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2-2 ねーちゃん

 白、青、そして赤。

 欧州の様々な国の国旗で採用されているトリコロールカラーに彩られたサーキットを、一台の蒼空を思わせる色のマシンが疾走していく。

 そのサーキットにおけるベストラップに近いタイムを弾き出してなお、そのマシンの持ち主である、ラベンダーアッシュの髪を靡くようなウェーブに仕上げた小柄な少女の表情は晴れなかった。

 「んー……やっぱセンタースタビ、ホイールじゃ重いかしらねぇ」

 ジャンプ後の姿勢は理想的であったが、それ故に掛けていた保険が余計なバラストとなり、理想的なタイムとならない要因だろうと当たりを付け、マシンを止める。

 「とは言え割と緩いコースだからあそこまで姿勢保ててるってのもあるでしょーし…やっぱ安定させた方が良いのかしらねぇ」

 ロリータボイスに似つかわしくもない口調でぶつぶつと言うと、コースの脇に併設された作業台へと移動し、あーでもないこーでもないと自らの愛車のセッティングに頭を痛める。

 その一方で。

 「お、コース空いたか?」

 女子にしては短髪な部類の黒髪を、無造作に跳ねさせた傍らの少女が、勢いよくスタート地点へと足を運びながら先程の少女に尋ねる。

 「あーハイハイ、どーぞどーぞ」

 手をひらひらと振り、相手が相手ならそれだけで怒りだしそうな態度で先を促す。

 とは言え、自分と相手の関係を想えば、この程度で怒り出す事など無い、と断言できる程の信頼があってこその行為であったが。

 「よーし! そんじゃシェイク……えーと……シェイク……」

 「シェイプアップ。高校生なんだからそのくらい覚えてて欲しいナー」

 見事なまでの金髪を腰まで伸ばした、一見すると大学生ほどに見える女性が、ピットからやんわりと指摘するも。

 「シェイクダウンよこのバカ共!!」

 先程までコースを占有していた少女が、余りに頭の悪い会話につい怒号を上げてしまう。

 「うっせ! 分かってたよ! ちょっと出てこなかっただけだ!!」

 指摘された少女は瞬間的に沸騰しながらも、完成した愛車のテストの方が先とばかりに、赤が基調のカラーリングで構成されたマシンをコースに放つ。

 初速こそ頼りないものがあったが、比較的コースアウトを誘発するポイントの少ないコースにセッティングが合っているのか、みるみるうちに最高速に乗り出すと、そのまま轟音を立てて様々な色のレーンをクリアしていく。

 「うっひゃー、相変わらず凄いスピードだナー、プラボディでこれは流石だナー」

 予想できていた事ではあるが、それでも現実となると流石に驚かざるを得なくなった金髪の少女が、感嘆したように声を上げる。

 「いい感じじゃない。ボディも上手い事削れてるみたいだし?」

 一方で、先刻マシンを走らせていた少女も、珍しく素直に称賛の声を上げる。

 このままのスピードなら、コースレコード樹立も夢では無かった。

 「おっしゃー、いいぞ、これなら………」

 が、その言葉は、最後まで放たれる事は無く。

 真紅のシャーシが特徴的なそのマシンは、三レーンコースの鬼門であるレーンチェンジ直後のカーブで、あっさりとコースの外に弾かれ、ひっくり返った亀のように醜態を晒してしまった。

