3:ノンノ、告白される
時は流れて十年後。
私とアンタレスはよく食べよく学びよく遊んでよく眠り、すくすくと成長していった。
私のヘーゼルナッツ色の髪は鎖骨より下に伸び、胸はささやかに膨らみ、幼女から少女へと体の形を変えた分さらに儚げな印象が強まってしまったような気がする。
五体満足の健康体だから現世の自分の体に大きな不満はない。どんなおっぱいのサイズだって魅力的だと思ってるし、自分でも結構美乳だと思う。
けれど、海水浴に出掛けたら必ずビキニが波に浚われてしまう系お色気お姉さんキャラに憧れる気持ちは今でも変わらなかった。それはそれ、これはこれ、みたいな。この調子だと来世でも憧れてる気がする。
アンタレスはゲームで見た姿と同じになった。淡いブロンドとエメラルドグリーンの瞳が印象的な美青年で、背は高くて腕も足も長くて、人間嫌いが滲み出している冷たい表情がデフォルトだ。
だけど長年私と一緒にいたせいか、呆れ顔だったり困惑顔だったりドン引き顔だったり赤面顔だったりと、わりと表情豊かに育ったと思う。
そんな私たちは十五歳の時に『レモンキッスをあなたに』の舞台である王立学園へ入学した。
そして現在二学年。
平民として暮らしてきたヒロインが立て続けに両親を亡くし、今まで絶縁されていた祖父母のいる男爵家の養女になることが決まり、同学年へと途中編入した。
ついに乙女ゲームが始まったのである。
ヒロインは“スピカ・エジャートン”という名前の、ピンクブロンドと青い瞳が綺麗な美少女で、すでに攻略対象者たちを魅了しているらしい。
この国の王太子殿下に、一学年下の第二王子と双子の第三王子。同じクラスの世話焼きの侯爵令息や、上の学年の公爵令息と選り取りみどりという感じだ。
だけど私はスピカちゃんにあまり興味がない。
これが『レモンキッスをあなたに』という超健全乙女ゲームではなく、それこそ前世の私がプレイすることの出来なかった18禁えろえろ乙女ゲームの世界だったなら、私はヒロインに対してなにかしら行動に出ただろう。
濡れ場を覗き見するとか、なんならお友達になって恋愛相談に乗るふりで攻略対象者たちとのドスケベ話を聞き出すとか。
あーあー、なんでそっちの乙女ゲームに転生できなかったんだろう私。こんな超健全世界とか拷問だよ~。
ちなみに超健全世界のせいか、攻略対象者たちに婚約者や恋人の存在はない。略奪愛とか健全ヒロインのすることじゃないもんね。
そのためこの国の貴族たちは在学中に恋人を見つけるか、卒業後に婚活して結婚という流れが多い。すでに婚約者が居る人はごく少数派だ。
もちろん私にも婚約者や恋人は居ない。
このままでは前世と同じく処女歴を更新してしまうのでは、という焦りがないわけでもないけれど、一応縁談があるみたいなことを両親が言っていたので処女の貰い手……じゃなく嫁の貰い手がないということはないだろう。在学中に恋人が出来るかもしれないし、と私は密かに期待している。
どうせ結婚するならばスケベな人が良いな。
隣国の第二王子がかなりの女好きで、あちらこちらの女性に手を出しているという噂は本当だろうか。子爵令嬢なので王子妃どころか側妃になるのも無理だけど、妾とかお手付き侍女くらいなら狙えないだろうか。女好きの人なら処女の私のこともうまく転がしてくれそうだし、お手付き侍女なんて他人のドスケベもたくさん見れそうな気がする。大興奮の生活じゃなかろうか。
この国は超健全乙女ゲームの舞台であるせいか、そういう破廉恥な人が全然居ない。
愛人とか不倫って何? みたいな万年新婚夫婦ばかりが暮らしている。
それはもちろん良いことだけれど、ゲームの強制力ならすごすぎる。
恋愛結婚と政略結婚の割合は五分五分なのに、もれなく全員ラブラブ夫婦になるのだから。
そのわり閨教育が小学生の保健体育レベルなんだからなんだかなぁ……。これも強制力だろうか。
「……ノンノのご両親が、女にだらしない噂のある男のところにノンノを愛妾に出すわけないだろ。いくら同盟国の王子相手とはいえ」
