14:アンタレスは心を読む
今日はノンノが「今度スピカちゃんとプロキオンとダブルデートすることになったから、打ち合わせのために今日のランチを一緒に食べることになったよ~」と言っていた。
プラトニックなど興味がないというわりに、彼女の行動は健全な学生恋愛を邁進している気がするのは何故だろう。根が真面目で小心者だからだろうか。
談話室で僕が一人で待っていると、一番最初に来たのはノンノだった。
ノンノは満面の困り笑顔を浮かべると、「アンタレスっ」と弾んだ声を上げる。とてもご機嫌なようだ。
彼女が僕の能力範囲内に入ったとたん、その理由がわかった。
『お父様が私に屈したぜ~! ピーチパイ・ボインスキーへの発禁命令を取り下げたよぉぉぉ!』
「ノンノ……君というやつは……」
ガックリと首を落とす。
罪悪感の欠片が一つくらいしかないノンノより、僕の方がよほど胃が痛い。
なぜあんなに家族思いで、仕事に信念と熱意を持ち、正義感の強いお義父様の実の娘がノンノなのだろう。本当にわからない。
ノンノは昔「私は前世の文化や価値観が根深く残っているからねぇ」と言っていた。本当にそのせいだとしたら、前世でノンノが暮らしていた世界は相当危険な国だったのだろう。
ルンルン気分のノンノはテーブルの上に自分のランチボックスを置くと、僕の隣の椅子に腰かけた。
「さすがのお父様でも、上級貴族達には勝てなかったねぇ。まっ、仕方がないよ」
「自分が直接手を下したわけじゃないから罪悪感が薄いのかもしれないけれど、すべての元凶である君が言っていい台詞じゃないよ、ノンノ……」
「昨日の夜なんてお父様の書斎の前を通ったらね、『名だたる上級貴族達をパトロンに持っていると言うのか、下劣なピーチパイ・ボインスキーめぇぇぇ!!! 性犯罪を助長させるような汚物を世間に撒き散らすような輩は、この私が絶対に許さん!!! 次こそっ、絶対に次こそお前の作品をこの世から葬り去ってみせる……っ!!!』って叫んでたよ。私のパトロンはむしろお父様なのにねぇ? 育ててくれてありがとう、お父様!」
「ああ、お義父様、おいたわしい……」
思わず両手で顔を覆ってしまう。
ノンノのこんなに悪辣な面を見ても恋がさめないのだから、僕もたぶんどうかしている。
「でも、ノンノは今、純愛小説しか書けなくなっちゃったんじゃなかったけ?」
ふと思い出して尋ねると、ノンノは首を横に振った。
「ううん。アンタレスのことに悩まなくなったら、脳内に思考スペースが戻ったのか、またスケベな小説が書けるようになったよ」
「良かったのか悪かったのか、……いや、全然良くはない」
「それにウェセックス王子殿下とお色気お姉さん達に取材が出来たし、お土産にバニーガール衣装まで貰ったから! 新作の構想がすごくはかどってるの!」
王城の夜会であったあの出来事は、ノンノの中で取材のカテゴリーに入ってしまったらしい。
……あの時、僕は本気で心配したのに。
頭が少し冷えたからホールに戻ったら、ノンノの姿が見当たらなかった。
ノンノの外見は色々と詐欺なので、もしかしたら変な男にでも絡まれてしまったかもしれない。そう思って、ノンノと最後に会った場所から彼女の残留思念を追いかけることにした。
自分からは滅多に使わない能力なので少し手間取ったけれど、ノンノのためだから頑張った。
途中から隣国の第二王子の残留思念が混ざり始めたときは、本当に焦った。
隣国の第二王子は女たらしだと、我が国でも有名だった。彼はただノンノのことを心配して行動したみたいだったけれど、自分のテリトリーに移動したらどうなるかは分からない。ノンノを口説くかもしれないし、ノンノだって心を揺らしてしまうかもしれない。
なんたって彼女は昔から、女遊びの激しい色男にはべる妄想も好きだったからだ。男遊びの激しい、豊満な体つきの美女になる妄想の次くらいに。
もしも第二王子がノンノに手を出そうと言うのなら、彼の心を折ろう。
心の声を聞けばなにかしら弱味だって握れるだろう。女性関係でも金銭関係でも、……王家の秘密でも。
意外に清廉潔白な人間だったとしても、深層心理まで探ればトラウマの一つや二つ見つかるはずだ。えぐって、えぐって、ぐちゃぐちゃにかき混ぜてやれば、廃人にするのも容易い。ーーーノンノのためなら、僕は大っ嫌いなこの能力をいくらでも使ってやる。
そんなドス黒いことを考えながら辿り着いた第二王子の休憩室の様子が、ーーーアレだった。
最初、泣いているノンノを見たときは肝が冷えた。第二王子にどんな酷いことをされたのか。慌てて彼女の心の声を聞けば、ーーー古代衣装の着用を拒んでいただけだった。
しかもその理由が、ハーレムに参加したら僕を傷付けてしまうだろうと考えてのことだった。
なにそれ、かわいい……っ!
