第七話 港町でのひととき
日が完全に沈む少し前、フィリップたちは無事、港町に到着した。
街灯の光に照らされるその町は、たくさんの人で賑わっている。ちょうど定期船が港に来ており、異国の物資を手に入れるチャンスとのこと。町の人々はもちろんのこと、冒険者や商人たちも、一目だけでも見ようと動き回っているのだった。
港だけではない。定期船来航の影響により、あちこちの道端で露店を開いている商人などもたくさんいた。わざわざ屋外用のカンテラなどを用意し、夜になっても売り出せる準備をガッツリ整えてきている者も少なくない。
それだけ売る側にとっては、一秒でも長く居座り、一つでも多く売ろうとしている気合いが込められているということだ。そしてそれは、買う側にとっても似たようなモノであった。
一つでも多くの店を回り、一つでも多くの上質な品物を安く手に入れる。その執念に凄まじいモノを感じながら、フィリップたちは町中を歩いていた。
人混みをかき分け、ようやく冒険者ギルドに辿り着いた。
木製の大きな扉をゆっくり開けると、中は町の外以上に明るく賑やかだった。仕事を終えた冒険者たちが酒盛りをしており、ある場所ではクエストで手に入れたであろう報酬金をどう分けるかでモメている姿もあった。
そんな中フィリップたちは、受付のカウンターを目指して歩いていく。ちょうど先客の冒険者パーティが、クエストの清算をしようとしているところであった。
「クエスト完了の報告ですね。ではうけたまわ……」
冒険者のリーダーからクエストの用紙と提出素材を受け取ろうとした瞬間、受付嬢は後ろから歩いてくるフィリップたちに気づいた。
ピタッと動きが止まり、一体どうしたんだと冒険者たちも首を傾げる。
すると――
「勇者様っ!!」
ギルド内に、その受付嬢の声が響き渡る。受付嬢はイザベラの手をしっかりと握っていた。
周囲はシンと静まり返っていた。流石のフィリップたちも目を見開いていた。
なにより驚いているのは、受付をしていた冒険者たちである。
確かに一瞬前まで、受付嬢は目の前のカウンターの中にいたハズだ。わずか一秒足らずでカウンターの外へ飛び出してしまった。
傍から見れば普通に瞬間移動だが、果たしてそんなスキルはあっただろうか。実は名の知れた冒険者だったということなのだろうか。それともこれこそが、受付嬢だけが持つ特殊なスキルなのか。
そんな考えが、一瞬で受付をすっぽかされた冒険者たちの頭の中を駆け巡る。
一方フィリップは、いきなり過ぎる出来事に呆然としていた。
「な、何事?」
とりあえずそう問いかけてみるが、それに反応する声はなかった。受付嬢は熱を帯びた視線で見上げながら、両手でイザベラの右手を包み込む。
「勇者様、このアイラ、お会いできて光栄です! 私、ずっとずっと勇者様の大ファンだったんです! 今日はどのようなご用件でしょうか? 遠慮なさらずに担当の私にお申し付けくださいませ。なんなら一生における担当でも……キャッ♪」
赤く染まった頬に両手を当てながら、受付嬢ことアイラが嬉しそうにヤンヤンと言いながら、首を左右に振る。
当然、周囲の者たちは、この子いきなりどうしたんだろうとしか思えない。
それはイザベラとて同じであり、とりあえずここに来た目的をアイラに話してみることに決めた。
「え、えっと……素材を売りたいんだけど……」
「売却でございますね! それならばどうぞこちらへ……ちょっとアナタ!」
振り返ったアイラの視界にフィリップが飛び込んできた瞬間、彼女の表情が笑顔から一転、汚物を見るような歪んだそれに切り替わった。
「そんなところにボーッと突っ立って何をしてるんですか? 勇者様御一行がお通りになるんですから、早くどいてくださいよ。全く、勇者様の凛々しいお姿に見惚れるのは大いにわかりますけど、邪魔になるかならないかぐらいの判別は付けてくださいよね!」
さっきの高い猫なで声はどこへ行ったやら。今のアイラは低い声で、なおかつ敵意剥き出しの視線をフィリップに対してぶつけていた。
