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第二話 メシ屋として当然のこと



「た、確かにあんな王子と結婚したくない気持ちは分からんでもないが、だからと言って冒険者まで止めることはないだろう?」


 我に返ったクリスティーナは、再びイザベラを説得しようと試みる。


「キミは魔王を倒した勇者なんだ。その栄光ある輝かしい姿を、より多くの人々に見せる。キミにはそれを務める義務があるんだぞ!」

「そんなの知ったこっちゃないわよ」


 またしても即答だった。今度はウンザリという名のため息付きで。

 そしてクリスティーナはまたしても言葉を詰まらせる。さっきと同じく即答されることを予想していなかったのだろうか。あるいはほんの数秒でも考えてくれるに違いないと、長い付き合いとしての期待だったのか。

 どちらにしてもイザベラの反応は、クリスティーナの予想の斜め上を行くモノであることは確かだった。実際フィリップが耳を澄ませてみると、クリスティーナが小さな声で「ど、どうして……」と呟くのが聞こえた。

 きっとクリスティーナからしてみれば、今のイザベラが全くの別人に見えているのかもしれない。しかし彼女は本当にそこまで変わったのだろうかと、フィリップは疑問を浮かべていた。

 確かに子供から大人へと成長したという変化は大きいだろう。しかしそれ以外はさほど変わってないとしか、フィリップは思えなかった。

 少なくともメシ屋で振る舞う彼女の笑顔は、子供の頃に当たり前の如く見ていた笑顔と全く同じであったから。

 しかしクリスティーナにとっては、また別なのだろう。彼女からしてみれば、王都に来てからのイザベラしか知らないのだから。

 勇者として振る舞っていたイザベラは、果たしてどんな人物だったのか。フィリップはほんの少しばかり、そのことに興味が湧いていた。


「今の私が背負っている義務は、このお店の女将を務めることよ。たくさんの美味しいゴハンで、たくさんのお客さんを喜ばせるの。その時に見れる笑顔のほうがよっぽど輝いているわ!」


 胸に手を当てながら、堂々とした口調でイザベラは言い切る。クリスティーナは完全に言葉を失い、行き場を失った右手は震えていた。

 そして――


「まぁでも、一番輝いているのは、私の旦那だったりするんだけどね♪」


 途端に凛々しい表情から子供っぽい可愛らしさを含めた笑顔に切り替わり、イザベラは厨房から様子を伺っているフィリップに向かってウインクする。

 数秒ほど経過した瞬間、周囲の客が一斉に歓声を上げた。

 流石のイザベラも頬を染めており、フィリップは照れくさそうに頬を掻いた。そんな二人に対し――


「ヒューヒュー♪」

「よっ、あっついねーご両人!」


 などなど、あちこちからたくさんの声が飛んできた。口調こそからかいは含まれているが、嫌な気分はしなかった。

 気まずさは大きくとも、確かな暖かさは感じられたから。

 ふとフィリップがクリスティーナを見ると、彼女が口を開け、唖然とした表情を浮かべているのが分かった。


「ダ、ダンナ、だと? い、一体それはどういう……」


 その口調からして、恐らく信じられないのだろうとフィリップは思った。しかし疑問にも思えた。全く伝えてなかったのだから、驚かれること自体は別に不思議でもないが、そこまで驚かなくても良いように思える。


(イザベラって、そんなに結婚とは無縁そうな感じだったのか?)


 フィリップは首を傾げながらそう思った。それ以外でこんな反応をするとは考えられなかったのだ。

 どういうことだろうと思う傍らで、クリスティーナとイザベラの会話は続く。


「け、結婚してるということか?」

「そうだよ。はい、これがその証拠ね」


 イザベラは左手を掲げた。薬指の指輪がキラリと光る。


「幼なじみのお兄ちゃんみたいな人がいるって話したことあったでしょ? あの後この村に帰って来て、その人と結婚して、今に至るってワケ」

「そ、そうだったのか……そこの店主がそうなのか?」

「うんっ♪」


 戸惑いながら訪ねるクリスティーナに対し、イザベラは頬を染め、心の底から幸せだと言わんばかりに頷いた。

 その様子からウソではないのだと、クリスティーナは思った。


(王都から姿を消してどこへ行ったのかと思いきや、まさか結婚していたとはな)


