第二十四話 メシ屋の店主は紛れもなく最強です
「マスター、追加で枝豆をもらえるかね? それとビールもな」
「こっちはコロッケお代わり!」
「悪い女将さん、スライムパフェをもう一つ頼む!」
「ビールをピッチャーで追加だ! それとなんかツマミを作ってくれ! マスターのおススメで頼むぜ!」
メシ屋は今日も繁盛していた。
女将のイザベラと従業員のビュー。そして店主のフィリップ。この三人を中心とした光景は、人々の表情を自然と明るくする。
まるでずっと前から、このような光景が続いているかのようであった。数ヶ月前に大きな出来事が起こったと言われても、信じられなくなってしまうくらいに。
「王都は未だ、随分と暗い雰囲気に満ちておったよ」
ビールを喉に流し込みながら、法皇は呟くように切り出した。
「新たな王が生まれ、最悪な展開は免れたとはいえ、所詮は首の皮一枚繋がっただけに過ぎん……と言ったところかな」
「まぁ、そうでしょうね。流石にショックを受けずにはいられんでしょうよ」
追加の枝豆を茹で上げながら、フィリップは苦笑する。
いくつかの皿に盛りつけた枝豆をイザベラに渡したところで、フィリップは数ヶ月前の出来事を思い出した。
「正直なところ、あそこまで王家が崩れ落ちる瞬間は、初めて見ましたね」
ヴェルマンダとビューの策略で、王が全てをさらけ出してしまった直後、更なる事件が起こっていた。
なんと、レイモンドが宝剣を持てなくなってしまったのだ。しかもその宝剣は、ヴェルマンダの手に収まった。自ら浮かび上がり、吸い寄せられるように飛んできたその光景は、まるで新たな主人として選んだかのようであった。
ヴェルマンダが宝剣を掲げると、宝剣は眩いオーラを発した。王もイザベラも、そしてレイモンドも、揃って驚きを隠せないでいた。あんなオーラを出すなんて見たこともないと。
そこにビューが、一つの推測を立てた。
祝福の証を得た人物が持つことで、宝剣は本来の力を発揮する。つまり証を持たないレイモンドの場合、宝剣は単なる豪華で固い剣でしかなかったのだと。
その推測を聞いたフィリップは、一つ気づいたことがあった。
「祝福の証を持たない者は、たとえ正室の子だろうと、王位は継げない。あれは宝剣に選ばれないっていう意味だったんですね」
「うむ。王ならば心得ておることだと思っておったのだが……目先の欲望に釣られたが故に、忘れ去ってしまったのかもしれんな。全く愚かにも程があるわい」
ため息をつく法皇のジョッキに、お代わりのビールを注ぎながら、フィリップが苦笑する。
「しかも魔法具はずっと発動しっぱなしだったから、そのこともちゃーんと国民たちに聞こえてましたもんね」
「あぁ。ワシもこの耳でしっかりと聞いておったよ」
魔族や空を飛ぶドラゴンは、用が済んだと言わんばかりに王都から去った。入れ替わるように、避難していた王都の人々が、王宮に集まってきた。
今の話はどういうことなんだ。レイモンド様が正室の子ではないのか。アンタはずっと俺たちをダマしていたのか。そんな罵声同然の騒ぎ声が、夜が更けても、朝を迎えても、全く収まることはなかった。
その時、スピーカーを通して聞こえてきたのだ。
『アンタのようなロクデナシの血を引いてるかと思うと……反吐が出る!』
ヴェルマンダの怒りの声だった。同時に人々の怒りの声が、戸惑いと疑惑に満ちたどよめきに変わる。
すると王宮の入り口から、いつの間にか入っていた法皇とその配下、そして新たに宝剣の主として選ばれたヴェルマンダが出てきた。
そこで法皇とヴェルマンダの簡単な演説により、王都の人々の暴動は、ひとまずという形で抑えることに成功するのだった。
「レイモンドと王様が、地下牢にぶち込まれたってのは聞きましたが……」
「こないだ、ワシの指示のもと、王都から大監獄施設へと送り届けたところだ」
「あー、それじゃあもう、一生出てこれない感じですかね」
「現世の地獄とも言われておるからな。まぁ、身から出た錆というヤツだ。あの二人を助けようとする者など、誰もおらんかったよ」
「あはは……」
