3-3 ただのゴミクズだ
久しぶりすぎてごめんなさい…
「よく聞こえなかったなァ!? もういっぺんほざいてみろや!!」
その一言と共に、目の前にあった、古ぼけた学校用デスクを真横に蹴り飛ばす。
「ひっ!!」
バン、という派手な音と共に、書類を撒き散らしたその机が書棚に激突する寸前、僅かな悲鳴が副会長の口から漏れた。
「……何度も言わせないでください、東雲さん」
目の前の自分の執務用の机をなぎ払われて尚、毅然とした態度を崩しもしない生徒会長は、確固たる意思を秘めた瞳でまっすぐに東雲絢火の目を見据え、冷酷に伝える。
「入学して一ヶ月も経たないうちに、既に退学候補者に名が連なっている貴女が部活を立ち上げる、などと言っても、我々としても首を縦に振るわけには行きません」
「んだと!?」
肩まで伸ばした髪は赤く染め上げ、左耳に数個付けたピアスが、チャリチャリと耳障りに鳴る。
相手を威嚇するためのアクセサリーを満載にしても尚、自らに屈しない女性に対し、直接的な暴力に訴えようと胸倉を掴みあげるが―――
「やめろ!」
突如として、彼女の背後、即ち出入り口から、凛とした声が響き渡る。
「あ…………」
成す術なく、あわや暴力沙汰になるかもしれない現状を見守るしかなかった生徒会役員たちの表情が、一気に安心感で弛緩する。
教師よりも、誰よりも、数段信用できる人物が、いつの間にかそこに立っていたからだ。
「…………またテメェか……!」
握り締めた拳と、掴みあげた生徒会長の胸倉を卸した絢火の敵意が、たった今声を張り上げた張本人へと全て向けられる。
艶に満ちた黒髪のショートヘアに、皺一つ無い、丹念にクリーニングされた制服に隠された、よく引き締められた肉体。
それに加え、腕に付けられた『風紀委員』とプリントされた黄色の腕章が、彼女の立場を如実に表していた。
しかし、彼女はツカツカと近寄ると、絢火を無視し、崩れ落ちていた生徒会長の介護に回る。
「大丈夫か? 殴られたりはしてないようだが」
「え、ええ……ごめんなさい、淵野さんが来て、安心したお陰で腰が抜けて……」
恥ずかしそうに語る会長の目じりに浮かんでいたのは、涙。
暴力沙汰から逃げ出したかった彼女が、立場との葛藤に勝ち続け、限界まで耐えていた証でもあった。
が。
「無視してくれてんじゃねえよ!!」
その一言と共に、会心のストレートが、絢火の右肩から放たれる。
冗談の類ではなく、本気で目の前の乱入者を傷つけるための一撃であったが―――
「…進歩の無い奴だ」
溜息交じりの一言と共に、殴るターゲットにされた彼女が、自身の眼前まで迫っていたその拳を、右手で簡単に受け止める。
バチッ、という破裂音が、決して伊達や酔狂で放たれたパンチでない事を、如実に表していた。
そして、無表情―否、憐憫の表情を浮かべながら、その右手を軽く捻る。
「あだだだだだ!!」
大仰に絶叫するその姿に嘆息すると、未だに腰が抜けたままの生徒会長に、彼女は一つの提案をする。
「会長。悪いが、今回の件は、僕に預けてもらえないだろうか?」
「今回も、ですよね?」
毎度のことに嘆息するが、彼女こと、淵野真琴が乱入しなかったら、彼女一人で被害が済んだ保証も無い。
それに、生徒会と風紀委員が反目しているわけでも無い上に、個人的に生徒会長自身も真琴には全幅の信頼を置いている。断る道理があるはずもなかった。
「いつも申し訳ないです。こちらこそ東雲さんの教育についてはお任せしたいところです」
「恩に着るよ」
軽く例を言うと、叫び続ける絢火を引きずりながら、真琴が退室してゆく。
その背に感謝する生徒会一同であったが、同時に全員の胸に、一つの疑問が浮かんでいた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「それでお前ら、スゴスゴ引き下がってきたのかよ!?」
茉莉が大声を出すも、他に客も居ない小鹿模型店内では、好奇の瞳で見てくる者も、咎める者も誰も居ない。
