memento-08(117)
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山越えを開始してから1日半が経過した早朝。
山の岩肌から飛び出るように据わった灰色の巨石の上で、キリムは西の盆地を眺めていた。
盆地はサスタウン周辺よりも砂の割合が多い砂砂漠となっていて、その中心に町がぽつんと1つ存在している。町の端に湖がある事から、成り立ちはサスタウンと似たようなものだろう。
まだ山を下りきってはいないものの、西側は麓に近付くほどに草木が少なくなっていく。疲れ知らずの2人組は、登りよりもずいぶん楽に山を下っていた。
「あれがヨジコだね」
「そのようだ。あのような場所に工業都市を築かなくてもよかっただろうに」
「湖のすぐ近くに鉱脈や油田があるんだってさ。ノウイみたいにトロッコを町の外まで走らせなくていいし、一番いい環境なんだろうね」
「住むことを考えなければな。いくぞ」
ヨジコは海に面していない。ヨジコから西へと進み、海側にある低い山脈の麓に敷いた平坦な街道を、北へと通って港に出るのだ。
キリムは流石に砂漠の中の道なき道を、何時間もトボトボと歩く気はなかった。ステアと共にそのまま駆け抜け、西に1つしかない門へと回り込んでから町の中に入った。
「完全に東から人が来ることを想定してないよねこれ」
「東の門は何年も使っていなかったようだな。砂で塞がっていたぞ」
「昔はあった……つまり今はないってことだよね。もういいや、あの道は二度と通らない」
4、5メルテ程の頑丈な外壁は、所々砂丘に呑まれている。砂を掻きだす作業員達が、鋼管を組んだ足場の上で汗を流しながら復旧工事を行っている。
2人は砂漠の中のオアシスならサスタウンで十分堪能した。鉄や宝石の産出が多いとはいえ、エンキがいないため目利きも出来ず、そもそも買う必要が無い。
キリムは訪れる前こそ興味を持っていたが、今は町の塔から砂漠を眺める事くらいしかする事が見つからない。
「飽きた」
「店にも大したものは置いていないな。土産のようなものもない」
「なんか、この町ってする事がない」
ヨジコは鋼材や石油を淡々と輸出するだけの労働の町だ。わざわざ用もないのに肌や装備を強い日差しで焼こうと訪れる旅人はいない。
「大陸で唯一の造幣所がゴーンにあってさ。ヨジコやベンガがそこからのお金の流通量を決めていると言っても過言じゃないんだって」
「金の仕組みには詳しくないが、この町は確かに必要とされる商材が多そうだ」
「流通って言ってもどんどん増える訳じゃないけどね。豊かになれば使う量も増える……って、実は俺もリビィに話を聞いただけ。物でゴーンからお金を買って、ゴーンは手数料を受け取って……」
「もういい、そのくらいにしてくれ。さっぱり分からん」
「あ、やっぱり? 実は俺もサッパリ分かってなくて。リビィもよくは分からないけどって」
「何故それで金の仕組みを語ろうとしたんだ」
ステアは呆れた顔で鎧に着いた砂埃を払う。その話が正しいのか間違っているのか、キリムもステアも分からない。要するに聞いても話しても仕方がない。
昨年は3マーニで売れる牙を集めて喜んでいた少年が、1年の旅の途中に又聞きした程度で貨幣経済を語る事に無理がある。
キリムは「お金って便利だね」という台無しの結論で締めくくり、それ以上考える事を放棄した。
先述の通り、ヨジコは物価を左右できるような立場にいる。
観光や娯楽や名物料理で人を呼び込まなくとも金は入る。
資源はあり、オアシスでは自給自足もでき、観光客や余所者を受け入れる気もない。
おまけに砂漠の環境は厳しく、魔物も他所と似たり寄ったりで新鮮味に欠ける上、商人の護衛以外で魔物討伐が必要とされていない。クエリも乏しく旅人の居場所がない。
一言で表現するなら「つまらない町」なのだ。
おまけに今日は運悪く砂嵐の襲来まで重なり、キリムは完全に気持ちが萎えていた。
「俺が一度来たのだから、また来たければいつでも言え」
