4-1 スバルンも!?
「くっそぉ……」
見るからにがっちりとした体型を、ラフな服装に包んだ男性の額に、脂汗が浮かぶ。
130kgのバーベルを持ち上げられる屈強な肉体であっても、全く解決してくれない目の前の現状が、ひたすら彼には歯がゆかった。
「はっはっはー! いっけー!!」
それとは対照的に、小学生にしか見えないほどの小さな背丈の少女が、腰に届かんばかりに伸ばした茶色のポニーテールを振り乱し、元気一杯に叫ぶ。
だからというわけでも無いだろうが、彼女の視線の先で快走を続ける真紅のマシンは、後続との距離をじわじわと引き伸ばしていった。
「参ったなー…」
うなり続ける男性の横に立っていた、細長い体型の青年が、神経質そうに自らの眼鏡を上下させる。
しかし、彼も、横で愛車を睨み続けている男も、二人とも小柄な少女に全く歯が立っていない現実は、一向に改善しないどころか、悪化の一途を辿っていた。
「さぁー、葉月ちゃんがファイナルラップに突入! なるか三連覇!!」
審判と実況を兼任している店員が、ニコニコ顔でそんな事を言うと、葉月と呼ばれた少女は満面の笑みで答えながら、あからさまに挑発的なことをのたまいだす。
「とーぜん! ボクもマンタレイも、こんなとこで負けてる場合じゃないからね!」
「くっそぉ……」
その一言を受け、隣の二人の男性が怨嗟の声を上げるも、彼女の自信を裏付けるかのように、サーキットはめまぐるしく終局へと向かってゆく。
スロープ、レーンチェンジ、数枚が連続で配置されたウォッシュボード、店員手作りのデジタルカーブ。
コースアウトを誘発するための数々のセクションを、まるで意に介さずに駆け抜けてゆくその姿は、まさに赤い閃光と呼ぶに相応しいものがあった。
そして、最後のバンクを悠々と征服し、メインストレートに帰ってきたそのマシンは、堂々とゴールテープを踏み締め、三連覇達成のウィニング・ランへと洒落込みだした。
「ゴール!! 宝の山草津店の第二十四回店舗レース、優勝はまたも紅林葉月ちゃん、なんと堂々の三連覇でーす!!」
「いやったぁー!!」
当然、とは言いはしたものの、それでもやはり勝利という事実は嬉しいのか、小柄な体躯を一杯に駆使して歓喜する若葉。
そんな彼女に近付く、三つの人影があった。
「……葉月ちゃん、おめでと……!」
「へっへーん! どーだ!!」
親友の下川千花が、控えめなファッション同様の態度で、おずおずと祝福してくるのに対し、精一杯でかい態度で受け答えする。
「このままHMTCで当然滋賀代表になって、そのまま当然全国制覇! その野望のためにも、こーんなところでつまづいちゃいらんないって!」
「はっはっは、そうだ、その意気だぞ紅林君」
長身の少女が、艶たっぷりの自慢の黒髪をなびかせ、妙な高笑いをしながら近寄ってくる。
「全国制覇、そして次に宇宙一になったら更に世界一を目指さなければならないんだ。こんなところで負けてるわけにはいかないんだぞ、分かったか下川君」
「予選落ちが準決勝進出者にえらっそうに言うな」
背はさほど高くないにせよ、やたら発育のいい体型を服装で何とか隠し通している高校生が、相方の態度に苦言を呈す。
しかし、当人は屁でもないとでも言いたげに、ある意味では正論に聞こえないこともない理屈をぺらぺらと吐き出す。
「はっはっは。準決勝敗退だろうが予選敗退だろうが、結局負けに変わりはないぞ。敗者は何も得ず、ただ電池とシャーシとかの寿命とやる気と根気と、あとはまぁそんな感じの諸々を失うだけさ」
「それが一生懸命頑張った後輩に対する態度か…!」
余りの暴論に怒る気力もなくなり、ひたすらに頭を抑えて頭痛と格闘し続ける。
幸い、言われた当人の千花は、親友の三連覇の表彰式を祝福するのに手一杯で、こちらの会話などとうに聞こえていないようであった。
「チクショー、もう葉月ちゃんにぜんっぜん勝てなくなってきたなぁ」
