41:お父様、上級貴族の力を手に入れる?①
「ジルベスト局長! 王都西区の文房具店が販売していた商品から欠陥品が見つかった件の調査報告書を持ってまいりました!」
「ああ、ありがとう」
私の名前はバーナード・ジルベスト。
王城内の片隅にある王立品質監察局で局長を勤めている、しがない子爵だ。
所属する局員は十人にも満たない小さな職場だが、皆それぞれが担当する業務に熱意を燃やしている。自分たちがしている仕事の尊さを真に理解しているのだ。
私たち品質監察局の仕事は、シトラス王国民の生活を守ることだ。
武力で国を守る騎士のようには華々しい仕事ではない。財務や法務のように国の根幹を支える仕事でもない。
ただ愚直に市場に出回る商品を監査するという、一見地味な仕事だ。
だが私たちが目を光らせることで、国民は安全な商品をごく当たり前に手に入れることが出来る。
国民の生活を陰でひっそりと支える、いわば黒子が私たちの役目なのだ。
私は部下から渡された報告書を読み、「なるほど、製造過程での人為的ミスが原因か」と呟く。
部下はハキハキとした口調で答えた。
「欠陥品は店にある分はすべて回収し、すでに購入した客へは返品交換するよう通達しました。来週には製造所の方に立ち入り検査を実施し、指導する予定です」
「うん。分かった。私も製造所の方を確認したいから、その日は時間を空けておこう」
「はい、当日はよろしくお願いいたします、ジルベスト局長!」
慣れた仕事なので実にスムーズに話が進む。
例の件もこれだけサクサク話が進めば良いのだが……。
「……ジルベスト局長、表情が暗いようですが、この件に関して何か気がかりな事があるのでしょうか?」
「ああ、いや、心配をかけてしまってすまないね。この件について悩んでいたわけではないよ」
私はそう言って、右手に持ったままだった報告書を執務机に置く。
優しい部下は私の懸念を察したように頷いた。
「それでは、『ピーチパイ・ボインスキー』の件ですね!」
彼のその一言に、監察局でそれぞれ別の業務を進めていた部下たちの手が止まる。そしてその手が、激しい怒りに震え始めた。
「ああ、なんというおぞましい名前なのだ!」
「おぞましいのは名前だけではないぞ! あやつが生み出す文字の一つ一つから腐臭が漂っている! あのようなものは悪魔の書だ! 頭のおかしい奴が生み出したに違いない!」
「我らの局長を悩ませるだけで万死に値する!」
「あんなものが小説なものか! 駄作駄文、ちり紙としての役にも立たぬ! 歴史に名を遺す偉大な作家たちに謝罪しろ!」
「ピーチパイ・ボインスキー! 憎し! あのようなふしだらな作品など、公序良俗に反する!」
「……君たち」
普段は穏やかな部下たちが嘘のように、ガラリと表情を変えて叫び始めた。
部下たちの冷静さをかき乱すほどの社会の巨悪———それが『ピーチパイ・ボインスキー』という名の作家である。
このふざけた筆名で活動している作家は、だいたい五年ほど前に、このシトラス王国の出版業界に現れた。
最初の一冊である『いや~ん♡俺様王太子殿下に溺愛されすぎて困っちゃうぅ♡』は、当初、本棚の隅にひっそりと置かれているだけだったらしい。
だが、とある有名な評論家の目に留まり、彼が新聞に掲載している書評にて「こんな男はファンタジー。なんのリアリティーもない」と悪評を書いた。
この評論家は毒舌が売りで、彼が書く書評の大半が悪評だったので、読者はその書評をいつものように読み流した。
そして誰もがその作家の名前を忘れようとした頃に、ピーチパイ・ボインスキーの二冊目の本『トラブル学園桃色100%にようこそ』が発売された。
毒舌ばかりだったあの評論家が「ついにこの世に神の書が現る」などという大絶賛の書評を書いたことから、ピーチパイ・ボインスキーの一大ブームが巻き起こることとなった。
それほど人気な作品なら、私も一度読んでみようか。
私はそれなりに読書をする方で、人気作と言われると読みたくなってしまうタイプの人間だった。
そこでさっそく本屋に寄って件の本を購入し、読んだところ———……私は初めて本というものを壁に叩きつけてしまった。
こんなに酷い作品を私は読んだことがない。
文体や構成力などの技術的な話をしているのではない。