とはいえ、その大声に心底迷惑そうな表情を見せた昴流が、うんざりしたような表情で反論した。
「その場に居なかったくせに、偉そうな事言わないでほしいのだけれど」
「せやでー」
珍しく不機嫌そうな表情の瀬都子が、昴流とともに茉莉に抗議する。
「あーちゃんが任せてって言うたんやから、結果出るまでちょっと我慢しーて」
「…………お前……」
色々と苦いものを吐き出したい衝動に駆られた茉莉であったが、寸でのところで諸々を飲み込むと、話を別の方向にそらす。
「で、葵は…………」
肝心の、自分への一任を要求した少女に話を振ると、葵は自前のシンプルな大学ノートに、これまた飾り気の無いボールペンで何事かを書く準備をし、同時にスマートフォンを取り出す。
「ちょっとお姉ちゃんに電話しますね」
真っ白なスマートフォンを頬に軽く当て、いかにも通話中とでも言いたげな態度を見せてくる。
「お姉ちゃん? なんで今お前の姉貴に―」
「あんな、茉莉ちゃん」
事情を全く飲み込めていない友人に、瀬都子ができるだけ詳しく説明を始める。
「なんかな、さっき黒江センセ、あーちゃんのお姉ちゃんからの電話受けたとたん、顧問やるん嫌や言い出したから…」
「なるほど、葵の姉貴をシメて訳を聞こうってことか」
勝手な納得をしている茉莉はひとまず無視し、昴流が葵に要請する。
「青宮さん、お姉さんの許可を取って、スピーカーモードでの通話はできないかしら? リアルタイムで内容を把握しておきたいし、青宮さんを介さないほうがスムーズに質問もできると思うし」
「分かりました。一応皆さんのことは簡単に話してありますので、たぶん大丈夫です」
軽く頷くと、数度画面をタッチし、目的の人物への発信を無事に行っていることを確認すると、すばやく画面を頬に当てる。
数秒の後―――
「アオじゃーん! 二日連続でどったのー!?」
相変わらず、相手のことを全く考慮していない先ほどの大声が、葵のみならずその場の四人全員の耳朶を打つ。
「あ、お姉ちゃん」
思ったとおりの相手に繋がったことに安堵した葵が、どう伝えるべきか一瞬だけ考えると、即座に言葉を組み立てて伝えてゆく。
「すいません、さっき黒江先生と、何か電話で話されてました?」
「ん? ああー」
その一言で、つい数十分前の記憶が蘇ったのか、肯定ついでに質問を返す。
「確かにさっきズッキーと電話してて、唐突に切られたけど…そういや、ズッキーとアオって知り合いだったの?」
「…ええと」
一応、人違いであることを考慮に入れ、思考のすりあわせを図る。
「その、ズッキー…と言う方、黒江という方でよろしいんでしょうか…?」
「黒江涼希でしょ? 涼希だからズッキー。まさかアオの知り合いだったとは思わなかったけど」
「僕の担任なんです、黒江先生」
「へー」
そんな会話をしているうちに、眼前のテーブルの自らの領域を、何者かが指でとんとんと叩いていることに気がつく。
その方向を見ると、昴流が、促すかのように一度だけ首を縦に振る。
「あ、お姉ちゃん、ちょっと相談というか、その黒江先生絡みのことで相談があるんですが、友達も聞きたいって言うからスピーカーにしていいですか?」
「へ? まぁいいけど」
元から断られるとも思っていなかったが、それでも理由すら聞かずに即断で許可をもらえた事に拍子抜けしつつ、画面をタッチしてモードを切り替える。
幸いなことに、夕方という微妙な時間帯で客も余りいなくなってきたのか、周囲の騒音は気にならない程度であった。
「えーと、葵さんのお姉様でしょうか。私、屋田昴流と申しますが……」
「あー、あんたが昴流ちゃんねー」
早速コンタクトを始めた昴流の名乗りに、軽いながらも友好的な色を滲ませながら、千鳥の挨拶が帰ってくる。
「話は聞いてるよ、ミニ四駆速いんだってねー。ウチの妹からも評判良いよ」
「お褒めに預かり光栄です」
返答は硬いものの、その声には硬さは感じられない。
