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2-3 やっぱり、違う

 髪を留めていたゴムをほどき、眼鏡を外す。

 入浴前に毎晩欠かさず行っている事ではあったが、それはあくまでも体の洗浄において邪魔になるから外すと言うだけの行為であり、今行っているそれとは理由が違う。

 「…………」

 そっと目を開き、目前に備え付けられた鏡を直視する。

 枠の中に憮然とした表情のまま突っ立っている女は、まさかこんな所で再会するとは夢にも思っていなかった実の妹と、まさに瓜二つの容姿と言う他なかった。

 「…………瀬都子」

 血を分けた妹の名を、反芻する為に一度だけ呼んでみる。

 いつでも屈託なく笑い、誰とでもすぐに打ち解ける。そんな妹の名を。

 「…………」

 昔は、それでも構わなかったし、興味すらなかった。

 妹は人と接する事が好き。自分は書物の中に広がる世界に入り浸るのが好き。

 住む世界の全く異なる住人なのだと割り切れば、嫌味を感じるような存在では無かったからだ。

 あの出会いがあるまでは――――

 「……準子ー?」

 その一言に空想を中断させられ、ハッと手洗い場の入口に目を向けると。

 「何してんだー? もうすぐ予選だぞー? 具合でも悪いのかー?」

 「……何でもありません」

 先程、一瞬だけ脳裏を過った同級生の少女が、心配そうな表情でこちらを眺めているのが見えた為、焦りをできるだけ隠しながら再び頭髪をゴムで結わえる。

 それさえ付ければ。眼鏡さえかければ。妹とは違う存在になれる気がして。

 「…それより、古淵は見つかったのですか」

 「東林が見つけてくれたぞー。さっさと会場戻るぞー」

 「御意」

 適当に話題をそらせる事に成功すると、手に握りしめていた眼鏡を掛け、妹とは全く異なる容姿へと変貌を遂げる。

 自らを先導する、その小さな白衣の背中に目を向けながら―――

 「(……貴女さえいなければ、瀬都子とも普通に接する事が出来たのかしら)」

 自分でさえも醜い責任転嫁と自覚していながら、そんな事を毒づき出す自分が、準子はたまらなく嫌で嫌で仕方が無かった。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 『本日はシーパラダイス蒲郡主催・ミニ四駆チーム大会へご参加頂き、誠にありがとうございます!』

 五十センチ程の簡素な司会台の上に乗った、遊園地のスタッフTシャツを着た男性が、エントリー時間終了と共に選手へ言葉を投げかけてゆく。

 その背後にある、選手達が本日戦うべきコースは、ライトブルーのビニールシートに覆われ、その全貌を欠片も見せていなかった。

 『事前にご説明させて頂いた通り、9チーム以下であれば準決勝からのスタートを予定しておりましたが、本日は何と19チーム、76名の方にエントリーを頂きました! これにより、まずは準決勝進出の9チームを選ぶ為の予選レースを行います!』

 「うわー、結構集まったなぁー」

 「みんな暇だなオイ」

 普段の調子で感嘆の声を上げる瀬都子と、自分の事を棚に上げてぼやく茉莉。

 そんな彼女達の何気ない一言も、すぐに周りのざわめきに掻き消されてしまう程、数多くの人間が集っていた。

 そのような状況を見越してか、かなり大音量の出るマイクで指示を飛ばす係員の声が、いよいよ選手達の待ちに待った言葉を発し始める。

 『これよりルール説明に入ります!』

 その一言で、場に一気に緊張が走り、ざわめきがかき消える。

 ルールをまともに聞かなければ、自分が散るだけ。そんな事は、全選手が承知の上だったからだ。

 『予選は各チームの代表者一名によるタイムアタックによって行います! 出場される全チームのタイムから上位九位以内に入ったチームのみが準決勝に進出する事となります!』

 「!」

 チーム戦、という前提の大会であるにも関わらず、個人プレーのみで最初の運命が決してしまう。

 予想を全く超えたルールに、少なからず動揺を見せるのは茉莉と瀬都子。

 「そんな…予選からみんなで走れるんと違うん…?」

 「厳しいなー、そりゃダラダラ予選に費やしてる訳にもいかんし、当然っちゃ当然だけど」

 大前提を無視したとも言えるルールに驚愕したのは、何もその二人に限らない。

 少なからず選手達の間に動揺が走ったか、終息していたざわめきが、また徐々に徐々に伝播するように広まっていく。

 「…ですが、まさかチーム戦の大会の予選が、完全な個人の勝負になるなんて…」

 「…どうかしらね」

 葵の一言に異を唱えるように、昴流が呟く。

 無論、それを聞き流さなかった三人―特に発言に待ったを掛けられた葵が、その真意を問いただす。

 「それってどういう―――」

 しかし、その頃には周囲の騒ぎも終息しており、司会もそれを見計らい次の説明に移りだす。

 その為、その一言は、喉まで出かかった所で呑み込まざるを得なかった。

 『コースは準決勝・決勝用とは異なる、予選専用コースによって行います! 一度に三チームに同時に走って頂きますが、出走順・スタートレーンによって有利不利は生じませんのでご安心ください!』

 「予選専用かー。そんなコース用意できるなんて、よっぽどお金あるんやなぁー」

 「…タミヤから借りてるんじゃないかな」

 さほど物を考えずに発言する親友に、苦笑しながらツッコミを入れる。

 そんな場合では無い事は重々承知であったが、それでも一言言わざるを得ない何かがあった。

 『この後すぐにコースの発表に移りますが、全チームはコースの公開後、五分以内に出場選手の決定、並びに出場マシンのチューンナップを行い、車検まですぐにマシンを出走できる状態にした上でお持ちください!』

 「うひー、五分なんて、んな無茶苦茶な」

 「…ど、どうする? 誰が出るん?」

 「そ、そりゃやっぱり、一番速かった屋田さんが…」

 「…落ち着きなさい、コース見てからでもいいでしょ、セッティングは全員でするんだから」

 動揺する仲良し二人組に、呆れ果てた様子で嘆息しながら突っ込むと、はたと同様が止まるのが見て取れる。

 こちらの言葉を受け入れる体制が整ったのを見た上で、昴流が経験から察したルールを、全員に改めて説明し直す。

 「走らせるマシンは代表者一人の一台だけ。けどセッティングまで一人で行えとは誰も言ってない」

 「…どゆこと?」

 速攻で理解する事を放棄し、白旗を上げる瀬都子をフォローするかのように、昴流がすぐに自身の説明を補足する。

 「セッティングと一口に言っても、色々あるでしょ。タイヤの変更、マスダンパーの有無の判断、ブレーキの高さや硬さのチョイス、適切なモーターの判断、ギヤの変更…まぁ、実際には殆どパワーソースとブレーキ回りくらいしか調整の余地は無いけど」

 「…………??」

 あれやこれやと一気にまくしたてられ、頭の上に盛大に疑問符を浮かべる瀬都子と、何とか頭の中で噛み砕いて考えようと試みる葵。

 だが、そんな二人にお構いなしに、運命の時は訪れる。

 『このブルーシートを剥がし、私が「スタート」と言ってから、五分以内に代表選手が代表マシンを持って車検場に並んで下さい! 何か質問はございませんか?』

 その一言で、あれこれと策を話し合っていた各選手達の間に、一瞬にして張り詰めた空気が漲る。

 が、そもそものルールが公式準拠であるが故か、動揺しつつも疑問そのものは誰も浮かばないようで、誰も質疑応答の為の挙手を行わない為、滞りなくスタッフがブルーシートに手を掛けだす。

 「……起伏が無い?」

 そのベールが脱がされるほんの一瞬前、該当のコースに改めて目を向けた昴流が、そんな事を呟きだす。

 それに対し、三人が反応するより早く―――

 『さぁ、それではご覧に入れましょう! これが本日の予選コースです!』

 その一言と同時に、まだ新品に近いと思われる程に汚れの少ないブルーシートが、一息に剥がされ―――

 『スタート!!』

 ついにその一言が放たれるも。

 「!!?」

 選手達に広がった同様は、五分という短い制限時間を忘れさせるに余りある物であり。

 勿論、経験の乏しい葵達や、それなりに場数を踏んだ昴流ですらも例外では無かった。

 「な―――」

 「カーブ無いやん!!?」

 瀬都子が見たままの絶叫を上げるが、それは全選手の心境を代弁していたと言っても過言ではない。

 おなじみの三レーンのジャパンカップ・ジュニアサーキットは、おなじみのカーブやウェーブ、レーンチェンジといったセクションの一切合切が廃され、ひたすらにストレートのセクションを繋げ続けた、ある意味異形とも言うべき姿を呈していた。