男性主人公がちょっと廊下を歩いただけで女性キャラクターにぶつかり、その女性の胸元に顔を埋めるという馬鹿げた展開。台風が接近すれば女性のスカートがめくれあがり、隕石が落ちれば女性のシャツの胸ボタンが弾け飛び、魔王と戦っている最中に学生服が破れて下着が現れる。意味が分からない。魔王と戦うのなら鎧を着るべきだろう。本当に意味が分からない。
なにが神の書だ。むしろこれは悪魔の書である。
女性の性をいたずらに辱め、そのことに愉悦を感じている作者の薄汚い欲望が文章から浮かび上がっていた。
私はピーチパイ・ボインスキーの本を受け入れられなかった。むしろ怒りが湧き、嫌悪した。
ところで私には美しい妻と、そして愛らしい二人の娘がいる。
妻は控えめでありながらも芯の強い女性であり、長女のマーガレットは穏やかで心優しい少女に育ち、次女のノンノは少々風変りだが明るく元気いっぱいに育ってくれた。
もしこの三人があの悪魔の書に描かれた女性のような目に遭ってしまったら、私はきっと精神が壊れてしまうだろう。
女性というものは真綿のように守られ、平穏の中で笑っていてくれなければならない。それなのにあのような悪魔の書が世に流行してしまうとは、なんと恐ろしいことだろう。
こんな悪魔の書が持て囃されるということは、こういった薄汚い欲望を抱える人間がこの世に少なくないということだ。おぞましい。
建国以来一度も性犯罪のなかったこの平和なシトラス王国に、この悪魔の書の影響を受けた愚か者が暴れたらどうするのだ。
守らねばならない。妻を、娘を、そしてこの国の女性たちを。悪意に満ちた欲望から遠ざけるのだ。
義憤に駆られた私は、王立監察局局長として立ち上がることにした。
ピーチパイ・ボインスキーとやらに問題箇所をすべて削除させ、原稿を一から書き直させる。すでに発行された分はすべて回収し、焼却処分にするように出版社へと通達した。
「いやぁ、それは無理っスねぇ、品質監察局の局長さん。おたくらは欠陥のある商品を咎めることは出来るっスけど、うちの本にはそもそも欠陥品なんてないっス。誤字脱字乱丁落丁なに一つないっス!」
編集長兼社長であるライトムーン氏は、そう言って通達をはねのけた。
「内容が欠陥だらけだと言っているのです、私は!」
「うちのボインちゃん先生の本の内容に欠陥なんか一つもないっス! 全部が全部、素晴らしい芸術っス!」
「何が芸術ですか!! 女性キャラクターを裸にさせて愉悦に浸っているクズの話ではないですか!! ふしだらだ!!」
「ふしだら? ボインちゃん先生はね、女性の美しさを余すことなく描写し、男性の持つ雄々しさを物語の中に描いてるんっスよ。その芸術をふしだら? ふしだらだと思うジルベスト局長の方がよっぽどふしだらなんじゃないっスかね~?」
「ら、ライトムーン氏!! なんという言いがかりをつけるんだ!?」
「言いがかりは局長の方っスよ!! 一昨日来やがれっス!!」
ライトムーン氏との話し合いは毎度罵り合いで終了した。
私が手をこまねいているうちに、ピーチパイ・ボインスキーはどんどん作品を世に発表していった。
このクソ野郎の本は売れに売れ、翻訳されて国外まで進出していき、大陸でも有名なベストセラー作家の一人として名を馳せるようになった。
しかしクソ野郎本人は決して表舞台に現れず、その素性は闇に包まれていた。
……私は絶望した。
こんな世の中など神に許されていいはずがないと思った。
どん底の中で私に仕事のやりがいを思い出させてくれたのは、愛しい家族の存在だった。
昨年長女マーガレットのもとに待望の娘アシュリーが生まれ、私はおじいちゃんになった。
アシュリーを抱きかかえるとあまりに小さく軽くて、胸が潰れそうなほどに愛しかった。
守らねば。
こんなに小さなアシュリーが、健やかに笑って暮らせる世界を作らねば。
次女のノンノも年頃の少女に育ち、異性の目を集めるようになってきた。幼馴染のアンタレス君がいつも傍に居てくれるからさほど心配はないかもしれないが、もしもということもある。
やはりピーチパイ・ボインスキーを滅ぼさねばならない。なんとしても。
私は孫娘と娘の笑顔から勇気をもらい、再び巨悪と戦う気力を取り戻した。