準優勝の商品を受け取った、ガタイのよい男性がぼやく。
旧知の仲とはいえ、流石に自身の親友の妹に手も足も出ずに敗退したという現実は、三十路間近の男性には堪えるものがあった。
「しょーがないしょーがない! ボクの走りは兄貴仕込みだから、武兄ちゃんが勝てないのもとーぜん!」
「どういう意味だ!」
年下の少女にからかわれ、年甲斐もなくムキになる。
だが、互いに本気ではなく、すぐに男性も落ち着きを取り戻し、葉月と千花に落ち着いた口調で提案する。
「そうだ、葉月ちゃんに千花。俺、今日久々の非番だから、仕事の報告がてら泰司の見舞いに行くけど、二人はどうする?」
不意に口を出た一言に、二人は目を輝かせて即答する。
「兄貴の見舞い!? 行く行く、トーゼンじゃん!」
「…た、泰司さんのお見舞いなら…私も……」
元気よくうなずいた親友の妹と、おずおずと首を縦に振った自身のかわいい妹。
その二人の態度に気をよくした男性は、満足げな笑顔を見せると、何度となく二人を乗せた自家用車に向かって歩き出す。
と。
「ち、ちょっと、二人とも! 明後日からの合宿の話し合いと準備が……」
先ほど相方をたしなめ続けていた、ミディアムボブの少女が二人を引き止めにかかる。
しかし、肩にそっと手を置かれ、嫌でも制止せざるを得なくなってしまった。
「まぁいいじゃないか。話と準備なら明日でもできないことはない可能性だってあるかもしれないっぽいわけだし」
「暗にできないって言ってんじゃ…」
何の根拠もなく自信満々に言ってのける相手に抵抗の言葉を浴びせるも、相手は部長で自身は副部長。
結局、長身の少女の発言に、最終的な決定権があった為、彼女が良しといえばそうせざるを得なかった。
「…あーもー、コースとか自炊用の調理器具の準備とか、具体的なスケジュールの作成とか、あと先生と話して先方に持ってきてもらうもののリストを送ったりとか、学校側への正式な申請とか、やらなきゃいけないことなんか腐るほどあるってのに……」
「中間管理職の辛いところだな! 部下の顔と名前と趣味を把握するところから頑張れ!」
堂々と言い切る部長様であったが、とたんに胸倉を掴まれ、凄まれてはおとなしくせざるを得ない。
「…あんたが一番頑張れよ……!」
「はっはっは。どうした利原くん。割と真面目に呼吸器の辺りがいい具合に締め付けられて、そろそろ呼吸がしんどいから手を離してくださいお願いしますいやほんとヤバい助けて」
どんどん顔を蒼白にし、声量がどんどん小さくか細くなっていく部長を適当な頃合で解放し、利原幹乃はその巨大な胸を撫で下ろす。
「…まぁ、しょうがないか。お兄さんの見舞いとあっちゃね」
「うむ。快方を祈るのは大事だぞ。パック寿司に入ってるバランくらい大事だ」
一通り吐き出し、一応の落ち着きと、二人分の仕事が実質自分ひとりに降りかかってくる事の覚悟ができた幹乃と、相変わらずマイペースを貫く若森一枝の間に、安穏とした空気が流れ出す。
が。
「……バラン?」
「あの緑のぎざぎざした存在価値のよくわからんアレだ。知らないのか」
「んな正式名称知らんし、大事なのかどうでもいいのかどっちなんだ」
なんだかんだで、二人は今日も平和であった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
明日から、待ちに待った五連休が始まる。
本来であれば、その五日間は一日たりとも休まず、ひたすら彼氏のアパートでプチ同棲生活と洒落込む、まさしく黄金週間となるはずだった。
その事を思い返すと、新町莉沙は、無性に壁でも蹴ってストレスを解消したい衝動に駆られたが、寸でのところで押し留まる。
そんな現場を見られて、例の風紀委員長様に見つかったら、どれほどの罰が下るのか想像するのも恐ろしかったからだ。
