第十七話 フィリップ~メシ屋を目指していたあの頃~
フィリップがメシ屋を目指した理由は、そんなに大したモノではない。
メシ作りに興味を持った。いつしかそれが店を持ちたいという夢に変わった。それだけの話だ。
本格的に動き出す大きなキッカケがあったとすれば、一人のメシ屋のオジサンに出会ったことだろう。大陸一つ違うだけで食材も水も全然違う。その目で見て味わうことこそが、一人前のメシ屋になる最大の秘訣なのだと。
大げさな言い方ではあるが、要するにメシ屋を営むなら、世界そのものを知る必要がある。恐らくそう言いたかったのだとフィリップは解釈した。
世界を知るためには冒険が必要不可欠。ならば冒険者の経験も必要だった。
冒険者への登録は、ある一定の年齢に到達しないといけない。それまでは自主的に体を鍛えるしかなかった。
と言っても、野山を駆け巡りながらの筋トレぐらいしかできなかったのだが。
しかしフィリップにとっては、とても好都合な鍛錬でもあった。
村の周囲の地形を正確に覚えつつ、どこにどんな食べられる野草があり、食べられない野草がどれほどあるか、それをチェックしていく。それをこなしている間に自然と体も鍛え上がる。
まさにいいこと尽くしではないかと思っていた。故にフィリップは、ヒマさえあれば野山を走りに向かうようになっていた。
幸い、村の周囲には強い魔物がそれほど生息しておらず、子供でも入れるような野山は限定されていたため、大人からの注意もそれほどなかった。なにより村としても、強い人間が増えるのは大歓迎であり、率先して己を鍛えようとする子供がいることは、むしろ嬉しく思っていたのだ。
おかげでフィリップは、変な決まり事などに縛られることもなく、自由にのびのびと鍛錬に集中することができた。
しかしある日のことだった。
「わたしもいっしょにいく!」
いつものように山へ行こうとしたら、幼なじみで妹みたいな存在のイザベラも、至極当たり前のように後をついてきたのだ。
そしていつしか、当たり前のように一緒に特訓していた。遊びでやってるんじゃないと言っても聞かないのだ。
それどころか――
「フィリップひとりでボーケンするなんてふあんだから、わたしがいっしょにいってあげる。そのためにきたえてるんだから、せいぜいかんしゃしなさいよね!」
と、言う始末であった。彼女の両親も賛成はしていなかったが、何を言っても聞かないことに疲れ果てたらしく、連れてってやってくれと頭を下げてきた。
フィリップとしても気持ちは分からなくもなかった。お世話になっている人たちでもあるため、話を受け入れることにした。
だがフィリップは、それをすぐに後悔することとなる。四つも年下であるイザベラが年齢的に幼いということもあり、一緒に行動するとなれば、自然とフィリップが目を離さず面倒を見なければならなくなるのだ。
となれば、フィリップ自身の鍛錬が疎かになってしまうのは、ある意味当然と言えば当然であった。イザベラを大切に思う気持ちはあるが、それでも自分のことをないがしろにすることはしたくなかった。
故にフィリップは、朝早くに一人で山へ行くことに決めた。
久しぶりに一人で訪れた山は楽しく、自由に色々なところを走り回れた。有意義な時間を過ごすことが出来た。
しかしその日の夕方、帰ってきたフィリップを待ち受けていたのは、顔を真っ赤にして怒りながら、涙を流すイザベラであった。
それはもう凄まじい罵倒の嵐だった。言葉が言葉になっていないほどであり、何を言っても聞いてくれそうにない。
これはイザベラの親からも怒られるだろうなぁと思った。大切にしている娘を泣かせたのだ。ゲンコツの一つはくることを、フィリップは覚悟していた。
しかしフィリップは叱られなかった。むしろ申し訳なさそうに謝られたのだ。
そして――
「お兄ちゃんにはお兄ちゃんのするべきことがあるの! アンタがいたところで邪魔になるだけだから、いい加減にしなさい!!」
イザベラが母親にそう怒鳴られていた。
これには流石の父親もビックリしており、怯えながらなんとか母親を落ち着かせていたのを、フィリップは大人になった今でもよく覚えていた。
それから少しずつだが、イザベラは自分と一緒に行動する機会が減った。いや、減らされたと言ったほうが正しいだろう。
フィリップは知らないことだが、実はイザベラの両親が、精力的に立派な冒険者を目指す子供たちに会わせて遊ばせていたのだ。
それについては、別にフィリップも思うところはなかった。むしろ心置きなく自分の鍛錬に集中できると思い、清々していたほどである。
「よーし、きょうもがんばるぞーっ!」
フィリップはいつものように山へ向かって走り出す。ちょうどその日、イザベラとその家族の元へ、王都からの客人が来ることを知らないまま。
