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1-5 二つの決着


 「……何であのスピードで飛びださんの……?」

 茫然としたように呟く瀬都子の傍ら、先程の葵の呟きを思い出した茉莉が、先を急ぐように尋ね出す。

 「そーいや、さっき減速がどうのって言わなかった?」

 「あ、はい」

 説明を求められた葵は、一瞬だけだが確かに自分の眼で捉えた光景を、具体的に説明して見せる。

 「レーンチェンジでの登りで、一瞬だけですが、確かにあのオレンジのマシンが減速するのが見えたんです。それがコースアウトを防いだ要因となり得ているのかどうかは分かりませんが…」

 即頭部を掻きながら、自信なさそうに解説をする葵であったが、ある程度の知識を仕入れていた茉莉は、合点が行ったとでも言いたげに手を打つ。

 「そっか、ブレーキか! スラスト以外ならそれしかないか」

 手を打つと、パーツケースと思しき小さなプラスティックケースから、緑色の小さな板の様なものを取り出す。

 『ブレーキ』の概念に欠けていた二人であったが、不思議とその緑色の物体には見覚えがあり、首を捻る。

 「何やったっけ、それ?」

 「どこかで見たような…」

 絶対にどこかで触れた覚えがあるのだが、どうにもそれが思い出せず、二人して首を傾げ続ける。

 「ゴールドターミナルについてた奴。あたしのは単品のブレーキセットだけど」

 「あ!!」

 同時に、合点が行ったとでも言いたげな大声を上げる二人。

 それは正体を思い出した、という意味と、ゴミと認識して捨ててしまった、という二重の意味が込められていた。

 「どどど、どないしよ、今から買うてくる?」

 「けどレース中はお店閉めてるって…」

 慌てふためく二人であったが、既に後の祭りという結論しか出てこずに、右往左往する以外に道が無い。

 と。

 「ほら、穴開けてネジ留めして使いな」

 突如として二人の眼前に差し出された、キャベツの千切りのようにカットされた、ライトグリーンのスポンジ。

 差し出されていない左手に握られたハサミを見れば、茉莉が何をしたのかは、聞かずとも理解する事が出来た。

 「…え、ええの…?」

 「そ、そんなにコマ切れにしたら師匠のが…」

 突如として差し出された善行に困惑し、つい反射的に拒否の姿勢を取ってしまうも、差し出した本人はアッケラカンとした様子で押し付けてくる。

 「いーのいーの。全部付けても余るだけだし」

 適当に一番近い所に居た瀬都子に、切り離したスポンジを二枚とも押し付けると、自分は自分で愛車への取り付けを敢行する。

 「それに、決勝にどっちが上がってこようと、速度調整したアンタらに勝っても嬉しくも何ともないし。これくらいは受け取っときなって」

 「…………」

 その一言に、数秒だけ顔を見合わせる二人であったが。

 何を言うかなど、口に出して確認するまでも無かった。

 『ありがとうございます!!』

 素直に好意に甘える事にした二人は、速攻で愛車のチューンへと取りかかった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 準決勝進出者の四名に与えられたのは、一台の長机と、簡素なパイプ椅子。

 『よりレベルの高い戦いを』という名目の元に与えられた、その簡素なピットスペースの中に、一際熱を発しながら愛車の調整に勤しむ二人が居た。

 「(…ブレーキがどれほど利くかは分からないけど、さっきのセッティングでも何とかクリアはできた…)」

 一番最初に執り行われた自分のレース。その中で最も脳裏に焼きついた部分を何度も反芻しながら、モーターのチョイスに移る。

 「(一応ブレーキは保険程度に考えておいて、やっぱりモーターはライトダッシュ…の方が良いかな、きっと」

 モーターについては特に変更をせず、次いでローラーセッティングの見直しに入る。

 流石に一戦目と同じセッティングで同じ速度で挑んでは、次のレースでの勝利は覚束ないとの判断からである。

 「(リヤは四つとも低摩擦の13mmにして…全部食いつかないのは流石に怖いから、フロントは食いつくタイプにした方がいいのかな)」

 リヤとフロントの全てのローラーを取り外し、なけなしの小遣いで買い揃えた数少ないローラーの中から、何とか思い通りの工夫を施せるチョイスを試みる。

 「えーと、ワッシャー、ワッシャー……」

 基本部品を卓上からつまみあげ、円の形に開いた穴にビスの先端を通そうとしたところで、異変に気が付く。

 どういう訳か、ビスとワッシャーの双方がカタカタと小刻みにブレ、中々思い通りにはまらない。

 「(………!)」

 理由は、考えずとも自ずと導き出される。

 決戦を目の前にした、緊張が故の物であった。

 「(…そっか、ようやくセッコと勝負するんだ、僕……)」

 第二レースが終わった時点で決まり切っていた事であるが、今更ながらようやく実感を抱き出し、過去に何度も感じた事のある感覚が蘇ってくる。

 それは、あと一射、あと一レースで大一番の勝負が決まるという、その直前の瞬間に感じた物と全く同じであった。

 『ウチとあーちゃんが友達いうんは、これから先もずっと変わらへん。けど、ミニ四駆やっとる時だけはライバルやと、ウチは勝手に思ってた』

 「(…勝手に思ってた、か)」

 思わず苦笑しながら、何とか震える手を押さえようと、懸命に神経を落ち着かせる。

 「(…セッコ、どうも勝手にライバルだと思ってたの、セッコだけじゃないみたい)」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 一方、葵との間に茉莉を挟み、互いに手の内を読めないように配慮した位置で調整を行っていた瀬都子は、ひたすら腕組みをし、迷っていた。

 迷う理由は一つ。マシンの心臓部たるモーターである。

 「(あーちゃんは逃げへん、絶対一回戦と同じライトダッシュで、更にスピード上げるようなローラー使うてくるハズ…)」

 そこまで考えた所で、改めて愛車に目を向ける。

 バンパー部以外、削ったり切り離したりといった改造を行っていないその無骨なボディは、重厚感あるフォルムの代償として、小径タイヤ以外対応していない。

 加速力とコーナリングに関しては分があるが、普段よりも長いストレートが二か所も用意されているこのコースでは、かなり足回りが不安でたまらなかった。

 「(同じライトダッシュだと、絶対加速でウチが置いてけぼりにされてまう…となったら、やっぱこの子に頼るしかあらへんか…)」

 震える手で掴んだ真紅のエンドベルは、ハイパーダッシュ3。

 一応購入してテストをしていた物の、スラストの概念すら理解していない彼女の手には扱えず、封印を余儀なくされていたパーツであった。

 しかし、付けて見たは良い物の、普段のコースですらロクに扱いきれなかった為に封印していた代物である。よりレーンチェンジ前のストレートが長く、スピードが乗るこのコースで扱いきる自信は、殆どないと言っても良かった。

 「(ブレーキだけじゃやっぱり不安や、ローラーももうちょい食い込む奴に…って、それやったら遅くてしゃーないかなぁ…)」

 葵同様、経験値が絶対的に不足している瀬都子には、大体の状況毎の自分なりのテンプレートが組み上がっておらず、予選のレースだけを参考にパーツを選択せざるを得なくなる。

 しかし、予選は速度を抑えつつの勝利であった為、速度域を挙げた時の挙動に関して、全く未知数と言えた。

 「(けど、そんなスピード乗らへん普段のコースでアレやったから、もっと食い込むローラー使わへんと、やっぱり飛んでまうかなぁ)」

 悩みは尽きないが、それでも時間は有限であり、予想以上に速く尽きかけてしまう。

 「(…信じるしかない、今まで使いこなせへんかったこのモーターの力が、コースアウトせんようにセッティングしたデザートゴーレムの全部を引っ張ってくれる事を!)」

 時間が無い事で、却って肝が据わった瀬都子は、一息にセッティングを安全に固める事を決意し、ドライバーを握る。

 彼女の技量ならば、ここから時間以内にマシンを完璧に仕上げることなど、造作もない事ではあった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 「それでは、準決勝第一レースに出場する青宮選手、並びに赤橋選手! 車検を受けて、スタートラインまで集合してくれ!」

