10:ピーチパイ・ボインスキー、炎上する
私は男に浮わついて才能を失うタイプの人間だったらしい。
完成間近の小説はすでに、パンチラ一つポロリの一つもないままに純愛路線を突き進み、山場を終えようとしている。
もはや修復不可能な原稿を前に、うなだれるのは私だけではなかった。
私の小説を発行してくれている出版社の編集長である。
「どうしたんスか、ボインちゃん先生……。今回は『露出すればするほど霊能力が高まるヒロインが、悪霊によってラッキースケベの呪いをかけられたヒーローの為にバニーガール衣装で悪霊と戦う破廉恥ホラー小説』だって打ち合わせで決めたじゃないッスか……。決め台詞の「私が破廉恥なことを考えている間は、悪霊は人間に近寄ることができないの! いくわよ、破廉恥フィールド展開!」も出てきてないし。これ、悪霊に呪われたヒーローをヒロインが救うだけの、ただの純愛ホラー小説ッスよ」
「本当に申し訳ありません……」
ちなみにこの世界でもバニーガール衣装は存在している。隣国の古い民族衣装の一種らしい。
私のことをこの世界で唯一『ボインちゃん』と呼んでくださる編集長にガッカリされるのは本当に辛い。
読者は私のことを『ピーチパイ先生』とか『ボインスキー氏』などと呼んではくれるが、憧れの『ボインちゃん』呼びをしてくれないのである。ちなみにピーチパイは、アップルパイとかチョコパイとかのお菓子の名前の方である。お菓子の名前のはずなのに破廉恥に聞こえるので気に入っている。桃のようなピチピチおっぱいという意味だと思った人は、全員スケベに違いない。
編集長は原稿から顔を上げると、「……わかりました」と重々しく頷いた。
「やっぱりボインちゃん先生も、発行禁止処分が辛かったんスね」
「え?」
「だからいつものパフォーマンスが出来なかった……。すみません、作家さんのメンタルケアを怠った俺の責任ッス!」
別に発行禁止されても、『プリンプリン・シリスキー』に名前を変えるとか、隣国に亡命するとか考えていただけだけどなぁ。
「この原稿、このまま完成させましょう。それで予定通り出版しましょう」
「よろしいのでしょうか? 破廉恥ではありませんのに」
「ボインちゃん先生がこの作品を出せば、世間に衝撃が走ります。あのボインちゃん先生が弾圧を受けて真面目な本を出版しただなんてなったら、市民団体だって動かせますよ。俺にもツテがありますんで!」
「市民団体?」
そんな方々を動かしてどうしようというのか。
「ボインちゃん先生がボインちゃん先生らしい作品を書いてくださることを、読者はみんな待っているんスよ。それなのに発行禁止命令を出すなんて……。これはボインちゃん先生だけの問題じゃないんス。すべての表現者の問題として、市民団体に動いてもらいましょう!」
大袈裟過ぎやしませんかね、編集長。
「それに何より、俺の愛する『トラブル学園桃色100%にようこそ』まで発行禁止にするなんて、許せねーッスよ!」
「……ありがとうございます、編集長」
まぁ何はともあれ、自分の作品を好きだと言ってくれる人がいることは嬉しいものだ。
私は編集長に何度もお礼を言い、締め切りまでに純愛小説を完成させると約束した。
▽
そして純愛小説発売日当日ーーーの、午後の授業の間にある休憩時間のこと。
一人の男子生徒が教室に駆け込んできた。
「ボインスキー氏が死んだ……っ!!!」
私の本の発売日にはいつも必ず欠席している侯爵家の三男坊が、今さら学園に登校してきたかと思えば私の新刊を片手にそう叫んだ。
彼がよくつるんでいる仲間たちが「なにごとでありまするか?」「ボインスキー氏の作品になにかあったということでござるか?」「死などと滅多なことを言ってはいけませぬぞ」とゾロゾロ集まってくる。
「皆の衆、心して聞いてくだされ。今日発売されたボインスキー氏の作品が、なんと純愛小説だったのでありまする……!!」
三男坊の発言にどよめいたのは、彼の仲間だけではなかった。
教室に残っていた令息令嬢たちが「まさかそんなことが……」「この世の終わりでしょうか……?」「ああっ、誰か嘘だとおっしゃってください……!」と騒ぎ出した。