 「……焦るのは後でいいわ。ひとまず代表者とマシンの選出と、それに伴うセッティングをしないと。もう五分切ってるから」

 経験の差か、それとも性格故か。

 一人だけさっさと落ち着きだした昴流が全員を促すと、ハッと正気に返ったかのような反応を見せると、全員がマシンを取り出し、付き合わせだす。

 が。

 「あ、あれ、茉莉ちゃん、どこ行くん?」

 一人だけいずこかへと歩を進める茉莉の姿を見かけ、瀬都子が声を掛けるも、茉莉は振り返る事すらなく返事を返す。

 「コース見てくる!」

 「え!?」

 その一声に、何を言わんかと言わんばかりの葵と瀬都子であったが、先に口を開いたのは葵。

 「み、見てくるって、ただのストレートですよ!?」

 至極正論とも言うべきその一言に対し、茉莉は駆け出しながら、大声で反論する。

 「本当にそうとは限らねーだろ!」

 すぐに声が聞こえないような所まで駆け出した仲間に対し、二人がそれ以上口を開くより速く。

 「……確かにそうね。私達だけで進めましょうか」

 「!?」

 その一言に対し、何かを言いたげな二人に対し、愛車のアバンテを取り出しながら淡々と答える。

 一分一秒が惜しいとでも言いたげなその態度は、二人に焦燥感を与えるには充分であった。

 「一見ただのストレートに見えても、もしかしたらここからじゃ見えない位置にウォッシュボードとかが仕込んである可能性もある。そう考えると彼女のやり方は合理的よ」

 内心では嫌で嫌で仕方が無かったが、機転を利かせた茉莉を素直に褒めながら、彼女の行動の真意について説明するも。

 「…うぉっしゅ…ぼーど?」

 「洗濯板? デコボコしてるんですか?」

 全くもって知識が不足している二人は、目を点にしながら、思い思いの事を言う他にできる事が無い。

 「……取り合えずマシン決めましょうか」

 再度頭痛に襲われ出した昴流は、その一言を絞り出すのが精一杯であった。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 「…うーん……ただのストレートだなぁ、どう見ても」

 そもそも、コースの脇に立っているボードには『25m超ロングストレート』と記載されており、コースそのものにも目立った仕掛けは見受けられない。

 周りの選手達の内、幾名かがスタートの合図と同時にコースの確認に走り出したのを見た彼女は、我も我もとばかりに同様の行動に走ったが、お世辞にも成果が上がったとは言い辛い現状に、肩透かしを食らった気持ちになる。

 「ま、それなら考える必要もないし、さっさと報告報告…っと」

 頭を掻きながら元の位置に戻ろうとするも。

 すぐ背後まで迫っていた顔に驚き、軽く声を上げてしまう。

 「あ」

 「あ」

 互いに同じ声を上げた相手は、比較的高い身長を誇る茉莉よりも更に少しだけ目線が高い、如何にも別人種の血が混じった容姿をしている少女―ネーナであった。

 さっき知りあったばかりの相手は、すぐに気の緩んだ笑顔を見せると、茉莉に対し親しげに話しかけてくる。

 「コースチェックかナー?」

 「まーな」

 相手は言わずもがな、雲の上の超実力者。

 その相手に対して手の内の秘匿はさほど意味が無いと判断し、適当に首肯すると同時に、少しでも情報を引き出そうとカマを掛けてみる。

 「パッと見19mmプラリン前後で行けんじゃねーかなって思ったけど、変なセクションあったらって思って…まぁ杞憂だったけど。そっちの見立ては?」

 「んー」

 こちらの思惑を察したのか。あるいは単に考えあぐねていただけか。

 少しばかり考えるしぐさを見せたネーナは、素直に口を開くと。

 「それならこっちもセッティング一緒かナー。ま、遊奈にせよ伊代菜にせよ、負けるわけないしナー」

 「…………」

 実際のネーナの心中など分かる筈も無かったが、上手い具合にはぐらかされた気がした茉莉は、肩を落としながらその場を離れようとする。

 「…ま、せいぜいよろしく頼むよっと」

 「予選通れる事を祈ってるんだナー」

 社交辞令を真に受けるほど、素直な性格をしていない為、渋面を作りながらその場を去りだす茉莉。

 彼女の背を見送ったネーナは、何とも複雑な表情で、聞こえない程度の声量で呟く。

 「…一応コース見に来てる…ド素人連中かと思ってたけど、案外そうでもないのかナー?」

 よく分からない連中と出会い、少しばかり混乱している頭をポリポリと掻きながら、そんな事を呟く。

 とは言え、貴重な五分の内、大分時間を費やしてしまった事は事実である。未だにどちらが出場するかで揉めている遊奈と伊代菜の仲裁に向かうべく、彼女も自らのピットへと歩を進めて行った。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 「……正直、不安ね」

 もう何度目か分からない一言を昴流が漏らすと、一同は沈痛な面持ちとなる。

 勿論、その『不安』の指す内容は、円になるように座った彼女達の中心に位置している、セッティングを終えて出番を待ちわびているかのような、出走マシンにあった。


 レイホークガンマ(スーパーXシャーシ)

 ・フロント

 19mmプラリング付きアルミベアリングローラー HGARシャーシカーボンフロントワイドステー 角度調節プレート

 ・リヤ

 19mmプラリング付きアルミベアリングローラー スーパーXシャーシ・FRPリヤロラーステー 

 ・その他

 ハイパーダッシュ3モーター ゴールドターミナル POM軸受 72mmブラック強化シャフト 中空プロペラシャフト 超速ギヤ

 スーパーX・XXカーボン大径ナローホイール バレルタイヤ(ホワイト)


 主に昴流の指示に従い、直進安定性のみを考慮し、極力パーツを減らして軽量化を図り、大幅な様変わりを見せた葵のマシン。

 だが、彼女達の最大の懸念は、パワーユニットたるモーターにあった。

 「……まさか、スプリントダッシュもパワーダッシュも持ってきてないなんて…」

 「…すみません、アルカリ電池との相性があまり良くないと伺っていたもので…」

 「…ネオチャンプくらい持ってなさいよ…」

 頭を抱える昴流に対し、頭を下げる葵であったが、昴流の懸念はそこだけでは無い。

 本来であれば軽量なスーパー2やVSを選択したかったのだが、元々乗っていたボディではバレルタイヤが付けられない上、持ち主である瀬都子と茉莉がボディの変更を頑なに拒んだ為、あえて肉抜きを殆ど行っていないXシャーシでの出場を余儀なくされた事も、頭痛の種の一つであった。

 とは言え、愛車に対するこだわりそのものは、昴流自身も痛いほどに理解できる。それ故、何も強い事が言えず、額を抑えるしかない。

 「…とは言え、現状ではこれ以上は仕様が無いわね…青宮さん、頼んだわよ」

 「は、はい!!」

 既に残り時間は一分を切っており、これ以上ウダウダと話しあっている時間も無い。

 その為、その場を取り仕切っていた昴流が葵に一任すると、戸惑いながらも力強い返事が返ってくる。

 「ほな、急いでこけたら危ないから肩貸すで、あーちゃん」

 「ご、ごめん」

 責任感の強さから、また同じ過ちを繰り返しかねないと懸念を抱いた瀬都子が、颯爽とサポートを申し出、葵も素直に好意に甘える。

 そんな二人がえっちらおっちらと車検場へと向かうのを見送った昴流は、未だに抜けない胸騒ぎに、ついつい弱音を吐かざるを得ない。

 「…ホントに大丈夫かしら」

 「んー、まぁ葵なら大丈夫じゃね?」

 そんな懸念に対し、能天気な、しかし無根拠では無い何かを秘めながら、茉莉がぼんやりと呟く。

 「?」

 当然それに引っかかりを覚えた昴流は、そこに率直に質問をぶつけてみる。

 「どういう意味?」

 「んー……断言できないんだけど」

 先程の一言はどこへやら、自信なさげに後頭部を掻きながら、茉莉がそんな言葉を漏らし出す。

 「まぁ、見てりゃ何と無く分かると思うぞ」

 「?」

 具体的な答えが返ってこない事で、当然ながら訝しがるも、当人が理解していないのであればそれ以上何も言う事ができない。

 釈然としない表情を変えられないまま、こちらに戻ってくる瀬都子を迎え入れる事しか、昴流にはする事が無い。

 「にしても―――」

 葵の歩いていった方向を瀬都子が見やり、感嘆したようにつぶやく。

 「あのスタートのランプ、かっこええなぁー。おばちゃんのところにあった奴より、随分豪華やなぁー」

 「…………そういえば」

 あまりにもレース場という空気に溶け込み過ぎていた為か、あるいは何度か出場した公式大会には常にあったものであるが故に、かえって違和感を感じなかった為か。

 タミヤ主催の公式大会でおなじみの、赤と緑の二色を放つ大型のシグナルランプが堂々と起立していたことに、今更注意が向いてしまう。

 「(……公式大会でのみ使用されるはずのあのランプが、どうしてこんなところに?)」

 可能性が考えられない訳ではない。

 市販の、そして目の前で使用されているジャパンカップ・ジュニアサーキットのストレートセクションはおよそ54cm、25mの距離を作るためには47枚ほど必要な計算になる。