 「あー! しまったスラスト浅かった!」

 「………バカねぇ」

 「バカだナー」

 公共の場と言える商店の中で、絶叫を上げる親友―否、少し違う関係―の少女の姿を見ながら、溜息交じりに呟く二人。

 と。そんないつもの光景を繰り返す三人の目の前に、馴染みの顔が現れた。

 「あら。遅かったわねぇ?」

 「センセーにでも怒られてたのかナー?」

 艶のある黒髪をボブカットに仕上げた少女は、いつも意思を伝達するボードではなく、一枚の紙を無言で三人の前に示す。

 「?」

 喋らないのはいつもの事であったが、ボードではない、別の何かを差し出すのは珍しい。

 三人のうち、先程コースアウトして大騒ぎしていた少女が代表して紙をむしり取り、その内容を読み上げる。

 「なになに…シーパラダイス……かまぐん?」

 「がまごおり、よん」

 地名故の難読に翻弄される級友を、横からさらっとカバーしていく。

 「…お前、よく読めるなー」

 「親戚が近くに住んでるのよん。良いから先を続けなさい」

 途端に話を脱線させ掛けられ、軌道修正に勤めると、案外あっさりと言う事を聞いてくれ、先に進んでくれる。

 「えーと…ミニ四駆大会のお知らせ……チーム戦??」

 踊る文字を一通り読みあげると、チラシから目を離し、周囲に群がっていた三人に問いかける。

 「…コレってもしかして、アレの………」

 「……かしら?」

 「…じゃないかナー?」

 「…………」

 チラシを持ってきた当人はともかく、他の二人も自分と考えは同じだったらしい。

 「………蒲郡、ってこっから幾らくらいかかるんだ?」

 「確か在来線で頑張れば、大体往復四千円行かないくらい……だと思うけどねぇ」

 親戚とやらの家に何度も訪れた経験があるのか、さっと現地から目的地までの金額を提示する。

 「んー…ちょっと高いけど、どうするネー?」

 金髪の少女が顎に手を当て、思案の表情を見せるも。

 「…静岡の春のグランプリ終わったし、東京まで行ってまた個人戦出るよりは、こっちでチームで出た方が面白いかもな。俺は当面必要なパーツもねぇし」

 リーダー格の少女がそれを言うと、他の二人も頷き、同意を示す。

 「アレが本当なら、一回くらい私達のチームワーク、試しといたほうが良さげねぇ…私達みたいに様子見目的で参加する連中のデータも取れるかもしれないしねぇ」

 「……………」

 一人は無言であったが、それでも肯定の意思を明確に示した事に違いは無い。

 それに、金髪の少女とて、嫌だったから問いかけた訳ではなく、後押しが欲しかったが為の一言であった。

 「んじゃ、今度の日曜、ワタシ『達』の初レース決定だナー!」

 『おー!!』

 その一言に呼応し、勢いよく拳を突き上げる残りの三名。

 彼女達の瞳にもまた、自信と言う名の炎が揺らめいていた。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 


 「ほな、行こっか」

 「うん、もう日が無いしね」

 そんな事を言いながら、いつものように放課後の廊下へと繰り出そうとする二人。

 だが、今日は少し様子が違っていた。

 「あ、おーい、お二人さーん!」

 聴き慣れた声が耳朶を打ち、二人揃って前方に視線を向ける。

 中学の頃からの友人である長瀬が、後ろ手にカバンを持ちながら、明らかにこちらを見て声を掛けていた。

 「どうかされましたか?」

 至極自然な葵の問いかけに、がっくりと肩を落とした長瀬は、そのまま非難の声を上げだす。

 「友達がー、アフタースクールを一緒に満喫しようって誘いを掛けようって時にー、『どうされましたか?』なんて他人行儀な事言ってんじゃなーい!」

 「わー、ふゅ、ひゅいまふぇん……」

 過度な暴力に訴える訳にもいかず、葵の頬を軽くつねると、そのまま左右に引っ張って制裁を加える。

 理不尽な行為に晒されても、尚謝罪の意を表する親友をかばうべく、瀬都子が間に割って入った。

 「芳枝ちゃん、やめてーな!」

 「あー、はいはい、ごめんなさいねー」

 パッと手を離すも、殆ど力を加えていなかったお陰で、葵に苦痛は全くない。

 それでも何と無く頬をさすりながら、葵は丁寧に答えを寄こす。

 「すみません、僕達、今日も模型屋に行こうと思っているのですが…それでも宜しければ」

 「? 模型屋?」

 付き合いのそれなりに長い長瀬には、瀬都子の模型趣味など当たり前のように熟知しており、葵が度々それに付き合わされる事も知っていた。

 だが、根本的に模型に興味の持てなかった葵にとって、模型屋とは積極的に足を運ぶ場所では無く、ある意味では付き合いで渋々行くような場所であったはずである。

 そんな葵が、自分の意思でそんな場所に行こうとしている口振りに、当然ながら長瀬は意外な物を覚えた。

 「何? 葵も模型か何か始めたの?」

 「え、あ、えーと」

 何と無く『ミニ四駆です』と言って伝わるのかどうかが判らず、一瞬逡巡する葵であったが。

 「ウチとあーちゃんな、最近ミニ四駆に夢中やねん。それで大会近いから、最近毎日模型屋で特訓しとるんよ」

 「……ミニ四駆?」

 訝しげな反応を見せる長瀬。

 それは『言っている意味が理解できないから』ではなく、『理解できるからこそ余計に分からない』とでも言いたげな態度であった。

 「……葵が、ミニ四駆」

 「? ええ」

 答えながら、ごそごそとカバンを漁り、姉から受け継いだ自慢の愛車を取り出し、良く見える位置に掲げる。

 日々メンテナンスを欠かさないそのマシンは、今日の出番に向けて、今か今かと待ちわびているようにも見えた。

 「結構…いえ、かなり楽しいんですよ。ミニ四駆と出会えたお陰で、ようやく僕も元気になれたと言うか」

 「……そっか」

 理由はなんにせよ、目の前の少女には、かつて満ちていたエネルギーが徐々に復活しつつあるのが、長瀬にも手に取るようにわかる。

 友人としてそれが嬉しいが、素直にそれを褒めるのが妙に照れ臭く、そっと誤魔化すように受け止めるが。

 「芳枝ちゃん、ミニ四駆知っとるん?」

 余り場の空気を考えていない瀬都子がそう尋ねると、渡りに船とばかりにその話題に乗っかる。

 と言うか、かなりめんどくさそうな表情で。

 「あー、兄貴と親父が、私が生まれる前くらいに超ハマってたらしくて、最近になって二人ともまた買いだして…」

 その一言を最後まで聞く事無く、二人は感嘆のため息を漏らし、各々の感想を述べる。

 「そっかー、あーちゃんのお姉ちゃん達が現役やった時代にやってたんかなー」

 「新しい親子のコミュニケーションの形…素敵ですね!」

 目を輝かせる二人であったが、対照的に冷めた表情と声色のままの長瀬は、迷惑だとでも言いたげな反応を隠さない。

 「でかいコース買ってきて、毎晩毎晩近所迷惑も考えずに延々と走らせて苦情受けまくりだわ、意見が食い違ったら怒鳴り合いの大ゲンカしてるわ、良く分からないけど電動の工具揃えて明け方までなんかやってるわ、家のそこらじゅうにちっちゃいネジやら何やらまき散らして、うっかり踏むと痛いわで…妹も私もお母さんも超迷惑ってカンジ」

 「え、えーと……」

 「そ、それはちょっと、なぁ……」

 流石にミニ四駆を愛する二人とは言え、そのような状況に置かれたら同じように迷惑がる未来しか見えず、おざなりな反応を返す事しかできない。

 そのような過酷な状況に置かれた、友人への同情の意思を、どう表現しようかと迷った事もあったが―――

 「んで、芳枝ちゃんはミニ四駆やらへん? おもろいでー」

 「…話聞いてた?」

 どう考えてもミニ四駆に興味はおろか、嫌悪感すら持っていそうな反応をあからさまに見せつけたにもかかわらず、平然と布教してくる瀬都子に対し、呆れた表情で返す。

 「そこらの男引っ掛け放題の女子高生! たった三年しかその立場でいられないんだから、新しい彼氏作る事の方が大事だってーの」

 「そっかー、残念やなぁ」

 おざなりに、ではなく、心底残念そうにぼやくも、相手がそのような意思を持っている以上、無理強いをすることもできない。

 「ではすみません、さっきセッコが言ってたように、近々大会があってその練習がありますので…」

 「また誘ってーなー」

 正直なところ、一分一秒が惜しい彼女たちにとって、長々と世間話に興じて時間を潰している場合ではない。

 長瀬がミニ四駆に興味を持つのであれば話は別であったが、そうでないなら一刻も早く練習に向かうほうが優先された。

 「あーはいはい、せいぜい頑張って」

 頭を下げる友人と、手をぶんぶんと振りながら別れを表現する友人。

 そんな二人におざなりに手を上げて返しながら、ぼんやりと思考が動き出す。

 「(……絢火に教えといてやるかなー、葵が元気になったって)」

 今では滅多に会わない腐れ縁の幼馴染が、頭の片隅をよぎり。

 そんな事を考えながら、帰路に着くことを選択した。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 


 「せ、せんぱぶへぇ!?」

 突如として部室に轟きかけた金切り声が、蛙を踏みつぶしたかのような声に変わる。

 とは言え、室内にたむろしていた十名程の人物は、誰ひとり動揺したりしない。日常の光景その物であったからだ。

 「なんだー? うるさいぞー、東林ー」

 その部屋の最奥に据えられた、簡素な机とパイプ椅子を尤も低い段まで下げたものに腰かけ、眼鏡の奥の大きな瞳を細めて愛車の調節に勤めていた白衣の少女が顔を上げ、苦情の声を上げる。

 「も、もーしわけございません、部長……」

 入室しようとした所で盛大に転倒し、愛用の丸眼鏡をいずこへと飛ばしてしまったポニーテールの少女は、打ちつけた鼻を押さえながら立ち上がる。

 毎度の事であったが、丹念に洗濯している白衣も、今日一日で大分埃にまみれてしまっていた。

 「毎度の事ですがどうしたんですか東林さん。モグリの金貸しがまき散らす黒魔術にでも巻き込まれたんですか」

 それなりに上背があるように見えるが、あくまでもそれは小柄な由姫と比較しての感想であり、客観的に見れば標準的なプロポーションを白衣に包んだ眼鏡の女性が、由姫の飛ばした丸眼鏡を拾い上げ、本人へと渡す。

 如何にも委員長、とでも言いたげな二つのお下げが特徴なその女性は、ポニーテールの由姫と並んで立つと、まるで姉妹のようにも見えた。

 「そいつの『大変』はいつもの事だろー、機械工学の連中が作ってたネコ型サイボーグが暴れてガトリング銃ぶっ放してるとか、どーせそんなもんだろー」

 「そこまでファンタジーな学校じゃないんですが…」

 好き勝手な方向に跳ね放題荒れ放題伸び放題の金髪同様、やる気の欠片もない声でケチを付けてくる『部長』に対し、涙ぐみながら訴えかける由姫。

 「で、東林さん。その変態とは」

 「あ、は、はい……え?」

 『部長』とは違った意味で落ち着き払った先輩に促され、困惑しつつもポケットから一枚のチラシを取り出す。

 丁寧に折りたたまれたそれは、転倒の影響をさほど受けなかったのか、不自然なまでに必要最低限の折り目しか付いていなかった。

 「今週末、蒲郡のシーパラダイス蒲郡で、四人一組でミニ四駆のチーム戦が行われるみたいです。年齢、性別等は一切不問とありますが………」

 「…なんだとー?」

 その一言に色めき立ち、部長をはじめとする他の部員達までもが由姫の元に群がり、奪い取るようにしてチラシを凝視する。

 が、結局は先程から由姫のそばに居た少女が、部内での自らの立場を暗に利用して代表でチラシを読み上げていた。

 「…日時は今週日曜。場所はシーパラダイス蒲郡…書き方や開催地からして、ファミリーなどのライト層の参加を目論んだ物かと思われます、が…」

 発言内容とは裏腹に、口調は身長その物と言った様子で、チラシの隅から隅までを眺める。

 望む情報は書かれて居なかったが、彼女は自身が考えている事が事実であろう事を、十中八九確信すらしていた。

 「『アレ』の前哨戦って可能性かー?」

 「ええ」

 部長もその可能性に気が付いたのか、率直に問いかけると、隠す必要もないと考えたのかあっさりと同意する。

 「わざわざファミリー層を呼び込んでミニ四駆の普及ないし遊園地のイベントの一環として行うのであれば、わざわざ四人一組のチーム戦にする意味も無いでしょうから、恐らく間違いないと思われます」

 「よーし!」

 その一言に納得したのか、あるいは単に後押しとなっただけか。

 部内で尤も小さい体躯をフル活用し、何とか威厳を作り出そうと必死になったまま、部長として堂々と宣言する。

 「それじゃ、日曜日のレースのメンバーを発表するー!」

 「!!」

 その一言で、部長と、先程から彼女にレースの概要を説明していた少女の二人以外の十名程の間に、俄かに緊張が走る。

 そのうちの幾人かの表情に、一瞬『マズイ』という文字が浮かんだのは、側近の少女のみが視認していた。

 「まずは部長にして、この前の部内レース堂々一位のこの吾輩ー! でもって、部内レース次点の準子ー!」

 「御意」

 先程から部長の補佐役をしていたお下げの少女―準子は、その一言に対し、即座に首を縦に振り従順な意を示す。

 「よーし、んじゃ次は…部内レース三位の石崎先輩ー!」

 「あーっと……」

 石崎と呼ばれた、これまた眼鏡に白衣と言う出で立ち―部員全員がそうであったが―の少女は、機嫌を損ねぬようにおずおずと手を上げると。

 「伯父夫婦の間に甥っ子が産まれたって言うから、今度の土日は申し訳ないけど実家に…」

 「なんだとー!」

 その一言に、激高と言う程でもないがいきり立ち、きゃんきゃんと喚きながら噛みつきだす。

 「ひり出されたばっかの新鮮なガキなんざ、八十歳で死ぬと考えてもあと八十年も会うチャンスあるだろーが! レースは今回一度っきりだろーが! どっちが大事か考えうぐぅ」

