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3-5 それが貴様の本性か

 鶴間都月という人間に対し、九割…否、十割の人間が抱く共通の感想として、『無愛想』が挙げられる事を想像するのは難しくない。

 必要最低限の会話以外を殊更拒み、放課後に飲食店で悪口大会なぞ持っての外。誰かと雑談に興じている姿すら、誰も見たことが無いと断じてよい程であった。

 事実、都月にとって、他人は疎ましい存在でしかなかった。何故自分は自分、他人は他人と誰もが割り切れないのか、彼女にとっては不思議でしかなかったのだ。

 「阿久比商業二年の鶴間都月君、だね?」

 当然、友達も居らず、部活動にも所属していない都月には、祝日だからといって用事があるわけではない。

 その為、だれにも邪魔される事なくのんびりと愛車を走らせるべく、朝一で馴染みの模型屋に来た都月は、その一言に猛烈にうんざりし、膨らませかけたフーセンガムを口の中に戻した。

 「…………」

 無言で声のした方向を見ると、余り…と言うより、全く見たいと思っていない顔が、不敵な笑みを浮かべて突っ立っている。

 一応、愛用の丸眼鏡の位置を直すも、その余裕綽々と言った態度を見せる人間の顔が、変わるわけではなかった。

 「ここに来れば君に逢えると思ったが…どうやらうろ覚えな記憶も、満更捨てたものでもないらしいね」

 「…………」

 何が言いたいのかが分からない都月は、先ほどから無遠慮に語りかけてくる真琴に、不快そうな表情を隠さずに無言で応対する。

 が、元々他人との接触そのものを嫌う性分が我慢をすぐに打ち破ったため、会話を打ち切るために会話に臨む事となった。

 「……風紀委員長様に、わざわざ休日の模型屋で声を掛けられるほど、大それたことをしでかした覚えは無いね」

 「そう邪険に扱わないでくれよ。傷つくだろ」

 言葉の割に、肩をすくめながら苦笑で返す態度に苛立ったのは、自分の性根に起因するものではないだろう。

 どう皮肉を込めて返すべきか、さほど良いと自分でも思っていない脳髄をフル回転させている間に、真琴はゆっくりと歩を進め、壁にかけられているボードをしげしげと眺める。

 現在、床に展開されている巨大なコースの、上位十人までのラップタイムが記載されているそれの一番上には、『鶴間都月』の名が堂々と記されていた。

 「この店は、全国区で有名な店だと聞いていたが…そんな店で堂々のレコードホルダーとは、予想以上だな、君は」

 「……?」

 その一言で、都月の頭上にクエスチョンマークが浮き出る。

 学校の規律をほぼ一人で取り仕切り、半ば無理矢理に阿久比商業の治安を標準並みの水準に引き上げたこの女が、何故この店―東海ラジコンの性質を知っているのだろうか。

 色々と気になるところではあったが、兎に角ひたすら会話を終わらせたかった都月は、無言でピットボックスをリュックサックに仕舞いだし、逐電のための準備を整える。

 人が来ないうちに存分に走っておこうと思った計画をおじゃんにされた事に、激しい怒りを感じていたが、わざわざ怒りをぶつけるのも面倒であった。

 当然。

 「鶴間君、君の力を借りたい」

 「お断り」

 具体的に何の助力を仰いでいるのかすら聞かず、即断で却下すると、くたびれたリュックを背負う。

 だが、肝心の会話相手は、失望したような表情すら見せず、つかつかとこちらに歩み寄ってくる。

 「もうすぐ、高校生限定の、ミニ四駆のチーム戦が行われる。そのメンバーとして、是非君を迎え入れたいんだ」

 「風紀委員様に日本語が通じないとは、意外だね」

 その一言を吐き捨てるように言うと、何故だか腹立たしく思えるほどに快晴の外の世界へと踏み出すために、ドアに手をかける。

 しかし。

 「…分からず屋さんだな。話くらい聞いてくれてもいいだろう?」

 右肩を掴まれ、意外に強い力で、身体を反転させられた挙句、背を壁に軽く叩きつけられる。

 そして、一瞬の事に狼狽している間に、真琴の右手が自らの左頬を掠めるように壁を叩き、その端麗な顔を、息で眼鏡が曇らんばかりの距離まで密着させてきた。

 「…僕はなんとしても、君が必要なんだ。そう、君がね」

 「…………」

 当然ながら、他人との関わりを極力排してきた都月にとって、これほどまでにパーソナルスペースを侵害された事など、いまだかつて無い。

 多少腹立たしい事ながら、相手が中性的な容姿の麗人であっても、不快に思う気持ちに変わりは無かった。

 「……なるほど、面白いな、君は」

 都月の小さな鼻に乗せられた丸眼鏡の奥に潜む瞳に宿る光が、今までこの手で篭絡してきた少女たちとは明らかに違う事に気がついた真琴は、面白そうに微笑む。

 そのような反応をするとは思っていなかった都月が、不意を撃たれて面食らっている間に、真琴は面白そうに感想を述べだす。

 「僕に迫られたコは、大抵顔を真っ赤にして、僕の言う事を聞いてくれたものだが…絢火といい君といい、どうも最近は偏屈なコと縁があるようだ」

 「流石は風紀委員長様だ。貞操観念も相応のものをお持ちなようで」

 直接的に嫌味をぶつけると、流石に思うところがあったようで、肩をすくめながら真琴が抗議してくる。

 「勘違いしてもらいたくは無いが、唇も身体も綺麗そのものさ。ただ僕は、自分にある武器を活用させてもらってるだけさ」

 「結構結構」

 不良の巣窟と呼ばれた阿久比商業を、たった一人で、それもたった二年で標準並みの治安に向上させた女傑だけはある。

 他人を無理矢理自分のペースに、意図的に巻き込むその技術に内心で舌を巻いた都月であったが、会話する気など元々これっぽっちも無いため、さっさと話を打ち切ろうとする。

 「改めてお断りさせてもらうよ。私は…」

 「チームなんて組む気はおろか、そもそも大会にすら出る気は無い。そうだろう?」

 勝手に言葉を途中から乗っ取られ、元々不快感丸出しだった都月の眉間に、更に皺が寄る。

 この至近距離でそれに気付いていないはずが無いが、真琴は涼しげな表情で勝手に種明かしを始めた。

 「店主が教えてくれたよ。この店に、いつもレコードタイムを叩き出す凄腕の女子高生が居るが、一度たりとも大会に出たことが無いとね。一応人前でタイムを叩き出すから、不正では断じてないそうだが」

 「コースレコードの更新にしか興味が無いのでね。他人と同時にヨーイドン、なんて興味が無いんだ」

 その一言と共にいそいそと帰り支度を始める都月を、あえて強行に妨害したりはせず、真琴は頭脳をフル回転させる。

 「(…さて、どう言いくるめるべきかな)」

 そもそもミニ四駆をやっている女子高生自体が希少種な上、かなりの凄腕ともなれば、当然真琴には勧誘を諦めると言う選択肢は存在しない。

 だが、当然のことながら、こちらの意向などお構いなしに荷物を纏め終えかけている少女には、全く出場の意思はなさそうだった。

 「(…まごついてたら、手遅れになりそうだな)」

 妙案が思いつかなかった真琴は、下手に手を打つのを放棄し、単刀直入な勧誘に務める事にした。

 「…中々の天邪鬼だな、君は」

 「?」

 言っている事の意図する所が分からず、つい無言のまま、反応を返してしまう。

 それを知ってか知らずか、都月に背を向けて歩き出した真琴は、感慨深げにコースレコードの記載された、古ぼけたホワイトボードを見上げた。

 「ランキング一位、鶴間都月…なるほど、見れば見るほど堂々としているな」

 「お褒めに預かり光栄だね」

 全く抑揚の無い声で吐き捨てると、時間の無駄だったとばかりに立ち去ろうとする。

 その右足が、中に浮く前に、真琴の一言でぴたりと停止した。

 「…何故、本名なんだい?」

 「…………?」

 人との関わりを極力排してきた為か、真琴の言葉に含まれる真意が読み取れず、無言を貫くしかない。

 それでも、本能的に何かを察した彼女の身体が、勝手に冷や汗を流しだす。

 「別に、レコードを更新するだけだったら、わざわざ本名を用いなくても、匿名かニックネームで充分だろう。むしろこのご時勢、正直にフルネームを衆人の下に晒す事は、リスキーとすら言える」

