30:ノンノ、清らかになる
私が描いたエロ本(加工修正Ver.)が王立美術館に保管されることが決まってから数日後のことだ。
裏山誕生からちょっとゴタゴタした日々が続いたけれど、そろそろ通常通りの生活に戻ってまた執筆活動を再開しようと思う。
前作が結局純愛小説になってしまったので、バニーガールにリベンジする予定だ。なにせ隣国のウェセックス第二王子から頂いたバニーガール衣装の手直しがそろそろ終わり、屋敷に届くらしいのだ。
隣国の古代衣装という珍しいものなので、依頼したデザイナーから詳しく衣装を調べたいとお願いされ、手直しが終わるまでに通常よりも時間が掛かってしまった。デザイナーにはぜひともバニーガール衣装を我が国に普及していただきたい。むふふ。
届いたら一人ファッションショーしよ~。
バニーガール衣装に合わせるのは黒ストッキングか赤の編みタイツかを悩みながら学園に登校すると、サム様が人待ち顔をして私のクラスの前に立っていた。
「おはようございますっ、ジルベスト嬢」
「おはようございます、サム様」
私を見つけた途端、サム様がホッとしたように微笑んだ。
他のクラスって妙に緊張するもんねぇ。
「Dクラスにご用ですか?」
「あのっ、すみません。ジルベスト嬢に報告したくて、Dクラスまで来てしまいました」
ご迷惑だったでしょうか、と恐る恐る尋ねるサム様に、私は首を横に振る。相変わらず礼儀正しい青年だなぁ。
「それで、報告とはなんでしょうか、サム様?」
「実は先日の校外学習で発見した新種の薬草なのですが……」
私のすったもんだの裏側で、サム様は無事に新種の薬草を発見していた。
なんでも山頂付近に青く輝いて生えていたらしい。
「毒性がないことはきちんと確認したので、さっそく試作の薬を作ってみたんです。私と薬草畑の管理人さんで実際に飲んで確かめてみたところ、とても爽やかな気持ちになれるという効果が現れたのです。それで、他の方にも試飲していただき、同様の効果が現れるか検証してみたくて……」
なるほど、新薬の治験だね。こうやって一歩一歩地道に検証し、その積み重ねの先に媚薬という偉大な成果にたどり着くのだね。
ならば、このスケベ、いくらでもお役に立って見せましょう。
「サム様、もちろん私にもお手伝いさせてくださいませ! 新薬を飲めばいいのですね?」
「ありがとうございます、ジルベスト嬢っ。えっと、こちらの薬なのですが、飲んでどんな効果が出たかレポートをお願い致します」
鞄の中からごそごそと差し出されたのは、首の長いガラス瓶だ。
遮光性のある緑色のガラスのため、薬液の色はわからないが、一〇〇mlほど入っているらしい。
「途中で割れるといけないので、予備にもう一本差し上げます」
「はーい」
爽やかな気分になれるとのことなので、あまり危険はないだろう。
その時の私はのんきにそんなことを思っていた。
▽
「さぁ、いざ! 人類の夢、媚薬への大きな第一歩へ!」
「ちょっと待って、ノンノ」
今日は、アンタレスの婚約式の衣装決めのためにバギンズ伯爵家にお邪魔している。
先程まで客間でバギンズ夫人……いや、『お義母様』呼びをしてほしいと夫人から頼まれたので、これからはお義母様だわ。
お義母様とデザイナーが、アンタレスの装飾に使う宝石をブラウンダイヤにするか琥珀にするかで熱戦を繰り広げていた。
相手の髪や瞳の色を衣装のどこかに入れることで熱愛アピールするという健全王国らしい文化があるのだけれど、私の髪と瞳が薄茶色なものだから、茶系の宝石を集めてどれが一番私の色に近いかで揉めていたのだ。私はブラウンダイヤも琥珀も、どっちの色も好き。
結果、ネクタイピンがブラウンダイヤで、カフスが琥珀になった。
そしてアンタレスの自室に移り、二人で休憩しているところである。
侍女がお茶とお茶菓子を運んで部屋から去っていったのを確認し、私は例の物を取り出した。
サム様の新薬である。
「ポーション様が作ったものとはいえ、新種の薬草でしょ? せめて薬草についてもう少し調べてもらってから、治験に参加したら?」
