3-2 二度とこの話はするな
「おっはよーさん、ちゃんと揃ってんなーご両人!」
翌日、彼女たちの学び舎たる、星双高校にて。
HRと一限の間の僅かな時間に、昴流を無理矢理ひっ捕らえて葵たちの所属するD組に乱入してきた茉莉の口は、相変わらずご機嫌そのものといった感じである。
「おはようございます!」
「お、おはよー……」
妙にぎこちない瀬都子の様子に全く気づかないまま、脇に抱えていたタブレットの画面を点けると、二人の目前にそれを差し出す。
『?』
暗に『これを見ろ』と言われたことを感じ取った二人は、そのまま顔を寄せ合うように、比較的画面の大きいタブレットを揃って覗き込む。
小さい文字ではあったが、決して読み取れないサイズではなかったそこに記されていたのは―――
「…第一回Highschool Mini4wd Teamgame Cup 開催のお知らせ…」
「…ほんまにやるんやなぁ…」
決して昨日の出来事を夢か何かと思っていたわけではないが、こうして公式に告知ページが立ち上げられると、改めて現実のことだと実感せざるを得ない。
にわかに緊張してきた二人に対し、身も蓋もない事を茉莉が平然と言ってのける。
「昨日の夜にはもうアップされてたんだよ。やっぱり開催前提でやってたんだろうな、昨日のレース」
「あんまり評判が悪いようだったら開催取りやめにするつもりだったんでしょうけど、まぁ盛り上がったから当初の予定通り開催…って感じね」
昴流もそれを補足しつつ、問題を本筋へと移行させる。
「それよりも、この参加資格のページをよく読んで欲しいのだけれど」
「!」
その一言に促された二人が、大量に並べられた文字を次々と目で追っていく。
一応、葵はもとより瀬都子も相応の学力はあったため、書いてあった内容が理解できない、といった事態には陥らなかった。
「えーと……エントリーは一校につき一チームのみ、チームの人数は最小四名で最大八名まで。ただし一試合に出場できるのはチーム内四名のみで、当日申請したメンバーのみがその試合に出場できる…」
「…ってことは、ウチらはもう、この条件は満たしとるって事…でええの?」
一応、自分よりも賢い葵と昴流に同意を求めると、昴流が黙って頷き、意見を補足する。
「贅沢を言えば、誰かが欠場する事になった場合の保険に、もう一人か二人くらい補欠メンバーが欲しいところだけれど」
昴流の贅沢に全員が頷くも、ともあれそれは重要な要素ではないため、葵が先を読み上げる。
「各チームは、顧問教師をその学校に在籍している校長、教頭、または常任講師から一名選任すること。また、チーム自体ないしチームが所属しているミニ四駆を主体とするグループが、学校側から正式に部活動として認可を受けていること…」
「……えーと?」
余りに一度に頭に叩き込まれたためか、何となく付いていけなくなってしまった瀬都子が、周囲に助けを求める。
少しだけ呆れた顔になった昴流が、溜息混じりに説明をする。
「要は、一人でいいから顧問をつけること。それと、星双高校の偉い人…まぁ校長でしょうけど、校長から正式に星双高校の部活動の一つとして認められなきゃダメってこと」
「ま、オカルト研究会やら、ポケベル愛好会、野鳥をむしる会、教頭のヅラバリエーション研究会とか色々あるから、認定に関しちゃ問題なさそうだけどな」
「…何ですか? それ」
タブレットを葵と瀬都子の二人に貸し出しているため、スマートフォンで学校の公式HPを見ながらそんな事を言う茉莉に対し、葵が冷静に突っ込むも。
「…あたしが聞きたい」
「…ですよね」
至極真顔で冷静に返され、言葉を失ってしまう。
「ま、それはいいとして」