 その喚き声は、準子が部長の口に突っ込んだ棒付きキャンディによって、強制的に中断させられてしまう。

 とは言え、部員の誰もその光景についてどうこう言いはしない。準子が『飴と鞭』をやや間違った解釈のまま行使している事など、周知の事実だったからだ。

 「部長、流石にそれを咎めるのは人として間違っています。反省して下さい」

 「ぐごごごご」

 余程巨大な飴を突っ込んだのか、口から取り出すだけでも一苦労と言った様子を見せていたが、すぐに引き抜いて話を続行する。

 「仕方ない、じゃー石崎は良いから…部内レース四位の石川先輩は」

 「あ、えーと……」

 指名された少女、石川もまた、申し訳なさそうに両手を合わせながら頭を軽く下げ、謝罪の意を示す。

 それはレースへの参加ができない、という明確な意思表示であった。

 「ゴメン和ちゃん…じゃなかった部長、その日、デートの予定が…」

 「なんだとー? まぁデートならしょうがないなー」

 先程口に突っ込まれた飴をべろべろと味わいながら、興味すらないようにあっさりと欠場を許容する。

 「デートなら良いのですか」

 先程とは打って変わり、あっさりと許可した姿に、さも意外そうに問いかける準子であったが。

 問いかけられた側は非常に複雑そうな表情で、歯切れ悪く答えた。

 「ほ、ほら、そのー…色々、その、少子化とか問題になってるって言うから、そういうのを何とかしようと頑張るなら、後押ししてあげなきゃいけないんじゃないかなー」

 「なるほど。流石部長、ご慧眼です」

 「そこまで進んでない!まだ純潔守ってるから!!」

 一歩間違えなくともセクハラに該当する発言だったが、幸い相手もそこまで大事にしようとは考えなかったようで、顔を真っ赤にしながらの抗議で手打ちとなる。

 とは言え、部長の額に刻まれた皺が取れる事は無い。メンバー四人の内、半分しか決まっていないと言う事実に変わりは無いからだ。

 「うーん、五位は東林かー……まぁいっかー、行くぞ東林ー」

 壁に貼られた、つい数日前のレースの成績表から次点を探し出すと、今回のレースの一方を持ってきた、ある意味元凶とも言うべき少女の名を呼ぶ。

 すると、当人は喜ぶどころか、手と首を両方とも全力で左右に振り、明確に拒否の意思表示を試み出す。

 「わ、私なんかじゃダメですよ! この前の部内レースだって偶然ですし、先輩方を差し置いて新入りの私なんかが代表で出るなんておこがましいというか、何と言いますか!」

 後ずさりしながら言うも、他の部員、即ち彼女よりも一つ二つ学年が上の諸氏は、一切悪意の無いにこやかな笑顔で可愛い後輩を後押ししだす。

 「あらいいじゃない。ウチは完全実力主義。だから和理ちゃんと準子ちゃんが二年で部長と副部長な訳なんだし」

 「そーそー。偶然だろうがなんだろうが、五位って言う結果は事実なんだし。ミニ四駆始めて二、三週間でこれって大したもんだよ」

 我儘な部長と変人の副部長に付き合いたくない、という理由も少しはあったが、期待の新人に更なる経験を積ませる為にと、部員がやいのやいのと無責任な応援をし出す。

 それは部員に限らず、部内を取り仕切る立場の二人も同様であった。

 「東林ー、お前、今度の土日に何か予定がある訳じゃないんだろー?」

 「そ、そうですが……」

 嘘がつけない性格からか、問いかけに対して素直に首を縦に振ってしまうも。

 「よーし、なら東林で三人目は決定だなー」

 「え、あ、えええええええええ!?」

 その性格が仇となった事をすぐに思い知らされ、必死で喚くも、時は既に遅かった。

 「おめでとー、由姫っちー」

 「だいじょーぶ、どーせ強いの来ないだろうし、気楽に気楽に」

 「あ、あううううう………」

 もはや逃げ場がない。その事実を受け止めざるを得なくなった由姫は、呻きながらも渋々了承の意を示す。

 その様子を満足気に眺めた部長こと和理は、再び壁に目を向け、威勢よく声を発する。

 「よーし、それじゃ四人目、レース六位…古淵かー。古淵ー?」

 今まで通り何気なく名を呼んだが、どこからも期待していた少女の返事は上がってこない。

 「………………」

 しばし間を開けた部長こと和理は、もう一度声を張り上げる。

 「…古淵ー?」

 「うぃーッス! 豊明高専名物・元気印のサイバーガールこと古淵かんな、本日も重役出勤完了ッスー!!」

 突如、全員の背後にあったドアが勢いよく開き、和理よりは若干高くはあったが、それでも世間一般では大分小さい類の体躯の少女が飛び込んでくる。

 どこで何をしていたのか、部のユニフォームである白衣は泥や灰にまみれ、眼鏡のつるには何らかの植物の蔦が巻きつき、ショートヘアの中央から触覚のように天に伸びる、一房のマットブラウンのアホ毛にはカマキリがくっついていた。

 「すんませんッス、さっき居残り課題やりにパソコン室行ったら、なんかツチノコらしき謎の生物がエロサイト見てて、それ追っかけてたら―――」

 「部長、七位は誰でしたっけ」

 あはは、と笑いながら遅刻の理由を説明する古淵の弁解を遮り、無表情のまま準子が和理に次点の発表を求める。

 それは暗に『コイツをレースに連れていかない』と物語る一言であった。

 「ふ、副部長、一応かんなちゃんに声掛けてあげてくださいよぉ…」

 「東林さん」

 同室の友人をかばいに入る由姫の瞳を、無表情のまままっすぐに見据え、とても―とても説得力に満ちた正論で追い詰めに掛かる。

 「ツチノコがエロサイト見てたとかほざいている同級生を連れていくべき場所は、レース会場では無く頭の病院だと思いませんか? それが本当の思いやりと言えるのではないでしょうか?」

 「あー! 副部長、ヒドいッスよー!!」

 話を聞いていたのか、両手を上げて全身で抗議の意を表する古淵は、再び弁明に入る。

 「ホントなんスよ! パッと見た時は(全年齢向けのため自粛)見てたんス! すぐに逃げたのを追いかけたんで詳しくは見えなかったんスけど、安全安心100%フリーの(全年齢向けのため自粛)オンリーのサイトだったんスよ!!」

 必死で声を張り上げ、自らの目撃した光景は真実であると主張し続けるが、副部長たる準子の反応は極めて冷やかなまま変わらない。

 「部長。我々はあくまでも部としての参戦ですから、こんな珍妙な妄言を好き勝手ばら撒く我が校の恥中の恥、まさに恥垢とも呼ぶべき存在を連れていくのは得策ではないと思いますが」

 「副部長のその発言もどうかと思うのですが…」

 そんな勝手な発言の数々を、腕組みしてまぶたを閉じながら聞いていた和理は、うーんと唸ると。

 意を決したように、瞳と同時に口を開き、意思確認に入る。

 「古淵ー、今度の日曜にシーパラダイス蒲郡でミニ四駆のチーム戦あるけど、お前来るかー?」

 「もちッス!!」

 何を聞くのか、と言わんばかりの態度で即答すると、勝手に明後日の方向に拳を突き上げて自らを鼓舞する。

 「この前の部内戦では由姫っちに遅れとっちまったッスけど、あの時の反省は既に愛車に反映させてあるッス! 今のウチに死角は無いッスよ! 資格も漢検三級しか無いけど!!」

 その姿勢そのものはとても微笑ましい物であったが、今までの言動に問題があるのは、誰もが認める所であった。

 「部長、本当によろしいんですか」

 「ま、だいじょーぶだろー」

 誘われた事が余程嬉しかったのか、同室の由姫の手を取って謎の踊りを踊りだす後輩の姿を満足気に見ながら、和理は続ける。

 「奴らがヘタこいても、吾輩と準子なら負けやしないだろーからな! 期待してるぞー」

 「…………」

 その一言を受け、気付かれないようにこっそりとまぶたを閉じる。

 それ以上、感傷に浸る前に―――

 「それでは、週末のレースのメンバーは、部長、私、東林、そして古淵の四名に決定します! 今日を含め残り五日間、他の部員はメンバー四名のサポートに徹する事!」

 誰よりもハッキリと通る声で、部員全員に副部長としての権限によって決定したスケジュールを告げると。

 『了解!』

 その一言に、一糸乱れぬ返事をする、部長以外の部員達。

 何だかんだと言った所で、副部長を中心とする団結力に関しては、皆が自信を持っていた。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 


 「それじゃ、私は今から予備校があるから」

 「あたしもぼちぼち帰るよ、んじゃまた明日」

 チーム結成から数日が経ち、いよいよ大会まで二十四時間を切った、土曜日の夕暮れ。

 葵や瀬都子としてはもう少し四人で未知なるレースについての考察を巡らせたい所ではあったが、片や予備校、片や遠方の家への帰宅があるとなると無理強いはできない。

 「お疲れ様でした!」

 「明日、がんばろーなー!」

 去りゆく二人に名残惜しそうに手を振るも、彼女達とて帰らなければならない家がある。

 今晩は瀬都子の家に葵が泊まると事前に話し終えていた為、淀みない足取りでゆっくりと歩み出す。

 朱色に彩られた町並みは、どういう訳か不思議な興奮を二人に刻みつけていた。

 「…いよいよ明日かー、興奮してきたなー」

 その興奮の正体となる、未来の出来事を口にする瀬都子。葵とて、考えている事は同じであった。

 「…どんな人が来るんだろう」

 「せやなー、ほんっと楽しみやなー」

 いつもと同じように、否、いつも以上に満面の笑みを浮かべ、葵の言葉に更に同意を重ねる。

 大会前と言う事を差し引いても、ややテンションが高すぎる事に気付いた葵は、微笑みながら尋ねた。

 「楽しそうだね、セッコ」

 「そらーそうよ!」

 問いかけに即座に頷くと、浮かれている理由を滔々と語りだす。

 その瞳を眺めているだけで、自分の心中が急速に温かいもので満たされていく事が、葵にはたまらなく心地よかった。

 「今度こそウチの子で優勝したいとか、あーちゃんみたいにどんな人が来るんやろーとか、色々楽しみな事あり過ぎて…明日が待ち遠しくてしゃーないんよねぇ」

 「…そうだね」

 実の所、瀬都子ほどに社交性に溢れていなかった葵にとって『誰が来るのか』という点はさほど期待している要素では無かったのだが、前回あと一歩の所で優勝を逃しているだけに、勝利への渇望は確かなものがあった。