やり場の無い怒りを無理に飲み込もうとした莉沙であったが、そんな必要は、次の瞬間吹き飛ぶ事となった。
何を主だった使用用途としているかすら思い出せないが、普段立ち入った記憶の無い教室の前に、見慣れない看板が設置されているのが目に付いたからだ。
「?」
普段はそんな事しないだろうに、何となくその作り立ての看板が気になり、貼り付けられた紙に妙にきっちりと書かれた文字を目で追う。
「えーと……『ミニ四駆部設立 部員募集中 新入部員歓迎』?」
その文字の意味を一度頭の中で咀嚼すると、つい先日まで恋人だった男に、つい先日告げられたばかりの言葉が、鮮烈に蘇る。
『―わり。正直お前、ミニ四駆ミニ四駆で全然ヤらせててくんねーし、オタクすぎて付いていけねーわ。俺ら別れたほうがよくね?』
元々、莉沙はそこらの大多数の女子高生同様、ミニ四駆に全く興味も関心も持っていなかったが、たまたまリサイクルショップで見かけたイケメンがミニ四駆に熱心だったため、お近づきの口実となるために興味のある風を装って、見事逆ナンに成功と相成っていた。
しかし、彼女自身誤算だったのは、彼女とミニ四駆が妙にウマが合ってしまい、彼からの肉体関係を要求するサインに気付かないほどに没頭してしまい、それが故に愛想を付かされた事だった。
「……ミニ四駆」
破局の原因(と、彼女が思い込んでいる)アイテムの名を見せ付けられ、途端に苦虫を噛み潰したような表情を見せる。
とは言え、苛立った所で既に連絡の取れなくなった彼氏とのヨリが戻るわけでもなし、一旦落ち着くために嘆息した莉沙の脳裏に、妙な興味が湧き出す。
「……さて、ミニ四駆で貴重な女子高校生時代を捨ててるバカって、どんなツラしてんのかなー……」
自分の事を棚に上げているようで、その実は心中で愚かな仲間を欲しがる莉沙は、そんな事を呟きながらドアに手をかけようと手を伸ばす。
「…………!?」
途端に、何かとてつもなく嫌な気配を感じ、瞬間的に感情が冷え、怒りが根拠不明の恐怖へと変わる。
「え、何? 何かヤバくね?」
本能が危険を訴えかけているが、好奇心は猫をも殺すという言葉がある。
怖いもの見たさゆえに、中に居るはずの何者かに気取られぬよう、少しだけドアを開け、中の様子を伺うと―――
「んだよ! 言う通りにしてやっただろうが! 何で勝てねえんだよ!!」
その怒声と共に、恐らく机か何かが蹴飛ばされたのだろう、耳障りな轟音が耳朶を打つ。
狭い隙間ゆえに、声の主を視認する事は叶わなかったが、姿を見ずともその声を聞いただけで、怒り心頭の人物が誰であるのか、嫌というほど理解できた。
「(…確か、今のって、一年でヤバイってウワサの…名前なんだっけ?)」
若干姿勢を変えて視線の向きを変えてみると、確かに要注意人物として噂の、ある意味期待の一年生が肩で息をしている。
が、その問題児に詰め寄られて尚、全く余裕を崩していない人物の方が、ある意味では問題と言えた。
「キットのままのマシンで、安定して勝ちが狙える訳が無いだろう。今からあらゆるパーツと使い方、様々なセッティングを可能な限り把握して、戦い方を探すところからスタートだ」
理路整然と相手の逃げ道を潰すその姿は、一部からは崇拝すらされているが、反面一部からは非常に煙たがれている、風紀委員長の姿。
『好き勝手やっても何も言われないから』という理由で阿久比商業に進学した莉沙にとっても、極力関わりたくない存在であった。
「(うーわ…何であの鬼委員長いんの? ミニ四駆部とか書いてなかったっけ?ミニ四駆やってんのあの鬼?)」
及び腰になっていると、そんな渦中にあっても非常に落ち着ききった―というよりは無気力な第三の声が耳朶を打ってきた。
「……馬鹿馬鹿しい。私は降りる」
その一言と共に、たった今まで気だるげに目を落としていた文庫本をポケットに仕舞い、今の今まで噛んでいたであろうフーセンガムを膨らましながら、立ち上がる。
