17:ノンノ、Wデートする①
わーい。今日はWデートの日である。
ヒロイン・スピカちゃんと攻略対象者のプロキオン・グレンヴィル公爵令息、そしてアンタレスと一緒に街歩きをするのだ。
今日はスピカちゃんの希望で、大聖堂とその周辺を歩く予定だ。観光地として栄えている場所なので、ぷらぷら歩くだけでも絶対に楽しいだろう。
とにかく歩きやすい格好をしなければと思い、踵の低い革のブーツを侍女で巨乳のセレスティに用意してもらう。
セレスティは私が幼女の頃から我が家で働いてくれているベテランで、私のセクシー下着コレクションを管理してくれる素晴らしい侍女だ。
セレスティは私に服飾センスがないと思っているらしく、セクシー下着について「ノンノお嬢様には似合ってませんよ」と言って清純系下着をすすめてくる困ったところがあるけれど、繊細なレースを損ねることなく洗濯してくれるその腕は確かだ。
なにより本人が巨乳なので傍にいてくれるだけで癒しである。
小さい頃はよくセレスティの腰に甘えた振りをしながら抱きついたものだ。下から見上げるセレスティのお胸様は前人未踏の山脈のように神々しく、心のなかで何度も拝んだものだ。良い時代であった。
私はもう幼女特権を失ったので、気安く侍女に抱きつけなくなってしまったけれどね。
セレスティはブーツに合わせて、清純系のサーモンピンクのワンピースも用意してくれた。
「あまり買い食いはなさらないでくださいね、ノンノお嬢様。お夕食が入らなくなりますよ」
「はーい」
強制的に食べられない装備をされると大変なので、私はおとなしく頷く。
なにか美味しそうなものを見かけたら、その場でたくさんは食べずに我が家のお土産にしようと心に決める。
セレスティに髪を整えてもらえば、鏡に映るのは今日も儚げでか弱そうな美少女の完成だ。鉄分とかカルシウムとか足りなさそうな感じの。お色気お姉さんには程遠い容姿だ。
「ノンノお嬢様、バギンズ様がご到着されたようですよ」
「ええ、わかったわ。じゃあ行ってくるわね、セレスティ。お土産を楽しみにしていてね」
「いってらっしゃいませ」
自室を出て玄関に向かえば、玄関ホールにアンタレス・バギンズ伯爵令息の姿があった。
アンタレスも今日は動きやすく簡素な服装をしている。それでもシャツやスラックスの生地の質が良すぎて、富裕層オーラがすごいけれど。あと相変わらず足の長さが際立っている。
アンタレスの見目の良さには慣れているはずなのに、胸の奥がぎゅっと締め付けられるように感じるのは、私のなかに芽生えた恋の自覚のせいなのだろうか。
目が合った瞬間ににやけそうになる口元を引き締めようとして失敗し、私の唇がもにょもにょ動く。
「おはようございます、ノンノ嬢。本日も麗しいですね」
アンタレスが笑っている。
読心能力を持つ彼の前では、私の心など丸裸だ。
私がアンタレスに会えてふわふわ喜んでいることも、幼馴染みから卒業して恋人になろうともがく自分の心の動きをなんだか気恥ずかしく感じていることも、Wデートにわくわくしていることも、全部伝わっている。
玄関ホールに我が家の執事や侍従がいるので、アンタレスも紳士モードだが、そのエメラルドの眼はキラキラと輝いていた。
私も頑張って、淑女モードで微笑む。
儚い雰囲気のせいで、困り笑顔にしか見えていないだろうけど。
「ありがとうございます、アンタレス様。褒めていただけて嬉しいですわ」
アンタレスがすっと右手を差し出すので、私もそれに手を重ね合わせる。子供の頃から慣れたアンタレスのエスコートだ。
だけど子供の頃よりずっとずっと嬉しい。
「いってらっしゃいませ、ノンノお嬢様」と執事達に見送られて、私は玄関前に停められたバギンズ伯爵家の馬車へと乗り込んだ。
馬車のなかで向かい合って席に座り、アンタレスと二人きりになると、自動的に淑女モードがOFFになる。
アンタレスと二人きりになる機会なんてこの十年何度もあったのに、というかほとんど二人きりで遊んで過ごしていたようなものなのに、アンタレスへの気持ちは全部恋だと認めてしまったら、ただ一緒にいるだけで心がうずうずするから不思議だ。