 クリスティーナは頭が冷えてくると同時に、段々と頭の中でパズルのピースが揃ってくる感じがした。

 幼なじみの存在は確かに知っていた。旅先でもよく聞かされていた。彼女に好意を抱いていたレイモンドが、その度に嫉妬に駆られていたのはよく覚えている。

 むしろこの展開は考えて然るべきだったのかもしれない。他の貴族や王族、それにレイモンドからの告白さえも、イザベラは爽やかに断っていたのだから。

 彼女の中には、常にこの店の主である幼なじみの姿があった。長年温めてきた恋が実ったということだろう。ならば親友として、祝福するのが普通ではないか。

 しかしクリスティーナの中では、どこか納得できない部分もあった。

 イザベラは勇者だ。魔王を倒した名誉はとても大きく、捨てますと言って簡単に捨てられるモノではない。むしろ誰もがそれを全力で阻止しようとするほどの、絶対的な存在なのだ。

 それ自体は共通の認識であるし、クリスティーナ自身も確かにそうだと、心の底から思っている。しかしクリスティーナは、それさえもイザベラを探す建前上の理由にしていたのではと、そう思うようになっていた。

 本当はただ、親友である彼女と離れたくなかっただけだったのでは、と。


(参ったな。そう考えれば考えるほど、妙に納得できてしまう……)


 この数ヶ月間、クリスティーナなりに色々と考えてはみた。

 そもそもイザベラが勇者となったのは、周囲の大人たちが強制させたからだ。彼女の意思はどこにもない。世界平和という言葉を盾に、自分たちの誇りという名の欲を満たしたかったのだということぐらい、クリスティーナも分かっていた。

 これがもし、数年前の――それこそ魔王討伐に旅立ったばかりの自分であれば、イザベラの行動を問答無用で非難し、ロクに話も聞かずに王都へ連れ戻そうと実行に移していただろう。

 しかし今では、別の考えを抱いていることに改めて気づいた。

 勇者としての立場は大切にしてほしい。しかし、一人の女性としての幸せも、ないがしろにしてほしくないと。

 それでもやはり、心のどこかで期待していたのだ。

 なんだかんだ言いつつも、勇者としての自分を大切にするだろう。自分たちの成し遂げた偉業を後世に伝えるべく、絆を深めたメンバーと一緒に過ごしていくに違いないと。


「はは……」


 クリスティーナは右手で顔を伏せ、自虐的な笑みを零す。

 ようやく分かったのだ。自分のしていたことは、単なる自分の欲求を満たすためでしかなかった。勇者が世間がどうのこうの言っていたことも、全て自分の行動を正当化させるための言い訳に過ぎなかった。

 どうしてこんな簡単なことに気づかなかったのか。イザベラと再会して、ほんの数分で気づいたことを、どうしてこの数ヶ月間で思い浮かべもしなかったのか。

 それも簡単な話であることにクリスティーナは気づく。


(イザベラがいなくなったのがショックだった。それで完全に冷静さを失ってしまっていたんだ。それだけ私にとって、イザベラは絶対的な存在だった)


 どれだけ強くなっても、どれだけ周囲から認められようと、それは全てイザベラがいてくれたから、イザベラが傍にいてくれたから得られたモノだった。

 イザベラがいなければ何もできない。こうして数ヶ月間探し回り、自分の身勝手なワガママを通そうとする。親友の幸せを応戦することもなく、周囲への迷惑もお構いなしに。そんなタチの悪い子供が本来の自分なのだと。

 冒険者としても、勇者パーティの一員としても、大いに失格であることを、クリスティーナは心に刻み込んだ。


(まずは迷惑をかけてしまったことを、ちゃんと謝罪しなくてはなるまい)