へぇ、こんなに私の読者が隠れていたのかぁ。
暢気にそんな感想を抱いた私の隣の席の男子生徒が、突然バンッ! と机を激しく叩いた。
「なにを下らないことを言ってるんだ、お前達はっ!」
隣の席の男子生徒は、モンタギュー侯爵家の嫡男である。
モンタギュー侯爵令息は、スピカちゃんと同じクラスの攻略対象者(こちらも侯爵家令息)の悪友という、モブの中でもわりと格上の存在なのだが、ソイツが急に怒鳴り出した。
「ボインスキー先生が純愛小説なんて書くわけないだろ! あの方は真の芸術家だ! 天上の世界をお書きになれる御方だ! ボインスキー先生への侮辱はこの俺が許さない!」
なんかすごいこと言い出したぞ。
攻略対象者の悪友でも、ボインスキーの本を読むんだな……。へへ、ありがとね。
荒ぶるモンタギューの前に、先程の三男坊がやって来る。
「お読みください、モンタギュー様。そしてご自身の目でお確かめください、神が亡くなられたことを」
さっきまでの謎の口調をやめた三男坊は、スッと私の新刊をモンタギューに差し出した。
モンタギューは怒りに震える手で新刊を受け取り、すごい早さでページを捲り始めた。速読だろうか? さすがは格上のモブ、スペックが高い。
ページをどんどん捲っていくうちに、モンタギューの顔色が変わった。怒りに赤らんでいた顔が、どんどん青ざめていく。「そんな」「まさか」「ない、ないぞ」「ヒロインの下着の描写一つないなんて……」最後には呆然とした表情で本を閉じた。
「なぜ……、なぜ神はこのような作品を書かれたんだ……? 俺への試練だろうか……」
「神のお心はわかりませんが、ただ一つだけわかっていることがありますよ、モンタギュー様」
三男坊がニヒルに微笑んだ。
「僕達凡人は神が与えた試練の前に、ただ右往左往するしかできないということです」
「そんな……」
「待ちたまえ、君達」
二人の茶番に、また別の人物が割り込んできた。
これまたモブの中でもさらに格上の存在、王太子殿下(攻略対象者)の側近であるリリエンタール公爵令息がこちらに歩み寄ってきた。彼は『白百合の貴公子』という二つ名を持っていて、我々モブの中でもかなり優遇されている。
「まだ我々にも出来ることがあるはずだ。ボインスキー先生のいくつかの書籍に、発行禁止命令が出されたと聞いている。きっと先生は国からの圧力に屈し、今までのような素晴らしい本が出版できなくなってしまったのかもしれない」
「そうか、発行禁止命令のせいだったのか……」
「なんと非道な……! おいたわしや、ボインスキー氏……」
「ボインスキー先生が動けないのなら、我々上級貴族が動こう。国に発行禁止命令の取り消しを求めようじゃないか」
「我がモンタギュー侯爵家も動きます、リリエンタール様!」
「我が家もです!」
「ありがとう、二人とも」
編集長、市民団体を動かすって言ってたけれど、目の前でもっとすごい権力が集結しだしているのですがどうすれば。作者である私(子爵家)すら吹き飛ぶほどのドデカイ権力なんですけど。
びびり始めた私の前で、更なる権力が名乗り出た。
「リリエンタール様、我が公爵家も協力させていただきますわ」
この世界『レモンキッスをあなたに』で唯一スピカちゃんの恋敵として登場する公爵令嬢、ベガ様が立ち上がった。
ベガ様は王太子ルートに出てくるライバル令嬢で、スピカちゃんと正々堂々戦う努力家だ。そしてスピカちゃんがハッピーエンドに辿り着くと、涙を浮かべながらも王太子とスピカちゃんを心から祝福する役である。健全乙女ゲームなので、恋敵さえ悪役ではないのである!
このクラス、攻略対象者は居ないけれどモブを寄せ集めすぎじゃない? 私ですら攻略対象者のトラウマ製造機だし。
そんなことを考えている私に、突然ベガ様がお声をかけてきた。
「ノンノ様、あなた、お父様からなにかお聞きになっていないかしら?」
「……私の父がどうかしたのでしょうか、ベガ様?」
「王立品質監察局局長であるジルベスト子爵が、ピーチパイ先生に発行禁止命令を出されたでしょう?」
な ん で す と ?
