2話
リビングに降りていくと、誰かが動いている物音が聞こえた。ドアを少し開けて様子を窺ってみると、母親がせわしなく朝の支度をしていた。
「あら、おはよう。今日は早いわね。ママはまだ準備できていないのよ?」
食器を台所に運ぶ途中で横目に時計を見て不満げに言った。
終わってないから、なんなのというのだろうか。何故そんな不満げなことを言われるのか。
「別に。目が覚めただけ」
エリはキッチンで食パンを取り出し、牛乳をコップについでテーブルに座った。
キッチンに食器を運んだ母親は鏡の前に移動し化粧を始めた。母親の化粧が年々濃くなっていることにエリは気が付いていた。
「なによ別にって。布団寒いの? 温かくしないと風邪ひくんだからね。追加の布団だそうか」
母親は鏡から顔を離し、愛理のほうに向きなおった。
「いらない。普通に目が覚めただけ」
エリは焼いていないそのままの食パンにかじりついた。
最悪だ。もう少し遅くに起きれば良かった。
愛理は昔から、家族が誰もいない状態の家が好きだった。全てのものが動かない、空気が止まった家。一切の音がしない静まり返った部屋。壁掛けの時計だけが遠慮がちに秒針を鳴らす。誰になにを言われることもない。自由を感じることができた。反対に、家族が家に居る時はできるだけ自分の部屋で過ごした。
自室に引きこもり、自由になれる時を待って時間をつぶすことが多かった。
「夜はまだ冷えるんだから。油断しちゃダメよ。わかってるの?」
「わかってるよ。ほんとに目が覚めただけ」わざと目を合わせないようにした。
「なんにも我慢する必要なんてないのよ。あなた風邪ひきやすいんだから」
化粧を終えた母親、はブラウスにパンツという服装に着替えた。数年前から何度も見ているブラウスだ。そのブラウスも年々突っ張ってきている事にもエリは見逃さず、自分は、こういうふうにはなりたくないなと、密かに誓いを立てていた。
「わかってるよ、大丈夫」エリは不機嫌そうに眉をひそめた
「なあに、その顔。心配してあげてるのに」身支度を終えた母親はバックのなかを漁っている。
違うって言ってるじゃない。なんでこの家族は人の話聞いてないんだろう。
食べているパンと牛乳をそのまま戻しそうな不快感に襲われた。
エリは昔から家族が苦手だった。エリにとって他人とは、精神を逆なでしてくる存在に他ならなかった。たとえそれが家族であってもだ。
今もまさにその時だ。朝少し早く目が覚めただけで何故不満げなことを言われなくてはいけないのだろうか。
愛理の家族は父親、母親、兄の四人家族だ。兄は大学進学を機に実家を出て一人暮らしを始めた。現在家には愛理と両親の三人が住んでいる。大きな問題は何もない家庭だったが、だからと言って仲良し家族とは言い難かった。