 当然、遊園地が自前で用意するにはあまりにも膨大な枚数であるが故、小鹿模型同様に田宮模型からイベント協力目的でコースレンタルを仰ぎ、そのついでに借りたとも考えられるが―――

 「(…………どうも引っかかるわね)」

 そもそも、不自然な点はそこだけではなく、スタート地点にもある。

 公式大会で使われるような、スタート時に用いるスロープは、本来3レーンのジャパンカップ・ジュニアサーキットには存在しない。

 にも拘らず、先ほどから何名かの選手が走らせているそのコースの始点には、これまた大会で何度も目にした、5レーン用のスタート台が設置されていた。

 「(…シグナルランプだけならまだしも、あんなものまでタミヤが貸し出す事って……?)」

 何かがおかしい。

 頭の中でそんな考えが、むくむくと鎌首をもたげ始めていたが―――

 「でっけーなー、タミヤがイベント用に貸し出してる奴とか、そんなんかな」

 のんきな声で、先ほどの瀬都子の疑問に答えだす茉莉の声が耳朶を打ち、思考が一瞬で別の方向へと向かう。

 「(……公式のシグナルランプを…知らない?)」

 葵や瀬都子の話では、様々な理由で腹の立つこの女は、それなりに実力のあるとの事だったが。

 「(…………?)」

 その知識のなさは、聞いていた話と随分異なる。

 が、追求するのも野暮なような気がして、昴流は口から出かけた疑問を無理矢理飲み込んでやり過ごすことにした。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 コースアウトの要素が徹底的に廃された超フラットコースによる予選も、既に最終出場者の三名を迎えようとしていたが。

 会場の視線は、今しがた予選を終えたばかりの二チームが叩き出したタイムにのみ集まっており、既に葵含む三名は誰の眼中にも無かった。

 「…流石ね、超大径もポリカボディも無しに……」

 背筋に冷たい物が走った昴流が、戦慄を隠そうともせずに呟く。

 フラットレースにおける必須パーツを搭載せずとも、ぶっちぎりのタイムを記録した二チームは、それなりにセオリーを理解している彼女にとっては相当に理解の範疇を超えていると言えた。

 「ほえー、流石は四天王(失笑)って言われるだけはあるなー」

 「聞こえてるぞテメェ!!」

 『さっきよりランク下がってるのは何故』

 茉莉の呟きはお世辞にも大きな声とは言えなかったが、優に十数メートル先ではしゃいでいた遊奈とが敏感に反応し、食いついてくる。

 「…まぁ上位二チームは別格としても」

 付き合いきれない、とばかりに明後日の方向を―否、現在までに出走した全チームのタイムが記されたボードに視線を移し、小さく嘆息する。

 「…正直、この中に食い込めるかと言われると、大分首を傾げざるを得ないわね…」

 コースアウトの必要の無いコースで、使用できるパワーユニットの中から最速の物を選択できない上、その他のパーツもお世辞にも超フラットに最適な物とは言い難い。

 上位二チームが図抜けているとは言え、その他のチームも決してバカにできるタイムでは無いだけに、軽い絶望感と焦燥感がゆっくりと身体を侵食していく。

 「まー、葵なら大丈夫だって」

 ヘラヘラと笑いながら言ってのける茉莉からは、明確な根拠など全く感じられず、却って不安感を煽る一言にしかならない。

 が。

 「あいつにゃ必殺技あるからなー。それさえあれば多少のハンデなんかどーとでもなるだろ」

 「必殺技ぁ…?」

 現実のミニ四駆においては余り、というより全く聞いた事の無い単語が飛び出した事に、眉間の皺を更に深めて聞き返す。

 「(…往年の漫画じゃあるまいし)」

 父の書棚の奥にひっそりと置かれていた、彼女が生まれるより遥か前に発行された、幾つかのミニ四駆を題材とした漫画。

 いずれも何万もの男の魂を震え上がらせた名作だ、と力説する父の言葉通り、確かに読み物としては昴流も気に入ったが、現実のそれとは全く勝手が異なる。

 無論、作中で扱われた『必殺技』の類の殆どが、現実では存在しないと言う事くらい、高校生になる前から既に彼女は充分に理解していた。

 「って言うか、葵の必殺技、お前も間近で見た事あるハズだぞ?」

 「…?」

 ヒントを与えられるも、それが却って昴流の混乱を誘う。

 当然ながら、その『必殺技』とやらの見当が付かない彼女の頭の上には、ひたすらにクエスチョンマークが踊り続ける。

 と。

 『さぁ、それでは予選最終グループのレースです!』

 司会の声と共に、一歩前に出る三名の選手。

 まだまだ若手社会人といった風貌の男性と、家族からの声援を受けて自慢げに健闘を誓う男性に挟まれた、一際背の低い少女。

 会場の殆どから軽視されている以前に、そもそも注視すらされて居ない少女は、既にシグナルランプのただ一点だけを見据えていた。

 「…気後れはしてなさそうね」

 一歩間違えれば、実力を試す機会すら与えられず、早々にこの場を立ち去るしかない。

 そんな状況にあっても、茉莉と瀬都子が自信を持って送り出した代表は、背負ってガチガチになっているでもなく、かと言ってヘラヘラしている訳でもなく、きっちりと集中してスタートラインに並び立てていた。

 『それでは全員、スイッチオン!』

 その一言で、三者三様のマシンがそれぞれ異なるモーター音を奏で出すも、既に予選を通過した二グループに関心が集中している観客達は、その様子をさほど注視していない。

 だが―――

 「…XX…じゃないな、Xの方のホワイトに、ボディはレイホーク…? 使ってるもんのチョイスは結構渋いんだナー」

 「素人がわざわざ手に入れるには労力が掛かる物だし…てっきりド素人かと思ってたけど、そうでもないのかしらん?」

 視力に関しては人一倍自信のあるネーナが、遠目から正確に葵のマシンの姿を読み取り、仲間達に伝えてゆくと。

 「…遥か昔に限定流通したホワイトのXシャーシに、少し前に再生産がありましたが今となっては手に入れるのが難しいレイホークガンマ…基本載らないので大幅なカットが成されていますが、そこまでして使う程に思い入れがあるのでしょうか」

