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1-6 それぞれのこれから

 「!?」

 葵だけでは無く、その場の全員が瞠目する。

 大いに盛り上がっていた会場で、何故か全員の耳に、その僅かな異音は届いていたからだ。

 と。

 「お、おい、何だ!?」

 眼前のコースを走行していたレイホークを見ていた茉莉が騒ぎ出すまでもなく、全員が異変に気づいていた。

 「何で…? 何で??」

 大半の人間に混乱が走る中、レイホークの主人たる葵に、最も大きな衝撃が走る。

 それもその筈、先程まで快走を続けていた愛車が、突如として徐々に徐々に、まるで停止に向かうかのように大幅な減速を始めたからである。

 「!? ……??」

 その脇を悠々と、まるで嘲笑するかのように通り過ぎていくアバンテの持ち主である昴流も、目の前の光景が信じられないとでも言いたげに、目を白黒させる。

 そうこうしている内に、大幅な減速を繰り返していく水色のマシンは、とうとうその走り、否、歩みを止めてしまう。

 「な、なんと! ゴール直前で、青宮選手のレイホーク、原因不明のトラブルにより停止してしまったァ!!」

 明らかに動揺しきった、実況による絶叫。

 それは同時に、葵の敗北を意味していた。

 「何で……何で……?」

 目の前の現実が受け入れられずに、その場でへたり込んでしまう葵。

 敗北が信じられないと言うより、愛車が走行を止めてしまった事によるショックであった。

 「あ、ご、ゴール!!」

 それと同時に、ただ一台、ゴールテープの上を通過していく橙色のマシン。

 優勝者が決まったという、レースに於いて最も大事な瞬間であるにも関わらず、会場は水を打ったように静まり返っていた。

 「何…が……?」

 優勝した昴流ですら、その表情は綻ばずに、困惑の色を湛えている為、観客が静まり返るのも無理は無いと言えた。

 「あ、あーちゃん!!」

 耐え切れずに、スタートでへたり込む親友の元へと駆け寄って行く瀬都子。

 同時に駆け出した茉莉は、ステージ上で相変わらず沈黙を保ったままのレイホークへと向かい、拾い上げる。

 「……モーターは回ってる?」

 タイヤこそ回転していなかった物の、慣らしを行った時に聞いた事のある、ギヤを取りつけていないモーターの回転音がレイホークから響き続けている事に、即座に気が付く。

 そして、それは同時に、一つの可能性を茉莉に提示していた。

 「ま、まさか……」

 唐突に頭に浮かんだ可能性に対し、そんなバカなと自分で否定しながら、スイッチを切ってモーターを取り出す。

 ハッチを開け、マシンを元の姿勢に戻すと、重力に従って自らの掌に落ちてくるモーター。

 そして―――

 「………マジかよ」

 自分のあられもない推察が現実であったと言う事実に、どうしようもないやるせなさを感じた茉莉は、力なく葵の元へと歩んで行った。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 「……これが原因だよ」

