第八話 かつて魔王と呼ばれていた従業員
クリスティーナと別れ、フィリップとイザベラが村へ戻ってから数日。メシ屋はいつものようにたくさんの客で賑わっていた。
フィリップたちがドラゴンの肉を大量に仕入れた、という情報は既にしっかりと伝わっている。しかし現在は地下倉庫で熟成させているため、出しているメニューの中に、ドラゴンの肉を使用した料理はなかった。
それでも常連客――特に法皇、アレックス、ヴェルマンダの三人は、ここ毎日のようにメシ屋に通っていた。いつドラゴンの肉が出てきても良いようにスタンバイしているのだ。
それだけドラゴンの肉を楽しみにしているということであり、絶対にチャンスを逃すまいと、その意気込みは凄まじいの一言であった。
フィリップも常連客には優先させようかと、ほんの一瞬だけ考えてはみたが、流石にそれは贔屓が過ぎるかと思い、予約なしの早い者勝ちという当初のルールでいくことに決めた。
もっとも、予想以上にたくさん仕入れることに成功しているため、特定の部位にこだわらなければ、多少来店が遅くなっても料理を逃すことはないだろう。
そうフィリップが告げると、メシ屋の中を更なる歓声が賑わせるのだった。
「じゃあな、マスター、女将さん。ドラゴンの肉、楽しみにしているぜ」
「はいよ。またよろしくな」
「お気をつけてお帰りくださいね」
ビールと串焼きをたっぷりと堪能したヴェルマンダが、赤くなった上機嫌な表情でメシ屋を後にする。残っている客は法皇だけとなっていた。
「ようやく静かになったな。こーゆー雰囲気もまた良いもんだわい」
法皇がお猪口を片手にしみじみと語る。
「これも平和の証か……つかの間に過ぎないことを願いたいがな」
どこか思わせぶりに言う法皇に対し、イザベラが呆れたようなため息をつく。
「法皇様。お願いですからそんなこと言わないでくださいよ」
「いや、スマンスマン。実は最近、大聖堂で妙なウワサを聞いたもんでの」
笑った直後、法皇は真剣な声色に切り替える。同時にフィリップとイザベラの動きもピタッと止まり、法皇の視線がイザベラに定められる。
「お前さんたちも察しておるかもしれんが、王都で何かが動き出そうとしておる。王様とレイモンド王子が中心となっておるらしいが……はてさて、アヤツらは何をしでかそうとしていることやら……」
「……イザベラがここにいるって、嗅ぎつけられたんですかね?」
「さぁな。いずれにしても、用心に越したことはないだろう」
法皇がお猪口の中身をグイッと飲み干したその時――
「その話なら、ボクもチラッと聞いたよ」
若い男性の声とともに、ガラガラと引き戸が開かれた。姿を見せたのは、クラウンの大き目な帽子を被った若い青年であった。
「やぁ、ただいま」
「ビュー! 戻ってきたのか!」
フィリップが嬉しそうに青年の名を呼ぶと、ビューも笑みを返しつつ、大量の手提げ袋を持って入ってきた。そしてテーブルにドサッと荷物をまとめて置き、帽子を脱いで椅子に座る。
二本の角を生やした長めの銀髪を、ビューはガシガシと掻きむしった。それを見た法皇が、驚いたような表情を浮かべる。
「ホッホッホ、また随分とアッサリ帽子を脱いだモノだな」
「別にいいでしょ? もう閉店間際でお客さん来ないっぽいし、ボクが魔族だってこと知ってる人しかいないし」
「まぁ、確かに言えてるな」
ビューの言葉にフィリップが苦笑する。
頭に角を生やしているのが、魔界で生まれた人間とは別の種族――通称、魔族の証なのだった。
基本的にビューは帽子を被ることで角を隠している。角さえ隠せば外見は人間と全然変わらないため、魔族だとバレる確率が低くなるためだ。
ちなみに、魔族が人間界で暮らしてはいけない、という法律は全く存在しない。しかしながら世の中では、魔族は魔界で、人間は人間界で暮らすというのが、殆ど暗黙の常識と化している。
