第五話 この世でもっとも信頼している武器
ドラゴンが降り立つ山と言うだけあって、そこは秘境も同然であった。
周囲には村や集落もない。その代わり自然豊かで、水や山菜、そして魔物にも困ることはなかった。魔物については怖いイメージが殆どだが、狩り慣れている者たちからすれば、たちまちそれは食料に分類される。
魔物を使った高級料理も存在し、モノによっては高値で売られることも多い。
肉だけでなく、骨も美味しいダシが取れることから、仕入れたいと願う料理人も少なくない。冒険者ギルドのクエストの中には、骨の素材を求める料理人からの依頼も普通に出ているほどだ。
もっともそれは、最初から料理人の道一本で歩み、冒険者として戦闘能力を鍛えてこなかった者に限る。冒険者から料理人に転身した者も多く、そういった者たちは基本的に、クエストを出さずに自分で魔物狩りをして素材を調達するのだ。
少しばかり経緯は違えど、それはフィリップたちも同じことであった。
「はあっ!」
襲い掛かってくる魔物たちに、クリスティーナが剣を振るう。その斬撃はいずれも浅い傷で済ませており、恐怖した魔物たちは皆揃って逃げ出していく。
それを見届けたクリスティーナは剣を収めると、後ろからパチパチと拍手をする音が聞こえてきた。
「すげぇな。まさに敵ナシじゃないか」
「相変わらずお見事だねぇ」
フィリップとイザベラが称賛すると、クリスティーナは小さく笑う。
「大げさだな。別にこれぐらい大したことじゃないよ」
「謙遜するなって。けど、別にアンタ一人でやることもないんじゃないか?」
「そうだよ。無理することなんかないからさ」
村を出発してからというもの、飛び出してくる野生の魔物の相手は、クリスティーナがたった一人で務めていた。
フィリップやイザベラがやる気に満ちた笑顔が、一瞬にして呆気に取られたモノへと変わり、今しがた披露した拍手が巻き起こるという展開が、この道中ずっと続いているのだった。
「いや、元々私が無理を言って同行させてもらってるんだ。これぐらい当然さ。それに無理はしてないから大丈夫だよ」
汗を拭うクリスティーナに、疲労の様子も無理をしている様子も感じられない。言葉のとおり、本当に大したことはないのだろう。
そう判断したフィリップとイザベラは、それ以上は言わないことにした。
「それにしても、イザベラが認める剣の達人ってだけのことはあるな。的確に急所を狙わないで撃退させるってのは、そうできることじゃないだろ?」
「確かにな。魔物を単なるモノとしてしか見ていないヤツは、到底無理だろうな」
フィリップの問いかけにクリスティーナは苦笑する。
「冒険者たるもの、魔物も大事な生き物と認識するのは、とても大事なことだ。確かに傍から見れば恐ろしい存在かもしれないが、魔物がいるおかげで、私たちは生きてこれているんだからな。フィリップ殿も分かってることだとは思うが?」
「まぁ、それなりには……」
フィリップも一応理解しているつもりではあるが、それでもクリスティーナの徹底している素振りには感服させられていた。
できる限り致命傷を負わせることなく、できる限り逃がす。それでもやはり、完全に興奮して抑えがきかないなどの魔物に対しては、容赦なく切りつける。自分の命をムダにすることはもっとしない。
そんな彼女の――クリスティーナなりのルールを間近で見てしまった。流石は魔王討伐に加担していただけのことはあると、フィリップは思う。
「でも、これから俺たちがしようとしているのは、紛れもないドラゴン狩りだ。ムダな切傷を避けたいという意見は俺も確かに同意するが、今回のように、容赦なく命を奪いに行くこともある。主に自分たちの利益のためにな」
そんな念を押すかのように話すフィリップに、クリスティーナは頷いた。
「分かっているさ。実際に私たちも、それで資金稼ぎをしていたんだ。そこも含めて私たちは、魔物のおかげで生きていると言いたかったんだ。これからキミたちのやろうとしていることに、異議を唱えるつもりはないよ」
「そっか。それなら良かった」
安堵の息を漏らすフィリップに、イザベラが人差し指を立てながら言う。