なんというか、大声で叫び出したい気分。
「いや、馬車のなかでは止めてよね」
アンタレスが可笑しそうにくすくす笑う。その笑顔に思わず見とれた。
走り出した馬車の窓から初夏の日差しが爽やかに差し込んで、アンタレスの淡い金髪をより一層光に輝かせる。
星の瞬きみたい、と思った私の指先がうずいた。アンタレスの髪に触れたいという衝動がお腹の奥から込み上げてくる。
「……触ってもいいけど」
恥ずかしそうに頬を染めながら、アンタレスが言う。
「えへへ、ありがとう、アンタレス。なんだか私、最近すごく欲求不満みたいで……」
「ノンノ、その言葉のチョイスをどうにかして」
「アンタレスにムラムラして?」
「絶対に他に言い方があるでしょ!?」
「アンタレス、愛しているわ?」
私がそう言えば、アンタレスは「うぐっ」と喉を詰まらせた。そしてさらに頬を紅潮させるアンタレスの髪に、私は手を伸ばす。
わぁ、サラふわだぁ。
前世レベルの高品質なシャンプーやトリートメントなどないのに、どうしてここまで手触りが良いのだろう。私は何度も指の間でアンタレスの髪をすき、その度にこぼれるように香るアンタレスの髪の匂いをすんすんと嗅いだ。
うへへ、髪に触れるだなんてプラトニックど真ん中なのに、嬉しくて楽しくて、胸がドキドキする。ずっと触っていたくなってしまう。
それどころか、アンタレスの首筋とか、喉仏とか、ほっぺただとか、鼻筋だとか。欲張りにも全部指でなぞりたくなってしまう。
私がそんなことを思えば思うほど、アンタレスの肌がどんどん紅くなっていく。耳朶も首筋も、手の甲や手首まで茹で蛸のようだ。
「ねぇ、やっぱり私っていま発情期じゃない?」
「せめて思春期ぐらいにして……」
恋とはスケベなものだな、と思いつつ私は馬車が目的地に着くまでアンタレスの髪で遊んだ。
編み込みもけっこう似合っていて可愛いね、アンタレス。
▽
王都の最奥部にあるのが王族や上位貴族が住まうお城なら、中心部にあるのは大聖堂だ。その周囲の立地の良い場所に貴族が利用する高級店街が広がり、だんだんと平民たちが利用する良心的なお値段のお店が増えていく。そこから先は平民たちが暮らす地区になっている。
私やアンタレスが暮らすタウンハウスはお城と大聖堂の間にあるので、移動時間はそれほどかからない。
大聖堂の周辺には美術館や博物館、国最大の図書館などもあって、とても賑やかだ。
馬車の停留場でバギンズ家の馬車から降りると、私とアンタレスは待ち合わせ場所の時計塔まで歩くことにした。今日はごく庶民的なデートなので、高級店にそのまま乗りつけたり、大聖堂の秘宝を貴族特権で観たりということはしないのである。
赤茶色の煉瓦が特徴的な時計塔は、平民の間で待ち合わせスポットになっている。周囲にはたくさんの人がいた。
まぁ、これだけ人が居ても、スピカちゃんやプロキオンならすぐに見つけられるだろう。
我が国の大半は茶髪なのだが、スピカちゃんはとても珍しいピンクブロンドだし、プロキオンの黒髪も少数派だ。めちゃくちゃ目立つんだよね。
たぶん髪の配色に関しては乙女ゲームの主要キャラ特権だ。
攻略対象者であるアンタレスも淡い金髪だし。第一王子ルートで本領を発揮するライバル令嬢のベガ様は学園で一番の美人という設定なのだが、彼女もキラッキラの金髪である。
私はモブなので茶髪族の一員だ。
もしも私がアンタレスルートのライバル令嬢だったら銀髪とか緑髪だったのだろうか……。
まぁ、お色気お姉さんキャラになれないのなら髪の色なんて重要じゃないですけどね。
そんなことを考えながら、時計塔の周囲にいる人のなかからスピカちゃんとプロキオンを探すが、見つからない。
まだ到着していないのかしら。
「ノンノ……。あそこにエジャートン嬢が居るんだけど」
アンタレスが顔を強張らせながら指差す方向を見れば、とんでもない人だかりが見えた。
若い男性たちが群がるその中心に、途方に暮れた顔をするスピカちゃんが居る。
「なにあれ……! 夢の逆ハーレムだ……!」
興奮で思わず鼻息が荒くなる。
さすがヒロインスピカちゃん!
