃんは、私のもとへと駆け寄ると、手放しで褒めてくれた。
そんなふうに私を絶賛してくれるスピカちゃんこそ、白地にレモン柄という明るい色の浴衣がよく似合う。
ピンクブロンドの髪にはつまみ細工で作られたかんざしが飾られており、いつもお人形のように可愛らしいスピカちゃんに、普段とはちょっと違った色っぽさを与えていた。
「スピカ様もとってもお綺麗ですわ。いつもより大人っぽくて、見ているこちらの方がドキドキしてしまいます」
セクシーだよ、スピカちゃん! と褒めると、彼女は照れたようにはにかんだ。
「……プロキオン様にも、気に入っていただけるといいのですが」
「もちろんグレンヴィル様も気に入ってくださるに決まっていますわ! 私が保証します!」
「ふふふ、ありがとうございます、ノンノ様」
プロキオンはなんだか清らか過ぎて、『ねぇ、赤ちゃんの作り方って知ってる?』って感じだけど、スピカちゃんの浴衣姿にはさすがにドキドキすると思うよ!
いっしょに好きな人を煩悩の海に沈めようぜ、スピカちゃん!
私の励ましが効いたのか、スピカちゃんは花のように微笑んだ。そして優しい声で言う。
「ノンノ様の浴衣姿も、バギンズ様は絶対に素敵だと思ってくださるはずですよっ。私が保証します!」
「そうですよね!? アンタレス様、私の浴衣姿にメロメロの悶々になりますよね!?」
「はいっ。ノンノ様のことをとっても可愛いと思ってくださるに違いありません!」
スピカちゃんのお墨付きを貰い、私は意気揚々と更衣室から出ることにした。
浴衣を貸してくださった妖精さんたちにお礼を伝え、扉を開ける。
さぁ、アンタレスに浴衣姿を見せて、お祭りの最中にうなじを見せつけまくって、誘惑するぞ!
それでなんか良い感じに……なんかすごくえっちな感じに……、アンタレスを悩ませたい!
どうせ健全強制力でファーストキスも初体験も許されないのだから、その分アンタレスが私にムラムラして懊悩しているところを見て、悦に入りたい! 私は本気だ!
うきうきして廊下に出ると、すでに着替え終わっていたアンタレスとプロキオンが私たちを待って、壁際に並んでいた。
……アンタレスとプロキオンも、浴衣姿である。
うわぁぁぁぁぁ!!!!
浴衣姿のアンタレス、えっちじゃない!?
浴衣の合わせから覗く喉仏とか鎖骨とか、色っぽすぎるよぉぉぉ!!!!
藍染の生地もアンタレスの淡い金髪に似合ってるし、格好良すぎるよぉぉぉ……!!
好き……っ!!!!
懊悩する私の前に、アンタレスは照れた表情で近付いてきた。
「この格好、そんなにノンノに気に入って貰えるとは思わなかったから、嬉しい。ちょっと恥ずかしいけれど。ありがとう、ノンノ。ノンノもお祭り衣装、綺麗だよ」
「……あの、……その、めっちゃ好きぃぃ」
「うん、聞こえてる」
「もうアンタレスにめちゃくちゃに抱かれたい……」
「……うん、きみは本当に馬鹿だよ」
アンタレスはさらに頬を赤く染めながら、私の額をコツンと小突いた。
「ほら、おいでノンノ。プロキオン様たちとお祭りに行くんでしょ」
「うぅ~、アンタレスといちゃいちゃしたい~」
「いいから歩いて」
アンタレスは私の手をぎゅっと繋ぐと、プロキオンとスピカちゃんがお互いの姿に見惚れているところへと向かっていく。
ちなみにプロキオンの浴衣は墨色で、ところどころ白い縞模様があるデザインだった。長い黒髪を一つにまとめ、硝子玉のかんざしを差していて、四人の中で最も色っぽい。
スピカちゃんもプロキオンの色気にうっかり当てられてしまったらしく、頬が上気している。
あれ? この四人の中だと、お色気度最下位は私じゃないか……? あんなに頑張ってうなじを出したというのに、どういうこと……?
