36:ノンノ、元に戻る
無事に一学期の期末試験が終わって、私はアンタレスといっしょに公園の芝生の上ででぼんやりしている。
広げたラグの上に寝転んで雲が形を変えていくのを眺め、小鳥の愛らしい鳴き声に耳を傾け、芝や野花の香りを堪能し、深呼吸する。
ふふふ、良い天気だな~。
最高だな~。
平和って素晴らしいなぁ~。
毎日世界が平和ですように、うふふ☆
アホになんないとやってられない気分ですよ、ええ。
私が新薬の影響で純情になっていた間のことを思い出すと、黒歴史過ぎて正気を保てない。人生二度目なのに、どうしてまた黒歴史作らなくちゃならないのだろう。そういうのを回避してこそ、転生者ってものじゃないのか。
アンタレスのために作ったハートの刺繍入りハンカチと、二往復もしなかった交換日記は、まぁいい。ハンカチはちゃんとアンタレスにプレゼント出来たし、交換日記は厳重に封印した。
アンタレスにふさわしい淑女になろうと試験勉強を頑張ったことは、むしろ成績アップに繋がったので不幸中の幸いと言える。
でも本当に、アンタレスに迷惑を掛けすぎてしまった。
もう、それだけで「うわぁぁ~!」って頭を抱えて叫びたいほどの大後悔である。
まさかアンタレスが、校外学習イベントのアイテムである『願いがひとつだけ叶う石』を探しに行くことになってしまうなんて、予想外の展開ですよ。
山神様の庭なんてゲームシナリオになかったんですけど、いったいどなたなんですか山神様。
もう、裏山が怖すぎる。私のエロ本を抽象画に改悪されたし、スケベが治る新種の薬草も生えてるし。これが鬼門っていう場所じゃないの?
その庭でどんなことがあったのか。アンタレスは「ちょっと嫌な夢を見ただけ」と言うだけで、詳しい内容は教えてくれなかったけれど。
恐怖の裏山のことだ、きっと本気でヤバい悪夢だったに違いない。例えば三十歳を過ぎても童貞で、アンタレスが悪の魔法使いになってしまったとか。その場合、私ももれなく三十過ぎても処女じゃん。あと十四年もアンタレスとえっちできないとか、本気で怖い……!
さらにプロキオンまで巻き込んでしまったそうで、申し訳なさが二乗……。
アンタレスはプロキオンと友達になれたことを喜んでいるし、そのこと自体は私も嬉しい。アンタレスに信頼できる相手が増えることはいいことだ。
ただ彼らの友情のきっかけが、私への巻き込み事故みたいなものだから心苦しいわけですよ。
「もう、アンタレスにもプロキオンにもどう恩返しすればいいのかわからないですね……」
プロキオンにはとりあえずジルベスト産高級蜂蜜の詰め合わせセットを送りましたけれども。それだけじゃ全然、恩返しにはなりませんね。
健全強制力がなかったらアンタレスには「身体で返します!」って、とっくに操を捧げているレベル。
「僕はノンノが元に戻ればそれでいいよ。べつにノンノからの見返りを期待したわけじゃないから、気にしないで」
隣で寝転ぶアンタレスがそう言う。
「だけどアンタレスが助けてくれなかったら、私はあのままずっと純情で、前世の二の舞になるところだったし……」
「あのときのノンノって、前世の性格に似ていたわけ?」
「前世で人を好きになったことがなかったから、ああいう行動を取ったかはわからないけど。結構近かったんじゃないかなぁ?」
「ふーん。なら僕はとても貴重なノンノに会えたんだね」
アンタレスはごろんと転がって、私に顔を近づける。それだけで私の肩がぴくりと跳ねた。
「十年もいっしょに居て、ずっときみの心の声を聞き続けているのに、まだ僕の知らないノンノがたくさんいるんだね。きっとこれから先もそうなんだろうな」
アンタレスはそう言って微笑み、私の髪に触れる。ラグの上に広がった髪を梳き、毛先をいたずらに指先に絡める。
純情だった私ならとっくに逃げ出している状況だけど、無事にスケベに戻ったので、アンタレスに触れられているこの時間を愛しく感じる。
私は自然としまりのない表情になった。
「ねぇノンノ、明日から終業式までは半日授業でしょ。どこか出掛けない? 明日は空いてる?」
「空いてないですねぇ。オーダーメイド専門のランジェリーショップに予約を入れておりまして……」
「……じゃあ明後日は?」
「輸入物を扱うランジェリーショップに予約を……」
「…………」
「ちなみにその次の日は新作下着の発表会があって、その次の日はお直しに出していたバニーガール衣装がようやく届くので、一人ファッションショーの予定が入ってますね」