 「…何を言いたいのかが分からないね」

 見に覚えの無い話を一方的にされている。

 そう言わんばかりの態度を取る都月であったが、その表情に、僅かに動揺が見られる。

 「…優れた実力を持った者は、その実力を公に認めてもらいたいもの…何かの本だか漫画で、そんなセリフを読んだ気がするよ」

 「…………私がそうだ、と?」

 さほど親しくも無い人間に、心中を見透かされるような真似をされて、不快感を覚えない人間などそうはいないだろう。

 対人関係に殊更壁を作りがちな都月であれば、尚更と言えたが。

 「責めるつもりなど更々無いさ。むしろ君の卓越した技量から考えると、君の自己顕示欲はかなり控えめだと言っていい」

 「…………」

 付き合いきれない、と思ったのか。

 あるいは、真琴の鋭い眼光を浴びせられ続けていると、更に心の深淵まで覗かれてしまう様な、恐怖心に駆られたからか。

 無言で引き戸に手をかける都月の背に、いよいよ本題がぶつけられる。

 「…さっき言ったチーム戦だが、学校側から正式な部活動として認定されているチームのみが出場を許される、文科省絡みの全国大会…即ち、入賞した場合は堂々と履歴書に書ける分、ある意味いち私企業の大会であるジャパンカップよりも、公的な権威は上かもしれない」

 「…………!」

 その一言で、中々に長身かつ引き締まった都月の背が、ピクリと反応を見せる。

 お世辞にも偏差値が良いとは言いがたい阿久比商業高校は、かつての悪評も祟り、卒業後の進路に対して見通しの暗い者も多い。

 そのような環境が自然と抱かせる、将来への漠然とした不安と、彼女自身の自己顕示欲との二つを同時に刺激すると、流石にその無表情な背にも、かなりの動揺が見えた。

 「…どうだろう? 名店でひっそりと活躍する謎のレーサーが、全国規模で華々しくデビューするのに、お誂え向けの舞台とは考えられないかな?」

 「…………」

 一瞬見せたその動揺はどこへやら、普段どおりの調子で靴を履いた都月は、そのまま無言で引き戸を開く。

 初夏に近い、爽やかな日差しが差し込んでくるも、真琴の心中には暗雲が立ち込める。

 「(…うーん……厳しいかな)」

 が。

 「…少しだけ考えさせてもらおうか」

 都月がポツリと漏らした一言は。

 珍しく、真琴に胸を撫で下ろさせるほどの威力があった。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 聞き慣れた小鹿模型店のドアのきしむ音が、新たなる来訪者の存在を告げる。

 淀みのない足つきで、店内最奥のコースへとたどり着いた黒江涼希が口を開くよりも早く、歓迎の一言が待ち受けていた。

 「せんせー、朝イチ言うたん、先生やん」

 「たかが五分で喚くなクソガキ」

 開口一番、こちらを非難してきてきた瀬都子を軽くいなしながら、黒江涼希は他の三名に向き直った。

 「いつまでも付きまとわれてもめんどくさいのでの。これ一度きりですっぱり諦めるんじゃな」

 「…負けると決まったわけじゃありません!」

 毅然とした表情と、強い語気で言い返してくる葵に、一瞬面食らう。

 それもすぐに持ち直し、再度の挑発をかけ、様子を見る事にした。

 「千鳥の奴から、儂の腕について聞いてないとは思えんがの」

 「聞いています。お姉ちゃんが言うには、黒江先生は相当な実力者だとも聞いてます、けど!」

 一旦言葉を区切り、改めて宣戦布告を行う。

 「僕たちにだって、引けない事情があるんです! 何としても大会に出るために、この一戦は負けられないんです!」

 「…………ッ!」

 こちらの視線を真っ向から受け止めた上で、激しく睨み返してくる、小柄な教え子。

 つい数週間前まで、毎日を力なく過ごしていた少女と同一人物とは、とても思えなかった。

 それに。

 「(……どうでもいいところばかり、あのバカに似おって!)」

 かつての最大の敵の姿がダブり、一気に口内に苦いものが駆け巡る。

 何を言おうか、一瞬逡巡している間に―――

 「ちょっと待ったァ!!」

 妙に威勢の良い声で乱入してきた生徒の方を、黒江はうんざりとした表情を隠さずに振り向く。

 知性の象徴として用いられる事の多いメガネをかけているにも関わらず、さほどおつむの良さそうな風体をしていない茉莉が、愛車を突き出しながら一方的な要求を始めた。

 「葵を倒したけりゃ、まずはあたしと瀬都子を倒してからにしな!」

 『!!!?』

 発言した当人以外のほぼ全員の思考回路が、一瞬フリーズする。

 「…………は?」

 簡潔ながら、様々な思いが込められた一言を黒江が発すると、茉莉は当然だとでも言いたげに、滅茶苦茶な要求を一方的に告げる。

 「そもそもキャリアありまくりな上、パーツだろうが何だろうが買いたい放題のお前と、ミニ四駆始めて一ヶ月経ってねぇビンボー高校生の葵とタイマン何ざ勝負になるわけねえだろうが! そんなもんで勝って嬉しいのかよ、この恥知らず!」

 「それは殺してくれ、という意味かのう?」

 額に青筋を浮かべ、いつものように女性にしては高すぎる握力をフルに用いて、茉莉の頭蓋を締め上げる。

 「あがああああああああああああああ!!」

 普段とは違い、眼鏡のツルごと圧迫されたため、その苦痛は普段の比ではない。

 「…………てゆーか、なんでウチなん……?」

 「……勢いだけで言ったんじゃないかなぁ……」

 その様子を呆然とした様子で眺める、葵と瀬都子。

 と。

 「…………なるほど」

 ブツブツと何事かを呟きだしたかと思いきや、納得したように一人で頷く昴流。

 その様子を、攻撃を受け続ける茉莉以外の三人が怪訝な様子で見ていると、昴流は黒江に向き直った。

 「…確かに、新土の言っている事にも、一理無くもないと思いますが」

 「…ほう?」

 一度も指導や注意を受けるようなことを行わず、常に品行方正で、教師たる自分の手を一切煩わせない。

 その為、内心贔屓していた昴流からの一言に、茉莉とは違いしっかりと耳を傾ける。

 「そもそも、先生は一度は顧問就任を了承したにも関わらず、青宮千鳥さんとの確執…あるいは怨恨が原因で、公教育の場における決定を個人的な理由、かつ一方的にそれを破棄しています」

 「(どこまでバラしおった、あの野郎…!)」

 内心歯噛みするも、この場に居ない人間へのストレスをぶつけるべき相手は、目の前の優等生ではない。

 怒りの矛先を探している間に、昴流はずけずけと無遠慮に言葉のナイフを次々と刺し続けた。

 「それを撤回させるチャンスを与えてくださったのは良いのですが、ルールの全ては黒江先生の一存によって定められたものであり、先ほどそこのバ…じゃなくて新土の言った通り、こちらに不利な材料ばかりが押し付けられ、到底フェアな勝負とはいえない有様になっています」