 「!」

 その一言を受け、葵の全身が軽く震える。

 彼女の手の中で、その軽いライトブルーに彩られた車体は、まだ完全な姿になり切れていなかったからだ。

 「…あーちゃん?」

 立ちあがった瀬都子が、未だに必死でドライバーを回している親友に、不安げに声を掛ける。

 「えーと、青宮選手! 早く起立して車検を受けてくれ!!」

 「何してんだ葵、早く行けって!」

 司会も、脇で見ていた茉莉も、異変を感じて催促を始める。

 何とか支給されたバッテリーを収め、何とかボディをシャーシにキッチリと載せ、ボディキャッチまで留めた所まで来たものの、彼女の心中は焦りに満ちていた。

 事実、レースが始まっていない要因は全て葵一人に起因し、誰も非難こそしていない物の、会場の目線が葵一人に集中していた。

 「は、はい! 申し訳ございません!」

 慣れ切っていないミニ四駆。ついに訪れた親友との勝負。そして自分一人のせいでタイムスケジュールを押しかけている現状。司会や周囲の人間に急かされていると言う現実。

 それら全てが葵を半ばパニック状態に陥れ、『とにかく車検場まで行く』という一つの事柄以外を、彼女の脳内から消し去ってしまう。

 「た、ただ今向かいます!!」

 絶叫するように応えると、倒さんばかりの勢いで椅子から起立すると、本能的に右足を高速で車検場へと伸ばしてしまう。

 「あかん!!」

 その光景を見た瀬都子が反射的に叫ぶも。

 その声が、右足の着地を止める事は、叶わなかった。

 「―――――ッッッ!!?」

 車検も。瀬都子への想いも。掌に収まっている愛車さえも。

 全てを瞬時に消し去るような、稲妻のような苦痛が、瞬時に葵の全身へと駆け巡った。

 「ッッがああああァァァァァっッッ!?」

 瞬間、その場に倒れ込み、右足を抱きかかえるようにして押さえ出す。

 誰の目から見ても異常な光景が、そこで展開されていた。

 「お、おい、葵!?」

 「あ、青宮選手!?」

 すぐ真横に居た茉莉が、司会が、返事を期待していた訳ではないが、反射的に名前を呼ぶも、その問いへの返答はうずくまった葵からは帰ってこない。

 「あかん! あーちゃん、あーちゃん!!」

 もはや勝負云々の概念を忘却の彼方へと追いやった瀬都子が、苦痛に身をよじる親友を何とか抱きかかえ、半身だけでも起こさせる。

 「足、やってもーたんやね!?」

 「…………ッッ……!」

 必死の問いかけにも一向に返事は帰ってこず、只管に右足を抱き締め、全身を苛む苦痛と戦い続ける葵。

 その様子を見た瀬都子には、次に取る選択肢など、一つしか存在していなかった。

 「すいません、おばちゃん、司会のお兄さん!」

 「!」

 完全に目の前の光景について行けなかった二人が、不意に呼びかけられ、我に返ったかのような反応を見せる。

 それを確認した瀬都子は、彼女には珍しい大声で、明確に二人に告げるべく、言葉を発する。

 「ウチとあーちゃん、申し訳あらへんけど、今日はもうミニ四駆どころやなくなってしもたから、二人とも棄権……」

 しかし、その言葉は、最後まで発せられる事は無かった。

 「…ま、まっ……て………」

 蚊の鳴くような声と、震える左手を用いて必死に瀬都子を制したのは、当の葵本人。

 「ま、待って、って……」

 その言葉に出鼻をくじかれた瀬都子は、思わず茫然としてしまう。

 棄権の宣言を止めたと言う事は、何が何でも出場すると、と言う強い意志の現れであり、そこまで葵がする理由が分からなかったからだ。

 苦痛に顔を歪めながらも、親友に全てを伝える事を最優先にした葵は、瀬都子に何かを言わせるよりも早く、自分の想いを口にする。

 「…言った、よね。……ライバル、だって……僕、だって、そう……昨日、から………もしかし、たら、それより、もっと……前、一緒…に、レース、出るって……決めた、時、から……それを、どこかで、期待……して、た……」

 少し、ほんの少しだけ落ち着いてきたのか、苦痛に歪めた表情を無理矢理笑顔にすると、転倒の衝撃で自らの手を離れ、数メートル先に仰向けに転がっていた愛車へと、無理矢理這い寄り出した。

 「だか……ら…僕は、すぐ、コースに……行く、から……先、に……待ってて……!」

 「……あーちゃん………」

 その言葉を聞いた瀬都子の瞳から、大粒の涙が溢れ出し、アスファルトに妙な縞模様を作り出す。

 自分が苦痛に苛まれている最中だと言うのに、瀬都子に自分のせいだと思わせないように最大限配慮した一言が、尚更彼女の涙を誘った。

 「もうええ、ウチ、そんなしてまであーちゃんと…あーちゃんと………!」

 その言葉は、最後まで形にならなかった。

 既に自分の言葉が聞こえていないかのように、自分と言う支えから外れ、数センチずつ、数センチずつ、自分と戦う為に愛車の元に赴く葵の姿が、それをさせなかった。

 「(…ウチに何が言えるん? こうまで必死にウチとの約束を守ろうとしてるあーちゃんに、ウチが何を言えるん?)」

 思わず目を背け出す瀬都子の元に駆け寄ったのは、間近で葵の転倒を目撃していたもう一人の人間である茉莉。

 「なぁおい、葵の奴どうしたんだよ!? 普通こけただけであそこまで痛がるか!?」

 手助けしようにも、余りにも鬼気迫る葵の気迫がそれをさせず、また自身も事情を呑み込めていなかった為、ひとまず状況を整理しようと話を聞きに来たのだ。

 「…あーちゃんな……」

 一瞬、公表して良いものかと躊躇するも、黙っていた所でいずれ知れる事ではある。

 覚悟した瀬都子は、溢れる涙を無理矢理堪えようと尽力しながら、絞り出すように言葉を紡いでいく。

 「あーちゃんな、一年くらい前に、右足に大怪我してはって…最近、何とか歩けるようになったんやけど、お医者さんからまだ走ったり跳んだりは絶対したらあかんってゆわれとったのに…」

 「はぁ!?」

 気にはなっていた。やけに遅い歩みのペース。微妙に引きずるような歩き方。決して素足を見せない衣服のチョイス。

 「それなのにあいつ、さっき車検までダッシュしようとしたのか!?」

 何も産まれてからずっと足が不自由だった訳ではなく、一年と言う短い期間しか封印が成されていないのであれば、反射的にそういう行動を取ってしまうのも仕方が無い。

 頭では理解できてはいた物の、悪態をつくように呆れるしかなかった。

 「ウチがあかんかったんやなぁ、あーちゃんに変な事言うて、それであーちゃんが今日のレースに本気になってしもて……」

 良心の呵責に耐えきれず、再び大粒の涙を流し出す瀬都子であったが、慌てたのは真横に居た茉莉である。

 「お、おい、何でもいいから落ち付けって、な!」

 何とか宥めようと腐心するも、瀬都子の涙は留まる事を知らず、必死の体で這いずりながら愛車へと移動する葵も、止まる気配を見せなかった。

 「…ったく、何でそこまでするんだか!」

 頭を掻きながら、大股に数歩だけ進むと、仰向けに転がっていた一台のマシンを拾い上げる。

 「…師匠…」

 「…し、師匠……」

 這いながら、目当てだったものを拾い上げた師に対し、何を言うべきかと鈍った頭脳で考え出す葵であったが、結論が出る前に茉莉が口を開く。

 「…正直、何でそこまでしてミニ四駆したいのかとか、聞きたい事一杯あるけどさ」

 言いながら数歩だけ歩を進め、葵の鼻先で歩みを止めると、しゃがんで葵の瞳をしっかりと見据える。

 「どーあっても、瀬都子とレースしたいのな」

 「はい…!」

 相変わらず声量は小さかったが、それでも芯のしっかりと通った、いつもの葵の声。

 それだけ確認すると、茉莉は大きく溜息をつくと、葵の右肩に左手を回し始めた。

 「し……師匠?」

 何をするのか、と聞かんばかりの葵と目を合わせず、真正面を見据えたまま、ぶっきらぼうに答える。

 「支えくらいやってやるよ。どーせ一人じゃレースどころか、車検場すら行けやしないだろ」

 「………助かります」

 葵とは違い、平均よりも大分高めの身長を誇る茉莉であった為、聊か苦労しながらも何とか葵の右足を地面につけぬよう、歩き出す事に成功する。

 「瀬都子もこれで良いだろ? 何で二人してそこまでしたいのか知らんけどさ」

 「………っ!」

 止めたかった。

 自分の負けで良いから、もうやめてくれと。葵を無理矢理にでもピット席に連れ戻してくれと、心の底から言いたかった。

 しかし、彼女の唇から洩れた言葉は。

 「ありがとうございます!!」

 自分の想いを遂げさせてくれた事への。親友の覚悟を決めてくれた事への。

 まっすぐな、とてもまっすぐな感謝の念であった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 「さぁ、紆余曲折を経て、ようやく三…あ、いや、二名がスタートラインに出揃った!!」

 一回戦同様の姿勢でシグナルランプを見据えてしゃがむのは、瀬都子。

 おぶさる形で茉莉に身体を預け、短い右腕を何とか伸ばしてコーススレスレにマシンを構えられるかどうかテストしているのは、葵。

 「…あーちゃんが万全でない今、言う事や無いかも知れへんけど」

 ふと、瀬都子の口からそんな言葉が漏れた為、葵は反射的に右を向く。

 肝心の瀬都子の瞳はこちらを向いては居なかったが、先程流した涙により多少の充血を見せる目は、再びうっすらと光るもので溢れていた。

 「ほんまに夢みたいやなぁ。こんな時が来るなんて。あーちゃんと対等に何かがやれるなんて……」

 「……僕も」

 互いに互いの顔を見ぬまま、こっそりと微笑み合う。

 「(…何だこの空気…)」

 居たたまれなくなった茉莉ではあるが、背中に葵をおぶっている以上、今更逃げ出す事も叶わず、只管に四十数キロの重さを全身で噛みしめるしかない。

 「(よくわかんねぇなー、こいつらの関係。あたしがドライすぎるだけか?)」

 憮然とした表情で考え出すも、すぐに意識を切り替えざるを得ない一言が耳朶を打つ。

 「さぁ、両選手とも、スイッチを入れてくれ!」

 「!」

 感慨に耽る間もなく訪れる、開戦直前を示す合図。

 それを耳にした以上、もはや二人に、言葉を交わす事は許されなかった。

 「(あーちゃんゴメンな、ウチ、あーちゃんの為に思って始めたミニ四駆やけど…)」

 決して性能で選んだ訳では無かったが、高性能と謳われるVSシャーシの裏面を凝視しながら、スイッチに細い指を掛ける。

 「(ウチ…あーちゃんに勝ちたい! この子と勝ちたい!!)」

 そのまま一息に。

 「(…セッコ、『友達』以外の関係として、セッコと向き合う日が来るなんて思って無かったけど…セッコが僕の『ライバル』だっていうなら)」

 姉が組み立て、自身に受け継がれた、希少なホワイトのスーパーXシャーシ。

 VSシャーシの物とほぼ同一のスイッチに、瀬都子のそれより小さく細い指を掛けると。

 「(全力で応える! お姉ちゃんがくれたこのマシンで!!)」

 そのまま一息に。

 二人同時に、OFFからONへとスライドさせ、命を吹き込んだ。

 二人して散々ブレークインを行った成果か、傍から聞いていても驚くほどに小さく、それでいて力強いギヤの、モーターの回転音を轟かせながら、二台のマシンがスタートラインへと並ぶ。