とは言え、いつまでも世間話に興じている暇もないため、早速本題に切り出すことにする。
「早速ですが、既にお話は伺ってるかも知れませんが、私とあおみ…葵さん、それに赤橋と新土の四人で…」
「はいはい、例のHTMCに出たいって訳ね」
妙に物分りが良い…というよりも分かりすぎることに、一瞬全員の目が点になり、思わず顔を向き合わせる。
「…そもそも情報が出たのすら、昨日の今日だぞ? 何で知ってんだ」
スマートフォンが拾わない程度の小声で茉莉がそんな事を言う。
確かにその疑問は、三人が同時に思ったことでもあったが。
「…今はそこはスルーしましょう。本題と関係ないし、電話代が勿体無いから」
茉莉よりは配慮のできる昴流が、こちら側の流れを打ち切り、再び応対を始める。
「お話が早くて助かります。それについて、顧問の擁立が必要という事で黒江先生に就任を要請し、実際に許可をいただけたのですが、先ほどの貴女からの電話を受けて以降、どういうわけか途端に頑として顧問就任を拒否されてしまい、途方に暮れていたのですが」
「んー、さっきの電話で態度が豹変、ねぇ……」
数秒、何事かを考える素振りが伝わってきたが。
真っ先に帰ってきたのは、溜息であった。
「ったく、ズッキーもしょーがないなー。いつまで引きずってんだか」
『???』
勝手に納得されても、事情の分からない昴流達からすれば、クエスチョンマークを頭上に出し続けるほか無い。
「あのー……」
説明して欲しいとばかりに、葵が口を開くが。
「わかったわかった。100%私とズッキーの間のゴタゴタが原因だし、まぁ責任とって何とかするから」
「何とか、って……」
とりあえず説明を求めようとする葵であったが、一方的な姉からの攻勢に押され、言葉が出てこない。
「ま、ズッキーなら悪いようにはならないから安心しなさいって。良いようにもならないから」
「それ、居ても居なくても一緒って言ってません?」
やんわりと葵が突っ込みを入れるも、それに言葉を返すよりも早く、一方的に通話が打ち切られてしまう。
無機質な普通音が全員の耳に届くも、それは不安を一層増大させる音にしかならなかった。
「…………」
全員がしばしの間、沈黙する。
「……ホントに任せて大丈夫か?」
心底、心底心配そうな表情の茉莉であったが。
昴流や瀬都子も同じ思いだったようで、六つの瞳が葵を凝視する。
「…………えーと……」
珍しく、誤魔化すように、目を泳がせた葵の一言は。
「…………信じるものは、救われるって言いますし……」
「…………足元を掬われないといいわね」
急に猛烈な頭痛に襲われた昴流が、頭を抱えながらそんな事を呟いた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「…………また貴様か」
馴染みの茶屋の店内で、今後一か月分の茶葉を吟味している大事な時間に震えた携帯電話。
怒り半分で通話ボタンを押すと、本日二度目となる、馴染みの声が流れてくる。
「アオに聞いたよー。あの子らがミニ四駆やりたいってのに、顧問断ったんだって?」
「儂の勝手じゃ」
さっさと会話を打ち切ろうと、簡潔な答えだけ返すも。
相手はそうは思っていないようで、相変わらずの呑気な声のまま、話をぐいぐいと進めてくる。
「んもー。アンタほどミニ四駆知ってる教師がそんじょそこらに居るわけじゃ無し、やってあげればいいのに」
「喧しい」
苛立ちを隠そうともせずに言葉を返すと、更に面倒な言葉が次から次へと飛び出してくる。
「私とアオが姉妹だってこと知らなかったら、普通にアオに協力してたんでしょ? まだ『あのこと』引きずってるわけ?」
「…………話したのか」
あえて否定をせず、質問で返す。
それは暗に、黒江が何故に葵たちへの協力に却下をしだしたのかを表していると言えた。
「いーや? だってあれは私とアンタのプライベートな事だし、話してどうにかなるとも思えないし」