「でも、すでに飲んだサム様が『爽やかな気分になる』だけだって言ってたし。そんなに危険じゃないでしょ~」
ミントティーレベルの爽快感かもしれない。
私が気楽に言うと、アンタレスは「……わかった」と姿勢を正した。
「僕もいっしょにその薬を飲む。予備がもう一本あるんだろう?」
「あるけど。アンタレスも飲むなら、レポート書いてね! 媚薬研究の大事な資料になるんだからっ」
「はいはい」
アンタレスにも薬瓶を渡し、私は改めて気合いを入れて、瓶の蓋をキュポッと外した。
「輝かしい未来のためにっ、ノンノ・ジルベスト、飲みますっ!」
「あ、本当だ。爽やかな味がする」
「ええっ、アンタレス、先に飲んじゃったの!?」
「きみの毒味だよ」
慌てて私も薬を飲んだ。
舌に触れた途端、ライムとミントが浮かんだデトックスウォーターのような爽やかさが口のなかに広がった。
なんだか涼しい空気が自分の体内を巡ったかのように、気持ちがシャッキリする。
頭の中がスッキリして、すごい爽快感だ。なんだか生まれ変わったかのように心が……。
あれ……。
あれ、なんだか……。私……。
「ノンノ……? きみ、いったいどうしたの?」
アンタレスが不思議そうな表情で私のことを覗き込んでくる。
いつもならアンタレスに見つめられると嬉しくて、胸がドキドキして、幸せでいっぱいになるのに。
今はアンタレスに見つめられただけでーーー顔から火を吹き出しそうに恥ずかしい……っ!!!!!
「ノンノ!? きみ、本当にどうしたんだ!? なんなの、その思考!?」
「いやっ、顔を近づけないでアンタレスっ!! 恥ずかしすぎて死んじゃうよぅ!!」
「はぁっ!?」
「信じられない、私ったら! 嫁入り前の身なのにアンタレスの自室で二人っきりになるだなんてっ! 私、どうかしていたのっ! こんなのふしだらだわっ!!」
「ノンノがどうかしてるのも、ふしだらなのも、子どもの頃からじゃないか!!」
私を落ち着けようと肩に手を伸ばしてくるアンタレスの手を、バシッと、力一杯払ってしまう。
「私に触らないでっ!」
びっくりするほど強い拒絶が心の中に生まれた。
私の言葉に、アンタレスの表情が抜け落ちていく。
「ぁ、ご、ごめん、なさい……」
「…………」
最悪だ。
アンタレスを傷付けてしまった。私って最悪の人間だ。
だけどだけど、ーーー堪えられないほど恥ずかしい!!!
アンタレスの傍に居るだけで恥ずかしい。
そのエメラルドのような瞳に自分が映っていると思うだけで、平常心ではいられない。
ドキドキしすぎて胸が苦しくて、アンタレスに触れられたら泣いてしまいそう。彼の部屋で二人っきりで同じ空気を吸っていると思うだけで、緊張でいっぱいになる。
好き。大好き。アンタレスが大好きすぎて、もうどんなふうに接すればいいのかわからない。
「……ノンノ……?」
名前を呼ばれただけなのに、きゅんっと胸が高鳴る。
何度でもその声が聞きたくて、同時にアンタレスの目の前から逃げ出してしまいたくなる。
今までの私はどうして平気でアンタレスにくっついていられたのだろう?
二人っきりで過ごすどころか、下心満々でキスをねだり、ハグをねだり。見つめたくて、見つめられたくて。触れたくて、触れられたくて。お喋りすると止まらなくて。
どうしてそんなに心のままにアンタレスを愛することが出来たんだろう。
今の私には無理。
そんな恥ずかしいこと、出来るわけがない……!
「……ノンノ、なんだか、きみ、純情になってない?」
私はソファーから立ち上がった。
「私! もう帰る! 実家に帰りますっ! アンタレス様ごきげんよう!」
「は? ちょっと待っ……」
アンタレスの呼び止める声には応じず、私は速攻でバギンズ伯爵家を飛び出して我が家の馬車に逃げ込んだ。
ああぁぁ~、もう、今までの私、どうして平気な顔でアンタレスの前でスケベなことを考えていられたんだろう?
信じられない、ばかばかばか~!
これからはアンタレスに相応しい、清く正しい淑女として生きなくちゃいけないわ!
手始めにコレクションしていたセクシー下着を全部捨てましょう!




