第十九話 ビュー~命をかけられる存在~
魔王。その言葉を聞いて、人々が真っ先に思い浮かべるのは世界征服。世界を闇で包んで支配するというイメージだ。
これは歴代の魔王が幾度となく言われ続けてきたことであった。
無理もない話だ。遠い昔の時代では、魔族が世界を支配するべく、人間界を襲い続けていたこともあった。魔族が恐ろしい存在であると、人間たちが常識として取り入れるのは、むしろ当然だと言えていた。
しかしそれでも、時代はちゃんと変化するモノであった。
ここ数十年の間に、魔王はあくまで魔界の王様という位置づけとして見られることが多くなった。ゼビュラスの祖父の代では、少なくとも悪の王様として見られることは基本的に皆無となっていた。
魔王は決して悪の王様などではない。それを象徴する意味も込めて、魔王の城の前に大魔界都市が作られた。
それから数十年。紆余曲折あれど、魔界は平和の道を辿っていた。
しかし、ゼビュラスが魔王の座を引き継いだ直後は、魔界に少しばかり危うい空気が流れていた。
端的に言えば、ゼビュラスは信用されていなかったのだ。いくら前王が病気で倒れたという事情があったとはいえ、あんな若造に魔王が務まるとは思えない。きっと近々、この魔界は衰退する可能性が高い、と。
そんなふうに好き勝手色々と言われる日々が続いたが、ゼビュラスは顔を背けるようなマネはしなかった。
前王である父親が息を引き取る直前、魔界の平和を保つことを約束した。それを投げ捨てるわけにはいかないと、挫けそうな心に喝を入れたのだ。
ゼビュラスは動き出した。小さなことから地道に始めた。
自ら開拓地に赴き、資金や資材提供などのサポートをしたり、親のいない子供を助けるべく、施設運営の資金を援助したりもした。
次第に人々から見直されるようになり、良い評価をもらえるようになった。ゼビュラスは優しい魔王として慕われ、大魔界都市に移り住みたいと願う者も徐々に増えてきた。
数年という月日は費やしたが、ようやくこれで軌道に乗り始めるかと思えた。
しかし、それを良く思わない魔族もいた。
とはいえ、仕方のないことだとは思っていた。魔族が平和を好まず、常に戦いに明け暮れるという考え方が、完全に消えたワケではないのだ。ゼビュラスも魔王として、それなりに分かっているつもりではあった。
しかし、見通しは甘かった。たくさんの子供たちが暮らす施設が襲われたのだ。
配下の情報によれば、犯人はゼビュラスを良く思っていない魔族。ゼビュラスの失脚を狙っていることは明白であった。
ゼビュラスは己の浅はかさを悔いながら、急いで襲われている施設に向かった。そこで彼が見たのは――
「あー、ゼビュラスさまだー!」
「ゼビュラス? ってことはアレが魔王か?」
一人の人間の青年が、魔族の子供たちに群がられている姿であった。そして彼らの足元には、目を回して倒れている犯人らしき魔族たちが。
その青年こそが、メシ屋開業を目指して旅をしているフィリップであり、それがゼビュラスとフィリップの、ファーストコンタクトでもあった。
同い年ということもあって、二人はすぐに打ち解けた。魔界で採取できる材料で作ったフィリップの食事に、ゼビュラスは感激した。
「美味い! 城のシェフに引けを取らない美味さだよ、これは!!」
「そりゃ嬉しいこったな」
「フィリップ。キミを城の専属シェフに……」
「断る」
洗った皿を拭きながら、さも当たり前のようにフィリップは言う。それを聞いた赤髪の配下が、表情を歪ませながら歩いてきた。
「キサマ……魔王様の御誘いを断るとは……一体何様のつもりだあぁっ!」
叫びながら剣を抜き、フィリップに切りかかる。しかし――
「なっ!?」
キィン、と金属のぶつかり合う音とともに、赤髪の配下の表情が驚きに満ちる。
赤髪の配下の剣が受け止められたのだ。一本の長包丁に。
他の配下たちも、そしてゼビュラスでさえも、驚きを隠せない。フィリップだけがニヤリと笑っていた。
