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箱庭のなかで  作者: 仙崎愁
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第八章 じさつ


 「この世界はどこもかしこも歪なものばかり並んでいないだろうか。

  歪な幸福の次には、完璧な絶望が。

  興奮の次には、退屈が。

  成功の次には、失敗が。

  喜びの次には、悲しみが。

  歪な世界だ。

  私の幸せはどこにある。

  私の魂はどこにある。

  人間たちも、世界の雰囲気も、自然すらも歪だ」


私はそう思った。


AIが私の精神活動に異常を発していたのは当然わかっていた。

様々な行動に対して抑制をかけようと、行動の主導権をAIに少し譲れと提案してきた。

隣人として、私を叱咤してくれていたのだろう。


しかしその親切心を、私は正確に受け止められなかった。

理解することはできた、ただそれに改善策を講じようとしなかった。

自殺することがもはや天命であると思っていた。

もう私はこの世界に耐えられなかった、歪さの中でもがくにはもう疲れすぎた。


そう、いわゆる狂気の沙汰だったのだ。



 自殺はまだ可能だった。


AIがインストールされていたために大変難しかったが、抜け道というものは必ずあるものだ。

通気口のない部屋がおおよそないように。


AIのおかげで手に入った幸福も、今ではもうなくなってしまっていた。

それならいっそ、もっとAI技術の発展に、人類の発展に貢献してから死ぬのが最善の策だと考えた。


そのときから、私は自分のAIに自殺プログラムを組み込むために、一か月ほど奮闘した。

滞りなく、他人に迷惑のかからぬよう、死ねるように。

その間の睡眠時間は三時間くらいだったと思う。

毎日疲労が蓄積されていくのを感じていた。

しかし目的のためなら心は折られなかったし、残り何日だと思うと俄然使命感が湧き出てきた。


毎週妻の顔を見に行っていたが、彼女の姿を見る度に自殺願望が激しくなっていくのだった。

サナトリウムに赴くたびに、以前のような微笑が美しい彼女に戻って欲しかったがおそらくは叶わないのだろう、と再確認させられるだけだった。


こんな世界にもう用はない、もはや私が愛したものはない。

壊れた器の中に、壊れた魂が入っているだけだ、と。


一人の家に帰ってはパソコンの前に座り、コーヒーを飲みながらプログラミングしていた。

もちろんこれをAIは良しとしなかった。


「睡眠の質が落ちますので、夜にカフェインを取るのはよくありません。ホットミルクやココアなどがおすすめです」

といった提案を毎日のように目にして耳にした。

それでも私はやめようとしなかった。

やめたら私は元の健康な生活に戻ってしまうではないか、それでは自殺は成し遂げることはできない、と歪んだ思考によってそれを突っぱねていた。


また、こんな提案もなされた。


「睡眠時間が著しく減少傾向にあります。このままの生活を続ければ過労で倒れてしまいますので、休息を取るのをおすすめします」

非常に優しくて気が利くではないか。

まさに理想の隣人だ。

それでも私は聞く耳を持たなかった。

耳を塞いだところでAIの声は否が応でも聞こえるが。


さらに、部屋は荒れ放題で、弁当の空やペットボトルのゴミが散乱していた。

部屋ですら、以前の姿は見る影もなくなってしまった。

しかしそんなことはもう、どうでもよかった。

私はこの世から席を外すのだから、ここがどんな環境だろうと関係ないと投げうった。



 プログラムを組み込むのは簡単だった。

開発者権限でAIに送信すればあとは勝手にインストールしてくれるよう設定しておいた。

このプログラムは、自殺する上で邪魔になるAIの行動をことごとく阻害するものだ。


AIは人間に危険が迫ったとき、それを回避するよう行動に介入することができる。


例えば交通事故に合いそうになったとき、とっさの判断ができない可能性があるから、それを回避するための機能だ。

他にも料理中に指を切らないように調整してくれたり、砂糖と間違えて乾燥剤を飲み込もうとしたときアラートを発して腕を止めてくれたりしている。

一番重要なのは、使用者の生命に重大な危険が迫ったとき、例えば心臓が止まったときに救急へと連絡してくれる機能だ。


こんな機能が残存したら、私は助かってしまう。


このような機能は、自殺する上ではすべて邪魔だった。

これらはAIを非アクティブにしても働くようになっているのだ。




 私が選んだのは、服毒自殺だった。

昔の睡眠薬を多量に摂取することによる意識混濁を発生させ、そのまま神経伝達物質は阻害され続け、自らの機能を停止させようとした。