住みやすい環境とか色々とあるらしいのだが、実際のところ、明確な理由を持たずにそうしている者が殆どだったりする。
他の皆がそうしているから自分も――というヤツだ。
とはいえ、全ての人間や魔族がそうしているワケでもない。様々な事情で魔界に隠れ住む人間もいるし、その逆もまた然りだ。つまりビューもその一人ということだと考えれば、特に問題はないのである。
では、どうしてビューが帽子を被るという変装をしているのか。それは勇者が魔王を討伐した出来事に直結する。
人間である勇者が魔族の頂点にいる魔王を討ち取った。その事実は人間と魔族の関係に大きな壁を作ってしまったのだ。
しかしこれもまた、人それぞれ解釈が違う。気にしなければいいという者も存外たくさんいる。というより、殆どの者がそうだといっても過言ではない。
ならばどうして大きな壁が出来てしまったのかというと――
「全く面倒な話だの。レイモンド王子が魔王討伐を言い訳に、人間界と魔界をバッサリと切り分けるような宣言をしおったせいで……」
法皇の言うとおりだったりする。折角勇者が魔王を倒したというのに、人間界に魔族がいるというのは絶対におかしいことだと、レイモンドが言い放ったのだ。
しかしレイモンドも王様も、あくまで人間界と魔界を自由に行き来できないようにしただけで、それ以外は特に何か手を施すことはしなかった。
いや、できなかったと言ったほうが正しいかもしれない。
イザベラが王都から姿を消したおかげで、そちらの対応をするので精いっぱいだったという見方が濃厚であった。
レイモンドが宣言した時点では、まだ人間界に残っている魔族もそれなりにたくさんいた。イザベラの行動が魔族を救ったと言えなくもない。
少なくともそう思っている魔族もたくさんいることは確かなのだが、イザベラ本人は全く自覚していないことなのだった。
「お帰りなさい、ビュー。久しぶりの里帰りはどうだった?」
そこにイザベラがお盆に熱いお茶を乗せて歩いてくる。
「うん。皆も元気だったよ。あ、これお土産ね」
ビューがテーブルの上に置いた手提げ袋を指さした。早速フィリップとイザベラが中を見てみると、それは全て魔界の銘菓だった。
包装紙にもしっかりと品名が記されており、どれがどれかは一目瞭然であった。しかしフィリップは、そのネーミングに疑問を抱かずにはいられなかった。
「魔界ラスク、魔界カンパネラ、魔界グランマカロン……なんでも魔界を付けりゃいいってもんじゃないだろ……」
「人間界だって似たようなモノじゃん。何かにつけて勇者勇者ってさ。現に魔界でも勇者の名前が付いたお菓子とか、たくさん売り出してたよ?」
「マジ? なんかメッチャ恥ずかしいんだけど……」
ビューの愚痴に近い話に、イザベラは顔を赤くしながら頭を抱え出す。
フィリップが苦笑しながらお菓子の箱をテーブルに戻し、改めて周囲を見渡しながら呟くように言う。
「折角だし、このまま閉店して、ビューのお帰りなさいパーティでもするか?」
「おぉ、それは名案だな。早く始めようぞ!」
フィリップの提案に、法皇が真っ先に笑顔で、賛成の意思表示をする。それに対してイザベラは、呆れた表情を浮かべた。
「法皇様? 私の記憶が確かなら、明日の朝早くに、大聖堂へお帰りになられるとお聞きしましたが?」
「別に構わんよ。少しくらい遅くなったところで、どうということはないわい」
「……前にもそれで側近の方にどやされたって言ってませんでしたっけ?」
しれっと言い切る法皇に、イザベラは頭を抱える。既に熱燗を飲み終え、自らプチパーティーの準備を手伝い始めていた。
もはや何を言っても聞かないだろうということは明白。そう思いながらフィリップは棚から酒瓶を出し、それをテーブルに運んだ。
「まぁ、良いんじゃないか? 法皇様の自己責任ってことでよ」
「そうこなくてはな。話の分かるマスターで嬉しいぞい」
法皇はグラスを運びながら、弾むような声を出す。それを聞いたビューは、思わず笑ってしまっていた。