面倒な会話に付き合いたくないのか、嫌気が差したような表情の昴流が、常に胸ポケットに常備している生徒手帳を開き、規約をかいつまんで説明する。
「星双高校の規約では、顧問一人を擁立し、三名以上の部員希望者が最初から集まっているならば、反社会的であったり、著しくモラルに欠けなければ何でも良いそうよ」
「…ヅラ研究会はモラルに欠けてへんのかなぁ」
全員が内心で思っていた事を遠慮なく瀬都子が突っ込むも、誰もそれに対してどうこう言える知識を持ち合わせていなかったため、沈黙するしかない。
「ま、まぁ、それはともかく」
何となく重苦しくなった場を一掃するべく、無理に明るい声を出した葵が、額に冷や汗を浮かばせながら何とか話を先へ進めようと努力する。
「ミニ四駆が反社会的であったり、モラルにかける訳がありませんし、部員希望者も既に規定値を越えています…ので、後は顧問の擁立だけで何とかなると考えれば、先は明るいと思えませんか?」
「そ、そうね」
葵の意図をいち早く察した昴流が、同意を口にしながら、後を引き継ぐ。
「となると、現状の課題は顧問…だけれど、誰かアテとかいないかしら」
「アテ、ねぇ」
その一言で、全員が一瞬考え込む。
やはりというか、それを真っ先に破って見せたのは、瀬都子であった。
「ほなら、うちらの担任の黒江センセは?」
その一言で、全員の脳裏に、特注の白衣…もとい黒衣に身を包んだ、頭髪から瞳の色までほぼ黒一色で統一された、妙齢の数学教師の姿が思い浮かぶ。
「…まぁ、」
悪い選択肢ではない、と昴流が続けようとしたが―――
「パス!!」
胸の前で、大仰に両腕を使って×を表現した茉莉が、その挙動とともに発した一言で昴流の肯定をかき消す。
若干苛立たしさを感じさせるものであったが、その異議に対して異議を唱えるよりも早く、却下の理由を聞いてもいないのに喋りだした。
「あの先公、こっちのツラ見るたびに、やれ出席日数がどうだのイヤホンの音漏れがうるさいだの小テストが軒並み赤点だの何だのと喧しくって適わねーや。毎日部活でツラ見たくねえっての」
「全部あんたが悪いんじゃないの。しかも注意されて当然の事ばっかり」
脊椎反射的ではあったものの、それでも葵と昴流の心中をそっくりそのまま代弁するツッコミを昴流が入れるも、茉莉は頑として譲らない。
「いーや。他の選択肢全部潰れるまで、あたしは黒江は嫌だからな!」
「…せめて『先生』を付けましょうよ、相手は教師ですよ?」
何を言っても無駄だと分かっているのか、疲れ果てたように葵が言うも、茉莉本人は意にも介さずに我侭を言い続ける。
「だいったい瀬都子ももうちょっと考えろよ、何でわざわざご丁寧にこっちから『顧問になってください』なんて頭下げてまで黒江のツラを毎日拝まなきゃ―――」
「ほう」
瞬間。
小さく呟かれた程度のはずなのに、とても四人全員の耳朶を強く打つ第五の声がした瞬間。
全員の動きが、まるで一瞬で冷凍でもされたかのように、ぴたりと静止した。
「今から一限じゃというのに、儂の教室でギャーギャー騒いでる阿呆が居ったと思ったら、なんか愉快なことが聞こえた気がしたのう…」
「…………」
油の切れた人形のように、妙にぎこちない動作で、茉莉がゆっくりと背後に向き直る。
そこに腕組みしながら、妙に余裕たっぷりの表情を湛えて立っていたのは、たった今話のタネになっていた数学教師こと、黒江涼希であった。
「なーんか、儂と同じ苗字の人間が呼び捨てにされて居ったように聞こえたが、同姓の他人の話かのう?」
「いえ、先生」
茉莉が動けないのを好奇と見た昴流が、即座に挙手し、場を丸く治めるための一言を発する。
それは、ありていに言えば、仲間を売り渡す、悪魔の囁きであった。