思わず苦笑してしまうフィリップだったが、フォローできないという点については同感であった。
フィリップは当初、イザベラを連れ去ったレイモンドや王に、恨みとまではいかなくとも、少なからずの苛立ちは消えないでいた。しかしイザベラやビューとともに王都からこっそりと出る際、王都の人々の様子を盗み見たとき、その気持ちはどこかへ飛んでしまった。
端的に言って、暗かった。戸惑いと疑惑に満ちた表情は、笑顔とは程遠い。イザベラもその様子を見て驚きを隠せなかった。あのお祝いムードはどこへ行ったんだろうと、目を見開きながら呟いていた。
とはいえ、無理もない話だとフィリップは思った。
魔王討伐がある種の自作自演であり、しかもレイモンドが側室の子だったという真実は、今まで人々が積み重ねてきたイメージを、完膚なきまでにガラガラと崩れ落ちてしまった。
しかもレイモンドに祝福の証がないことも世間にバレてしまった。法皇やヴェルマンダが抑えているとはいえ、むしろこの程度で済んでいるのが奇跡だろう。
それもこの数ヶ月で、なんとか持ち直したらしい。
法皇やアレックスの商隊、そして他の町からの支援もあったが、なにより新たな王の存在が、人々にとっての新たな救いとなっていると、法皇は言う。
「アイツも大変らしいですね」
「むしろこれからだろう……と、ウワサをすれば来たようだな」
馬車が一台止まる音が聞こえてきた。そして引き戸を開け、一人の人物が疲れた表情とともに入ってくる。
「いらっしゃい、ヴェルマンダさん……いや、ヴェルマンダ王とお呼びになったほうがよろしいですかね?」
イザベラが出迎えると、いつも以上にしっかりとした身なりで、ヴェルマンダが照れくさそうに笑う。
「やぁ、女将さん。そんなかしこまらなくていいよ。今はただの客だからな」
ヴェルマンダはいつものテーブル席ではなく、カウンターのほうへと座る。フィリップが小鉢によそった煮物を、そっと彼の前に置いた。
「ビールでいいかな?」
「あぁ。今日は小さいグラスで頼む。明日も忙しいんでな」
それを隣で聞いた法皇が、小さく笑った。
「ホッホ、随分と充実した疲れを持っておるようだな」
「……かもしれませんね。今はそれなりに、やりがいを感じてますよ」
「そうかそうか。それは良いことだ」
法皇の笑みにつられ、フィリップも人知れず微笑む。
メシ屋にもウワサ話として流れてはきていた。ヴェルマンダが王の仕事を、とても一生懸命頑張っており、それが人々の心を動かしていると。
堅苦しくなれない王としての仕事に戸惑いながらも、周囲からのサポートで、なんとか国を建て直すべく動き回る。元々彼は努力家であり、大きな責任感と気さくさも相まって、王都の人々とも打ち解けるのが、意外と早かったらしい。
ヴェルマンダが剣王として名が知れていたことも、彼の成功を後押ししたといっても過言ではない。
あくまで冒険者としての二つ名でしかなかったのが、本当の王になったと聞いてきた冒険者も少なくなかった。それが自然と良いウワサ話となって広まり、謁見する人も増えてきたと、フィリップたちは聞いていた。
「今日来たのは、改めて礼を言いたかった、というのもあるんだ」
グラスのビールが空になったところで、ヴェルマンダは改めて姿勢を正し、フィリップを見上げる。
「フィリップのダンナには、本当に世話になった。ありがとう。やっぱりアンタは強い男だ」
深々と頭を下げるヴェルマンダに、フィリップは照れくさそうに頬を掻いた。
「どうだかね。聖剣を扱う嫁や、強力な魔法の使い手である従業員。そして宝剣の力を覚醒させた王様。そっちのほうがよっぽど強いと思うけど?」
「別に物理的な強さだけが強さじゃないだろ。むしろ俺は、アンタが持つ強さのほうが、よっぽど凄いと思うし、よっぽど怖いとも思える」
ヴェルマンダの言葉を聞いたイザベラもビューも、そして法皇も、確かにそうだと言わんばかりに頷く。
それを横目で見ながら、ヴェルマンダは続ける。
「大聖堂の法皇様、大規模商隊のお頭、そして王様や勇者……こんな大きな肩書き所持者と、口利きが出来るくらいに仲良くなれるなんざ、どう考えても凄すぎるの一言でしかないと思うぞ?」