「あ、アンタレス」
ドン引きした顔で現れたのはアンタレスだ。もはやこの表情も見慣れたものだ。そういえばゲームではこんな顔をしてるの見たことないなぁ。
図書館に隣接する中庭のベンチに腰を掛けていた私の隣に、アンタレスは長い脚を投げ出すようにして座った。
アンタレスの横顔は芸術品のようにとてもきれいで、彼を調教したいと願うご婦人達はきっと陰日向にたくさん居るのだろう。
きっと緊縛とか手錠とか似合うだろうな。屈辱そうに顔を歪めているとなお良しだ。
そう思ってアンタレスを見つめていたら、アンタレスの頬がじわじわと紅潮し、無表情を装っていた顔が崩れていく。
「もう、ノンノは昔からそうだけどさぁ……、聞いている僕の気持ちも少しは考えてくれないっ? なんだよ緊縛とか手錠って……」
「ごめんごめん」
「心と一致してないってわかってるんですけど」
「まぁ心の中のことは大目に見てよ。実際に私がアンタレスに手錠を強要したら衛兵に突き出していいからさぁ」
「『あ、突き出すって言葉えろいな』って思いながら言わないでくれる?」
目元を赤らめながら睨むアンタレスの顔はちょっとかわいい。出会った頃のアンタレスを思い出させる。
「……それでノンノはなんでこんなとこに居るわけ? またお得意のヒューマンウォッチング?」
「私の心を読めば良いのに」
「今現在考えていること以外を読むのは面倒なんだけど」
アンタレスのテレパシー能力はかなりチートで、他人が今現在考えていること以外にも、その人が抱える深層心理や過去のトラウマ、場所や物から残留思考を読み取ることも出来ると、この十年の間に発覚した。
『レモンキッスをあなたに』の攻略対象者じゃなくて推理物のゲームや小説の主人公の方が向いているんじゃないかと思う。
まぁ本人はその能力を喜んではいないので、使いこなそうとはしていないけれど。
私は先程まで広げていた手紙を、アンタレスに見せた。
「なに、これ」
「出版社から。また私の小説が発禁になっちゃったって」
「ぶふっ」
この十年、私もラッキースケベを求めてただヒューマンウォッチングするだけでは終わらなかった。
ラッキースケベが三次元に起きないのならば、二次元に起こせばいいじゃないか。
ある日そんな天啓を受けたような気持ちになり、私は筆を執ることにした。
昼は淑女、夜は自動筆記マシーンとして寝る間を惜しんでちょっとスケベな小説を書き続けた。
作品が出来る度にアンタレスに無理矢理読ませて感想を貰っていたが、ある日げっそりした顔のアンタレスに「もうこれ出版社に送ってみたら?」と言われ、その通りにしてみた。
するとどうだろう、出版社から色好い返事が来たのである。
そして私は“ピーチパイ・ボインスキー”という名前で作家デビューを果たし、『この健全国家に破廉恥革命を!』というスローガンで今も作品を産み出し続けている。
その結果がーーー発禁、発行禁止である。
「なんでだろう……。私の書く小説って前世の少女漫画や少年漫画レベルのスケベしかないのに。ガチの官能小説じゃないのに。18禁に手を出す前に死んだ私にそこまで神々しいものが書けるわけないじゃない……!」
「いや、前世の世界では良くても、この世界では駄目なレベルでしょ」
ちなみに私は女性向けと男性向け両方を書いている。
最初は女性向けばかり書いていた。
壁ドン顎クイ頭撫でポンからの事故チューとか、女性がときめくものをふんだんに詰め込んだ恋愛小説で、プラトニック一色だった出版業界で異色を放ち、売れに売れた。
けれど男性評論家たちから「こんな男はファンタジー。なんのリアリティーもない」などとボロくそに言われたので、今度は男性向けを書いてみた。少年漫画でよくあったハーレムものをお手本に、ラッキースケベ尽くしの小説を。
するとどうだろう。私の女性向け小説をボロクソに言っていた奴等から「これこそが真の芸術である」などと手のひら返しされたのだ。ははん、ざまぁー!
