ウツロになった世界で、影はどうする?
処女作です。良ければ読んでください。あとコメント(批判でもなんでもいいんので)を下さいお願いします。
雨が降っている街の中を、田山慎之介は傘も持たずに歩いていた。外を歩く事で更に憂鬱になる事は分かっていたが、それでも研究所に居るのは耐えられなかった。
チラリと横を見ると、国民服姿の男が真っ直ぐ前を向いて歩いている。更にその後ろを見れば、同じ服を来た人々が、綺麗に整列して歩いていた。しかし彼の前後を歩こうとする人物は一人としていない。
道の真ん中を歩いてはいけない。彼らの脳に埋め込まれたチップが、そのようなルールを課しているのだ。抵抗してはいけない。疑問を持ってはいけない。そういう事になっている。もう街の人間も皆、ウツロと化してしまった。
ウツロ。チップによって脳を制御され、薬によって無理やり生かされている人間の事を、私はそう呼んでいる。彼らは皆最低限の国民食や国民服を支給され生活している。
「ああ、やってしまった。私のせいだ。あんな薬を作らなければ。」
彼はそう呻いた。雨は止まることなく、相変わらず彼の体を濡らし続けている。
ふと、この光景が神社の参道のそれと同じである事に気づいた。真ん中は神様の通る道。神、か。あながち間違っていないな。そう気付いて、彼は少し苦笑した。
人体機能超活性薬、通称HFAD。彼が数年前から研究し、開発しようとしていた薬の名前だ。人の心身機能を一時的に最大レベルまで向上させる事により、難病の治療を行う、という彼の研究は、素晴らしいものであり、薬が完成すれば何千万人、下手すれば何億人もの命を救えるはずだった。他の研究者からは到底不可能だと言われていたが、彼は、千年に一度の天才、と呼ばれる自分の頭脳があれば必ず成し遂げられると確信していた。実際できた。
「もっと早くに気づくべきだったな。」
あとから考えれば、不自然な点はいくつもあった。政府からの援助額が信じられない程多かった事。そして、何故か防衛省からも援助をされた事。
しかし、研究に夢中だった自分は、全くその不自然さに気をかけなかった。むしろ、研究が国に認められた、と少し舞い上がってさえいた。
今でも信じられない。自分が薬を開発する事で、政府の国民統制計画が完成したなんて。
少し前から電子チップを脳に埋め込む事で、人の人格を制御する、という計画はあったらしい。しかし、チップを埋め込まれた人間は、その瞬間とても病弱になり、5日程で死んでしまう。チップに脳を制御されることで、心臓を動かす、というような無意識の動作までもを正常に行えなくなるからだ。
政府はその問題を、人体の活動を私が発明した薬を定期的に摂取させる事で正常レベルまで無理やり引き戻す事で克服した。
そこからは本当にあっという間だった。手始めに、郡の兵士たちがウツロと化した。その後、彼らが武力を使い人々を脅して無理やりチップを埋め込んだ。大きな反乱も全くと言っていいほど起こらない、いや、起こせないほど短い時間の間にそれは行われた。
まあ、その功績を認めてだとか、天才の頭脳を奪う訳にはいかないだとかの、政府のお偉いさんの意向で、私はウツロになる事を免れたのだが。それどころか、一部の政府の高官(彼らは当然ウツロでは無い)と同じ上級国民として、こうやって堂々と道の真ん中を歩く事が出来る。
ふと違和感を感じて前を見ると、赤いドレスを来た女が傘も持たずに歩いている。いや、違う。どうやら両手に何かを持っていて傘を持てないようだ。
道の真ん中を人が歩いているだけでも珍しいのに、彼女はそれに加えて何か様子がおかしかった。とても急いでいる。というか、何かから逃げているようだ。
と、 彼女が突然振り向いた。そして私を見つけると、目を見開き、こう言った。
「ねぇ、来て!お願い!」
そのまま彼女は細い脇道に入っていく。