 「……貴様…」

 反撃の糸口を探り出した黒江であったが、すぐに妥当なものを探し出したのか、額の青筋を引っ込めて、挑発するように昴流に言ってのける。

 「大会でも、そうやってキャリアだの資金力云々だのとのたまって、負けたときの言い訳にしておるのか?」

 「まさか」

 一言で一蹴すると、今一度黒江とまっすぐ向き直り、決して受身にはならないとでも言いたげに攻めの一言を発し続ける。

 「ただ、少しくらい私達にもルールを決める権利があっても良いというだけの話しですよ。単純に青宮さん一人だけでなく、赤橋さんと私も参戦するとなれば、それだけでこちらの勝率も上がりますからね」

 「…………あたしは戦力にならんとでも言いてぇのか」

 いつの間にかアイアンクローから解放されていた茉莉が恨めしげに言うも、昴流はそれには全く触れず、改めて黒江を焚き付ける。

 「正直に言えば、私や赤橋さん…いや、青宮さんもそうなのですが、貴女と青宮さんのお姉様の確執なんて知った事では無いんですよ。ただ、それが原因で、私達全員に火の粉が掛かろうと言うのなら、『私達全員で』それを払わなければならない」

 「…………」

 黒江が黙りこくっている間に、昴流が振り返り、チームメイトに水を向ける。

 「赤橋さん。貴女はどうなの?」

 「……!」

 一瞬だけ逡巡した様子を見せた瀬都子であったが、すぐに決意は固まったようで、毅然とした様子で担任教師へと対峙する。

 「ウチかて一緒や! 大会に出たい、だからウチもセンセと戦う!」

 「……貴様もか……」

 苦々しげな表情で瀬都子を睨むも、既に彼女と昴流だけではなく。

 合計八つの瞳に挑戦を叩きつけられた黒江涼希は、はぁと小さく溜息をつくと、その全員の喧嘩を一括で購入する事に決めた。

 「いいじゃろう。但し、これで儂が貴様ら全員に勝ったら、二度とこの話はするな」

 「承知の上です!」

 代表して葵が答え、黒江の注意がそちらに向いている間に。

 こっそりと、茉莉と昴流が、一瞬だけ視線を交わした。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 「ルールを再確認しましょう」

 頼んでいた品を店主から受け取った昴流が、それを抱えながら、全員に対して声を張り上げる。

 「まずは新土と赤橋さんが黒江先生と勝負し、二人が負けた場合、黒江先生と私の二人が任意でコースレイアウトの変更を行い、今度は黒江先生と私と青宮さんの三人でレース。私達二人が敗北、即ち全滅した場合は二度とこの話は黒江先生に持ち込まないが、一人でも先生に土を付けることができれば、黒江先生が顧問に就任する、という事で」

 「ガタガタうるさい、さっさと始めんか」

 面倒な利用規約を読まずにスキップするような態度で、黒江が先を促す。

 当然、その言葉に反応して立ち上がった人物がいた。

 「んじゃ、まずはあたしと瀬都子だな」

 先日の遊園地のレースから、メンテナンスこそ行ったものの、セッティングそのものはさほど変わっていない愛車に、今朝方充電してきたばかりの電池を込めながら、茉莉が確認するように言う。

 「好きにせい」

 そう言いながら、そこらで簡単に手に入りそうなタッパーをショルダーバッグから取り出す黒江。

 その中から当然のように現れた、彼女の相棒を見た一堂は、しばし絶句する事となった。

 だが、その理由は、各々異なるようで―――

 「…あれVS!? ウチと一緒や……」

 自らが選択した武器と一緒である事に、驚愕する瀬都子。

 「見た事もないパーツが幾つも…あのシャーシ下のFRPで全体の剛性を補うのかな……」

 初めて目にするパーツに対し、物珍しそうな態度を隠そうともせず、自分なりの解釈でアプローチをかけていく葵。

 「…期待してなかったけど、やっぱり手なんか抜いてくれそうに無いわね…」

 やはり目の前の教師が本気で教え子を潰しに来たことに、歯噛みする昴流。

 「あーっはっはっはっは! なーんだそれ、紫一色とかお前いつの昭和センスだよ、ケバすぎんだろ幾らなんでもー!!」

 シックな黒一色のシャーシとマッチしてはいるものの、どことなく気品を漂わせるが、それで居て見るものに不吉さを予感させる紫一色で塗られたボディに対し、自身の美的感覚のみを根拠にこき下ろしながら爆笑する茉莉。

 無論―――――

 「あぎゃああああああああ!!!」

 先ほども嫌というほど食らったアイアンクローを再び喰らい、公共の場であることもかまわずに絶叫する茉莉。

 「……僕、そろそろ茉莉さんと、一度本気でお話しなきゃいけない事があると思うんですが」

 「そうね。私にはもう無理だから、よろしく頼むわよ」

 チームメイトの暴挙にあきれ果てた葵と昴流を他所に、残りの一人は気合を入れなおす。

 「…………よし!」

 自らの頬を叩き、珍しく気合充分といった様子の瀬都子が、いち早くスタートラインに座り込む。

 「二人とも、はよしてーなー!」

 「急かすなバカタレ」

 「リアルダイレクトアタックはやめろ……!」

 その一言でようやく手を離した黒江と、苦痛の余韻からか頭を抑え続ける茉莉とが、何だかんだと言いながらも愛車を構え、同じ位置に立つ。

 「それじゃ、全員、スイッチを入れて」

 以前、この店が主催したレースの際に用いた、他社製のシグナルランプの操作を仰せ付かった昴流が、三名に共通の指示を飛ばす。

 その一言で、同時に指を滑らせた三人の掌にあるマシンが、突如として各々の咆哮を上げ出す。

 「全員、位置について!」

 スイッチを入れたとき同様、三人が、それぞれに割り振られたレーンすれすれに愛車を構える。

 数秒後に訪れるスタートを控えた三人であったが、瀬都子は一人、シグナルに気を払いながらも物思いに耽り出した。

 「(先生がウチと同じVS、でもって先生は中径で、ウチは小径……)」

 「シグナルに注目!」

 公式と同じスタートの合図を唱えた昴流は、手に握られたスイッチを、カチリと音が鳴るまでしっかりと押し込む。

 そして、四つあるランプの内、最下段の朱色のランプが灯った。

 「おっしゃぁ! 普段の鬱憤を堂々と晴らすチャンスだ、下克上してやるぜオラァ!!」

 「……チームのため云々は建前で、それが本音ですか」

 堂々とろくでもないことを言う昴流と、それにあきれ果てている相棒の言葉も、今の瀬都子の耳には入ってこない。

 「(細かいセッティングは違うけど、これではっきり分かるはず…!)」

 考えている隙に、一つ上のランプが、また一つ上のランプが、コンマ数秒の感覚で次々と灯りだす。

 そして―――

 「(ウチがこのまま通用するか、せーへんかが!)」

 「スタート!!」

 瀬都子の心中を他所に、無常にもその時は始まってしまった。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 「で?」