父の仕事は市場に出ている商品に粗悪品がないか調べることだとは知っていたけれど、書籍も対象だったのか? 監察する範囲広くない?
そういえば姉が私の本を持ってきたときに「お父様には見つからないようにね?」と言っていたけれど、『破廉恥な本を読んでいることがバレたらマズイ』という意味ではなく『父が発禁命令を出した本を所持しているのはマズイ』という意味だったのかな。
「ベガ様、ノンノ様はピーチパイ先生をご存知ありませんので、お尋ねしても……」とベガ様の取り巻きがぼそりと言う。
知らなくはないんですよ? めちゃくちゃピーチパイ先生を知ってますけど、だれも私をスケベ話に混ぜてくれないじゃないですか~(怒)
ベガ様は「あら、そうでしたの」と取り巻きに答えると、私に優しく微笑んだ。
「妙なことを聞いてしまってごめんなさいね、ノンノ様。あなたもいずれ、大人の女性になったら知るときが来るかもしれませんわ」
「はい、ベガ様」
みんな私の儚さに騙されすぎだよ、と思いつつ、私はベガ様に頭を下げた。
▽
まさか、私の真の敵が実の父親だったとはなぁ……。
深夜をとっくに過ぎた時間帯にようやく帰宅した父を、私は玄関が見下ろせる二階の廊下からひっそりと観察する。
食品から日用雑貨から書籍まで、雑多に監察しなければならない父の顔は確かにくたびれていた。執事に帽子を渡しながら、「これからまた忙しくなるよ。例の作家の件で、ついに市民団体が動き出してね……」と溜め息を吐いている。編集長もどうやら頑張っているらしい。
「お父様、おかえりなさいませ」
「ノンノ! まだ起きていたのかい?」
階段を下りながら声をかければ、父は疲れなど吹き飛んだかのように満面の笑みを浮かべた。階段を下りきった私を優しく抱きしめ、肩を叩く。
「いけないよ、ノンノ。あまり夜更かしはしないように」
「お手洗いに寄ったらきちんとベッドに入りますわ。お父様はこんなに遅くまでお仕事でしたのね。お疲れさまです」
「ありがとう。お前の顔を見たら疲れが吹き飛んだよ」
「あまりご無理をなさらないでくださいませね」
アンタレスがこの場に居たら「どの口が言うんだ」とドン引きしただろう。私(例の作家)が父の疲れの原因なんだぜ。
「心配をかけてすまないね、ノンノ。だが私はまだ戦わねばならないのだ。お前のように心優しい子供達の健やかな精神を守るために……」
穏やかな顔付きだった父が、がらりと表情を変えた。
腹の底から湧き立つ怒りを抑えきれないというように、瞳が爛々と燃えている。私の肩に置かれた両手がカタカタと震えていた。
「あんな下品で低俗で野蛮で淫らで作者の底の浅い人間性をうかがわせる駄作など、この世から抹消しなければ……!」
怒り狂う父を前に、私は真顔になった。
父は再び穏やかな表情に戻ると、甘やかす眼差しで私を見つめた。
「不健全なものは取り締まる。それが私の誇りなんだよ」
「お父様……」
下品で低俗で野蛮で淫らで底の浅い人間でごめんなさい、お父様。どうか私の親不孝をお許しください。
少年主人公は、いつだって偉大なる父を越えて強くなるものなんです。
私も心のほとんどに男子中学生を抱えて生きている者として、あなたを越える日がついに来てしまったのです、お父様。
「頑張ってくださいませ。私がいつでもお父様を見守っておりますわ(応援するとは言ってない)」
「ありがとう、ノンノ。さぁ、もう行きなさい」
「はい、お父様。失礼致しますわ」
お父様。いずれ上級貴族達があなたの前に立ちはだかるでしょう。あなたはそのとき、誇りを踏みにじられ、屈辱に顔を歪めるのかもしれません。
だがしかし、それは仕方のないこと。この私、ピーチパイ・ボインスキー様に逆らったからだ!!! ふはははははっ!!!!! お父様の骨は拾ってやるからな!!!
私は心のうちで魔王のように高らかに笑うと、父の前から立ち去った。
 