「この間下着全部捨ててしまったって泣きわめいたばかりなのに。きみは本当に懲りないな……」
「だから散財しまくる予定が詰まってるんです~」
純情だった私がセクシー下着を全捨てしたことには、滅茶苦茶泣きわめいてしっかり後の祭りを開催した。
下着全捨てるってさぁ、思い切りが良すぎじゃないかしら私。次の日の下着くらい取っておこうよ。セクシー下着着用より、履いてない方が淑女としてアウトでしょうに、どうして思い止まってくれなかったの。
セレスティがデカパン買ってきてくれたからなんとかなったけれども。デカパン、お腹もお尻も暖かくて悔しい。実用性の良さに屈してしまいそうになる。
でもやっぱりデザイン性ですよ。セクシーなデザインが一番好きで着ててテンションが上がるんですよ。
それなのに全部捨ててしまった……。あーあー、まだ一度も着てないやつがいっぱいあったのに……。
自分が飽きる前の物を処分するのは辛いよ。
でも、やってしまったものは仕方がない。
一晩眠って、真っ赤に腫れたまぶたをしょぼしょぼと開ければ、『クローゼットが空いたから、また新しいセクシー下着を買い込み放題じゃん!』って気持ちも浮上する。お金で手に入るものはわりとどうにでもなるのだ。
「お気に入りのデザインを長く使えたら嬉しいけれど、新作のセクシー下着が出れば、またそっちも私のお気に入りになるのは間違いないんだから。久しぶりに下着を総入れ替えしたと思うことにしたの」
新しいセクシー下着を買うのって、とってもわくわくする。
新しい物が持つエネルギーというか、鮮度というか、そういう煌めきが私の良い女度を爆上げしてくれるような気がするのだ。
「というわけで当分予定が詰まっているので、プロキオンと遊んでください」
「僕に恩返ししたいっていう話はなんだったわけ?」
「私のクローゼットがいっぱいになった頃に恩返ししますのでっ」
ハァ……と溜め息を吐いたアンタレスだが、ふと、なにか気になったことがあったかのように顔を上げた。
アンタレスはそのまま起き上がると、ラグの上をぽんぽんと叩いて私に正座するよう促す。
「え、え、なにごと? 膝枕をご所望ですか、アンタレス君」
「いや、ちょっときみに尋問したいことがあったんだけど」
「突然の不穏っ!?」
「ノンノって、リリエンタール公爵令息様のことをどう思っているわけ?」
突然、同じクラスの男子生徒の名前がアンタレスの口から飛び出してきて、私は困惑する。
リリエンタール公爵令息は『レモンキッスをあなたに』ではモブカーストの上位にランクインするエリートモブという印象だが。
私個人としては、ピーチパイ・ボインスキーの発禁問題に尽力してくださった恩人として、父親のリリエンタール公爵閣下と共に、足を向けて眠ることのできない尊い御方のひとりである。
「……本当にそれだけ? 彼の容姿や性格とか、ノンノの好みじゃないの?」
「全然ないよ。どうして急にリリエンタール様の話題が出てきたわけ?」
「……そう。ならいい」
アンタレスはそれ以上は語らず、再びラグの上に寝転んだ。そして私に向かって「おいで」と両手を広げる。
リリエンタール様のことは一体なんだったのか、という気持ちはあったが、めくるめくイチャイチャタイムを逃すのも勿体ない。清純ノンノはよくこの誘惑に抵抗出来たものだ。
私はシュバババッと素早く寝転んで、アンタレスの腕の中へと転がる。そして彼の胸元に潜り込んだ。
「……こっちのノンノは僕の恋人だし、僕の傍にちゃんと居るから、いいや」
「こっちのノンノ?」
純情だった私と比べてのことだろうか。
確かにあいつはアンタレスに近寄るのも恥ずかしがっていたけれど、ちゃんとアンタレスと付き合っている自覚はあったのだけど。
そう思ってアンタレスを見上げたが、「なんでもないよ。こっちの話」と彼ははぐらかした。まぁ無理に聞き出す気もない。
いつか教えてくれる日が来ればいいな、と私は思うだけだ。
《新種の薬草》
山頂の夫婦岩(山神様の庭の入り口)付近に生息する、青く光る植物。
山神様の庭から時おり流れてくる聖力を浴びているため、摂取した人間の心身が浄化される効果がある。
転生者が摂取すると通常の人の十倍から二十倍の浄化効果を得られる。転生勇者が魔王退治に行くときに持っていくと良いアイテム。
本来はとてもありがたい薬草だが、ノンノはスケベが治る草として恐れている。
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