42:お父様、上級貴族の力を手に入れる?②
幸い、私には心強い仲間たちが居た。
共に国民の暮らしの安全を守る品質監察局のメンバーである。
彼らは私の話に真剣に耳を傾けてくれた上に、同じようにピーチパイ・ボインスキーを憎み、危機感を抱いてくれた。
「共に戦いましょう、ジルベスト局長! このおぞましい本を、シトラス王国から排除しましょう!」
「子供たちの目に触れぬように禁書指定にしましょう!」
「国民の精神を汚染するような本など、すべて焚書してしまいましょう! 悪書追放運動だ!」
局員たちに支えられ、私はライトムーン氏率いる出版社と戦い、ついにピーチパイ・ボインスキーの複数の作品を発行禁止に追いやることが出来た。
巨悪は封印され、この国にまた健やかな平和が訪れたのだ……!
そう安堵したのも、束の間だった。
ピーチパイ・ボインスキーの後援者たちが立ち上がったのだ。
芸術を愛する市民団体や、言論の自由を支持する団体など、規模は小さいが決して無視出来ぬ団体たちがピーチパイ・ボインスキーの発禁処分を撤回するようにと署名活動を始め、集まった署名はほんの数日であっさりと千人を超えた。
その上、ボインスキーのパトロンらしき上級貴族たちが団結し、品質監察局を潰しにかかってきたのである……! なんたる外道……!
リリエンタール公爵家、ノース公爵家、モンタギュー侯爵家、スタンドレー侯爵家のこの横暴を決して許してはならないと、私は国王陛下に直訴しようとした。
しかしお忙しい陛下は直接お会いしてはくださらず、『双方の話し合いで無事解決したと、リリエンタール公爵から聞いている。ジルベスト子爵は留飲を下げよ』との言伝を頂くのみであった。
悔しい……!
結局、強い権力がまかり通るのだ!! 私がどれほど正しいことを主張しても、「たかだか子爵の話なんぞ」と誰もまともに聞く耳を持ってはくれないのだ……!!
悔しい悔しいくやしい!! 諸悪の根源、ピーチパイ・ボインスキーめぇぇぇぇっ!!
そのようなことを回想していると、私の手がブルブルと震え始めた。
険しくなっているであろう私の表情を見て、部下たちが「おいたわしや、ジルベスト局長……」と心配そうな目を向けてくれた。
「……取り乱してしまって、すまなかったね」
「いいえ。局長のお心はお察しいたします」
「僕らの心も同じです、ジルベスト局長! あの憎きボインスキーをすべての書店から追い出すまで戦い、決して心折れません!」
「ありがとう、皆」
局員たちからの温かな支えに励まされた私は、椅子から立ち上がり、闘志を新たに宣言する。
「ピーチパイ・ボインスキーは卑劣にも上級貴族を洗脳し、意のままに操るようになってしまった。権力の後ろ盾が乏しい私たちは、これからの戦いに苦戦するだろう。だがしかし、正義は私たちのもとにある! たとえ一時苦境でも、女性や子供たちの優しい心を悪魔の書から守り抜くことが出来るのは私たちだけだ! 諦めず共に進もうではないか!」
私の宣言に、局員たちは「さすがは局長!」「その通りです、局長!」と盛大な拍手で賛同を示してくれた。
なんと心強い仲間たちなのだろう……。感動に心が打ち震える。
私が目に涙を浮かべて、共に働く仲間たちの笑顔を眺めていると。
コンコン、と品質監察局の扉をノックする音が響く。
扉の近くにいた局員が扉を開ける前に、廊下にいる人物が勝手に扉を開け放った。
「実に勇ましい演説ですねぇ、ジルベスト局長。廊下まで聞こえておりましたよ?」
「あ、あなたは、リリエンタール公爵閣下……!!」
ボインスキーの配下の一人、リリエンタール公爵が扉の向こうに立っていた。
しかも彼の後ろには、ノース公爵とモンタギュー侯爵、さらにスタンドレー侯爵まで立っている。
く、くそ……!! ボインスキー軍団四天王が揃い踏みか……!!
