27:ノンノ、裏山伝説を作る④
広々とした空き地から、木々が鬱蒼と生い茂る場所へ足を踏み入れると、差し込む陽光の量がガクンと減った。
冷えた空気が肌にまとわりつき、肺の奥まで入り込む。緑と土の、山の匂いだ。
モンタギュー様を先頭に私たちは一列に並んで、白い猿を追いかけ先を進む。
ベルベルが後続を気遣うように邪魔な枝を踏み折っていき、垂れ下がる蔦をナイフで切り取る。さすがは眼鏡キャラ、紳士的である(偏見)。
彼のすぐ後ろに続くスピカちゃんがそれに気付いて、明るくお礼を言った。
ベルベルはスピカちゃんの花のような笑みに照れながらも、「転ばないように気を付けてくださいね」とグレーの瞳を柔らかく細めた。
そんな様子を後ろから眺めつつ、私はエロ本を隠すのに最適そうな場所を探しながら彼らに続いた。
エロ本を野晒しにすると雨風に濡れて、すぐにしなしなのパリパリになってしまうだろう。いい感じの洞窟とかがあるといいのだけれど。木のうろとかでもいいし。
しんがりはアンタレスなので、私が不自然に長く立ち止まると、そっと背中を押してくれる。
どんどん山のなかを進むが、私はなかなか伝説の地に相応しい場所を見つけられずにいた。
これ以上はスピカちゃんたちから離脱する他ないのだけど、……ランチを盗んでいったあの猿、毛が白いから山の緑のなかで絶妙に目立って見失うことができない。
茂みに消えたと思った次の瞬間にまた白いしっぽが見え、木に登ったかと思えばすぐに白い背中が見える。これも校外学習イベントを無事にクリアするための強制力なのかもしれない。
このまま猿の住み処まで行って、お腹をすかせた小猿にごはんをあげて終わりかなぁ、と思っていると。
突然、静かだった山のなかから動物たちの鳴き声が一斉に聞こえ始めた。
頭上で鳥達がバサバサと飛び交い、仲間たちに伝令を発するように鳴いている。
そこここの茂みから、ウサギや狐などの小動物の群れが飛び出し、山の奥から鹿などの大型の動物まで姿を表した。
これには全員びっくりである。
「どうしたんでしょう、急に動物さんたちがたくさん……」
「なにか、この山に危険でも迫っているのでしょうか? もしかすると熊などの大型肉食動物から逃げてきたのかもしれません。スピカ嬢、どうか僕から離れずに居てください」
「それなら来た道を引き返した方がいいよな、ベル」
「熊なら死んだふりをした方がいいかなぁ、アンタレス?」
「意味がないからやめて」
ちなみにアンタレスのテレパシー能力は動物には対応していないので、熊の出現を予測することはできない。
動物たちはどんどん私たちの側に集まり、こちらをじっと見つめている。
スピカちゃんの重箱と私の蜂蜜レモンを盗んだあの白い猿も、盗んだ物を地べたに置いたまま、なにかを待ちわびるようにこちらを向いて立ち止まっていた。
とても異様な光景だった。
びびって周囲を見回していると、アンタレスが私の手をぎゅっと繋いでくれた。
「アンタレス……」
「大丈夫。ノンノは僕がちゃんと逃がすから」
緊張に強張った表情で、アンタレスがそんなことを言う。
私を逃がすためなら、自分を犠牲にしてでも時間稼ぎをすると言っているのだ。
「や、やだぁ……」
私は悲しくなって、アンタレスにぎゅうっと抱きついた。
「アンタレスを犠牲にするくらいなら、私が熊でもなんでも、盾になるよ……! 全部の危険からアンタレスを守るよ! だからアンタレスが逃げてぇぇぇ」
「ノンノ……」
「私がいけなかったのっ。裏山エロ本伝説を作りたいだなんて言わなければ、アンタレスは巻き込まれなくてすんだのに……!」
「うん。そこは最初から本当にくだらなかったけれどさ……。ノンノをあまり強く止めなかった僕も悪いんだ。ゲームイベントだからって油断してしまった」
「ごめんなさいぃぃ、アンタレスぅぅ……!」
「でも、僕は僕のことより、ノンノの無事の方が大事だから。いざとなったらノンノが逃げて、助けを呼びに行くんだよ」
「いやだぁぁ、うわぁぁぁん、熊だって筋張ったアンタレスより私の肉の方がおいしいよぉぉぉ」
