26:ノンノ、裏山伝説を作る③
生徒達が原っぱのあちらこちらに散らばっていく。
フォーマルハウト王太子殿下が側近のリリエンタール公爵令息を連れて歩き、周囲の生徒たちに優しく声をかけているのが遠くに見える。その傍ではベガ様とそのお取り巻きの女子生徒二人が、王太子殿下をランチに誘おうとタイミングを見計らっていた。
重装備のサム様が、薬草畑の管理人さんと一緒に山頂へ向かう道を進んでいく。引率者の一人として参加していた美術教師もイーゼルを組み立ててスケッチの準備をしていたし、スタンドレー侯爵令息も回復したようでいつもの仲間たちと輪になってランチを広げていた。
皆それぞれ楽しそうで、私までうきうきした気持ちになってくる。
見晴らしが良く、頭上に枝葉を広げる大きな木が日除けにもなってくれる場所を見つけたので、私たち五人はそこでランチを取ることにした。
私やアンタレスたちは自分の家の料理人が作ってくれたランチボックスだったけれど、スピカちゃんはヒロインらしく手作りの重箱を持ってきていた。
「張り切ってたくさん作りすぎてしまいまして……。よろしければ皆で分けて食べませんか?」
「わぁ~、ご馳走になってもいいのですか、スピカ様? ありがとうございます。作るの大変でしたでしょう。とっても美味しそうですわ」
「お料理が趣味なので、つい楽しくて、食べきれないほど作ってしまうんです」
たくさん詰め込まれた唐揚げやローストビーフに、モンタギュー様が「スゲー、肉がたくさんだな!」と無邪気に喜んでいる。
アンタレスがスピカちゃんに丁寧にお礼を言い、ベルベルはヒロインの手料理に感動して震えていた。
「スピカ嬢の手料理が食べられるなんて……、僕はなんとお礼を申し上げたらいいのか……。ありがとうございます。本当に嬉しいです、スピカ嬢」
「いえいえ。ローストビーフなどは一人分作るほうが逆に大変なので、食べていただけると私も嬉しいですからっ」
「こんなに大きな重箱を持って登山をするのは大変でしたよね。帰りは僕がお荷物をお持ちしますよ」
「それは結構です、ベテルギウス様。自分で決めて持ってきた荷物ですからっ」
ベルベルも結構頑張ってスピカちゃんにアピールしてるんだな~、と思いつつ、私もスピカちゃんを見習って蜂蜜レモン(セレスティ作)を取り出す。
「こちらはデザートにどうぞ」と差し出せば、モンタギュー様が「さっき、スタンドレーが泣きながら食ってたやつだろ。俺も食いたかったんだよな」と喜んだ。
ジルベスト子爵領は小さい領地ながらも、高い山々に囲まれた平原を持ち、水と空気が澄み渡った美しい地だ。
そのため上質な蜜を蓄えるシュガーフラワーという非常に貴重な花の一大群生地があり、我が領地にしか生息しないジルベストハニービーという蜜蜂が独自の生態系を築き上げている。そんな大自然の恩恵を受けて、国内どころか大陸随一のおいしい蜂蜜を生産しているのである。
領民たちの多くが養蜂を営んでいるが、それでも大陸中からの需要に供給が追い付かず、どんどん値上がりしている状況である。
こればっかりは自然のものなので、どうしようもないんだけれど。
そんなジルベスト産高級蜂蜜の詰め合わせを、発禁問題で助けてくださった方々にお配りしたら喜ばれるかしら? でもボインスキーが私ってバレると、芋づる式に父にバレるしなぁ。
何はともあれ、スピカちゃんのお料理を囲んでランチが始まった。
ベルベルが率先しておかずをサーブしてくれるので、ちょっとお母さんっぽいぞ。
和やかな雰囲気でランチを食べていると、突然、突風が私たちの間を吹き抜けた。