一応警戒して周囲の心の声も探ったが、僕が想像していた最悪な展開の数々はなに一つ起きなかったようだ。
古代衣装を身に付けたたくさんの女性達と、ノンノのことは一応心配している第二王子に、敵意はまったく見られなかった。一部の女性の中で『子猫ちゃんがウラジミール様に惚れちゃって、うちの国に付いてきちゃったらどうしよう。ウラジミール様は世界で一番素敵な御方だから仕方がないのだけれど……』という警戒はあったが。
そこでようやく僕は肩の力が抜けた。
第二王子が『泣かせてしまったお詫びに、サプライズプレゼントをあげよう。これで恋人との熱々な夜は間違いなしだよ、子猫ちゃん☆』と、古代衣装をお土産としてくれたときはどうしようかと思ったけど。
ノンノは帰宅後に中身を確認し、たいそう喜んだらしい。「胸部装甲を着けてたからバストサイズが合わないのを貰っちゃった。だから今、お直しを頼んでいるの! はやく完成しないかなぁ~」と心待にしている。楽しそうでなによりだ。
そんなことを思い出していると。
「ねぇねぇ、アンタレス」
ノンノが僕の制服の袖を摘まむ。
『まだスピカちゃん達が来ないからさ……今日こそキスしよう?』
ノンノの心の声が流れてくる。
頬を染めて恥じらい、期待にどうしようもなく瞳を輝かせ、僕をじっと上目使いで見つめてくる。
可愛くて可愛くて、僕の体温もじわじわと上がっていく。
「……昨日も挑戦しようとして、ノンノ、怖じ気づいたでしょ」
「……今なら出来る気がするもん」
「本当に……?」
僕がそっとノンノの頬に手を添えれば、彼女の体温がぶわっと上がった。
『うわわわっ、アンタレスの手つきが破廉恥だぁ……!』
ただ頬に手を添えただけなのに、ひどい評価だな。
そう思いつつ、ゆっくりと彼女の頬を撫で、親指の腹で彼女の下唇に触れる。つるりと柔らかくて、微かに震えていた。
「ア、アンタレスぅ……」
「……っ、恥ずかしい、から、目を……瞑ってよ、ノンノ」
「ん……」
ノンノがぎゅっと目を瞑る。薄茶色のまつ毛がバサリと広がる。かわいい。
バクバクと自分の心臓の音がうるさい。誰かに鷲掴みにされたみたいに胸の真ん中が痛む。
ノンノの少しばかりの不安と、興奮と期待とあとなんかすごい破廉恥な妄想が伝わってくるのだけれど、僕の方もいっぱいいっぱいでそれをきちんと聞き取る余裕がない。
「……いくよ」
掠れるような声で囁き、僕は顔を傾けてノンノの唇に自分の唇をーーーー。
「ノンノ様! バギンズ様! 大変お待たせいたしましたっ」
「失礼する。今日は昼食に誘ってくれてありがとう」
突然、入り口から聞こえてきたエジャートン嬢とグレンヴィル様の声に、僕は驚いてしまい、口付けする場所を間違えた。唇ではなく、ノンノの頬に口付けてしまう。
『また……プラトニック……』
ノンノの非常に残念そうな気持ちが伝わってくる。……正直、僕も同じ気持ちだ。
『次こそは初チューを成功させようね、アンタレス!』
彼女はそう僕に念を押すと、きちんと淑女の仮面をつけて「お待ちしておりましたわ、お二人とも!」と彼らに振り向いた。そしてそれぞれに席を勧め始めた。
僕も椅子から立ち上がり、グレンヴィル様とエジャートン嬢との会話に入る。
また口付けが出来なかったのは残念だけれど、焦りは感じていない。
だってノンノが僕のことをちゃんと異性として愛してくれているからだ。
僕に対する感情はすべて『恋』と呼ぶことにすると、ノンノがいってくれたからだ。
僕は他人の心の声が聞こえるというこのテレパシー能力を、ずっとずっと嫌ってきた。僕は神から運命から、呪われているのだと思ってきた。
これからもこの能力は僕を苦しめるだろう。何度でも嫌になるんだろう。
それでも彼女のためならば僕はこの能力を容赦なく使うし、彼女の心の声を聞いて一喜一憂を続けるのだ。
「そちらのお料理全部、スピカ様が作られたのですか? プロキオン様のランチボックスも? お上手ですねぇ、とっても美味しそうですわ」
「料理は子供の頃から母に教わっていたものですから。もしよろしければ、ノンノ様もバギンズ様も、お一ついかがですか?」
「まぁ、嬉しいですわ。ありがとうございます!」
『アンタレスの好きな肉巻きもあるよ~』
ノンノが僕に笑いかけ、僕もエジャートン嬢に感謝を伝える。
ノンノの喜びも悲しみも、下品な妄想も狡いところも、僕にだけ注がれる優しさも、君の揺れ動く心のすべてを、ずっとずっと傍で聞き続けていたい。ーーーそれが出来るならこの能力を持ったことを、僕は少しだけ許せるから。
君の心の声に溺れていたい。
どうか願わくば、人生の最後の日まで。
Q 何故ほっぺにチュー止まりなんですか?
A 健全乙女ゲーム強制力です。婚約するまでは唇へのキスは解禁されません。
これにて完結です。
最後までお付き合い頂きありがとうございました!
ちなみにアンタレスの星言葉は、『内面を見つめる瞳』らしいです。後で知ってびっくりしました。




