第十四話 レイモンド~膨れ上がる野望~
レイモンドは幼少期から、厳しい英才教育を義務付けられていた。
王家に生まれた子が、約束された地位という名の椅子に胸を張って座る。そのために長年繰り返されてきた歴史の一つとも言えた。
決して甘さが許されることはない。どんなに挫けても、どんなに泣き叫ぼうと、必ず立ち上がらせる。一見、血も涙もない鬼のような接し方にも、ちゃんとした愛があった。全ては国を背負って立つという、途轍もなく重い宿命に押し潰されないようにするために。
勿論それは、レイモンドに対しても例外ではない。
だが彼は乗り越えた。溢れんばかりの非凡なる才能によって。
修行を付けた者たちは驚きを隠せなかった。あり得ない。年齢が二桁に届かない子供では、絶対に乗り越えられないハズなのにと。
レイモンドを育てた大人たちは、完全に見誤っていたのだ。自分たちの想像を軽く飛び越えてしまう。色々な意味で想定外の結果を見せつけてくる。
深き谷底に突き落としても、普通に這い上がってくる。言葉に例えるならばそんな感じだろうか。
そんなレイモンドが月日を重ねるごとに、力を付けてくるのはもはや必然。才能と物理的な強さだけなら、王家の跡取りとして全く申し分ないと、周囲からも評価はされていた。
そう――あくまで、才能と強さだけで見れば――。
「なるほどね。要するにレイモンドは、類い稀なる天才だったってことか」
イザベラの話を聞いていたフィリップが、納得するかのように頷いた。
「才能が上手いこと味方して、結果は得られたように見えるが……欠けちまってる部分もありそうだよな」
「あはは……ちなみにフィリップは、それについて何を想像してる?」
イザベラから苦笑気味に尋ねられたフィリップは、数秒ほど考えたのち答えた。
「挫折。もっと言えば、失敗や敗北に値する経験の全てとか……」
「ありそうだよね。自分の思いどおりにならないまま終わったことがないとかさ」
「それな」
ビューの意見にフィリップは笑みを浮かべて同意すると、法皇が顔を上げる。
「しかしまぁ、それぐらいなら別に珍しいことでもないだろう。力を付けた若者が驕りを見せるのは、むしろ普通と言える」
「あー、確かに俺もありましたね。後で随分と痛い目見ましたけど」
「ボクもあったなぁ……あの頃が懐かしいよ」
フィリップとビューが昔を思い出しているところで、イザベラも似たようなことを思い出していた。
なんだかんだで力を付けて周囲が褒めてくれるのが嬉しかった。それでつい調子に乗ってしまい、下手をしたら命にかかわるようなミスをしでかしてしまい、色々な人たちに迷惑をかけてしまった。
思い出す度に恥ずかしくなることは否めないが、あれがなければ、果たして今日まで生き残れていたのかどうかが疑問に思う。
失敗は成功の基とはよく言ったモノだ。辛さや痛さ、そして恥ずかしさを経て、人は成長する。そして成長した証こそが成功という名の喜び。そこから更なる精進に繋がっていくのだ。
そこまで考えたイザベラはふと思う。果たしてレイモンドはどうなのかと。
成功続きだった彼に、挫折という経験が欠けている。フィリップの言ったとおりだとしたら、レイモンドは成長していると言えるのだろうか。
(まぁ、成長と言っても色々あるだろうし……全くしていないワケじゃ……)
そう思いかけたところで、イザベラは急に自信がなくなってきた。
さっきのように、悪党よろしく引き戸を蹴破って、散々言いたいこと言って、荒らすだけ荒らして帰っていったあの姿。とてもじゃないが、真っ当な人間とは言い難い。むしろ下手な盗賊よりも盗賊らしいとすら言えるだろう。
イザベラがひっそりとため息をついていると、フィリップがどこか納得するかのように言った。
「でも、今の話を聞いて、色々と分かったような気がするよ。鎖に繋いでおくべき王族ってのは、やっぱりそう珍しくもないんだなってさ」
「フィリップも言うね。ボクも同意見だけど」
ビューが笑いながら言うと、ハッと気がついたような反応を示した。