どう考えても登場する女性キャラにリアリティーはない。女性キャラ全員が男性主人公に惚れていて、ラッキースケベされまくっても訴えないなんておかしいのに。
結論、超健全乙女ゲーム強制力に支配されてはいるけれど、スケベが好きな人口はこの国に確かに存在している。
ああ、それなのにそれなのに、発禁。ひどすぎやしませんかね、お上の方々。
「これが乙女ゲームの強制力、この世界の意志なのね……」
「あんな不健全過ぎるものを書いていたらそうなるよ」
「だってあんなに売れたのに。みんなが読みたいと思ったから売れたのよ?」
「売れることだけが大衆の支持を得た証ではないからね」
アンタレスは辛口だけれど、実際学園内でも“ピーチパイ・ボインスキー”の名前は有名だ。
女子生徒達がカフェテリアでうっとりと「ピーチパイ先生の新作をお読みになりました? まさか雪山で遭難して山小屋で一夜を明かすだなんて、斬新ですわ」「ええ、暖炉の火では足りなくて、下着姿で殿方と抱き合って暖を取るなんて、天才の発想ですっ」「はぁ……ピーチパイ先生の作品はなんてロマンチックなのでしょう」などと話し合っている。
男子生徒達は主に校舎裏で「ボインスキー氏の傑作はやはり『トラブル学園桃色100%へようこそ』ですなぁ。女子生徒の制服が謎の果物の果汁で溶け出すなど、神展開の連続でありますぞ」「しかも我らが主人公たそは相変わらず期待を裏切らぬ活躍で女子生徒達のあれやそれやに顔面ダイブでありますぞ」「やはりボインスキー氏は分かっておられますな、芸術というものを……」と頷き合っている。
ちなみに私が偶然を装って女子グループにも男子グループにも「なんだか皆さん楽しそうですねぇ。なんのお話をされているのですか? 私も混ぜてくださいな」と突撃していくのだが、今のところ全部断られている。
まあ、男子生徒達がスケベ話をしているところに女子を入れてくれないのは仕方がないかもしれないけれど。
薄幸そうな美少女顔のせいで「ノンノ様は破廉恥な話など耳にした瞬間倒れてしまいそう」と思われているらしく、女子生徒さえ仲間に入れてくれない。やんわりと「ノンノ様には興味のないことですわ」と断られてしまう。私、めっちゃスケベなのに。ていうか作者ぞ? 我、作者ぞ?
「しかし発禁かぁ~。どうしようかなぁ、“プリンプリン・シリスキー”に改名してみるか、この国での出版は諦めるか……」
やはり『レモンキッスをあなたに』の舞台国なだけあって、健全パワーが強すぎる。
私の書いた本は近隣諸国でも翻訳されているのだが、そちらの国々の方が健全パワーが薄いのか、この国以上に売れていた。
これ以上乙女ゲームの強制力に屈する前に、亡命するのも有りな気がしている。
「亡命って……、ノンノはジルベスト家の皆さんを泣かせたいわけ?」
「そうじゃないけどぉ」
父は地道に出世して何とか局の局長になり、母も最近は刺繍の先生としてご婦人やご令嬢に教えていてとても元気だ。
おっとり屋さんの姉も婿養子を貰い、昨年出産した。人の良い義兄と、可愛い姪っ子と家族が増えて私も嬉しい。
私が他国に亡命したら、ジルベスト家は全員悲しむだろう。
「……ちなみに僕だって、ノンノがこの国から居なくなるのは嫌だよ」
「そうだよね、アンタレスは私以外友達居ないもんね……」
「そういう意味じゃない」
なぜか頭が痛そうにアンタレスが呟くが、そういう意味もどういう意味も、この子は私が居なければぼっち確定の生活を送っている。
ゲームのアンタレスもやっぱりヒロインに出会うまでは孤独だった。今は私という異物が傍に居るだけマシなのかもしれない。
やはりテレパシー能力持ちというのは人の輪の中で暮らしにくいようだ。私だったらきっと、他人の性的嗜好を調べて楽しんでいると思うけれど。
「ノンノにこの能力がなくて本当に良かったと思うよ。きみは人類の敵だと思う」