「大体アナタのような平凡にも程があるヤサ男が、高貴で輝かしい勇者様たちを傍で見ようだなんて、それこそ百万年早いってもんですよ! 世の中には立場の違いというモノがあるってことぐらい、頭の悪そうなアナタでも理解できないワケではないでしょう? ほら、今日のところは特別に見逃してあげますから、さっさとこのギルドから出て行ってくださいな! シッシッ!!」
目を細めて睨みつけ、手のひらを前後に振りながら追い払おうとするアイラに、フィリップはただ苦笑を浮かべるばかりであった。
別に怒るほどのモノではない。ただ反応に困っているだけだ。あまりにも凄い気迫からして、ちゃんと話が聞けるほどの冷静さがあるとは思えない。
それ以前にこのアイラという受付嬢は、自分の言葉など、最初からまともに受け止める気もないだろうと、フィリップは思っていた。
だからと言って、ここで大人しく引き下がるのもどうかとは思った。別に自分は何も悪いことをしていないのだからと。
その時だった。
「それぐらいにしておけ、アイラよ……」
ギルドの奥からいつの間にか姿を見せていた老人が、杖を突きながらゆっくりと歩いてくる。このギルドを長を務めているギルドマスターであった。
放たれた口調はとても重々しく、表情はとても厳しい。少なくとも怒っていることは明白であったが、アイラは全く気づいておらず、ギルドマスターの姿を見て味方が増えたと言わんばかりに、パァッと明るい笑みを浮かべた。
「ちょうどよかった。ギルマスからも言ってやってくださいな。この見るからにロクデナシで往生際の悪いヤサ男に、身の程を知れ……と……」
ずずいと怖い表情で近づいてくるギルドマスターを見て、ようやくアイラもただならぬ雰囲気を悟った。
よく分からないがこのままではマズイ。雷が落とされる前になんとかしなければと思ったが、時はすでに遅し――
「この……バカモノがぁっ!!」
「ひぃんっ!?」
雷は見事に落とされてしまい、アイラは縮こまる。しかしギルドマスターの叱責は終わらなかった。
「お前は冒険者を出迎える立場を何だと思っておるのだ!? 常に中立の立場を貫き通せと言っておるだろう! どうやらその意味が分かっておらんようだな!」
「で、ですが! 私は勇者様の大ファンでして――」
「そんな言い訳は聞きとうないわ!!」
「ひぃんっ!」
再び縮こまるアイラの横をギルドマスターが通過し、フィリップに向かって深々と頭を下げた。
「申し訳ないフィリップ殿。以前、そなたに助けてもらった恩を、仇で返すようなことをしてしもうた」
「あぁいや、別に被害があったワケじゃないからさ。気にしなくていいよ」
苦笑するフィリップだったが、実のところギルドマスターの言葉の意味も理解していなかった。
助けてもらったというのはどういうことなのか。確かにこの町は初めてではないのだが、そんなに大きな出来事があったという記憶もない。
そんな感じでワケが分からないまま、フィリップはギルドマスターから頭を下げられるのだった。
「……その広い心遣い、本当に感謝する。この小娘には、ワシからよく言って聞かせておくゆえ……」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
そこに再び、アイラが強気な表情で口を挟んできた。
「ギ、ギルマスはそこのヤサ男と、一体どういうご関係なのですか? とても凄い立場や力を持っているようには思えませんが……」
それはアイラにとって、純粋なる疑問のつもりだった。しかしそれは、更にギルドマスターの怒りを買うこととなってしまった。
プルプルと拳を震わせながら、ギルドマスターはアイラに言う。
「お前というヤツは……まさか覚えておらんのか?」
「え? なんかありましたっけ?」
考える素振りすら見せず、アイラはあっけらかんとした表情で答える。
次の瞬間――
「こ……の、大バカモノがああぁぁーーっ!!」
「ひぃっ!」
再び大きな雷が、アイラに思いっきり落とされてしまうのだった。
「お前はどこまで恩を仇で返せば気が済むというのだ!? 数年前にこの青年から助けてもらったことを忘れたか!! ここで乱暴な冒険者にチョッカイをかけられてただろう!?」
