第十三話 歪な王子様
人はここまで温度差を出すことが出来るのか?
イザベラとレイモンドの様子に、フィリップは唖然としながらそう思った。
ビューや法皇だけでない。よく見てみると、レイモンドの後ろに控えている兵士たちもまた、イザベラの凍てつくような表情に唖然としている。中にはガタガタと震えている者もいるが、むしろ自然だろうなとフィリップは思った。
ちなみにフィリップが比較的冷静でいられるのは、レイモンドの表情がよく見れているからに他ならない。
射貫くような視線を受けていながら、何故あそこまで幸せそうな笑みを浮かべていられるのか。もしかして彼の目は節穴なのだろうか。
フィリップ、そして彼の後ろでこっそり隠れるようにして観察しているビューと法皇の三人がそう思う中、レイモンドが両手を広げ出した。
「本当に嬉しいよイザベラ。俺はようやく……キミを助ける時が訪れたんだ!」
レイモンドはどこか芝居がかっているかのような口調で、イザベラだけを見つめながら大声で叫ぶように言った。
「数ヶ月間も薄汚いところに閉じ込められて辛かっただろう? さぁ、俺と一緒にここを出よう。王都へ帰って結婚し、俺たちの栄光を、果てしなき未来へと語り継がせていこうじゃないか!」
言い終わった瞬間、フィリップもビューも法皇も、そして凍てついた表情を浮かべていたイザベラでさえも、目を点にしてポカンと口を開けていた。
全くもってワケが分からなかった。コイツは一体何を言ってるんだ、という一言だけでは到底足りないくらいに。
しかしながら、判明していることもある。レイモンドがイザベラを王都へ連れて行こうとしていることだ。
そんな勝手なことをさせるわけにはいかない。
フィリップはそう思いながら、旦那として嫁を守るべく、レイモンドの前に堂々と躍り出ながら睨みつける。
すると――
「……んだよ?」
その瞬間、レイモンドの表情が急激に変わった。
「ヒーローのジャマをするんじゃねぇよ、この薄汚れた悪党めが! 俺のイザベラをこんな薄汚い店に閉じ込めるとは、一体どういうつもりだ!?」
恐ろしく冷たい口調と声色。ここまでガラリと声を変えられるモノなのかと、フィリップは思わず感心してしまう。
しかもさりげなくイザベラを自分のモノだと宣言していた。もうこの時点で、彼のイザベラに対する気持ちがどれほどなのかは容易に想像がつく。
フィリップがそう思う中、レイモンドがマジマジと見てきた。
「どうやらキサマは身の程知らずの無能らしいからな。特別に教えてやるよ」
レイモンドはフィリップに対し、完全に見下したような笑みを浮かべる。
「勇者であるイザベラに、キサマのような薄汚い庶民風情なんかが、馴れ馴れしく近づくなんざお門違いなんだよ! これは極めて重罪だ。厳しい処分が下ることは覚悟しておけ!」
「はぁ……」
ビシッと人差し指を突き出しながら言い放つレイモンドに、フィリップは呆けながら呟くように言う。
それを見たレイモンドは、両方の手のひらを上にしながら首を横に振った。
「やれやれ、この俺がここまで言ったのにまだ分からないとは……庶民はどこまでちゃんとした教育を受けてないんだろうな?」
どこまでも見下す言い方をしていたが、あながち言ってること自体に間違いはないかとフィリップは思った。
少なくとも分からないという点では、全くもって否定できないのだから。
果たして今度はどんなことを言うのだろうか?