◇ ◇ ◇
それから、数年という月日が流れた。
フィリップは十六歳となり、立派な青年へと成長を遂げていた。
背丈も伸び、肉体もしっかりと鍛え上げられていた。毎日のように野山を駆け巡っていたおかげで、体力も人並み以上であり、もうそろそろ冒険者ギルドに登録しても良いんじゃないかと、村の人たちからも薦められていた。
そしてイザベラも十二歳を迎えていた。
同時に彼女の運命が、大きく動き出すのだった。
イザベラには勇者の素質がある。そのことを知らされたフィリップは、驚きで言葉が出なかった。そしてそれはイザベラも同様であった。なんと彼女も今の今まで知らされていなかったのだ。もう何年も前から判明していた事実であるだけに、尚更だと言えた。
そして、イザベラは両親とともに、王都へ移り住むことが決まった。
勇者としての訓練を積むためだと説明された。
彼女の両親は、今まで見たことがないくらいの晴れ晴れとした笑顔で、様々な人たちに娘の自慢をしていた。それも何度も何度も。一体どれだけ同じ話をすれば気が済むんだと、ため息をつきながら言いたくなるほどに。
そんなイザベラの両親に対し、フィリップはどこか不気味に思えていた。しかし決まってしまったことも確かであるため、ここは一つ、笑顔で元気よく送り出してやろうと決めるのだった。
数日後、彼女が出発する前夜、イザベラはフィリップの元に現れた。
村総出で開いたお別れパーティーを抜け出してきたのだ。
イザベラは泣いた。王都なんて行きたくない。どうしてフィリップと離れなきゃいけないの。王子様がいるんだから、ソイツに全部任せればいいじゃない、と。
そしてひとしきり喚いた後、イザベラは問いかけた。
「フィリップは……ひっく、どう思ってるの?」
「うーん、どうって言われてもなぁ……」
涙と鼻水ですっかりグシャグシャとなった顔にタオルを差し出しながら、フィリップはとりあえず今の気持ちを話してみる。
「勇者の素質があるのは凄いと思う。けど正直……少し寂しいかな?」
その瞬間、イザベラの表情が一気に輝きを増した。
「やっぱりそうなのね! アンタは私がいないと寂しい。つまり私がいないと何もできないと、そういうことなのよね? そうだと言いなさいよ!!」
「あ、あぁ……」
ずずいと押してくるような圧を向けてくるイザベラに、フィリップは引きつりながらも頷いた。
しかしながら、その一方でフィリップも思っていることはあり、それもちゃんと言っておかなければと思ってはいた。
イザベラがどんな反応をするか、少し怖く感じたが、意を決して打ち明ける。
「でも、いい機会だとも思っているんだよ」
フィリップがそう言った瞬間、イザベラの嬉しそうな表情が止まる。まるで壊れた時計のように。
そして――
「それは一体全体どういうことかしら? 怒らないから言ってごらんなさい!」
鬼同然の形相で、フィリップを睨みながら顔を寄せる。思わず息を飲むフィリップだったが、なんとか言葉を絞り出すのだった。
「お、俺もメシ屋の修行で、あちこち旅をするつもりでいるんだ。これは元々決めていたことでもあるし、お互いにそれぞれの道を頑張るっていう点でも、良い機会だと思ったんだ。つまりはそう言うことだ」
実際、冒険者ギルドへの登録は十五歳から受け付けており、フィリップに関しては年齢制限をクリアしている。
メシ屋を営むためには世界を知る必要がある。それを実践する時が来たのだ。
フィリップがその思いを告げると、イザベラはポカンと口を開けた。そして数秒が経過した後――
「やっぱりアンタは、どこまで行っても変わらないわね」
普段のような明るい笑顔を見せるのだった。
「いいわ。こうなったら潔く、王都でもどこでも行ってやろうじゃないのよ!」
どこかスッキリしたような顔つきで、イザベラは立ち上がる。
「ちゃっちゃと強くなって勇者の仕事も全部終わらせて、すぐにアンタの所へ帰って来てやるんだから、覚悟して待ってなさい!」
そしてフィリップに人差し指を突き出しながら、そう宣言するのだった。
これ以上ないくらいの、堂々とした態度。イザベラはここまで強い表情を見せる子だったかと、そう問いかけたくなる。
フィリップは思わず、彼女の笑みに見惚れてしまっていた。同時に思った。きっと彼女はこれから勇者として、皆から注目されるような強い存在に成長していくのだろうと。
(なんつーかまぁ、やっぱ結構寂しいかもな……)
幼なじみが注目されることは、確かに喜ばしいと思う。しかしどうにも込み上げてくる感情も否めない。
しかしフィリップはそれを飲み込んだ。
