表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

或る男の異界に迷い込む事

作者: 瀬戸者 サチ

 男が立ち竦んでいるのは、何処かの街中だ。古い古い街並みは懐かしさよりも先に、何処かの異国に迷い込んでしまったのではないか過去に迷い込んで(タイムスリップして)しまったのではないかという空恐ろしい気持ちを抱かせる。そう感じてしまえば、辺りを漂う薄暗い空気に何か分からない黒くとろとろとしたものが混ざっているように思えてくる。


 男の足元はずっと先まで続いている石畳だ。凸凹としていたのが人々に踏まれ、磨り減ったらしい。角は丸く表面もつるつるとして雨の日は気を付けて歩かなければならなそうだ。恐る恐る踏み出した男の一歩は、存外静かなものだった。男の足は底に金属板が入った軍靴(ブーツ)に包まれている。


 恐らくは碁盤の目のように道が通る街なのだろう。男がそろそろと進む通りは一際広く、そこに垂直に交わる一回りか二回り細い通りは右を見ても左を見てもずっと先まで見通せる。男は何かに引き寄せられるようにゆっくりと歩を進める。暫くして、シャンシャランシャンシャランと複雑な鈴の音が男の耳許に心地良い大きさで響いた。男はやけに煌びやかなその音の方へ振り向き目を瞠った。


 嫁入り行列だった。奇妙にも先頭から殿(しんがり)まで、それぞれが違った狐の面を着けている。普通の花嫁行列とは違って、柄付きの提灯を片手に持ち、それから垂れ下がる紅白の組紐の先に付いた大ぶりの鈴をもう片手にもっているものが幾らかいる。先程男が聞いたのはこの音だったらしい。花嫁が身に纏うのは目に眩しい白無垢で、辺りの薄暗さもあってか行列はより一層目立って見えた。


 ゆるりゆるりと行列は進み、立ち止まっていた男の前を通り過ぎる。と、中程にいた娘の(なり)をした人型が男に駆け寄り何も言わず手に持っていたものを押し付けた。そしてぺこりと頭を下げてまた列に戻っていった。渡されたのは行列の内の幾らかが持っていた提灯だ。飴色の柄に黒い金具が付きそこへ朱色の鬼灯を模った提灯と紅白の組紐に繋がった金銀二つの大ぶりな鈴がぶら下がる。返す機会(タイミング)を失ってしまった。


 衣擦れの音がしない行列の影も見えなくなれば、辺りは初めよりも暗くなり霧が薄らとかかっている。しかし男の周りだけは提灯のお陰でほんのりと明るい。男は狐面達がしていた様に片手に柄を持ち片手に鈴を持って鳴らしながらまた歩き始めた。


 暫くすると男はある事に気が付いた。時折提灯の灯りが届かない通りがあるようなのだ。今も、提灯を左の通りに向けても一歩先にすら灯りが届いていないのに、右の通りに向ければ何十歩先ににも灯りが届く。さてこれは道案内なのか、そうでない(罠な)のか。軍帽を目深に被り直し、男は提灯の示す先に向かう。


 どうにも俺はこの一刻か二刻の間で三文小説の主人公になって仕舞ったらしいと男は独白する。歩き疲れて腰掛けた人のいない茶屋の腰掛け(ベンチ)の前を、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が練り歩いている。男は提灯の灯りが目立たぬように着ている二重回しの裾で包んで胸の前で抱え、じっと息を潜めた。男が最初に感じた何か分からない黒くとろとろしたものは魑魅魍魎にはっきりと纏わりついていた。


 魑魅魍魎どもは男を気にするようにちらちらと視線を向けるが、何か行動を起こす事無く通り過ぎた。それを見届けて男はふぅと溜息をつく。花嫁行列はまだ少し奇妙なだけで普通のものだと思う事が出来たが、この百鬼夜行はそうもいかない。ついつい男は気を張っていたようで、そう長い時間でも無かった筈が体のあちこちが固まっている。