 「それでは行くぞ! 小鹿模型主催ミニ四駆大会、準決勝第一試合! レディー!!?」

 司会が一息に告げる、戦いの時。

 しかし、自身の心臓の鼓動が喧しいくらいに鳴り響く二人の脳内には、その声は殆ど聞こえてはいなかった。

 「(…セッコ)」

 「(…あーちゃん)」

 代わりに目に飛び込んでくるのは、次々と下へと点滅個所が移って行く、レッドのランプ。

 そして――――

 『(勝負!!)』

 「ゴー!!」

 青になったその瞬間、男性の大声が、会場一帯へと響き渡る。

 しかし、皆の関心事はそんな些細な事でも、ましてや唯一のグリーンを点灯させたシグナルランプでもない。

 ほぼ同時に、否、一瞬だけライトブルーの影の方が素早く解き放たれた、二台のマシンにあった。

 「さぁ、今回も真っ先に飛び出したのは、鮮やかなライトブルーに彩られたレイホークガンマ! 青宮選手、素晴らしいスタートだ!!」

 「よしっ!!」

 茉莉の背中の上と言う事も忘れて、力強く右こぶしを握り、ガッツポーズを作る。

 「(…かまへん、あーちゃんやったら『それくらいできる』って、ウチには分かってた!)」

 一方の瀬都子は、計画通りにレースが進み出し、安心の色が多少濃い表情を見せたが、それでも一抹の不安を隠せない。

 「さぁ、青宮選手、ストレートで差を付ける! やはり直線の長いこのコース、大径タイヤはそれだけで有利か!?」

 司会の言う通り、最初の僅かな差は、レイホークがレーンチェンジに差し掛かる頃には、目に見えて分かる差となっていた。

 しかし、圧倒的な大差と言う訳でもない。その為、誰もこのままレースが終わるなどと、露ほどにも思っていなかった。

 「(スタートダッシュ、そんでもってストレート…それでこれだけの差やったら、充分許容範囲や!)」

 瀬都子の眼が、急に鋭く輝きだす。

 その事に気が付いたのは、真横に位置していた葵だけであった。

 「行ったれ、デザートゴーレム!」

 その声に呼応するかのように。

 コーナーに入り、大きく減速しだすレイホークとは対照的に、重厚なボディに包まれたデザートゴーレムは、異様なまでの俊敏さで駆け抜けていく。

 「な、何と! 赤橋選手のデザートゴーレム、コーナーに入っても殆ど減速を見せない!」

 「(やっぱり…!)」

 レースを優位に展開していた筈の葵の額に、冷や汗が浮かぶ。

 「(小径タイヤって事以前に、ストレートで殆ど差を付けられなかった…間違いない、セッコ、もっとパワーのあるモーターを…!)」

 以前、自分の目の前で何度か挑戦していた物の、一向に制御する事が出来ずにお蔵入りになっていた高パワーモーター。

 幾らカーブに強い小径タイヤとは言え、自分とパワーユニットが同一とはとても考えられないその走りを見ると、瀬都子が『それ』に手を出したのは明らかであった。

 「行ける、行けるで、デザートゴーレム!!」

 明らかに歓喜の混じった声色で、愛車の名を叫ぶ瀬都子。

 それを裏付けるかのように、目の前のサーキットでは、葵にとっては喜ばしくない光景が展開されてしまっていた。

 「さぁ、デザートゴーレム、一気にレイホークを抜き去りトップに! やはり連続コーナーでは小径が強いか!」

 インとアウトとが入れ換わる連続コーナー、その二つ目の、ほぼ完全な円形のセクションを抜ける頃には、完全にデザートゴーレムがレイホークを置き去りにし出す。

 更に、その次ではレイホークがアウトコースとなる。差は広がる一方であった。

 「(けど、ここから先は殆どストレート…!」

 葵とて、たったそれだけの事で、勝負を捨てる筈が無い。

 連続コーナーさえ抜ければ、他はストレートが主体のコースである。勝機は十分にあると言えた。

 「二台とも連続コーナーを抜け、二週目へと差し掛かりだす! しかしデザートゴーレム、ストレートでも速い!!」

 直線ともなれば大径タイヤのレイホークに分があると見た葵であったが、思うように差が縮まらず、内心に焦りが満ちる。

 それでも懸命に奮戦を続けるレイホークは、二週目に差し掛かり、レーンチェンジ前のロングストレートを消化し終える頃には、何とかデザートゴーレムと肩を並べていた。

 「さぁ、レイホークガンマ、ストレートで何とか肩を並べるも、コーナーで離される!!」

 実況の伝える通り、コーナーで大きく減速したレイホークは、再び対戦相手に引き離されていく。

 しかし。

 『(差が…付いてない!?)』

 二人の脳裏に、同時に同じ言葉が過る。

 確かにコーナーを抜けた直後、デザートゴーレムが先を行く展開そのものは先程と同じ。しかし、明らかにその差は、一週目よりも短い物であった。

 「(一週目のレーンチェンジした後が、多分一番外周になる…だから、二週目に入って多少走行距離が短くなったって事!?)」

 脳内である程度の算段を付ける葵は、ファイナルラップに突入せんとひた走る愛車から目をそらし、常に差を付けられる連続コーナーへと目線を移す。

 「(ファイナルラップはセッコがレーンチェンジに入って最もアウトコースになる、だから僕の方がちょっとだけ走行距離が短くなる、だから…)」

 チラリと目を向けると、最終ラップとなる第三週の、第一コーナーを抜けたばかりの二台のマシンが視界に映る。

 ストレートで若干稼いだか、その差はもはや無いに等しい物となっていた。

 「(この勝負、まだ分からない!)」

 最後まで希望を捨てず、愛車の行方を追う葵。

 「(正直微妙になってきたなぁー、けどコーナーでの安定を一番に考えたから、レーンチェンジでコースアウトは無い…かなぁ)」

 一方、序盤は計算通りの展開となっていた為に多少の余裕を見せていた瀬都子であったが、目の前で展開されている光景に、少なからず焦りを感じ始めていた。

 「(最後の連続コーナー、幾らあーちゃんの方が距離がちょっとだけ短いって言っても、そう大して差はあらへん…しかも、この二週でゴールのラインまでに追いつかれる事は無かった…)」