どうする、まだやるのかと、そう問いかけられたような気がした配下の頬から、冷や汗が流れ落ちる。
「く……」
引き下がったのは赤髪の配下のほうであった。しかし剣を治めながらも、納得できないと言わんばかりに睨みつける。
「その包丁……一体どんなカラクリを仕込んでるんだ?」
「別に。ただの包丁だよ」
「トボけるなっ! 俺の剣をいとも簡単に止める金属なんざ、そうそうないぞ!」
「って言われてもなぁ……実際ただの包丁だし」
困ったような笑みを浮かべるフィリップに、赤髪の配下は歯を噛み締める。そこにもう一人、銀髪の配下が立ち上がった。
「フィリップと言ったな? 済まんが俺とも手合わせをしてくれないか?」
突然の申し出に、周囲の表情が止まった。フィリップと銀髪の配下以外の全員が驚いていた。
そんな周囲の反応を気にも留めず、銀髪の配下は続ける。
「もし良ければ、その包丁で相手をしてほしい。私が負けたら、ソイツのこともまとめて詫びを入れよう」
「俺が負けたら?」
フィリップの問いかけに、銀髪の配下はフッと笑う。
「どうもしないさ。こうして美味い食事を馳走になったからな」
「そうか。まぁ良いさ。その勝負受けるよ」
なんてことなさそうにフィリップは答える。そして一同は、裏の演習場へ場所を移した。
フィリップは知らなかったが、銀髪の配下は、配下の中でも頭一つ抜けるほどの強さを持っており、最高幹部としても名を馳せている存在であった。
あの料理人は終わったなと、誰もが思っていた。ゼビュラスでさえも、この勝負が終わったらフォローしなければと、すぐに動き出せるように心がけていた。
しかし、勝負が始まった瞬間――
「なっ!?」
剣が宙を舞い、地面に突き刺さる。
銀髪の配下は両手が開いた状態で呆然とし、フィリップは振り抜いた長包丁を鞘に戻しながら、ニヤリと笑う。
「俺の勝ち……だな」
その一言に、銀髪の配下は笑みを零す。
「完敗だ。その包丁もキミの腕も、紛れもない本物だ。疑いをかけたこと、勝負をけしかけたことを詫びる。本当に申し訳ない。アイツのことも許してやってくれ」
「別に良いよ。些細なことだ」
フィリップは笑いながら、銀髪の配下と握手を交わす。
最高幹部を打ち破った人間の料理人が現れた。そんな話が広まるのは、それからすぐのことであった。
◇ ◇ ◇
「ねぇ、もしかしてフィリップって勇者だったりする?」
「んなワケないっしょ」
ゼビュラスの問いかけに、フィリップは長包丁を丁寧に研ぎながら答える。
フィリップが大魔界都市に来てから、既に数週間が経過していた。二人はすっかり意気投合し、友達関係を築き上げていた。
お互いにしなければならないことがあるため、一緒にいられる時間は限られているが、それでも合間を縫って会い、取り留めもない会話を楽しんでいた。
(うーん、この様子からして、多分本当に違う感じだよなぁ。なにより聖剣を持っているとかでもないし……でもそれにしては、実力的に魔界を渡り歩ける……というか、ボクの配下をあんなにあっさりいなせるってのは……)
ゼビュラスはフィリップをジーッと見つめながら、物思いにふけっていた。
人間は魔族に比べ、どうしても生まれつき体格や骨格に差が出る。何かしらの特別な才能があればそれを覆すことは可能だろう。
例えば人間界の勇者が良い例であり、最高幹部を負かしたフィリップこそが、そうなのではないかと思うのは、むしろ自然なことであった。
ゼビュラスがこうしてフィリップと接しているのも、フィリップが何者なのかを把握するという意味合いが大きい。勇者ないしそれに準ずる特別な存在である可能性が非常に高く、なんとしてでもつきとめなければというのが、幹部たちとゼビュラスとの間で話し合った結論なのだった。
しかしこうして観察すればするほど、フィリップは何の変哲もない、それこそ他よりもちょっとだけ強い、人間の冒険者にしか見えない。仮にそれが本当だったとしたら、彼は勇者よりも強い存在だと言えてしまうのではないか。