「きゃぁっ!」
「うわっ、強い風だな!?」
砂埃が立ち、思わず目を瞑る。食べ物に埃が入っちゃったらどうしよう。
風が止んでから恐る恐る目を開けると。
私たちの真ん中に置かれていたはずの重箱と蜂蜜レモンの容器が、忽然と姿を消していた。
「え? まさか今の風で重箱が吹っ飛んでしまったのでしょうか……?」
驚いて、蒼い瞳をぱちくりさせるスピカちゃん。
それだったら近くに料理が散乱してしまっているかもしれない。私たちは慌てて立ち上がり、周囲を見渡した。
すると、少し離れた場所に、白い猿が重箱と蜂蜜レモンの容器を抱える後ろ姿を見つけた。空き地から木々が深まる山のなかへと逃げていく。
モンタギュー様が叫ぶ。
「あの猿! 来る途中で見かけた猿じゃねぇか!」
そういえば白い猿を見かけたとはしゃいでいたね、君。
「スピカ嬢が一生懸命作ってくださった料理を盗むとは! なんたる不届き者でしょう!」
ベルベルが眼鏡の奥のグレーの瞳に、怒りの炎を燃やしている。
すぐさまモンタギュー様がベルベルに声をかけた。
「おい、ベルっ! エジャートン嬢の飯、取り返しに行くぞ!」
「ええ。もちろんですよ、ザビニ!」
息ぴったりのベルベルとモンタギューを見て、私は思い出した。
これ、校外学習イベントである。
スピカちゃんがベルベルとモンタギュー様と一緒にランチを取っていると、一陣の風に襲われ、気付くと猿にお弁当を盗まれている。
取り返そうとするベルベルたちに、スピカちゃんは「山の奥に入るのは危ないですから」と断るのだが、ベルベルたちは怒りのままに猿を追いかける。
猿に追い付くことはできたが、お腹を空かせた小猿たちにお弁当をあげている様子を見て、ようやくベルベルたちはスピカちゃんの「もう諦めましょう」と言う言葉に頷くことができた。
けれど帰り道がわからなくなってしまい困っている三人に、白い猿が再び現れて、元居た場所へと案内してくれる。
そしてお弁当を盗んだお詫びにと、ひとつだけ願いが叶う石をくれるのだ。
童話のようなイベントである。
私の解説に、アンタレスが隣で「なるほど……」と頷いた。
さて、ヒロインがベルベルたちを引き留める番だぞ、と思ってスピカちゃんに視線を向けると。
スピカちゃんは猛烈に怒っていた。
人形のように可愛らしい顔の頬を限界まで膨らまし、ぷんすこぷんすこ怒っていた。
「私のお料理はともかく、せっかくノンノ様が持ってきてくださった蜂蜜レモンまで盗んでいくなんてひどいです! ベテルギウス様っ、モンタギュー様っ、お猿さんを追いかけましょう! 蜂蜜レモンを返してもらいましょう!」
「そうだそうだ! 俺も蜂蜜レモンも食いたかったんだ!」
「蜂蜜レモンもスピカ嬢の手料理も、どちらも返してもらわなければ! さぁ、皆さん、荷物を持ってください。白い猿を見失わないうちに、追いかけますよ!」
おい、スピカちゃん。ベルベルたちの話に乗っかるんじゃない。
「……ねぇ、ノンノ。途中で『猿を手分けして探そう』と言って三人から離れれば、君の当初の目的もスムーズに果たせるんじゃない?」
「ハッ!!!! それだ!! アンタレス、天才じゃん!!」
うっかり忘れかけていたエロ本の存在を思い出し、私のやる気スイッチがオンになった。
速攻で残りの荷物をまとめ、スピカちゃんたちに続く。
「では、お猿さんからノンノ様の蜂蜜レモン救出大作戦、決行です!」
スピカちゃんの声に合わせ、皆で「えいえいおー!」と拳を高く挙げる。
さぁ、イベントの混乱に乗じて、裏山エロ本伝説を作るぞー!