 腰掛けから立ち上がって伸びをした男は、ふと左側に目をやった。所謂、付喪神(つくもがみ)と言うやつだろうか。唐傘(からかさ)に目と口と一本足が付いている何かが座っていた。きょとんとした顔をしてぱちくりと一つ瞬きをしたそれは、男が自分を見ているのに気付くとぴょんと飛び降り、男の正面まで器用に跳ねながら移動する。自分が男の目の前に来た事をしっかりと確認して、また一跳ね。傘の内側から何か小包を落とした。


 軍人である男の同僚や上司、挙げ句の果てには男が手助けをした通りすがりのお婆さんにまでお人好しだと評される男の事であるから、たとえそれが魑魅魍魎が落とした物であろうとも拾ってやるのは分かりきった事だった。男は小包を拾い、唐傘に渡そうとする。唐傘はそれを拒否しようと身を捩る。そもそも手が付いていないから渡されても持てないのだな、と誤解した男は唐傘を捕まえひっくり返し内側に小包を入れるべく手を伸ばした。


 百鬼夜行が進んで行った方向から、唐傘が遅れている事に気付いた小鬼が唐傘を回収すべく戻ってきた。小鬼は、唐傘が男に小包を渡そうとしているが男はその意図に気付いておらず、小包を押し付けあっているのを見た。この小包は男に必要なものなのだ。小鬼は唐傘の代わりに男に小包をしっかりと持たせて、唐傘を脇に抱えて百鬼夜行に合流しに小走りに走って行った。


 どこか既視感(デジャヴ)を感じつつ、腰掛けに座り直した男はがさがさと音をたてながら紙の包みを剥がす。片手程の大きさで長方形をした木板だった。裏側から開けて仕舞ったようで何も書かれていない面が見える。表側はどうかとひっくり返すと、真ん中に読み易い楷書で「通行手形」とある。その横に朱墨で丸い紋も描かれている。何かの字を模していると(おぼ)しき紋は崩れていて読めない。自分が使うにせよ人に返すにせよ、それは今ではないか、と男はそれを元通りに包み直し軍服の懐に仕舞った。


 男はまた歩き出す。もうそろそろこの広い街の中心か端には着いて良い時分だ。辺りがゆっくりと暗くなるにつれ提灯の灯りは強くなっていく様だ。燃え盛る篝火(かがりび)の様な色が足元を照らしている。鬼灯の部分に手を翳すと火のように温かい。少しならば暖を取る事も出来そうだ。


 男が今歩いているのは、今までとは少し違う通りだった。これまでが車が二台すれ違える程の幅であったのが、人が三人程までしかすれ違えない程まで細くなり、緩やかな勾配を持っている。一本道である。両側の建物の間にちらちらと姿を現し始めた石燈籠(いしどうろう)は、進むにつれ数を増やす。もう石燈籠ばかりが並んで来て何処か澄んだ空氣を感じてやっと、男はこの道が参道なのだと気付いた。石燈籠の意匠を見るに、稲荷を祀る社のようだ。


 山の森林の中を、苔むした細い石段と石燈籠が延々と続く。街中の妙な薄暗さはそこには無く、ただ何処か神々しささえ感じる様な薄明かりが辺りを覆っている。しかし日の傾き様は黄昏時のそれである。日が煌々と照っていた筈の街中よりも、日が紅く翳っている参道の方が明るいとはこれ如何に。男は疑問に思ったが、何時だったかその手に詳しい友人が。怪異にあった時はお前の場合深く考えるよりも勘で行動した方が上手く行くから勘で行動しろ、考えるなよ。と言っていたのを思い出して考えるのを止めた。