「少なくともクリスティーナは、狩りの腕前もピカイチだし、期待はできるよ」
「それはありがたい。力任せにぶった切って、余計な部分も全滅させるなんてことだけは、絶対に避けたいところだからな」
『あー……』
フィリップの問いかけに、イザベラとクリスティーナが揃って複雑そうな表情でため息交じりに言う。その反応に、思わずフィリップも緊張を走らせた。
「な、なんだよ? なんか俺、マズいこと言ったか?」
「いや、まぁ、そういうわけじゃ……」
「私たちのかつての仲間を思い出しただけさ」
重々しい口調で言うクリスティーナに、フィリップは空を仰ぎ、彼女たちのかつての仲間とやらを思い出してみる。
「レイモンドっつったっけか? ムチャクチャ強いって聞いてたけど……」
「確かに強いという点では間違っていないが、狩りはダメだ。むしろ邪魔でしかなかったな」
クリスティーナが吐き捨てるように言うと、イザベラも苦笑しながら頷く。
「そうだね。確かに魔物を倒す実力は凄かったけど、狩りに関しては、フィリップがさっき言ってた感じだったんだよ」
「力任せに攻撃した結果、必要な部分もグチャグチャにしちまったみたいな?」
「あぁ。私たちがいくら言っても、決まって本人は聞かないし、おまけにやる気だけは人一倍強いから、余計にタチが悪いと言うか……」
クリスティーナは思い出す。野営やクエストのときに、レイモンドが気合いを入れて出かけ、そして狩りから帰って来た姿を。
肉は殆どミンチ状態で、泥や血なども混じっているため食べられない。毛皮や骨は損傷が激しく、ギルドで買い取ってくれるかどうかも微妙なところだった。
お前は狩り担当から外れろと、クリスティーナもイザベラも言った。最初の一回や二回だけならまだしも、お決まりのように続けば、誰だってそう言いたくなるのは仕方がない。
しかしレイモンドは聞かなかった。自分はイザベラの右腕として、誰よりも役に立たなければならないのだと。
要するに、惚れた相手にカッコイイところを見せたかったというのは、クリスティーナの目から見ても明らかであった。イザベラがそこに気づいていたかどうかはともかくとしてだ。
最初は気の済むまでやらせておけばいいと思っていた。しかしすぐに止めなかったことを、二人は後悔することになるのだった。
「気合いを入れ過ぎたが故に、目の前の判断がつかなくなる……と言えば、大体の想像はつくでしょ?」
「まぁ、俺にも経験はあるから分からんでもないが……」
イザベラに問いかけられ、フィリップは頷きながらも想像してみる。
「明らかに毒を宿している魔物だったり、人間の体に悪いエネルギーを発している魔物だったり、見事なまでのアンデッド系を仕留めて、それをドヤ顔で見せびらかしながら帰ってきたり……とか?」
「……あぁ、まさに全て大当たりだよ」
「マジか」
頭を抱えながら頷くクリスティーナを見て、流石のフィリップも引いた。そんな彼と一緒にいた二人に対し、大変だったんだなと思わざるを得ない。
しかしながらフィリップは、そんなレイモンドの気持ちが少なからず分かるような気もしていた。
確かな強さを得た人物ほど、役に立たないことを怖がるモノだ。特に十代後半から二十代前半の若者であれば尚更だろう。
実際フィリップも、どうしても出来ない部分があって悔しい思いをした。こっそりたくさん練習したが、遂にできなかった。
誰しも絶対的にできないことの一つや二つはある。そう教えてくれた人がいた。その人に出会ってなければ、ずっと意地を張って停滞していたかもしれない。フィリップが世界中を旅をしてきた中で、数いる恩人の一人であった。
今でもその人は元気であり、たまにメシ屋に顔を出してくれている。感謝してもしきれないと歩きながらしみじみと思った。
「まぁ、レイモンドみたいなのも、別に珍しいタイプなワケじゃ……」
フィリップが苦笑しながら言おうとしたその時、茂みからウサギ型の魔物やスライムが飛び出してきた。
かなり敵意を剥き出しにしており、たまたま通りかかったワケではないということが分かる。
「っ、お出ましか……」
「待ってよ、クリスティーナ」