 「なるほどなー、よく分からんが拘ってんだなー」

 手に持った高性能カメラのズーム機能で、遠目から和理の要請で妹のチームの代表マシンを確認し、それを伝えてゆくと。

 各々が好き勝手な反応を返し出した。

 「にしてもなー、今のご時世スラダンすら知らないとか、パンピー以下だろ」

 『真のパンピーはミニ四駆の事「マシン」って呼ばないから、パンピー以上レーサー未満とかそんな感じで』

 「…要は一般人じゃないの、それ」

 いつもの事ながら、頭を痛めるような会話の渦中に放り込まれた瑠名は、本日何度目か分からないが呆れた声で諌める。

 「にしても、お前の妹のチーム、中々面白そうじゃないかー?」

 側近に正確な内容を伝えられ、ぼんやりと見えるマシンの正体を把握した和理は、何となくご機嫌になってそんな事を言うも。

 「レアパーツにレアマシンなど、金を積めば誰でも手に入ります。問題はそれをどう使うかでしょう」

 いつも通り。否、それ以上にそっけない態度を崩そうともしない準子は、見るのも無駄とばかりにカメラを下げる。

 その態度に、まだ付き合いの浅い新入部員二名は何も違和感を覚えなかったが、付き合いの長い和理だけは、何となしに違和感を感じ取る。

 「なぁ―――」

 準子、と続けようとしたところで。

 『シグナルに注目!』

 そんな声が聞こえ、葵のチームの三名プラス、和理と遊奈のチームもそれに倣う。

 そのレースに着目しているのは、全体の中でもごくわずかな人数であったが。

 「!」

 次の瞬間、全員の脳に視覚から送られてきた情報は、開始の時を告げるシグナルランプがグリーンに変わり、『その時』を告げた事。

 そして―――

 「(行けッ!!)」

 胸中で葵が叫ぶと共に、その小さな手から矢のように放たれる、蒼空を思わせる一台のマシン。

 その姿は、明らかに他のマシンより、三馬身ほど先を走っていた。

 「!」

 とは言え、それが異常事態である事に気が付いたのは、見物客の中でも極僅か。

 経験を積み、他者と自己の分析を幾度となく続けてきた者たちだけが、スタート用に設置されたスロープで起きた出来事の異常さに気が付けた。

 「(逃げ切れ……っ!!)」

 胸中でそんな事を叫ぶも、だからと言ってマシンが加速すれば誰も苦労はしないし、同じ事を行うだろう。

 それが理解できているからこそ、葵も胸中で叫ぶに留まり、その確かな思いを外に漏らす様な事はしなかった。

 が。

 「……!」

 ゴールまで、五秒にすら満たない数秒間。

 あまりにも短い時間であるが、コンマ一秒を削り合うミニ四駆のレースに於いては、展開が変わるには充分過ぎる時間と言える。

 「……ッ!」

 刹那の間に、追い上げてくる背後のマシン。

 ファミリーのライトチューンマシンはともかく、如何にもかつての経験者が現在のノウハウによって構築したとでも言いたげなマシンは、明らかに葵のそれよりも速度自体は上であった。

 「追い付かれ―――」

 誰の目にも勝敗は逆転すると思われた、次の瞬間。

 『ゴール!!』

 25m地点に貼られた、ゴールを示すビニールテープの上をトップスピードで通過居してくレイホークと、ほんの数センチ差でその後に続く、後続の一台。

 コース自体の最終地点に構えていたスタッフが、そこから僅か数十センチのウイニングランを終えたレイホークを捉えた時には、既に二台の位置関係は逆転していた。

 「に、逃げ切ったぁ……!」

 半分放心状態で、空を見る葵。

 「あ、危ない……」

 「け、けどまぁ、葵で良かった、いやホント」

 同様の心境の茉莉と昴流も、流行る鼓動を何とか抑えながらも、ひとまず同一コース内で一位であったという事実にホッとする。

 「…そう言えば、青宮さんの必殺技って」

 「あーなんだ、まだ気づいてなかったのか」

 薄々その内容を感づきだした昴流が問いただすと、今一その心中を図り切れていなかった茉莉が頭をポリポリと掻き、そんな事を言いだす。

 「あいつ、スタートが何か知らんけどクソ速いんだよ。タイミングが絶妙っていうか」

 「…そうね、確かにそれは思ったわ」

 以前、直接対決した際にも感じたことが、自分だけの思い過ごしではなかったことに、少しだけ安堵する。

 「シグナルランプが点灯するタイミングが読めるわけないから、きっと反応速度が著しく速いのね」

 「だろうなー、生まれつきの才能なのか、陸上やってるときに鍛えたのか知らんけど」

 頭を掻きながらそんな事を言い、その真偽を問うべく、傍らに突っ立っていた瀬都子に声を掛ける。

 「なぁ、瀬都子―――」

 だが。

 てっきり親友の勝利を大喜びしているかと思われた少女は、心ここにあらずと言った表情で、全く見当違いの方向を見つめていた。

 「……瀬都子?」

 訝しがる茉莉と昴流であったが、その理由など、聞かずとも理解する事が出来た。

 「…………!」

 その目線の先には、明らかに周囲とは一線を画する雰囲気を、服装から醸し出している四人組。

 顔の方向がそちらを向いている、と言うだけであったが、その中の『誰』を見ているかなど、聞かずとも判別など容易い。

 「……おい、瀬都子!」

 気づけよ、と言わんばかりに、その小さな背中を多少強く平手打ちすると。

 「痛っ!!?」

 叩かれた場所は背中であるが、体の柔軟性に若干難があるのか、上手く摩れずにもどかしい動作を繰り返すが。

 次第に『叩かれた』という事実を思い出し、対象の相手に抗議する。

 「茉莉ちゃん! いきなり何しよるん!?」

 「何しよるん、じゃねーよ。お前葵の事ちゃんと見てたのか?」

 迫られても全く気押されず、反眼で睨み返しながらそう言うと、途端に間の抜けたような表情となり、あっと言う間に先刻までの怒りを忘れる。

 「え? あーちゃん……なんかしたん?」

 「…………」

 その一言に、珍しく無言で顔を見合わせ、視線で会話をした昴流と茉莉であったが、嘆息すると同時に昴流が口を開く。

 「…たった今、青宮さんの予選レースが終わったんだけど…見てなかった?」

 「…え?」

 その一言で遂に我に返った瀬都子が、慌ててコースに目を向けると。

 そこには満足気な表情で、スタッフから愛車を受け取る大親友の姿があった。

 と言う事は、即ち―――

 「終わっとる!!?」

 「…遅いわよ」

 愕然としたその反応に、頭を平手打ちする気力もないまま、ぐったりとした心持で昴流がその一言を絞り出す。

 「……なぁ」

 何かを察した茉莉が、瀬都子に対して問いかけようとするも。

 「やりましたー!」

 予選通過できたと決まった訳ではないが、それでも三人同時の出走でトップを獲れた、という事実は嬉しいらしく。

 満面の笑みを浮かべる葵がその場に戻ってきた為、喉まで出かかった言葉を飲み込み、代わりの言葉を発しざるを得なかった。

 「おー、サイコーだったぞ、葵ー!」

 「お疲れ様、上出来よ」

 チーム全体の命運を背負って、恐らく考え得る限り最高のパフォーマンスを発揮した代表者を、笑顔で出迎えない訳もなく。

 それぞれが普段見せているタイプの『笑顔』で出迎えられた葵は、普段苦楽を共にしている親友にも感想を求めようと、声を掛ける。

 「セッコー! どうだったー!?」

 「え、あ、うん!?」

 ここ数週間で、別人のように―否、憑き物が落ちたかのように、元の笑顔を、元気を、全てを取り戻した親友。

 過去に何度も魅せられ、何としてももう一度取り戻したかったと願い続けたその眩しい笑顔は、上の空で何も見ていなかった瀬都子に罪悪感を植え付けるだけの存在となり果てていた。

 「え、えーと…あ、お、おめでと……?」

 「?」

 まだ結果が出ていないにもかかわらず、目を逸らしながら見当違いの事を言い出す親友に、当然ながら葵の頭はクエスチョンマークで支配される。

 それについて問いただす前に―――

 『さぁ、それでは、準決勝進出の九チームを発表致します!』

 「!!」

 会場に響きだしたその一言に、全員の意識が支配され、瀬都子に向けられていた目線も外れる。

 その事に安堵した瀬都子であったが、心中のモヤモヤは晴れないままであった。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 「ま、割と運が良かったって言って良いんじゃねーの? これ」

 主催側より、準決勝進出チームに一枚ずつ配布された封筒の中に仕舞われていた、A4の要綱から目を上げた茉莉が、その紙を隣の昴流に渡しながらそんな事を言い出す。

 葵の健闘により、六位と言う半端な順位で準決勝行きの切符を手に入れた四人は、昼休憩の時間を利用して食事とルールの把握に努める事にしていた。

 「…準決勝の組み合わせは、予選結果によって決定する。予選一、四、七位の組と、二、五、八位の組、そして三、六、九位の組の三組に分かれて行い、それぞれのレースの勝者一チームだけが決勝に進む…」

 要綱の一番上に書かれたその文字を昴流が音読し、葵と瀬都子が把握したのを見届けてから、茉莉が『運が良かった』の意を説明し出す。

 「予選一位の例の静岡の四バカと、予選二位だった瀬都子の姉ちゃん達…予選ダントツでワンツーフィニッシュ決めたあいつらと準決勝で当たるなんて、正直ゴメンだったからな」