「…なら、もういいじゃろう」
二十年以上の付き合いのあるこの女に隠し事をしても、全ては徒労に終わるだけ。
そんな現実を熟知している黒江は、相手が全てを見通していることを察し、兎に角会話を終わらせる方向へと向かわせようとする。
「似ては居らんが、血の繋がりを聞いた以上、どうしても奴のツラを思い出すたびに貴様のツラまで思い出される。別にこれがカードゲーム部とか、プラモ部とかなら話は違ったろうが―――」
一旦言葉を切ると、まるで陳列されている渋茶を一気に飲み干したときのような声色で、一息に思いの丈を告げる。
「よりにもよってミニ四駆じゃ。あの時の苦渋がその度に蘇るとか、拷問でしかないぞ」
「…ったくもー」
駄々っ子をあやすように、呆れ半分といった声が、ガラケーの中から耳朶を打ってくる。
「恨みっこ無しって言ったのに、恨みっぱなしじゃん」
「そんなに簡単に割り切れるほど、人間は簡単にできておらん」
一言で切って捨てられるも、そのことすら予想の範疇とでも言いたげな千鳥が、悪戯な口調で問いかけてくる。
「ならさ、トラウマ払拭チャンス、挑戦してみない?」
「?」
唐突にそんな事を言われ、頭の上に疑問符が思い浮かぶも。
二十年間の付き合いは、一方的なものではなく相互であるが故に、何となく千鳥の考えていることがおぼろげに浮かんできてしまう。
「……貴様の妹と戦えと? 顧問就任を賭けて」
「ぴーんぽーん! 流石国立大卒、アッタマいー♪」
至極呑気な声が返ってくるも、対する黒江自身の声は、いつになく冷ややかなままであり。
「…何がどうなればそんな理屈になるんじゃ。頭悪いのか貴様」
余りにも予想通り過ぎる答えが、颯爽と返ってくる。
しかし、あくまでも予想通り。そこからどう親友を動かすかが、千鳥の腕の見せ所と言えた。
「だって、さっきズッキー自身が言ってたじゃん。アオの顔見ると私の顔がチラつくって」
「…誰かさんが絶妙なタイミングで電話してくれたおかげで、の」
自分が言ったことである手前、否定するわけにも行かず、渋々ながら認める。
一つ陥落すれば後はたやすい。千鳥は頭の中でルートを組み立てると、カーナビに従うかのようにそれに沿って提案していく。
「それに、アオの使ってるマシン、聞いてる話じゃ私のレイホークをセッティングだけ変えて使ってるみたいだし。その組み合わせに勝てば、もう一々ビクビクしなくていいでしょ」
「誰がビクビクしとると言うんじゃ!」
その怒声に、周りの客や店員が、ビクリと身を震わせて反応する。
遠巻きにヒソヒソ声で何事かを話し合う奥様方もいらっしゃる有様だったが、激昂した黒江の視界には映っていなかったのは、誰にとっても幸いだったと言うべきだろう。
「何年か前にちょっとだけ復帰してたんでしょ? アオもまだ始めて一ヶ月も経ってないくらいだし、流石に負けるようなことは無いでしょ」
「……あのなぁ」
身勝手な一言に呆れ返りながら、何とか『試合をしない理由』を探し出す。
「ガキ苛めてコンプ解消してどーなる。空しいだけじゃろ」
「んなこたーない」
ケラケラと笑いながら、半分は黒江を挑発するために、半分は自身に言い聞かせるために。
薄々感づいていたことを、親以上に自分の事を熟知している親友に伝える。
「あの子、私と違って背がちっちゃいくせにクソ真面目だし、遊び方もぜんっぜん知らないような子だけどさ」
一旦言葉を切り、何となく一度、息を吸い込んでから言葉を続ける。
「それでも私のDNA…って言うか、そういうもの諸々受け継いでるなーってのは思うよ。大会の話とか聞いてると、負け方とか失格の仕方とか、昔の私そっくりだし」
「姉妹揃ってアホなのか」
自分と共に、地元ではほぼ無敵と称され続けた相方。
だが、たまに経験した敗北の殆どは、ギヤの破損や電池の換え忘れといったケアレスミスが大半を占めていたことを思い出し、何ともいえない気持ちになる。
「ま、だからいいんじゃない? ズッキーならまともなマシン作れば、まぁまず負けは無いっしょ」
