20:ノンノ、Wデートする④
今はアンタレスと一緒にいるのが恥ずかしい気分なので、スピカちゃんと一緒に通りを歩く。アンタレスとプロキオンは後ろからついてくる。
メインストリートからだんだん離れていくと、観光客よりも地元の人が増えてくる。買い物籠を持つご婦人や、新聞を運ぶ少年、軒先で作業をする職人などがいて、馬車や荷車の数も増えてきた。
「手を繋ぎませんか?」とスピカちゃんが声をかけてくれる。
観光客向けの場所とは違って、庶民の生活のせわしなさが伝わってくるから気にかけてくれたのかもしれない。普通のご令嬢には馴染みのない気配だから。私は笑顔で頷いた。
女の子の手は小さくて柔らかい。
エジャートン男爵家で暮らす前の生活の名残か、日頃から料理をしているためか、スピカちゃんの指先は少しだけ荒れていた。
「ノンノ様の指には大きなペンだこがあるのですね。お勉強を頑張っていらっしゃるのですね」
「……おほほほほ」
そいつは夜な夜な書いている、ちょっとスケベな小説のせいですね。
アンタレスとプロキオンが近くの金物屋が軒先でやっている包丁研ぎを眺めている間に、私とスピカちゃんはメインストリートに戻ってハンドクリームを扱うお店に行ってみようか、と話し合っていると。
突然、スピカちゃんの横に馬車が止まった。
金物屋に用事のある人かな、と思って馬車を見たら、男性達が慌てた様子でぞろぞろと降りてきた。
……うん? なんか嫌な雰囲気?
「ノンノっ! こっちに逃げて!!」
アンタレスが焦った顔をして叫ぶ。
ということは、これ、危ない人達だ。テレパシー能力者が言ってるんだから間違いない。
私はとっさにスピカちゃんの腕にしがみつき(今回は胸を押し付けたかったのではない! 断じて! 私は冤罪です!)、彼女を連れてアンタレス達の方へ逃げようとした。
プロキオンはちょうど金物屋のおじさんに、武器になりそうなものを借りようとしているのが見えた。
馬車に乗っている、でっぷりと太った男が叫ぶ。
「捕まえろ! 捕まえるんだ! そのピンク色の髪の乙女はぼくちんの運命の人なんだ! ぼくちんのお嫁さんにするんだ! 捕まえろぉぉぉぉ!」
“ぼくちん”の部下らしい男性達が「若の言う通りにしろ!」「ピンクの髪の乙女を捕まえろ!」「大変ですアニキ! もう一人の女の子がピンクの子にしがみついて離れません!」「じゃあ両方捕まえちまえっ!」「了解っす!」と喚いている。
結局、男性達の足の速さと腕力には勝てず、私とスピカちゃんはアンタレス達の目の前であっさりと誘拐されてしまった。
▽
スピカちゃんと一緒に誘拐された私は、現在、手首を後ろ手に縛られたまま馬車の隅っこで一人ほったらかしにされていた。
スピカちゃんはというと、特に拘束されることもなく“ぼくちん”の隣に座らされて「ああ、美しきピンクの髪の乙女よ、ぼくちんのお嫁さんになってください」と口説かれている。ヒロインって大変ね……。
部下達は「若は大商人の嫡男なんで、若と結婚すればなんでも買ってもらえますよ!」「毎日ご馳走が食べれるっすよ!」と“ぼくちん”を援護していた。
たぶんスピカちゃんの身分が男爵令嬢であることに気が付いていないのだ。動きやすいようにシンプルなワンピース姿だから。
スピカちゃんは毅然とした態度で、首を横に振る。
「私のことを好きになってくださったのは嬉しいです。でも、好意を免罪符に人を誘拐する男性のことを、私は好きになったりはしません」
「そんなぁ、ぼくちん、お金持ちだから貴女に良い暮らしをさせてあげられるのに……」
そんなやり取りを眺めながら、私は『レモンキッスをあなたに』のゲーム内容を思い返していた。
攻略対象者とのデート中に、スピカちゃんが一目惚れしてきた大商人の息子に誘拐されるというイベントがある。たぶん今起こっているのはそのイベントだ。
だけど本当なら、それはこんな序盤に起きるイベントではない。攻略対象者の好感度が高まったゲーム後半で起こるはずなのだ。
なんで今日、起こってしまったのだろう。今日は街探索イベントではなかったのだろうか?
プロキオンのスピカちゃんに対する好感度が、序盤なのに爆上げしてしまったのだろうか?
呪いのせいで孤独だったプロキオンが、スピカちゃんと出会い、彼女によってだんだん他の人とも関わりを持つことが出来るようになりーーー。
ああ、うん……。
そういえばまだゲーム序盤で、本当はスピカちゃんとしか交流がないはずだったのに、私とアンタレスと交流がある状態だった……。
つまりプロキオンが私とアンタレスのことも友達認定してくれたというわけなのである。ふへへっ、嬉しいな!