「もしかして彼、イザベラのことを、大分前から狙ってたんじゃない? それでなかなか振り向かなかったから、躍起になっていたのかも……」
「あり得るな。自分は王子で強いんだから、振り向いて当然とか思ってたりして」
フィリップが笑うと、ビューもつられて笑い出す。そこにイザベラが深いため息をつきながら、頭を抱え出した。
「まさかそこまで想像されちゃうとはね……いや、単に分かりやすいだけか」
「ってことは……当たり?」
「まぁね。一応、そこらへんのこともザックリ語れるけど……聞く?」
イザベラの問いかけに、フィリップとビューは勿論と言わんばかりに頷く。法皇も無言のまま、話に耳を傾ける姿勢を取っていた。
三人が注目してきたのを確認しつつ、イザベラは語り出す。
「思えば……私が十二歳の時、初めて王都でアイツと出会ったのが、全ての始まりだったのかもしれないね」
イザベラは十年前の出来事を、まるで昨日のことのように思い出していく。
王宮で初めてレイモンドと顔合わせをした瞬間、レイモンドは背筋に途轍もない衝撃が走り抜けた。
完全なる一目惚れだった。二つ年下ながら、可愛さの中に確かな美しさを秘めていた彼女に、レイモンドは釘付けだった。自分は彼女と出会うために生まれてきたのだと、心の底から思うほどに。
それからレイモンドは、可能な限りイザベラと行動を共にするようにした。
最初は王子という肩書きを見せつけ、気を引こうとしたが、イザベラには全く効果がなかった。一瞬、信じられないという気持ちに駆られはしたものの、レイモンドはすぐに気持ちを切り替えた。彼女は勇者なのだから、これぐらいではなびかないのだろうと思ったのだ。
それからもレイモンドはイザベラの気を引こうと一生懸命であった。
兵士長を打ち負かすほどの剣の実力、修行で男らしい根性を見せつけたりと、周囲から見ても明らかに分かりやすいほどの必死さを出していた。
しかし、イザベラはレイモンドを見ない。それ以前に見ようともしない。
お互いにまだ修行中であること、魔王討伐を控えていたこともあり、直接的な告白は避けていた。その代わり、態度や遠回しな言葉などで、幾度となくアピールを重ねてきた。見事過ぎるぐらいに全滅ではあったが。
ある日のことだった。イザベラがクリスティーナと会話をしていたその時、一人の男の名前が出てきたのだ。
レイモンドはその会話を影で盗み聞きしていた。
そして段々と表情が切り替わる。驚愕から憎悪という形で。
納得いかない。まるでワケが分からない。どうしてイザベラは、立場のない平民なんかを好きになるのか。どうして王子である自分を好きにならないのか。
どう考えても将来性は自分のほうが上ではないか。自分と結婚したほうが間違いなく幸せになれるに決まっている。
レイモンドは苛立ちを募らせていく。しかしどこか冷静さを保ってもいた。
ここで無理やりイザベラを説得するのは逆効果だと思った。それよりも自分をとことん鍛え上げ、必ず彼女の気持ちを自分へ切り替えさせてやる。
レイモンドはそう胸に近い、魔王討伐に向けた訓練を、今まで以上に熱心に打ち込むようになるのだった。
「いやはや、なんというか……イザベラちゃんも罪な女だの」
そこまで聞いた法皇は、呆れ気味に笑った。
「しかしながら、お前さんは当時から、今の旦那にとことん一途だったらしいな。よくぞ気が変わることなく、こうして結婚までこぎつけたモノだ」
感心する法皇に、今度はイザベラが苦笑する。
「あはは……まぁ実を言うと、私がフィリップに一途でいられたのは、レイモンドのおかげと言えなくもないかなー、って感じなんですよね」
「む? それはまたどういうことかね?」
首を傾げる法皇に、イザベラは再び語り始める。
レイモンドが兵士たちとの訓練に集中するようになった。それと同時期に、イザベラもまた、より真剣度を増した状態で訓練に打ち込んでいた。
きっとレイモンドの真剣な姿に影響されたのだろう。周囲はそう思って疑わず、ウワサ話として王宮内に広まっていった。
レイモンドの耳にもその話は届いており、嬉しさがこみ上げてきた。やっと自分の気持ちが届いたのだと思った。