「まぁ、負けはせんじゃろうが」
一向に前に進まない会話に徒労を覚え、何となくそんな同意をしてしまったのが運のつき。
「んじゃ決定ね☆」
「やるとは言っとらんじゃろうが」
油断も隙もない一言に食いつくと、予想外の反論が帰ってくる。
「んじゃー、この会話録音してるけど、これ全部アオに渡していいの? アオに学校裏サイトとかで拡散させちゃってもいいの? こわーい黒江先生が単なるチキンだってバレてもいいの?」
「ざっけんな!」
激昂するも、既に相手は聞く耳を持たない。
「あーあー、恐怖政治って一回崩れると後は怖いんだよー? 最悪不良に脅されて、後はもうエロゲにありがちな展開とかあるかもよ? 毎日がひぎぃとらめぇのハーモニーだよ?」
「貴様の妹がそんな世紀末な学校に通っとるとでも思ってるのか。大体女子高じゃ」
もはや突っ込む気力も失せたが、一応そんな事を返すと。
次に帰ってきたのは、意外にも、しんみりとした声音であった。
「……それに、『そんな事』でトラウマ解消できるなら、私だって喜んでやるよ」
「…………」
後ろめたさを覚える道理など一切無い。
しかし、相手の実情を痛いほど知っているだけに、その一言に返す言葉が見つからず、つい言葉を詰まらせてしまう。
「……まだ引きずって居ったか」
「まーね」
ケラケラと笑うが、その声には、先ほどまでの明るさが少しだけ失われていた。
「結局志望校に落ちたおかげで上京のきっかけ手に入れて、それから今までズルズル東京で暮らしてるけど、存外悪くないし、こっちのチビ共と遊んでるのも楽しいから概ね満足だけど、さ」
声から、徐々に無理しているような、不自然な力が強くなる。
「それでもたまに思うもんねー。知り合いがいいとこの大学に受かったりすると、未だにちょっと嫉妬しちゃって、情けないなーって。一生こんな感覚引きずってくのかなー、って」
「…………」
何も言い返せなくなり、押し黙るしかない。
子供の頃のコンプレックスをいつまでも引きずっているのは、彼女とて同じだったからだ。
「ま、だから吹っ切れるためにも、ウチの妹と遊んでやってよ。2012年頃までのノウハウで充分勝てるっしょ」
「2013年じゃ」
微妙な間違いが何となく鼻につき、訂正の一言を入れる。
しかし、それがある意味、間違いとも言えた。
「あ、んじゃさ、中古でもいいからJC2013のフロント用カーボン余ってない? 新車作ったんだけど、なーんかフロントがちょっと寂しくて、シールもいい感じのが無いからロゴ入り使いたくってさ」
「…生憎JC前に辞めとるわ。つまらんかったからの」
そして、向こうからの返事を待つことなく、何となく耐え切れなくなり、通話終了のボタンを押した。
「…………まだ引きずってる、か」
何となく居たたまれなくなり、気付いたらすぐ手近にあった自動ドアをくぐり、とっくの昔に星が瞬いていた屋外に足を踏み出す。
そろそろ日が落ちてもすごしやすい気温を維持できている季節であったが、何となく彼女の心中には、空っ風が吹き付けているような気がした。
「結局、儂もお前もガキのままなんじゃな」
直線距離にして、およそ三百キロは離れたところに居る、昔からの馴染みの顔。
先ほどまで通話していた、懐かしくも憎たらしいその顔を思い出し、余計に複雑な心境になる。
「…………ま、結局何かせんと、これからは青宮のツラ見るたびに奴の顔が出てくるだけか」
自分を無理矢理に納得させ、車のロックを解除し、未だにその座り心地になれない愛車のシートに腰を下ろす。
目的地は、数年前に何度か足を運んだだけの、家電量販店の玩具コーナーであった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ミニ四駆部、だと?」
阿久比商業高校は、たった二年前までは名高い不良高校だったお陰か、生徒の質はお世辞にも良いとはいい難い。
