16:侍女はあまり見ていない
モブ視点
私の名前はセレスティ。三十五歳になるベテラン侍女です。
もともとは商家の生まれでしたが、跡継ぎでもなければ嫁入り要員でもなかったので、親のコネを使って貴族の屋敷の侍女になり、とくに結婚などもせず黙々と働いて今に至ります。
私が長年勤めているジルベスト子爵家は、奥様やご令嬢たちがお美しいことで有名です。『妖精の棲む屋敷』と呼ばれることもあって、侍女の私もなんだか鼻高々です。
若い頃は社交界の華の一人であった奥様は、焦げ茶色の髪と瞳が今でもたいそうお美しい方です。刺繍がお上手で、今ではご婦人やご令嬢の手習いの講師をしていらっしゃいます。
長女のマーガレットお嬢様は奥様と瓜二つの美人で、数年前に婿養子を迎えられ、昨年娘のアシュリー様を出産なされました。
そして次女のノンノお嬢様。ノンノお嬢様は髪と瞳の色が旦那様と同じ薄茶色で、顔は奥様似というお美しい少女です。マーガレットお嬢様と比べると色素が薄く見えるので、か弱く儚げな雰囲気があります。
これから私がお話するのは、そんな次女のノンノお嬢様のことです。
▽
ノンノお嬢様は幼少期から少し変わったところのあるご令嬢でした。
あれはノンノお嬢様が五歳、マーガレットお嬢様が十一歳の頃のことです。旦那様が当時の少女達に大流行していた『着せ替えリンダちゃん人形』をお二人にプレゼントされました。
「まぁ、素敵! ありがとうございます、お父様! 私、ずっとリンダちゃん人形が欲しかったんです。ほらノンノも、お父様にお礼を言いましょう?」
「ありがとうございます、お父様」
「ははは、マーガレットとノンノが喜ぶ顔が見れてとても嬉しいよ。この人形の洋服や家具もたくさん買ってきたから、二人で仲良く遊びなさい」
「はい、お父様」
マーガレットお嬢様はさっそくリンダちゃん人形を着替えさせ始めました。レースやリボンがふんだんについたドレスを着せ、人形用の鞄や靴や帽子を選び、「これからリンダちゃんはピクニックに出掛けますのよ」とテーブルの上を歩かせて遊びます。
その愛らしいご様子に、旦那様も奥様もにっこりと微笑み、見守る私達使用人もほっこりとした気持ちになりました。
一方、ノンノお嬢様はというと。
リンダちゃん人形の洋服を剥ぎ取り、白い下着姿をじっくりと観察されていました。下から眺めたり、両足を開かせたり、胸部の形を確かめたり、背中側から舐めるように観察したり。ーーーやはりこれくらいの年の子供は好奇心が旺盛で、人形の造りとかが気になってしまうのかもしれないな、と私は思いました。
そしておもむろにリンダちゃんの下着を剥ぎ取ると、人形用の浴槽に入れました。
「ノンノのリンダちゃんはお風呂が好きなのねぇ」
マーガレットお嬢様は年の離れた妹が可愛くて仕方がないらしく、ノンノお嬢様を見つめる瞳は優しさに溢れていました。
「はい、お姉様。わたしのリンダちゃんは長風呂派なんです」
ノンノお嬢様は「セレスティ」と私を呼びます。
「どうされました、ノンノお嬢様」
「リンダちゃんのお風呂にお水をいれてちょうだい。あとお庭の薔薇がすこしほしいわ。赤い薔薇よ。薔薇風呂にしてあげたいの」
「はぁ……、わかりました」
人形用とはいえ、陶器製のしっかりとした造りの浴槽なので、水を入れても問題はありません。私は言われるがまま浴槽に水差しの水を注ぎ、庭から薔薇を採ってまいりました。ノンノお嬢様は「うっふ~ん♡ ぼんきゅっぼーん♡」と鼻唄を歌いながら薔薇の花びらをむしり、リンダちゃんのお風呂に浮かべます。
「今度はリンダちゃんを泡風呂に入れたいわ」
「ノンノお嬢様、それはバスルームでおやりになったほうが宜しいかと」