 妙齢の女教師の声が、数十秒と経たずに打ちのめされた二人の背中に、容赦なく叩きつけられる。

 「さんっざん大口叩いておいてそれか? そんなんでよくもまぁ大会だ何だと言えたもんじゃの」

 嫌味を散々聞かされるが、二人の耳には、それぞれ別々の理由で、その言葉は届いてはいなかった。

 「(……あかん……ほんまに、ほんまにあかん……)」

 数分と経っていないが故に、当然のこととも言えるが、まざまざと脳裏によぎる一つの映像。

 それは、少しばかりのストレートで、先頭を行く紫のマシンに嫌というほど車間距離を開けられる、自身の愛機の姿であった。

 「(確かに、このままやと大会どころやない…ねーちゃんや、昴流ちゃんが言うてたこと、全部本当やった……!)」

 「…………」

 口を開き、焦点すら定まっていないその瞳を見て、黙っていられなかった人物が、瀬都子の肩を軽く叩く。

 そして、過去何度もそうしてきたように、彼女を、そして自分自身を鼓舞するため、精一杯の虚勢を張ってみせる。

 「大丈夫。セッコ、大丈夫」

 「…………!」

 途端に、うつろだったその瞳に生気が宿る。

 それを確認した葵は、こくりと軽く頷くと、無根拠な自信しか裏づけは無いものの、兎に角力強い言葉を発することに専念した。

 「ありがとうね。セッコのお陰で、僕がどうすればいいのか分かった」

 「え…………?」

 頭の上に疑問符を浮かべる友人を他所に、葵はピットスペースに据えられた机に愛車を置くと、先の戦いで得たヒントを元に、愛車の姿を少しばかり変えてゆく。

 「(…さっきの戦い、二人とも、明らかに速度が足りなかった……)」

 フロントの左右に据えつけられたローラーのうち、片方だけを取り外し、目当てのパーツへと変更する。

 それが吉とでるか、凶と出るか。

 その答えは、葵には分かりかねたが―――

 「(となると、モーターは落とせない…けど、コースアウトするポイントは一箇所、そうなると!)」

 吉と出る事を信じ、ドライバーを回し続ける。

 相棒の戦いを、無駄にしないために。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 「面倒じゃ。貴様らが勝手にやっとけ。どうせ儂が負けることなぞあり得んからの」

 コースレイアウトに口出しする権利を放棄した黒江は、その一言と『コーヒーでも飲んでくる』の一言を残すと、一時的に店を後にする。

 葵と瀬都子が二人だけの世界に没頭しているのを確認すると、茉莉は肩をすくめながら、小声で昴流に話しかけた。

 「…さっき勝てりゃ楽だったんだけどな」

 「そう上手い事行かせてくれる相手じゃなかったようね」

 顔色一つ変えずに呟くと、愛車の最終チェックに移る。

 昨晩も確認したことではあるが、念には念を入れて、ネジやナットの緩み、ターミナルの汚れといったポイントを一つ一つ確認しながら、会話を続ける。

 「…ま、かませ犬としての仕事は充分だったろ」

 「かませ犬じゃなくて捨て石ね、この場合」

 些細な日本語の間違いも逃さず指摘すると、ドライバーを一旦置き、正確に四つのタイヤが地面を捉えているかを確認する。

 加工パーツを殆ど使用していない事が高い精度を産み出すのか、いつも通り、マシンに歪みは発生していないようであった。

 「一戦終わった後だってのに、メンテ一つしない。それどころか、レイアウトの変更にすらノータッチ…アンタ達に圧勝したもんだから、油断しきってる証拠ね」

 「…っつっても、本気でやったんだけどなぁ…流石にありゃ凹むぞ」

 ぼやいたところで現実は変わらないが、それでもここ数週間の自信を根本的に砕かれてしまったようで、途端に弱気な発言が鎌首を擡げる。

 「ま、そのお陰で、例の件も滞りなく進みそうだから、怪我の功名とでも言うべきかしらね」

 「複雑だけどな、正直」

 ぼやきながらも、自分に残された最後の仕事を忘れていなかった茉莉は、事前に用意したアイテムをカバンの中から取り出す。

 昴流が正攻法で歯が立たないとも思わなかったが、より確実な勝利を手にするために必要不可欠なそれを見つめると、立ち上がりながら呟く。

 「…あと一仕事、こっちはしくじるつもりはねえから、そっちもしくじんなよ」

 「勿論」

 最後に電池の電圧のチェックまで済ませた昴流は、それを愛車にセットし、仕上げとばかりにボディキャッチをはめる。

 「悪いわね、美味しいところ貰っちゃって」

 「しょうがねえだろ、腹立つけど」

 ムッとした茉莉であったが、それでも任務遂行の意思は見せているようで、昴流はほっと一安心した。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 戻ってくるなり、黒江の眉間に皺が寄る。

 レイアウトを変更すると言っていたはずだが、ストレートも、カーブも、レーンチェンジも、何一つ元のまま変わっていなかった。

 「何じゃ、レイアウト変えても勝てんと見て、勝負を捨ておったか」

 「まさか」

 昴流は肩をすくめると、部屋の隅で壁に向かって体育座りをし、背中にカビでも生えてるのかと見まごうような負のオーラを発している茉莉を指差し、不満そうに言う。

 「青宮さんはマシンの最終調整で忙しく、赤橋さんはその手伝いをしておりまして。唯一ヒマな新土は敗戦のショックで自分の世界に引きこもりましたので、私一人じゃしんどくて、ウォッシュボードの追加しかできなかったのですよ」

 「…ほう」

 その一言で、ようやくコース上の僅かな異変に気がついた黒江が、その場から目を凝らしてスロープ下り直前のカーブの手前を凝視する。

 それまでは平坦なストレートだったはずのレーンの中央に、目に厳しい赤色の出っ張りのようなものが追加されていた。

 「…あの、そういえばウォッシュボードって何なんですか? この前聞きそびれてしまって」

 ようやくセッティングを終えたらしい葵が、今更ながらおずおずと尋ねると、昴流が軽く解説を始める。

 「コースに、あんな風に出っ張りを貼り付けるのがウォッシュボードよ。単純にマシンが跳ねてコースアウトを誘発するの。手軽だから今回のレイアウト変更はそのウォッシュボードの追加だけにしておいたわ」

 「まぁ、貼り付けるだけやもんなぁ」

 見たままを瀬都子が言うも、葵の胸中には不安が暗雲のように立ち込める。

 「あ、あの、ちょっとセッティング変えてもいいですか? モーターを…」

 「…………モーターを?」

 未知のセクションを警戒し、モーターを一段階下げようと言葉を発したつもりであった。

 が。

 「好きにせい。終わった後でケチつけられても、たまったもんじゃないからの」

 突き放したような黒江の一言に、葵はハッとなる。

 「(そうだ…二人とも、黒江先生に速度で負けたんだ…)」

 脇で心配そうな表情を崩さない瀬都子と、未だに部屋の隅でいじけたままの茉莉。

 その二人の敗因を改めて思い返すと、その選択肢が途端に愚策としか考えられなくなる。

 「……いえ、何でもないです。レースを始めましょう!」

 何かを飲み込むと共に、決意を固めた表情を見せる葵。

 その顔を見た黒江の眉間に、尚の事皺が増えてゆく。

 「(しょうもないところばっかり姉に似おって、このバカが!)」

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


葵使用マシン レイホークガンマ(SX)

フロント: ARシャーシカーボンフロントワイドステー(2mm青ラメ) マスダンパー(アジャスト×2)

      右ローラー:ゴムリング付き2段アルミベアリングローラー

      左ローラー:13mmオールアルミベアリングローラー+9mmスタビヘッド

リヤ:カーボン強化リヤダブルローラーステー FRPリヤマルチワイドステー 19mmプラリング付きアルミベアリングローラー×4

    マスダンパー(アジャスト×2)

パワーチャンプGT ライトダッシュモーター 3.5:1ギヤ ローハイト+ハードタイヤ


昴流使用マシン アバンテJr.(ポリカボディ。MS)

フロント:カーボンマルチワイドステー 軽量2段アルミローラー逆付け×2 9mmスタビヘッド

サイド:ARシャーシサイドマスダンパーセット(マスダンパーはシリンダーを左右に)

リヤ:カーボンリヤマルチワイドステー 850ベアリング×4 マスダンパー(シリンダー×2)

ネオチャンプ アトミックチューン2モーターPRO ハイスピードEXギヤ ローハイト+スーパーハードタイヤ


黒江使用マシン サイクロンマグナムTRF(VS)