「だよねぇ。その力はアンタレスだけが正しく扱えるんだよ。他の人じゃロクなことに使わないと思うもん」
「ノンノって本当に……基本残念な思考をしているのに時々ものすごくまともなことを言うから嫌になるよ……」
脱力するアンタレスの肩を、慰めるようにポンと叩いておく。
「そういえばヒロインとはどうなの、アンタレス?」
「どうって……」
「ヒロインとくっつけば完全にぼっち卒業になるじゃない?」
私の発言が気に食わなかったようで、アンタレスにジロリと睨み付けられてしまう。いったい何故だ。ぼっちであることを指摘されるのがそんなに嫌なのだろうか。
アンタレスは深々と息を吐くと、「さっき」と呟いた。
「ノンノが言うヒロインとやらに遭遇したよ」
「わぁっ、ついに!」
「ここに来る途中、木に登ったまま下りられなくなった子猫を助けようとしていた。それで僕も手伝うはめになったんだ」
「ねっねっ、すごく良い子だったでしょ、ヒロインちゃん」
「うん」
アンタレスはヒロインを思い返すように頷いた。
けれどその横顔には、ゲームで見たような熱っぽさは不思議となかった。
「彼女は良い子すぎる。心の声を聞いても、どこまでも純粋で、まっさらだった。……まるで神様みたいな子だったよ」
「神様? なにそれ」
ゲームのアンタレスはそんな純真なヒロインの心に癒され、恋に落ちた。
現実のヒロインの心もそうなら、アンタレスも彼女のことを好きになると思ったのだけど。なんだかゲームのアンタレスとは微妙に反応が違う。
アンタレスは私の顔を覗き込んだ。そして私の頬にゆっくりと触れ、両手で包み込む。
「あんなに綺麗な心で生きていられるなんて、人間じゃないみたいだ。ノンノが言う『乙女ゲームの主人公』という運命の依怙贔屓が彼女になければ、とても人との間では生きていられないだろうね」
「つまり? アンタレスはヒロインを好きになったの? なれなかったの?」
「彼女は遠くで見守っているくらいがちょうど良い相手だよ。……あんなに綺麗な心で生きていかなくちゃならないなんて、むしろ同情する。可哀想だ」
よくわからないが、今のアンタレスにはヒロインはタイプじゃないっぽいみたいだ。
「つまり僕は、薄汚れたくらいの心の方がずっと親しみを感じるようになってしまったってわけ」
それはどういう意味だろうか。回りくどくてよくわからない。
そう思った瞬間、両頬に添えられたままだったアンタレスの両手にわずかに力が籠る。ふにっと頬肉を寄せられて、私はきっと馬鹿みたいな顔になっているだろう。
アンタレスは私に顔を近付ける。アンタレスがつけている香水がふわりと香り、彼の体温が至近距離に感じる。
アンタレスは非常に照れ屋なので、また顔が赤らんでいた。彼の喉仏が震えている。
「責任、取ってよね。全部ノンノのせいだから」
「突然責任とか言われても……。なんの責任でしょうかね、アンタレス君や」
「僕が“ヒロイン”に恋をしなかったのは、君のせいだって言ってるの!」
突然語気を強めたアンタレスは、そのまま私の額へと口付けた。
ふにゅっと湿っぽい温もりが押し付けられたと思ったら、アンタレスの両手が離され、彼はベンチから立ち上がった。
アンタレスは怒っているみたいに真っ赤で、少し目尻に涙が溜まっていて。
呆気に取られている私を見下ろし、小さな声で呟いた。
「……好きだよ、ノンノ」
アンタレスはそのまま乙女のように駆けていった。
はて。
私は口付けられた額にそっと触れる。
……はて。
じわじわ頭が熱くなってくる。
私はスケベなことが大好きで、こういう純愛チックなものって鼻で笑っちゃうくらいどうでも良かったんだけど。
……自分の身に起きてしまうと、どうでもよくは、ないんですねぇ。
私はベンチの上でうずくまり、しばらくその場から立ち上がれなくなってしまった。
どうしよう、アンタレス。腰が抜けたよ。