そのため、さほど勉学に励む生徒が居るわけでもなければ、部活動に熱心な生徒が数多く所属するわけでもない。
その為、放課後ともなれば、殆どの教室がすぐに無人となるのが常であったため、適当な教室に絢火を連れ込んだ真琴は、事情を知ると共に、途端に怪訝な表情となった。
「笑うなら勝手に笑ってろよ、俺だって笑っちまうよ」
相も変わらず、眼力で殺すとでも言わんばかりに睨みつける絢火に対し、真琴は肩をすくめながら答える。
「別に笑いやしないさ。僕も少しばかりかじった事があるが、あの世界で頂点を目指そうとなると、並大抵の努力じゃ済まないことくらいは理解しているさ」
一応のフォローという名のワンクッションを挟み、話を本題へと移行させる。
「だが、どうして、自分でも『笑っちまう』なんて言うような物の部活を立ち上げようとしたんだ?」
「…………」
できることなら、沈黙を貫きたかった。
しかし、目の前の風紀委員長である真琴が預かっているお陰で、教師陣に知れ渡っていない絢火の悪事を晒されたら、退学処分は免れない。
その為、反抗したくなる自身を必死に制御し、ぽつりぽつりと説明を行う事にした絢火は、口を開いてゆく。
「……近い内に、高校生限定で、学校対抗のミニ四駆のチーム戦がある」
「……それに出るために、か」
真琴自身、ミニ四駆のことをさほど知っているわけでもない。
たまたま実家の近くに有名店があるらしく、長期休暇の度に甥っ子がその店目当てで泊まりに来るため、面倒を見るついでに遊び相手となるために組んでいる程度である。
だが、それ故にある程度大会の形式を知っている彼女は、更なる疑問を口にせざるを得ない。
「何故だ? 近所の…なんて店だったか、しょっちゅう大会をやってるじゃないか。どうして協調性皆無の君が、わざわざチーム戦に拘る?」
「…………」
先程より、一層苦虫を噛み潰したような表情をするも、自らが置かれている状況を自覚している絢火は、歯切れが悪いながらも語り始める。
「……どうしても潰したい奴が、その大会に出てくる」
「!」
その一言に、真琴は虚を付かれた。
「(絢火が…直接的な暴力じゃない方法で、潰したい相手が居るだと……?)」
入学して早々、些細な言いがかりを付けては、先輩同級生問わず何人もの人間に暴行を加えてきた東雲絢火が、殴る蹴る以外の方法で決着を求めている。
そのことが、真琴にとっては、にわかには信じられない事実であった。
「…………」
しばしの間、頭脳をフル回転させ、考えを纏める。
そして出た一つの提案と言う名の結論を、真琴は絢火にしてみることにした。
「……東雲。僕と取引しないか?」
「あ?」
取引。
その一言に不穏なものを感じた絢火が、眉間に皺を寄せて、こちらを睨みつけてくるが、真琴の表情はいたって涼しげであった。
「何、難しいことじゃないさ。僕の言う条件を飲むなら、僕が代表と言う形でミニ四駆部を設立し、その大会に君が出場する手筈を整えてあげよう」
「……?」
余りにも都合のよすぎる提案に、警戒を隠しもしない。
そのことすら想定の範囲内だったのか、真琴は一切動揺することなく、スラスラと自らの考えを述べてゆく。
「悪い話じゃないだろう? 君じゃ門前払いされた部活の設立申請でも、生徒会・学校側の両方に顔が利く僕がやれば一発だ。それに条件とて、さほど難しいことじゃない」
「勿体ぶってねえで、さっさと言いやがれ」
提案したのは真琴だが、最上級生の、それも風紀委員長、その上自らを退学に追い込むだけの武器を大量に有している相手に対しても、一向に媚びるという事を知らない。
その態度に苦笑する真琴であったが、余計なことを喋るよりも、話をスムーズに進行させることを優先する事にした。
「条件は三つだ。一つは、少なくとも大会期間中は品行方正に努めること。二つ目は、あくまでもリーダーが僕である以上、僕の顔を立てる事だ」
「ヘドが出そうだな」