フロント: HGカーボンフロントステー(1.5mmフルカウル用) 9mmボールベアリング×2

リヤ:カーボン強化リヤダブルローラーステー HGカーボンリヤワイドステー 850ベアリング×4

パワーチャンプGT ライトダッシュモーター 3.5:1ギヤ ローハイト+ハードタイヤ

その他:提灯ギミック採用


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 「そんじゃ、位置についてー」

 できる事なら見守る立場に徹していたかったが、茉莉が未だにいじけているため、スターターを仰せ付かった瀬都子が、シグナルのスイッチを握る。

 「よーい」

 呑気に聞こえるが、その実なかなかに緊張を含んだ声のまま、スイッチをカチリと押し込む。

 スタートラインに立った三人の緊張が、ピークに達した。

 そして、あっという間に、頂点のグリーンのランプが点灯し―――

 「ゴー!!」

 その掛け声と共に、普段どおり一瞬早く葵が、ほんの僅かに遅れて黒江と昴流が手から愛車を放つ。

 スタートダッシュを生かした葵が、そのまま最内レーンのまま、トップを維持しようとするも。

 テーブルトップに隠されたストレートセクションを抜け、第一コーナーに突入した愛車は、何故かコーナーの外壁に向けて、車体が僅かに傾いていた。

 「?」

 とはいえ、それも一瞬の事であり、すぐに安定を取り戻した車体は苦手のコーナーへと突入する。

 最内レーンである事が存分に活きており、黒江、昴流の両名に追いつかれる事無く、首位を保ったままスロープを下ってゆく、蒼いマシン。

 そのすぐ後ろを負う黒江は兎も角、少なくとも葵よりは腕利きであるはずの昴流は、どういうわけかやけにその後方をえっちらおっちらと追う立場となっていた。

 「(……昴流ちゃん……?)」

 一瞬、観戦している瀬都子の心中に疑念が湧くも、大の親友の愛車が二週目に突入した事に気付き、ひとまずそちらの応援を最優先にする事に決める。

 「おっしゃー! ええでー!」

 無邪気に喜ぶ瀬都子と、最初の一瞬以来、愛車の様子に破綻が見られない事に安堵する葵。

 だが―――

 「そりゃ内側ばっかり走っておればそうなるじゃろ。問題はこれからじゃ」

 癖のない、中央の第二レーンからの出走となった黒江とて、大幅に離されていた訳ではない。

 最内レーンというアドバンテージを得られなくなった葵が、苦手のコーナーで減速している隙に、比較的ニュートラルな足回りに仕上げた黒江にすぐに追いつかれてしまう。

 そして。

 「あー! あかん!」

 「くっ……!」

 戦況を見守っていた瀬都子と、葵の二人が歯噛みする。

 鮮烈な紫に彩られたマシンが、昴流のマシンを一方的に置き去りにしたうえで、三つ目のレーンチェンジによって最も外回りのコーナーに追いやられたレイホークを、悠々と追い抜いていったからだ。

 「(所詮この程度か。腕までは受け継げんかったようじゃの)」

 予想していた結果であったが、どこか寂寥感を感じるのは何故だろうか。 

 唐突に変化した自信の感情に、少しばかりの戸惑いを覚える黒江であったが―――

 「…………?」

 ふと、一つの現実に気がつき、一瞬だけ愛車から目を外す。

 自分よりほんの少し後方を走っているのは、まさかこの歳になってまた拝むとは露ほども思って居なかった、空色のレイホークガンマ。

 だが、明らかに中心的な役割であーだこーだと口を挟んできた昴流の橙色のマシンは、それよりもはるか後方をのんびりと走っていた。

 「(屋田の奴、あんなに遅いのか……?)」

 疑念が沸いたその瞬間、偶然にも昴流の顔が視界に入る。

 その表情に、焦燥の類は何一つ無く。

 むしろ口元の僅かな歪みが、まるで予定調和だと言っている様にしか、黒江の目には映らなかった。

 「―!?」

 瞬間的に、何か、何かとてつもなく嫌なものを感じた黒江であったが、ミニ四駆は一度手を離したが最後、レーサーの意思は一切勝負に介入しない。

 たった今しがた、徐々に葵に差をつけながらファイナルラップに突入した愛車が、テーブルトップにより一瞬の死角に入った。

 次の瞬間。

 「!?」

 黒江が。

 否、黒江と葵、そして瀬都子の三人が、同時に無言で驚愕する。

 猛スピードのまま最短距離で最後の第一コーナーに突入するかと思われた黒江のマシンが、凄まじい勢いを保ったまま、あっという間に第二、第三レーンを飛び越え、コース外へと弾き飛ばされたからだ。

 「な!?」

 ようやく、叫び声を上げる程度の余裕を取り戻した黒江が本能のままに叫ぶも、現実は一切変わらず。

 横転し、黒い腹を見せたその愛車は、主人に敗北を詫びているようにも見えた。

 「…………え?」

 当然のように黒江が散ったコーナーを攻略した葵のマシンが、混乱しきったまま、自身がスタートした位置まで戻ってくる。

 その瞬間、葵たちの願いは、確かに成就された。

 「いやっ……」

 やった、と無邪気に喜ぼうとした瀬都子であった。

 しかし。

 「!?」

 先ほど黒江がコースアウトした、最内レーンの第一コーナーで、数秒前の黒江のマシン同様に、空色に彩られたパステルなマシンがあっさりと弾かれ、コース外へと飛ばされてゆく。

 「あ、あかん!」

 いち早く反応した瀬都子が、葵に代わってそれを拾い上げ、丁寧にスイッチを切る。

 「…………?」

 葵も瀬都子も、歓喜の声をあげる事を忘れ、しばし呆然となって顔を見合わせる。

 確かに角度こそ厳しいものの、取り立ててコースアウトの危険性が高いようなコーナーには思えない。

 そんな何の変哲も無いセクションで、黒江も、勝った後の話とは言え自分も飛んだのが、解せなかったのだ。

 「な、何故じゃ……」

 目の前の現実を受け入れられないのか、ふらついた足取りの黒江が、立体交差によって死角となっていたカーブ前のストレートを覗き込む。

 と。

 「何じゃこりゃあああああああ!!」

 妙な叫び声を挙げた黒江は、怪訝な顔をする葵と瀬都子は無視し、立体交差の下に手をもぐらせる。

 そして、何かを剥がす、ベリッという音が聞こえた次の瞬間―――

 「これは何じゃァ!!」

 手に、何か赤色の物体を新たに持ち、立ち上がる。

 それは、葵にも見覚えのあるものだったが、『そこ』にもあるとは露ほども知らないものであった。

 「ウォッシュボードですけど?」

 しれっとした表情で昴流が言うも、怒り心頭といった様子の黒江は、それを乱暴にも床に叩きつけて、昴流に詰問を始める。

 「んなもん見れば分かる! 何で二枚も重ねておるんじゃ、アホかァ!!」

 怒り心頭の黒江を邪魔せぬよう、そっと視界に入らない位置に潜り込んだ瀬都子が、たった今無残にも床に打ち捨てられたそれを拾い上げる。

 黒江の言うとおり、それは、本来二枚だった板を、接着剤かテープか何かを用いて、強引に一枚に纏めたものであった。

 「あー、これが原因でコースアウトしちゃったんだ……」

 ようやく納得が言ったとでも言いたげな葵が、問題の二枚重ねの板が設置されていた場所に、改めて目を向ける。

 三つあるレーンのうち、最も走行距離が短くなるが、最も角度がきつくなる最内レーンの、それも最も速度の乗っている場所に、著しくマシンの安定感を損なうセクションを配置する。