 何とか自分が有利である、と認識する為の状況証拠を掻き集め、必死に自らを鼓舞する。

 「(この勝負勝てる、ウチのデザートゴーレムは負けへん!!)」

 元々闘争心と言う物に縁の無い人生を送ってきた瀬都子ではあったが、この時ばかりは違っていた。

 大好きな親友であっても、負けたくない。その思いが、瀬都子を心地よい熱の中へと誘っていた。

 「さぁ、勝負は遂にファイナルラップ! 依然として優位に立つのはデザートゴーレム!」

 その言葉通り、ファイナルラップを過ぎたあたりで、ようやくレイホークがデザートゴーレムに並び出す。

 この展開が繰り返されれば、僅差ではある物の、勝利の栄冠は瀬都子の手に渡る事が目に見えていた。

 「しかし、ここでレイホークが逆転! 勝負は分からなくなってきたぞ!!」

 その言葉通り、レーンチェンジ前のロングストレートで、ようやく空色のマシンがトップへと返り咲く。

 「(問題ない、一時的なもんや!)」

 その光景を見せつけられても、瀬都子はパニックに陥る事は無く、自らの愛車の勝利を疑わずに展開を見守る。

 「(大丈夫、ここで抜かせたって事は、最後のストレートできっと…!)」

 一方の葵も、それで勝負が決まったとは思ってはいないが、自分にとって有利となる展開である事を願い、必死に愛車を追い続ける。

 「さぁ、デザートゴーレムも難なくレーンチェンジをパスし、勝負所の連続コーナーへと差し掛かった!」

 葵が最内。瀬都子が最外。

 一週目とは全く逆の図式となったコーナーでは、ある意味当然と言える物の、今までの展開を踏まえると予想外とも言える展開となった。

 「追いつけへん!?」

 Wの字をかたどった様にも見えるコーナーの、一番最初の大カーブ。

 そこを超えてもなお、デザートゴーレムはレイホークを抜くどころか、差を僅かに縮める程度に留まっていた。

 「(幾らハイパーダッシュ3に小径でも、流石にアレだけの差は…せやけど!)」

 続くカーブでは、インとアウトが逆転する。

 最も内側のレーンを通過していても尚、アウトレーンのデザートゴーレムに速度負けを喫していたレイホークである。当然のように―――

 「ぎ、逆転! 再度デザートゴーレム、逆転だァ!!」

 「よっし!!」

 ほんのわずかではあるが、コーナーの出口で、遂にデザートゴーレムが再度の逆転を果たす。

 それに伴い、勝利を確信した瀬都子はガッツポーズをするも―――

 「さぁ、最終コーナーだ! このままデザートゴーレム、リードを広げるか!?」

 一瞬でクリアされる、最終コーナー。

 その出口に差し掛かった段階で、二台の差は、一馬身すらも存在していなかったが。

 「行ける! 行けるで! デザートゴーレム!!」

 勝利を確信し、熱に浮かされたように、愛車の名を叫ぶ瀬都子。

 「ストレートなら勝てる、レイホークなら勝てる!!」

 同様に、力強く拳を握りしめ、懇願するようにその名を呼ぶ葵。

 その差は瞬時に消え去り、実況が何かを言うまでもなく、最終ストレートを一気に駆け抜ける二台。

 『いっけぇぇぇぇぇぇぇ!!』

 二人の絶叫が、辺りにこだまする。

 数瞬後には、最後のゴールラインを全く同時に駆け抜け、第一コーナーへと差し掛かっていた。

 「…………」

 会場は、水を打ったかのように静まり返っていた。

 遠目に見ていた誰もが、同様の事を思い、徐々に口に出して行く。

 「ど…どっちだ?」

 「い、いや、微妙だったけど、僅かに………」

 そんな会話が、どこからともなく聞こえて来ると、堰を切ったように、大声で司会が高らかに宣言する。

 「何と言う僅差、何と言う激戦! 本当に差と言う程の差が存在しない熾烈なレースを、僅かの差で制したのは――――」

 「やった……やったあぁぁぁ!!」

 高らかに宣言されたはずの勝者の名は、一人の少女の雄叫びに掻き消される。

 勝者たる、葵の。渾身の絶叫であった。

 「………負けちゃったかー」

 微かに微笑みながら、仲良くコースを疾走する二台を的確にキャッチし、器用に二台とものスイッチを切る、瀬都子。

 「はい、あーちゃん」

 茉莉におぶさったままの親友に、姉から受け継いだマシンを、笑顔を絶やさずに手渡す。

 「決勝進出、おめでとうなー」

 「………あ」

 その一言に我に返った葵は、ふと気まずそうに、言葉に詰まりだす

 「せ、セッコ……その、あの……」

 幾ら僅差での勝負を制し、決勝へとコマを進めたとは言え、自分を支え続けてくれた親友が相手である。

 その事を自覚して尚、無邪気に喜べる程、葵は鈍感では無かった。

 しかし。

 「ありがとうなー、あーちゃん! ウチ、ほんまに楽しかった!」

 いつも通り。いや、それよりも遥かに爽快な笑顔で、こちらに微笑みかける瀬都子。

 その表情から、言葉に何一つの嘘が交じっていないであろう事が、ありありと伝わってきた。

 「え…あ……」

 どう反応を返せばよいのか分からず、逡巡する葵に対し、瀬都子は何が言いたいのかが理解しているかのように、言葉をつづけてくる。

 「ん、そら悔しいっちゃ悔しいよ? あーちゃんに勝ちたい言うのもほんまやったし、勝つ為に一杯ミニ四駆の勉強したし、この子も一生懸命改造したし……」

 けどな、と言葉を続け、一瞬だけ愛車に落としていた視線を、再び葵へと戻す。

 「けどな、負けてもウチ、この子と一緒に頑張れて、もうちょっとって所まで立派に走れて…ほんま楽しかったんよ。あーちゃんは違うん?」

 言われて初めて、差し出された愛車を手に取り、少しだけ逡巡する。

 が、迷う程の事では無かった。

 「…僕も」

 目の前の親友に負けないくらい、否、勝つ程の輝きを込めた笑顔のまま、正直に心中を打ち明ける。

 「楽しかった、ホントに楽しかった!」

 その一言に満足気に頷いた瀬都子は、自分の正直な感想を伝える事から、勝者へ激励を掛ける方へと移行する。

 「決勝、頑張ってな!」

 「うん!」

 渾身の気合を入れて応じた、次の瞬間。

 「な、あーちゃん、ウチにもアレ言うてーな」

 「…………アレ?」

 『アレ』の指す物に心当たりが無かった訳ではない。むしろあり過ぎるからこその反応である。

 背筋に冷たい物が走るのを如実に実感しながら、自身の悪い予想が外れて欲しいと、切に願い続ける葵であったが―――

 「ほら、あーちゃん、陸上やっとった頃に、試合終わったら相手に絶対言うとった言葉があったやん。アレ、ウチにも言うてーな」

 「!」

 『悪い予想』が現実の物となってしまった事に、一瞬体が硬直し、その緊張が茉莉にも肌で伝わってくる。

 しかし、『察する』という行為があまり得意ではないガサツな背の主は、葵の強張りの意味など全く考えず。

 「何? 決めゼリフ的なもんか?」

 興味深々、といった感じで食いついてくる師に対し、葵は何とか誤魔化そうと頭を捻るも、全く良い言葉が浮かんでこない。

 「え、ええと…た、確かにそういうの言ってましたけど、もう僕も高校生で、その、アレがそのえーと…」

 素直に『若気の至りを蒸し返されて恥ずかしい』と言うに言えず、狼狽しきった頭脳であれこれと言い訳を並べたてようと努力するも。

 その退路は、あっという間に断たれてしまった。

 「…ウチなー、あーちゃんにアレ言われるの、ちょっと夢やったんよ」

 「!」

 ぽつりと呟かれた、その一言。

 何かを言いだすよりも早く紡がれるその一言一言は、彼女には全く意識は無いのだが、徐々に葵を追い詰めていく事に他ならなかった。

 「なんか、あーちゃんにアレ言われるのって、あーちゃんにライバルやって認めて貰えた証拠やと思って…当時、むっちゃ羨ましそうに聞いとったんよ」

 頬を掻きながらそんな事を言われては、葵には既に拒否権など無いも同然である。

 うー、と、散々悩むそぶりを見せた物の、覚悟を決めざるを得ない現状がそこにはあった。

 「…い、一回だけだからね。もう言わないからね…」

 「!」

 その一言に狂喜したのは、瀬都子だけでは無い。

 野次馬根性全開で聞き耳を立てていた茉莉も、どんな恥ずかしい一言が飛び出すのか、期待で胸が大いに膨らんでいた。

 「…………」

 絞り出すかのように。一息に―――

 「こ、これが僕の、全力です!!」

 二人には聞こえるように―――それでいて、周りの誰にも聞こえないような声量で、かつて愛用していた決めゼリフを口にすると。

 「わー、これやこれ、嬉しいわー」

 「…お前…いや、これは…お前……」

 百八十度温度差の違う、二人の対応に戸惑う葵であったが。

 「……無いわー、流石に」

 「…………ですよね」

 えー? と茉莉の感性に異議を唱える瀬都子であったが、葵はそれを無視して茉莉の一言に首を縦に振る。

 二度と思い出したくもない歴史を穿られた葵の胸の痛みは、勝利の美酒に泥を注ぎ込む様な物であった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 「モーターどうしよう、ライトダッシュのままが良いのかな」

 「ウチのハイパーダッシュ3使う? きっとそうでないと速度負けしてまうで」

 ピット席に戻った葵の愛車を、何とか優勝まで導く為に、二人は早速顔を突き合わせてあれやこれやとセッティングを始める。

 そんな二人を見下ろす形で眺めていた茉莉は、後頭部をひと掻きすると、さっさと車検場へと赴こうとする。

 が。

 「師匠、がんばってなー」

 「決勝、楽しみにしています!」

 自分に無邪気に声援を送ってくれる、二人。

 普通ならば笑顔の一つでも返す所ではあったのだが、思う所のあった茉莉は、極めて自然を装って質問で返す。

 「…なぁ、仮に、の話だけどさ」

 明らかに物憂げな気配を存分に含めたその言葉は。

 「…いや、ごめん、やっぱ何でもないや」

 最後まで二人に届く前に、言い出した張本人によって、強制的に打ち切られる。

 「…どないしたんやろ、師匠」

 「…さぁ?」

 茉莉が二人の過去の全てを知らぬように、二人もまた、茉莉の歩んできた人生を知らない。

 それ故に、彼女が一瞬歩みを止めた理由が分からず、首を捻りだす。

 「やっぱ師匠も緊張しとるんと違うかな、上級者同士? の試合っぽい…ってか実質決勝戦みたいなもんやし」

 「うーん…そうなのかなぁ」

 あっさりと車検でOKを貰い、複雑な表情のままスタートへと歩み出す茉莉。

 その姿を見ながらあれこれと話しても、二人の間に結論が出る事は無かった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 「さぁ! 一コースの屋田選手はMSシャーシのアバンテJr.、三コースの新土選手はベアホークRS、スーパー2シャーシ! 新土選手が一回戦のスピード差を如何に覆せるかが、この勝負のカギとなるでしょう!」

 一回戦の様子からか、明らかに客席からは勝負が見えているかのような雰囲気が漂っていた為、必死に場を盛り上げようとする司会。

 しかし、二人、特に茉莉はその大音声に耳も貸さず、対戦相手に不躾に言葉を投げかける。

 「聞いたよ。葵に何か言って、ミニ四駆に本気にさせたの、あんたなんだってね」

 なるべく敵意が感じられないように言うも、相手はそうは受け取らなかったらしく、元々気だるそうだった表情に陰りが入る。

 「…貴女は?」

 質問とは関係の無い答えが返ってくるも、そりゃそうだとばかりに肩をすくめた茉莉は、気分を害した様子も見せずに、変わらぬ様子で返す。

 「葵と瀬都子…あ、あんたがこの前色々言ったらしい素人二人組の友達…いや、師匠…かな?  ミニ四駆の」

 自分で答えておきながら、明確にぴったりとくる表現が見つからず、首を傾げながらの返答をしてしまうが、昴流は気にした様子もなかった。

 「…そう。貴女が」

 店主から、自分が罵倒した少女が、ミニ四駆に詳しい常連から教えを受けている事は聞き及んでいた。

 それがまさか、強度やセオリーと言う物を一切合切無視したボディに、余りにもオーソドックス過ぎる改造を施したシャーシの融合体を操る少女だとは思わず、少々首を傾げてしまう。

 その所作からか、あるいは考えが表情に出ていたのか。目の前の師匠とやらは苦笑しながら、あっさりと言ってのける。

 「言いたい事は分かるよ。一回戦のショボさで、よくもまぁ師匠だなんだって言えるなー、とかそんな所だろ?」

 「…いや、そんなことは」

 一回戦をそもそも遅刻で見物できなかった為、思わず視線をそらしながら誤魔化そうとする昴流であったが、茉莉は苦笑したままあっさりと認める。

 「自分でも思ってるよ。ヒトのミニ四駆がそれなりに走る所までは教えられたけど、師匠なんて大仰な呼び方される程じゃない、って事くらいさ」

 そこまで認めた所で、昴流から目線を外し、前方のシグナルランプへと向き直る。

 昴流の気のせいか、その横顔に映る表情は、先程の苦笑とは少し趣の異なる笑顔であった。

 「けど、今はちょっと違うっていうか…何て言うか」

 待ちきれない、とでも言いたげに、司会の宣言を無視して勝手にスイッチを入れると、愛車をスタートラインまで構え出す茉莉。

 「負けたく無くなってきた、色んな都合から」

 「…そう」

 何となく接し方に困っていた昴流であったが、相手からそのように申し出てくれた事が幸いし、スイッチが入る。

 「…手は抜かない」

 「ありがたいこって」

 元々手を抜くようなものでもないのだが、改めて全力である事を宣言された茉莉は、今一度自分の心中と向き直る。

 「(あたしが負けたら、絶対あいつら、あたしの事軽蔑するよなー)」

 自分を師匠、師匠と慕ってくれる、二人の同級生。

 たかだか一週間程度の付き合いだったが、長年自分を苛み続けてきた劣等感から、自然と解放へと導いてくれた二人。

 彼女達からの信頼を失う事が、何より今の茉莉には恐ろしい事と言えた。

 「(…ま、受け売り知識だけのヘボ師匠だけど、コイツ倒して葵にも勝てば、まぁ面目躍如くらいはできるかねぇ)」

 存在すらも否定され続け、どうでもよいとすら思っていた自尊心。

 それを俄かに刺激された事で、何年かぶりに、茉莉の心に闘争心が宿った矢先。

 「ゴ―!!」

 シグナルが赤に変わり、二台のマシンが同時に、戦いのフィールドに降り立った。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 葵が自立する事が困難な為、ピットスペースから遠巻きにレースを観戦していた二人は、開始早々に衝撃を受ける事となった。