「そうね、わかったわ」
泡が飛び散ることを考慮して言えば、ノンノお嬢様は聞き分けよく頷きました。ノンノお嬢様は風変わりなところもありますが、度の越えたわがままをおっしゃらない良い子でありました。
「マーガレット、ノンノ、リンダちゃん用にリボンをあげましょう。好きな色を選びなさい」
奥様がそうおっしゃって、様々なリボンがたくさん詰まった箱を広げました。
マーガレットお嬢様は「なんて素敵なリボンでしょう!」と焦げ茶色の瞳をキラキラと輝かせました。まるで無邪気な妖精のようでした。
「お母様、私の髪とリンダちゃんの髪にお揃いのリボンをつけてもいいかしら?」
「もちろんですよ、マーガレット」
「わぁっ、ありがとうございます、お母様! ノンノもこちらに来て一緒に選びましょう。見て、この刺繍入りのリボンとかとても綺麗だと思わない? あなたの髪にもきっと似合いますわ」
マーガレットお嬢様に手招きされると、ノンノお嬢様もリボンの入った箱の前にやって来ました。「私はお姉さんだから、妹のあなたに先に選ばせてあげるわ」とマーガレットお嬢様が微笑みます。
「お母様、お姉様、私はこちらのリボンにいたします」
ノンノお嬢様がお選びになったのは、なんの変哲もない赤のリボンでした。
「もっとたくさん選んでもいいのですよ、ノンノ」
「このレースのリボンなんてどうかしら? ノンノのヘーゼルナッツ色の髪によく似合うと思いますわ」
「私のリボンはいいのです、お姉様」
「そう? 可愛いと思いますのに」
マーガレットお嬢様はそのままご自分とリンダちゃん人形用のリボンをいくつか選ぶと、人形の髪を丁寧にとかしてリボンを結んであげました。
「あら、ノンノったら。私がリンダちゃんにリボンを結んで差し上げましょうか?」
マーガレットお嬢様はノンノお嬢様にそう声をかけました。
よく見るとノンノお嬢様は、裸のリンダちゃん人形の体にくるくるとリボンを巻き付けているのです。ノンノお嬢様はまだ五歳なので、きっと上手に人形の髪にリボンが結べなかったのでしょう。
ノンノお嬢様は愛らしいお顔に真剣な表情を浮かべ、ぷるぷると首を横に振ります。
「これは『プレゼントはワ・タ・シ♡』設定だからいいのですわ」
「……ああ、私のプレゼントのリンダちゃんだから、手を出して欲しくはないと言うことですね。わかりましたわ、ノンノ。きっとそのうち上手にリボンが結べるようになりますわ」
その後もお二人はリンダちゃん人形で遊んでいました。
マーガレットお嬢様は人形用のティーセットを並べ、お茶会ごっこをします。
ノンノお嬢様はテディベアを用意すると、リンダちゃん人形のお友だちにされました。「ヨイデハナイカー、ヨイデハナイカー、アーレー、アーレー、オダイカンサマー」と呪文を唱えながら空中で人形をくるくる回していたので、きっと魔法使いごっこだったのかもしれません。
焦げ茶色の髪の美少女と、薄茶色の髪の幼女が向かい合ってお人形遊びをするその光景は、端から見ていてとても美しいものでありました。
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今でもリンダちゃん人形は、ノンノお嬢様の勉強机の上に大切に飾られています。
少々風変わりな性格のノンノお嬢様はファッションセンスが壊滅的で、なんと下着が見えそうなくらい短く切断したスカート丈のワンピースをリンダちゃんに着せていらっしゃいます。スラム街の孤児の方がよほどマシな服を着ていることでしょう。
ノンノお嬢様はときどきリンダちゃん人形を手鏡の上に立たせて、儚く微笑みます。
ーーーきっと楽しかった幼少期の思い出に浸っていらっしゃるのかもしれませんね。