 それに、瀬都子の言う通り、明日が楽しみで仕方がない、と言う事も。

 「でもなー、やっぱ一番楽しみなんは、あれかなぁ」

 「?」

 疑問符を浮かべる葵であったが、次の瞬間、耳と体の両方に答えが返ってくる。

 ショルダーバッグを掛けているのとは逆の左腕を、瀬都子が抱き寄せてきたからだ。

 「!」

 慣れた物とは言え、いきなりでは流石に驚く上に、会話の流れからも予想していなかっただけに、流石の葵も少しだけ衝撃を覚える。

 そんな葵にはお構いなしに、瀬都子は好き勝手に言葉を発していく。

 「あーちゃんとおんなじチームで、一緒に走れる言うんが一番楽しみやんねー」

 「………」

 葵とて、それは同じであったが。

 何となく素直にそれを言う事が憚られ、つい意地の悪い言葉を出してしまう。

 「あれ? 僕とセッコ、ミニ四駆はライバルじゃなかったっけ?」

 だが、その一言にも全く動じず、あっけらかんと返してくる。

 「だから余計に楽しみなんよー」

 「!?」

 超ストレートにあっさりと返され、多少の困惑が葵を襲う。

 が。

 「ほら、宿命のライバル同士が、強大な敵を倒す為に手を結ぶー、って、ありがちな展開やけどめっちゃ燃えへん!?」

 「え、あ、そういうこと?」

 予期せぬ方向に話を吹っ飛ばされ、困惑する葵を余所に、瀬都子は明後日の方向を向き、一人で勝手に情熱を燃やし続ける。

 「ほんまはなー、もうちょっとあーちゃんと何戦かやってからの方がそれっぽかったけど、ミニ四駆って個人技やから、こーいう機会に恵まれただけでもありがたいって思わへんとなぁ」

 「(…そっか)」

 その一言で、一つの事実を思い出し、急に胸に寂寥感が訪れる。

 ミニ四駆は、一人のレーサーと一つのマシンが他の選手達と競い合う競技。瀬都子や茉莉、昴流と純粋に『仲間』として戦える機会は、次は何時訪れるか分かった物ではないのだ。

 「せやから」

 急にぐるりとこっちに顔を向けると、葵の心中を見透かしたかのように微笑みながら、明日を共に闘う仲間を鼓舞する一言を発する。

 「明日、全力で楽しもーな!」

 「……うん!」

 いつもと同じ。

 彼女の言葉は、自分をとても強く、励ましてくれる。

 それがたまらなく嬉しく、たまらなくありがたい葵は、即座に頷きながら、肯定の返事を返す。

 それと共に。

 「…明日、ちゃんと起きてよ?」

 「じ、自信ないなぁ……」

 変に湿っぽくなってしまった自らの気持ちを誤魔化すかのような軽口を叩きながら、連れだってマンションのエントランスへと姿を消した。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 


 そろそろ肌寒さも無くなってきた気候が、剥き出しの素肌に心地よい。

 快晴の下、四人の少女は、待ちに待った舞台へと足を踏み入れていた。

 「うっわー、なんかすっごいなぁー!!」

 正門を抜け、園内の中央に陣取る巨大な池状のプールと、その三百六十度を取り囲む様々な異国情緒な建物を目にした瀬都子は、思わず感嘆の声を上げる。

 「こんなとこタダで入れるなんて、ウチら来てよかったなぁー!」

 「ホントだね」

 『遊園地』に来た経験が殆どない葵は、内心瀬都子以上に興奮し、辺りをキョロキョロと見渡す。

 入場口でレース出場者は入場料が無料になると言われた時点でうなぎ登りになったテンションは、一向に冷める事は無かった。

 が。

 「…あなた達、遊びに来たわけじゃないって事くらい、分かってるわよね?」

 そんな二人とは対照的に、極めて冷めた口調の昴流が、二人に諌める為の文句を付ける。

 付き合いの浅い彼女達は知る由もなかったが、微妙にその声が上ずっており、微妙に興奮を隠し切れて無かったが。

 「いーじゃんいーじゃん、折角の遊園地なんだし、楽しまないと損じゃんか。アトラクション利用券は有料だけど」

 極めて呑気な声が昴流の更に背後から聞こえてきた事に、嬉しそうに振り返る瀬都子。

 「せやろ!? 茉莉ちゃんもそう……思う………」

 「?」

 その声が徐々に途切れ途切れとなった事に気が付いた葵と昴流も、恐らくその原因である茉莉の声がした方向へと、何気なく目を向ける。

 が。

 「な、ななな………」

 「何て格好してるんですか茉莉さん!!」

 途端に動揺し、呂律が回らなくなったり、急に怒鳴り声を上げたり。

 多様な反応を見せる三名を不思議そうな眼で眺める茉莉は、何を言わんかとばかりに口を開く。

 「どした?」

 「どした? やのーて! 何でそないなカッコしとるん!?」

 「?」

 言われて茉莉は、自身の格好を見下ろす。

 先程まで、いつもと同じように野暮ったいTシャツに包まれていたその肢体は、今や比較的露出度を押さえ目にしていた物の、それでも明らかに肌色の部分が多々露呈するビキニとパレオによって彩られていた。

 「何って、『ここ』はそういう遊園地だろ?」

 キョトンとした声で答える茉莉の言う通り、彼女達の居る遊園地は『水』をテーマに作られており、プールなどをはじめとする水着前提のアトラクションが非常に多く作られている事で有名である。

 とは言え、それは夏季限定の話であり―――

 「………」

 無言のまま、閃光のごとき動きで、昴流がボディーブローを剥き出しの下腹部に突き刺す。

 「うぼぁっ!!?」

 ドボッ、と明らかに人体が発するにしては異常過ぎる衝突音と共に大声で茉莉が叫ぶも、意に介さずに尻のポケットに入れていたパンフレットを取り出した昴流は、それを茉莉の顔面に押しつけながら淡々と説教を始める。

 「そこまで調べたのに読んでなかった? 書いてあるわよね、水着での来場は五月から九月までの夏季限定って? アンタが一人で痴女だって公言するのは構わないけど、それで私達三人の社会的評価まで一緒に落として何がしたいの? え?」

 「ぐおおおおお……」

 顔面にぐしゃぐしゃになったパンフレットを押し付けられ続ける茉莉は、余計なひと言で更に火に油に注いでしまう。

 「そ、そんなにあたしのナイスバディが羨ましぐぇぇぇぇぇ」

 その言葉を最後まで発する前に、怒りが頂点になった昴流の両手で首を締めあげられ、呼吸が全く出来ずに呻くしか無くなる。

 「羨ましい? 痴女のレッテル貼られて、世間様から白い目で見られる事が羨ましいか、ですって? 生憎だけど私は露出狂の性癖は無いの、どっかのド腐れ脂肪女と違って!」

 「ぐえええええええ」

 その様子を呆れ果てた様子で眺めていた葵であったが。

 「何食ったら、茉莉ちゃんあんなにおっぱい育ったんやろなぁ」

 「…し、知らないよ」

 「あのハデな水着、Tシャツの下に着とったんかなー?」

 「…そ、そうじゃない?」

 極めて真剣に間の抜けた事をほざき始めた親友の一言で、頭痛すら生じてきてしまった。

 と。

 「あーっと……お取り込み中の所悪いんだけど、ちょっといいかしらん?」

 唐突に背後から、半端に甘ったるい様な声を掛けられ、三人が振り向く。

 残りの一人は、ようやく呼吸ができた事による嬉しさからか、あるいは単に息苦しさがそうさせたのか、涙を流しながら咳を発しだした。

 「は、はい、何でしょうか?」

 明らかに見知らぬ顔にやや戸惑いながらも、葵は手助けができるならばと尋ね返す。

 金髪を腰まで伸ばした、痩身の大学生くらいの女性と、中学生くらいに見える栗色のウェーブヘアの少女の二人内、背の小さい方が再び口を開いた。

 「人を探してるんだけどぉ…二人ともアタシと同じくらいの身長で、片方はセミロングでホワイトボード持ち歩いてて、もう一人は…なんかとにかく威勢が良くって、短髪で、一見男に見えるけど実は女の子で…あとちょっと可愛…あ、いや」