それでスピカちゃんへの好感度が爆上げされて、誘拐イベントが発生しちゃったらしい。
友達認定なら仕方がないな。誘拐に巻き込まれた上に犯人達から無視されているこの虚しさは水に流してあげよう。
それにどうせ、アンタレスが私を助けに来てくれる。
どこに行ったって私の残留思念を追いかけて、見つけ出してくれる。
ーーーほら。
窓の外に、馬に乗ったアンタレスの姿が見えてきた。
アンタレスがこちらを指差してなにかを叫ぶと、アンタレスの馬の後ろから黒馬に乗った黒騎士が現れ、スピードを上げて馬車に近づいてくる。
そしてそのまま馬車を通りすぎたかと思った次の瞬間、大きな衝撃が馬車に伝わった。“ぼくちん”達が悲鳴をあげている。
ガクンと馬車が揺れた瞬間、狭い馬車のなかを素早く移動したスピカちゃんが、手を伸ばして私を抱き締めてくれた。拘束されて受け身が取れない私を守るために。
馬車は横転することなく止まった。
けれど“ぼくちん”達は全員揺れたときに頭でも打ったのか、その場に気絶していた。
「大丈夫ですか、ノンノ様? どこか痛いところは……」
スピカちゃんが心配そうに蒼い瞳を揺らす。
私は慌てて答えた。
「大丈夫です! スピカ様が庇ってくださったおかげで無事ですわ! スピカ様も、怪我をされてはいませんか?」
「私も大丈夫です。……今の衝撃はなんだったのでしょうね?」
「外できっと……」
私が答える前に、馬車の扉が外側から開け放たれる。
想像通りの人物の声が聞こえてきた。
「スピカ嬢!」
「ぷろきおん、さま」
土煙の向こうからプロキオンが現れた。さすがはヒーロー、最高のタイミングである。
プロキオンは馬車のなかを覗きこむと、スピカちゃんに手を差し出した。スピカちゃんは私を片腕で抱き締めたまま、プロキオンの手を取って馬車から脱出した。
「貴女が無事で良かった……」
「助けに来てくださったのですね、プロキオン様」
「当たり前だ」
「ありがとう、ございます」
見つめ合う二人のプラトニックさにむずむずしていると、後ろから「ノンノ! 大丈夫!? 怪我はない!? 何もされてないよね!?」とアンタレスがやって来た。
私の目の前で馬から下りると、そのままひしっと私を抱き締めてくれる。
「何も怖いことは……なかったみたいだね。ああ、良かった……!」
「心配かけてごめんねぇ、アンタレス。でも(健全世界だから)拘束だけで済んだよ」
「今ほどくよ。跡になってないといいけど」
アンタレスに手首の拘束を取ってもらっていると、馬車のなかで伸びていた“ぼくちん”達が喚きながら出てきた。
「いったい何事だ! ぼくちんの運命の人はどこに行ってしまったんだ!」
「大丈夫っすか、若っ! スズメバチの巣くらいデカイたんこぶが出来てるっすよ!」
「馬と御者は無事なのか!?」
馬車の全体をよく見れば、車体部分と御者が座る場所がきれいに切り離されていた。
ずいぶん離れたところに、破壊された御者席にどうにか立っている御者と、それを引きずっている数頭の馬の姿が見えた。なんだか犬ソリを連想させる光景である。
動物好きのプロキオンのことだから、きっと極力馬を傷付けないように馬車を止めてくれたのだろう。
そしてそのプロキオンは、どうも金物屋で手に入れたらしい肉切り包丁を“ぼくちん”達に突き付けている。
「婦女誘拐犯達よ、騎士団のもとへ連行する」
「そんな包丁一本で、ぼくちんの部下を倒せると思っているのか、ばかめ! おまえたち、やっちまえ! ぼくちんの運命の人を取り戻すんだ!」
「了解です、若!」
「えぇぇぇぇ? 若、アニキ、あの男の顔半分真っ黒くて怖いんすけど! 触ったら呪われそうで、俺やだなぁ」
「うるさい、ばか! 若の言う通りにしろっ」
「へーい」
「ノンノとエジャートン嬢はこっちへ」とアンタレスに守られながらプロキオンの戦いを見守ったが、彼は肉切り包丁一本で男達の長剣を破壊し尽くし、圧勝した。
“ぼくちん”達はあっさりと白旗をあげて騎士団に連行されていった。
たしかゲームでは、商会が持つ屋敷に連れ込まれて監禁されるのだけど。
アンタレスがさくっと移動中の馬車を突き止め、攻略対象者最強のプロキオンが制圧したので、短時間で解決することができた。
「すごかったね……肉切り包丁って案外なんでも切れるんだね」
「あれはグレンヴィル様の剣術があってこそだと思うよ。だからネタにしようとしないで」
「面白いと思うんだけどなぁ」
今日は誘拐に巻き込まれたり、神官に悪魔祓いされそうになったり色々あったけれど。四人で遊ぶのは楽しかったな。
またWデート出来たらいいなー、と私は思った。