 トン、トン、と鼓を打つ程度の速さで一段ずつ踏み締めて進む。止まってはならぬ、歩を(ゆる)めてもならぬ、()く歩むはよし。それは男の勘であったが、先述の友人の忠言に男は従った。それが功を奏したのか否か、小さな鳥居の立つ石段の終わりが近い。男は最後の一段に足を掛け、小さな鳥居をくぐった。自然下を向く顔を上げれば先程までは影も形も無かった筈が、何処か神々しく輝く豪華絢爛とも言うべき神社があった。まっさらな白木が目に眩しい。


 するすると、まるで糸に引かれているように男の足は止まらず進む。透明な石が紛れ込んでいる玉砂利や参道の中心を踏んで仕舞わない事。男は、それさえ気を付ければ何処でも歩ける事を知ったが、それでも生真面目に参道の端を通って行く。手水舎(ちょうずや)を通り過ぎ、本殿へと繋がる(きざはし)の前で立ち止まる。足を掛けようとして、やめた。土足のまま上がって仕舞えばどうしても足跡が付くだろうからだ。


 広い庭を横目に廻廊沿いの石畳を歩く。男は何処か違和感のある景色に首を傾げていたが、しばらく歩きながら眺めていれば原因に気付いた。様々な種類の植物が植わっているのだが、どの花や木も咲き乱れ生い茂り、季節感が全く無いのである。どころか、天候すらそちらは霧雨、ここは晴天、あちらは綿雪と、ころころ変わっている始末である。もう直に吹雪きそうな程の満開の桜があると思えば、綺麗なままぽてりと池に落ちて封じ込められた寒椿が並び立つ。


 一等豪華な本殿に辿り着いた男は、しかし軍規も真っ青な程に見事な回れ右をしてみせた。何故か。男の姉の声が豪奢な金具付きの蔀越しに漏れ聞こえたからである。その台詞から推し量るに蔀の向こうには姉の他にも何人かいる様だ。姉は男を探している最中なのだという風な事を言っている様だが、なんて事は無い。彼女は自分の(小間使い)に用事を言い付けようと探しているだけなのである。


 しかし男からしてみれば溜まったものでは無い。久方の丸一日の非番をただただ姉に扱き使われる事で潰す訳にはいかないのだ。第一、数の多い姉のご所望なさるものは、やれ新しく出来た喫茶の洋菓子を買ってこいだの、駅前の百貨店で新作の可愛いハンカチーフを買ってこいだのと。要は、普段男勝りでかっちり軍服を着こなして女学生などに黄色い悲鳴を上げさせている姉が、可愛い物を買いに行くのが恥ずかしいというだけで弟である男に買いに行かせるのである。わざわざ普段とは違う丸っこい筆跡にした覚書きを持たせるくらいなら自分で向かえば良かろうにというのが男の考えだ。そして男は前日、普段断り切れない分次があれば心を鬼にして断る事にしようとも決めていた。


 そう言う理由があって、男は今来た道を戻らずに走っている。脱兎の如くと言っても過言では無い様相である。無理も無い、そこまでしなければ追い付いてくる事が出来てしまうのが男の姉なのだ。暫く走り続けていたがどうも男の姉は追い掛けて来ない様で、少し息があがり出した男は足を緩めた。


 神社の裏手に細々と続く道を駆け下りると、少し開けた所があった。道の勾配がきつかったのもほとんど水平になり、恐らくは山の麓に当たる所に関所(せきしょ)の様なものが建っている。横道は無い。いずれにせよ、そこを通らなければならないだろう。役人が居る筈なのだが、男の位置からは見えない。男がその受付に当たる場所を覗き込むと、見るからに筋骨隆々とした鬼がその手にはやけに小さい筆を器用に扱い帳面に細々と記録を付けていた。


 その鬼は男が近付いてきた事に氣付くと手を止めて不思議そうな視線を向けてきた。男はそれを受けて立ち止まる。どちらも口を開こうとしない為、暫く静かな時間が続いていたのだが、ふと思い付いた男が懐からあの通行手形と書かれた板を鬼に差し出した事でその均衡が崩れる。男はあの狐面の娘に押し付けられた通行手形の事を思い出し、ここで使うべき物なのでは無いかと考えたのだ。