少なくともゼビュラスには、人間界の勇者や王子以上に、フィリップの存在が気になりだしていた。
「ゼビュラス」
「え?」
急に呼ばれ、思考が追い付かないまま、ゼビュラスはマヌケな声を上げる。
「から揚げできたけど、味見する?」
「あ、うん……」
ゼビュラスはできたてのから揚げを一つ摘まみ、口に放り込む。すると――
「あっつ!」
「ハハ、気を付けな」
肉汁のあまりの熱さに軽く飛び跳ねてしまったが、その直後、凄まじい旨味が口中に広がっていった。
ゆっくりと口を動かしてしっかりと咀嚼し、やがて飲み込んでからひと言。
「……美味しい」
「そりゃ良かった」
満足そうに笑うフィリップに、ゼビュラスは思わずから揚げのお代わりを所望してしまうのだった。
◇ ◇ ◇
それから数年の月日を経て、ゼビュラスとフィリップは親友という確かな関係を作り上げていった。
互いに信頼し合い、時にはぶつかり合いながらも、その絆を深めていく。
魔王の城の配下たちや、魔界の人々からも、二人を応援する声が徐々に大きくなってきていた。それはゼビュラスへの更なる信頼にも繋がっていた。
ゼビュラスは嬉しかった。人として、そして王としての宝を得られた。この調子でもっと頑張ろうという気合いにも繋げていったのだった。
しかしゼビュラスは、色々な意味で若すぎた。
光の中には必ず闇が潜んでいることを、すっかり忘れてしまっていたのだ。
自分のことを陥れようとしている人物が間近にいることに、ゼビュラスは全く気づくことができなかった。
事件は起こるべくして起こった、といっても過言ではなかった。
「なんだって? それは確かなことなのか!?」
魔王の城で報告を受けたゼビュラスは、立ち上がりながら叫んだ。
「信じられないお気持ちは分かります。しかしこれは事実にございます」
報告した銀髪の配下は、淡々と、それでいてハッキリとした口調で告げた。
配下の一人がゼビュラスを裏切り、人間界から来た勇者たちの手引きをした。気づいた時にはもう手遅れだった。勇者たちとの衝突は、避けられない事態にまで追い詰められていた。
ゼビュラスは再び、己自身の浅はかさを悔いた。
もうあの時に懲りたハズじゃなかったのか。どこまで同じ過ちを繰り返せば気が済むのだと、自分自身に叱咤する。
これではもう魔王失格だ。このまま倒されてしまったほうが良いのではないか。完全に打ちのめされ、ゼビュラスは暗闇に沈んでいく感覚に陥る。
その時――
「ゼビュラス様、まだ可能性が潰えたワケではございませぬぞ!」
配下の一人がそう言って、無理やりゼビュラスを立ち上がらせ、大魔界都市の外れにある森へと引きずり込むように連れてきた。
そこには見知らぬ人間の女性がいた。腰に携えている剣は実に立派だった。
(凄腕の剣士でも雇ったのか? それにしてもあの剣、なんか見覚えが……)
気力を失っていたゼビュラスは、イザベラの持つ聖剣すらも見抜けないでいた。そしてそこにフィリップが訪れたことで、再び光が差し込んだ。
フィリップが何を言っていたのか、理解できなかった。友達を失いたくないという理由だけで、勇者と魔王の激突を利用する作戦を考えていくなんて、ゼビュラスはとても信じられなかった。
更にフィリップは、大魔界都市の人々をも、あっという間に動かしてしまった。いや、元からそれだけの信頼を築き上げていたということだろう。
ゼビュラスはまたしても悩んでしまう。魔王とは一体何だったのかと。
もしかしたら自分は、ただ魔王になったつもりでいただけに過ぎなかったのではないだろうか。
色々と魔界の人々の手助けをしてきたのも、全ては魔王という肩書きを保つために利用していただけだった。今回みたいな裏切りの発生は、むしろ当然のことだったのではないか、と。
(もし、肩書きがなくなったらボクは――ゼビュラスという魔族はどうなる?)