「(あ、えーと、隣のクラスの……名前なんだっけ?)」
記憶には確かに居るのだが、具体的に話したこともなければ話題に上がるわけでもないため、特に名前を覚えていなかった同級生が、一直線にこちらに向かってくる。
幸い、こちらに気付いた素振りは、欠片も見せていなかったが。
「待て、どこへ行くつもりだ、都月」
当然のようにその姿を見咎めた風紀委員長が、止める為の一言を発するも、相手の意思を変えるには至らないらしい。
「降りると言っただろう」
「全国を狙おうという、僕の提案じゃ不満か」
その一言が癪に障ったのか、感情の乏しい先ほどまでとは一転し、あからさまに不機嫌さを露にして食って掛かる。
「その言葉に騙されてみたら、このザマは何だ? お前はともかく、一人は素人以下、そもそも大会の規定人数にすら達してない…そんな有様で何が全国だ、ふざけるのも大概にしろ」
「ッ……!」
痛いところを突かれたらしく、珍しく二の句を次げなくなってしまう真琴。
彼女をかばったわけでも無いだろうが、横からしゃしゃり出てきたのは、絢火であった。
「んだと!? 素人以下たぁ随分な言い草じゃねえか、陰キャラごときがよ!」
「あ?」
その一言に露骨に気分を害した都月が、行く先を出入り口ではなく、生意気な後輩の目前へと変更する。
数歩でたどり着くと、そのまま胸倉を掴み、意外な腕力を発揮して片手でそのまま宙吊りに持っていく。
「誰に向かってモノ言ってんだ?素人以下のウジ虫ごときが」
「んだテメェ! 離せ!!」
当然のように、回避行動を取るべく、自らを掴んでいる右手に両手の握力を込め、力任せに外そうとする。
その結果が出るよりも早く、二者の間に真琴が割り込み、絢火の決して小さくは無い身体を無理矢理開放させた。
「二人ともいい加減にしろ。同じチームでやっていく仲じゃないか」
「そもそも人数不足でチームとして成り立ってないのに、何を言ってんだか」
興が削がれたとでも言いたげに、真琴を一瞥すると、もう一度扉に向かって歩みだす。
「おい、都月―――」
「せめてあと一人、ドシロートじゃなくてまともに走れる奴連れてから出直して来い」
その一言を吐き捨て、話は終わりだと言わんばかりに、憮然とした表情の二人を残して歩みだす。
「(え、流れわかんないけど、これさっさとトンズラこかないとヤバい?」
目の前で繰り広げられるバイオレンスな展開に見入ってしまったのが運のつきと言うべきか、早足で都月がこちらに向かってくる。
幸い、僅かな隙間から覗いていたが故に、こちらに気付いている様子は無かったが、かといってグズグズしていたら面倒な事になるのは目に見えていたため、回れ右した上で逃亡を図ろうとしたが。
振り向く前に、背後から何者かに強く押され―――
「!?」
決して肥満体という訳ではないが、それでも数十キロはある体重を、老朽化した引き戸へと無防備にぶつけてしまう。
あちこちが磨り減ったドアは、無常にも彼女の体重を支えきれず、勢いあまった莉沙ごと、見事に教室に特攻する形となった。
「!!?」
当然のことながら、教室内に居た三人の注目が、反射的にこちらに集まってくる。
奇跡的にもガラスが割れなかった上、ドアの倒れてくる位置に居た都月が反射的に回避行動を取ったため、誰一人けが人が居ないのが不幸中の幸いといえた。
「何だ!?」
当然の疑問を、絢火が叫ぶ。
だが、その一言でハッと我に返ったらしい真琴が、自分の脳内のアーカイブを必死で漁りだした。
「君は、確か二年の……」
「(…やっべー…)」
相手がこちらの事を思い出すよりも早く逃げ出したいが、状況が状況なのでそうも言っていられない。
とりあえず逐電を謀ろうとしたが、目の前に転がっていた、とても見覚えのある物体を視認したところで、心臓が口から飛び出そうになる。
「!?」
「…ポータブルピット?」