 「…またそんな消極的な……」

 と、言いはするものの、実際どこかホッとしているという事実に気が付いていた葵は、強く言えずに黙りこんでしまう。

 地元の模型店で少しばかり良い成績を収めただけで、ほんの少しだけ築かれていた傲慢な自尊心が粉々にされた事を、あっさりと振り切るには、彼女もまだ若過ぎた。

 「…実際の所、リザルトは一位と二位がダントツで、三位以下がほぼダンゴ状態」

 昴流が現状を確認すると、きっちりとボードに張られたタイムを確認していた葵と茉莉が、無言で首肯する。

 それを確認した昴流は、自身の推測―と言うには誰の目にも明らか過ぎたが―を今一度口に出し、全員に共通認識として植え付け出す。

 「青宮さんと最後まで競り合ってたチームも結局は八位で、あの僅かな間にも二チームも入ってる。と言う事は―」

 「九位のチームに寝首掻かれるって事も、じゅーぶんあり得る訳か」

 「三位のチームに勝つ事も、不可能ではないって事ですね」

 昴流の後を継いだ二人が、全く逆の事を、しかし互いに全くの正論を述べ、思わず顔を見合わせる。

 「…お前、ホントにポジティブになったなぁ」

 「茉莉さん、もう少し自信を持って行きましょうよ。戦いは気合からですよ」

 ぼやく茉莉と、勢いで抑え込む葵。

 そんな二人の会話から、貴重な時間がどんどん奪われていく事に気が付いた昴流は、ひとまず会話に参加していなかったもう一人に水を向けた。

 「…赤橋さんはどう見てる?」

 が。

 「………………」

 話を振られた瀬都子は、あらぬ方向に目を向け、全く反応を返さない。

 それは明らかに昴流を無視しているのではなく、全く違う事に全神経を奪われているとしか考えられない様子であった。

 「…セッコ?」

 いつもならばすぐに反応する葵からの問いかけにも、眠ったように反応を見せず、ただひたすらに焦点の合っていない瞳で、いずこかを見つめ続ける。

 「…………はぁ」

 呆れたように茉莉が嘆息すると、とうの昔に飲み干したアイスコーヒーの紙コップから氷を一粒取り出し、葵が反応するよりも早く、瀬都子の滑らかな肌とTシャツとの間にポロリと落とす。

 「わひゃぁ!!?」

 当然のように、目の玉が飛び出さんばかりの反応を返した瀬都子に対し、茉莉は呆れたようにぼやく。

 「いーかげんにしろってんだ、そんなに姉貴の事が気になるかよ」

 「……!」

 その一言に、露骨に身を震わせながらも、まだ足掻けるとでも思っているのか、極めて平静を装いながら瀬都子が返す。

 「…な、何の話……?」

 すっ恍けてみるも、当然ながら事情を知っている葵以外の二名からの目線からは、一切の温かみが見受けられない。

 「…………ごめんなぁ」

 非難するような眼差しを受け、あっさりと屈服する瀬都子。

 そんな親友をフォローするかのように、割って入ったのは葵であった。

 「…セッコもショックだったんだと思います。久しく会っていない準子さん…お姉さんが、折角意図せず同じ趣味を持っていたと言うのに、やっぱりあんな反応をされて…」

 「…あーっと、ちょっと待て」

 おつむの出来の悪さに関しては少しだけ自信のある茉莉が、頭を抱えながら手で制し、一つ一つ自分の知らない情報を整理して行こうとする。

 「…瀬都子と姉貴が互いにミニ四駆やってるって事知らなかったのは、さっきの反応見てて何となく分かってたけどさ。久しく会ってないってのはどういうこった」

 眼鏡や髪留め、白衣などで妹とは全く違う姿をしていた物の、それでも彼女の姉と言う事がハッキリと分かる目鼻立ちをした少女。

 姉と言われたものの、瀬都子と双子と言われても自然と言える程に似通った容姿をしていた彼女は、どう見ても独立しているような年齢には見えなかった。

 「あ、ねーちゃんアレなんよ、豊明高専に通っとるから、寮生活なんよ」

 「…なるほど」

 全くピンと来ていない茉莉とは対照的に、すぐに発言内容を呑みこんだのは、昴流。

 一重に『高専を進路の視野に入れられるほどの学力があったかどうか』の差であったが、そこはさして重要な部分では無い為、特に言及せずに流すこととした。

 「…で、えーっと…『あんな反応』っつーのは、つまりアレだよな、露骨に冷たいっつーか、ガン無視してた奴だよな」

 「……!」

 いよいよ核心に迫られ、瀬都子の体が一瞬強張るのがはっきりと見て取れる。

 「…いや、言いたくねえなら良いんだけどさ。人ん家の事情なんて色々あるだろうし」

 自分とて、触れられたくないものがあるが故、姉の存在すら教えていない。

 それが故、人それぞれの事情の有無と言う物を熟知していた為、あえて逃げ道を与えるも。

 「…せやね」

 瀬都子の唇から帰って来た、消え入るような声は、肯定。

 「…せ、セッコ……」

 親友を気遣い、恐る恐ると言った感じで声を掛けてきた葵に、精一杯笑顔で返しながら。

 「…あーちゃん、ウチもいっぺん、心の整理したかったところやから、丁度ええかなって」

 そんな言葉と共に、一度深呼吸し、頭の中を整えてから、過去を口にしてゆく。

 「あんな、ウチら三人姉妹で、一番上の早紀子ねーちゃんがちょっと産まれるん速くて、ウチと準子ねーちゃんは一個違いやったから、昔はそれこそしょっちゅう二人で遊んどったくらい仲良かったんよ」

 「ほうほう」

 特に返す反応が思いつかず、先を促す。

 するとそれに呼応した瀬都子が、どんどん話を先へと続けてゆく。

 「三年前に愛知に越して来てからも、しばらくはそれまで通り、ずーっと仲良かったんやけど…」

 一旦言いにくそうに言葉を濁すも、言うよりほかは無いと判断した為、思い切って言葉を続ける。

 「…何でか分かれへんけど、越してから半年くらい経つ辺りから、なんか急にねーちゃんの態度がよそよそしゅうなって…結局、家出る直前くらいには、全然喋らへんようになってもーて……」

 「……なるほど」

 それ以上何も言うに言えず、おざなりな感想を漏らすしかする事の無い昴流は、その一言でお茶を濁す。

 「…心当たりは全く無い訳か」

 何とはなしに茉莉がそう尋ねると、至って素直に首を縦に振る。

 その動作を見た茉莉は、問題解決の一助となればと、適当ながらアドバイスを送る事に決めた。

 「なんかアレじゃねーの? 人のキレるポイントってどこにあるか分かったもんじゃねーから、ついうっかり地雷踏んだとか」

 「…うーん……」

 その一言に、瀬都子と一緒に唸りだしたのは、葵。

 準子が家を出て行くまでに数度会った事があるが、些細な事をいつまでも根に持つ程矮小な人間だとは、余り考えられなかったからだ。

 「例えばアレだよ、お前の姉ちゃんが楽しみにしてた菓子かなんかを勝手に食ったとか」

 投げやりな例えに、怒りこそしない物の、少しばかり呆れた反応を返す二人。

 「…ねーちゃん、そんな事じゃ怒ったりせーへんで」

 「そうですよ。それで怒るのは僕と僕のお姉ちゃんくらいなものです」

 「待ちなさい」

 サラリと葵が言った一言に引っかかりを覚えた昴流が制止するも、何が問題なのかと言わんばかりの態度の瀬都子が、勝手に捕捉する。

 「そういや、千鳥さんが東京土産だって買ってきた東京ひ○こ、結局千鳥さんが自分一人で全部食べちゃって、大ゲンカしよったもんなぁ」

 「アレはまだ許してないよ」

 「ほんまに食べ物の事は全力やなぁー」

 「…………」

 すっかり話が横にそれてしまったが、既に聞き手の二人は、そんな事はどうでも良くなっており。

 「…とりあえず、あたしらだけでもコース確認するか」

 「……そうね」

 懐かしい話に花を咲かせる二人を放っておき、自分達だけでもと封筒に手を突っ込み、もう一枚のA4用紙を取り出す。

 そこに描かれた簡素な図は、準決勝並びに決勝で使用されるコースのレイアウトそのものであった。





2話用コース/かものすけ




2話用コース

/ かものすけ



 「…明らかに遊園地とかのレースで使うようなレイアウトじゃないわね、これ」

 一目見て渋い顔を見せ出した昴流がそう述べると、茉莉は意外そうな反応を返す。

 「そうかぁ? 割と単純なレイアウトじゃねーのこれ」

 「……まぁ、確かに単純と言えば単純だけど」

 嘆息しながらそう言うと、カバンの中から自前の筆箱を取り出し、やや可愛らしいデザインのシャープペンシルを取り出すと、何カ所かに丸を付けてゆく。

 朱色の円を幾つか描き終えると、芯を戻し、何も汚せなくなった先端部分で先ほど書いたばかりの円を幾つか指しながら、ややきつく質問を飛ばす。

 「スロープ後にハーフストレートだけで即90度カーブ…一箇所だけならまだしも、ストレート8枚で十二分に加速がついた後にも同様のセクションがある。それに逆レーンチェンジとかいう鬼みたいな配置もあるし、考え無しに単純の一言でどうやって攻略する気よ」