と言いつつ、普段ならば床に唾かガムかを吐き捨てたであろう場面でも、何とか自制している様子が見られる。
それは暗に、気に食わないながらも、条件を受け入れると言っているようなものであった。
「そして最後の一つだが…僕からの質問には、できる限り答えることだ。すっとぼける事は許さん」
「んだと……!」
ある意味、絶対服従とも言える条件の数々に、いつも通り胸元に手が伸びそうになる。
「(…やっぱりダメか)」
胸中で真琴が嘆息する。
が。
「…………!」
伸ばしかけた手を無理矢理止め、引っ込める絢火。
その行動に、目を見開かんばかりに真琴が驚いていると。
「……クソが、それで済むなら好きなようにしろよ」
吐き捨てるような一言は、その条件を受け入れたという事。
提案しておきながら、真琴にとって、それは意外と言う以外になかった。
「……誰なんだ」
「?」
早速の質問であったが、意図する所が分からない以上、クエスチョンマークで返すしかない。
そのことを真琴自身分かっているのか、きちんと理解できるような形で、再度質問する。
「絢火。君はミニ四駆、やった事ないんだろう?」
「…持ってすらいねえ。大体ミニ四駆が何なのかすら、よく知らねえ」
確認のための質問を起き、改めて質問する。
「暴力による解決を捨て、僕に服従を誓ってまで相手の土俵で叩きのめそうとする…プライドの高い君にそこまでさせるなんて、一体何者なんだ?」
「…………テメェが知ってるわけねえ。ただのゴミクズだ」
話は終わりだとばかりに立ち上がり、どことなく疲れた歩みで、ドアへと向かってゆく絢火。
引き戸を開ける直前、一言だけ。
「…青宮葵、だ」
そう呟くと、後には何も残さず、その場を後にする。
「……青宮……?」
確かに聞いた事の無い名だったが、調べれば何か分かるかもしれない。
真琴は密かにその名前をメモすると、契約を履行するために動き出した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
一日の始まりから数時間がたち、登校直後は眠そうにしていた学生諸子も、何となく顔つきがさっぱりしている。
しかし、D組の一角に集まった四人は、テスト期間でもないのに深刻な顔をしていた。
「……青宮さんと赤橋さんが信用できないわけではないけれど、にわかには信じがたいわね」
「話が上手く行き過ぎてるぞ」
懐疑的な目線を隠そうともしない二人に対し、自分に割り振られた椅子に着席した葵と、脇に立つ瀬都子は困ったように顔を見合わせ、もう一度二人に見聞きした真実を伝える。
「ほんとやってー。ほんまに黒江先生、あーちゃんが黒江先生に勝ったら顧問になってくれるけど、あーちゃんが勝てへんかったら今度こそこの話はおしまいやって、そう言うたんやてー」
「……赤橋さんが嘘付いてるとは思わないけれど」
その必死な表情や、瀬都子の人格を省みなくても、そもそも瀬都子と葵が共謀して自分と茉莉を陥れることに何のメリットも無い。
即ち、二人の発言は真実以外の何物でもないわけではあるが、それでも昨日の態度とは一変した発言には、首を捻らざるを得なかった。
「葵の姉ちゃん、どういう脅迫したんだ? あのクソ偏屈があっさり態度かえるなんざ、尋常じゃねえぞ」
「き、脅迫……」
その表現に色々と思うところがあるのか、少々言葉が淀む葵であったが―――
「!」
ブレザーから微細な振動が伝わり、一瞬身体がビクリと反応する。
何のことは無い。ポケットに突っ込んでいたスマートフォンが、何者かからの通話を受信した事を知らせているだけであった。
「失礼します」
一応一言断りを入れ、飾り気の無いそれを取り出すと。
「……絶好のタイミング、ですかね」
その場の全員に見えるよう、テーブルの中央にそれを置く。
デフォルトのままいじられていない壁紙を背景にしたそこには、着信者の相手として『お姉ちゃん』とだけ記されていた。
「…はい」
「あー、アオー」