 「…な、なんやあれ…」

 「…何が何だか」

 一回戦の昴流も大概であったが、目の前で展開されているレース模様はそれ以上。

 少なくとも先程の自分達より、数段上の速度で繰り広げられる展開に、二人は置いてけぼりを喰らうしか無かった。

 「…速い」

 しかし、その場で最も心中穏やかで無かったのは、レース当事者の昴流。

 自身の予想を大きく裏切るレース展開に、瞠目しながら焦る一方であった。

 「いきなりトップに立ったのはベアホークRS! 一回戦で猛威を振るったアバンテ、やや出遅れてしまったか!?」

 司会の実況通り、最内レーンからのスタートにも関わらず、レーンチェンジ前の時点で完全に二番手へと甘んじてしまったアバンテ。

 無論、最内レーンを通っていたと言う事は、レーンチェンジでアウトコースへと変わると言う事。先ほどよりも速度自体は向上していた上でレーンチェンジを超えたが、差は余計に付いてしまっていた。

 「(…やっぱり、ギヤの噛み合いが明らかにおかしい…けど、ここまで差が付くなんて)」

 不慣れな改造の結果、立体には多少適したシャーシが出来上がった物の、ギヤの噛み合いがノーマルに比べて明らかに劣化しており、結果としてスピードのロスに繋がっている。

 その事は百も承知の上で臨んだレースであったが、相手の予想外の速度に、動揺を隠せない。

 「(…パッと見、基本を押さえただけかと思ってたのに…ここまでやるなんて)」

 現状を認識すると共に、基本から逸脱した改造に手を染めたばかりに却って遅くなった愛機の姿を見て、歯噛みする。

 せめてシャーシに余計な改造を施さなければこんな差は付かなかったと、悔やむばかりであった。

 「さぁ、レースもいよいよファイナルラップ! ほぼ独走状態のベアホーク、このまま決着を付けるのか!?」

 序盤の展開をなぞった様な、つまりジワジワとベアホークが差を広げていく展開が二周連続で行われた為、両者の差は歴然とした物となっている。

 その状態で、ようやくベアホークがアウトレーンを走る事となる最終ラップに突入した所で、勝負は火を見るより明らかであった。

 「後はレーンチェンジだけ!」

 「勝てる、勝てるで!」

 足の痛みも忘れて歓声を上げる葵と、それに釣られたかのように、無意味に師を鼓舞する瀬都子。

 このような展開となった以上、彼女達は、全くもって尊敬する師匠の勝利を疑ってはいなかった。

 「(勝てる、勝てる……!)」

 それは、現在優位に立っている茉莉にとっても、同様の事であった。

 彼女にとって、僅か二回目のレースであるが、一回目の余りにも上手く行きすぎた勝利が、ついつい思考を都合の良い方向へともたげてしまう。

 快音を上げながらコースをひた走る愛車からは、微塵も敗北の予兆など感じられなかった事が、尚更それを加速させた。

 「さぁ、ベアホーク、遂にレーンチェンジへ突入! ここを抜ければ勝利は目前だぞ!」

 司会による熱の籠った実況に、尚の事茉莉の都合のよいシミュレートは加速してしまう。

 「(アウトレーンになるけど、この分だったら余裕で勝てる! 勝てる!!)」

 茉莉だけでは無い。

 会場の誰もが、レーンチェンジを悠々と乗り越えて疾走を続けるベアホークの勝利を、確信、否、盲信してしまっていた。

 そんな中――――

 「……減速…しない!?」

 ほんの一瞬だけ視界に映った光景から、絶望的な未来を察知したのは、葵ただ一人。

 ブレーキを付けているにも関わらず、ベアホークの速度が全く落ちなかったのを見て取る事が出来たのは、彼女のみであった。

 その悲鳴にも似た呟きに呼応するかのように―――

 「!?」

 茉莉の。視界の。観客の。

 大勢の眼が、一瞬にして大きく見開かれる。

 その視線の先には、急カーブに耐え切れず、如実にバランスを崩してコース外へと飛ばされていく、漆黒のマシンの姿があった。

 「――――!!」

 全員が、何かを口にするよりも早く。

 仰向けにアスファルトへと叩きつけられたマシンの、華奢と形容してもまだ足りない程に貧弱にされたボディが、無残にも四散した。

 「あ……ああ………」

 言葉を無くし、その場にへたり込む茉莉。

 バンパー類やポールなどにより、上手い具合に地面と接していないタイヤはまだ空周りを続けていたが、だからと言って彼女の敗北に変わりは無かった。

 「あ…こ、コースアウトォ!! ベアホーク、ファイナルラップまで来て無念のコースアウト! ボディと共に、マシンに託した夢も砕け散ったァ!!」

 実況が大声でがなりたてるも、その声は誰の耳にも届かない。

 誰もが、もはやただのプラスティックの破片と化したボディを、空しく空を走り続けるシャーシを、何とも言えない面持ちで眺め続けていた。

 「そ、そして、ただ今アバンテがゴール!! 屋田選手、決勝へとコマを進めました!!」

 勝者が決まろうと、誰ひとりそれを称える歓声を上げる事は無い。

 それほどまでに、数秒前に目の前で起きた光景は、聊かショックが強いと言えた。

 「(…おかしいと思った)」

 手元に戻ってきた愛車を大事にキャッチすると、無残にも砕け散ったベアホークを一瞥し、試合内容を振り返る。

 多少ギアの噛み合いがおかしかったからと言って、控え目に見てもライトチューンと言っても差し支えのない程度の改造しか成されていなかったマシンに完全にちぎられていた事は、違和感しか感じさせなかったからだ。

 「(…たぶん、スラストが緩かったからあそこまで速度が出た。ブレーキで何とかするつもりだったのかもしれないけど、ブレーキも地上高から高すぎて、あれじゃ殆ど無意味…コースアウトも当然)」

 内心で散々言いたい放題言ってのけるも、流石に口に出す事は憚られた為、黙ってピットへと戻ってゆく。

 「(…基本、か)」

 とは言え、恐らくローラー角を付けていても、自分が速度で負けていたであろうことは事実。

 『運が良かった』の一言が無ければ成しえなかった勝利に、複雑な感情を抱く昴流であった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 「(…そりゃ、そうだよな)」

 スタートラインの横で崩れ落ちたまま、茫然とした頭でそんな事を考え出す。

 「(ドシロートの癖に、下手に師匠なんて祭り上げられて舞い上がって…)」

 次々と自虐的な思考が鎌首をもたげ、茉莉自身を責め上げていく。

 「(葵のマシンがまともに走るようになった時点でサヨナラしときゃ良かったのに、下手に調子こいてレースなんて出て…結局みっともなくコースアウト、マシンもぶっ壊れた、か……)」

 はは、と乾いた笑いが出るも、その瞳はまったく笑っておらず。

 「(こーんなみっともねぇ負け方すりゃ、あいつらもあたしに幻滅したろうなー…『今まで』みたいに)」

 思い起こされるのは、つい数か月前までは日常の事であった光景。

 既に感覚がマヒし、何とも思わなくなったとばかり思っていたが、自分に懐いていた二人の少女から掌を返されると思うと、茉莉自身も意外なほどに胸が苦しくなった。

 と。

 「…どう? 何とかなりそうかな」

 「レースに使うんは無理そうやけど、飾るくらいならなんとかなりそうやねぇ。文字通り捨てたもんやないで」

 ふと、視線の先、つまり大破した自分のマシンのあるべき個所に、見慣れた二つの影がいつの間にか集っていた事に気が付く。

 方や神妙な面持ちで棒の様な破片をいじり回し、方やホワイトグレーのシャーシを大切そうに抱える二人。

 「…葵、瀬都子……」

 茫然とその名を呟くと、それに呼応した訳でもないだろうが、こちらへと歩み寄ってくる二人。

 「……………」

 どんな言葉を吐きつけられるのか。

 その一念で、思わず目を覆いたくなる茉莉であったが―――

 「…お疲れ様でした。こういう言い方は適当ではないかもしれませんが…」

 本当にその表現が適切なのかどうか。一瞬だけ迷うも、素直に本心を告げてくる葵。

 「…素晴らしいレースでした」

 え、と茉莉が口に出すよりも早く、そばに居た瀬都子が先に続ける。

 「ほんま、あんな速い屋田さんにめっちゃ大差付けるなんて、やっぱ師匠は凄いなぁー」

 二人の眼に濁りは無く。純粋な尊敬の念だけが、そこにはあった。

 「え…でもあたし、あんなみっともなくコースアウトして…」

 思わず自分を卑下するような反論をしてしまうも、それは即座に、熱を持った声によって掻き消されてしまう。

 「ウチなんて、頑張ってもあんな速くなれる気せーへんし、コースアウトしちゃってもあんな速度出せるってだけで凄いわぁ」

 「その通りです。ブレーキの効きが弱かったのが悔やまれるところですが、それを差し引いても本当に素晴らしい一戦でした。お疲れ様でした!」

 そう言いながら、先程までサーキット内を走り回っていた、今は亡き愛車のシャーシを差し出してくる葵。

 幸いな事に、シャーシに関しては外傷は殆ど見受けられず、真新しさを存分にアピールし続けていた。

 「………葵………」

 受け取って良いものか。自分なんかが。

 そう考え逡巡していると、今度は真っ黒な、枯れ枝の集まりの様な物までも付き出される。

 瀬都子の小さな手に乗ったそれは、まぎれもなく先程大破した、ベアホークのなれの果てであった。

 「師匠、これ、ウチが預からせて貰ってもええ?」

 「…何のために」

 先程から掛けられ続ける温かい言葉の数々が信じられず、半ば抑揚のない声で返してしまうも、瀬都子は気を害した様子もなく目的を明かす。

 「たぶんこの子、レースとかは無理やろうけど、接着剤で繋げれば形にはなるから…頑張ってくれたんやし、師匠の部屋で飾ってーな」

 「…………そっか」

 その一言が、今の彼女が口に出せる、精一杯の一言であった。

 何かを喋る力を全て涙腺を閉める事に使わなければ、きっと決壊してしまう。そんな確証が、茉莉の心中を満たしていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 「さぁ、十分間後に、三位決定戦並びに優勝決定戦を行うぞ! 準決勝に進出した四名は、今一度セッティングに取りかかってくれ!」