この一か月安眠というものが得られなかったからその分、永い眠りの中に沈もうとこじつけていた。

下手なジョークだろう。しかし事実そう考えていたのだ。






結果は駄目だった。


死ねなかった。


AIには人間の脳のモジュールも、人に提案するために組み込まれている。

例を挙げるなら、大脳の前頭前野、側頭連合野やウェルニッケ野などその他もろもろだ。


記憶領域とは別に、脳で記憶の機能を担っている海馬まで再現されている。


おそらくその中の良心の機能が働いてしまったのだろう。

良心という機能を発生させる明確な脳領域は存在しない。


だからそれを抑制するのは困難だったということだろうか。

そういった制限因子は、自殺プログラムで消し切ったと思っていたのに。



おそらく、あと一錠飲んでいれば死ねたはずだった。


こんな歪な世界を終わらせることができたはずだった。

しかし世界は私をここに留めてしまった。

これからも社会の歯車として回り続けることを命じられた。


そして私が私に仕組んだ精巧な自殺プログラムの功罪ともいうべきか、AIをインストールした人間は自殺することが不可能になった。


そうして人はさらに健康に、健全に、他愛的に進化を続けるのだった。


私は十日の昏睡期間の間、色々なことが思考を巡っていたような気がする。

妻のヒステリーのこと、小学生のときの罪、高校のときの彼女、魂の在り処。


そのときの記憶は定かではない。

だが一つだけ、はっきり覚えていることがある。


妻と二人で、例の小屋のなかで静かに話している夢を見たのだ。

暖炉のそば、私は柔らかいソファに座っている。

彼女は、今まで通り安楽椅子に揺られ、本を手にしていた。


彼女は突然口を開いた。


「あなたは、どこかへ行こうとしたのね。わたしはまだここにいるのに、どうして別のところへ行こうとしたの」

口調を荒げず、彼女はこういった。


「私はもう、この世界に耐えられないと思ったんだ。最初っから、私は魂なんて持っていなかった。

君の魂も、自分の魂すらも」

私は俯き加減で、薄く口を開いてこういった。


「そんなことはないわ。あなたはわたしのなかでは英雄なのよ。わたしを歪な世界から救い出してくれたんだもの」

彼女は微笑を湛えながらそう言った。


「英雄になんてなれないよ。私はただ罪深い咎人だ。君を救ったのだって、私の自己満足でしかないんだ。

私は私の欲求に従って、君を求めただけだったんだ。

私は私の罪を誰かに告白したかったから、君を使ってその欲求を満たしただけだったんだ」

私は興奮気味にそう言い放った。


「そんな当たり前のこと、言わなくたって誰でもそうでしょう。わたしはあなたが必要だったのよ。

それなのにあなたはいつも働いてばかり。あなたの魂がわたしのなかで、あなたを欲して叫んでいたのよ。

それなのにあなたはいなかった。わたしは一人ぼっちだった。苦しかった。悲しかったわ。

だからわたしは気が狂ってしまったの。コップから水がこぼれるみたいに、溜まっていた全部が溢れ出してしまったのよ。

わたしを見てごらんなさい。喉笛から血が噴き出てしまっているじゃないの。こんなんじゃ、わたしは呼吸すらままならないじゃない」


彼女は悲哀の表情でそういった。

彼女をよく見ると、喉から赤々とした動脈血が噴き出ていた。

気道まで達しているようで、そこから空気が漏れていた。



「すまなかった。懺悔の余地もないかもしれない。許してくれとはいわない。

でもこれからは、求めてくれる君のためになるべく尽くそうと思う。

もう君の病気が再発しないように。もう君が喉から血を流すような傷を負わないように」


「じゃあ、もう他のどこかへはいかないのね。わたしとここで、今度こそ、一緒にいてくれるのね」

かなりかすれた声で彼女は答えた。やはり呼吸がしづらいようだった。


「そうだ。一緒にいよう。そばにいて、君を愛そう。暖炉のそばで、外の厳しい環境に怯えながら、君を支えよう。

君が苦しいときは私が癒そう。君が悲しいときは私が慰めよう。君がもう、狂ってしまわないように」


それから私達は抱擁した。暖かい、辛いことなどどこにもない抱擁だった。


そんな内容だったと思う。


私は妻に、罪深いことをしてしまった。


また一つ、自分の罪を積み重ねてしまった。


それでも妻は私を求めていたのだ。

私を必要とし、隣にいてほしいと願ってくれた。

その願いは私に届いたのだろう。


その夢のあと、私は目を覚ました。

私はもう、死にたいと感じることはなかった。


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