ただの魔族になるだけ――いや、それ以前の存在になるかもしれない。ゼビュラスは自分が悪い意味で恐ろしく感じてならなかった。
どれだけ自分は、魔王という肩書きに甘えていたのだろうか。失ったら自分には何も残らないではないか。
自分があまりにも情けなさすぎると、ゼビュラスが深いため息を尽きそうになったその時――
「っしゃあっ! なら俺も、ゼビュラス様のために一肌脱ぐぜ!」
「俺もだ!」
「必ずこの魔界から脱出させてやろう!」
フィリップたちが集めた大魔界都市の人々が、ゼビュラスに向かって笑顔を向けながらそう言った。
ゼビュラスは呆気に取られた。どうして自分なんかに、そのような眩しい表情を浮かべてくるのだろうか。とても自分にそんな価値があるとは思えないのに。
そう思ったゼビュラスに、銀髪の配下が耳打ちした。
「アナタはご自分が思われているよりも、ずっと皆から慕われているんですよ。彼らは心から願っているんです。アナタに生きていてほしいと、ね」
そう言われたゼビュラスだったが、どう反応して良いか分からなかった。
更に――
「凄いじゃないか」
肩にポンと手を置きながら、フィリップがゼビュラスに囁いた。
「ゼビュラスのためにここまで人が動くんだ。立派に魔王してるじゃないか」
ニカッと笑うフィリップに対し、ゼビュラスは胸の奥から込み上げてくる何かを感じた。
嬉しかった。親友が認めてくれたことが、嬉しくてたまらなかった。
涙が出そうになった。声を上げて泣きたくなった。けどまだ泣けない。作戦を成功させて生き延びなければならない。
そのためにも、せめて一言だけは、強くいよう。
ゼビュラスはそう思いながら、改めてその場にいる者たちにハッキリと告げた。
「皆、此度の協力、本当に感謝する。どうか……よろしく頼む!」
その言葉に、フィリップは小さく笑った。そして大魔界都市の人々は、ますます気合いを入れながら、笑顔で頷きを返すのだった。
◇ ◇ ◇
「作戦は……無事に成功しましたな」
「あぁ。これも皆のおかげだ。心から感謝しているよ」
人知れず海を渡り、人知れず人間界に上陸したゼビュラスと銀髪の配下は、海を眺めながら呟くような会話をしていた。
ふとゼビュラスが上を見上げてみると、青空の中を雲が流れていた。その中を、鳥の群れが横切っていくのも見えた。
とても静かで穏やかだった。この海の先で、数日前まで大きな戦いが起こっていたとは思えないくらいに。
「これから……どうするおつもりですか?」
「最初の目標は決まっているよ。フィリップに生存報告するのさ。きっとメシ屋を開業しているだろうから、そこで働かせてもらうのも良いかもしれないね」
どこかウキウキした様子で語るゼビュラスに、銀髪の配下は苦笑する。
「まぁ、もはやとやかく言うつもりもありませんが……その顔は変えたほうがよろしいかもしれませんね」
「そうだね。そこはおいおい魔法で変えて、少しずつ馴染ませていくよ」
顔を変えたらフィリップは驚くだろうなぁと呟きながら、ゼビュラスは両手を目いっぱい挙げて伸びをする。
そこに銀髪の配下が、小さなため息をつきながら言った。
「それにしても、少し前まで国のトップだったお方が、今度はご友人とはいえ、人の下で働かれるとは……分からないモノですね」
「んー? 別にそうでもないと思うけど?」
ゼビュラスのあっけらかんとした物言いに、銀髪の配下が振り向くと、ゼビュラスが笑みを浮かべていた。
「キミたちはボクのことを、命をかけられる存在だと見てくれてたワケでしょ?」
「えぇ。それは今でも変わりませんが」
「ボクも同じなんだよ」
「と、申しますと?」
銀髪が首を傾げると、ゼビュラスは小さく笑いながら――
「ボクはフィリップのためなら、喜んで命をかけられるってことさ」
力強くハッキリと、そう告げるのだった。
「そうですか……それがゼビュラス様の答えなのですね」
銀髪の配下がにっこりと笑いながら頷くと、ゼビュラスがハッと思いついたような仕草を見せる。
「そうだ! 折角だから名前も変えよう。とりあえずビューとでも名乗ろうかな」
「いいんじゃありませんか? 本名をもじっただけで分かりやすいですし」
「……バカにしてる?」
「滅相もない」
銀髪の配下が苦笑気味に言うと、ゼビュラスことビューも笑い出し、そのまま海沿いを歩き出した。
そして時は数ヶ月後――ビューは親友とともに、再び大きな戦いに身を投じる。
負けじと立ち向かってくる兵士たちに対し、両手に魔力を宿しながら、ビューはニヤリと笑った。
(フィリップのために喜んで命をかける。今がまさにその時だ!)
心の中で思いを強くしつつ、ビューは兵士たちに立ち向かっていくのだった。