 控えめに言っても、妨害などという生易しい言葉で片付くものでは、到底無かった。

 「しかも片面にずらして置きおって! あんなのアリかァ!!」

 納得が言ったばかりの葵の耳に、更なる怒声が飛び込んでくる。

 「?」

 その言葉を受け、ウォッシュボードを拾い上げた瀬都子がしゃがみこみ、テーブルトップ下の死角になっているストレートの元の位置に、それを戻そうと試みる。

 幸い、雑に剥がされたせいで、接地に使われた両面テープが残っていたため、場所の特定は容易であった。

 できるだけ慎重に、元の位置に戻すと、進行方向から見て右側、即ち第一コーナーのイン側に偏る形で、普段の倍の高さの板がコースに据え置かれる。

 「なるほどなぁー、これでバランス崩して、そのままコーナーに突っ込んでコースアウト、と」

 「い、一番角度がきついレーンに置いたんだ……」

 冷や汗をかいた葵の耳に、昴流の澄ました声が聞こえてきた。

 「先生。お言葉ですが、二枚重ねのウォッシュボードを片側に配置するセクションは、公式大会で実際に採用されたセクションですよ?」

 「は?」

 何が言いたいのか分からない、とでも言いたげに目を点にする黒江に、いつの間にか復活していた茉莉が、ニヤニヤ笑いを隠さずに接近する。

 そして、これまたいつの間にか後ろ手に持っていたA4の用紙数枚を、そのまま黒江に手渡した。

 「『黒江先生』、こちら、2013年のジャパンカップ『後』に行われたミニ四駆GPで初採用された片面ウォッシュボードと、2015年スプリングカップ中盤戦で初採用された二段重ねウォッシュボードの概要です。丁寧に纏めてきましたのでご一読を」

 「な…………」

 明らかにバカにするような慇懃無礼な態度の茉莉の手から数枚の紙をひったくると、そのままワナワナと震えながらも、目だけは確実に無機質な明朝体の文字を追い続ける。

 「あれ、茉莉ちゃん、元気になったん?」

 展開についていけない瀬都子が、とりあえず沸いて出た疑問を尋ねると、茉莉は心底愉快そうな笑みを浮かべて返す。

 「ああ、あんまりにもトントン拍子に作戦にハマっていくもんで、顔に出たらやべえって思ってたから落ち込んだフリして爆笑してた」

 「ああ、そう……」

 呆れ果てた瀬都子の反応に、それは織り込み済みだとでも言いたげな茉莉が振り返ると、解説を始めた。

 「昴流が最初に言ったウォッシュボードって、テーブルトップ上のこれじゃん」

 「あ、はい」

 言いながら人差し指で示したのは、コースの中央に堂々と貼り付けられたウォッシュボード。

 単純に二分の一の高さであるため、感覚が麻痺しているのか、全く脅威に感じられなかった。

 「これ、黒江がミニ四駆辞めた2013年のジャパンカップ直前頃に初登場した奴なんだよ。で、当時は単にど真ん中に置くだけで、あんまり意味無かったわけ」

 「は、はぁ……」

 言われて見れば、何となく分からないでもない。

 幾らマシンのスピードが載っている箇所とは言え、所詮左右のタイヤが同時に少し持ち上がるだけであり、最低限の制振機能さえ備えていれば問題ないことくらいは、愛車による実証で確認済みであった。

 「で、黒江が辞めてから数ヵ月後にあった大会で、このウォッシュボードを片面に置いて、もっとマシンに揺さぶりをかけるウォッシュボードが出てきた。それが片面ウォッシュボードなんだけど、ぶっちゃけ中央に置こうが左右にずらそうが、表記は『ウォッシュボード』で一緒くたなんだよ」

 言いながら、立体交差上のウォッシュボードをはがし、壁に付けながら設置する。

 何となく言いたいことを飲み込みかけている二人に、軽くウィンクを飛ばしながら、核心の説明に移る。

 「葵の姉ちゃんが言ってたの、多分これの事だなーって昴流とアタリ付けたんだけど。まさかここまでドンピシャでハマるとはなぁ」

 「作戦立てたの、ほぼ全部私なのだけれど」

 手柄を奪われたとでも言いたげな昴流が、不満げな顔を隠さずに応対してくる。

 「まぁそういうなって。あたしの演技が無かったら、ここまで上手く行ったかわかんねーだろ?」

 「それはそうだけれど」

 尚も不満そうな顔の昴流と、ニコニコ顔の茉莉の様子から、何となく今回のレースで彼女たちが引いていた糸の全貌を掴みかけている葵と瀬都子。

 だが、何も分からないままの人間が、一人居たようで―――

 「…………どういうことじゃ」

 普段からお世辞にも健康な肌をしているとは言いがたいが、それよりも一層蒼白になった顔に、死んだ魚の様な輝きを放つ瞳を湛えた黒江が、呆然と尋ねる。

 一瞬昴流と顔を見合わせた茉莉が、もういいかとばかりに、ぺらぺらとタネを明かし始めた。

 「ぶっちゃけた話、葵のねーちゃんから話聞いて、幾らなんでも葵と黒江のタイマンとかどう考えても不利すぎるって思ってさ」

 「青宮さんの力を信用してないわけじゃないけれど、何が何でも勝たなければならない試合でもあったからね」

 葵を不用意に傷つけないよう、さりげなく昴流がフォローを挟む。

 当の本人が、未だに困惑顔のままであり、傷ついたような素振りを見せていない事を確認した茉莉が、ネタばらしを続行した。

 「で、葵の姉ちゃんが、唯一ヒントをくれたんだよ。黒江は2013年のジャパンカップ直前にミニ四駆辞めてる、って」

 「それでピンと来たの。青宮さんのお姉さんは、この『ウォッシュボード』に対する認識の違いで勝負を仕掛けろ、って言ってくれてるって」

 「…………!」

 その一言で、葵と瀬都子の脳裏に、あの朗らかな声がこだまする。

 何かしらのヒントではあると思ったが、そこまでの意味が込められていたとは、想像すらできなかった。

 「だからと言って、片面のウォッシュボードを堂々と見えるように置いたら、黒江だってそりゃ警戒する。けど、何も言わないで置くのは、多分葵が卑怯だ何だって言い出すかなー、って思ったからさ」

 「そこで思ったの。通常のウォッシュボードを見えるところに、片面ウォッシュを立体交差で死角になった位置に設置して、ちゃんと『ウォッシュボードを置きました』って言えば、何も間違ってない上に、いい具合に警戒も削げるって」

 「き…………貴様ら…………」

 生徒の罠に、ものの見事に嵌ってしまった屈辱からか。

 顔を真っ赤にした黒江が戦慄いている間に、腑に落ちない表情の葵が、少しだけ愚痴る。

 「うーん……それはそれで卑怯なような……」

 「何を言っているの」

 あきれ果てた表情の昴流が、葵に堂々と苦言を呈する。

 「青宮さん。さっきも言ったけれど、私は『何を追加したか』をちゃんと申告したし、そもそも貴女も黒江先生もコースのチェックを行う時間はあった。けど二人とも行わなかった。運よく貴女が第一レーンからのスタートだから貴女の勝ちだったけど、そこは恥じて貰わないと困るわよ」

 「…………!」

 チームメイトからの苦言に、素直な性格ゆえか、全く反発を見せずに、背筋を伸ばして話を聞く姿勢に移る。

 「そっか、それで昴流ちゃん、やけに遅かったんやね」

 「確実に完走を狙うための速度とセッティングにしたのよ。展開を大荒れにさせるための仕掛けをした以上は、二人がコースアウトしても自分ひとりが残ればそれでいいって方向にせざるを得ないから」