 苦々しげな表情で、右手を差し出してきた茉莉。

 その掌に握られていたのは、ターミナルの取り付けられたプラスチックパーツを身にまとった、瀬都子から受け継いだモーター。

 そこから伸びる、無機質に輝くピンの先に取り付けられた、紫のギヤは―――

 「……そんな………」

 「…アホな……」

 未だ完全に割れず、しつこくくっついているのが不思議な程に亀裂の走ったピニオンギヤ。

 ミニ四駆に関しての知識がまだまだ不足している二人であっても、それを見れば、何故レイホークが走れなくなったかなど、尋ねるまでもなく理解できた。

 「…確かギヤとかは全部貰ったものそのまま使ってたんだろ」

 答えを返せる唯一の人間が茫然としている今、答えが返ってくる事が無い事は分かっていても、茉莉は尋ねる事を止められなかった。

 「…それから何回もモーター変えて、走らせて…傷んでたんだな」

 「………!」

 無論、葵を責める為の言葉では無かったが、彼女の自責の念を引き起こすには、充分過ぎると言えた。

 「僕……また、またやっちゃった……」

 レイホークが可哀想と言われた時のように。否、それ以上に。

 目の前のマシンに対する扱いを、必要以上に省みてしまう。

 「せっかく……折角師匠に教えて頂いて、決勝まで来て…セッコにも、みんなにも頑張れって言って貰えたのに…」

 言葉と同時に、頬を伝いだす、大量の涙。

 それを止める術は、誰も持ち合わせていなかった。

 「何でかなぁ…何で僕って…こんなにダメなのかなぁ……」

 「あ、あーちゃん!」

 何とか食い止めようと、瀬都子が必死で呼び掛けるも、葵の耳には届いておらず、呪詛の様な言葉が漏れ続ける。

 「走れなくなって…それでもセッコから、みんなから励まされ続けて……ようやく、ようやくこんな所まで来たのに……どうして、どうして僕は………ッ!」

 涙を拭おうともせず、ひたすら流し続ける葵は、顔を伏せようとするも。

 「……顔を上げて」

 いつの間にか―葵は元より、脇に居た瀬都子と茉莉ですら気付かない間に、葵の目の前にしゃがみ込んでいた昴流が、不思議と良く通る声で葵に語りかける。

 「………!」

 その声に反応し、未だに滂沱のごとく涙を流し続ける葵を余所に、茉莉の掌から無断でモーターをつまみ上げ、その様子をまじまじと眺める。

 盗み聞きしていた通り、傷みを通り越して破損していたギヤは、主人の想いに最後まで応えられなかった事の無念さを訴えているようにも見えた。

 「…ギヤは消耗品だから、どうしても走行中に破損する。特に紫ピニオンは、上級者でもレース中に破損させる事だって決して珍しくない。完全に空回りするように割れるのは珍しいけど」

