46:ノンノ、グレンヴィル公爵家別荘へ行く④
皆でボードゲームに熱中していると、時計の針はいつの間にか深夜二時を差していた。
「このまま本気で徹夜コースにしますか?」
締め切り関係で徹夜に慣れてしまった私が尋ねれば、スピカちゃんは「私、天体観察が好きなので、ミルク無しの珈琲を飲めば結構平気ですっ!」と答えた。プロキオンも「騎士の訓練で、二、三日睡眠を取らなくても平気だ」と言い、アンタレスは「皆に付き合いますよ」と仕方なさそうに笑った。
「じゃあ私、調理室をお借りしてミルク無しの珈琲を作ってきますねっ」
「スピカ嬢、珈琲くらい、我が家の使用人を呼んで頼めばいい」
「こんな時間に使用人さんを起こすのは心苦しいですよ、プロキオン様。使用人さんたちは明日の朝も早いのですからっ。私、お湯を沸かして、皆さんの分の珈琲もちゃっちゃっと作ってきます!」
「スピカ様おひとりに任せるわけにはいきませんわ。私も一緒に行きます」
「それなら僕も。皆で作ったクッキーもまだ残っていたはずだから、夜食にしませんか?」
「それはいいな。私も少々小腹が空いてきたところなんだ」
「じゃあ皆さんで調理室に移動しましょうっ!」
珈琲とラベンダークッキーを求めて調理室へ移動することになり、スピカちゃんが客室の扉を開けると。
廊下から、噎せ返るほど強い薔薇の香りが流れ込んでくる。まるで誰かが今しがた、廊下で薔薇の香水瓶を割ってしまったみたいに香りが充満していた。
いったいどうしてこんな香りがするのだろうと、私たちは首を傾げながら廊下に出る。
すると、廊下の様子が様変わりしていた。
「えええっ!? 廊下があったはずなのに、薔薇のトンネルになってるってどういうこと!?」
まるでどこかのお城の庭園にでもありそうな、アーチ形をした薔薇のトンネルが、まっすぐに続いていた。
緑の葉っぱや茎が絡み合い、重なり合っている。その様子が深夜に関わらずよく見えるのは、赤い薔薇の花が灯篭のように光っているからだった。
トンネルの地面も薔薇の花びらで覆われ、足元を赤く照らしていた。
「プロキオン様、この別荘は深夜になると薔薇のトンネルが現れるのでしょうか?」
「そういった話は特に聞いたことはないが」
「そうなんですね、不思議です。でも、とても綺麗な薔薇ですねっ」
この怪奇現象を前に、スピカちゃんとプロキオンがほのぼのと会話している。
良かった。この世界のヒロインと攻略対象者がこの怪奇現象に警戒心を抱いていないのなら、そんなに危険なことでもなさそうだ。
「ノンノ、あんまり油断はしないでね」
隣にやって来たアンタレスが、私の手をしっかりと握る。
「命の危険はないかもしれないけれど、裏山の山神様の時みたいに、思いもよらないことが起こったりするかもしれないから」
「アンタレス……」
「とにかく僕から絶対に離れないで。ノンノのことは僕が守るよ」
そう言って真剣な表情をするアンタレスに、この状況できゅんとなってしまう私。
あんまり格好良いことを言わないでほしい。スケベなことにしか役に立たない私の脳みそが、さらに使い物にならなくなってしまう……。ああ、アンタレス、大好き……!
背の高いアンタレスにぽーっと見惚れていると、アンタレスは少々苦しそうに眉間にしわを寄せた。
その反応、なに?