 瀬都子の疑問に答え、少しだけ溜息を漏らすと、少しばかりのお説教を再開する。

 「コースがシビアな公式大会なんかは、それまでの別地区の大会とレイアウトが一緒でも、当日のコースの状態を見てモーターやセッティングを変えるなんてのは当たり前。公式に限らず、出走前にコースをちゃんと見もしないで勝ち抜けるほど、ミニ四駆は甘くはないのだけれど」

 「……ごめんなさい…」

 ズバズバと突き刺さる正論を素直に受け入れ、頭を下げる葵。

 その様子を見た昴流にも、これ以上追い討ちをかける気は起きなかった。

 「…ま、一つ一つ勉強していけばいいのよ。最初から全部知ってて、全部分かって、全部できる人間なんて居る訳無いのだから」

 「そういうこった」

 後を継いだ茉莉が、ニヤニヤ笑いを一層増しながら、再び話を本題に戻してゆく。

 「後は簡単。あたしが何だかんだとゴネて二試合やらせる事にして、一戦目を素直なコースで気持ちよく勝たせた上、レイアウト変更のときにブラフのウォッシュボードをこれ見よがしに置いておけば、本命には気付かずに自☆爆、って訳」

 「いやアンタ、作戦みたいにほざいてるけど、アンタが負けたのは作戦じゃなくて本気で負けてたじゃないの」

 昴流が冷静に突っ込むも、上手い具合に作戦が成功した事で有頂天になっている茉莉の耳には届かない。

 と。

 「…………一つだけ聞かせろ」

 怒りからか、それとも自己嫌悪からか。

 うなだれていた黒江が、うつろな瞳で昴流を捕らえると、疑問を正直に口にする。

 「……屋田、本当にお前が、作戦全部考えたのか?」

 優等生の彼女がそんな事をするわけが無い、きっと悪知恵の働く者の入れ知恵に違いない。

 自らの信じてきたことを否定されそうになり、半ば必死とも取れる表情で尋ねてくる黒江に―――

 「ええ、そうですよ」

 しれっとした表情で返す、学年一の優等生。

 学校で見せているその仮面の下の、どす黒い本性とのギャップに黒江が驚いている隙に、昴流は微笑みながら語りかける。

 「青宮さんたちだけじゃなくて、私も何としても大会に出るために顧問が必要だったので、ちょっと強引な手段に出させて頂きましたが…これで肩の荷が一つ下りました」

 「……それが貴様の本性か…………」

 「気付くの遅ぇって」

 茉莉の一言にも食って掛かる元気すら失われ、がっくりとうなだれたその姿は、敗北を認めた証。

 それ故に、自分たちが大会に出られるという事になったが、どうにも葵は素直に喜ぶ事ができなかった。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 「なー、一つ…あ、いや、二つ聞いてええ?」

 足取りのおぼつかない黒江が、気分が悪いから帰ると言い出した時間が丁度お昼時だったため、そのまま近くのファミレスへと移動した四人。

 注文を待っている間、瀬都子が不思議な面持ちで、対面して座っている茉莉と昴流に尋ねてきた。

 「ウチらのレースのあと、黒江センセと昴流ちゃんがコース変えるいう事になってたけど、黒江センセがいじらへんかったから、ウォッシュボード以外は一戦目と同じコースになったわけやん?」

 「ええ」

 オレンジジュースをストローでお行儀よく飲んでいた昴流が、グラスを丁寧に卓上に置き、返事をする。

 「けど、あれで黒江センセが全然違うコースにしてたら、作戦全部パーにならへんかった?」

 「そうでもねーよ」

 一方、こちらはお行儀の悪い事に、直にグラスに口を付けてコーラをがぶ飲みしていた茉莉が、昴流に代わって答える。

 「結局立体交差を作るためのセクションはあったわけだから、店内のスペースから考えても、よっぽどの事がねえ限りテーブルトップの下にコースを通すレイアウトになるから、どの道死角はできてたから、例の地雷は埋めれたって訳」

 「ま、レイアウト次第じゃかなり威力が落ちるから、危険なギャンブルでもあったのだけれど」

 すました顔で昴流が補足すると、何となく瀬都子にも納得ができる。

 「あと、もう一つ。茉莉ちゃんは今回の話、最初っから全部知っとったんやろ?」

 「まーな」

 あっけらかんと肯定する茉莉の姿を見て、瀬都子が口を尖らせて抗議した相手は、昴流。

 「何でウチらにも言うてくれへんかったん? 何か、ウチらが捨て駒にされたみたいで……」

 「…………」

 その言葉に顔を見合わせた二人のうち、発案者の昴流が嘆息すると、正直に答えることにした。

 「……貴女と青宮さんは、素直すぎるから」

 「え?」

 思っても見なかった回答に面食らっている隙に、昴流が畳み掛けてくる。

 とは言え、嘘をつく理由も無かったため、本音での一言ではあったが。

 「色々と目の粗い作戦だったから、少しでも二人が不審な空気を出したらすぐに気付かれると思ったのよ。だから発案者の私と、最低限の協力者として、なんか人を欺くのに慣れまくってそうな新土の二人だけで共有する事にしたわけ」

 「お前、ケンカ売ってるなら買うぞ」

 半分真面目に頭に来た茉莉が凄むも、昴流の涼しげな顔は崩れない。

 「…それでも、二人には申し訳ないと思っているわ。けど、どうしても勝たなきゃならなかった一戦だったから……」

 「あ、そんならええんよ」

 すぐに機嫌を直した瀬都子が、普段どおりの笑みを浮かべて、すぐに二人を許しだす。

 その程度の事で延々と恨み続けるほど、陰湿な性格はしていなかった。

 「せやなー、今回黒江先生に勝てへんかったら、ウチら大会も何もなかったもんなぁ」

 「そういう事」

 その一言を残すと、茉莉がグラスに半分ほど残ったコーラを、一息に煽る。

 場に和やかな雰囲気が流れ出した、その時。

 「…………僕からも、一ついいですか?」

 折角出場権を手に入れたというのに、相変わらず浮かない顔のままだった葵が、二人をまっすぐに見据える。

 余りにも鋭いその眼光に、一瞬どきりとした二人であったが、すぐに平穏を装う。

 「何?」

 「……その」

 最初は言いにくそうにしていた葵であったが、意を決したのか、正面から昴流を見据え、口を開く。

 「先ほど、昴流さんは仰ってました。僕達の力を信用していないわけではない、と」

 「え、ええ……」

 その一言で、何となく何を言いたいのか察した昴流の額に、冷や汗が浮かぶ。

 それを発見したのか否かは分からなかったが―――

 「…それ、どこまで本当なんですか?」

 「!」

 来るとは思っていた。

 しかし、正確に自身の心中を見透かされたような気がして、昴流に少しばかりの動揺が走る。

 「確かに昴流さんの仰った事は全て正論です。万が一にも負けるわけがいかない一戦でしたし、黒江先生の知識不足と油断を突いた作戦を立てられたのも納得ですし、そのお陰で大会に出られる事は感謝しています…けど」

 一旦言葉を区切ると、うろたえる昴流の瞳をまっすぐに見据え、葵は続けた。

 「正直に仰って下さい。堂々と正攻法で戦った場合、僕と黒江先生、どちらが勝つと思われたんですか?」

 「…………それは」

 何とか誤魔化して、逃げようとも思った。

 しかし、透き通るような瞳に見据えられた昴流は、言い逃れができる状況ではないと確信し、諦める事にした。

 「……正直に言うわ。貴女が負ける公算の方が、高いと思った」

 「昴流ちゃん……!」

 何かを言いたげな瀬都子が介入しようとするが、済んでのところで押し留まる。

 彼女とて、昴流が言っている事の方が遥かに正しい事くらい、理解できていたからだ。

 「……そうですよね。それ自体はショックじゃないんです」

 ショックじゃない、といいつつも、やはり少しばかり影を湛えた葵が、正直に胸のうちを吐き出す。

 「ただ、思うんです。数年前に現役を退かれた黒江先生相手に勝てない今の私が、大会に通用するとは思えない、って……」

 「…………」

 誰も、何も言葉を返さない。

 葵に言われずとも、それは誰もが自覚していた事であったからだ。

 「勿論、諦めるつもりはありません。けど、今から大会までの間に、最低限通用するようなレベルになる為には、今のままじゃダメかな、って……」

 「…………それは、確かに……」

 昴流とて、現状の自分がどこまで通用するかと問われると、甚だ疑問ではある。

 まして、チームを組む三名は、自分よりも地力ではだいぶ劣るという現状は、決して楽観視できるものではなかった。

 「……昴流さんはさっき、一つ一つ勉強していけばいいと仰ってくれました。けど、今のペースで学び続けても、大会には間に合わないって考えると、今のままじゃダメだ、何かしないと、って……」