 そう思いながらクリスティーナは、土下座をしようと膝をついた。その時――


「クリスティーナだっけ? とりあえず、カウンターにでも座ってみないか?」


 しんと静まり返った店内に、フィリップの声が響き渡る。


「折角来てもらって、何も食わせないのもアレだからな。少しばかり、ウチの店の味見にでも、付き合ってやってくれや」


 そう告げるなりフィリップは、早速材料を取り出して調理に取り掛かる。それをみたイザベラは小さく笑みを浮かべ、膝をついてまま呆然としているクリスティーナに手を差し伸べた。


「お客様。どうぞこちらのお席にお座りください」


 イザベラはクリスティーナを立ち上がらせ、初老の男性の隣の席に座らせる。

 周囲の客は戸惑いながらフィリップを凝視しており、クリスティーナはどういうことだと言わんばかりに、イザベラとフィリップを交互に見る。

 そんな彼女に対し、フィリップは菜箸で具材を混ぜながらニッと笑みを浮かべ、イザベラはニッコリとほほ笑むのだった。



 ◇ ◇ ◇



「その……申し訳ない。大事な客にも、気を使わせてしまった……」

「気にすることはあるまい。厚意を素直に受け取るのも大事なことだぞ?」


 居心地が悪そうにするクリスティーナに、隣に座る初老の男性が言う。

 現在、店内にはクリスティーナと初老の男性、そして気持ち良さそうにビールをジョッキで飲む青年以外の客はいなかった。

 クリスティーナがイザベラの友達と知るなり、久々の再会を楽しみなよと告げ、代金を払って帰ったのだ。

 この行動に対してもクリスティーナの中で戸惑いが増していた。この気前の良さは一体何なのだと。

 尋ねてみても、イザベラからは「こういう感じだよ」と言われるだけ。それに対してフィリップも隣の男性も、うんうんと頷くばかり。ここはひとまず納得するしかないと、クリスティーナは思った。

 そうでもしないと悪循環に陥りそうでならなかったからだ。


「さぁ、どうぞ。食材の使わなかった部分で作った裏メニューだ」


 クリスティーナの目の前に置かれた皿には、出来立ての炒め物が盛り付けられていた。香ばしさにつられた隣の男性が、フィリップに声をかける。


「マスター。ワシの分はないのかね?」

「そう言うと思って、ちゃーんと作っておいたよ。ヴェルマンダはどうする?」


 男性に同じ炒め物を出したところで、フィリップはビールを飲んでいた青年に声をかける。ピッチャーをダンッと勢いよくテーブルに置きながら、ヴェルマンダは振り向きざまに大声で言った。