怪訝な真琴の一言で、改めて現状を理解する。
転倒した衝撃で、何故かチャックの開いていた自分自身のエナメルバッグから、容易に他人と区別がつくようにこれでもかとステッカーを貼りまくった一段のポータブルピットが、飛び出てしまったのだと。
「あ、えーと……」
何をどういうべきか、一瞬逡巡しているうちに―――
「…君、もしかして入部希望者か!?」
弾かれたように叫ぶ真琴の一言に、頭が追いつかず、軽くパニック状態となってしまう。
「え、ちょ、ちょい待っ……」
「すまない、失礼するよ」
このような事をするべきではないとは分かっているが、一言だけ断りを入れると、了承を得ないまま淀みない手つきで、ステッカーまみれのポータブルピットのドアボックスを取り外す。
その上段に収納されていた、紙製のボックスに収められていたマシンを一瞥すると、それを翳す様に掌に載せ―――
「……どうだ、都月。これで文句はあるまい?」
「…………」
普段滅多に喋らないだけに、迂闊な一言を漏らした経験に乏しかった都月は、自分のコミュニケーション能力の欠如を初めて疎ましく思った。
彼女が自信家という事を差し引いても、真琴がまるで我が事のように自慢げに見せてくるマシンは、都月からすれば脅威とは到底見做せない程度のもの。
だが、決して素人だと鼻で笑える程度のレベルではない事も、事実ではあった。
「…昨日今日、うちの部活の看板を見かけたから興味を持ちました、なんて子が作れるレベルじゃない。そうだろう?」
目を引くような独自要素こそないものの、トレンドをそれなりに取り入れたオーソドックスな、良くも悪くも無難なセッティング。
それを派手な色合いでコーディネートした一台は、決して昨日今日始めたような素人の作れるものではない事くらい、都月にも十二分に理解できた。
が。
「…肝心な事を忘れてないか? そいつは単に冷やかしに来ただけで、本当に入部希望かどうか分からないじゃないか」
苦し紛れの一言ではあったが、実際的を得ているのも、確かに事実ではあった。
「(…あれ? これもしかして、ゴタゴタに巻き込まれかけてる?)」
ようやく現状を把握した莉沙の表情が、途端に曇っていくのが、誰の目にも手に取るようにわかる。
それを察知した真琴の行動は、事の他素早かった。
「君! 我が校のミニ四レーサーなんだろ!? 是非とも力を貸してくれ!」
すばやく莉沙の肩を掴み、困惑の色を湛えたその瞳を、真剣そのものといった表情で間近に見据える。
「(……お、鬼委員長、よく見ると割とイケメン……いや、落ち着け、女だぞ女だぞ…)」
麗人とまで評される真琴の熱い視線を受け続けた莉沙は、自分の意思とは関係無しに、どんどん頬が高潮していくのを自覚した。
「で、でも、ウチはそーいう熱血タイプ、ガラじゃないっていうかー…」
「そんな事は無い!」
目を逸らしながら、精一杯の拒否をしてくる莉沙に対し、真琴は説得と言う名の篭絡を緩めない。
「美しいカラーコーディネート、無駄の無い合理的なセッティング…君の心が表れているようだ。純粋かつ可憐、それでいて情熱が込められている……君の熱意が僕の心に直に伝わってくるのが分かるよ」
「そ、そんなこと言われても……」
言葉とは裏腹に、声音は満更でもない感が徐々に出始めている。
それを鋭敏に感じ取った真琴は、止めとばかりに、こちらに向けられた莉沙の左耳に、そっと吐息と共に口説き文句を吹きかける。
「…君じゃなきゃダメなんだ。是非とも僕の力となってほしい」
「…………!」
惚れっぽい性格が災いしたか、それとも単に真琴のテクニックの賜物か。
「……う、ウチでよければ、力くらい貸しても……」
相変わらず顔はそっぽに向けたままだが、耳まで真っ赤になった莉沙が、あっという間に陥落する。
その一言を聞いた真琴は、無言で頷きながら振り返り―――
「よし、決まりだな」