 後半で一旦ごにょごにょと口ごもるも、一旦それをなかった事にするかのように振り切ると、もう一度説明を…と言うより質問を再開する。

 「とにかく、そんな感じの高校生二人組、どっかで見なかったかしらん?」

 「………」

 葵は一旦振り返り、背後の三人にアイコンタクトをとる。

 復活した茉莉を含めた三人は、一様に首を小さく横に振り、『身に覚えがない』と雄弁に物語っていた。

 「…申し訳ございません、僕達も先程ここに着いたばかりで、そのような方々は…」

 「あー、そう。悪かったわねぇ」

 葵の言葉を途中で遮り、さっさと捜索に戻ろうとするも。

 それを遮ったのは葵達ではなく、彼女の連れであった金髪の女性であった。

 「キミ達も四人組、って事は、やっぱりアレ目当てかナー?」

 「うわ!」

 その一言を無視するかのように、途端に驚愕の声を上げたのは、茉莉と瀬都子の二名。

 何事か、と他の四人が瞠目する間に、二人はさっと質問してきた少女に駆け寄り―

 「すげー! 外人だ! 外人だ!」

 「なー、『海馬ボーイ』言うてーな、『海馬ボーイ』て」

 無邪気に、しかしその実とても失礼に詰め寄りだすその姿に、流石に二人のストッパーが即座に待ったをかける。

 「失礼よ! 何やってんのよ!」

 「セッコも、初対面の人に何やってんの!」

 だがしかし、チームメイトの無礼を咎めた二人の立場を台無しにするかのような一言が、女性の口から響く。

 「ユーでは私に勝つ事はできまセーン!!」

 「アンタもノってんじゃないわよネーナ!!」

 連れに途端に噛みつかれ、わかったわかったと何とか必死に宥めながら、一応の訂正ついでに自己紹介に踏み切る。

 「ワタシは岩崎・フラヴィオ・ネーナ。見た目はエセ外人だけどぶっちゃけ日本人なんだナー。で、こっちのちょっとちっさいのが八草瑠名」

 「一々一言余計なのよアンタは!!」

 その叫びと共に、非常に美しいローキックを脛に一発ぶちかまされ、悶絶しだすネーナ。

 「(…岩崎・フラヴィオ・ネーナ? 八草…瑠名?)」

 その一言を受け、途端に思案顔になり、俯いて何かを考え出す昴流。

 それには気付かず、ネーナが割とすぐに立ち上がった姿を見て、葵が自己紹介に踏み切る。

 「僕は青宮―――」

 「…なぁ」

 それを遮るかのように、茉莉が一歩前に出ると、キョトンとした顔のネーナと瑠名の背後を差し、何気なく呟く。

 「あんたらが探してんの、あいつらか?」

 その一言に、弾かれたように背後を振り返る瑠名と、ゆっくりと振り向くネーナ。

 果たして、二人の―否、六人の視線の先に居たのは―――

 「ちっくしょー、タダになったの入場だけで、どこ行ってもアトラクション券だか何だかが必要で遊べねーじゃんよー」

 『券、買う?』

 「どーすっかなぁ、電車賃だけでごっそり持ってかれたんだよなぁ」

 明らかに不満そうな顔でぶつくさとぼやくのは、茉莉同様に無頓着なのかお洒落なのか判別しがたいボサボサヘアーが印象的な中性的な顔立ちの少女。

 それに対し、言葉ではなく無表情にボードに書きなぐった文字で応対しながらも、明らかに不満を主張している、綺麗な黒髪を雑にショートに纏めた、同い年くらいの少女。

 奇妙な取り合わせではあったが、容姿から察するに、目の前の瑠名とネーナの尋ね人に他ならない事は明白であった。

 『ぼちぼちライトダッシュが死にかけで、ストック無いから買わなきゃいけないから、あんまりお金使ってられない』

 「俺もそうだけどさー、何のために来たのやら」

 「レースやりに来たんでしょうがアンタらァァァァァァ!!」

 瞬き程の間に二人元へと駆け寄ると、誰かが反応を示すよりも素早く握り拳を作り、そのまま全力で二人の頭をしばき回す。

 パカンパカンと心地よさすら感じる乾いた音が響いた一瞬後、先程まで不平を垂れていた二人が、頭を抱えてその場にしゃがみ込む。

 「…あー………」

 世話焼きの葵が仲裁に入るよりも素早い一連の行動。

 何とか口を開こうと努力を始めるよりも早く、しゃがんだ方の方割れ―ボードを介してではなく、普通に喋って会話をしていた方が涙目で立ちあがり、同じくらいの身長の瑠名の胸倉を掴みあげる。

 「テメー! 何しやがんだいきなりぶん殴りやがって!!」

 だが掴まれた側も全く気押されず、逆に胸倉を掴みかかって応戦する。

 「良くそんな事が言えたもんだわねぇ! アンタらここにレースに来たって事、ちゃんと覚えてるのぉ!?」

 「会場一目見て『あー全員大したことないわねぇ』なんてほざいてたのはどこのどいつだ!」

 「それとこれとは話が別よぉ!!」

 掴みかかり、激しい口論を始めた二人であるが、ぶたれたもう一人とネーナは全くの無反応と言った感じで、葵達に問いかける。

 「で、キミ達もミニ四駆のレースが目当てかナー?」

 「そ、そうですが」

 四人組、そして先程の会話からか、ネーナ達がそれを目当てに来た四人組である、という事くらい容易に推測できていた四人は、その問いそのものには何も驚きは無く、いたって平静に答える。

 問題は、フランクに問いかけてくるネーナの背後で、遂に言葉を解する応酬すら放棄して殴り合いすら始めた二人の事であった。

 「…あ、あの、止めないで良いんですか……」

 二人とも、女性の命とも言うべき顔面を狙ったりはしないものの、急所を的確に狙った攻防は放っておいて良いと思わせるものではない。

 おずおずと葵が尋ねると、途端に呆れた表情となったネーナは、掌をひらひらとさせながら投げやりに答える。

 「あー、アレはだいじょーぶだいじょーぶ。いつもの事だからほっといて良いんだナー」

 「…いえ、だからと言ってあれは…」

 とても信じられない、と言った表情を見せる二人に、先程から無言を貫いていた少女が、瞬時に小さなボードに文字を書きなぐると、四人に見せてくる。

 『あの二人、実は凄い仲良し。だから大丈夫』

 「へぇー、そないに仲良しさんなん?」

 瀬都子が何気なく問いかけると、うんざりしたような表情で、ネーナが呼応する。

 「あー、そりゃ、もうあの二人は……うん」

 一瞬、ボードの少女と顔を見合わせると、嘆息しながら遠まわしな解説を始める。

 「…まぁ、その…喧嘩するほど仲が良いと言うか、仲が良過ぎてぶっちゃけ引いてると言うか、その…友達の一線越えちゃったというか……まぁそんな感じでナー…」

 「…そ、そう…」

 「な、仲ええんやね…」

 その一言で何もかもを察した瀬都子と昴流が頬を朱に染める一方、同じように何かを悟った茉莉がニヤニヤと笑いだす。

 が。

 「唯一無二の親友、って関係ですか! 素敵ですね!」

 ただ一人、ネーナの言葉を曲解…否、純粋に受け取ってしまった葵。

 「!!?」

 そもそも他の可能性など思いもよらないとでも言いたげな真面目な口調、そして無垢な輝きに満ちた瞳に、一瞬驚いた一同であったが。

 「…あー、うん、そうそう、遊奈と瑠名、なんつーか友達ってレベルじゃないくらいの仲良しなんだナー、うん」

 「ま、まぁ、お前と瀬都子みたいなもんだって、うん」

 何となく壊してはいけないガラス細工に触れた気になったネーナと茉莉が、精一杯に誤魔化しを図り、尽力する。

 「オイ、お前と葵ってそういうアレじゃなかったのかよ!なんだこの純粋ミラクル100%な反応!」

 「ウチらの事どういう目で見とったん!?」

 葵に聞こえないよう、二人の関係を誤解していた茉莉が驚いたように詰問するが、そのように誤解されて居た事自体が瀬都子の想定外だったらしく、半分怒ったように返されてしまう。