どこと無く眠そうなその声は、昨日聞いたばかりの、耳になじみすぎた姉の声。
色々と問いたいことはあったが、こちらが何かを言う前に、向こうが一方的にまくし立ててくる。
「ごーめん、そろそろ仕事始まるから用件だけ言うけど…その前に、友達居るならスピーカーにしといて、後で言うの面倒っしょ」
「あ、はい」
その一言に素直に頷くと、モードを変更し、スマートフォンの画面を誰もが見えるように、目の前の卓上へと設置する。
「んで、ズッキーの件、上手く行った?」
「…………」
確かに昨日の絶望的な状況から、かなり好転した現状を考えると、『上手く行ったのか』という問いにはイエスで返すのが正しいだろう。
そう判断した葵であったが、ひとまず事実だけを伝える。
「…あの、僕が勝ったら顧問になってくださる、という話に……」
「ん、やっぱそっか」
予定調和、とでも言いたげな反応を返してくることに、戸惑いを隠せない葵であったが、ひとまず事態を動かしてくれた事への礼から言う事にした。
「お姉ちゃん、ありがとうござ―――」
「そんな事より」
こちらに礼を最後まで言わせず、途中まで遮る。
その声には、普段の呑気さが、欠片ほども見受けられなかった。
「ズッキーは強いよ。子供の頃からクソ強かったけど、数年前にちょっと復帰してたらしいから、最近のトレンドもそれなりに取り入れて…正直、話聞いてる限りのアオじゃ、結構きついかも」
「…………!」
暗に『お前では勝てない』と言われた様で、少しばかり腹が立ってくる。
幾ら敬愛する姉とは言え、引いてはいけない一線があることを、葵は熟知していた。
「で、ですが―――」
思わず言い返そうとすると、今度は柔らかな声色が、スマートフォンを介して伝わってくる。
「よし! 闘志が無かったらやめろって言ってたけど、言い返そうとする気力があるなら勝てる!」
「は、はぁ」
何となく毒気を抜かれた気になり、気の抜けた返事を返してしまう。
しかし、続いて響いた声は、またも真剣なものだった。
「えーと、昴流ちゃんに茉莉ちゃんだっけ。ウチのアオに色々仕込んでくれた子。そこに居る?」
「!」
不意に話を振られた茉莉と昴流が顔を見合わせ、隠しても仕方が無いとばかりに応答する。
「はい」
「うん」
頷くと、満足気な返事が帰ってくる。
「そーかそーか。アオも瀬都子ちゃんも経験薄いみたいだから、経験豊富? なお二人さんに一応アドバイスしとくけど」
一旦言葉を区切り、さも深刻なことであるかのように、声のトーンを下げて告げる。
「あいつの知識は2013年のJC直前頃まで。突破口はそこにあると思うよ」
「?」
ピンと来た訳ではない。
むしろ全員が頭の上に疑問符を浮かべ、何となく顔を見合わせると。
「んじゃーねー、頑張って☆」
その一言を残し、通話がプッツリと切られてしまう。
それは暗に、協力はそこまで、後は自分たちで何とかしろという、彼女なりの意思表示に他ならなかった。
「……切られちゃった、な」
誰もが承知済みの事実を、ぽつりと茉莉が漏らす。
何のけない一言に、誰も何も返す言葉が無く、沈黙を保っていると―――
「…そういえば、その顧問就任を賭けたレースっていつやるの?」
把握していて当然といえば当然だが、急な千鳥からの電話で、誰もが聞きそびれていたことを昴流が尋ねる。
「明日の昭和の日、一番近所にある無料コースって事で、小鹿模型で朝一だそうです」
「時間がねえどころの騒ぎじゃねえな……」
ヒントを得たとして、残された時間は余りにも少ない。
「閉店ギリギリまで粘るわけにも行かないし…二時間でセッティング固めて、後は各自自宅でオーバーホールね」
昴流の一言に、全員が無言で頷く。
「(……となると)」
頭の中で高速でそろばんを叩き、ある程度勝算を上げるための計算を行う。
昴流にとっても、これは負けられない試合であった。
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