 「そ、そりゃぁ……」

 目が泳ぎだす茉莉であったが、ポンと手を打つと、カバンの中をゴソゴソと漁りだし―――

 「…ほらこれ、ショック吸収タイヤ使えば何とか」

 しれっと、日焼けしたタグに掠れた袋が年月を想像させるパーツを取り出すと、誰の目にも見えるように机の上にポンと放りだす。

 「…何でそんな珍しい物の未開封持ってるの」

 半ば呆れて、半ば称賛のつもりでそう突っ込むも、聞く耳もたずの茉莉はさっさとパーツを開封し、愛車のタイヤを交換し出す。

 その様子を見ながら、お手上げとでも言いたげに溜息をつくと、昴流はもう少し突っ込んだ所に踏み入るべく、口を開く。

 「…まぁ、悪い手じゃないわ。無加工ノーマルやハードよりはよっぽど良いでしょうし、スーパーハードを大径に履かせるのって結構苦労するから」

 渋々と言った感じでアイデアを褒めると、どことなく上機嫌になった茉莉は、無言でパーツケースを開け、ゴソゴソと何事かを始める。

 「(…パーツチョイス自体は悪くはないのだけど、やっぱり)」

 軽く息を吐き、一旦頭の切り替えに成功すると、残る二つの懸念に目を向ける。

 「青宮さん、赤橋さん―――」

 「ほへ?」

 「は、はい!」

 名字を読んだだけで、二者二様の反応を返してくる二人。

 先程のこちらの会話を聞いていたのか、既に無駄口を叩くのは止め、愛車のセッティングに勤しんでいる真っ最中であった。

 「(…ちゃんとやるべき事はやる子達なのね)」

 そもそも自分達をレースにと誘いだしたのはこの二名である。

 浮ついた気持ちで居る訳もなかったが、それでもどことなく安堵し、早速セッティングのチェックに移る。

 が。

 「……不安ね」

 つい本音を隠せず、思いっきり吐露してしまう。

 「…す、すいません、あんまり立体用のパーツを持っていないと言うか、知識もないと言うか……」

 「い、一応マスダンパーは一通り揃えたと思うねんけど」

 目線を逸らしながらそんな事を言う二人に、強く何かを言っても仕方がいと言う事くらい理解はしていたが、それでもツッコミを入れざるを得ない。

 「…青宮さん、何でタイヤは大径バレルのまま…?」

 「…ごめんなさい、スポンジタイヤ以外はこれしか…」

 汎用性が高い為、確かに立体の無いコースにはおあつらえ向けのパーツではあるが、運悪く今回はかなり厳し目の立体コース。

 ビギナーであるという点を考慮すれば仕方の無い事であるとはいえ、流石に一言突っ込まざるを得ずに、口を開いてしまう。

 「んじゃ、葵、これ使っとけ」

 「え?」

 茉莉がその一言と共に、軽く放った袋を慌ててキャッチする。

 手に確かに残ったその袋に付けられたタグには、『スーパーハードローハイトタイヤ』の文字が刻まれていた。

 「硬いタイヤらしいから大径に履かせるの苦労するかもしれないけど、やるだけやってみ」

 「は、はい! ありがとうございます!!」

 その一言と共に頭を深々と下げ、好意に素直に甘える事にする。

 遠慮しなかったのは一重に、チームの為と言う背景も大きかった。

 「(……らしい、ね)」

 その一言で、先程から抱いていた疑念が確信に変わった昴流であったが、その場で言うべきことでもないので何も言わずに沈黙を保つ。

 それよりも甚大な問題が一つ、横たわっていたからだ。

 「…それだったら、中径のホイールも用意しないと。正直スーパーハードを大径に履かせるのはかなり―――」

 「よっ、と」

 最後までその言葉を聞くことなく。

 か細い人差し指を二本、タイヤの穴の中に差し込んだ葵は、そんな掛け声とともに軽く力を込める。

 すると―――

 「……嘘ぉ」

 大人の男性でも、場合によっては伸ばすのに不自由を覚える程に硬度を持ったタイヤが、あっさりと見た事もないほどに引き伸ばされていく。

 そして、あっさりと見慣れた黄色いホイールに、まるでスポンジタイヤのごとく収まって行くそれは、決して同年代と比較して非力では無い昴流でも、できる自信の全く無い行為と言えた。

 「……青宮さん、凄いわね」

 「あーちゃん、結構力持ちやからなぁー」

 感嘆半分、驚愕半分のコメントを出すと、いつの間にか会話に割り込んできた瀬都子が、どういう訳か誇らしげに語ってくる。

 「……で、赤橋さん」

 葵はそれで良いとしても、まだ瀬都子には改善すべき点が幾らでもある為、おずおずと声を掛ける。

 「えーっと…マスダンパー、それ幾つ付けてるの?」

 「へ?」

 どうしてそんな事を聞くのか、と言わんばかりの反応を見せた瀬都子であったが、素直に愛車に取りつけた、見るからに金属でできていると主張している重りを数えだす。

 「えーっと…アジャスト、ふつーの、ヘビー、ボウル、シリンダー、スクエア二種類一個ずつ…合計十四個やね」

 「外しなさい。シリンダー二個とボウル二個、それぞれサイドとリヤに付けるだけで充分だから」

 素人目に見ても過剰搭載と分かるそれに対し、何とか頭痛を抑えて冷静に返すも、瀬都子は如何にもショックを受けたとでも言いたげな反応で返す。

 「え!? 何で!? 難しいコースやからこんくらい居るんと違うん?」

 「要らないから。外しなさい」

 その一言に不満そうな顔で返すも、一応は信頼している相手からの言葉だからか、ぶつくさと文句を垂れながらも撤去に取り掛かる。

 「ちぇー。カッコ良かったんになぁ」

 「…ホントはそっち目当てで付けてたでしょ」

 流石に親友の葵からも呆れたように言われるが、それに対し瀬都子が何かを言うよりも早く、昴流が口を開く。

 「赤橋さんのマシンは、タイヤ自体の直径がかなり小さいから、あんまりマスダンパーに頼らなくてもそうそうマシンが乱れることは無いわ。無しじゃ困るけども」

 「ほんまに!?」

 その一言でパッと顔を輝かせた瀬都子は、いつものように愛車を愛でだす。

 「ええなぁー、ボディもかっこええし、シャーシは優秀やし、タイヤもええもん付いてくるなんて、ほんまにこの子ええ子やったんやなぁー」

 「…一概にメリットだけじゃないのだけど。速度乗らないし」

 釘を刺すように一言言ってのけるが、愛車の虜となった瀬都子の耳には入っていないようで、全く反応が返ってこない。

 そうこうしている内に―――

 「ま、こんなもんか」

 「こう…ですかね」

 「できたー!」

 三者がそれぞれのマシンを卓上に置く。

 自分のアドバイスが少なからず影響しているとは言え、申し訳程度の改造しか成されて居ないそれらは、レイアウトから察せられる難コースに対しては心もとないと言う他なかった。

