39:ノンノ、透明人間になる力を手に入れる③
「なんとお礼を申し上げたらいいのか……」
「危ない所を助けていただき、本当にありがとうございました!」
私たちはカフェの前から近くの公園へと場所を移動した。
悪者に追いかけられていた二人組の男女が、プロキオンに向かって改めてお礼を言う。
あまり感情を顔に出さないプロキオンは、「気にしなくていい」と淡々と答えた。
「あのっ、お二人はどうしてあの人達に追われていたのですか?」
心配そうな表情を浮かべたスピカちゃんが、二人に事情を尋ねる。
サラっと他人の事情に首を突っ込んでいける強さと親切さが、さすがヒロインという感じだ。
カップルは顔を見合わせ、事情を説明するかどうかを迷うような仕草を見せる。
スピカちゃんは両手を胸の前で組み、カップルが話してくれるのをじっと待った。
「……実は彼女が、家族の借金のかたに花街に売られそうになっているんです」
まずは彼氏の方が暗い表情で話し始めた。
彼女の方も、震える両手でスカートをギュッと握り、詳しい経緯を話し始める。
「家族と言っても、義理の家族なんです。母が亡くなってから、父の再婚に付いて行って、義理の母と妹が出来たのですが……。義母と義妹がお金の使い方がとても荒くて。父は頑張って二人の借金を返済しようとしましたが、過労で亡くなってしまいました。それで義母と義妹は、わたしのことを借金取りに引き渡そうとして……」
「自分たちが使った金なんだから、自分たちでどうにかすればいいんだ! なんで関係ない彼女が花街に売られなきゃならないんだって、思って……! 俺たち、王都から逃げることにしたんです」
「けれど、家を出る時に義妹に気付かれてしまいまして。借金取りに連絡したみたいで、追いかけられているんです……」
なるほど~。その途中で私たちと出会っちゃったんだね。
一応二人の話が本当かどうか確認するためにアンタレスへ視線を向ければ、アンタレスはこくりと一回頷いた。
こういうとき、アンタレスの読心術がとても頼りになる。
「なんてお可哀そうに……!」
カップルの話を聞いたスピカちゃんが目尻に涙を浮かべ、プロキオンも静かに眉間にしわを寄せた。カップルの境遇にスピカちゃんたちも心を動かされたらしい。
「我が家の騎士団を動かせたらいいのだが……」
グレンヴィル公爵家が抱える騎士団は、この国で最も練度が高いと言われている。
だけど借金取りを捕まえるために動かすことは出来ないだろう。だって借金取りが貸した金を回収するのは合法だからだ。
取り立てが恐喝紛いだとか暴力的だとか、借金のかたに人間を売り払うとかは、この国ではまだまだグレーゾーンである。
そこらへんの問題は、大法廷長官の息子であるベテルギウス・ロックベル侯爵令息が将来どうにかしてくれることを期待するしかない。本当にがんばって、ベルベル。
そして花街の件だが、これは健全強制力が蔓延るこの国の最大の謎として、この私自ら調査したことがある。十四歳の時に。
相棒にアンタレスくん、いざという時に頼る大人枠で編集長を呼び出し、二週間ほど花街周辺の公園に通い詰めた。
私と編集長は植え込みの間から双眼鏡を使って花街を観察し続け、精力的に調査をしたのだが。
アンタレスはというと、傍のベンチでもっぱら読書をして過ごしていた。ワトソン君失格である。
しかもアンタレスは、
「ねぇノンノ、僕たち来年から貴族学園に通うんだよ? もう少し勉強したら? 編集長もこんな馬鹿なことに付き合わないでください」
などとご高説を垂れてくる。
「だからこうして、今しか出来ない社会勉強をしてるんですよ!!」と私は叫び返し、編集長は「これでボインちゃん先生の創作意欲が湧くなら、安いもんっスよ」と、目に金貨の面影を浮かべながら笑っていた。
実に懐かしい思い出である。
そして花街の調査結果だが、私が推測するに、あそこはただの舞台装置だ。
花街の八割が、女性が接客してくれる飲み屋で、残りの二割が一応『娼館』と銘打っている。
だが娼館に売られた女性は、一定期間の研修を受けたあと、娼婦としてデビューするその当日に、その女性にとってのヒーローが現れるのである。なぜか必ず。
「きみのためにお金持ちになった! きみを今日、身請けする!」とか言って、幼馴染みが現れたり。
「あなたに一目惚れした! 僕があなたを買い上げよう!」とか言って、御曹司が現れるのだ。
あんなに毎日のようにデビューと同時に娼婦が身請けされたら、娼館の経営は成り立たないのでは? と首を傾げるくらいに、どんどん娼婦が卒業し、また新しい女性が娼館を訪れるのである。
だからもう、そういうドラマを生むための舞台装置なんだろうな、という結論に至ったのだ。
この国の女性が望まぬスケベに遭わずに済むことは素晴らしいことだ。
でも、「私のお色気で花街を牛耳ってやるわ! うっふん♡」って感じのエッチなお姉さんが居ないことも寂しい。
十四歳の私はそんな心境になった。
そして今、私は目の前で憔悴した表情をするカップルを観察する。
……たぶん、彼女が借金取りに捕まって娼館に売られても、娼婦としてデビューする前に彼氏がなんらかの方法で大金を手に入れて、彼女を買い戻せる運命なのだろう。
けれど、それは健全強制力を知っている私だからこそ予想出来るだけだ。
今目の前に居る二人は最悪の未来を想像して怯え、絶望し、苦しんでいる。
その痛みを「どうせ助かるから」なんて言って、無視していいわけじゃない。辛いのは今なのだから。
「……何か、私が出来ることがあれば言ってください」
私は自然と二人にそう声を掛けていた。
スピカちゃんとプロキオンもすぐに同調してくれて、「私も何かお手伝いがしたいですっ!」「敵を叩きのめすことなら、私にも出来る」と声を上げてくれた。
「そうですっ! 私とプロキオン様がお二人の身代わりをするのはどうでしょうか? 服を交換して、わざと目立つところを歩くんですっ。そうすれば借金取りの方たちが私たちの方を追いかけて来るかもしれませんっ! その隙にお二人は王都の外へ逃げ出せれば……!」
スピカちゃんの提案に、恋人たちは慌てて首を横に振った。
「そんなことをすれば、あなたたちが危険な目に遭ってしまいます!」
「申し訳ないわ、そんなこと……」
「大丈夫だ。私は強い」
「プロキオン様の強さは、お二人も先程ご覧になりましたよね? 絶対に大丈夫ですよっ」
「ですが、借金取りが追っ手をどれだけ雇ったかも分かりませんし……」
私も何か良いアイディアを考えないと。
この二人が借金取りに見つからずに王都の外に出られて、スピカちゃんとプロキオンにも危険がない方法を……。
「ノンノ」
「なに、アンタレス?」
考えることに忙しい私は、うわの空で答えた。
アンタレスは何故か、私のポケットを指差している。
「そこにあるでしょ。誰も危険な目に遭わず、彼らが借金取りどころか誰にも見つかることなく王都の外へ出られる方法が」
そのとき私のポケットの中にあったのは、『一時間だけ透明人間になれるキャンディー』だった。