「ははっ。相変わらずのメシ屋で安心したよ」
「……ある意味、良い得て妙かもね」
どこか諦めたかのように、イザベラも苦笑しながら準備を手伝い始めた。
◇ ◇ ◇
プチパーティーという名の酒盛りは、深夜になっても終わることはなかった。
良いところでお開きにしようと言い出すと、法皇がそれを制し、再び新たな乾杯が行われる。それが幾度となく繰り返してきたところで、法皇はすっかり真っ赤となった顔をテーブルにくっつけ、焼酎が注がれたグラスを揺らしている。
こぼれそうでこぼれない。その絶妙な揺らし方に、イザベラもビューも思わず感心してしまうほどだった。
ちなみにフィリップはツマミ作り担当ということで、全く飲まずに厨房とテーブルを行ったり来たりしている。故に酔いは全く来ていない。
結局、店を開いているときと殆ど変わらない状況ではあったが、案外これはこれで悪くないかと、フィリップは思うのだった。
「はいよ、おまっとさん!」
フィリップが塩と胡椒で味付けした煎り豆を持ってきたところで、法皇がグラスを揺らすのを止め、呟くように話を切り出した。
「それにしても分からんもんだのー」
法皇の視線はビューに向けられていた。
「かつて魔王と呼ばれておったお前さんが、こうして顔と名前を変え、このメシ屋の従業員をしておるとはな」
飲み物の入ったグラスを手に取ろうとしたビューの手が止まる。そして小さな息を吐きながら苦笑した。
「そうですね。ボク自身、未だに不思議でなりませんよ。かつて魔界の城で、魔王ゼビュラスを名乗っていたことも含めてね」
ビューは天井を見上げながら、これまでの人生を軽く振り返ってみた。
「魔界の王族に生まれ、物心つく前から英才教育を受けていて、父上が病気で亡くなられて、ボクがトップの座に就く羽目になった。それでもなんとかやっていこうと色々頑張っていた矢先に、なんか知らないけど人間界の王様が、やたら僕を目の敵にしてきたんだよね」
段々とイザベラの表情に気まずさが浮き出てくるが、ビューはそれに気づくことなく話を進める。
「魔王って要は魔界の王様ってだけの話なのに、勝手に悪者だと決めつけて、世界征服なんざ絶対に許さないぞ、みたいな正義感を振りかざすとか……本当にうっとおしかったよ。そんなこと一度も企んだことないのに……」
「そういやなんか、前にも言ってたよな」
「うん。ちょうど僕が、フィリップと出会ったばかりの頃だったかな?」
「そーそー。なんか妙に気が合ったと思いきや、急にメシ食いながら愚痴り出したんだよな。あの時の荒れっぷりは凄かった」
「あはは……お恥ずかしい限りで」
段々と愚痴になって来たかと思いきや、気がついたら単なる思い出話に花を咲かせているビューとフィリップ。それをずっと隣で聞いていたイザベラは、自然と身が縮こまっていた。
「な、なんかスミマセン……」
「別にイザベラさんが謝ることはないと思うけど?」
「でもねぇ……私も何も知ろうとせずに、ビューを倒そうとしていたから……」
事実イザベラは、王様やレイモンドの言っていること――すなわち、魔界に住む魔王は悪いヤツだという意味の言葉を、それこそ王都で修業していた時から信じてきていた。
ビューことゼビュラスが、単なる魔界の王様でしかないことを知ったのも、本当に最終決戦の少し手前ぐらいだったりする。
それまで知る由もなかった以前に、自ら疑問視すらしてこなかった。
本当にただ王様の言うこと聞いていただけだったんだと、改めて自分に対して情けなく、恥ずかしくなってくるイザベラであった。
そんな様子を察したのか、ジョーとフィリップが数秒ほど顔を見合わせ、そして笑みを浮かべて告げる。
「確かにそうかもしれないけど、僕が魔王城から脱出できたのは、イザベラさんも一枚噛んでくれたからだよ。じゃなかったら、今頃こうしてここにはいないよ」
「そうだな。俺もビューの言うとおりだと思うぞ」