どこか楽しみに思いつつ、フィリップは耳を傾ける。
「俺は人間界の王子だ。そして世界を救った勇者の仲間だ。つまり俺は、大きな権力を二つも持っているってことなんだよ! 下手な王族よりもよっぽど偉い。当然と言えば当然だ。俺は勇者の夫であると同時に、国を背負って立つ王になる男なのだからな! ハーッハッハッハッ!!」
上機嫌に高笑いするレイモンド。それに対してフィリップは、完全に冷めた目付きで見ていた。
彼が何を言い出すのか、それを少しでも楽しみに思った自分が恥ずかしい。
(コイツ……完全に勇者という肩書きを勘違いしているみたいだな)
フィリップはイザベラから教えてもらったことを思い出す。
あくまで特殊な肩書きに過ぎないのが勇者であり、王族や貴族のような偉さは全くないのだと。
それでもごく少数しか選ばれない特殊な肩書きであることは確かなため、ギルドを始めとする、様々な場所から注目されることもまた確か。話題のタネにするべく何かとサービスしてくれることもそれなりにあった。
しかし断じて貴族や王族ではない。ただの冒険者でしかないことを、イザベラは肝に銘じていたとのことであった。
ところがレイモンドは、まるで勇者が自分と同じ王族であるかのような振る舞いを見せていた。
何故そこまでと疑問に思っていたフィリップは、とあることに気がついた。
(そうか。アイツがイザベラを嫁にすれば、イザベラは未来の王妃様だ。アイツの中では既に決定事項である以上、勇者が王族としての権力があるのも当たり前。要はそういうことか)
冷静に考えてみれば、すぐに分かることであった。
彼からすれば、勇者という存在を細かく理解する必要はない。自分が娶って王族にすることが約束されているからだ。
もっともそれは幻であり、レイモンドの思い描く未来は一生叶うことはない。
そんな勝手なマネは許さない。そう思いながらフィリップが、横目でチラリとイザベラを見ると、イザベラが頬を染めながら笑みを返した。
フィリップも思わず小さく笑ったその時――
「おいキサマ! 一体誰が俺のイザベラを見ていいと許可したんだ! 少しは身の程をわきまえたらどうなんだ、この無礼者が!!」
レイモンドが顔を真っ赤にして声を荒げるが、フィリップは反応しない。何故なら彼の言葉が全く響いてこないからだ。
自分の思い通りにならなくて癇癪を起こしている子供。今の彼を例えるならば、大体こんなところだろうか。
今の彼に何を言ってもムダだろう。とりあえずジッとしておこうか。
そんなふうにフィリップが思っていると、イザベラが肩をプルプルと震わせていることに気づく。
そしてイザベラは――キッと目を細めた怒りの表情を見せた。
「いい加減にしなさいよ! これ以上の見苦しいマネは許さないわっ!」
その一喝が、場を一瞬にして静まり返させる。やがてレイモンドは何かに気づいたような反応を見せ、深いため息をつきながらフィリップを見る。
「全く……ほら、イザベラもこう言っていることだし、いい加減に観念して……」
「私はレイモンドに言ってるんだよ!!」
「なっ!」
まさか自分に矛先が来るとは思っておらず、レイモンドは硬直した。
「ど、どうして俺を怒るんだ? まるでワケが分からないぞ!」
若干パニックになりつつ、どうにかレイモンドはイザベラに問いかける。するとイザベラは、スッと左手薬指に嵌められた指輪を見せつけるのだった。
「私は彼と結婚したの。だからアンタとは結婚できないわ。それに今の私はこの店の女将。もうとっくに勇者なんかじゃない。これ以上勝手なことを言わないで!」
フィリップに寄り添いながら、イザベラはハッキリ堂々と言い切る。
しかし――
「ハッハッハッ! 全くイザベラも面白い冗談を言うようになったもんだな」
レイモンドは面白おかしく笑い飛ばすのだった。
「世界を救った勇者であるキミが、王子である俺と結ばれる。これは神によって定められた運命なのさ」
力強い笑みを浮かべるレイモンドは、どこまでも真剣であることがよく分かる。
イザベラやフィリップたちは完全に言葉を失っていたが、レイモンドは完全に酔いしれており、またしても演技がかった口調で両手を上げながら述べる。
「いや、もはやその運命すら俺たちは乗り越えなければならない。何せ勇者と王子が結ばれるのだからな。それぐらいできなければ、俺たちの幸せな姿を望む世界中の人々に申し訳が立たないと言える……だからイザベラ!」
レイモンドは勢いよく右手を差し出した。
「俺と一緒に王都へ帰ろう! 神の意思に従い、運命を乗り越えるために!!」
そう言い切られた瞬間、全ての音がかき消されたような気がした。
決まった、と心の中で呟くレイモンドは、周囲が呆然としていることにまるで気づいていなかった。
「……アンタのほうがよっぽどワケ分かんねぇぞ」