しれっとした表情で、そんな事を言ってくる真琴に対し、怒りよりも呆れが先に出てきた二人は。
「……なんだコイツ」
「…そのうち刺されて死にそうだな、別に構わんが」
物騒な事を言い合う二人であったが、早速書類の作成に取り掛かりだした真琴の耳には届かない。
かくして、阿久比商業ミニ四駆部は、大会への出場資格を手に入れることに成功した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「まぁ、まだ一年だし、部活に熱を上げるのも後々いい経験になると思うぞ。私の立場から言うことじゃないかも知れんが、先生はお前の申し出をうれしく思うぞ」
学校の担任と同じくらい親身になってくれる、予備校の若い男性教師が、笑いながらそんなことを言ってくる。
てっきり、自分の身勝手な申し出に雷を落とされるのではと内心冷や汗をかいていた昴流は、少しばかり拍子抜けしていた。
「それに、みんな部活だ旅行だのと不参加表明してきたから、お前一人しか参加しない予定だったからなぁ。しかもお前物理は完璧だし、ぶっちゃけ何教えりゃいいのか悩んでたから丁度よかった」
「いや、それは……」
プロ意識の余りに欠ける発言に、流石に一言物申したくはなったが、すぐに自分の罪悪感を軽減させるためのジョークだと思い直し、その口を噤む。
代わりに、素直に頭を下げて、教務室から退室することにした。
後ろ手に扉を閉め、そっと一息つくと―――
「あれー? スバルンじゃん。どったの?」
自分をそんな風に呼ぶ人間は、この世にひとりしかいない。
暢気な声が響いてきた方向を見ると、綺麗に染め上げたジュエルピーチの髪を流行のエアリーショートに纏め上げた、いかにも遊んでそうな容姿の少女が、コンビニのビニール袋を片手に突っ立っていた。
「…ああ、原山さん」
その姿を視認した昴流は、珍しく柔和な表情でその名を呼ぶ。
彼女こと原山雛菜乃は、人付き合いの苦手な昴流とも、他校の壁を乗り越えてあっさり友人関係を築き上げてしまうほどの人当たりの良さを持った少女であった。
とはいえ、問題点も無いわけではなく―――
「……とりあえず、そのから揚げが刺さった串、仕舞ってほしいのだけれど」
「ん?」
『どうした』と言ってこちらに話をさせつつ、寂しい口元を紛らわせる為に噛み付いたホットスナックは、予備校の廊下で突っ立ったまま口にするのは、いくらなんでもはしたないにも程がある。
そのことに流石に苦言を呈した昴流の心中はさておき、ニンニクか何かの強烈な芳香を発するそれを、雛菜乃は絶賛した。
「おいっしー! 流石揚げたて! スバルンもいる?」
「いや、いらないから。それに匂いが酷いから仕舞って頂戴」
まだ三つほどから揚げが刺さったそれを気前よく差し出してくるが、強烈な匂いがどんどん撒き散らされていくことと、そもそも廊下で堂々と立ち食いすることを彼女の常識がよしとしない二つの理由で、昴流は即答で却下する。
だが、少しだけ残念そうな表情をした雛菜乃は、すぐに立ち直ると、まだ口内に残った肉を噛みながら堂々と開き直ってくる。
「だいじょーぶだいじょーぶ、後でちゃんとブ○スケア食べとくから」
「…いや、貴女の口臭じゃなくて、周りに撒き散らされてるこの匂いが迷惑だって言ってるのだけれど」
「ちぇー」
そこまで言われては、流石の雛菜乃もあきらめざるを得ない。
湯気が立ち上りそうなほど熱々のそれを仕方なく袋に戻して密閉すると、改めて昴流に問いかけた。
「んで、なんで優等生のスバルンが教務室に?」
「ああ、そのこと…」
問われて、一瞬だけ逡巡する。
とはいえ、特に隠すようなことでもないため、いたって普通に明かすことにした。
「部活の合宿が急遽決まったから、ゴールデンウィークの特別講習をキャンセルさせて貰ったのよ」
「スバルンが!?」