クリスティーナが剣を抜こうとしたその時、イザベラが前に出ながら制する。
「たまには私にやらせてよ。流石に任せっぱなしなのは気が引けるからね」
「あ、あぁ……」
戸惑いながら構えを解いたクリスティーナに代わり、イザベラが剣を抜きながらゆっくりと歩いていく。
先に飛び出してきたのはスライムだった。しかしイザベラは、その体当たりを難なく躱す。その瞬間、後ろから不意打ちの如く、ウサギ型の魔物がイザベラに飛びついてきたが、イザベラは初めから分かっていたかのように、涼しい表情でほんの少し体を動かして躱した。
それと同時に、イザベラの剣技が華麗に舞った。あっという間にスライムとウサギ型の魔物を討ち取ってしまった。
スライムは逃げ出し、ウサギ型の魔物はそのまま倒れて息絶えた。
動かなくなったウサギ型の魔物を抱きかかえ、イザベラはフィリップに見せる。
「フィリップ。この子のお肉美味しそうじゃない?」
「あぁ、そうだな……っと、来たみたいだ」
ガサガサと派手に茂みをかき分けながら、大きな体がのそっと姿を見せる。
牛の頭を持つ巨人型の魔物、ミノタウロスであった。
「フィリップ、ちょっとこれ持ってて!」
「はいよ」
仕留めたウサギ型の魔物をフィリップに渡し、イザベラはミノタウロスに向かって剣を抜きながら走り出す。
そして数秒後――ミノタウロスは一刀両断されていた。
「な……」
クリスティーナは目を見開いた。あまりにも一瞬の出来事に言葉が出ない。
その隣でヒュウと口笛を鳴らしながら、フィリップが言った。
「相変わらずスゲェな。今のアイツの必殺技、魔王討伐のときも、さぞかし凄かったんだろうな」
「え? あ、あぁ、勿論だとも……」
確かにフィリップの言うとおり、今の目にも止まらぬ速さから繰り出される一刀両断は、イザベラの必殺技に相違なかった。
魔王討伐の旅の中で会得した技であり、幾度となくクリスティーナたちを助けてくれた技の一つだ。イザベラが勇者として光り出したのも、この技が大きなキッカケであった。
数多くの魔物を一刀両断するその姿に、男女問わず多くの冒険者が惚れ込んだモノであった。かくいうクリスティーナもその一人であり、いつか彼女と二人で、最強の冒険者コンビを名乗りたいと願うようになったほどである。
もっともその夢はすぐに潰えてしまい、数ヶ月もの間、クリスティーナの冷静さを欠く羽目になったのは、もはや言うまでもないだろう。
「驚いたな……冒険者を引退して、少しは衰えているかと思ったが、むしろパワーもスピードも増しているように見えたぞ」
少なくともイザベラに、数ヶ月間のブランクがあるようには見えなかった。そんな気持ちを抱くクリスティーナに、戻って来たイザベラがウィンクをする。
「そりゃまぁね。旦那を助けられる強いお嫁さんでいないと♪」
無邪気に笑うイザベラに、クリスティーナも苦笑する。鍛錬をおろそかにしていたわけではなかったのかと見誤っていた。そんな自分を少しばかり恥じながら。
「ブモオオオォォォーーーッ!!」
ようやく静かになったと思いきや、再びミノタウロスらしき鳴き声が、凄まじい足音とともに近づいてくる。
姿を見せたそれは、イザベラが倒した個体よりも一回り大きい。倒された個体を見下ろした瞬間、更に怒りで顔を真っ赤にしてきた。どうやら仲間もしくは家族のようだと、フィリップは思った。
「ワリ、ちょっとコイツ持っててくれ」
フィリップがクリスティーナに倒したウサギ型の魔物を強引に手渡した。
そして腰から二本の刃を抜きながら前に出る。
「コイツは俺がやる。お前たちは下がっとけ」
「りょーかい」
フィリップとすれ違うようにして下がったイザベラに、クリスティーナが戸惑いに満ちた視線を向ける。
「なぁ、イザベラ……彼の持っているアレは……一体何だ?」
頼むから冗談であってくれ。そんな思いがクリスティーナの目と口調にハッキリと現れていた。
しかし――
「何って、長包丁だよ。見れば普通に分かると思うけど?」
実にあっけらかんとした返答であった。何をそんなに驚いているのと、イザベラは問いかけているようであった。
しかしクリスティーナは愕然とした。