突然の言葉に私は驚いたが、それよりも衝撃的だったのは彼女が手に抱いているのが赤ん坊だったという事だ。
というのも、ほぼ全ての国民がウツロにされて以来、生まれた赤ん坊は全て政府の施設に預けられ、幼少期にチップを埋め込まれる事になっているのだ。赤ん坊を抱く女性、おそらく母親、という光景は、とても珍しいものだった。
だから私は好奇心に突き動かされて彼女について行った。路地をかなり進んだ所で彼女は私に言う。
「ねぇ、この子を預かって。お願い!」
そう言って無理やり腕に抱いていた赤ん坊を私に抱かせた。ポカンとしている私に彼女は更にしゃべりつづける。
「ええ、まだ首が座って無いから頭はしっかり支えて。」
「なあ、これはどういう事だ?」
「お願いなの。あなたは何となく信用出来る。ねぇ聞いて。私は現総理、赤井遥一の妻よ。この子は私の子。女の子よ。アカネって言うの。」
「なぜ私に?」
「この子は才能があるんだって。だから兵器にするって、あの人は言っていた。恐ろしい人よ。自分の子すらウツロにしてしまうんだから。まだ政府の計画は終わってないの。ウツロじゃない、それよりもっと恐ろしい兵器を作るんだって。」
「はっ?」
「とにかく、その子を守って!もう追っ手は近くまで来てる。多分私は捕まってウツロにされるわ。でも、その子だけは、守りたいの。
今から私はこのまま進んであっちの道に出るわ。たからあなたは来た道を戻って。何とかしてその子を守って。お願い、、、、近くに居れなくてごめんね。」
彼女は最後に優しい声でそう言うと、走って去って行った。嵐のような突然怒った出来事に、私は呆然としたまま動けない。
「やめて!痛い!」
ふと、女の甲高い悲鳴が聞こえて我に帰った。
とにかくこの子を連れて家に帰らねば。
しかし、長い間雨に打たれることは赤ん坊にとっては少し刺激が強すぎる経験だったらしい。私の家兼研究所に帰った時、既にその息は弱く、体も冷たくなっていた。私は焦った。
とにかくベッドで体を温めて、何か応急処置の道具を探そう。慌てながらも、冷静にそう判断した。
思えばこの時、私は高揚していた。何人もの人間をウツロにしてしまった罪を、命を救う事で和らげられると考えたからだ。そうでなければ、あんな事をするはずがない。あとから考えれば、あの判断は、とても危険なものだった。
薬箱を見つけると、その中から使えそうな薬を探した。しかし出てくるのは普通の風邪薬などの物ばかりで、今は役に立ちそうにない。
ふと、棚の中の小箱があることを思い出した。そこにHFADの失敗作を何粒か入れていたのだ。
それは、現在の物と効能は変わらない、もしくはそれ以上なのだが、脳の一部に影響を与え、性格の豹変などの副作用が起こることのある、という代物だった。
気がつけば私は、それを片手に持ちベッドの前に立っていた。赤ん坊の息はもう本当に弱々しくなっている。
私は焦りながらもその口に何とか錠剤を押し込み、飲み込ませた。赤ん坊なら、効果はすぐに現れるはずだ。
その時である。赤ん坊の身体が、突然てから離れ、そして、
ー宙に浮いていた。
文字通り、ベッドから50cm程の空中に寝たままの姿勢でふわふわ浮いているのである。
「なっ?!」
予想外の出来事に私は暫くの間固まっていた。
軈て赤ん坊はゆっくりと下降し始め、またすっぽりと手に納まった。その体は温かく、呼吸も元に戻っている。
「幻、じゃないよな?」
思わず呟いた。
「アカネ、だったっけ。」
ここで私は、この子の名前の漢字がよく分からない事に気付いた。まあいいか。どうでもいいよ。生きてるんだから。
赤ん坊の無事が確認できた途端に、どっと疲れが押し寄せてきた。当の本人は、すやすやと寝息を立てて眠っている。
「ふっ、よろしくな。アカネ。」
そう言って、彼も深い眠りに落ちた。
こうして、一人の少女の物語は始まる。