「……あ、そういえば……」
アイラが思い出したかのような反応を見せ、段々と表情が青ざめてくる。
(あー、なんかあったっけな、そんなこと……)
同時にフィリップも、数年前の出来事をなんとなくながら思い出した。
たまたまこのギルドに立ち寄った際、一人の荒くれ冒険者がアイラを口説こうと迫っていたのだ。
冒険者が受付嬢を口説こうとする姿は別に珍しくない。受付嬢というのは、美人でスタイル抜群という傾向が非常に高いのだ。実際フィリップもそれまでに何度か見たことがあったため、その時も別に驚くことはなかった。
下手に介入するのも面倒なことになるだけだと思い、そのまま素通りしてしまうことにした。幸い騒ぎはカウンターから離れた位置で行われており、用事を済ませるには問題ないだろうと思ったのだ。
そしてフィリップが何食わぬ顔で後ろを通過しようとした際、たまたまアイラを口説こうとしている荒くれ冒険者の肩とぶつかった。
『っ……ってぇな! オレ様のジャマをするんじゃねぇってんだよ!!』
完全なる言いがかりとともに、荒くれ冒険者はフィリップに殴り掛かる。しかしフィリップは放たれた拳を難なく躱し、その勢いを利用して、そのまま相手の腕を掴んで投げ飛ばす。
見事な一本背負いが決まり、荒くれ冒険者は倒れ、白目をむいて気絶してしまうのだった。
そしてフィリップは何事もなかったかのように、空いている受付に向かった。
『商隊のアレックスさんから、伝言を頼まれてきたんだけど……』
『あ、は、はいっ! すぐに承りますっ!』
そしてすぐにフィリップはギルドの奥へ向かい、ギルドマスターと一言二言話したのち、そのまま別の出口へ案内された。
まだロビーは荒くれ冒険者の後始末に追われている関係で、下手に当事者が顔を出せば騒ぎになる。そうギルドマスターは配慮してくれたのだった。すぐに次の用事が待っていたフィリップにとって、とてもありがたいことこの上なかった。
結局そのままアイラともまともに会話をせずにギルドを後にしており、そのままその時の出来事はすっかり忘れ去ってしまったのである。
(我ながら見事に覚えてなかったもんだな……商隊のゴタつきで忙しかったってのもあるけど……)
数年前の慌ただしさを懐かしんでいたその時、イザベラが動き出した。
「ねぇ、アイラさん? ちなみに言わせてもらうけど……」
イザベラは腰を抜かしているアイラに近づき、そのまま顔を近づける。その目は全く笑っておらず、アイラの表情はみるみる恐怖に包まれていった。
そして――
「この人、私の愛する旦那様だから。しっかりと覚えておいてね♪」
イザベラはニッコリと笑いながら言った。アイラにだけ聞こえるほどの小声で。その瞬間、アイラの青ざめた顔が真っ白と化し、そのまま素早く土下座をする。
「すみませんっでしたあああぁぁーーーっ!!」
「あー、別にいいよ。そんなことよりも、素材を売らせてもらえないか?」
そう言ってフィリップは、イザベラが持つ腕輪型マジックボックスを指さす。そしてイザベラも、マジックボックスを掲げながら笑みを浮かべた。
しかしアイラはまだ土下座したままであり、それを見たギルドマスターが呆れ果てた表情でため息をついた。
「いつまで土下座をしておる? さっさと客人を案内せんかい」
「はいぃーーっ! こ、こちらへどうぞおぉぉーーっ!!」
アイラが飛び起き、大げさな身振り手振りとともに、フィリップたちを案内しようとする。さっきのような雷を落とされたくない、その一心でのことだった。
そんなアイラの様子に戸惑いながらも、フィリップたちはドラゴンの素材の売却を無事に済ませ、大量の金を獲得することに成功したのだった。
ちなみにアイラはお仕置きとして、ギルドマスターからたくさんの残業を押し付けられたらしいが、そんなことはフィリップたちの知るところではなかった。
◇ ◇ ◇
「あー、食った食った。結構美味かったな」
「ギルドマスターが薦めてくれただけのことはあったね」
素材を売却して懐が暖かくなったフィリップたちは、ギルドから裏路地に入ったところにある、こじんまりとしたレストランで食事を楽しんだ。