周りをはばからぬ大声を出しながら、目を飛び出させんばかりの勢いで驚愕する雛菜乃。
口にから揚げが残ってなかったようで何よりだと、昴流は心底安堵した。
「あのクソマジメなスバルンが部活!? しかもそれを理由に講習をキャンセル!? ありえねー…」
「…どーいう意味…」
いろいろと問いただしたいことはあったものの、今までの自身の言動を省みると、そう言いたくなるのも無理はないと思い直す。
肩をすくめて自身の心中のクールダウンを図り、改めて説明をし直した。
「ミニ四駆っていう、走る模型があるんだけど…もうすぐそのミニ四駆で、高校生限定のチーム戦があって、私も一応それに出…じょ……?」
説明を続けていた昴流の口調が、途中で止まる。
雛菜乃が、余りにもはしたなく、口を驚愕の形に大きく見開いたまま、制止していたからだ。
「…何?」
なんとなくムッときた昴流が、ややきつい口調で尋ねると。
今度は昴流が、似たような表情をする番となった。
「…スバルンも!?」
「『も』? ……って事は」
驚愕に顔を固めたまま、雛菜乃がやけにデコレーションを重ねた学校指定のカバンに手を突っ込み、小さなポーチを取り出す。
その中から現れた、パープルクリアにラメを振り掛けるという手法で派手な塗装が施された逸品は、まさしくミニ四駆そのものであった。
「雛菜乃も代表なんだよ。明大寺の」
「……まさか」
まったく思いもよらなかった現実に、しばし絶句する。
どう反応を返すか、昴流が迷っているより早く―――
「よっしゃ! この前の模試で微妙に負けた分、ミニ四駆でスバルンに逆襲だ!」
「…勉強の借りは勉強で返しなさいよ。返させないけど」
すぐに明るさを取り戻し、能天気なことを言ってくる友人に、ついムキになって言い返す。
あはは、と天真爛漫に笑う友人に、少しだけ毒気を抜かれる昴流であったが、同時に胸中に暗雲が立ち込める。
「(…明大寺、か)」
彼女の在籍している高校名を、改めて反芻する。
日本全国の公立高校における東大進学者数で、常に三本指に数えられるほどの実績を堅持している、超が付くほどの進学校である、明大寺高校。
ミニ四駆は、基本的に理屈が大きく物を言う競技である。だからといって、偏差値が全てを決めるという訳ではないが―――
「(……手強い相手になりそうね)」
豊明高専以外に見つかった壁に、慄く昴流。
その戦慄が杞憂であってほしいと、彼女は心底から願った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
病院のベッドの上で、タブレットを用いて夕刊を斜め読みしていた男性が、ノックの音で顔を上げる。
その乱雑な音の主は、彼の知りうる限り、一人しか居なかった。
「いいぞー」
他の入院患者の迷惑にならぬよう、配慮して声を上げると。
案の定の顔が二つ、小走りに駆け寄ってきた。
「兄貴ー! 調子どうー!?」
「……泰司さん……!」
自分の妹である紅林葉月と、親友の妹である下川千花。
かなり歳が離れてはいたが、二人が赤ん坊の頃から見守ってきた泰司にとっては、どちらも分け隔てなく大切な存在であった。
「お陰様で随分、な。今日にでも仕事に戻れるくらいだ」
折角見舞いに来てくれた二人を安心させる為に、大仰に握りこぶしを作って健康をアピールする。
と、二人と比べると比較的珍しい顔が、ぬっと覗いてきた。
「ならとっとと戻ってこいや。テメェが休みっぱなしだから、こっちにしわ寄せが集中してんだよ」
「おう武士、相変わらず元気そうじゃねえか」
若干不機嫌そうな様子を見せながらも、こちらが健在な事に僅かながらの安堵を見せる同僚に、サイドボードに置いてあった五日前の朝刊を翳す。
「俺の居ねぇ間に、手柄だけガッツリ頂いてんじゃねーよ。こういう大捕物やる時は俺も呼べってんだ」