勇者と王子が結ばれれば、間違いなく最強夫婦として名を馳せることができる。そして生まれた子供も、未来の勇者ないし王として、自分たちの期待に応えてくれるだろうと、今からワクワクが止まらなかった。
無論、これは全てレイモンドの個人的な妄想に過ぎず、イザベラの気持ちは全く別の方向にあった。
イザベラは早く故郷に――正確にはフィリップの元へ帰りたかった。しかし、魔王討伐を終えるまでは帰れない。
ならば、さっさと強くなってやることをやってしまえば良い。そうすれば晴れて自由になれるのだから。
そう強く胸に抱いたイザベラは、周囲の反応など気にも留めることなく、ひたすら修行を重ね、強さを身につけていった。流れていたウワサ話など、当たり前の如く気にも留めずに。
それから、あっという間に数年が経過した。
イザベラとレイモンド、そしてクリスティーナの三人が、魔王討伐の旅に出発するときがきたのだ。
やはりレイモンドからすれば、無理なくイザベラと一緒にいられるのが嬉しくて仕方がない。その一方で、面白くないこともあった。イザベラの心には、まだ例の幼なじみの存在が植え付けられていたのだ。
この魔王討伐の旅で、自分の凄さと素晴らしさを見せつけ、必ずや彼女の心を掴んで見せてやる。
レイモンドはそう強く決意した。その気持ちが野心に等しいほどの膨れ上がりを見せていたことに、本人が全く気づくことはなかった。
「なんとまぁ、皮肉なもんだねぇ……結局彼は、イザベラの恋心をムダに燃やしていっただけだったってことか」
話を聞いている中、ビューがやれやれと言わんばかりに首を横に振る。
「それで? なんとなく想像はつくけど、その後のことも教えてよ」
「あぁ、うん……まぁ、今までのもそうなんだけど、全部レイモンド本人や、他の人から聞いた話を、私なりに整理してみた感じなんだけどね……」
そうイザベラが前置きしながら、話を続けていった。
語り出した内容は、港町でアレックスの商隊から、物資の補給をしてもらったときのこと。ちょうどフィリップと偶然再会したときでもあった。
レイモンドは資金稼ぎに勤しんでいた。ギルドでたくさんのクエストをこなし、冒険者としての評価も上げられるという一石二鳥を狙っていたのだ。
しかし夜、レイモンドが戻ってきたときには、既にイザベラたちが、大量の物資を手に入れた後だった。
一応、たくさんのクエストをこなしたことによる評価は得られ、そのことをイザベラも称賛したが、それでもレイモンドの表情には、苛立ちが保たれていた。
当初の目的が達成されなかったからではない。問題はイザベラが物資を調達した方法だった。
また、彼女の幼なじみの男だった。偶然にもこの町で再会し、商隊の頭に口添えをしてもらったと話すイザベラの表情は、とても嬉しそうな笑顔だった。自分にそんな笑みを向けてくれたことがあっただろうかと、疑問に思ってしまうほどに。
それからも行く先々で、フィリップという青年が活躍するウワサを聞いた。その度にイザベラは嬉しそうに笑い、レイモンドの心を闇が覆いつくす。
どうしてそんなくだらないウワサ話に動かされるんだ。どうして傍にいない男をそこまで気にかけるんだ。どうして勇者でも王子でもない男の話で頬を染め、王子である自分の話には、普通の表情で聞いているんだ。
イザベラの心が自分に向いていない。それをレイモンドは認められなかった。
自分は才能に恵まれた王子だ。そして魔王を倒すという、大きな使命を背負っているのだ。勝手気ままに冒険者をしているヤツとはワケが違う。きっといつか、イザベラもそのことを分かってくれるに違いない。
レイモンドはそう思いながら、新たに決意を固めた。
彼女を振り向かせるには、魔王を倒すしかない。勇者である彼女と、天才の王子である自分が、世界に光をもたらすという偉業を成し遂げるのだ。
これには流石のイザベラも振り向かないハズがない。今までの考えを改め、結婚したいと思ってくれるに違いない、と。
それからしばらくして、三人が魔界へ渡ったときのことだった。一人の魔王の配下が、魔王退治に協力すると言って姿を見せたのは。
