23:アンタレスと呪いの付き合い方
(誰か、助けてください~!!!!)
校庭を歩いていると、そんな悲鳴を上げる心の声が聞こえてきて、僕は足を止める。
僕はノンノのようなお人好しではなく、好奇心も旺盛ではなく、たいした行動力もないつまらない男なので、助けを求める心の声を聞いただけではすぐに動くこともない。
だって、悲鳴も涙も苦悩も絶望も、死にたがる誰かの心の声も、日常茶飯事だから。そんなことにいちいち反応していては僕がすり減るだけだ。
だけど今の悲鳴をあげた心の声の持ち主を、僕は少しだけ知っていた。
もう一人聞こえてくる心の声の持ち主のことも、やはり知っていることに気が付く。
……仕方がない。少しだけ様子を見に行ってみようか。
もしも今、僕の隣にノンノが居たら「え? あの二人が? 面白い組み合わせだからちょっと見に行こうよ、アンタレス!」と、わくわくしながら歩き出してしまうと思うし。ノンノへの話のネタになるなら、それでいいかな。
僕は悲鳴を上げる心の声が聞こえる薬草畑の方へ、足を進めることにした。
(……綺麗な花だ。スピカ嬢に贈ったら喜ぶだろうか?)
(誰か助けてください! 一学年上の『呪われた黒騎士』様が薬草を見つめて微動だにしないのだけれど、呪いの儀式にでも使うつもりなのだろうか!? 怖くて言えないけれど、やめてほしいっ!!)
プロキオン・グレンヴィル公爵令息と、サム・ポーション男爵令息の心の声を聞き、僕はだいたいの状況を理解する。
どうやら薬草畑に植えられた花の美しさに足を止め、それをエジャートン嬢にプレゼントしたいグレンヴィル様と。そんなグレンヴィル様の存在そのものにポーション様が怯えて、心のなかで悲鳴を上げていたらしい。
ジャリ、と土を踏みしめた僕の足音に気が付いて、二人がこちらに振り向いた。
ポーション様は助けが来た歓喜で瞳に生気が戻り、グレンヴィル様も近づいてきたのが知り合いの僕であることに気付いてぽわぽわと喜んでいる。
「バ、バギンズ伯爵令息様! こんにちは! 薬草畑にご用でしょうか!? ジルベスト嬢は本日はまだ薬草畑に来てはおりませんが、お探しならお手伝いいたしますよ!」
ポーション様はグレンヴィル様の前から逃げ出したくてたまらないらしい。
「いえ。厩舎に馬の様子を見に行く途中だったのですが、知っている声が聞こえてきたので少し寄ってみたんです」
「ああ。そういえばバギンズ伯爵令息様は、選択授業は馬術でしたね。ジルベスト嬢から以前お聞きしたことがありま……」
「バギンズ、会えて嬉しい」
しゃがみこんで花を見ていたグレンヴィル様が立ち上がり、こちらにやって来てそうおっしゃった。
ポーション様がギョッとしている。
まあ、僕もノンノからグレンヴィル様のゲーム設定とやらを聞くまでは彼と同じように『呪われた黒騎士』に恐怖を感じていたので、彼の気持ちはわからなくもない。
ただ、顔の左半分を覆う黒いアザのおどろおどろしさや、グレンヴィル様の無表情さに目が慣れてしまえば、その心の声はとても穏やかだった。
こんなに静かな心の人は初めてだというくらい、負の感情に揺れずにいる。
「お、お二人はお知り合いだったのですか……?」
それなら『呪われた黒騎士』様の対応をぜひお任せしたい、とポーション様が考えている心の声が聞こえてくる。
「はい。友人です」
ノンノから「プロキオンが私とアンタレスのことを友達認定したから誘拐イベントが発生したんだよ」と、先日のWデートの終わりに起こった事件について裏事情を聞いていたので、僕はそう答えた。
実際に今、横でグレンヴィル様が僕の友人発言にぽわわんと心のなかで喜んでいるし。
「グレンヴィル様はなぜ薬草畑にいらしたのですか?」
花の美しさに釣られて来たことは知っているが、ポーション様への説明のために聞いておく。
グレンヴィル様は先ほど凝視していた花に再び視線を向け、「花が……」と口を開いた。
「そこに咲いているピンク色の花が美しかったから、眺めていた」
(えええええ!? 『呪われた黒騎士』様に花を愛でる心があったのか!?)