 そんな会話をしていると、先程から聊か乱暴な言葉遣いをしていた少女が、雑に話しかけてきた。

 「そういや、お前らもアレか? ミニ四駆か?」

 「あ、は、はい!」

 途端に自己紹介をしていない事を思い出した葵が、今一度背筋をしゃんと伸ばし、改めてようやく名を名乗り出す。

 「名乗り遅れて大変失礼いたしました、青宮葵と申します!」

 「あたしは新土茉莉。まぁほどほどによろしくー」

 「ウチは赤橋瀬都子、よろしゅうなー」

 「…屋田昴流。よろしく」

 未だに思案顔を崩さない昴流も、一応は会話を聴いていたのか、挨拶の輪に参加してくる。

 いつの間にやら茉莉がTシャツを着こんでいた為、特に彼女の不自然な格好に言及してくる者は居なかった。

 「(……屋田昴流? どっかで聞いたっけ……?)」

 自己紹介の最中、一人だけ記憶の底の何かに引っかかりを覚える名を聞き、無言で考え込む瑠名。

 しかし、その思考も、遊奈の当然の一言に遮られる事となった。

 「俺は赤沢遊奈、で、こっちのボード持ってる方が弥勒伊代菜。ネーナと瑠名は…」

 「挨拶したわよぅ。遊び呆けてた誰かさんと違って」

 たっぷりと嫌味を込めて返すも、さほどダメージを受けていないのか、平然と無視して葵達との対話を続行しようとする。

 が、遮ったのは、昴流であった。

 「…ようやく思い出した。貴女達、静岡ジュニア四天王の!」

 「え?」

 『知ってるんですか? 』と声をかけようとした葵他二名であったが、事もなげな遊奈に先を越されて、その言葉を呑みこまざるを得なくなる。

 「おー、俺らの事知ってたのか」

 「まー、ワタシら、有名人だからナー」

 ケラケラと笑うネーナに対し、今度は瑠名も何も言わない。

 それどころか、さも当然と言った態度で振る舞う瑠名と伊代菜の態度は、昴流の一言が真実であった事を如実に物語っていた。

 「昴流さん、ご存じなんですか?」

 ようやく溜めていた質問を口に出せた葵に対し、ゆっくりと頷いた昴流は、自身の知識を本人達の目の前で滔々と述べていく。

 「ミニ四駆が盛んな静岡県でも図抜けた速さで、少し前まで東京三羽烏を押さえてジュニア界最強の四バ…じゃなかった、四天王と呼ばれた四人組…まさかこんな所で会うなんて」

 「そ、そんな人たちが……」

 「おい、今お前何言いかけた、四バって何だコラ」

 感嘆の声を出した瀬都子に続き、どうしようもなく気になる点を聞きだそうとした茉莉を無視し、葵が称賛の声を上げる。

 「す、凄いです! そんな偉大な先輩方とこうしてお会い出来るなんて!」

 その一言に、こそばゆそうな反応を見せる四名であったが、褒められて嬉しくない訳では無いらしい。

 「も、もっと褒めろ、もっと褒めろ」

 「あんま褒められることないから、何か気分いいナー」

 『アメと鞭の比率なんて、常に1:9だし』

 そんな盛り上がりを傍らに、茉莉はひっそりと呟く。

 「…よくそんなダセぇアダ名付けられてヘラヘラできるなー、三羽烏はまだ良いとしても四天王って、もうちょいなんかあるだろ幾らなんでも」

 「最初は嫌味で付けられたらしいけど、本人達が気に入って自称し出したらしいのよ。だから陰でやっかみ半分で『四バカ』とか呼ばれてる訳」

 その呟きを昴流がフォローした、次の瞬間。

 「はーっはっはっはっはー!!」

 突如として八人の耳朶を打つ、高らかな笑い声。

 「!!?」

 その場の全員が瞠目し、音源を探すと―――

 「久しぶりだなー! まさかこんな所で会えるなんて思ってなかったぞー、相変わらず緑茶臭い愉快な四バカ共、プラスはじめましての四人共の合計八名様共めー!!」

 葵さながらに小柄な体躯を白衣に包み、大きな丸眼鏡と格好だけは知性の塊のように見えるが、伊代菜並みに肩に掛からない程度に切られたぼさぼさの金髪がそのイメージを粉々に打ち砕く。

 彼女が特に特異な格好をしている訳ではなく、統一のユニフォームなのか、白衣に丸眼鏡と言う容姿の女性が他に二名、計三名が葵達から数メートルの距離にいつの間にか突っ立っていた。

 「うわ! 出た! バカだ!!」

 「誰がバカだー!!」

 その姿を視認した遊奈が、途端に絶叫じみた声を上げると、それに対して小さな体躯を一杯に使い抗議してくる、金髪の少女。

 「知り―――」

 知り合いか、と、茉莉が尋ねるよりも早く。

 余りにも意外な一言が、余りにも意外な人物の口から発せられた。

 「ねーちゃん!!?」

 「準子さん!?」

 「!!?」

 素っ頓狂な声を上げ出したのは、瀬都子と葵の二名。

 その反応に、他の六名―――否、白衣集団の何名かも、露骨に驚いたリアクションを見せる。

 「瀬都子、青宮さん」

 金髪少女のすぐそばに居た、やや表情に乏しい少女が一歩前に出、妹とその親友の姿をまっすぐに見据える。

 じっくり見れば、瀬都子とほぼ同じような身長に顔つきをしており、明確な違いは衣服と眼鏡、そして長髪を二本にまとめたお下げというヘアスタイルだけであった。

 「私達同様、ミニ四駆が目当てなのね」

 「…まさかねーちゃん、ミニ四駆やっとったなんて……」

 信じられない、とでも言いたげな表情の瀬都子であったが、姉の反応は極めて冷やかであった。

 否、それ以前の問題であった。

 「青宮さん、足を悪くしたと聞いていたけれど」

 「え、あ、大丈夫です!」

 その一言に背筋を伸ばし、傍らの親友を誇るように、その姉へと報告する。

 「セッ…あ、瀬都子さんのお陰で、普通に出歩くくらいでしたら支障なく行えるようになりました!」

 「そう、少し気がかりだったから」

 それだけ言うと、話は終わったとでも言いたげに踵を返すと、三人の仲間の元へと歩み寄って行く。

 「ね、ねーちゃん……」

 何かを言いたげに手を伸ばしかけた瀬都子であったが、途端に諦めを表情に浮かべ、その手を仕舞い込んでしまう。

 「準子ー、お前の妹もミニ四駆やってたのかー? 何で教えなかったんだー?」

 金髪の少女が、意外そうに副部長に話しかけるも。

 「私自身、知りえない事でしたから」

 無表情から発せられる抑揚のない声は、常に必要最低限。

 血の繋がった家族と行うにしては余りに冷たすぎる言動は、とても姉妹のそれとは思えず、一同は困惑した表情を見せる他になかった。

 「おい、あれ本当に瀬都子の姉貴か? 見た目似てるけど290度違う性格じゃねーか」

 「間違いないです、何とか彼女のお宅でお会いしたことがありますので…あと290度って半端過ぎませんか」

 ひそひそと葵に耳打ちする茉莉であったが、肉親であると断言されてしまっては、それ以上何の追及もできない。

 「…………」

 全員が押し黙ってしまい、必然的に雰囲気が重苦しい物と化してしまう。

 それを打開するための策のつもりか、あるいは単に聞きたかっただけか。口を開いたのは、茉莉であった。

 「んで、そっちの白衣メガネ三人と、四天王(笑)の四人はどーいう関係なんだ?」

 「今(笑)とかつけやがったろテメェ!!」

 「ど、どーどー、落ち着くんだナー」

 鋭敏に反応して暴れ出そうとする遊奈を、何とか羽交い締めにして抑え込むネーナ。

 「…ホントは蔑称だって気付いてたろコイツら」

 「…でしょうね」

 ひそひそと昴流と茉莉が会話している間に、陰で準子と由姫が会話しているのが漏れ聞こえてくる。

 「古淵は?」

 「あーっと…さっきプールでネッシーらしき影を見たとか何とか言いだしまして、止める間もなく撮影に…」

 「そう、ならいいわ。ここに置いて行きましょう」

 「え」

 本人の言ない所で深刻な会話をしている間にも、和理と遊奈の煽り合いは止まらない。

 「実際ダサいだろー、四天王って何十年前のセンスなんだお前らー」

 「白衣メガネの集団に言われたくねえよこのバカ共! 懐かしの白装束集団かよ!」

 「なんだとー? 偏差値幾つだお前ー!!」

 途端に金髪と遊奈が激しい罵り合いを始めるも、二人とも即座にツレに拘束される為、殴り合いには至らない。

 「…そう言えば、どうして皆さんは準子さん達の事をご存じだったんですか?」

 葵が何の気なしに尋ねると、まだ平静を保っていた瑠名が解説を始めてくる。

 「丁度一年くらい前から、東海圏で速いって話題になりだした二人組がいたのよぅ。それが十朱和理…あのちっこい金髪と、赤橋準子…アンタのお姉さん? なのかしら?って訳」

 「へぇー」

 実の姉の事なのに、初めて聞いたと言わんばかりの態度を隠そうともしない瀬都子に違和感を感じなかったのは、事情を知っている葵ただ一人。

 しかし、それよりも昴流には優先すべき事柄があった為、ひとまずそこは無視して話を進める事にした。

 「…おかしいわね、そんなに有名なら、私の耳に入っててもよさそうなのに」

 それなりに情報網に自信のある昴流が首を捻るも、当然とでも言いたげな顔で割って入ったのは伊代菜。

 『でかい大会だと、準決勝とか決勝で私達の誰かが叩き潰して優勝とかできてなかったから、あくまでも東海地区でしか話題にならなかった』

 「成程」

 その一言に、軽く首を縦に振る昴流。

 だが、そんな軽い受け答えの中に違和感を感じた葵が、昴流に問いかけようとするが―――

 「じゃ、伊代菜、ぼちぼち遊奈を取り押さえるわよん。いい加減にしないとネーナまでヒートアップしかねないしねぇ」

 『了解』

 言うが早いが、未だに罵り合いを続ける矮躯の二人と、一見それを押さえているように見えながらも実は煽り合いを始めている脇の二人を止めるべく、くるりと向き直る瑠名と伊代菜。