そこには、数件の強盗殺人事件に関与したと見られる中年のグループが逮捕されたとのニュースが派手に踊っていた。
「呼んでよかったなら、胸倉掴んででも引きずり出すべきだったな。有力なタレコミがあってから裏取りだ逮捕だ聴取だっててんやわんやで、文字通り寝る暇もなかったんだぞ」
不機嫌そうに言いはするが、その表情には、市民を脅かす犯罪のタネを見事に潰したことへの誇りが垣間見える。
それが、療養により長い休職生活を送っている泰司には、何よりも羨ましく思えた。
と。
「兄貴ー、仕事の話ばっかりじゃなくて、ボクの話も聞いてよー」
しょっちゅう見舞いに来る上、暇さえあればメッセージを送ってくる葉月が、それでも不満なのか腕を引っ張って注意をひいて来る。
もう少し仕事の話をしたいというのが本心ではあったが、警察は守秘義務が特に厳しい仕事であるが故に、そろそろ潮時にした方がよい。
何より、かわいい妹にせがまれては無碍にできない、というのが、泰司の正直な気持ちでもあった。
「明日から合宿で、愛知の人たちが来るんだって。ボクに勝てる奴なんて居ないと思うけど」
「随分な自信だなー…」
妹の欠点の一つである慢心を目の当たりにした泰司が、ぼやくように言う。
それと同時に思い出した事があったので、そちらに話を振ってみた。
「そういや、今日、ショップレースだったんだっけ?」
「うん! 決勝で武兄ちゃんに勝って、ボクの三連覇だよ!」
待ってましたと言わんばかりに、二カッと笑いながら、カバンから愛車を取り出し、目の前に翳してくる。
堂々の三連覇を果たしたマシンのボディは、彼が予想したとおり、いつものピュアーレッドのマンタレイJr.であった。
「おいおい、また負けたのかよ武士」
意地悪く笑いながら同僚を煽ると、露骨に不機嫌そうな顔になった武士が、言い訳がましく不機嫌そうな声を出す。
「最近嫁がエステだかなんだかにハマりやがってよ。小遣いガンガン削ってきやがって、昼食代でピーピーで620の新調すらままならねーんだぞ。勝てるわけねぇだろ」
「いい年した大人がみっともないぞー!」
「……お兄ちゃん、大人気ない……」
実妹の千花と、妹同然の葉月に口々に煽られ、返す言葉も無い武士は、いじけるしかできる事が無くなる。
と。
ポケットに入れていた、頑丈さ最優先のスマートフォンが着信を示したため、武士は助かったとばかりにそれに飛びつく。
「はい、こちら下川!」
「病院の中でケータイ使うなー!」
「いや、今は原則的に大丈夫だぞ」
少しばかり時代遅れの注意をする妹を泰司が諌めるのとほぼ同時に、病室内に武士の素っ頓狂な叫び声がこだました。
「何ですって!? 岡本のスタンドで殺し!? 分かりました、すぐ向かいます!」
そう言いながら通話モードをオフにした武士の顔は、嫁に逆らえない情けない亭主や、親友の妹の掌で転がされる情け無い男ではなく、市民を守る一人の戦士の面構えに見事に変貌を遂げていた。
「千花、葉月ちゃん。近くで殺人が起きたから、俺すぐに現場に向かわなきゃならねぇ。バス代やるからすぐに帰……」
言いかけた口を途中で止めると、すぐに別の指示を飛ばす。
その姿は、まさに切れ者の警察官としての武士の姿そのものであった。
「いや、やっぱり不安だ。一緒に来なさい、二人ともすぐ家まで送ってやるから」
「あ、うん」
その言葉に、二人が素直に首肯したのを見ると、病室を飛び出そうとする。
「武士!」
そんな背中に、泰司が病床の身を押して、精一杯の声を張り上げる。
「俺が復帰するまで、一課の名に泥を塗るなよ!」
「何ほざいてやがる! 一時間後には逮捕の速報流してやるよ! アホ面下げてテレビでも眺めてやがれ!」
そう怒声を上げながら、二人の少女の手を掴み、家と現場へと急行していく同僚の姿。
彼が大言壮語をほざく時は、決まって成果が出る時。
それを熟知していた泰司は、安心してベッドに身を横たえた。