美少女過ぎて男性たちから「ねぇ一人? お茶しない? ご馳走してあげる」「これからどこへ行くの? 大聖堂なら俺が案内するよ~」「遅刻してるやつなんか放っておいて、俺とケーキを食べに行こうよ。俺の兄ちゃんがパティシエなんだ」とお誘いされまくっている。
……健全乙女ゲーム世界なせいか、ナンパする男たちの誘い文句が妙に優しい。
私があんなふうにたくさんの男性たちに囲まれたら「モテてモテて困っちゃ~う♡」って、憂いを含んだ感じで溜め息を吐きたーい!
「いや、エジャートン嬢を助けに行かなくてもいいの?」
「これ、たぶんゲームイベントだから手を出したらいけないような気がするんだよね。ナンパ男からヒロインを助ける攻略対象者って鉄則というか」
「ゲームイベント?」
「ほら、あそこにプロキオンが」
困っている友達を傍観するのは心苦しいけれど、ちょうど別の道からやってくるプロキオンの姿が見えた。
プロキオンもまた目立つ外見をしている。
腰まで届くほどの長い黒髪と、紫の瞳が特徴的なクールな男性だ。
騎士として鍛えた体は軽装の上からもよくわかるし、端正に整った顔も人目を引くが、なんといってもその顔の左半分を覆う黒いアザがおどろおどろしいのである。
黒いアザは彼の生まれついての呪いのせいなのだが、そのせいで彼は人から避けられて生きてきた。
今も彼の周囲からどんどん人が居なくなり、スピカちゃんのもとへ辿り着く頃にはナンパ集団すら青ざめた表情で立ち去ってしまった。
「ありがとうございます、プロキオン様! おかげで助かりましたっ」
「私は今なにかしてしまったのか……?」
「なにもしていませんけど、傍に来てくださっただけで助かったんですっ」
スピカちゃんたちはのんびりと会話をし始めた。
「ノンノ、あれって助けたって感じじゃなかった気がするんだけど」
「天然プロキオンだから仕方ないんだよ」
負の感情を持つと体の左半身に激痛が走るという呪いを持つプロキオンは、騎士の過酷な訓練を通して、動じない精神を手に入れた。そのせいでプロキオンは、自らの感情を他人に伝えるのがめちゃくちゃ下手になってしまったのだ。
そんなプロキオンに負い目のある彼の両親は、うまく息子と会話が出来ず、だんだんと隔たりが出来てしまう。
家族とも他人とも薄い関わりしかないプロキオンの最初の友達になり、孤独を癒し、人々との架け橋になるのが、ヒロイン・スピカちゃんなのである。
スピカちゃんが最終的にプロキオンルートを選ぶかはまだわからないけれど、今日は四人で楽しく過ごせたらいいな。