 だが、二人が何か言葉を発する前に、事態は予想外の方向へと転がっていた。

 「どーせまたしょーもねーマシン作ってきたんだろ! 毎度毎度俺達に粉砕されてるのにごくろーなこった!」

 「はっはっは! 囀れ囀れ、この切り離した後のランナー女! そうやっていつまでも調子こいてるからお前は…えーっと……そういった類なんだー!」

 「リーダー、何も思いつかないのであれば、素直に単純な罵倒語を使えば宜しいのでは」

 準子が、誰の耳にも聞こえる声量で耳打ちするも、肝心の和理の脳には届かなかったらしく。

 「前回のスプリングGP愛知大会の転進により、更に進化した吾輩の相棒を見て腰を抜かすが良い! 準子、スタンバイ!」

 「了解」

 その一言と同時に、準子が両手で握っていたピットボックスを地面に下ろし、ごそごそと中を漁る。

 誰の目にも、彼女が和理の愛車を取り出そうとしている事は明白であり、それを裏付けるかのように和理が背中に右手を回し、掌にマシンを載せろと無言の催促を行う。

 「リーダー、準備できました」

 「はっはっはー!」

 高笑いと共に平坦な胸を張り、今までの恥辱にまみれた歴史を払拭する為に磨きをかけてきた愛車を高らかに掲げようと、長々とした口上を喋り出す。

 「見よ! 貴様らごときに敗北した過去など、吾輩にとっては単なる過去に過ぎんわー!」

 「日本語として成り立ってないわよぅ」

 呆れ果てた瑠名がやんわりと突っ込むが、全く耳に入っていない様子で、好き勝手にわめき続ける。

 「さぁ崇めろ! 拝め! 奉れ! これが我が愛機・リバティーエンペラーS1F―――」

 全てを言い終わる前に。

 「…あれ?」

 元々全員の視線が和理に向いていたが、その異音の発生源が和理であった為、更に視線が注目する事となる。

 一方の和理本人は、何が起きたのか分からない、とでも言いたげに、突如宙に浮いた―否、小脇に抱えられた自らの肢体を、視点の変わった世界を、茫然と眺める。

 「……準子ー?」

 説明を求めると言うより、何が何だか分からないとでも言いたげに、縋りつく子犬のように、自らの体を小脇に抱えた側近の名を呼ぶも、相手は冷徹であった。

 「何度言えば分かるんですか。試合前に手の内を晒すなど愚の骨頂です」

 冷たく鋭利な一言と共に。

 「ぎゃん!!?」

 力一杯平手をかまされた、和理の小さな臀部が快音を放つと共に、叩かれた尻の持ち主が悲鳴を上げる。

 小さな子供への処罰としても最近は見かけなくなった尻叩きを、容赦なく同級生にかましながら、準子の説教は続く。

 「何度となくリーダーにお伝えした筈です。手の内は漏らすな、情報は武器だと。しかしリーダーは一向にそれを聴き入れず、隙を見ては会場で、隙を見てはSNSで、自らのマシンを自慢げに見せびらかして、敵に情報を与え続ける一方でした」

 「悪かったー! 悪かったからおろせー! 痛い! 恥ずいー!!」

 「その痛みが、その恥が、私が今まで忠告を無視され続けた事によって感じてきた物そのものです。盛大に反省して下さい」

 泣き叫びながらも、リズミカルに尻を叩かれ続けるライバル(?)に流石に同情したのか、実の妹の瀬都子のみならず静岡の四人組も仲介に入ってくる。

 「…ね、ねーちゃん、人前でやりすぎと違うん…?」

 『おしりペンペンって、下手しなくてもくっ殺並みの恥辱』

 「金払えば同じもの手に入るカードゲームならまだしも、加工しまくりのミニ四駆でチラ見した程度の情報手に入れても、あんまり意味無くないか?」

 「しかもコース分かってないから、どーせセッティング変えるだろうしナー」

 「新システム思いついた、とかなら違うんだろうけどぉ…」

 居たたまれなくなり、やんわりと制止に入る面々であったが、その程度で揺らぐほど準子の意志もやわくは無いらしい。

 「そこまで言うのであれば、貴女方のマシンを見せて頂きましょうか。手の内を晒すのが無意味だと言う前言を撤回しないのであれば、可能な事だと思いますが?」

 ようやく和理を解放した準子に、却って挑発された四人は、思わず顔を見合わせるも。

 「…別にいいわよぅ」

 「ネーナが言ったみてーに、どーせセッティングちょいちょい変えるだろうしな」

 あっさりと頷くと、全員が各々のポータブルピットを開き、手塩にかけて鍛え上げてきた愛車を晒し出す。

 それは売り言葉に買い言葉と言うよりも、その程度で自分達の優位が揺らぐ事は無いと言う、絶対の意思に裏打ちされての行為であった。

 そして、四人がほぼ同時に、その場の全員に見せつけるように取り出したマシンは―――

 「…!」

 「全部同じマシンやん!」

 厳密に言えば、瀬都子の指摘は微妙にずれていると言わざるを得ない。

 セッティングの傾向もバラバラ、シャーシもステッカーも、塗装すらも大幅に異なる四台のマシンを『同じマシン』と形容するのは無理があるだろう。

 しかし、誰もそんな細かい指摘はしなかった。ミニ四駆の顔とも言うべきボディは、全員が全員同じもので統一していたからである。

 「…シャイニングスコーピオン…どうしてこれを?」

 一際長いキャリアを持つ昴流が、即座にその起伏に富んだボディの正体を見抜いて質問してみると、無い胸を精一杯張って遊奈が答える。

 「チームで走るんだから、同じボディの方が何かカッコ付くだろ?」

 「それ、私が言ったセリフじゃないのよぅ」

 さも自分の提案であったかのように誇るチームメイトに、呆れたように応対するのは瑠名。

 「凄いなぁー、なんかよーわからんパーツ一杯ついとるわー」

 「カタログでも見た事が無いなー。これ何てパーツだ?」

 一方で、興味深々と言った体で四台のシャイニングスコーピオンに視線を走らせ続けるのは、茉莉と瀬都子。

 その一言に、思わずキョトンとした表情を見せた四人は、質問に質問で返す形で問いかける。

 「…も、もしかして、自作スラダン知らない…のかナー?」

 恐る恐る、といった感じで尋ねてきたネーナに対し、キョトンとした顔で答えたのは、案の定瀬都子と茉莉。

 「えーと、あれちゃう? ライフで受ける人」

 「そのダンじゃない、っつーかライフで受けるのはその人だけじゃない」

 「あっちだろ、名前借りてるとか言っといて実際借りてるのは見た目っていうアイツ」

 「そっちでもないんだナー」

 「結局、音速の向こうに何が見えたんやろなぁ」

 『メーカー同じで惜しいけど残念、その人でもない』

 次から次へと珍妙な事を言い続ける二人と、それに対してツッコミを重ねていく仲間達を見ていた瑠名と昴流が、呆れたように嘆息する。

 「…よくそんなに話合うわね」

 「…バカ同士、気が合うんじゃないのぅ?」

 そんな会話を交わすと共に、互いに一度向き合い、もう一度大きく嘆息して苦痛を分かち合う。

 「…大変ねぇ、お互い」

 「…ホントに」

 奇妙な友情が瑠名と昴流の間に芽生えている間にも、ふざけ出した六人―特に茉莉と遊奈の勢いは止まらない。

 二人揃って、軽い頭痛を覚え、頭を抑えだす。

 と。

 カシャカシャ、という無機質な音が唐突に鳴りだし、全員がキョトンとした顔となるも。

 一瞬でその音の発生源は、明確な物となった。

 「……何しとるん、ねーちゃん……」

 完全に呆れの色を隠さなくなった瀬都子の一言は全く意に介さないまま、どこから取り出したのか、やたら高級そうなカメラのシャッターを切り続ける準子。

 当然、その被写体は、四人が自慢げに出したシャイニングスコーピオンそのものであった。

 「……いや、まぁ、いいけど…」

 「……必死ねぇ…」

 無断で撮影されているが、そもそも準子の挑発に乗ってマシンを見せびらかし出したのは自分自身である為、下手な事を言うに言えない遊奈と瑠名。

 ひとしきりシャッターを押し、必要な情報は得られたとばかりにカメラを仕舞い込みながら、淡々と準子は口を開く。

 「当然です。今の私達は、貴女達に勝てないとまでは言いませんが、根本的な地力と言う意味では劣っている…これは認めざるを得ないでしょう」

 一旦、眼鏡の位置を適切な個所へと戻す為に言葉を切るも、続けて口を開いて先を急ぐ。

 「…万一を考えて、ここに足を運んだのは僥倖でした。『この先』に向けて得られた収穫という意味では、既に期待以上の物があったと言えるでしょう」

 「……!」

 その一言で、俄かに四人の表情に、緊張の色が過る。

 先程までのそれとはまったく異なる雰囲気に戸惑う、瀬都子に茉莉、そして昴流の三人を置いてけぼりに、静岡の四人と準子が火花を散らし出す。

 「…やっぱり、アンタ達も、今日のレースは『アレ』のテストだと踏んでるのかナー?」

 「そうとしか考えられないでしょう。今の時期にこんな変則ルールとくれば、実行に移す前のテストだと考えるのが妥当でしょうから」

 そんな会話を繰り広げる五人の横で、置いてけぼりになってしまった三名が口々に小声でやり取りする。

 「(…アレって何なん?)」

 「(…あたしが知るかよ、昴流に聞けよそういう事は!)」

 「(何で私なの、師匠サマなんでしょあんた)」

 「(返上したっつーの!)」

 とは言え、何となく『アレってなんですか』と聞くに聞けない雰囲気の為、一同は黙って成り行きから内容を推測しようと試みる。

 しかし。

 ピンポンパンポン、と明らかにやる気の無さそうなチャイムが響くと、極めて良好な発音の女性スタッフの声が、辺りにこだまする。

 その園内アナウンスは、遂に『その時』が来たと、その場の全員に告げる物であった。

 『お待たせいたしました! 第一回・シーパラダイス蒲郡主催、ミニ四駆チームレースの受付を開始致します! 今から二時間以内にエントリーを済ませた方は全員出場できますので、焦らずゆっくりと中央広場の会場へとお集まりください!』