ポーション様が分厚い眼鏡の奥の瞳を大きく見開いた。口もぽかんと開いている。
「君は……、この薬草畑の管理をしているのだろうか?」
「え!? いえ、管理人さんはほかの方なのですが、そのお手伝いをさせていただいておりまして……!」
「この花を少し分けてもらうことは出来ないだろうか。費用は我が家に請求してくれ」
「お分けすることは出来ますが……。あの、大変失礼ながら、グレンヴィル公爵令息様はこの花をいったいどうなされるおつもりでしょうか……?」
「大切な人に贈りたい。このピンク色が、彼女の髪の色によく似ているんだ」
言われて見ると、確かにエジャートン嬢の髪色はこの花のような色だったかもしれない。
納得している僕の傍で、ポーション様の心の声が荒ぶり始める。
(私というやつは、なんて愚かなのだろう。グレンヴィル公爵令息様の悪魔のような見た目に惑わされ、勝手に、薬草で呪いの儀式を行うなどと想像するなんて……。
ああ、そんな酷いことを考える私の方がまるで悪魔のようだ。こんな私では、やはり清らかなジルベスト嬢に選ばれるはずがなかった……ああ、私の天使……)
「ポーション様、花を剪定するための鋏が納屋にあるのでは?」
「……あ、はいっ。今取ってきます! 少々お待ちください、グレンヴィル公爵令息様!」
「ああ、頼んだ」
こうしてグレンヴィル様はポーション様から花を分けて貰うことが出来た。
▽
厩舎に向かう道と校舎に向かう道は途中までいっしょなので、グレンヴィル様と並んで歩くことになった。
ピンク色の花を大切そうに両手で持つグレンヴィル様の横顔は無表情だったが、心の声はご機嫌だった。
「バギンズ、君に少し聞きたいことがある」
「……はい。なんでしょうか、グレンヴィル様」
話を聞く前からグレンヴィル様の心の声が聞こえていたので、少し笑いそうになったが、僕は口許を引き締める。
「ジルベスト嬢に掛けられた呪いのことだ」
大聖堂での一件以来、彼はずっとノンノのことを呪い持ちだと思っている。
まぁ正直、彼女の飽くなき性への探求心は、呪いと呼んでも間違いではないのかもしれないと、僕は思っていた。
ノンノは呪われている。前世の後悔に。
その後悔の内容が普通の人から見ればバカみたいなものだし、ノンノ本人が明るく騒いでいるから悲惨さを感じずにいられるだけだけれど。
若くして亡くなり、前世の家族も友人も便利な世界も失って生まれ変わった記憶を抱えて生きなければならないなんて。僕には無理だ。
もしもノンノを置いて十八歳で死んだ記憶を持って、別の世界に生まれ変わってしまったら。
そう想像するだけで、心臓が氷のように冷たくなる。
「君はジルベスト嬢の呪いのことを、どう思っているんだ?」
「そうですね。あまり気にはしていません」
ノンノ以外の誰にも打ち明けるつもりはないけれど。僕の読心能力だって呪いと同じだ。
グレンヴィル様はエジャートン嬢からの愛で呪いが解けるらしいが。たとえ僕がゲームのようにエジャートン嬢と結ばれても、僕の能力が消えることはないだろう。僕は一生呪われ続ける運命だ。
ノンノが抱える呪いより、面倒な呪いを抱えてしまっていると思う。
僕だって、自分の心を他人に読まれるとしたら物凄く嫌だ。
読心能力を持つ側の僕でさえそう思うくらいに厄介な呪いなのに、ノンノはたいして気にせず僕の傍に居てくれる。
出会ったばかりの頃に、ノンノに尋ねたことがある。