 「……慰め、ですか」

 ようやく涙を拭い出した葵が、しゃくり上げながら、同情された事への不快感を露わにする。

 自らの嫌悪感が八つ当たりのように向けられた形であったが、昴流は意に介したつもりもなく、淡々と自らの想いを告げていく。

 「慰めじゃない、単なる事実。勿論、結果は私の勝ちだった事も含めて」

 「………ッ!」

 結局勝ち誇りに来ただけなのか。敗者を嘲笑いに来ただけなのか。

 友を侮辱された事で、瞬時に頭に血が上り、食ってかかろうとする瀬都子と茉莉であったが―――

 「だけど!」

 唐突に発せられた大声に気押され、その言葉を呑みこんでしまう。

 葵の目の前の勝者―――昴流は、まっすぐ葵の目を見据え、言いたい事を一方的にぶちまけだした。

 「だけど、マシントラブルが起きなかったら、私の負けだった事も事実。いずれ貴女とは、ちゃんと『どちらが上か』決着を付けなきゃいけない」

 「………!」

 言わんとしている内容が何となく把握できてきた葵は、思わず息を呑む。

 その事を知ってか知らずか、ぼんやりと開いた葵の手を握るように、その掌にモーターを押し込むと、あっさりと立ちあがりながら言い放つ。

 「どうせ遠い話じゃ無いだろうけど…ここでもいい、どこかのレースで再戦する事になったら、今度はきっちり実力で勝ってあげる」

 「で、でも……」

 マシントラブルが原因とは言え、敗北に変わりは無い。

 まるで引き分けのように扱われた事に異を唱えようとする葵であったが、その口は再度遮られる事となる。

 「…いいマシンね。貴女のそのレイホーク」

 「!」

 その一言が。

 葵が何よりも欲しかった、葵を認める一言が、葵の耳に確かに届いた。

 「………はい!」

 先程よりはだいぶ量が少なくなったものの、涙を流しながら頷く葵。

 その涙が先程の物とは全く趣が異なる事は、彼女の笑顔が雄弁に物語っていた。

 その様子を見て、微かに満足気な笑みを見せた昴流は、先程までとは違い、極めて優しい声で語りかける。

 「少なくとも、貴女の師匠とは同じ学校だから、取ろうと思えばいつでも連絡とれるし。再戦だっていつでもできるわ」

 「……え?」

 三人の目が、一瞬にして点になる。

 全員が全員、己が勝手に頭の中で構築していた常識と異なる事を突然言われ、頭が混乱しきっていた。

 「あんた…あたしの同級生? 見た覚えないけど…まさか先輩? いやでも…」

 おずおずと昴流に問いかける茉莉であったが、あっさりと答えを返される。

 「何言ってるの。貴女一年B組でしょ? 私はA組、体育の合同授業で何度か会ってるじゃない」

 「…………」

 全員の視線が茉莉に集まり、次の一言が待たれるも。

 「……基本的に体育、フケる頃合いばっか探して、隙あらばすぐに脱走してるからなー。他の連中なんて見てねーや」

 「はぁ」

 予想より遥かに低俗な答えに、昴流と葵の二人ががっくりと肩を落とすも。

 「あ、そっか」

 今までの流れで何かしらの納得が言ったのか、ポンと手を打つのはただ一人、瀬都子であった。

 「ウチとあーちゃんD組で、基本A組と関わらんもんで、ほんで屋田さんの事見た事あれへんかったんかー」

 「………ちょっと待って」

 その一言で新たに判明した事実に、ついて行けない、とでも言いたげな昴流が、呑気な瀬都子を手で制し、自らの疑問を解消する為の質問をぶつけ続ける。

 「…貴女達三人は、私と同じ星双の一年だった訳?」

 「そうやよー。師匠は出会ってから知ったんやけど、あーちゃんとウチは中学からの仲良しさんやで」

 何となく。

 次に昴流が何を言いたいのかを察知し、こわばった表情を見せる葵の腕を抱き締めながら、瀬都子が昴流に説明してみせる。

 「………ごめん、正直ずっと青宮さんの事、小学生だとばっかり」

 「…ですよね……」

 もう言われ慣れたとはいえ、流石に何度言われても平気という訳にはいかず、先ほどともまた違う涙を浮かべる葵。

 「(…まぁ、そりゃそう思うよなぁ…)」

 口に出しこそしないが、内心で昴流に同意する茉莉。

 彼女自身、長瀬の情報で彼女達が同級生と知るまで、瀬都子はともかく葵の事は小学生だと信じ切っていたので、凄まじい衝撃を受けた事を未だに覚えていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 「えー、第三位、赤橋瀬都子選手!」

 「はーい!」

 既に日は傾き、薄いオレンジ色で彩られた、激闘の跡。

 その痕跡にて、手製の賞状を贈呈する、ささやかな表彰式が行われていた。

 「はい、瀬都子ちゃんおめでとう。賞状と商品券三百円分ね」

 「しょ―」

 しょぼい、と思わず口をついて出そうになった瀬都子の口が、途中で止まる。

 余計な事を言い出しかねないと察知した葵が、店主と司会に気付かれぬよう、背後から軽く小突いたからだ。

 「(折角の御好意なのに、余計な事言わない!)」

 「(ご、ごめんて)」

 素直に反省し、余計な一言を最後まで言わせなかった親友に感謝しつつ、頭を下げて賞状と副賞を頂く。

 「続いて準優勝、青宮葵選手!」

 「はい!」

 ミニ四駆、という意味では無いが、かつて何度も受け取った、入賞という栄誉。

 無論優勝を逃した事の悔しさはぬぐえていなかったが、それでも初めてのレースにしては上々な結果に、少なからぬ充足感を得てもいた。

 「葵ちゃんもおめでとう、千鳥ちゃんより凄かったわよー。はい、賞状と商品券六百円分」

 「ありがとうございます!」

 誰が見ても綺麗と評するであろう、見事な礼を店主に返し、恭しく栄誉の証を手にする。

 と。

 「(……六百円分?)」

 自分が六百円。瀬都子が三百円。合わせて九百円。

 小学生でも一秒たたずに解を出せそうな足し算を唐突に行った葵は、脇の瀬都子を小突いて自らに注目させ、表彰式を邪魔しないよう、二人だけに聞こえる声で相談を始める。

 「(…セッコ、この商品券だけどさ………)」

 「続いて、第一回小鹿模型店レース優勝、屋田昴流選手!」

 「はい」

 名を呼ばれた昴流が、多少億劫そうな動作で主催の元へと向かう間に、計画―と言える程の物でもないが―の全貌を打ち明けると。

 「(…それ、ええなぁ! そうしよか!)」

 顔を輝かせ、その提案に二つ返事で乗ってくる瀬都子。

 二人揃って顔を見合わせ、満足気に微笑むのもつかの間。

 「優勝おめでとう! はい、賞状と商品券千円分」

 「…ありがとうございます」

 優勝者が栄冠を手にし、自分達が祝福しなければならない瞬間が訪れた事に気が付き、慌てて両手を打ちならし、その栄誉を称えた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 「おめでとーさん、まさか二位と三位獲れるとはなー」