 「…………」

 沈黙する一同。

 瀬都子は勿論、昴流も、その葵の問いに対する答えは、何一つ持ち合わせていなかった。

 が。

 「ビンゴ!」

 ボックス席の一角から、急に歓喜に満ちた声が上がる。

 「やっぱこういうとき便利だよなー、インターネット社会って」

 全員の視線の先にいたのは、ひとり呑気にタブレットをいじっていた、茉莉であった。

 「…………茉莉ちゃん……」

 「……アンタ、何やってんの……」

 あきれ果てた瀬都子と昴流が尋ねると、その抗議に素直にムッとした茉莉が、不機嫌さを隠さずに返す。

 「何やってるって、葵が言ってる事が間違っちゃいねーから、もしかしたらって思って探してたんじゃねーか」

 「何をよ」

 中々核心を言わない隣人に昴流が苛立つと、話すより見せるほうが先とばかりに、テーブルの中央にそのタブレットを置く。

 そこに表示されていたのは、どうやらFacebookの一ページのようで―――

 「……『草津総合高校ミニ四駆部』……?」

 ページの一番大きな文字を、昴流が読み上げる。

 教育機関としての配慮からか、人物こそ映っていなかったものの、ヘッダーに使われた校舎の写真は、確かにそれが高等学校のものであることを表していた。

 「草津…って、温泉やっけ?」

 「…それは群馬県の草津ね。草津総合って、滋賀県の有名なマンモス校よ」

 無断で画面をタッチし、あれこれと見ていた昴流が瀬都子の疑問に答えながら、ページを凝視する。

 「確かスポーツでも結構な名門だったと思います。甲子園を始め、あらゆるスポーツの全国大会の常連校だったような…」

 別方面からの知識を披露する葵に感心しつつ、昴流は画面をスライドしつづける。

 すぐに、その目と指が、ある記事が表示された瞬間、ぴたりと停止した。

 「…………なるほど、悪くないわね」

 「だろ?絶対どっかがこんな募集してるだろって踏んだら、案の定ってわけだ」

 珍しく見直したかのような口振りを見せると、途端に機嫌を直した茉莉。

 「?」

 逆側から覗き込んでいるため、書いてある文字の読解にすら苦しむ二人が、頭の上に疑問符を浮かべていると。

 「ホラこれ。こんなんどーよ?」

 茉莉がタブレットを180度回転させ、目当ての記事を見せる。

 二人が覗き込んだそこには―――

 「ゴールデンウィーク、三泊四日の泊り込み合宿!?」

 「参加校募集中!?」

 ようやく事態が飲み込め、素っ頓狂な声を上げた二人からタブレットを取り上げ、詳しく概要を説明していく昴流。

 心なしか、その声は、少しばかり上ずっているようにも見えた。

 「『我が草津総合高校では、毎年ゴールデンウィークには、数多くの運動部・文化部が学校に泊り込み、夏の大会前の実力向上のための合宿を行っています。今年はミニ四駆の高校生のチーム戦大会が開催されるという事もあり、我々ミニ四駆部も、外部のチームを招いて共に合宿を行いたいと考えています。特に両軸の心得のある方歓迎』…だって」

 「悪い話じゃねーだろ? この環境でズルズルやっていくより、知らねえ奴らと一気に集中した方が、何かと良い刺激になるだろ。両軸だったらウチにも一人居るしな」

 嬉しそうに茉莉が提案してくるが、その頃には、既に二人の心中は固まっていた。

 「セッコ!」

 「うん!」

 一瞬だけ意思疎通をすると、二人は揃って、この話を見つけ出した張本人へと向き直る。

 「行きましょう!」

 「やったるで!」

 その一言に、満足そうにこちらを見つめてくる茉莉を他所に、瀬都子は横目で葵の横顔を見る。

 気合と決意に満ち溢れたその顔は、かつて何度も憧れた、手の届かないと思っていた、遥か先を行く友の顔。

 「(―せやった、ウチは―――)」

 心に長い事溜まっていたように思える靄が、急激に晴れてゆくような。

 そんな感覚に、彼女は身を任せ、胸中で素直に言葉を紡いでゆく。

 「(ウチの目的は―――!)」

 普段穏やかな瞳が、途端に炎を宿したのを、横目で見た昴流は、胸中でそっと微笑む。

 「(……もう大丈夫ね)」

 大会前の懸念材料が一つ減った事を、素直に喜ぶも。

 「(……なら、私はどうすれば……?)」

 解決する方法が目の前に転がっていたが、手を伸ばせなかったチームメイトと違い、解決の糸口すら見つからない自分。

 成長を目の当たりにして尚、その場に足踏みしている自分が、昴流はたまらなくもどかしく思えた。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 三十分後に予選が始まる店舗大会のテスト走行を終え、自らのピットに戻ってきた少女は、愛用のスマートフォンに通知があった事を示すランプが点灯している事に気がつく。

 ホームボタンを押して確認すると、つい一分前に、顧問教師からメッセージが飛んできていたばかりだった。

 「……へぇ、こんなGW直前での募集だったってのに、ホントに参加してくる高校があったんだ」

 少しばかりの驚きを隠せず、つい思っていた事が口に出ると、背後から声が聞こえてくる。

 「フフフ…愚かだ……まったくもって愚かだ……」

 「ハハハ…溺れる者は何とやらというが、まさにその言葉通りだな……」

 頭の悪い二つの声に、振り返るのも億劫になり、辟易とした声で返す。

 「…それ、アタシ達がワラって事にならない?」

 だが、二つの声のうちの片方は高笑い…否、バカ笑いを全くやめようとせず、むしろ加速させて、高らかに宣告する。

 「ハッハッハ! 愚かな! だからこそ溺れる者でも何でもいいから呼び込んで、ちょっとでも我らの実力向上を図ろうとか、なんかそういうゲスすぎる企画なんじゃないか!」

 「…部長、ボクはもう充分速いからね。一緒にしないでよね」

 流石に片方が呆れたような声で突っ込みを入れるも、だからと言って頭痛が軽減されるわけではなく、スマートフォンを放り投げたくなった少女は椅子に乱暴に腰を下ろす。

 と。

 「……どんな人たちなんでしょう……?」

 部内の良心とも言うべきその声に、即効性の頭痛薬のような救いを受けた少女は、背後の馬鹿二名を無視してその声と対話する。

 「……分からないけど、いい人たちだといいね」

 「……はい……!」

 肯定を受け取ると、何となく視線を窓へと向ける。

 四角い枠によって切り取られた空は、もうすぐ初夏へとなるだけあって、少しだけ日差しがきつそうに感じられた。

 「……愛知県の星双高校かぁ。どんな人たちなんだろうなぁ」

 投げかけられた疑問を、改めて口にする。

 数日後に分かる事とは言え、既に利原幹乃の興味は、目先の大会よりもまだ見ぬ強敵達に奪われていた。

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