「食わせてくれ!」

「はいよ」


 フィリップが苦笑しながら皿に盛りつけた炒め物を、イザベラがヴェルマンダの元へ持っていった。

 一方クリスティーナは、箸で具材を一つ、口の中へと放り込み咀嚼する。


「……美味いな」

「うむ、これはまた酒に合う」

「ビールにもピッタリだな。もう一杯くれ!」


 クリスティーナに続き、男性やヴェルマンダからも満足そうな声が上がる。続いてフィリップは新作料理を提供し、こちらも高い評価を得た。

 小さなグラスにビールを注いでもらいながら、クリスティーナは呟く。


「驚いたな。王都のレストランにも引けを取らないぞ」

「へへ、凄いでしょ、私の旦那の料理は♪」

「あぁ」


 クリスティーナが頷くと、イザベラが何かを思いついたような反応を見せる。


「そうだ。ちょっと待ってて。私からも一品、ご馳走してあげる」


 そしてイザベラは、クリスティーナの返事を待たぬまま厨房へ入り、フィリップとバトンタッチする形で料理の準備に取り掛かる。

 慣れた手つきで調理する姿に、クリスティーナは懐かい感じがしていた。更に漂ってくる香りに、段々とクリスティーナの目が見開かれていった。


「まさか……」


 クリスティーナの脳内には、ある料理の姿が思い浮かんでいた。そして程なくして出てきた料理は、まさに自分が予想したモノであった。


「お待たせしました。熱いのでお気を付けください♪」


 それは、お椀に注がれた汁物であった。特別な材料は一切使っておらず、味付けも醤油ベースのシンプルな料理。

 クリスティーナは両手でお椀を持ち、汁を少しだけすする。涙がこみ上げてきそうな感覚に陥る中、イザベラが笑みを零しながら話しかけてきた。


「懐かしいでしょ? アンタこれ好きだったもんね」

「あぁ……イザベラが得意としていた料理だったからな。私にとってはどんな料理よりも最高のご馳走だった」


 旅の休憩時に、イザベラがよく作っていた料理がこの汁物であった。

 最初はあまり得意でなかった料理も、数年が経過すると腕も上がっていった。その味見役は決まってクリスティーナが引き受けていた。いわばイザベラの料理の成長を間近で見てきた、ということが言えるのだ。

 しかしこの汁物の味は、旅をしていたときよりも格段に美味しさが増していた。厳選された材料を使っているせいか、それとも調理器具が良いのか。クリスティーナにはその判断ができなかった。


「うむ。これは美味しいの。イザベラちゃん、また腕を上げたんでないかい?」

「そりゃそうですよ。俺がみっちり鍛え上げたんですから」

「なるほどな」


 フィリップと男性の会話に対し、イザベラは照れくさそうに顔を背ける。

 湯気が漂う汁と、よく煮えた具材を味わいながら、クリスティーナは思った。イザベラは本当に楽しく幸せにやっているのだと。

 この汁料理を作っている間、イザベラはとても楽しそうにしていた。

 旅をしているときに、果たしてあのような笑顔を見たことがあっただろうかと、思わず疑問に思ってしまうほどに。

 そんな彼女の笑顔を引き出したのは、他ならぬフィリップなのだろう。そう考えた瞬間、改めて申し訳ないという気持ちが込み上げてきた。


「フィリップ殿……先ほどは見苦しいことをしてしまい、本当に申し訳ない。その上こんな美味しい料理まで提供してくれたこと、感謝してもしきれない」


 クリスティーナは厨房で鍋を洗うフィリップに、頭を下げながら謝罪する。するとフィリップは小さく笑い、再び洗い物に手を付けながら言う。


「来店した客にメシを食わせる。俺はメシ屋として、当然のことをしたまでだ」


 その言葉にクリスティーナは言葉を失い、イザベラや初老の男性、そして聞き耳を立てていたヴェルマンダが小さな笑みを浮かべた。

 その時、ガラガラと引き戸の開かれる音が聞こえてくる。


「まだやってるかい?」


 入ってきたのはフィリップよりも少しばかり年上に見える男だった。逆立った短めの黒髪を揺らせ、細身ながら鍛え上げられた肉体が、どことなく強者の雰囲気を漂わせている。

 私服姿で武器を持っていない彼を見たクリスティーナが、驚きの表情とともに立ち上がった。


「ア、アナタは……」


 驚きでうまく声が出せない。その時、何事かとフィリップが厨房から顔をのぞかせるなり、小さく驚きながらも笑顔を見せた。


「よぉ、アレックスさん。久しぶりだな」

「マスターや女将も、相変わらず元気そうでなによりだ。ビールとツマミを」

「はいよ」


 入店してきた男アレックスは、クリスティーナとイザベラに会釈し、自然とクリスティーナとは反対側の、カウンターの端っこに座った。

 イザベラからおしぼりを受け取ると、男性から声がかけられる。


「お前さんも忙しいのだろう? 無理して来なくても良いんじゃないか?」

「常連客として、定期的に顔を出すのは当然だろう。それに俺は、ここで酒を飲むのが楽しみでならねぇんだ」

「ほっほっほ、まぁ気持ちは分からんでもないな」


 男性とアレックスが楽しそうに笑い、運ばれたビールで乾杯する。豪快にジョッキの中身を飲み干す姿を、クリスティーナは戸惑いを隠せない様子で見る。


(大規模商隊のアレックス殿が常連客だと? 一体何者なんだフィリップ殿は?)


 クリスティーナがチラリと厨房を見上げると、フィリップがツマミ用のサラダを作っている。

 少なくともその姿は、どこにでもいる若い料理人にしか見えないのだった。



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