どちらも慰めていることは確かだったが、正直な意見でもあった。これ以上この話を続けても仕方がないと思ったフィリップは、一つの疑問を思い出し、話の切り替えがてらビューに問いかけてみる。
「ところで話は変わるけど、魔王城の跡地はどうだったんだ?」
「ん? あぁ、今はまだ瓦礫の山状態だったよ。いずれ復旧はするつもりだけど、すぐには無理だろうね」
手のひらを上にさせ、ビューはやれやれのポーズを作る。
「本当は今すぐにでも後片付けして、巨大な自然公園にでもしたいところなんだ。けどここで下手に動いたら、またあの人間界の王様が、ムダに目を付けてくるかもしれない。ひとまず今は手付かずにして、落ち着くのを待つことにしたんだ」
「うん。確かにそれが得策かもしれないな」
フィリップが頷いたところで、今度はずっと黙っていた法皇が口を開く。
「それにしてもビューよ。お前さんよく魔界へ入れたな。今は確か、魔界へ行く船はないハズだろう?」
「元配下たちが協力してくれましたから。おかげさまで苦労せずに済みましたよ」
ビューが苦笑気味に答えると、法皇も納得するかのように頷いた。
倒されたハズの魔王がこうして生きているのだから、その配下も無事なのは、何ら不思議な話ではない。
そう思いながら法皇は焼酎を飲み、そして言った。
「まぁ、ワシとしては、勇者たちが魔王の城に攻め入る……その展開自体に驚かされたのだがな」
「それについてはボクも同感です。そもそも城のある大魔界都市は、外部からは簡単に入れないような仕組みになってますからね」
ビューの言う大魔界都市とは、魔界大陸の中心部に位置する文字通りの大都市。魔王の城もそこにあるのだ。
大魔界都市には、特殊な魔法による結界が全域に張られており、入るためには特定の条件を満たさなければならない。その方法は一つだけではないが、いずれにしても外部から来た勇者たちが簡単に満たせるほど、決して甘いモノではない。
これは世界中で知られていることであり、魔法を扱う者の間では、常識問題に等しいとすら言われている。
大魔界都市の結界は、特殊な魔法の代名詞であると。
しかしそれを、勇者たちは突破してしまった。これには世界中が驚かされた。勿論この場にいる法皇も例外ではない。
勇者たちはどうやって結界を突破したのか。法皇なりに色々と調べてはみたが、後に発表されたレイモンドの言葉以外、詳細内容が一切出てこなかった。
全ては仲間たちとともに、全力を尽くした結果ですと、自慢げに何度も何度も同じようなことしか言っておらず、結果的に何をどうしたのかがさっぱり分からないという始末であった。
(そういえば……ちょうどここには、当事者たちが揃っておるのだったな)
今更ながら法皇は気づいた。元勇者の女将と、元魔王の従業員。そしてそれを取りまとめている店主。なかなかにレアな構図ではないか。
折角なので、ここでその時のことを聞いてみようと、法皇は思った。
「もし良ければだが……あの決戦の裏には何があったのか、それをワシに一つ教えてはくれんかね? 勿論これは、ここだけの話にしておくと約束しようぞ」
法皇に視線を向けられた三人の中で、真っ先に口を開いたのはビューだった。
「うーん、じゃあ話そうか」
「俺は良いけど?」
「私もー」
「じゃあ話すってことで」
アッサリ承諾したビューに、法皇は思わず目を見開いた。
「構わんのか? てっきり何かしら言い淀むかと思っておったが……」
「もう全部終わっちゃった話ですからね。それに法皇様なら信用できるし、ここで話して味方を作るのも良いかなって」
そう言いながらビューが二人に視線を向けると、フィリップもイザベラも、笑顔でコクリと頷いた。
それを見た法皇は数秒ほど呆け、そして姿勢を正して頭を下げる。
「教えてくれることを感謝する。では、頼む」
「分かりました」
ビューが頷き、数ヶ月前に起きた魔界での出来事を語り始めるのだった。