「私達が新しい部活を作ることになり、顧問をどの先生にお願いしようかという話で挙がった名ですので、そいつが呼び捨てにしていたのは黒江先生のことで間違いありません」
「テメェ!!」
怒りからか、ようやく呪縛が解けた茉莉が、昴流に食って掛かろうとしたが。
「テメェじゃなかろうが」
背後から後頭部を、右手だけで鷲づかみにされ、その動きが静止する。
「とりあえず貴様は今までの分全部含めて反省指導じゃ、職員室に来んかバカタレ」
「がああああああ!!」
よほど強く頭を掴まれているのか、元々くしゃくしゃな髪型が更に乱れることも気にせず、何とか振りほどこうと必死にもがくが、華奢な手からは想像も付かないほどの握力に全く抗えず、そのままズルズルと連行されてしまう。
「あ、そうじゃ」
未だにギャーギャーと喚き続ける茉莉を無視し、ふと何事かを思いついたとでも言いたげな表情を言葉を発した黒江が、三人の方を向き、釘を刺す。
「何の部活かは知らんが、儂は手を貸さんぞ、めんどくさい」
「えー!?」
真っ先に不満の声を上げた瀬都子が、縋るように懇願を始める。
「センセ、うちら、どーしても顧問が必要なんです、名前だけでええから貸してくれへん?」
「そういうのは人に物を頼む態度と言わんぞ」
必死さは伝わるものの、誰の心も動かさないような懇願に眉をひそめながら、一方的に言いたい事をぶつける。
その態度からは、頑として動かないという、確固たる意思すら見え隠れしていた。
「儂は面倒ごとが嫌いなのでな。教師なんて掃いて捨てるほどいるんじゃし、他を当たれ」
「ちぇー」
口を尖らせる瀬都子と、苦笑しながらその様子を見守る葵に昴流。
非常に和やかな場面ではあったが―――
「お前らァ! 助けるとか何とかしてくれぇぇぇぇぇぇ!!」
未だに脱出できていない茉莉が、ひたすら喚き続け、場の静寂を乱してゆく。
「……茉莉さん」
そんな元師匠に対し、とても、とても悲痛な表情を浮かべた葵が、祈るように呟く。
「…更正して帰ってきて下さい。僕たちはずっと待ってますから」
「裏切り者ぉぉぉぉぉぉぉ!!」
その一言が、ズルズルという音と共に、室内から遠ざかっていく。
「…………あいつがいる限り、顧問が決まりそうに無いのだけれど」
「…そ、それは……」
幾らなんでもあんまりな暴言に対し、反論しようと試みる葵であったが、何も言葉を発することができず、沈黙するしかない。
兎に角、たった一つの障壁をクリアすれば良いにも拘らず、彼女たちの心中には暗雲が立ち込めていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
普段、方々で好き勝手な会話がなされ、あちこちで様々な工具やギヤが喧しい音を奏でる部室であったが、この日に限って言えば、不自然なほど静寂を保っていた。
人がいないわけではなく、十数人の部員は、むしろ珍しいことに一人も欠けることなく出席している。
問題は、その大半が意識を向けている少女―副部長こと、赤橋準子にあった。
「…………」
押し黙り、苦虫を噛み潰したような顔で、スマートフォンの画面を凝視する。
その画面に映った数字の意味が理解できないものは、部室内には誰もいない。目の前で空転しているモーターの回転数であった。
「…………」
一瞬、キリリと奥歯を噛み締めると、八つ当たり気味に机を叩きながら立ち上がると、椅子を仕舞いもせず、ドアまでズカズカと歩を進める。
「…お手洗いに行くついでに、飲み物でも買って頭を冷やしてきます」
こちらはこちらで作業に没頭していた―その実、作業の手は止まっていたが―金髪の小さな背にそう言葉を投げかけると、返事を待たずに退室する。