 「……コースアウトしない事を祈るほかないわね、私含めて」

 制振系のギミックも基本の物のみ、タイヤも無加工ばかり。

 それでもできる限りの事はやったが、正直なところ、不安要素が幾つも幾つも浮き彫りになってきた昴流は、そんなコメントを述べるしかない。

 「ま、立体なんて運ゲーなんて言う奴も結構多いし、運次第でどーとでもなるだろ」

 「…ならないわよ」

 気楽と言うより、何も考えていなさそうな茉莉に、半目で返すと。

 「だったら、こうするのが一番だろ」

 そう一言言った茉莉が、真新しいモーターケースを開き、現在付けているハイパーダッシュ3に代わるモーターを取り出す。

 ある程度ミニ四駆にについての知識があれば、誰もが即座に名前を出せる、その灰色のエンドベルの正体は―――

 「遅くすりゃそれだけ飛ばなくなるだろ」

 ハイパーダッシュ3よりは回転数・トルク共に大きく劣るが、それでも活躍の場を選ばない為、今でも多くのユーザーから愛されるアトミックチューンモーターであった。

 「……それはそうだけど、速度負けが怖いわね」

 そもそもどんなコースに対しても、最高回転力を誇るモーターで挑むのは愚策中の愚策と言える。

 しかし、今回は該当の二カ所以外は基本的にコースアウトの心配が無く、速度域に関してはかなり不安が生じた為、二の足を踏んでいた昴流であったが。

 「んなこと言ってもコースアウトするよりゃマシだろーが。お前が何言おうとあたしはコレ使うからな」

 茉莉はそんな事を言い、モーター交換の為にボディキャッチを回し始める。

 「…………」

 しばし何事かを言いたそうにしていた昴流であったが、諦めたように嘆息し、渋々と言った感じで意見を肯定する。

 「…確かにそうね。コースアウトするよりは、遅くても完走を目指して、相手のコースアウト待ちに徹した方が幾らか利口ね」

 そう言うと、自らも愛車のボディを外し、モーターケースの中から朱色のエンドベルの物を取り出しながら、仲間に告げる。

 「それじゃ、青宮さんと新土はアトミックチューン、赤橋さんはタイヤ径の問題で最高速がかなり怪しいからライトダッシュで。私は両軸だからトルクチューンで行くわ」

 「指図すんなっつーの」

 「りょーかい!」

 即座に頷く瀬都子と茉莉であったが、予想外の反応が予想外の人物から帰って来た。

 「…果たしてそうでしょうか」

 「?」

 三人が一斉に、声の主―葵の方を向くと。

 非常に複雑な表情のまま、目線を愛車に向けている葵の姿が、そこにあった。

 「コースアウトするよりは、大差をつけられてでも完走して、相手のコースアウトを狙った方が利口…確かに懸命かもしれませんが、本当にそれは正しいんでしょうか…?」

 「正しいんでしょうか? って……」

 どう反論すべきか、しばし逡巡する様子を見せた茉莉であったが、やがて自身の中で意見が固まったのか、持論を諭すように述べる。

 「そりゃお前、相手が絶対コースアウトしない、なんて保証はどこにも無い…つーかこんなコースだとコースアウトする可能性の方が高いし、それなら確実に完走した方がむしろ勝ちを拾いやすいんじゃないか?」

 「…腹立たしいけど、私もこの点は新土に同意するわ」

 たどたどしく自らの意見を最後まで述べ切った茉莉に対し、渋々ながら、しかしチームを纏め上げる為に昴流が口を開く。

 「青宮さん。大会で最も必要な事は、一番速く『走る』事じゃなくて、一番速く『完走する』事。だから完走する為に、あえてスピードで負ける事は覚悟の上で速度を抑える事は、むしろ基本中の基本なのよ。常に誰もがHD3やHDPに超速大径、ってセッティングな訳じゃないわ」

 「…………」

 諭す様に、それで居て全く反論の余地の無い正論をずらずらと並べ立てられ、成すすべの無くなった葵は。

 何か、とてつもなく苦い何かを呑み込むように―――

 「…分かりました。屋田さんと茉莉さんがそうおっしゃるのでしたら、僕は…それに従います」

 呻くようにそう言うと、無言でシャーシ下部のハッチを開き、思い入れのあるハイパーダッシュ3を緩慢な動作で愛車から取り外す。

 「…………」

 何故そこまで拒否反応を示すのか。理解できたのは、瀬都子ただ一人だけであった。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 「…どー思う?」

 その一言で、ひたすら昼食をがっついていた三人の手が止まり、その目線がこちらに集まる事を、遊奈は自覚した。

 全員、セッティング自体は既に終了している。後は本番までゆったりと待機する事くらいしか、彼女達にする事は無かったからだ。

 「…………」

 自分の言いたい事が、無言ながらにどれだけ伝わるか。

 何となくそんな事を試してみたい衝動に駆られると、やはり真っ先に口を開き出したのは瑠名であった。

 「…モーター以外のセッティングは及第点…と言うかポン付けだとベストな範囲だけど…あの超フラットコースだったってのに、あのスピードだと多分スプリント使ってないでしょぅ?

 『あの回転音だとハイパーダッシュ2か3、それか当たりのライトダッシュとかその辺。間違ってもスプリントやパワーじゃない』

 その瑠名の意見を、即座に伊代菜がボードと共に補足する。

 「んー、でもナー」

 その言葉に異を唱え出したネーナは、行儀悪くスプーンを咥えながら、器用に言葉を発してくる。

 「あの背の高い癖っ毛の巨乳の…ナントカって人、ちゃんと念の為のコースチェックを怠って無かったんだよナー」

 実際は、周りの実力者たちに倣って動いただけなのだが、そんな事など知る由もないネーナは素直に称賛の声を上げる。

 「それもあるけど、やっぱりあのちっちゃいのがなー、どうもなぁ……」

 シグナルランプの点等と、ほぼ同時という絶妙すぎるタイミングで愛車をコースに放った、小学生と見間違えるほどに背の小さな少女。

 その光景が脳裏に焼きつき、どうしても初心者だと断ずる事が出来ずにいた。

 「…ま、一応あの子らの準決勝、見ておく価値はあるんじゃないかしらん」

 「そーだな」

 おざなりに肯定して返すと、だんだん冷めかけてきたラーメンの丼に手を付け、一気に残ったスープを飲み干しにかかる。

 「(…青宮…葵? だっけ?)」

 普段、人の名前を気に留めることなど滅多にない遊奈であったが、まだ頭の片隅にこびりついていた名前を何とか思い出し、忘れないようにと反芻する。

 要警戒と言える程のマシンを作っていた訳でもなければ、タイムを叩きだせた訳でもないのに、何故か心の片隅に引っかかって離れない。

 「(…ま、俺だけじゃないみたいだしな)」

 自分以外の三人も、同様の引っかかりを覚えていたという現実に、どことなく安堵した。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 「…………」

 普段、笑顔を見せることなど全く無い副部長であったが、この日は露骨に不快感をオーラとして空中に漂わせている。

 人の感情の移り変わりに敏感な由姫はともかく、かなり鈍い部類に位置する古淵でさえも、良からぬものを感じ取り、小声で同室の級友へと問いかける。

 「ふ、副部長、なんかあったんスか……?」

 「な、なんか、副部長と部長のライバルらしい人たちが居たんだけど…それかなぁ」

 ごにょごにょとそんな事を言いあうも、幸いながら当人の耳に入ってこなかった為、何のお咎めも飛んでこない。

 否。今の準子には、そんな些細な事を気にしている余裕など、欠片も無かった。

 「どーしたー? 腹でも痛いのかー?」

 空気を読んでいるのか居ないのか。

 ずけずけとそんな事を聞いてくる和理に、副部長の鉄槌が降らないかと、一瞬背筋が冷たくなる後輩二人であったが。

 「……何でもありません。少し頭を冷やしてきます」

 殆ど手を付けていない昼食のリゾットの代金の小銭をテーブルに置き、いずこかへと足早に去っていく。

 「…………またかー」

 その背を眼で追いながら、そんな事をぼやく和理に対し、黙っていなかったのは古淵。

 「部長、なんスか? 副部長ってあんな事しょっちゅうあるんスか?」

 「んー」

 その一言を受け、一瞬だけ思考回路を回転させる和理であったが。

 「まぁ、色々あるんだろーなー、たぶん」

 そんな事を適当に言い、それ以上の追及をするなと暗に示すも。

 「色々ってなんスか? 見当付いてんスか?」

 「か、かんなちゃん、ダメだって!」

 全く発言の意図を読めていない古淵と、それを制する由姫。

 だが、既に思考が明後日の方向に向いている和理の耳には、そんな会話は入ってこなかった。

 「(…いっつもああなんだよなー、妹が絡むと)」

 そんな事を考え、心中でぼやく。

 だが、彼女が妹に辛辣な態度をとる原因の一つに、自分自身が関わっているなどとは、和理は夢にも思っていなかった。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 『それでは準決勝、第一試合を行います!』

 イベントなどお手の物とでも言いたげな主催者の、マイクを介した一言に反応した幾人かが立ち上がる。

 一番最初に出走するグループ、即ち葵達を含めた三チーム、計十二名が、呼ばれるのを待つ事すらかったるいとでも言いたげに。

 『えー、予選三位のチーム『ball蒲郡選抜』、予選六位のチーム『星双高校一年チーム』、予選九位のチーム『鈴木一家』、以上三チーム、第一走者はスタートラインに集合し、第二走者はその後ろにスタンバイして下さい!』