「ノンノ、いい子だから……」
アンタレスの腕のなかでべそべそ泣き、鼻水を垂らしていると。
「あっ!」とアンタレスが目を丸くして、背後を振り返った。
そして彼は脱力したように「そういうことか……」と口のなかで呟いた。
「え? なにがどうしたの?」
「ノンノ、鼻水」
アンタレスがポケットからハンカチを取り出し、私の鼻水をぬぐってくれた。
そして疲れたように笑って言う。
「動物たちの王が来るんだよ」
アンタレスのその言葉のあとすぐ、背後の道から一人の青年が姿を現した。
左頬におどろおどろしい黒いアザを持つ青年、プロキオン・グレンヴィル公爵令息である。
プロキオンはなぜか金色の毛並みの熊にまたがっていた。もう一頭、薄茶色の熊も側に付き従っている。
彼が私たちの味方であることはわかっているが、本物の熊が怖すぎてガタガタ震えてしまう。この山、本当に熊が居たんだ……、という衝撃と、プロキオンはなんで熊を手懐けているんだという疑問で、頭が追い付かない。
プロキオンが現れた途端、待機していた山の動物たちが一斉に歓喜の鳴き声をあげているのも訳がわからなかった。そのさまは王の帰還に喜ぶ臣民のようであった。
プロキオンの心が読めるアンタレスと、この世界のヒロイン☆スピカちゃんはプロキオンの登場をすぐに受け入れていたが。サプライズゲストの衝撃的な登場方法に、ベルベルとモンタギュー様は私と同じように顔を真っ青にして震えていた。
「なぜ……っ、プロキオン・グレンヴィル様が、ここに……っ!?」
「俺たち、『呪われた黒騎士』にこのまま殺されちまうんじゃねぇか!?」
ひそひそと交わされる彼らの言葉などまったく聞こえない様子で、プロキオンは金色の熊の背から降りた。
そしてスピカちゃんとアンタレス、私、と順番に視線を合わせてから口を開く。
「皆でいっしょに食事をしたいと思い、……来てしまった」
プロキオン流「会いたくて♡来ちゃった♡」という台詞であった。
君、本当にかわいいやつだなぁ。
どうやらプロキオンは三学年として上級者登山コースで山を登り、空き地に到着後、スピカちゃんを探して山のなかに入ったらしい。
その途中で熊に出会い、ここまで道案内してもらったそうだ。
「この熊は、私が以前、怪我をしているところを保護し、野生に返した、“モジャ”と“モジャモジャ”の子孫らしい」
もじゃ感はどこにもないのですが。“もふ”と“もふもふ”とかの方が近いのでは?
そう思う私の横で、アンタレスが「例のあれ……、熊だったんだ……」と何か納得がいったように頷いていた。
「この辺りで食事にするのか?」
開けた場所などない山のなかで、プロキオンはきょろきょろと辺りを見回す。
スピカちゃんが首を横に振った。
「プロキオン様ともいっしょにお食事をしたいのですけど、実は、ランチの途中でノンノ様の蜂蜜レモンがお猿さんに盗まれてしまって……。取り返そうと皆さんで追いかけてきたんですっ」
「猿に……?」
「あそこにいる、白いお猿さんです!」
スピカちゃんがむくれた顔をして、白い猿を指差した。
プロキオンがそちらに視線を向けると、猿は気まずそうに顔を逸らした。
「猿よ、盗んだ物を返すんだ」
「ウキィ……」
王の命令に、猿は渋々とした表情でスピカちゃんの重箱と蜂蜜レモンの容器を運んでくる。
そして「ウッキィ!」と頭を下げて、私たちに謝罪した。
「もう人の物を盗んではいけませんよ、お猿さん」
「ウキキィッ」
こうしてプロキオンの介入により校外学習イベントが途中解決し、山の動物たちに見送られて私たちは元居た空き地へと戻っていった。
ベルベルとモンタギュー様が真っ青な顔でプロキオンの様子を窺い、スピカちゃんと親密そうな雰囲気にさらに衝撃を受けて青くなる、という状況のなかで、私たちはランチを再開した。
スピカちゃんの手料理はやっぱりおいしくて、蜂蜜レモンも特にスピカちゃんに好評でめでたしめでたしである。
さて、……リュックの中のエロ本、どうやって処分しようかなぁ~。
食後のお茶を飲み、広い青空に浮かぶ雲の流れを見るともなしに見ながら、私は思った。