お互いにこれからするべきことがあるのだから、ここであれこれ言っても仕方がないじゃないかと。後腐れなくバイバイと言うのが一番に違いないと。
そう思いながら立ち上がり、フィリップは笑顔でイザベラに手を差し出した。
「イザベラ、頑張ろうぜ!」
そのフィリップの表情に、ほんの一瞬だけ心を動かされながらも、イザベラは強い笑みを返した。
「えぇ、お互いに!」
そして二人はガシッと力強い握手を交わし、またいつか絶対に会おうと、約束をするのだった。
◇ ◇ ◇
旅に出てから、また更に数年の月日が流れた。
フィリップは世界中を回り、色々な経験を積んだ。楽しかったことも多かった。そしてそれ以上に、辛いことが多かった。
何度も挫けそうになり、その度に立ち上がった。死にたくないという恐怖。メシ屋を開きたいという夢を捨てたくない。それも確かにあった。
しかし、なんだかんだで一番大きかったのは、イザベラの存在だった。
旅先で何回か彼女に会った。会うたびに彼女は強くなっていた。
ちょっとした会話でも、頑張っているんだということがよく分かる。口ではどんなに辛い、悲しい、キツいという言葉を出しても、絶対に立ち止まらないという強い意志を感じた。
四つも年下の幼なじみは、いつの間にか自分よりも先の道を歩いていた。いつも自分の後ろをついて来ていた存在が、悠々と前を歩いていて振り返ってくる存在になってしまっていた。
負けていると認めざるを得なかった。純粋に悔しかった。
同時に驚いてもいた。自分のほうがお兄ちゃんだというプライドが、少なからずあったということに気づかされた。
(俺も、もっともっと頑張らないと!)
フィリップは拳を握り締め、強いメシ屋になってやると誓うのだった。
それから更に数年。旅先で作れるだけの人脈を作り、旅を一区切りして村へ戻って来たその時、あの一大事件が起こった。
魔王ゼビュラスは倒され、ビューとなってメシ屋の従業員となり、事態はようやく落ち着いたかと思われていた。
しかし、安心するのはまだ早かったことを、フィリップたちは思い知らされる。
「や、ただいまっ♪」
魔王討伐から数日後、イザベラがフィリップたちの前に姿を見せた。
なんと王都で勇者の全てを捨て、逃げ出してきたというのだ。あまりの行動力の凄さに、フィリップもビューも驚きを隠せない。
「言ったでしょ? アンタの所へ帰って来てやるってさ。とゆーわけで……」
イザベラは笑みを浮かべたまま目を細める。まるで獲物を狙うハンターのような鋭さを醸し出していた。
そして――
「フィリップ。今すぐ私と結婚しなさい。異論反論は認めないわ!」
ビシッと勢いよく人差し指を突き出しながら、イザベラはそう言うのだった。
「あ、えっと……」
フィリップは戸惑っていた。まさかいきなり告白を通り越してプロポーズされるとは思わなかったのだ。
しかし、素直に嬉しいことも確かであった。
また昔みたいに、イザベラと一緒にいられるのだと。また彼女の強い笑顔が毎日見れるのだと。
そう思ったフィリップは、もう返事に迷う理由はなかった。
「ありがとう。イザベラの申し出、喜んで受けさせていただきます」
フィリップが笑顔でそう言った瞬間、イザベラが勢いよく抱き着いてきた。その目に涙が浮かんでいたことに、果たして彼は気がついただろうか。
胸元に顔をうずめ、彼のシャツをギュッと掴みながら、イザベラはフィリップにハッキリ告げた。
「もう一生離れてやらないんだから、覚悟しておきなさい!」
「あぁ、望むところだ」
フィリップがイザベラを優しく抱きしめながら、しっかりと答えるのだった。
その後、二人は様々な人々から祝福された。
大聖堂の法皇、商隊のアレックス、剣王のヴェルマンダなど、今までフィリップが知り合ってきた人物たちが、結婚記念としてメシ屋設立の援助と、常連客になることを約束。ビューの配下たちが、魔界で一番の酒を大樽で送ってきた。
イザベラの状況的に、あくまでひっそりという形ではあったが、当の本人たちも騒がしくなくていいからと、気にすることはなかった。
そして無事に開店したメシ屋は、連日盛況といういい結果に。
このまま平和な日々が続いてくれればいいのにと、フィリップたちは心から願わずにはいられなかった。
――王都からの来訪者が割り込んでくることも、それなりに予想しながら。
いつかは決着を付けなければならないと、フィリップは思っていた。イザベラが連れていかれたことで、直接王都へ出向く理由もできた。
たくさんの協力者も得た。後は動き出すだけとなっていた。
(待ってろよ……必ずイザベラを取り戻し、レイモンドとの決着もつけてやる!)
引き戸の入り口に、『都合により、しばらく休業いたします』と記載された紙を貼りつけながら、フィリップは静かに闘志を燃やすのだった。