納得できるワケがない。二本流はともかく、どうして長包丁なんだ。あんなのであんな巨大な魔物と戦う気なのか。流石に正気とは思えないぞ。
そう言いたかったが、ショックが大きすぎて、とうとう口に出せなかった。
イザベラも特に慌てている様子はない。とても信じられないことだが、フィリップがあの長包丁で魔物と戦うのは基本なのだろうと思った。
改めてクリスティーナは、フィリップの持つ二本の長包丁を凝視する。
ギラリと光る刃はとても切れ味が良さそうだ。彼専用に特別に鍛え上げられた代物である可能性が高い。しかしそれだけだ。やはりどう見ても、単なる長包丁にしか見えない。
クリスティーナは戸惑う気持ちが抑えられなかった。ある意味、当たり前の話ではあるが、長包丁で大型のミノタウロスと戦う者など見たことがないからだ。
――地を蹴る音が聞こえた。フィリップが走り出したのだ。
その動きはとても軽やかであった。イザベラ――いや、それ以上の速さ。剣士顔負けどころではない。
ミノタウロスの攻撃を躱しつつ、二本の長包丁で的確に切りつける。その切れ味は凄まじい。特別な地金で限界まで鍛え上げられた代物故か、それともフィリップの腕前か、あるいは両方か。
激しく動き回っているにもかかわらず、フィリップは息一つ乱していない。一つ一つの攻撃が、ミノタウロスを着実に追い詰めていく。
大量の血を流し、激しく息を乱すミノタウロス。もはや立っているのがやっとのようであると見て取れる。
それはフィリップも感じたのだろう。相手からやや距離を置きながらシュタッと降り立ち、二本の長包丁をゆっくりと構え直す。
(構えが変わった? いや、しかしあれは……)
クリスティーナは驚いていた。フィリップが見せている新たな構えは、イザベラが一刀両断を繰り出す姿によく似ているのだ。
もしもイザベラが二本流であれば、目の前の姿が拝めていたかもしれないと、何故かそう思えてならなかった。
「……はぁっ!」
決して大きくはない掛け声とともに、フィリップが動いた。
瞬きをした次の瞬間、ミノタウロスは崩れ落ちた。その腹に刻み込まれた大きな十字型の傷から、大量の血を噴出させながら。
やがて血しぶきが収まり、ミノタウロスは完全に沈黙。フィリップの勝利が決まるのだった。
「ふぅ」
二本の長包丁を鞘にしまいながら、フィリップは小さな息を吐く。
「お疲れさま。流石フィリップ、危なげなかったね」
「あぁ」
イザベラが差し出したタオルを受け取り、フィリップは額の汗を拭う。いつもの夫婦の姿を目の前に、クリスティーナは未だ呆然としたままだった。
そんな彼女をよそに、フィリップとイザベラは会話を続ける。
「ミノタウロスの剥ぎ取り、どうする?」
「今回のところは、パスで良いんじゃないか? 本命も控えてることだし」
フィリップが山の頂上を見上げると、イザベラも笑みを浮かべながら頷いた。
「そうだね。あのウサギちゃんのお肉だけ確保しようか」
「あぁ」
そして二人はクリスティーナの元へ戻り、預かってもらっていたウサギ型の魔物を受け取り、早速解体作業に入った。
慣れた手つきでウサギ型の魔物をさばいていくフィリップに、クリスティーナが緊張気味に話しかける。
「先ほどは驚いたぞ。まさか長包丁で戦うとはな」
「そうか? 俺はメシ屋の店主だぞ? そんなに驚くこともないだろう?」
「いや、普通は長包丁で、魔物と戦うことはしないと思うが……」
クリスティーナが引きつった表情でツッコむと、フィリップが若干笑みを落としながら問いかける。
「なぁ。クリスティーナが、この世でもっとも信頼している武器って何だ?」
「急に何を言って……それは勿論この剣だが……」
クリスティーナが腰に携える剣を指し示すと、フィリップは小さく笑う。
「だろうな。それが俺の場合は、この長包丁だという、ただそれだけの話さ」
しっかりと言葉を噛み締めるように言うフィリップに、クリスティーナは改めて呆然としてしまう。イザベラはそんな旦那の様子に、黙って笑みを浮かべるばかりであった。
しかしフィリップが、途轍もなく本気で言っていることは伝わってくる。とりあえずこの場は納得しておこうと、クリスティーナは思うのだった。