 自らの元に駆け寄ってきた二人に対し、珍しく素直に手を叩いて祝福の意を表する茉莉。

 彼女達の努力の賜物とは言え、自分の受け売りの知識の更に受け売りが勝因の一つである事に疑う余地は無く、驚くべき事ではあった。

 「ありがとうございます、これも師匠のご指導ご鞭撻あっての結果でした!」

 「ほんま、お世話んなりましたー」

 「(…お世話になりました、か)」

 入賞して表彰までされた彼女達とは違い、自身はあと一歩ではあったが圏外。

 今まではともかく、これからも彼女達が自分を『師』と呼ぶには、どう考えても力不足な結果でしか無かった。

 「(…お役御免かね、さっそく)」

 自業自得とは言え、自らに信頼を寄せてくれていた二人の少女から引導を渡されたと思い込んだ茉莉は、寂しそうに苦笑する。

 「(結局役立たずなんだよなー、あたしは)」

 そんな事を考えていたが故に、一瞬だけ反応が遅れた。

 自身の胸元に、折れそうな程細い腕が、何かを伸ばしてきたからだ。

 「少なくて申し訳ないのですが、是非これをお受け取りください!」

 「ウチらからのお礼、ってことで」

 「?」

 葵の小さな手に握られたぺラ紙を手に取り、正体を確認する。

 何度か見かけた事のある、お世辞にもきれいとは言い難い店主の字と、『小鹿模型』のハンコが打たれたその紙は―――

 「……商品券?」

 一枚が百円、ペラペラと捲ると合計九枚確認できる。

 という事は、明らかに―――

 「…コレ、あんたらが今貰ったもんじゃ…」

 「せやで」

 おずおずと尋ねる茉莉に対し、何を聞かんかと言わんばかりにあっさりと頷くのは瀬都子。

 「も、貰える訳ねえだろこんなもん!」

 必要無い訳ではない。むしろタダで手に入るのならば小躍りして喜んだ所だが、これだけは話が別であった。

 自身の弟子が奮戦の末に手に入れた、勲章とも言うべき副賞。そんなものをあっさりと貰える程、彼女も心底がめつい性格はしていなかった。

 が。

 「…僕と瀬都子、二人で相談して決めたんです。今までの御礼と、これからも宜しくお願いしますの意味を込めて」

 「それで師匠に、新しいマシン買っておうかなー、って」

 「………いや…」

 二人の不器用な優しさが、茉莉の胸を締めあげるように痛めつける。

 自分なんかにここまで入れ込んで、優しくしてくれる人間が存在する。その事実だけで、茉莉には何よりも価値がある物を貰ったつもりだった。

 「…やっぱりこれは貰えないって。あんたらが使いな」

 そう言って付き返そうとするも、二人は頑として受け取らないとでも言いたげに、両手を後ろに隠す。

 「…師匠、これだけは言わせてーな」

 一歩前に出た瀬都子が、茉莉の目をまっすぐに見据え、葵の提案に乗った思いの丈を語り始める。

 「今回はルールやったし仕方ないけど、ウチ、ほんまは師匠とも勝負したかったんよ。せやから師匠が棄権するって言った時、ものすごがっかりしてもーたんよ」

 「………」

 労せずに入賞できた事を喜ぶどころか、それで落胆するとは。

 茉莉からすれば考えられない感性を持つ少女は、そのまま次の言葉を放ってゆく。

 「師匠、言うたやん。次のマシンはちゃんと可愛がる言うて。せやから、ウチとあーちゃんのその券で、師匠に新しいマシン買うて貰って、一杯可愛がってもらいたいんよ」

 「……瀬都子…」

 「それに」

 感極まり、名前を呼ぶ事しかできない茉莉に追い打ちをかけるように、葵が口を開く。

 「瀬都子だけじゃなくて、僕も…もっと師匠に色々教えて頂きたいですし、いつかは師匠とも勝負したい…だから、それで新しい愛車を手に入れて頂けたら…身勝手かもしれませんが、そう思ったんです」

 「………!」

 本日何度か訪れ掛けた、茉莉にとっての臨界点。

 だが、ここが限界だった。

 「………その、さ」

 目に浮かび出す涙を隠す為、二人から顔を少しだけ背け、せめてもの注文を付ける。

 「マシン、あんたらが選んでよ」

 『へ?』

 その申し出がさも意外、とでも言いたげな反応を示した二人―特に瀬都子は、食ってかかりそうな勢いで茉莉に迫る。

 「何で? 自分で選んだほうが絶対ええよ? ウチもデザートゴーレム、あれでもないこれでもないって迷っとった所に、ようやくビシーっと気に入った子をあーちゃんが教えてくれたから、あの子にしたんよ?」