「そうだよね。その気になれば、世界を動かすことだってできかねないよ?」
お盆を持ちながら歩いてきたビューに、フィリップは苦笑する。
「まぁ、仮にそうだったとしても、世界がどうのこうのってのには興味はないな。美味いメシを作って、誰かが美味いって言ってくれれば、それで十分だ」
「ハハッ。そりゃまたマスターらしいな。けどよ……」
ヴェルマンダは身を乗り出すようにして、ニッと笑みを浮かべた。
「そうやって本気で言えるのも、本当に強くあればこそだと、俺は思うぞ?」
その言葉に、再びビューと法皇が、納得するかのように頷く。
「そーそー。メシ屋の店主は紛れもなく最強です……ってね♪」
イザベラが笑顔を浮かべながら、弾むような声色で言った。それを聞いたフィリップは苦笑しつつ、火を止めて地下倉庫へと姿を消す。
そして数分後、戻って来たフィリップの両手には――
「そ、それはまさか……」
「あぁ。熟成させたドラゴンの肉だよ」
目を見開く法皇に、フィリップはニヤリと笑いながら答える。
ビューもイザベラも、そしてヴェルマンダや他の客たちも、立ち上がったり首だけを曲げたまま口を開けていたりと、それぞれが驚愕の表情を見せていた。
「また見事な大きさのお肉だねぇ」
「普通に塩と胡椒でステーキにするだけでも、絶対美味しい気がするよ」
ドスンと物音を立てながら肉を置くフィリップを見ながら、ビューとイザベラが呆けた表情で言った。
そしてフィリップは、目の前で固まっているヴェルマンダを見下ろす。
「特別にコイツを振る舞ってやるよ。これを食えば、元気も付けられるだろうさ」
ニッコリと笑うフィリップに、ヴェルマンダは目を血走らせながら叫ぶ。
「マスター! まずはステーキにしてくれ! 串焼きもな!」
「はいよ」
フィリップが肉を切り始めると、それを楽しそうにヴェルマンダは観察する。そんな彼の後ろからは、実に残念そうな深いため息が聞こえてきた。
「くそっ、こんなことならガッツリ食うんじゃなかったぜ」
「サプライズは確かに嬉しいんだがなぁ……」
他の客たちも皆、同じような反応を見せていた。フィリップは顔を上げ、苦笑を浮かべながら声を上げる。
「ソイツは申し訳ないことをしたな。しかしこれだけの量だ。もう何日かは普通に出せると思うぞ!」
それを聞いた客たちの表情は、落ち込みから一気に輝きを取り戻す。
「っしゃあっ! だったら明日も来るぜ!」
「明日の夜まで取っといてくれよ!」
「女将さん、勘定頼む! 今から明日に備えて、思いっきり腹空かさねぇとだ!」
客たちが次々と動き出す中、フィリップは焼き上げたステーキの皿を、ヴェルマンダのテーブルに置く。
ヴェルマンダはミディアムレアに焼かれたそれを、ナイフとフォークで丁寧に切り分け、大きな一切れを口の中へ放り込む。
「……うんめぇ!」
ほっぺたが落ちると言わんばかりの幸せそうな笑顔に、どこかで唾を飲み込む音が聞こえてきた。
法皇を含む他の客たちは、必ず明日この店に来ようと誓った。
必ず、ドラゴンの肉を腹の中へ納めてやるのだと。
そんな様子を観察しながら、フィリップは小さなため息をつきながら思った。
(明日からしばらくは、ドラゴンの肉祭りになっちまいそうだ……っと、こっちもそろそろできるな)
こうして、メシ屋を取り巻く騒動が、ひと段落を遂げた。
しかしこれはあくまで、フィリップたちのささやかな日常の一部でしかない。
明日も明後日も、ずっとずっと、賑やかな日常が待ち受ける。それがどんな日常となって彼らを巻き込むのか、それは神様でも想像がつくことはない。
ただ一つ、分かり切っていることがあるとすれば――
「よぉし、できたぞ! イザベラ、ビュー、冷めないうちに運んでくれ!!」
『りょーかいっ!』
賑やかなメシ屋の光景は、毎日欠かさず続いていく、ということぐらいである。
さて、メシ屋のストーリーは、ひとまずこれにてオシマイです。
読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。