 「!」

 何とか涙を堪え切った茉莉と、彼女のボディの残骸を抱えた瀬都子、そして決勝を控えた葵の三人はピットに戻っていたが、ふと司会のそんなアナウンスを聞き、思い思いの反応を示す。

 「さ、三位決定戦なんてあったん…?」

 「知らなかった…葵、知ってた?」

 「いえ、初耳…です」

 戸惑う三人であったが、三位決定戦に出る二人ともが、たった今の会話に加わっていた事もまた、事実ではある。

 「って事は…師匠とセッコが?」

 「え、あ、そか!」

 急に現実を認識した為か、俄かに慌てる瀬都子。

 そもそも大会に敗退した自分に出番があるとすら思っていなかったのに、その対戦相手が対戦相手なだけに、動揺も当然と言えた。

 「ど、どないせよ、さっきのセッティングからどこ変えたらええんやろ…リヤ、リヤなんかな」

 「落ち着いて、落ち着いてセッコ」

 途端に狼狽しだす親友を、何とか諌めようと尽くす葵。

 「(…この二人は…)」

 そんな二人を苦笑しながら見つめていた茉莉は、躊躇なく立ち上がると、自身との勝負を前に冷静さを失う瀬都子に告げる。

 「瀬都子、別に良いよ。マシンいじらなくて」

 「へ?」

 『それってどういう意味ですか』と、二人がハモりだすより早く。

 スタスタと司会の側に歩み寄った茉莉は、その場の全員に聞こえる声で、数メートル先の位置から主催並びに司会に呼びかけた。

 「あー、悪いけどあたし、準決勝の出場資格無いから棄権するから。三位は不戦勝で瀬都子になるからよろしくー」

 「な!?」

 驚愕したのは、葵と瀬都子だけでは無い。

 試合を盛り上げようと尽力してきた司会も同様であった。

 「し、新土選手!? 本当にいいのかい!?」

 「良いも悪いも」

 頭の後ろで手を組み、乙女が行うには聊か行儀の悪いポーズを取りながら、あっけらかんとした声で茉莉は理由を述べる。

 「最初に説明してたじゃん。電池・シャーシ・ボディの交換以外は自由だって」

 「あ、ああ……」

 まだ呑み込めていない司会に苦笑しながら、茉莉は最後まで説明を続行する。

 「あたしのマシンのボディがさっきぶっ壊れたの見てたろ? けどボディの交換はルール違反、だからってボディ無しでの出場なんてそれこそルール違反…つまり、どの道瀬都子の勝ち。仮に交換が許可されても、スペアのボディなんて持ってねーし」

 「そ、それはそうだが……」

 確かに茉莉の言う事には一部の間違いも無いし、出場させたとあってはそれこそ主催側がルール違反を推奨する事となる。

 だが、それでも勝負をせずに勝者を決める、というアナウンスが出来かねる司会に対し、茉莉はとどめの一言を放つ。

 「瀬都子には、またの機会に『挑戦』するよ。だから、今日はもう瀬都子の勝ち。ルール的にもそうだし、あたしの心情的にも」

 その一言だけを残すと、会話は終わりとばかりにピットに足早に向かう茉莉。

 誰の目から見ても、彼女に既に戦意は全くない事は、明明白白であった。

 「そ…それでは、三位決定戦は新土選手の試合放棄により、赤橋瀬都子選手の勝利となりました!」

 「え…あ」

 ギャラリーからの拍手を受け、慌てて立ちあがって何度も例を返す瀬都子。

 その表情が曇ったままである事は、真横に居た葵にしか伝わっていなかった。

 「さて…と」

 やけにさっぱりとした表情のままピットに戻ってきた茉莉であったが、当然それで済む訳もなく。

 「師匠、どうしてなん? どうして棄権なんかするん!?」

 瀬都子からの質問攻めを受けるも、愛車にドライバーを入れながら、受け流すかのように返答をする。

 「さっきも言ったろ。ルールはルールだよ。さっきの時点であたしはもう、このレースに出る資格を無くしたってわけ」

 フロントバンパーとプレートを繋ぐビスを外し、無くさないように簡素なケースにしまいこみながら、ほんの少しだけ寂しそうに笑うと、瀬都子が何かを言いだす前に後を続ける。

 「…それに、瀬都子、それと葵…あんたら二人と勝負する時は、もっとちゃんと…あんたらみたいになってから、ちゃんと胸張れるようになってからにしたいなって」

 「?」

 発言の意図が理解できず困惑する二人に対し、そりゃそうかと笑いながら、次々とプレートからパーツを外して行く。

 「結局今回棄権する事になったのは、マシンの事なんかこれっぽっちも考えずにメチャクチャな軽量化したから。だからさ」

 ライトグレーのシャーシと、黒の中にちまちまと青く輝く何かが見え隠れするプレートを留める最後のビスを外しながら、後を続ける。

 「今度のマシンは、あんたらみたいにちゃんと可愛がってやろうって。それができるようになってからでないと、あんたらと勝負する資格なんて無いなー、って思ってさ」

 「………師匠」

 二人ともそれ以上何も言う事が出来ず、ただ茫然としてしまう。

 そんな二人の心中を知ってか知らずか、茉莉は瀬都子ではなく、葵と向き直って行動を促す。

 「ほら、葵は決勝の準備しなきゃ。今のままじゃたぶんあいつに勝てないよ?」

 「そ、そうでした」

 その一言を受け、改めて椅子に座り直し、今一度愛車の見直しに移る。

 「…これ、ホントに良いの?」

 口車に載せられて…というよりは説得に応じてマシンに搭載したモーターを指し、改めて困惑しながら、脇に立っていた瀬都子に尋ねる。

 モーターはマシンの心臓、という事を表現するかのように血の色をしたエンドベルは、ハイパーダッシュ3。先程まで瀬都子のデザートゴーレムの原動力となっていたそれが、白いXシャーシに搭載されていた。

 「ええってええって。決勝進出のお祝いって事で」

 「でも……」

 尚も言い淀む葵の口を封じるかのように、瀬都子が畳み掛ける。

 「それに、あーちゃんが優勝してくれたら、ウチは『優勝した人に負けた人』やけど、あーちゃんが決勝で負けたら『負けた人に負けた人』やからね。ウチとしても何としても勝って貰わな、困るんよ」

 「………そっか」

 無論、それが方便である事が、葵に理解できない筈が無かった。

 それでも。

 「(…このレースだけ、借りるね)」

 友の想いを汲み、モーターをハイパーダッシュ3のまま、電池をセットしようとする。

 しかし、そんな葵の眼前に、一本の棒のようなものが差し出された。

 「?」

 それが何かを確認しようとする前に、差し出した張本人の姿を確認する。

 と言っても、振り向く前に検討は付いていたが。

 「これ使いな」

 案の定、丸眼鏡の少女が差し出した物であったが、差し出された『物』の正体が分からず、戸惑ってしまう。

 「FRP…ですか?」

 黒々とした、棒というよりは板に近いそれを手に取るが、自分の知っている物と似ているようでだいぶ異なっていた事から、いまいち正体に確証が持てない。

 自分の知っているFRPプレートよりも厚く、黒一色ではなく青い細かな光を反射しているそれは、葵にとって未知のパーツであった。

 「カーボンプレート…まぁFRPよりもっと硬い奴だと思ってくれればいいけど」

 言いながら手を離し、先程まで自分のマシンのフロントに付けていたそれを、完全に葵の手に委ねる。

 「流石に大径にハイパーダッシュ3だと、FRP1枚だけじゃ不安だからさ。FRPの代わりにコレつけときな」

 「…ですが」

 往生際悪く、中々好意を素直に受け取ろうとしない葵に対し、掌をひらひらとさせながら返品拒否の姿勢を示す。

 「決勝、楽しみにしてくれてるって言ってたろ? それを反故にした詫びと、あとはあたしからの決勝進出祝いって事で。それなら文句ないだろ?」

 「い、いえ、文句とかそういうのでは…」

 自分が拒否をしている理由を勘違いされて、違う方面に戸惑う葵であったが、その焦りを余所に、茉莉は勝手に言葉をぶつける。

 「あたしも瀬都子も、葵に勝って欲しいからパーツ渡したんだよ。だから―――」

 「勝ってな、あーちゃん!」

 横から勝手に後を継ぐ瀬都子と、その前に発破を駆け出した茉莉。

 「(…こんな僕に)」

 自分に期待している二人に応える為に―――

 「はい!」

 力強く頷くと、早速カーボンプレートの取り付けに取り掛かる葵。

 「…お前、美味しい所持ってくのが趣味なのか?」

 「いや、そういうわけやないねんけど…」

 脇でぼそぼそとそんな事を話す二人に構っている時間すら、今は惜しい。

 タイムリミットは、すぐそばまで迫っていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 アバンテJr.。