フィリップがしらけながら呟くと、レイモンドは即座に反応し、再び歪んだ睨みを見せてくる。
「そもそもキサマ、さっきからこの俺に対して馴れ馴れしすぎるんだよ! 僕は魔王を倒した勇者パーティの一員だぞ? こんな小汚い店で、安っぽいエサを作るしか能がない平民とはワケが違う。大人しく従わなければどうなるか。まさかそんなことも分からないほど、キサマもバカではないだろう?」
レイモンドはニヤついた笑みで見下してくる。フィリップは更に内心で、レイモンドに対する呆れが増幅していた。
やはり彼は、勇者という言葉を使えば、誰もが従うと思っている。実際これまでもそうだったのだろう。全ての者がそうではない可能性を、果たして彼は一度でも考えたことがあるのだろうか。
少なくともフィリップは、普通にないような気がしてならなかった。
限りなく絶対的に近い力を手に入れた者が、自分は無敵だと錯覚して傲慢になる典型的な姿。それが今の彼なのだと。
「そしていい加減、俺のイザベラから離れたらどうなんだ? 既に勝負は決しているということが分からないのか? キサマがいくらあがいたところで、彼女が俺以外の誰かになびくことなど、未来永劫あり得ない」
レイモンドは汚いゴミを見るような目でフィリップを見る。
「少し考えれば誰でもわかることだ。キサマはイザベラを連れ去った罪人だ。そんなキサマに勝ち目があるなど、誰が思うモノか。もう少し己の分をわきまえろ!」
語尾を強めるレイモンドであったが、フィリップはちっとも恐怖を感じない。むしろこれ以上、彼を喋らせないほうが良いのではとすら思えてくる。なんだかあまりにも惨め過ぎる気がしてきたのだ。
そしてそれは、フィリップの後ろで控えている彼らも感じたのだろう。
隠れるようにして黙って見守っていた法皇が、席を立ちながら、厳しい表情を浮かべていた。
「レイモンド王子、それぐらいにして、いい加減に現実を見たらいかがかな?」
「ほ、法皇様!」
いかにも初めて気づいたと言わんばかりに、レイモンドは驚愕する。
その反応を見たビューが、やっぱり気づいてなかったんだと、ひっそりため息をつきながら目を細めた。
もっともレイモンドも後ろの兵士たちも、法皇の存在に驚き過ぎていて、ビューの視線には全く気づいていなかったが。
「アナタのような高貴なお方が、どうしてこのような場所に……そ、そうか!」
レイモンドの表情が、驚愕から怒りに切り替わり、またしてもフィリップのほうに向けられた。
「キサマという男はどこまで外道なんだ。ご安心ください法皇様。どんな弱みを握られたかは存じませんが、このレイモンドが、必ずやアナタのことも救って御覧にいれましょう!」
「……一体何をどう考えれば、そのような結論に達するのかね?」
さっきから何度も思い浮かべていた疑問を、法皇は遂に口に出して問いただす。しかしレイモンドからの返事はない。完全に自分に酔いしれており、法皇の質問が耳に入っていないのだ。
法皇はそれを察し、深いため息をついた。
「お前さん、少しは王子として……」
「よく聞け罪人!!」
法皇の話を遮る形で、レイモンドはフィリップに告げる。
「できれば今すぐイザベラを奪い返したいところだが、流石にこのタイミングで派手な騒ぎを起こすことは止めておこう。勇者イザベラの夫として、見苦しい姿を晒すわけにはいかんからな」
もう十分、見苦しいと思う。そんな感想が、フィリップたちの間で一致した。
「今日のところはこれで引き下がってやる。だが忘れるな! 必ずや我が妻、イザベラは取り戻す。済まないがイザベラ、もう少し待っていておくれ。すぐにお前を魔の手から助け出してやるからな!」
「いや、だからそんな必要ないんだってば」
「そうか。イザベラも分かってくれたか。やっぱりお前は本当に最高の女だよ」
「聞いてないし」
満足げに頷くレイモンドは、もはやイザベラの言葉すら聞こえていない。
レイモンドは兵士たちに撤収を命じ、そのまま村から出ていった。蹴破った引き戸を放ったらかした状態で。
まるで嵐が去ったような空気の中、フィリップが深いため息をついた。
「なんつーか……王子様があそこまで歪んでて、この国は本当に大丈夫なのか?」
「確かに。他国出身のボクでさえ、不安になってくるよ」
ビューがそう言うと、法皇も同意するかのように深く頷いた。すると、イザベラがボロボロになった入り口を見つめながら、まるで独り言のように呟いた。
「まぁ、あんなヤツにも、生い立ちから色々とあったらしいんだけどね」
イザベラの言葉に、フィリップたち男三人が注目する。するとイザベラが厨房へと向かった。
「とりあえずお茶でも淹れ直すわ。話はその後でね」
水を入れたやかんを火にかけながら、イザベラは笑みを浮かべるのだった。