21:グレンヴィル公爵、空き缶は家宝にした
息子が帰宅すると、由緒あるグレンヴィル公爵家の屋敷内が慌ただしくなる。
廊下を駆け抜けていく足音や、翼が羽ばたく音、わぅんわぅん、にゃぁんにゃぁん、と鳴く動物たちのせいだ。
私は廊下の様子を確かめるべく執務室から顔を出す。
すでに足の速いペットの姿はないが、カルガモの親子達がとてちてとてちてと玄関に向かって列を作って歩いていた。この子たちも息子の帰宅を喜んで、玄関へ出迎えに行くのだろう。
……実に、羨ましい。
私セブルス・グレンヴィルは息子プロキオンを愛している。あの子のことを自慢の息子だと思っている。
それは妻のレジーナも同じだ。
だがしかし、私たち夫婦は息子に対して負い目を感じていた。
プロキオンの顔半分にも及ぶ黒いアザと、呪いのためである。
私たち夫婦はプロキオンを、呪いの無いまともな体に生んでやることが出来なかった。本当ならあの子はグレンヴィル公爵家の嫡男として多くの人から愛され、敬われ、友人や恋人を作って幸せになれるはずだったのに。私たちが奪ってしまったのだ。
レジーナはプロキオンが呪いを持って生まれてきたことへの罪悪感で苦しみ、次の子供を作ってもまた呪いを受けてしまうかもしれないと気に病んで、私に離縁を申し出たこともある。
だが私には彼女無しの人生など考えられなかった。離縁をして次の妻を娶り、新たな跡継ぎが生まれれば、プロキオンを療養と称して領地で静かに暮らさせることが出来るとわかっていたのに。
人々から畏怖される未来を知りながら、プロキオンを嫡男と育てたのは私のエゴだった。
プロキオンは泣きもしなければ、笑いもしない。
私たち夫婦のことをどう思っているのかも、なにも口にはしない。
けれどきっと、こんな私たちを憎んでいるだろう。
まともな体に生んでやることも出来なければ、逃げ道も用意してやることの出来ない、不甲斐ない両親を。
国内外問わず呪いを解く方法を探したが、いまだなんの手がかりも掴むことが出来なかった。
せめてプロキオンがやりたいこと、欲しいものはなんでも与えてあげよう。
そう思ってプロキオンに欲しいものを尋ねれば、あの子は毎回ペットを所望した。
訓練場に紛れ込んだ犬や、遠征先で拾った猫、川で溺れていたうさぎから、怪我をしたカルガモまで、その種類と数は増える一方だ。野生に戻った牡鹿やキツネなどもいたが、なにかのおりにプロキオンに会いに来ることがある。動物たちはみな、息子のことが大好きなのだ。
羨ましい。非常に羨ましい。
私もプロキオンの帰宅に駆けつけて「おかえり、プロキオン!」と抱き締めてやりたい。
しかし息子に疎まれていると思うと足が進まず、屋敷内で騒ぐ動物たちの声を聞きながら執務室の前で立ち尽くすばかり。たぶんレジーナも今頃、どこかの部屋でプロキオンの帰宅に耳をそばだてているだろう。
ああ、カルガモになりたい。
執務室に戻ろうか、プロキオンが自室に入るまで聞き耳を立てていようか悩んでいると。
ウワンワンッ、にゃぅにゃぅ、ホォーホォー、とペットたちの鳴き声のコーラスが近付いてくる。
どういうことだと、廊下の奥を見つめていればーーープロキオンが現れた。その肩にはフクロウが留まり、足元には何匹もの猫や犬が体を擦り付けてこようとするのを踏まないよう注意しながら歩いていた。
ペットに囲まれた息子、可愛い。絵師よ、今すぐここに来い。
「父上、ただいま帰宅しました」
プロキオンが帰宅の挨拶に来るなど初めてだ。
私は一瞬、目を開けたまま白昼夢でも見ているのかと思った。
「こちら、お土産です。母上とご一緒に召し上がってください」
呆けたままの私の両手に、プロキオンは大聖堂が描かれた缶を乗せた。
そのまま「では」と立ち去ろうとする。
私は慌ててプロキオンの背に声をかけた。
「ぷ、ロキオンっ」
「……はい、なんでしょうか、父上」
「ゴホンッ。……だ、大聖堂に出掛けていたのか?」
「はい。友達と四人で出掛けて参りました」
ともだち。
それも、四人で出掛けたということはプロキオンを除けば三人の友達がいるということになる。
私の息子に! 三人ものお友達が! 今日はプロキオンの友達記念日だ!
「……楽しかったか?」
「はい」
「その、お友達というのは、どんな子だ……? いや、なに、プロキオンは公爵家の嫡男だからな。友人付き合いをする相手のこともきちんと把握しておかなければなるまいと……」
プロキオンは私の言葉に少し考えたように黙り込み、口を開く。
「……一人は、とても優しい女性です。いつも私に明るい笑顔を向けてくれるので、一緒にいると春の日向にいるような気持ちになります」
……私の言い方がまずかったのか、プロキオンは警戒して友達の名前を控えることにしたらしい。
久しぶりの息子との会話にテンパって『友人を把握』だなんて言うからだぞ、私ぃ!
「もう一人は礼儀正しく穏やかな青年です。彼との会話は落ち着きます」
「そ、そうか。それで最後の一人は……」
「……見た目からはわかりませんが、呪われているようです。大聖堂に生えた聖なる樹木に影響を与えるほどの、強力な呪いのようでした」
「なんと……呪い持ちが他にも居るとは……!」
私が唖然と口を開ければ、プロキオンは紫色の澄んだ瞳で言う。
「その人は普段、呪われていることなど、おくびにも出しておりませんでした。実に強い精神力です。……私も、そのように強い心で生きていきたいと思います」
「プロキオン……」
毅然としたその態度に、私は感動する。
この子は私たち親が罪悪感にうなだれていた間にも、その心と体をどんどん鍛え、成長し、自分の世界を広げているのだ。ーーー子供の成長とは、こんなにも早いものなのだなぁ。
「そちらのお土産、消費期限があるのでお早めに召し上がってください。では失礼いたします」
「ああ。大事にいただくよ」
プロキオンの大きな背中とペットたちの群れが、廊下を立ち去るのを見つめる。
……レジーナを呼んで、お茶にしよう。
息子から貰った『大聖堂サブレー』を食べながら、彼の成長を祝いたい。
 