 「そ、そうですよ」

 一歩遅れて葵も、おずおずとだが力強く、茉莉に自由意思を引き出すように促す。

 「やっぱり自分で一番気に入った物を選んでこそ、大事にできると言うか、愛用できると言うか…」

 「…えらっそーに」

 言葉こそ乱暴だが、口調そのものは極めて優しく言うと、自分のそれより遥か低い位置にある葵の頭にポンと手を置く。

 「葵のマシンだって、葵が選んだ訳じゃなくて姉貴の奴そのまま使ってるんだろ? 自分が選んだかどうかなんて、大して関係無いって」

 「で、ですが」

 尚も反論を重ねようと言う葵と瀬都子に対し、今度は茉莉が、真摯に向き合って思いを吐きだす。

 「それに…あたしが選ぶんじゃなくて、あんたらが選ぶから…っと」

 やや言い辛そうに、一度頬を軽く掻くと、覚悟したかのように一息に吐き出す。

 「友達が選んだ奴だからこそ、大事にできる…そう思うんだ」

 「……そっか」

 その言葉に優しく頷くと、瀬都子は葵に促す。

 「そやったら、なんか師匠っぽいの、ウチらで悩んで決めちゃおっか」

 「うん!」

 そんな事を言い出す二人を、ぼんやりと眺めながら。

 「(…師匠、か)」

 自分が『友達』と言ったにも関わらず、まだそんな呼び方をする二人に苦笑し、訂正の為の一言を入れる。

 「…茉莉、でいいよ」

 「?」

 いきなり自分の名を呼び出した目の前の少女に対し、怪訝な顔をしてくる二人。

 その態度に思わず笑みがこぼれるが、笑うのは堪え、訂正を最優先にする事にした。

 「師匠じゃなくて、茉莉。あたしはあんたらより順位低かったんだし、もう師匠は返上ってことで」

 「で、ですが」

 礼儀に厳しい葵は、到底できないとばかりに反論しようとするが、茉莉が先を制す。

 「…それに、あたしも、『師匠』なんて立場じゃなくて、あんたらと一緒の…友達の方が気が楽でいいからさ」

 「………」

 思わず顔を見合わせる二人であったが、結論が出るのは早かった。

 「ほな、これからも…あ、いや、改めて宜しく、茉莉ちゃん!」

 「これからも宜しくお願い致します、茉莉さん!」

 「敬語はやめないんだな」

 律儀な葵に対し、苦笑いが止まらないながらも。

 茉莉の心中は、感じた事もない清涼感に包まれていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 「ごめんねえ、今日はこの後、知人のお通夜に出なきゃいけないからお店閉めちゃうのよー。また明日来てくれる?」

 「……そうですか」

 レース終了後、参加者で手分けしてコースや作業机などの後片付けを終え、元通り―否、以前までは存在しなかった寂寥感に包まれた、決して大きくは無い小鹿模型の駐車場にて。

