或る外科医の愉悦
五條県立大学医学部付属病院・中央手術棟。
手術室前の家族待合室を訪れた私を待ち受けていたのは、今回のクランケの御家族の心配そうな顔だった。
「芹目アリサ先生!正美の手術の経過は、どのような具合なのですか?!」
「もう大丈夫ですよ、森津さん。御嬢さんの右脳に出来た腫瘍は、全て無事に摘出致しました。容態も安定しております。」
微笑を伴った私の返答に、身を乗り出していたクランケの父親が、その切迫した表情を和らげた。
小学3年生の娘に出来た脳腫瘍だ。
父親として、心配にならない方がどうかしているだろう。
「芹目先生!やはり、貴女に任せて良かった!」
「正美を助けて下さって、感謝します!」
クランケの母親と兄もまた、父親に追随する。
こうして手術を成功させて患者の家族に感謝される時は、私のようにスレ始めた女医でも、多少は口元が綻んでしまう。
貝原益軒の「養生訓」に記されている「医は仁術なり」という心構えが、改めて身に染みる。
「御嬢さんの頑張りと、御家族の御協力あっての成功ですよ。私と五條県立大付属病院を信じて下さり、感謝します。」
まるで現人神みたいに褒め称えてくる御家族に一礼した私は、術後処理を行うべく手術室へ引き返した。
先程まで執刀医として格闘していた手術室に、私は再び戻ってきた。
腫瘍を摘出されたクランケの少女は、術後管理のために集中治療室へ運ばれており、既に姿を消している。
「摘出した脳腫瘍の様子はいかがですか、比丘田ケン先生?」
「未だ活発に生命活動を続けておりますよ、アリサ先生!腫瘍の生命力もさることながら、アリサ先生の優れたメス捌きの賜物ですね。」
手術室で出迎えてくれた助手の医師は、培養液で満たされたプラケースと私とを交互に見比べながら、感嘆の溜め息を漏らしている。
「妹も、『芹目先生は命の恩人だ。』って、いつも感謝していますよ。」
そう言えば、比丘田先生の妹さん-芙蘭ちゃんって言ったっけ-から摘出した腫瘍は、確か左脳に出来た物だった。
「やっぱり子供の細胞は活発ね。それが腫瘍であっても。」
培養液の中で漂う脳腫瘍は、殊更に瑞々しく感じられた。
「今回も御自宅の研究室にお持ち帰りですか。やはりアリサ先生は、研究熱心でいらっしゃいますね。さすがは腫瘍摘出手術の若きホープですよ!」
「大学病院で保管出来る標本の数にも限界があるでしょ?自分が執刀した手術の腫瘍だけでも、保管したくてね。」
受け取った腫瘍を冷蔵ケースに仕舞いながら、私は比丘田先生に笑いかけた。
自宅地下に設けた研究室へ足を踏み入れた私は、思わず口元を緩めていた。
「これで右脳と左脳も集まったか…めぼしい臓器は大体揃えたわね。しかし、同じ血液型で揃えるのも骨が折れる事…」
棚にズラリと並んだ培養ケースの中に収められた臓器は全て、患者達から摘出した癌細胞や腫瘍だった。
胃癌、肺癌、肝臓癌…
今まで私が執刀医を務めた手術で、患者の許可を得て貰い受けた病巣達。
これらは単なる標本ではなく、今なお生命活動を続けている。
「後は皮膚癌や筋肉腫が揃えば、すぐにも執刀が出来る。骨肉腫だって、子供サイズの人間を組み上げられる位には集まっているんだから。生命維持能力を備えている、全身が癌細胞の人造人間…どんな出来映えになるのか、今から楽しみだわ。」
私の独り言に反応を示したかのように、腫瘍を収めている培養ケースの1つが、ゴボリと小さく音を立てた。
新たな命を吹き込まれる喜びか。
或いは、実験台として弄ばれる事への怒りか。
どちらの反応だったかは、この腫瘍に直接聞いてみる事にしよう。
切り裂き、縫合して、人型に仕立て上げてから。
「ウフフフ…アハハハハッ!アッハハハハハ!」
その時に得られるであろう愉悦を想像した私は、笑いが止まらなかった。