力いっぱい閉めた引き戸が、ピシャリと音を立てて閉じられた瞬間、一気に部室内に安堵の空気が広がった。
「……ビッックリした。じゅんじゅん、えっらい不機嫌じゃないの。なんかあったの?」
昨日のレースを欠場した石川が、ようやく一息ついたとばかりにチョコレート菓子の封を開きながら、思ったままを口にする。
とは言え、昨日から彼女の様子を間近で見ていた三人は、また話が違うようであり、代表するかのように由姫が眼鏡の位置を直しながら、可能な限り知りうる情報を伝えてゆく。
「分かりません。昨日のレース会場で、妹さんと再会されてから、ずっとあんなご様子で……」
「妹?」
石川が手に持った菓子を、ひょいひょいと摘んで口に放り込みながら、石崎が興味津々とでも言いたげに由姫に食いつく。
「じゅんじゅん、妹なんて居たんだ? しかもミニ四駆やってんの? 由姫っちも会ったの?」
「あ、はい」
石川から差し出された菓子を遠慮しながら、二人のみならず部員全員に聞こえるように、由姫がたどたどしい説明を続ける。
「その…何というか、妹さんは副部長に積極的に話しかけてらっしゃったのですが、副部長は余り快く思われていないようで…仲が悪いと言うより、副部長が一方的に嫌っているようでして」
「……ふーん」
気のない返事をしながら、流石に石川に菓子の横取りを拒否された石崎が、椅子にどっかりと腰を落とし、ぼやくように言う」
「妹だかなんだか知らないけどさー、部室内で不機嫌全開でいられてもたまったもんじゃないってーの。かと言って文句言ったら、それはそれで何されるか分かんないし」
「息詰まるよねー、勘弁願いたいもんだ」
口々にそんな事を言いながら、再び菓子を征服にかかる二人に対し、おずおずと由姫が根本的な疑問を問いかける。
「…あの、お二人共、副部長より先輩なのですから、普通に威厳を持って接すれば……」
その一言に、ピクリと反応を見せた二人は、声を揃えて由姫に食って掛かる。
『じゅんじゅん、怖い!』
「…………ですよね」
自分としても思っていることではあったため、予想できる答えではあったが。
そっくりそのままそれが帰って来るとは思わなかったため、何となく脱力してしまう。
「…………ようやくわかったっスよ」
それまで沈黙を保っていた少女が、不意に口を開ける。
今日は何をしてきたのか、真っ白なはずの白衣が、汚い七色に彩られていたかんなに、全員の視線が集中する。
「あー、バかんなはいいよ、喋んなくて」
「どーせろくな事じゃないから」
全員の気持ちを、石川と石崎が代表して口にし、かんなの口を封じに掛かる。
「バかんなって言うなって言ってるじゃないっスかー! 国連人権委員会だか何だかそんなようなアレに訴えるっスよ!!」
流石に直接的な罵倒語を使われたことで鶏冠に来たのか、両手を挙げて激昂の意を表するかんなに対し、石川が気のない声で関係の無い話題を飛ばす。
「んじゃークイズ。今の国連の正式名称は?」
「カンタンっスよ!」
無い胸を張り、まるで1+1の答えでも聞かれたかのような余裕で、かんなが威風堂々と解答する。
「国際連盟っス!」
一瞬の沈黙の後。
「ほら、バかんなだ」
「なんであんな頭で高専入れたんだか」
元からそんなものがあったとも思っていなかったが、今の一言で完全に聞く価値無しと判断した全員が、くるりとそっぽを向く。
否、一人だけ、かんなを見捨てない人間がいた。
「……かんなちゃん、それは昔の呼び名で、今は国際連合だよ…」
「…………え?」
目を丸くするルームメイトに頭痛を感じながら、確かにろくな答えが飛び出しそうも無いと思った由姫は、最後の一人に問いかける。
「…部長、どうにかなりませんか?」