 一位の副賞である、千円の商品券さえあれば愛用しているMSシャーシの予備が手に入ると、喜び勇んだ昴流に告げられたのは、残酷な事実であった。

 「(…明日、迷わずに来られると良いけど)」

 そもそも三度目の来店となる今日ですら、迷った末に失格寸前になってしまった現状を踏まえると、明日にすんなり来られる自信が無い。

 それ以前に、父の助力無しに、今日無事に帰宅できるかどうかすら定かでは無かった。

 「(…帰るしかないか)」

 これ以上留まった所でする事もないし、そもそも予備校の課題も本日分がまだ残っている。

 本日の栄誉と共に受け取ったチープな商品券を財布に仕舞い込むと、彼女よりも長い年月を歩んできたピットボックスを持ちあげ、いつものように自宅に向かうべく踵を返す。

 と。

 「屋田さーん!!」

 今まで一度も無かった事が。

 自分の名をレース会場で、運営以外の人間から呼ばれると言う事が起き、一瞬だけ体が硬直してしまう。

 「…………」

 恐る恐る振り返ると、そこには。

 「また、いつか必ずお相手して下さい!」

 「またなー!」

 こちらに向かって律儀に頭を下げる小さな背と、名残惜しそうに大きく片腕を振る、傍らの相棒よりは多少大きな背。

 「…………」

 決して友人が居ない訳ではない。

 しかし、目的を果たす為の媒介程度にしか感じていなかったミニ四駆で、自分と積極的に関わろうとする人間が居ることそのものが。

 「…………」

 その事以上に、不意に笑みがこぼれた自分自身をとても意外に感じながら、昴流も軽く片腕を上げ、無言で返す。

 それが、屋田昴流にできる、精一杯の友好の挨拶であった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ズボンの右ポケットに入っていたスマートフォンが細かく振動し、着信の存在を主に知らせる。

 道交法なぞ知った事かと言わんばかりの態度で、自転車をこぎながら右手をポケットに突っ込むと、妙に器用な動作で画面をスワイプしてロックを解き、茉莉はそのままスマートフォンを顔に押し当てた。

 「もしもしー?」

 「あ、りっちゃん?」

 極めて朗らかな、実姉の声が耳朶を打つ。

 茉莉から何かしらのリアクションを返す前に、素早く姉が先手を打ってきた。

 「今日、晩御飯、何が良い~?」

 「何でもいいよ、あたしが嫌いなもん使わなきゃ」

 いつも通りの質問に、いつも通りの答えを、いつも通りのテンションで返す。

 しかし、相手の反応は、いつものそれとはかなり異なっていた。

 「……ふふっ」

 「? 何笑ってんだ?」

 不意に笑みを漏らされ、動揺する茉莉に対し。

 電話の主は変わらず朗らかに、しかしどこか懐かしむように、どこか遠い声で独りごちるように喋ってくる。

 「…なんか、りっちゃん、すっごく楽しそう」

 「…切るぞ」

 こうなった時の姉は相手にしないに限る。経験からそれを知っていた茉莉は、相手が二の句を告げる前に通話終了のボタンをタッチする。

 相変わらず自転車の運転中であるにもかかわらず、器用に運転とスマートフォンの収納動作を同時にこなすと、少しだけ首の角度を上げ、すっかり日が落ちた空に向かって、何となくぼやく。

 「…楽しそう、か」

 自分の事についてとやかく言われるのは好きではない、むしろ大嫌いな方ではあるが。

 「…ま、そうかもな」

 素直じゃないながらも認めると、そんな自分に少しだけ苦笑を漏らし、姉の待つ家へ急ぐべく、ペダルをこぐ足に一層の力を込めた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 「これでよしっ……と!」

 塗装を落とさないように丁寧に、かつ確実に汚れをふき取ったボディをシャーシと繋ぎとめると、メンテナンスの全ては終了となる。

 「にしてもすごいなぁー、準優勝なんて」

 一足早く愛車の掃除を終えていた瀬都子が、全く嫌みや邪気のない、純粋な声色で称賛の言葉を口にする。

 その一言に、照れくさそうに微笑みながらも、本当に感じていた事を打ち明ける。

 何もかも隠さなくても済む親友だからこそ。

 「ありがと……でも、ちょっとだけ悔しいな」

 「…そっか」

 悔しい。

 親友の口から出たその一言に思う所は大いにあったが、口を噤み、その先を聞いてから何かを言う事にする。

 「…その、屋田さんってやっぱり凄い人だったし、まだまだ素人に毛が生えた程度の僕がどうこうできる相手じゃ無かった…って、やる前から分かってた事だったけど」

 それでも、と一旦区切りながら、輝かんばかりに手入れを施した愛車を手に取り、正直に思いの丈を告げる。

 「…それでも、悔しいってのが、どうしても否定できないし…いつかは」

 そこが、瀬都子にとっての限界だった。

 葵がそれ以上何かを言うよりも早く、心からの満面の笑みを浮かべながら、勝手に先を続ける。

 「いつかは、昴流ちゃんにも勝てるくらいになろーな、あーちゃん!」

 「……うん!」

 もしかしたら、果てしなく困難な道なのかもしれないし、意外に平坦な道なのかもしれない。

 そのような推測すらおぼつかない程度の二人であったが、約束を交わし合うその眼には一点の不安も無い。

 走り始めたばかりの少女達は、またがむしゃらに前に進み出す。

 まるで、彼女達自身の愛車のごとく。

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