代替わりした魔王のやり方が気に入らない。革命を起こすという意味で、勇者の力を借りたいのだと。
その申し出を聞いたレイモンドは、ニヤリと口元を釣り上げた。
これは良いチャンスが舞い込んできた。魔族の言ってることが本当かどうかはどうでもよかった。ウソならウソで利用する価値はある。これで魔王を倒せる近道に繋げられるのならば、十分なことじゃないか。
そう考えたレイモンドは、イザベラとクリスティーナの意見を押し切って、魔族と手を組むことを勝手に承諾するのだった。
「……なんかもう、どこからツッコんでいいのか分かんないな」
話を聞いていたフィリップが、腕を組みながら呆れ果てた表情を浮かべる。
「まぁ、ビューのことを良く思ってない魔族には、俺も実際、何人かと会ったことがあるからな。革命の一つくらいは起こっても無理はないと思ってたが……」
「国のトップが国民全員から慕われることなど、まずあり得ないのが現状だ。その重圧に耐えつつも、王は国を動かしていかねばならんのだ」
空となった湯呑みを置きながら、法皇が言う。
「もっともお前さんのことだ。狙われておることは想定しておったのだろう?」
「えぇ」
法皇の問いかけに、ビューが頷いた。
「水面下で反乱者が動いていることは、ボクも把握していたんだ。結局止めることはできなかったけどね。イザベラたちに接触したのも、恐らくは都合よく利用するためだった」
「しかしその魔族は、逆にレイモンドに利用されてしまったってことか。まぁ、いずれも確証があるワケじゃないから、本当のところはどうだかな」
ビューやフィリップの言ったことは、あくまで推論に過ぎない。何か別の裏が隠されている可能性も十分あり得る。
もっとも考えたところで、結局推論の域は出ないことも確かなため、とりあえずフィリップは、更に話を進めることにした。
「それでイザベラたちは、魔王討伐を成し遂げたことになった。レイモンドはさぞかし喜んだろうな。イザベラと結婚できるって、本気で思い込んでたんだろ?」
フィリップがイザベラに問いかけると、イザベラは淡々と語り出した。
「本当に楽しみだ。愛する女性と一緒に生活するのを想像するだけでワクワクしてしまう。子供は何人作ろうか。自分とイザベラの子なら、きっと将来は自分を超えるほどの勇者、もしくは王家の跡継ぎとなってくれるに違いない。兄弟たちがいれば、他の王国の王女様を振り向かせてくれるだろう。そうすれば人間界は、更に大きくなること請け合いだ!」
「……何それ?」
「レイモンドが私に言ってきた言葉だよ。魔界から人間界に帰る船の中でね」
呆然とするフィリップに、イザベラはため息交じりに答える。するとビューが、ある一つの可能性に思い立った。
「ラストチャンスだと思ったんじゃないかな? 王都へ帰るまでに、なんとしてでもイザベラを振り向かせたかった。だから心の中にため込んでいたことを、包み隠さず勢いに乗せて話した。流石に逆効果だったみたいだけど」
「うん……正直ドン引きしたし、怖いとも思えたよ」
イザベラの言葉が容易に想像できたビューと法皇は、揃って表情を苦くする。それはフィリップも同様であり、これ以上考えたくないと言わんばかりに首を左右に振りながら言う。
「まぁ、とにかくアレだ。今の話と今日の様子から考えれば、大体の想像はつく」
頭に思い浮かべた内容に、フィリップは思わずため息をついてしまった。
「今のレイモンドは暴走状態だ。もはやイザベラを手に入れることしか、まともに考えられなくなっているってところだろう」
「そうだね。そのためには手段を選ぶ余裕すらない。言い換えれば、何をどう仕掛けてきてもおかしくはない。むしろ派手に仕掛けてくることを想定しておいたほうがいいと思うよ」
同意するビューに、フィリップとイザベラが頷いた。それを横目で見ながら、法皇は思う。
(こりゃあワシのほうでも、少しばかり動いたほうが良いかもしれんな)
間違いなく嵐は襲い掛かってくる。下手をすればメシ屋が潰れかねない。それだけはなんとしてでも避けなければ。
そう考えた法皇は、もはや行動を躊躇する理由はどこにもなかった。