 「来たか!」

 真っ先に反応した遊奈が、誰もが思っていた事を反射的に口にする。

 「…とまぁ、そういう訳ですので」

 会話を打ち切り、部員を引き連れてさっさとエントリーを済ませるべく、準子は立ち上がりながらその場の全員、否、天敵の四人へと告げる。

 「先程頂いたデータは、精々有効に活用させて頂きますよ。私とリーダーが、全国の頂点に立つ為に」

 「…………言うじゃない」

 売り言葉に買い言葉。人一倍の負けず嫌いから、高い所から嫌味で返そうと口を開いた瑠名であったが。

 「……そのリーダーさん、なんか変な事やってるけど…良いのかナー」

 あらぬ方向を見て、何やら茫然とした口調で喋り出したネーナに釣られ、首をその方向に向ける一同。

 その目に飛び込んできた光景は―――

 「いいかー? スラダンってのはなー、スライドダンパーの略で、こう…良い感じにバンパーが左右にぐねぐね動く改造というかパーツというかギミックというか、まぁそういう物の事なんだぞー」

 「んぐっ、ぐ……な、なるほど、それでどういった効果が」

 「えーとなー、公式大会でよくあるデジタルカーブっていう、なんかこう…カクカクしててキモいコーナー対策になるのと、あと公式大会で使われる5レーンコースは硬い素材で作られててマシンが弾かれやすいから、これでちょっとでも衝撃を和らげるのと…後はコースの継ぎ目対策とかそんな感じっぽいんだぞー」

 「なるほど、露骨な説明口調ですが、勉強になります!」

 掌に、燃え盛る炎をイメージして彩られた愛車を載せてあれこれと自慢げにレクチャーする和理と、使い捨てのポリ容器に盛られたカレーを食べながら、多少お行儀悪くその講義に耳を傾け続ける、葵の姿であった。

 「……リーダー?」

 「……あーちゃん?」

 姉妹が、それぞれの相棒の名を似たような声音で呼ぶと、二人はそれぞれ全く異なる反応を返してくる。

 「あ、今、ちょっと十朱先輩からスライドダンパーの話聞いてたんだけど…」

 「あ、いや、それもそうなんやけど」

 あっさりと返してくる親友に毒気を抜かれた瀬都子に代わって、恐る恐る茉莉が尋ねる。

 「…何食ってんだ?」

 「あ、カツカレーです、少しどうですか」

 未だ皿に半分程盛られたそれを、咀嚼するのをいったん中断してでも、茉莉の疑問を肯定して返す。

 「……さっきから静かだと思ったら、それ買いに行って食ってたからか…」

 「……って言うか、まだお昼時には早いんじゃ…」

 葵の悪食を知らぬ昴流が呆れたように言うと、葵本人が流石に気恥ずかしいのか顔をそむけ、ボソボソと言い訳のように呟く。

 「…いやその、空腹で腹の虫が鳴きそうだったので、ちょっと軽食を…」

 「…山盛りのカツカレーを『軽食』なんて表現する人は初めて見たわ」

 再び頭痛に襲われた昴流が、具体的なツッコミを入れるより速く、更に頭の悪い会話が彼女の耳朶を打ち始める。

 「リーダー? マシンを見せびらかすなと言った筈ですが?」

 「だ、だってあいつがパーツ教えてくれっていうからぐぇぇぇぇ」

 胸倉を掴まれ、潰された蛙の様な断末魔を上げる和理の一言を受け、途端にペースを取り戻し出した四名が、よせばいいのに再度の挑発を開始する。

 というより、置いてけぼりにされた事が、若干悔しいかのようにすら見受けられた。

 「あーら? リーダー様は人にマシン見せびらかして、お付きのアンタは秘密主義? 意思統一すらできてないなんて、チーム戦向いてないんじゃないのぉ?」

 隙あらば、とでも言わんばかりに挑発を開始する瑠名に対し、準子が口を開くよりも早く、解放された和理がこれ幸いとばかりに大声を上げる。

 「はっはっは! ほざけほざけ、このショムニの秘書課の…えーと…名前忘れたナントカさんみたいな喋り方してる女! 屈辱と……えーと……あとなんかとにかく辱めのカテゴリは、ぜんぶ今日から貴様らの物だとこれから証明してやるー!」

 「リーダー、恥辱と汚辱と凌辱が欠けてます」

 「公衆の面前、しかも子供連れが大勢いる遊園地で、そういう単語使わないで欲しいのだけれど」

 セリフはさておき、因縁のある四人対二人(+おまけの二人)は、先程の自分の発言を棚に上げて割り込んできた昴流そっちのけで火花を散らし出す。

 「何が辱めだ! 人前で雌豚公開尻穴調教スパンキングされといてどの口がほざいてんだ! てめぇなんかレース会場より五反田がお似合いだ!山手線に帰れ!」

 「そんな貧弱なボキャブラリーで良く偏差値云々なんて言えたわねぇ、超速ガイドより小学校の国語の教科書読んでた方がいいんじゃないのぉ?」

 「今日も『準子~準子~』って泣きつく前に、ウチに帰った方がいいんじゃないかナー?」

 『まあお前らド素人は、牛鮭定食でも食ってなさいってこった』

 和理らへの敗戦経験が無い為か、余裕たっぷりに見下し始める四天王に言葉攻めを受け、あっさりと和理は脱落してしまう。

 「わーん、準子ー!」

 「よしよし、今日は比較的頑張りましたね」

 泣きついてきた部長の口に飴を突っ込み、頭をそっと数度撫で、甘やかしにかかる副部長。

 「…メンタル弱過ぎるだろあいつ」

 「いっつもこうだから、気にしないでいいネー」

 茉莉のぼやきに、一仕事終えたと言わんばかりのネーナが気の無い返事を返す。

 「ではまた後ほど…と言っても、今日はもう消化試合の様な物ですが」

 「そうねぇ、お互い、見据えてるのは『この先』のようだしねぇ」

 互いにガンを飛ばしながら挨拶を交わし、白衣集団はいずこへと去っていく。

 すぐに再開するであろう事は分かり切っていた為、瀬都子以下四人は特に何も言わず、その背を見送っていたが。

 「そういや、さっきからアンタら、何言ってんだ? 『今後』だの『この先』だの、丸で今日が本番じゃ無いみたいな言い方してさ」

 「?」

 その一言に、思わずキョトンとした表情を見せ、顔を見合わせる一同。

 「夏のジャパンカップでの再戦が本番であって、今日の非公認レースは余興でしか無い…ってことかしら」

 昴流が先程の会話からある程度推測し、その内容を告げて見るも、四人の曇った表情は余計に深まるばかりである。

 「…まさかコイツら、アレの事知らない?」

 「…っぽいナー」

 「まぁビギナーみたいだし、しょうがないんじゃないかしらん…」

 顔を見合わせて、そんな事を良い合うも。

 『それより、ぼちぼちエントリー行った方がいいかも』

 伊代菜の一言…というより一筆に首を縦に振った三人は、適当な所で会話を打ち切る事にした。

 「…ま、いずれ分かる事よん。後でお会いしましょ」

 「予選落ちすんなよ!」

 「なんかキミら面白いし、是非ともお手合わせ願いたいんだナー」

 『確かみてみろ!』

 「え? あ、ハイ! 宜しくお願いします!!」

 荷物をさっさとまとめ、会場へと向かう為に踵を返した四人に対し、律儀な返答を真っ先に返したのは葵。

 取り残された茉莉と昴流は、どうにも先程からのワードが気になり、挨拶を返すどころでは無かったが―――

 「…………」

 すぐに、普段は笑顔を絶やさない瀬都子の表情に、憂いの様な物が明らかに浮き出ている事を察し、そちらに気を取られてしまう。

 が。

 「…中々手強い方々のようですね、カレーはそんなに美味しくないですが」

 非常に真面目な顔で、残りのカレーを咀嚼しながらそんな事を言ってくる葵に対し。

 「…青宮さん、せめて食べ終わってからにして…」

 最後の味方たる葵までもが遠くに行ってしまったような気がするのと同時に、昴流は猛烈な頭痛に襲われ、その場にうずくまってしまった。

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