「元気そうに吠えていて安心しましたよ、ジルベスト局長。先日は少々大人げない方法であなたを叩き潰した自覚があるので、罪悪感に胸を痛めていたところです」
「権力の使い方をお間違えになった自覚がおありでしたら、今からでも撤回したらいいかがですか、リリエンタール公爵閣下」
「間違い? 間違えてはおりませんよ。ただ、ウサギを狩るのにドラゴンを放ってしまったので、もう少々手加減をするべきだったのかも? と思った次第です」
リリエンタール公爵は薄い唇に軽薄そうな笑みを浮かべ、私をニヤニヤとウサギ扱いする。
……悔しい。強大な権力であろうと、負けたくない。
「……油断出来るのも今のうちですよ、閣下。窮鼠猫を嚙むと昔から言うではありませんか」
「ふふふ、怖いですねぇ。局長たちがどのような反撃をしてくるのか。怖くてこわくて、夜も眠れません」
そう言ってリリエンタール公爵は、局員全員の顔を見回した。
「私は怖がりなのでね、大切なものを守るためならどのような小さな敵相手でも、ドラゴンを召喚して戦うつもりです。そして私の後ろにいらっしゃる同志たちも、同じ考えなのですよ。
覚えておいてください、品質監察局の皆さん。私たちは敵対したくてあなた方といがみ合っているのではありません。ただこの世界には、愉快で美しく胸ときめかせるものがたくさんあると良いなぁと、思っているだけに過ぎないのですよ」
リリエンタール公爵は狐のように笑うと、「では、我々は陛下との会議がありますので、これで。皆さんの業務のお邪魔をしてすみませんでしたねぇ。ジルベスト局長、どうぞお元気で」と言って、残りの上級貴族を連れて廊下の奥へと去って行った。
リリエンタール公爵め、本当に腹の立つ、嫌味な男だ。
私たちが次にどんな手を打とうと、上級貴族の権力で押し潰す気満々の様子だった。
そしてこんなに腹が立つのに、あの男の持つ権力に歯向かう力が私には一つもない。
私はギリギリと奥歯を噛み締めた。
▽
「ジルベスト局長、元気出してください」
「これ、食後のデザートにどうぞ」
「ありがとう、皆」
ランチの時間になり、局員たちが食堂へと向かう前に私に励ましの声を掛けてくれた。飴玉まで貰ってしまい、私は有り難く受け取ってランチボックスを持ちあげる。
先程のリリエンタール公爵とのやり取りのせいで、午前の業務中に集中出来なかった。どうにか昼休憩の間に気持ちを切り替えなければならない。午後も業務は山積みなのだから。
中庭の景色の良い所でランチを取り、少しリフレッシュしよう。そう思って私は品質監察局の部屋から出て、中庭に降りることの出来る渡り廊下へと向かった。
渡り廊下に向かうと、向こう側から背の高い黒髪の男性が歩いてくるのが見えた。
黒い騎士服を着こなし、内側が緋色で外側が黒という上質なマントを翻しながら颯爽と歩くその男性は———……セブルス・グレンヴィル公爵閣下だ。この御方も、国王陛下と上級貴族達の会議に出席したのだろう。
公爵家はそれぞれ騎士団を持っているが、その中でも最も歴史があり強大な力を持っているのがグレンヴィル騎士団だ。
それを統括しているグレンヴィル公爵は、研いだばかりの剣のように怜悧な雰囲気で、見ている者の佇まいを自然と正してしまう力があった。
私も例に漏れず、廊下の端に寄って深く頭を下げた。
「……もしや、ジルベスト子爵殿ではありませんか?」
頭上から低く美しい声が降ってくる。
私は驚きを飲み込みながら、グレンヴィル公爵に向かって顔を上げた。
「いかにも。私がバーナード・ジルベスト子爵です。何か御用でしょうか、グレンヴィル公爵閣下」
まさか私のことをご存知とは。
意外に思いながらグレンヴィル公爵を見つめれば、閣下は嬉しそうに表情をほころばせた。
「先日、おたくのお嬢さんから『ジルベスト領産の蜂蜜詰め合わせセット』を頂きました。なんでも、我が息子プロキオンに世話になったとかで……」
そう言えば、貴族学園が夏期休暇に入る前に次女のノンノが、
「お父様、貴族学園の先輩とアンタレスが私を助けるために裏山で大冒険をしてくださったので、お礼に蜂蜜詰め合わせセットを贈りたいのです。十箱位ください」
と言ってきた。
私が「恩義を感じる相手には好きなだけ贈りなさい」と答えれば、ノンノはニコニコしながら蜂蜜を保管している倉庫へと向かって行ったことを思い出す。
きっと、世話になった学園の先輩というのが、グレンヴィル公爵家のご子息だったのだろう。
……我が娘ながら、なぜそんな上級貴族のご子息と関りが生まれたのかは謎だが。
婚約を結ぶ予定のアンタレス君も伯爵家であるし、私よりよほど権力に親しい娘である。
「ご子息様にはアンタレス・バギンズ君と共に、我が家の次女を助けるために学園の裏山で大冒険をしていただいたと聞き及んでおります。心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございました」
「う、うちのプロキオンが裏山で大冒険……!?」
グレンヴィル公爵は瞳を輝かせ、私の手をガシッと取った。
「ぜひっ、プロキオンがどんな冒険をしたのか教えてください!! ジルベスト家のお嬢さんとはどれくらい親しいのでしょうか!? アンタレス・バギンズ君とは、プロキオンのお友達でしょうか!?」
「い、いえ、あの……、私も詳しいことまでは……」
こちらが困惑する勢いで、グレンヴィル公爵は次々に話しかけてくる。
裏山での大冒険の内容はよく知らないが、とりあえずご子息とノンノはただの先輩後輩の間柄で、アンタレス君と婚約間近であることは伝えておいた。ノンノとご子息の関係を邪推されては堪らない。
グレンヴィル公爵は「つまり二人とも、プロキオンのお友達……!!」と、結局感動していた。
そして私は成り行きでグレンヴィル公爵とランチを食べることになり、年頃の子供を持つ難しさを話したりした。
昼休憩が終わりに近付く頃、グレンヴィル公爵が口を開く。
「ジルベスト子爵殿に色々お話を聞いていただけて、少し心が軽くなりました。これからもこうして私と親しくしていただけないでしょうか……?」
息子と何を話したらいいのか分からない、息子とどうやって距離を縮めればいいのか分からない、といった、思春期の子供を持つ親の悩みを聞いていただけで、大した回答もしていないのだが。
グレンヴィル公爵は今までよほど相談相手がいなかったのか、聞き役に徹していた私に好意を向けてくださった。
私はその時、ハッとした。
もしかしたらグレンヴィル公爵と友好を築けば、閣下が私の強い後ろ盾となってくれるかもしれない。
ボインスキーとその右腕のライトムーン氏、リリエンタール公爵ら四天王、あなどり難い市民団体連合軍、それら強敵と戦うための力に……!
私は彼の手を取った。
「私で良ければ、いつでもご相談に乗りましょう」
ありがとう、ノンノ。
お前のおかげでお父様は、ついに上級貴族の味方を得ることが出来るかもしれないよ。
そして首を洗って待っていろ、ピーチパイ・ボインスキー!!
貴様の本をこの国から追放する日は決して遠くはないぞ!! ふはははは!!!!
それでは聞いてください。「だいたい全部、ノンノのせい」




