40:ノンノ、透明人間になる力を手に入れる④
「うっ、うっ、うぅぅ……!」
私は泣いた。
この世界に転生してからこんなに悲しいことは一度もなかったという位に……。いや、下着全捨てとかわりと最近あった気がしたけれど、とにかく泣いた。
スピカちゃんやプロキオン、借金取りに追われているカップルも、私が急に泣き出したことに驚いて全員目を丸くする。
「どうしたんですか、ノンノ様? おなかが痛いのですか?」「呪いの影響か、ジルベスト嬢?」「体調の悪い時に俺達の事情に巻き込んで申し訳ない……!」「医者を呼びましょうか?」と、皆が優しい言葉をかけてくれる。
うぇぇぇぇん。皆が嫌な奴だったら、私は自分のスケベの為だけに宝物を取っておくのにーーー!
「ノンノ」
すべてを理解しているアンタレスが、私を励ますように背中に手を置いた。
アンタレスの大きな手のひらは温かく、声に出さずとも『頑張れ』と言っているのが分かる。自分の欲望に打ち勝って、人として正しいことをしなさいと言っている。
いやだぁぁぁ、欲望に屈したいぃぃぃ!!
透明人間になってアンタレスのお風呂を覗きたいよぉぉぉ!!
でも可哀そうなカップルを放っておけないぃぃぃ!!
私は断腸の思いでポケットの中を漁り、『一時間だけ透明人間になれるキャンディー』を取り出した。
紙の両端をひねって閉じてあるタイプのキャンディーで、開封するとオーロラ色に輝く綺麗な飴が出てくる。
「あ、あのぉ、これぇ……これ……っ! うぇぇぇぇん……!」
「これはノンノ嬢が精霊から頂いた『一時間だけ透明人間になれるキャンディー』です。これをお二人にお譲りします、と彼女は言っています。どうか役立ててください」
涙が止まらなくて会話が出来ない私の代わりに、アンタレスが代弁してくれる。
「まぁっ! そんなに貴重な品を私たちにお譲りしてくださるなんて……!」
「お嬢さん、本当にありがとうございます! これで二人で無事に王都を出ることが出来ます! ありがとう、ありがとう!!」
「精霊から頂いた贈り物をお譲りするだなんて、さすがです、ノンノ様っ!」
「きみは優しい人だな、ジルベスト嬢」
「あうぅぅぅぅ……! あぅぅ……!」
「お二人ともどうか幸せになってください、と彼女が言っています」
人生なんて苦行ばかりだ。
私はそう思いながらも、キャンディーを嬉しそうに受け取るカップルの表情に安堵する。
こんなにつらくて厳しい人生だからこそ、好きな人と生きたいよね。そうじゃなきゃ、やってらんないよね。
キャンディーは彼女の方が使うことになった。彼氏の方は義母たちに顔がバレていないので、見つかる危険性が低いのだろう。
彼女の方がキャンディーを舐めると、本当に透明人間になる。精霊の力って凄い。羨ましい。やっぱり私も透明人間になりたかったよぉ……!
カップルははぐれないように手を繋ぐと、何度も私たちにお礼を言いながら王都の城門へと去って行った。
お二人ともどうかお元気で。
私が透明人間になってウハウハ出来なかった分、絶対に幸せになってね……!
▽
私たちは目的だったカフェに戻り、お茶にすることにした。
いっぱい泣いたし、水分を補給しなければ。
メニューから白桃ジュースを選び、店員さんに注文する。
スピカちゃんはストロベリーシェイクを選び、プロキオンは「これは一体どんな飲み物だろう」という顔で恐る恐るウインナーコーヒーを注文していた。
ちなみにウインナーコーヒーはオーストリアのウィーン発祥のコーヒーで、ウィーン風という意味だ。
けれどこの世界にはオーストリアもウィーンも存在しないので、由来がまったく分からない謎のコーヒー状態である。そういう詰めの甘さが日本産乙女ゲームという感じ。
「僕はきゅんきゅんパフェでお願いします」
アンタレスが店員さんにそう注文した。
驚いてアンタレスを見上げれば、彼はエメラルドの瞳を優しく細めて私を見ていた。
「今日はノンノが偉かったから、僕からのご褒美だよ」
「アンタレス……!」
それってつまり「あーん」って食べさせてくれるやつだろうか? 恥ずかしがり屋なアンタレスがそこまでしてくれちゃうだろうか?
期待で胸をドキドキさせていたら、注文した品が届くまでの時間はあっという間だった。スピカちゃんたちが「さっきのお二人、本当に良かったですね」って会話をしている間も上の空だった。
運ばれて来たカップル限定きゅんきゅんパフェは、苺アイスや生クリームの上に、ハートの形にカットされたカラフルなフルーツや、ハート型のチョコやクッキーがトッピングされていてラブリーだ。あまりの可愛らしさに、向かいの席のスピカちゃんが目を輝かせている。
ちなみにプロキオンはウインナーコーヒーの正体に首を傾げている。ソーセージじゃなかったね。
そんなことを考えている間に、アンタレスがスプーンでアイスとハート形のキウイをすくってくれる。
「はい、ノンノ。口開けて。あーん」
ちょっと照れたように微笑みながら言うアンタレスに胸がきゅんとしながらも、私は頑張ってあーんした。
口の中に生クリームの甘さとキウイの甘酸っぱさが広がる。
アンタレスの手から食べるパフェはいつもの何倍も甘い気がして、にやけてしまう。
アンタレスが次はチェリーと生クリームを私の口に運ぼうとした。
だが、ちょっと口を開けるタイミングを間違えて、私の唇の端に生クリームがくっついた。
「あ、ごめんノンノ。僕のタイミングが早かったね」
アンタレスはそう言って私の唇の端についた生クリームを指で拭い、ペロッと舐めた。
……そして私たちは無言のまま顔を見合わせ、固まった。
こ、この男! 私の唇を、今、指で触りましたぞっ!?
その上、私の唇の端についた生クリームを舐めましたぞっ!?
こんなの実質キスじゃんっっっ!!!!
「ち、ちがっ、僕っ、いまっ、ほんと無意識で……!!」
アンタレスは自分のしでかしたことの重大さに気が付き、真っ赤になった。額に汗をかき、視線を泳がせ、口元を手で押さえている。
そして最後にテーブルに撃沈した。
私の方も自分の口元を両手で押さえ、突然のラブハプニングにもうどうしたらいいのか分からない。
向かいの席のスピカちゃんが「あらあら、お二人はとっても仲良しですねっ」と大らかに微笑み、よく分かっていないプロキオンが「二人とも、虫歯か?」と首を傾げている。
虫歯じゃないです。知覚過敏でもないです。
……なんか今日のアンタレスがすごく破廉恥だったから、透明人間になれるキャンディーを他人に譲った辛い出来事も消化出来そう。
また精霊を見つけて助けてあげれば、あのキャンディーを再び貰えるかもしれないし。
というわけで、この日以来ずっと、私は庭に出る度に薄桃色の蝶々を探している。