「皆さんっ、とりあえず、トンネルの先に出てみませんか? いつの間にか後ろの扉も消えちゃいましたし」
彼氏の様子に訝しんでいると、スピカちゃんにそう声を掛けられた。
スピカちゃんの言葉を確かめるために後ろを振り返れば、先ほどまでいた部屋の扉が本当に消えている。ただの頑丈な壁だけがそこにあった。
これでは先程まで過ごしていた客室に戻ることも出来ない。トンネルの先に出るしか、選択肢は無いようだ。
私たちは覚悟を決めて、薔薇のトンネルを歩くことにした。
▽
薔薇のトンネルを進んで行くと、トンネルの先の方から不思議なリズムの音楽が聞こえてきた。同じメロディーを繰り返す笛の音と、一定間隔で叩かれる太鼓の音だ。なにこれ、ビビリの私にはめっちゃ怖い。
健全世界だから命の危険はないだろうし、もしなんらかの危険があるとしても、ヒロインのスピカちゃんが居るからきっと上手いこと危険を回避できるはずだ。そう分かっているが、やはり怪談的なものは恐ろしい。
私は来た道を引き返したくなったが、後ろを振り返ると今まで歩いたはずのトンネルが暗闇の中に消失していた。後ろの方がさらに怪談だった。
「ひぃぃっ」と私はアンタレスに縋り付いて歩く。
「私、ホラーはえっちな要素がないと無理ぃぃ。悪霊が黒髪和風巨乳美女とか、金髪巨乳美女がうっふ~ん♡ってシャワー浴びてる間に殺されるとかじゃないと、無理だから……!」
「落ち着いて、ノンノ。この世界の怪談話に、そんな破廉恥要素は何一つないから」
「怖いだけのホラーは嫌ぁぁぁ!」
この乙女ゲーム『レモンキッスをあなたに』では第三王子ルートにちょろっとホラー要素があるだけで、あとは一切なかったはずなのにぃぃぃ!
私がびくびくしていると、前方を歩いていたスピカちゃんとプロキオンが声を上げた。
「ノンノ様っ、バギンズ様っ、出口が見えてきましたよ!」
「何やら楽し気な笑い声と、音楽が聞こえるな」
「それになんだか、美味しそうな匂いもしてきますっ」
二人に言われて目を凝らせば、確かに遠くの方に明るい光が差し込む出口が見えた。
出口からは、笛と太鼓の音と、それに合わせた歌声が聞こえ、様々な人の笑い声が流れてくる。薔薇の香りが強いので、スピカちゃんが言う美味しそうな匂いはまだよく分からないけれど……。
「ノンノ、とにかく出口に行ってみよう。トンネルの中に居たって仕方がないから」
「う、うん」
アンタレスに促され、恐怖をこらえて足を進める。もしかしたらこの恐怖の先に、美人なお姉さんと筋肉ムキムキのお兄さんが楽しんでいる混浴露天風呂とかあるかもしれないし……。ぽろりもあるかもしれないし……。
薔薇のトンネルを抜けると、そこは、深い緑の森の中のお祭り会場だった。
たくさんの灯篭が木々の枝に掛けられ、深夜の森の中を明るく照らす。
中央には櫓が建てられ、櫓の上では笛や太鼓が奏でられていた。その周囲には屋台が立ち並び、見たことのない食べ物が作られている。
そして屋台や櫓の周りで笑顔を浮かべて騒いでいるのは、私たちと同じような体格に、白く透き通った肌に色素の薄い髪と瞳、そして尖がった耳を持つ妖精たちだった。
「いらっしゃい、人間さんたち!」
「妖精王様の石像にクッキーをお供えしてくれた人間たちだね? ありがとう、とっても美味しかったよ! あんなに美味しいクッキーは初めてだ!」
「今夜はちょうどボクたち妖精のお祭りの日だったから、妖精の森にキミたちを招待したんだ!」
「さぁ遊んで行って! クッキーのお礼だよ!」
お祭り会場に現れた私たちものとに、妖精たちがわらわらと集まって来て、そう言った。
なるほど。つまりスピカちゃんのヒロインチートで妖精のお祭りに招待されちゃったんだね。だから謎の薔薇のトンネルが現れたり、別荘に戻れなくなっちゃったというわけか。すごいぜ、スピカちゃん。
「とりあえず、怖くないやつで良かったぁ」
「妖精相手だと読心能力が使えなかったから、早く教えてあげられなくてごめん」
「アンタレスが謝ることは一つもないよ」
私が安心して言えば、アンタレスはポンポンと私の頭を撫でた。