 三十年以上の歴史を誇るミニ四駆史上、最も売れたと称されるこのマシンであるが、昴流がこのマシンを愛車と決めた事には、そんな事は欠片も関係無かった。

 「…………」

 緊張自体は殆どしていないが、決勝戦を間近に控え、再度各部の最終点検を行う。

 ギヤ周りはもう諦めるとしても、ビスの緩みやローラーのコンディションなど、確認すべき点は幾らかあったからだ。

 「…父様」

 鮮やかな蛍光オレンジに彩られたボディを、愛撫するかのように一撫でする。

 そうする事で、自分が何のためにこの場に居るのかを再度確認し、心がほんのりと温まる気がしたからだ。

 「…………」

 いつまでもそうしている訳にも行かず、バッテリーを収め、ボディキャッチを留めると共に、チラリと横目で対戦相手の姿を見やる。

 一心不乱にフロントに細工しているその姿は、とてもつい二週間前、何も分からずに整備不良のマシンを走らせて首を傾げていた少女と同じ物とは思えなかった。

 「…………」

 たかが二週間で、自分と肩を並べる場所にまで上り詰めたその姿は。

 「…余計な一言だったのかな」

 迂闊に傷つけた事による罪悪感を、より一層加速させた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 普段通り、車検をパスしてスタートラインに付いた昴流は。

 「あの、少しだけお時間頂けませんか?」

 その一言で、真横からその声をかけてきた人物―――葵に、嫌が応にも向き合わざるを得なくなってしまった。

 「………」

 つい返す言葉に詰まってしまい、無言のまま向かい合う事となる。

 「(…何言われるんだろう)」

 心当たりはあり過ぎる。

 二週間前に暴言を吐いた以上、目の前の少女からの心象は限りなく悪いに違いない。そう考えていた昴流は、何を言われても仕方が無い、くらいの心づもりで居た。

 しかし。

 「…あの、試合前にこんな事を言うのも、おかしな話だとは思うのですが…どうしても試合前に、一言お礼を述べさせて頂きたかったんです」

 「…え?」

 予想外の一言を受け、思わず聞き返してしまう。

 罵詈雑言を吐かれる筋合いはあっても、感謝の意を表される謂れなど、彼女には皆目見当もつかなかったからである。

 目を白黒させている間に、随分と出で立ちの変わった水色のマシンを握りしめた少女は、一瞬だけその機体に目を落とすと、再度こちらに向き直って、正直に思いの丈をぶつけてくる。

 「…僕がこの子に酷い事をしていたと貴女に指摘されなければ、きっと僕はこの子をもう一度部屋に仕舞い込んで、ミニ四駆の事を忘れて…きっと、今まで通り、暗い気持ちのまま過ごしていたんだと思います」

 けど、と一旦言葉を区切り、正直に率直な思いを伝える。

 「けど、貴女のご指摘があったお陰で、師匠と出会えて、こうしてミニ四駆やるようになって…その」

 一瞬だけ言葉を選ぶ素振りを見せるが、結局飾らずに伝える事を選び、淀みなく後を継いでゆく。

 「…とても楽しいんです。一年ちょっと前と同じくらい…いや、それ以上に」

 「…!」

 楽しい。

 その一言に軽いショックを覚える、昴流。

 そんな自分の変化には気づいた様子もなく、ただ只管に、思いの丈をぶつける続ける少女の言葉は、多少混乱した昴流の頭にもすんなりと入り続けていた。

 「ですから、今日、もし貴女に逢えたら、あの日のお礼を言おうと…それと、この子をちゃんと走らせられるようになったって認めて頂きたい…そう思ってたんです」

 「……そう」

 自分が認めるも認めないも、既に二回のレース、三名もの選手を下してここに立っている以上、まともにレイホークを走らせる事が出来ているのは自明の理である。

 その事を伝えようと口を開くが、またも先を制されてしまう。

 「…思ってたんですが、失礼を承知で言わせて頂きますと、ほんの少しだけ…やりたい事が変わりました」

 「?」

 先程から自分の想定していない言葉ばかりを発する少女に混乱しつつも、昴流は律儀に次の一言を待つ。

 すると、すぐにその先の言葉は、彼女の鼓膜に到達した。

 「僕の友達や師匠に、さっき口々に言われたんです。『勝て』って。みんながそう背中を押してくれたのに、ただ貴女に認めて貰いたいだけ、って言うのは、その…申し訳ないな、って」

 「………そう」

 そこまで言われれば、答えを言われたも同然であった。

 しかし、敢えて相手からの一言を待っていると、すぐにその先の一言も飛んでくる。

 「だから…僕は貴女に勝ちます。『認めて貰う』なんて消極的なやり方じゃなくて…」

 「…認めさせてみて。私に」

 最後まで言葉を聞くまで辛抱できず、つい割って入ってしまうも。

 「はい!」

 目の前の少女は、それまで見た事が無いほどに澄み切った表情で、力強く頷いた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 「宣戦布告かー。葵ってあんな激しい性格してたっけ?」

 ひゅー、と息を吐きながら、驚きの色を多分に含みながら茉莉が瀬都子に尋ねる。

 常に敬語、という葵の態度がそう思わせていただけなのか、控え目な性格だとばかり思っていた茉莉にとって、挑戦的な葵の態度は、かなり意外に見えた。

 「…昔、中学二年くらいの頃のあーちゃん、陸上とかの大会やといっつもあんな感じやったんです。さっきの決めゼリフもしょっちゅう言ってたし」

 「ああー…結構痛い子だったんだ」

 ハッキリ言ってしまうと、即座に瀬都子による訂正が入る。

 「そういうんやなくて、好きな陸上で競う事がほんまに好きやったみたいで。負ける事自体そんな無かったけど、負けたら負けたでちゃんと自分から握手したりして…」

 「あー、熱血スポ根タイプか、いまどき珍しいこって」

 基本的に中学以降、同類の様な人間としかつるむ事の無かった茉莉にとって、ある意味対極に位置するような存在。

 普段ならばその熱気を鬱陶しく感じたりもしたものだが、葵に関しては不思議とそのような思いを抱く事は無かった。

 「…師匠、ほんまにありがとうございます」

 「ほへ?」

 唐突に礼を言われ、思わず素の感想を返してしまう。

 一方の瀬都子は、正直に本心を吐露する事が恥ずかしいのか、顔ごと目線を茉莉からそむけたまま、話を続け出す。

 「ミニ四駆始めるまで、ほんまにあーちゃん、この一年毎日落ちこんどって…怪我した時よりは大分良くなったけど、それでも昔と比べると別人みたいになってもーたんです」

 「…まぁ、そりゃそうだろうな」

 話を聞いている限り、以前の葵にとって、陸上がいかに大切な存在だったかは聞かずとも理解できる程である。

 それが奪われたとあっては、どれほどのダメージを心に与えたのか。想像するに余りある事であった。

 「けど、ミニ四駆初めて、変わったと言うか…昔のあーちゃんにだんだん戻ってきたみたいなんです。っつっても子供っぽくなったとか、そういう事やなくて…」

 「まー、昔に戻ってるだけなら、決めゼリフももっとノリノリだったろうしな」

 先程、瀬都子にせがまれて、顔を真っ赤にしながら過去の過ちを繰り返していた葵の姿を思い出し、ぼやくように言う。

 少なくともあの言動を恥ずかしいと思えるほどには、彼女も成長しているという何よりの証拠と言えるだろう。

 「別にこの一年間のあーちゃんを否定する訳やないんやけど、やっぱり元気な方があーちゃんっぽいし…あーちゃんが元気取り戻せたのも、ミニ四駆の…師匠のおかげかな、って」

 まるで眩しい物を見るかのように、スタートラインに付く親友を眺める瀬都子に対し、苦笑しながら茉莉は返す。

 「別にあたしは何もしてないって。ただ単に教えてって言われたから教えただけ」

 手をひらひらと鬱陶しそうに振り、本心から否定する。

 「せ、せやけど」

 意地でもこちらに再起の原因がある、とでも言いたげな瀬都子であったが。

 「さぁ、いよいよ決勝戦のスタートだ!!」

 満を持してのアナウンスに、俄かに盛り上がりだす会場。

 流石に会場がそうなってしまっては、それ以上言及する事も出来ず、言葉を飲み込まざるを得なくなってしまう。

 「(…後でちゃんと、お礼言わなあかんなー)」

 やや憮然とした表情ながらも、最優先すべきは友の応援。

 瀬都子はあっさりと割り切ると、本日最後のレースを執り行うサーキットに向きあい、声援を出す事に徹すると決めた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 会話を終え、レース開始を宣告するアナウンスを耳にすると、俄かに顔が上気していくのが分かる。

 異変が起きているのは顔だけでは無い。心臓の脈打ちも、既に痛みすら感じるほどに激しく、速くなっていく。

 「(二週間、か)」

 ずっと置物のように仕舞い込んでいたマシンを、本来あるべきフィールドに戻すようになり、それだけの時が過ぎた。

 否、たった二週間しか過ぎていない、という方が適切かもしれない。

 「(付け焼刃も良い所なんだろうな、本当は)」

 チラリと二つ隣のレーンの、橙色のマシンを横目で見ると、頭の中には大量のクエスチョンマークが浮かんでくる。

 見た事もないパーツの数々。カタログでしか見た事の無いシャーシ。そもそもこんなマシンが存在したのかと言いたくなるようなボディ。

 それらの「?」は全て、葵がレーサーとして如何に未熟で、駆け出しに過ぎないかの証拠となっていた。

 しかし。

 「(…だからって、負ける根拠にはならない、よね)」

 ボディ後部のエアインテークから少しだけ姿が覗ける銀色のカップは、瀬都子からの贈り物であるハイパーダッシュ3モーター。

 フロントから僅かにその姿を見せる、青ラメが印象的なカーボンプレートは、師匠から受け継いだ品。

 それらの姿を一目見ただけで、早鐘の様になっていた自身の鼓動が、熱を保ったまま急速に落ち着きを取り戻して行くのを、葵はハッキリと自覚していた。

 「さぁ、両選手、スイッチを入れてくれ!!」

 遂に訪れた、運命の時を告げるアナウンス。

 重厚なXシャーシのスイッチをしっかりとずらすと、今までにないほどに力強い回転音が、彼女の鼓膜を打ちつける。

 決して試合中にスイッチが戻って走行不能に陥らぬよう、最後までスイッチがONの方向に振り切れているかを目視で確認し、マシンを裏返してコーススレスレまで運ぶ。

 「(セッコ、師匠、本当にありがとう…そして)」

 司会の絶叫が、辺り一面に響き渡る。

 それと同時に、最上段のランプが赤く灯ると、次々と下へ下へと移動していく。

 そして―――――

 「ゴ―!!」

 「(勝つ!!)」

 かつて、情熱と野心に溢れていた頃、常日頃抱えていた想い。

 それと全く同じ二文字を心中で吐き出しながら、蒼いマシンをサーキットへと放した。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 「っっしゃ!!」