俗にいう隠れ家的な名店であり、ギルドマスターもよく利用しているらしい。
店のマスターもフィリップのメシ屋のことを知っており、今度そちらにお邪魔しますと笑顔で言ってきた。フィリップとしても、料理屋のツテが増えるのは大歓迎であったため、快く賛成したのだった。
「さてと……俺とイザベラはこの町で一泊するけど、確かクリスティーナは、この後すぐに船で帰るんだったっけ?」
「あぁ。ちょうど夜行便が出るらしいからな。折角だから、もうそれに乗ってしまおうと思ったんだ」
フィリップの問いかけに、クリスティーナが頷く。ギルドで夜行便の情報を得たときに、彼女は既に決めていたのだった。
早く王都へ帰らなければという気持ちも確かにあったが、これ以上フィリップたちと一緒にいると、居心地の良さがクセになってしまうと思ったのだ。
最初、メシ屋に乗り込んできたときとは大違いだと、クリスティーナは自分に対して驚いていた。こんなにも気持ちがガラリと変わってしまうモノなのかと。
本当のことを言えば、もっと二人と一緒にいたいところだが、それはやめておくつもりでいた。
これまでの自分を反省して見つめ直し、もう一度最初から鍛え直す。そのためにクリスティーナは、遠い異国の地へ旅に出ることを、密かに決意していた。
それをするためにも、まずは王都へ戻り、王やレイモンドに報告を済ませなければならない。
改めてフィリップたちにも、ちゃんとそのことを告げるのだった。
「王やレイモンドには、お前たちのことは伏せておく。だから安心してくれ」
幸いにもメシ屋のある村というのは、王都からかなり距離がある。自分が黙っていればそう簡単に見つからないだろうと、クリスティーナは予測していた。
そんな彼女に感謝しつつも、二人はある予感を抱いていた。
「黙っててくれるのはありがたいけど……いつかはバレそうな気がするんだよな」
「確かにね。まぁ、それならそれで、こっちも受けて立つつもりだけど」
「だな」
強い笑顔を見せるイザベラに、フィリップもしっかりと頷いた。
そんな二人の姿にクリスティーナは思った。本当にこの夫婦は強い。どんな困難すらも乗り越えてしまうだろうと。
もはやイザベラは、勇者をしていたときよりも遥かに強い。それも全ては、旦那であるフィリップのおかげなのだろうと、そう思えてならなかった。
その一方でクリスティーナは、危惧していることもあった。
(フィリップ殿の言うことも一理ある。レイモンドあたりがどこからか情報を嗅ぎつけている可能性も、あり得るかもしれないな)
少なくとも彼女が見た限りでは、二人が経営しているメシ屋は、それこそ隠れ名店の部類に入っているといっても過言ではない。それだけ客に愛されており、繁盛しているということだ。
だがそれは言い換えれば、ウワサ話として広まることが避けられない、ということでもある。そう考えてみればこの数ヶ月、王やレイモンドに全く気づかれなかったというほうが、むしろ奇跡だったのではないだろうか。
やはりそろそろバレていると見て然るべきかと、クリスティーナは思った。
(とにかく急いで王都へ戻ったほうが良さそうだな……嫌な予感がする)
クリスティーナはそう思いながら、ゆっくりと立ち上がった。
「済まないが、そろそろ船が出発する時間だ」
「ん? もうそんな時間か。じゃあ急がないとだな」
「港まで見送るよ」
そしてフィリップたちは代金を支払って店を出て、港への道を急ぐ。
出発準備中だった王都行きの船にクリスティーナが飛び乗り、フィリップとイザベラに別れを告げ、船が出発した。
「またなーっ!」
「いつでもお店に遊びに来てねーっ!」
フィリップとイザベラが、去りゆく船に向かって叫ぶ。それに対してクリスティーナは、甲板の上から小さく手を振っていた。
名残惜しくないと言えばウソになる。久々の再会を果たした親友と、また離れ離れになるのだから。しかしこれは自分で決めたこと。胸を張って次の目的を果たそうじゃないか。
クリスティーナはそう胸に誓いながら、表情を引き締めるのだった。
レストランで感じた嫌な予感が、見事的中してしまうことを知らないまま――