僕に心を読まれることは嫌なんじゃないかと。僕の前ではそのことを考えないようにしているだけで、本当は僕のことをやっぱり化け物だと思っているんじゃないか、と。
『嫌って言うか、ふつうに恥ずかしくはあるよ。心を読まれるって、裸以上に裸になってる気がするもの』
ノンノはそう答えた。
『でも、恥ずかしいからって、別にアンタレスの友達をやめる理由にはならないよ』
『私、前世では結構真面目でね? エッチなことは十八歳以上になってからと思って、セクシー下着も買わず、友達のエッチな話にも参加せず、動画も検索もせずに生きてきたわけですよ。なぜって、本当はスケベなことに興味津々な自分のことが、恥ずかしかったから。親にも友達にも、そんな自分をバレたくなかったから。でもそうやって恥ずかしい思いをしないように生きていたのに、結局十八で死んじゃって……悟ったよね。恥をかいて生きてもいいやって』
『だから、アンタレスに心を読まれることは恥ずかしいけれど、自分自身の恥ずかしさより、アンタレスと楽しく過ごす方が何百倍も大事なの。私は今生を、恥をかいても後悔だけはしないように、生きていくの』
そう胸を張って、幼いノンノは満面の困り笑顔を浮かべていた。
そんなふうに僕のことを受け入れてくれたノンノが、呪われて少々破廉恥なことを考えているくらいでは、全然離れる気にはならない(度が過ぎるようであれば、いつでも説教する用意はある)。
むしろ彼女が前世の後悔を覚えていなければ、僕は彼女に化け物扱いされて深い心の傷を負うはずだったのだ。ノンノが呪われていて良かったとさえ思ってしまう。
「僕はノンノの呪いごと、彼女を愛しているんです」
「そうか……。そうなのか。ジルベスト嬢は幸せだな」
ノンノと自分を重ねて羨ましがるグレンヴィル様に、「幸せなのは僕の方です」と返した。
(私も、スピカ嬢に呪われた自分ごと愛され、選ばれる日が来ればいいのだが……。いや、これ以上は考えるな。心が揺れてしまう)
そんなことを考えて首を横に振るグレンヴィル様に、僕は声をかけた。
「その花束、エジャートン嬢に喜んでいただけるといいですね」
「……ああ」
ちょうど分かれ道だったので、そこで校舎へ向かうグレンヴィル様の背中を見送った。
「……僕も帰りに花屋に寄ってみようかな」
ノンノは意外と、……いや儚げな見た目的には全然意外ではないけれど、性格的に意外と乙女らしい部分もあるから、花を贈ったら喜んでくれるだろう。
そんなふうに帰りの予定を考えながら、僕は厩舎に向かった。
▽
「花屋に寄ったらチョコレートコスモスのキャラメルチョコって言う種類の花があったから、ノンノにあげるよ」
「わぁっ、すごい! 茶色のお花だ! ありがとう、アンタレス!」
「僕もグレンヴィル様を真似て、好きな子の髪と同じ色の花を探そうと思ったんだけど。薄い茶色は見つからなくて。今日は同じ茶系ということで許して」
「全然いいよー! すっごくかわいいもん。嬉しいっ」
「花言葉は『恋の終わり』『恋の思い出』」
「ちょっと、アンタレス君や!? 別れ話なら、泣いて喚いてこの世の終わりまでも縋りつきますけれど!?」
「ふふ。……あと『移り変わらぬ気持ち』。僕的には一番最後のやつが君に贈りたい花言葉かな」
「もうっ、アンタレスったら本当に私が大好きなんだから! 私もアンタレスが大好きよ!」
「うん。いつもありがとう、ノンノ」