 男の考えは当たっていたらしく、鬼は拍子抜けしたような顔をして受け取った手形を確認すると男に返し、何やら物を探し始めた。社務所の様な造りで小屋の窓沿いに机があり、そこに座っていた鬼の足元には棚の様な物があるらしくがさごそとしきりに探っている。顔を上げた鬼が手に持っていたのは「守護」と刺繍された白い御守りだった。男は差し出されたそれを有難く受け取り、また道を進む。鬼もまた何かを書き始めていた。


 関所を過ぎても男はまたしばらく歩く。やはり少し細い山道だ。見ているだけでも、青々とした橅や楢、咲き誇る桜や椿などが混在している。不思議なものだなぁと横目に眺めつつ歩いていた男だが、それも直に終わった。両脇の森が青葉ばかりになり始め、見慣れた街並みが見えてきていたからだ。


 下り坂の終わりの小さな鳥居を潜れば、やはりそこは男に馴染み深い港街だった。男が異界へと迷い込む直前までいた場所とは違うが、男は異界から出る事が目的で元の場所に戻ろうと歩いていた訳では無い。それはしょうがない事だろう。むしろここは男が非番中に訪れようとしていた場所である。移動する手間が省けたと喜べばいいのだろうか。いつの間にか提灯がただの鬼灯になっていたので、それを仕舞いながら男は首を傾げた。

オマケ・小鬼


 小鬼は、赤色で一つ角があって目も二つ手足なぞあわせて四本もある小鬼である。百鬼夜行を引き連れて先頭を歩ける程の力も、殿にいてたまにある他の百鬼夜行からのちょっかいにし返せるような力もないので、大抵小鬼は百鬼夜行の真ん中辺りにいる。


 そんな小鬼にはとても重要な仕事がある。これは首領に同じような小鬼達と一緒に任せられたもので、付喪神のようなどうしても足が遅いあやかし達があんまり遅れるようなら抱えてやれ、と言われたのだった。


 小鬼よりも年配で、数百年か下手すれば千何百年も昔のものに憑いている付喪神だが、ほとんどは足が無かったり数が少なかったりあっても短かったりするのだ。手足が四本もある小鬼達より足が遅いのも当然な事だと小鬼は思っている。


 そんな付喪神達は大抵、小さいのは畳のや盆のに乗って、それを小鬼達が協力しながら運んでいる。がしかし付喪神達には脳みそがない。よっぽど霊験あらたかな物で文字通り神様の様に祀られているのならともかく、やっぱり大抵は頭が足りない。

 だからいつの間にか付喪神達は興味を引かれたものの方へふらふらと向かっている事があるのだ。そんなのを回収してまわるのが特に小鬼の仕事である。付喪神達が気になったのが花であればそれをつんでやるし、落ちている物であれば変わりに拾ってやる。


 たまに人間が落ちている事もあるが、それに小鬼が会う事は滅多に無い。遠目に見えた所で人間が逃げて行くか、或いは人間かと思っていたらただの肉塊だったかの二択なのだ。

 そう言えば、と小鬼は思い出す。そう言えば、珍しく百鬼夜行を目の当たりにしても逃げないし死ななかった人間がいた、と。小鬼はあれは中々いい事をしたと内心自画自賛している。唐傘のしたかった事をすぐに終えられたし、あれは人間にこそ必要な物であったし、そもそもあれを人間に渡すのは小鬼の役目だったような気がするのだ。


 誰に頼まれたのだったか、と悩んでいる内に今日は筆のが逃げ出した。おそらく目的は道端で寝転がる犬のあやかしである。その犬に筆のがへし折られない内に助けなければいけない。小鬼はたったか駆けていく。


 そんな普通通りの物事が過ぎていき、小鬼は珍しい人間の事をもうすっかり忘れていた。いつも通りの時間が過ぎていく。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