 同時にガッツポーズしたのは、瀬都子と茉莉の二名。

 周囲から奇異の目線を受けるであろう事を無視してでもそれを行わざるを得なかった程に、葵のスタートは完璧と言えた。

 鮮やかな橙に彩られたアバンテより、一瞬速くサーキットを駆け出すレイホーク。僅かな差ではあるが、最初から有利を得た事に変わりは無かった。

 「さぁ、またもフライングギリギリの好スタートを切ったのは青宮選手! この僅かな差が勝負を決する一因と化すのか!?」

 三度もそのスタートを間近で見ている実況も、興奮を隠せずに絶叫する。

 「(…また!)」

 準決勝を見ていた為、ある程度把握できてはいたが、自分が対戦相手の立場で絶妙なスタートを切られると、やはり舌打ちの一つもしたくなる。

 しかし、何を思おうが、既にマシンは二人の手を離れている。彼女にできる事は、スタートで付けられた差を愛車が乗り越えてくれる事だけだった。

 しかし。

 「さぁ、準決勝から更にスピードを増してきたレイホーク、スタートのリードを徐々に広げていく!」

 「…ッ!」

 予想より遥かに分の悪い展開に、思わず奥歯を小さくきしませる。

 万全な状態では無いとは言え、準決勝のスピードのままであれば、例えストレートであっても差を付けられる道理は無かった筈だが。

 「(モーターを変えてきた…?)」

 急激なスピードアップと言えば、それくらいしか思い当たる節は無い。

 確認する術など無かったが、バッテリーの条件が対等である以上、それくらいしか思い当たる節など無かった。

 「さぁ、屋田選手は魔のレーンチェンジに差し掛かる! ここをクリアしなければその先は無いぞ!!」

 既に一週目も中盤、最内レーンを走っていた昴流のアバンテが、幾多の選手を散らせたレーンチェンジに差し掛かる。

 「ここでコースアウトしてくれりゃ助かるんだけど」

 ぼやくように敵の不幸を望む茉莉であったが、既に二戦を同様のセッティングで勝ち残っているマシンが、そのような醜態を晒す道理もなく。

 「あっさりクリアー!」

 実況の絶叫が入ってくる前に、肩を落とさせるような光景が目に飛び込んでくる。

 「そらそうよなぁー」

 どことなく期待していたような口調の瀬都子が、茉莉の心中を代弁するかのように、半ば投げやりに言う。

 しかし、そんな事を考えている余裕など、すぐに二人の―否、昴流以外の全員の頭から消え去ってしまう。

 「(追いつかれる…!)」

 葵の背に、冷たい物が走る。

 元々Xシャーシがコーナーに弱い事など、知識のみならず二度のレースで十二分に自覚していた事ではあったが、それでもすぐにこちらの貯金を使い果たさせるように迫ってくるオレンジの閃光に、戦慄を感じざるを得ない。

 「おっと、コーナーに来てアバンテ、レイホークを猛追!! どうやらこの二台のセッティングは全く異なる点に重点を置いているようだ!!」

 あれよあれよという間にサイド・バイ・サイドの様な様相を見せる。

 しかし、二台が完全に並んだ所で、ようやくレイホーク最大の泣き所であるコーナーが終わり、解放されたかのようにレイホークがトップスピードへと乗り上げる。

 「た、助かった……」

 胸を撫で下ろす葵であったが、すぐにそんな場合ではないと気が付き、思い当たった事実に喝を入れられる。

 「一週目はレイホークがリード! だがレースはほぼ互角のまま、二週目に突入だ!」

 ゴール前の最後のストレートで若干稼いだ葵のマシンが優勢のまま、二週目に入る。

 しかし、その持ち主の眉間は、険しいままであった。

 「行けるで、これ! トータルであーちゃんが勝っとる、行けるで!!」

 狂喜しながら友の勝利を確信する瀬都子であったが。

 「んー…どうかねぇ」

 一方の茉莉は、葵程では無いにせよ、渋い表情でレースの行方を見守り続ける。

 その態度は、瀬都子を不安がらせるには充分過ぎる物があった。

 「ど、どしたん? 師匠…」

 「だってさ」

 その問いかけに、二台のマシンから目線を離さないまま答える。

 「一週目、確かに葵の方がちょっと速かったけど…向こうはレーンチェンジがあった上、そこからのコーナーが一番外側で走行距離長くなってるからなぁ」

 「!」

 ようやく現状が呑み込めた瀬都子が、思わず息をのむ。

 更に追い打ちをかけるように、茉莉は更に懸念している内容を話す。

 「その上、葵のマシン、確実にレーンチェンジをクリアする為にブレーキ強めにしてるだろ?」

 「そっか、そこで思いっきり減速してまう…」

 流石の瀬都子も言わんとしてる事が理解できたが、不安視する材料はまだ尽きない。

 「それで、思いっきり減速してから、よりによって一番外側のコーナー…正直、かなり微妙だぞ…しかもモーター替えたから、レーンチェンジクリアできるかどうかもわかんねぇし」

 幾ら考えても全く先の見えないレース展開に、二人は歯噛みする。

 だが――――

 「行ける……!」

 思わずそんな言葉が、葵の口から漏れだす。

 二週目のストレートも間もなく終了し、一週目より多少増えたリードを保ったまま、苦手の連続コーナーへと突入する。

 そんな状況だからか、あるいはもっと別の何かがあったのか。

 「勝てる……!」

 だんだんと葵の言葉に、確かな力が宿って行く。

 勿論、何の根拠があった訳でもなく、自らを鼓舞する為の戯言と言われても何ら反論のできない言葉ではあった。

 しかし―――

 「おっと、連続コーナーを終えた所で、依然レイホークが首位を守り続けている!」

 「!!」

 実況の言う通り、遂に均衡が崩されたレース展開に、観客の誰もが息を呑む。

 『ストレートで引き離し、コーナーで並ぶ』という一週目を踏襲した展開通りであったが、それでもアバンテが差を詰め切れなかった現状は、はっきり葵に有利な展開である事の証左であった。

 「(どうして………ッ!)」

 当然の事ではあるが、自分にとって全く望ましくないレース展開を強いられる昴流の表情は、だんだんと険しくなっていく。

 『どうして』と言いつつ、このような状況になっている原因は自分の無茶な改造にある事くらい、当の昔に理解していた事である。だからと言って、素人に追い詰められているこの現状を、納得できる道理も無かった。

 「さぁ、レイホーク有利のままファイナルラップ! レーンチェンジを超え、青宮選手が栄冠を掴むか!?」

 最後のストレートで再度差を広げたレイホークが、独走状態に入るべく、ひたすらにコースを駆け抜けていく。

 「行ける、勝てる、あーちゃん勝てるで!!」

 「あと一周! 勝てる勝てる!!」

 興奮を隠そうとしないのは、葵の応援団と化した二人だけでは無い。

 「ちっこい嬢ちゃん、勝てるぞ!」

 「アバンテの姉ちゃん、まだ勝ち目あるぞ! 諦めんな!!」

 長かったようで短かったレース。

 その最後を締めくくる一周に、ギャラリーの誰もが我慢する事が出来ず、好き勝手に声援を飛ばし出す。

 「勝てよー! 俺の太陽に勝っといて負けんなー!」

 「アバンテが勝ってこそミニ四駆のロマンだろーが! 意地見せろ意地をー!!」

 もはや声援を通り越して怒号に近い物が、住宅街という立地を忘れて飛び交いまくるも、既に渦中の二人の耳には届いておらず。

 「行ける、頑張れ、頑張れ……!」

 葵がそんな事を呟くも、急激な進化を遂げたレイホークと、長年の技術の結晶のアバンテにとって、このコースは余りにも狭く。

 あっと言う間に、最後の勝負どころであるレーンチェンジに、蒼空を思わせる一台のマシンが差し掛かった。

 「さぁ、遂に魔のレーンチェンジ! ここをクリアしなければ青宮選手に勝利はやってこない!!」

 実況が周知するまでもなく。

 その場に居た全員が、ここの如何で勝負が決する事を知っていた。

 そして。

 「!」

 葵には、確かに見えていた。

 瀬都子の提案通りにブレーキを下げた事が功を奏したか、先程のベアホークとは違い、確かに一瞬だけ速度が落ちた愛車の姿を。

 『行っけえええええええええ!!』

 葵の。否、三人の、我慢の限界であった。

 声を上げた所で何が起こる訳でもない。そんな事は分かり切っていたが、それでも叫びたい衝動を抑えきれなかった三人が、同時に叫ぶ。

 そんな叫びが天に通じたか―――

 「っし! 行けるぞ!!」

 スロープを降りるレイホークの挙動が、全く乱れていない事を目視した茉莉が、勝利を確信して叫ぶ。

 「行けるで!!」

 幾らアウトレーンとは言え、これだけの差があれば何とか逃げ切れる。

 「レイホーク、どうやら無事にレーンチェンジをクリア! さあ後は両選手、ゴールへ向かうのみだ!!」

 瀬都子だけでなく、茉莉も、実況も―――場の誰もが、その推測を確信する。

 「行け――――」

 行ける、と発しようとした葵の口が。

 ガガッ、という、僅かに聞こえた異音で、そのまま固まってしまった。

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