私たちが傍に寄ると、スピカちゃんとプロキオンは夢から覚めたようにハッとした表情になり、妙に近づきすぎていた距離を離した。相変わらず初々しい二人である。
「プロキオン様、エジャートン嬢、そろそろお祭り会場の方へ移動しましょうか?」
「ああ、そうだな、アンタレス」
「すっごく楽しみですっ!」
二人はすぐさまお祭りに意識を切り替えて、明るい笑顔を浮かべた。
なんで皆そんなに早く、煩悩を捨てられるんだろう……。私はまだアンタレスの色気に懊悩してるというのに……。
これがスケベに生まれた苦しみか……。
スピカちゃんとプロキオンは張り切った様子で、エントランスに向かって行く。私はアンタレスに手を引かれるがままに歩いて行った。
はぁ~、アンタレスの浴衣姿とか、本当に卑怯でしょ……。
▽
妖精たちのお祭りはとっても楽しかった。
矢じりの無い弓矢で、並んでいる賞品に当てるとその賞品がもらえるという射的ゲームで、アンタレスがうさぎのぬいぐるみを当ててくれた。
アンタレスは馬術が得意で騎射もたしなんでいるので、弓の扱いが上手いのだ。剣術ではプロキオンに勝てないが、弓ならばプロキオンと戦っても引き分けに持ち込めると思う。
プロキオンは妖精剣士と木刀で戦うゲームをして圧勝し、あっさりと優勝を果たした。そして優勝賞品である『妖精王の護符』を手に入れ、スピカちゃんに捧げていた。
『妖精王の護符』は一回限りの使い捨てアイテムだが、災いから身を守れるとのこと。すごいアイテムだなぁ。
屋台では、妖精たちが作るお料理を食べさせてもらった。
初めて見るフルーツの飴掛け。花の香りがするジュース。色んな木の実が入った蒸しパンや、ポリポリとした不思議な触感のキノコのスープ、ハーブや香辛料たっぷりの川魚の串焼きやイノシシのお肉を甘いお味噌で焼いたものなど。森の恵みがぎゅっと詰まった、妖精たちの暮らしを凝縮した食べ物ばかりだった。
スピカちゃんは妖精たちにラベンダークッキーの作り方を聞かれ、一生懸命に説明していた。
それから妖精たちの踊りを見せてもらった。
櫓の上から降って来る笛と太鼓の音に合わせて、妖精たちが集団になって踊りを踊る。森の収穫に感謝する踊り、客人を歓迎する舞い、妖精王を敬う踊りなど、たくさん楽しい踊りを見せてもらう。
スピカちゃんは妖精たちに踊りの輪に招かれ、「一人だと恥ずかしいので……!」と慌ててプロキオンの手を引いた。そして妖精たちのいたずらで、まんまと求愛の舞いを踊らされている。
「飲み物を取って来るよ。ノンノはさっきの花のジュースでいいよね?」
「うん、ありがとう」
踊りを見やすい場所にあったベンチ(というか丸太をそのまま横に倒して置いただけのもの)に腰掛けていた私は、アンタレスの言葉に頷いた。
アンタレスはすぐに料理の屋台へと向かって行く。
私は彼氏の後ろ姿を見送り、「はぁ……」と欲求不満の溜め息を吐いた。
浴衣姿でアンタレスを誘惑する予定だったのに、またしても私の方が誘惑されてしまっているぞ。一体どういうことだ。
本当なら今頃私のうなじにまいってしまったアンタレスに、『ねぇノンノ、お祭り会場から離れようよ。僕、きみの魅力にもう我慢出来ない……』とかねだられて、『え~、だめだよアンタレス~♡』とか焦らしまくっているはずだったのに。
それで切なそうな顔をするアンタレスを堪能するはずだったのに。
あーあ、アンタレスを今以上に私に夢中にさせて溺れさせてムラムラさせてすっごくえっちな感じに襲われて未遂を味わいたいだけなのになぁ。
なんでこんなに簡単なことが難しいのだろう? 全部、健全強制力のせいだな!