「……」
キリムは簡単に町の中をぐるりと回り、単なる護衛受付所と化した旅客協会で来訪記帳をする事もなく、落胆したようにヨジコを後にした。
「期待外れだった」
「そんな時もある」
「まあ、ミスティも他所の事言えないんだけどね」
ヨジコを出て東の山麓に出ると、キリムとステアは駆け足で街道を北へと進んでいく。
日中は過酷だからか、歩く者も見当たらない。だが休憩を挟んで3時間ほど風を切って走っていると、前方に大きな荷物を積んだ乗り物が見えた。
鉄製の車体、駆動する車輪。時折立ち昇る煙は汽車のように見えるが、線路がない。
「あれ、なんだろう」
「線路はない、ただの汽車ではないな」
「道の上を汽車が走ってる? どういうこと?」
「知らん」
キリムとステアが追いつくと、それは確かに人の全力疾走ほどの速度で走る乗り物だった。ゴムを巻いた太い鋼鉄の車輪をつけ、4つの鋼鉄製の荷車を牽引している。
機関車に似ているが随分小さく、水を入れるようなタンクは積んでいるものの、石炭を積んでいない。
道が砂に埋もれたなら車輪が動かない。そのため道を常に露出させておく必要がある。先頭と最後尾には大きなブラシが付いていて、砂を掻きだすように道を均している。
中を覗き見ると男が1人、船のように丸い輪になった舵を操っていた。運転する車両は扉や窓が付いていて、必死に手を振るキリムに気付いて窓を開けてくれた。
騒音の中、キリムはその若い男の運転手へと大きな声で話しかける。
「すみません! これ、何ですか!」
「ん? ああ、旅人か! 機械駆動車さ! 他所では珍しいんだってね!」
「きかいク……?」
「線路がいらない乗り物さ! 石油を精製して、石炭の代わりに燃やすことで……」
運転手は苦笑いすると、キリムとステアに手招きし、操舵室に乗せてくれた。説明しているとキリムとステアの顔が困ったように固まって、理解できていないと分かったからだ。
キリムの足なら走った方が早いのだが、キリムは初めて見る乗り物に興味津々だ。視線が高く、進行方向の先までよく見える。計器や機械に囲まれた操縦室はどれだけ見ていても飽きない。
キリムはタービンを回す仕組み、馬で引く力に換算した場合の力強さ、今運んでいる石油や物資の総重量……そんな運転手の説明に、分かりもしないでうんうんと頷く。
後ろの小さな客室には護衛のパーティーが1組いるのだという。昼間は暑すぎて魔物も殆ど出ないと言うが、念のためという事だ。
「しかしこの機械駆動車に追いつくとは、なかなか凄いね」
「あ、えっと……はい。どうしても近づきたくて必死に走りました」
疲れたフリをしながらニッコリ笑い、キリムはガタガタと揺れる機械駆動車からの眺めを楽しむ。ヨジコには同じような機械駆動車が全部で3台あり、港と町を往復するのだという。
乾いた大地は休む場所がなく、おまけに夏場なら1日で30度以上の気温差がある。砂漠の土地では過酷過ぎて、馬などの生き物を利用した移動手段が使えない。汽車の線路も砂に埋まってしまう。
そこで考え出されたのが、豊富な水で動力を冷やしつつ石油を燃料として動く、機械駆動車だ。
「馬には過酷な環境で、何より積み荷が重すぎる。線路は砂に埋まる。それでこんな乗り物を作ったのか」
「ああ、そうさ。君たちは何故ヨジコに? 護衛にも見えないし買い付けにも見えない。何も楽しい事なんかないだろうに」
「どんな場所なのか気になって。確かに楽しめた訳ではないですけど、機械駆動車に乗れただけでも、来た甲斐がありました」
それは良かったと笑う運転手の勧めで、キリムとステアは特別に港まで乗せて貰える事になった。
それから5時間ほど経ち、機械駆動車の音に混じって、はるか遠くから船の汽笛が聞こえてきた。砂が風に乗って舞う中、低く響く汽笛が聞こえるのは不思議な感覚だ。
「もうすぐ港だよ」
運転手の声でキリムが視線を前方に移す。案内から数分もすると、少し左手に曲がる街道の右斜め前方、北の砂丘の合間から海が見えた。