35:アンタレスの冒険④
空き地から起き上がると、僕はあちこちに付いた土や葉っぱをはらう時間さえ惜しんで手のなかの小石を見つめた。
これが『願いがひとつだけ叶う石』なのだろうか?
悪夢の先に石を隠したと、あの白い猿は言っていた(正確には、プロキオン様から聞いた)。
先ほど山神様の庭で起こった、あの不思議な体験……。あれが猿の言っていた悪夢だったのだろうか。
勝手な推測だけど、あれはきっとゲームの僕だった。
ノンノに化け物と呼ばれ、傷付き、今よりもさらに人間嫌いになった僕が、綺麗すぎる心を持ったエジャートン嬢に心酔していく。そんな『攻略対象者アンタレス』の追体験だった。
たしかに悪夢そのものだ。救いがない。いつまでもノンノを恨み、エジャートン嬢に依存し、精神が病んでいた。
……しかもノンノが、リリエンタール公爵令息に想いを寄せているという地獄だ。
この世界のノンノには、欠片もそんな気持ちを感じないのだけれど、実は彼が好みだったのだろうか?
ノンノが正気に戻ったら絶対に問い詰めないといけない。
僕は手のなかで小石を転がす。不思議と使い方がわかる気がした。
小石をぎゅっと握りしめ、僕は願いを口にする。
「山神様、どうかノンノ・ジルベストをお助けください。ーーー彼女を、元に戻して」
手のひらのなかから、光が波のように溢れた。
青に赤に緑に黄色にと様々な色の光が大きな波を作って、空き地や空へと広がり、辺り一面を光の海に変える。
光はどんどん明度を上げ、最後には真っ白な光となって天地を包み込み、ーーーそして静かに消えていった。
僕の手にあった小石は、まるで燃え尽きたように消失していた。
不思議と、もう大丈夫だと感じた。
今頃ジルベスト子爵家にいるノンノが、正気に戻ってあわてふためいているのが想像出来た。
「ああ、良かった……。本当に良かった……」
彼女の顔を見に行こう。僕のノンノに会いたい。
「アンタレス! 今の光はいったい……」
山頂につづく道から、プロキオン様が急いで駆けおりてくるのが見える。今の光に気付いたのだろう。
空き地の茂みの奥から、僕の愛馬レディナも姿を現していた。
ああ、もうすぐ、僕の冒険が終わるのだ。
▽
だいぶ汚れてしまったので、一度着替えてからジルベスト家へ向かおうと思い、屋敷に帰宅しようとすると。
うちの屋敷の側をうろうろしているノンノの後ろ姿が見えた。
(ううぅぅ、アンタレスに会いたい~……。けれど、どんな顔してアンタレスに会えばいいんだろう? お前誰だよってレベルで純情ぶってしまった……。交換日記とかアホなものを書いてしまったし、いっぱい避けちゃった……。アンタレス、めちゃくちゃショック受けたよねぇ……。だって私のこと超絶大好きだもん。はぁぁぁぁ、ごめんね……、すごい罪悪感だよ……)
相変わらず図太いんだか小心者なんだかよくわからない、いつものノンノだった。
僕はレディナから飛び降り、ノンノに近づくとそのまま背中から彼女を抱き締めた。
「ふごぉっ! へっ、変質者っ!? だめですっ、私にはすでに旦那様が……!」
「僕だよ、ノンノ」
「はぇ?」
ぶんっと風を切る勢いでノンノが振り返り、「うわぁぁぁぁ~!」と彼女が僕の耳元で叫んだ。僕に会えた喜びで上げてしまった奇声だけれど、耳が痛い。
ノンノは僕の腕をきゅっと掴んだ。
そして恐る恐るという表情で、僕に問いかける。
「会いたかったよぉ、アンタレスぅ……。いっぱい避けちゃってごめんなさい。私、なんだか正気を失ってすごく純情になっちゃってて……。さっき、ようやく正気に戻ったの。いっぱいアンタレスを傷付けたよね……?」
「うん」
僕が頷けば、ノンノの眉尻がさらにへにょりと下がった。
「本当にごめんなさい」
「ノンノが急に僕を避けるし、喋ってくれないし、心の声が聞こえる距離に居てくれないし、交換日記は素っ気ないし。本当に嫌だった」
ぎゅうっと、ノンノを抱き締める腕に力を込める。彼女のドレスに汚れが付くくらい許してほしい。だって僕は彼女を取り戻すために、本当に頑張ったのだから。
ノンノの肩にぐりぐりと額を押し付ければ、(アンタレスの髪が顔に当たってくすぐったい)と彼女の心が言う。
「くすぐったくても我慢して」
「はい。全部私が悪うございました……」
言いたいことはたくさんあった。
裏山で大変な目に遭ったこととか、僕がノンノを正気に戻したことだってちゃんと主張したかったし、プロキオン様と友達になれたことも教えてあげたかった。僕にだってノンノ以外の友達が出来たんだぞ、って。ノンノなら自分のことのように喜んでくれるだろう。
でも、そういったこと全部を後回しにしても言いたいことがあった。
「寂しかった」
一番伝えたい言葉が音になる。
「本当に寂しかった。ノンノが傍に居ないことが寂しくて堪らなかった」
「……アンタレス」
「僕をもう二度とひとりにしないでよ……」
「うん。もうしない。絶対にしないから」
「自分の恥ずかしさより僕の方が大事だって、昔、言ったじゃないか。それなのに今更離れないで。どんなきみでも愛しているから、居なくならないで……」
溜めていた気持ちが言葉になったら、なぜか涙が込み上げてきてしまい、僕はぐっと歯を食い縛る。十六にもなって泣くものかと、目に力を込める。
「約束します、アンタレス君。ノンノ・ジルベストは例え羞恥に焼け焦げてそのまま死んでしまいそうになっても、あなたの傍に居ます。おめおめと生き恥を晒します。だってアンタレスを愛しているから」
この約束に本当はどれだけの効力があるかなんてわからない。
人の心は狡くて、約束なんか簡単に破る。そしてノンノは非常に狡い女の子だ。
だけど今、ノンノが心からそう口にしていることが僕には分かるから。
仕方がないな、と思った。
きっと惚れた弱味なんだろう。
僕は少しだけ顔を上げて、ノンノの頬に口付けた。
ノンノは約束通り、生き恥を晒した。