だいたいアンタレスもアンタレスじゃない? 彼女が浴衣姿を披露しているんだから、もっと血迷えよ。
「……僕は血迷わないように、必死で理性を繋ぎ止めているんだけど」
気がつけばアンタレスが飲み物の入った木のカップを持って、私のところに戻って来ていた。
そして眉間にしわを寄せ、苦しげな表情をして私を見下ろしている。
薔薇のトンネルの中でもこの表情を見たな、と私は思った。
「僕はいつだって理性を失わないように頑張ってる。ノンノを怖がらせたくないから、紳士の仮面を必死で被っているんだよ」
アンタレスは木のカップを離れた場所に置くと、私の隣に腰掛け、ぐっと強い力で私を抱きしめてきた。アンタレスの大きな手が私の背中と腰に回り、一瞬でアンタレスのあたたかさに包まれる。
何これ? どういう状況ですか、アンタレス君……?
「大好きな女の子が『いつでも食べてください』って心を垂れ流して傍に居る男の気持ちなんか、ノンノに分かるわけがない……!」
「え? え? アンタレス、急にどうしたの?」
「ノンノはもっと、僕が紳士であることを僕に感謝すべき!」
アンタレスの腕の中でなんとか身じろぎし、彼の顔を見上げると。苦悶に満ちた表情があった。
切なそうに顔を歪めたアンタレスが、私の頬を撫でる。
「……お願いだから、これ以上僕を煽らないで。ノンノが浴衣姿じゃなくても、僕はいつだってきみに誘惑されているんだから……」
エメラルド色の彼の瞳に浮かぶのは、私へのどうしようもないほどの恋慕と欲だった。
うひゃぁぁぁ……! アンタレス、顔がえっち……! 実に良き……!!
私の正直な心は、アンタレスの火に油を注いだ。
「ノンノ、全然分かってないだろ!?」
「だ、だってぇ、アンタレスがえっちな表情するから、つい……」
「きみと結婚するまで手を出すわけにはいかないのに、ノンノを傷付けるわけにはいかないのに、僕は本当に困ってるんだよ!」
「どうせ健全強制力で、結婚するまでえっちなこと出来ないじゃん!」
「きみがそんなふうに危機感を抱かずにいるのが問題なんだよ!! せめて、僕に襲われたいって考えるのやめてくれない!?」
「本心なんだからしょうがないじゃん!!」
「だから余計にタチが悪いんでしょ!! あと、僕を無駄に誘惑しようとするのも止めてよ!!」
「だってアンタレスのえっちな顔見たいもん!! アンタレスともっとえっちなことしたいもん!!」
「そんなの僕も一緒だよ!! ノンノの馬鹿!!」
「アンタレスのあほー!! ていうか、首の辺りで喋るの止めて! うなじに息が当たって、なんか恥ずかしいから……っ!」
「この程度で根をあげるくせに、本当にきみってやつは……!」
「ひゃぁぁっ!」
私はなぜかアンタレスにお説教をされ続け、スピカちゃんとプロキオンはわけの分からぬまま求愛の踊りを続け、気が付くとゆっくりと妖精の森の中が白み始め、朝の光が差し込んできた。
夜通し行われた妖精たちのお祭りが終わり、気が付くとまた薔薇のトンネルが現れる。これを通ればグレンヴィル公爵家の別荘に戻れるのだろう。
徹夜で遊んだ私たちは眠い目を擦り、浴衣を着替えて、妖精たちにお礼を告げてお祭りをあとにする。
私とアンタレスは手を繋いで薔薇のトンネルを歩いていたが、ふと思ったことが口から洩れた。
「そういえば花占いの答え、とりあえずアンタレスは『ムッツリ』で正解だね」
「ノンノ、うるさい」
絶倫かどうかは、結婚後のお楽しみである。
アンタレスは耳まで赤くしながら怒った。
アンタレス・バギンズ(16)
ノンノからの「スキスキダイテ」攻撃が可愛くて、だんだん腹が立ってきた可哀想な青年。