 その一言で、覚悟を決めたかのように一歩歩み出したのは、葵と瀬都子。

 「がんばろーな、あーちゃん!」

 「うん!」

 互いに喝を入れ合い、未だ慣れていないハズのスタートラインへと赴く二名。

 その二人よりも周囲の二チームに目を向けた昴流は、早速ある程度の分析を始める。

 が。

 「…本当にラッキーを期待するほか無いわね」

 そうコメントするしか無くなり、呻くように声を発する。

 両者ともに流行の改造をお手本の様に盛り込んだだけであるが、流行していると言う事は万人に評価されている、有用性の高い改造であると言う事。

 車重の軽さも、制振性の高さも、そして恐らくはパワーユニットの強力さも、全て自分達の上を行くマシンを目の当たりにしては、とても希望など持てなかった。

 『えー、選手の皆様には当然ながら既にお伝えしておりますが、改めまして観客の皆様に、準々決勝及び決勝のルールをご説明致します!』

 選手達にとっては意外な事に、参加者よりも大分多い数の、様々な年齢層の観客が遠巻きにコースを取り囲んでいる。

 イベントらしいイベントが、今日はこれ一本しかないと言う事情も手伝って、遊び疲れた客が物見にやって来ていたのだ。

 『基本となるルールは全てタミヤの公認ルール準拠となりますが、今回はチーム戦と言う事ですので、一つだけ追加のルールがございます! それは、タッチ交代制の導入です!』

 鈍い数名の客が、説明の意図を読み切れずにざわめきだす。

 しかし、そんな事は最初から考慮の内だった司会者は、できる限り分かりやすく、丁寧かつ簡潔にルールを説明していく。

 『レースの流れは、まずスタートシグナルに合わせて第一走者が全チーム一斉にスタートし、その後第一走者が三周を終えた時点でマシンをキャッチして第二走者へとバトンタッチ、第二走者も同様に三週した時点で交代、第三走者、第四走者も同様…つまり一チームが細かく選手交代を繰り返し、先に十二周、即ち一巡が終了したチームが決勝へとコマを進めます!』

 「…………!」

 余り類を見ない変則ルールの適用にざわめく観客であったが、当然の事ながら事前に知らされて居た選手達には、全く動揺の色は見られない。

 それよりも、非常に短い時間で交代をスムーズに行わなければならない、という事実に対しての、戸惑いの色の方が遥かに強かった。

 『当然ながら、コースアウトやマシントラブルによる停車等、通常のレースでリタイヤとなる条件を満たしてしまった場合、チームそのものが即リタイヤとなります! ただし、全チームがリタイヤとなった場合、十分間のセッティング時間の後に再レースを行います!』

 一人のミスで、チーム全員の夢が断たれる。

 当然と言えば当然、残酷と言えば余りにも残酷なルールにざわめく観客であったが、選手の心中も当然ながら穏やかではない。

 が、選手の心が完全に収まるのを待つ程、悠長な大会でも無かった。

 『さぁ、ルール説明は以上です! 各チーム、スイッチオン!!』

 余りにも唐突な一言であったが、半ば覚悟を決めていた葵を含む三名が、思い思いのチョイス・セッティングを行った愛車に手を掛け、命を吹き込む。

 途端に高速回転を始めるギヤーの奏でる三重奏が、その場の全ての人間に、号令以上に『その時』を告げる。

 『それでは、位置に着いて!シグナルに注目!』

 その一言で、レーンごとに違う色で彩られた五つのレーンの内、両端と中央の三か所にマシンが添えられる。

 その内、一際小さな体格であっても、一際真摯な眼差しでシグナルランプを見つめる少女は、真中に位置していた。

 『準決勝第一試合!!』

 いよいよ、決勝へと通じるたった一枚のチケットを巡る、三つ巴の闘いが幕を開ける。

 その事実に、多くの人間が唾を飲み込んだ途端―――

 『スタートォ!!』

 その一言と共に、赤から緑に代わるシグナルランプ。

 それと同時に三台のマシンが―――否、一台、フレンチブルーに彩られたマシンだけが、ほんの一瞬のリードを奪っていた。

 『さぁ、三台共に好スタート! 果たしてこの難コースを相手に、どのような走りを見せるのか!?』

 司会の熱の籠ったセリフは、すぐに様子を変えるコースの状況で、途端に戸惑いの色を見せ始める。

 『おっと、早速ball蒲郡、鈴木一家の二チームが激しい鍔迫り合い! 星双高校、早速出遅れてしまったぁ!!』

 トップに躍り出た漆黒のマシンと、その真横にピッタリと着き、まるで息の合ったランデブーを見せるかのような両脇の二台。

 それとは対照的に、見た目こそ軽やかな色合いで統一された葵のマシンただ一台が、早速後塵を拝する有様であった。

 「うーん…やっぱ素人っぽいかナー」

 先を行く二台でさえも、実力者として名を馳せる彼女達にとっては驚嘆するタイムに値しない。

 にも拘らず、その二台からすら大幅に離されつつあるマシンを見て、ネーナは自らの憶測が見当違いであったかと疑念を抱きだす。

 「勿体ねぇなー。せっかく面白ぇ武器持ってんのに、肝心のセッティングがあれじゃどうしようもねぇよ」

 一方の遊奈も、折角目を付けた連中が有象無象に過ぎなかったという事実から目を逸らしたいとでも言いたげに、不満を露わにする。

 『まだビギナーって感じだし、これからに期待って所?』

 「そんな感じかしらねぇ」

 憮然とした表情をしていたのは、何もネーナと遊奈だけでは無い。

 漠然とした期待を抱いていた瑠名と伊代菜も、どことなく不満げな表情を隠せずにいた。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 『さぁ、先頭の二台は二周目に突入! どうやらレースはball蒲郡と鈴木一家のマッチレースとなってきたようだ!』

 早計にも聞こえる実況であるが、誰も、葵達四人すらも抗議の声を上げたりはしない。

 それほどまでに、二台と一台との差は、たった一周で歴然としたものになってしまったからだ。

 しかし、スピードの乗ってきた二周目、思いもよらぬ出来事が展開され出した。

 『さぁball蒲郡選抜、一歩抜きんでてコースを快そ―――!?』

 実況が言葉を最後まで伝える前に、不自然にぶつ切りになってしまったのも無理は無い。

 次点に少しばかり差をつけ始めた漆黒のマシンが、第二走者へとバトンを渡す前―否、自分の走破すべき分の半分にすら達せずに、下りスロープ直後のコーナーで勢いよく転倒し、そのまま無情にもアスファルトの上に投げ出されてゆく。

 『あーっと、先頭のball蒲郡選抜、ここでコースアウト! 無念のリタイヤです!!』

 その一言と共に、スタートラインに居た大学生くらいの男性が、奇声を上げてその場にうずくまる。

 それと同時に、あーっという失意の溜息があちこちから漏れ、小さなざわめきを形成していた。

 が。

 『あーっと、魔のスロープ下で、またもコースアウト!!』

 飛んだばかりのball蒲郡選抜のすぐ後ろに付けていた黄色のマシンも、後を追うかのように同じカーブで彼方へと吹っ飛んでいく。

 嘘だろ、と絶叫しながら頭を抱えたのは、一家の大黒柱である父親と思しき人物であり。

 「何やってんだよー、父ちゃん!!」

 「アンタ、来月の小遣い減らすからね!!」

 家族からその失策をなじる声が、矢継ぎ早に飛んでくる。

 そして。

 『さぁ、星双高校チーム、先程の二台よりはかなり遅い物の、安定した走りで魔のスロープ下を悠々と通過! 賢明な作戦が功を奏しております!!』

 既に敗退の決定した二台が散ったコーナーを、全く姿勢の乱れを見せずにクリアしていくのは、唯一残った葵のマシン。

 速度だけで言えば先程の二台よりもかなり見劣りしていたが、一向にコースアウトの気配を見せないその走りは、ある種の安心感すら、見る者に与えていた。

 「あっぶねー、あたしの作戦通りで正解だったなー」

 「…ま、そうね」

 少し遠巻きに、昴流と茉莉の会話も聞こえてくる。

 「(…………違う)」

 そんな中、安堵や歓喜の色を浮かべるべき一番の人物が、何かに必死に耐えるように下唇を噛む。

 姉より受け継いだ愛車の走りを、どうしても直視できずに。

 「(…………やっぱり、違う……)」

 忸怩たる思いが爆発しかけるも、外に出ないように必死に自制しつつ。

 自らが感じた違和感が間違いでなかった事に、全力で歯噛みする。

 「……あーちゃん……」

 親友の表情が見えずとも、骨が白く浮き出てくるほどに硬く握られたその小さな手が、葵が何を語っているか雄弁に知らしめている。

 全てを悟った瀬都子は、自らの出番が近い事を自覚しつつも、どうしてもそれどころでは無くなってしまった。

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