単純な力関係では、誰が見ても準子に主導権があるように見えたが、単に部長と副部長という肩書きを尊重しているのか、それとも他の何かがあるのか。
何だかんだで準子が唯一意見や決定を尊重している、ぼさぼさな金髪を腰まで伸ばした小柄な部長、十朱和理に水を向けると。
「……うーん…………」
いつも即断で何かを決める彼女にしては珍しく、ぶかぶかな白衣の下に隠された腕を組み、瞼を閉じ、何事かを考え出す。
少しばかり思考をめぐらせていたようだが、お手上げとばかりに諦めたような表情を浮かべる。
「正直なー、我輩、準子とは結構長い付き合いだけど、準子が何でこんなに苛立ってんのか全然分からなくてなー」
頬を掻きながら、どこと無く言いづらそうに、和理は奇行の理由を述べてゆく。
「あいつの妹とは初対面だったけど、アホそうだけど悪い奴とは思えなかったし、ホントに分からんなー」
「…………」
その一言を受け、顔を見合わせた石川と石崎は、肩をすくめると、石川が週刊漫画雑誌を取り出し、、石崎が菓子の仇とばかりにそれを覗き込む。
「え、あ、先輩方、いいんですか?」
いきなり日常に戻りだした二人に、置いてけぼりにされた由姫がおずおずと尋ねるも、二人は既に興味がなさそうにおざなりな返答を寄越す。
「良いも悪いも、和ちゃんがお手上げならもう出来る事ないし」
「触らぬ神になんとやら、あとは放置プレイが一番だって」
そんな事を言い合いながら漫画雑誌をめくり、人気漫画の扉絵で指を止めた石川が、そのまま舐めるようにコマを目で追いだす。
その行為に意外そうな声をだした石崎であったが、少々ピントのずれた指摘であった。
「え? ヒロアカから読むの? ワンピは?」
「今週休載だって」
全く気のない会話を飛ばす二人に倣うかのように、あちこちでだらけた空気が流れ出す。
「……副部長……」
部において欠かせない参謀役にして実質的なまとめ役であり、自身をミニ四駆の世界に誘った彼女が様子を崩したことで、全体に悪影響が及んでいる事は、誰の目にも明白な事実。
そのことを改めてかみ締めた由姫には、事態が円満に解決することを望むしか、できることは無かった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ごめんねぇ、私もう俳句部の顧問だから、屋田ちゃんの頼みと言えどダメなんだよ」
老齢のベテラン教師が、申し訳なさそうに軽く頭を下げる。
それと同時に、四名が、めいめい不満を露骨に表現する。
「先生、お名前をお借りするだけでも結構なので、何とかならないでしょうか?」
「そうしてあげたいのは山々なんだけどねぇ…」
学年主席にして、教師からの信頼の極めて厚い昴流の懇願に対しても、教師の反応は、決してイエスを示さない。
「うちの校則で、一人の教師は一つの部にしか関与できないのよ。名義貸しとかそういうのも勿論ダメなの」
「…ズラ研究会なんてもんがあるのに人手不足って……」
その一言に抗ったところで、学校側からの規則という事であれば、何を言ったところで事態が好転するわけがない。
そのことを何となく察した瀬都子が、話の転換を試みる。
「ほなセンセ、誰か空いとる先生知らへん?黒江センセにも断られてもーて…」
「…………それがねぇ」
教師に対しても平然とタメ口を聞く瀬都子を諌めず、溜息をつきながら、彼女たちにとって絶望的な事実を突きつける。
「そんな規則なもんだから、部活の数自体が少ないし、新しく何かをやりたいって子による教師の取り合いが凄くてねぇ…今年入った先生も二、三年生の子が掻っ攫っちゃったし、私が覚えてる限りじゃ本当に黒江先生しか居ないわね」
「そんなー……」
その一言に、途方にくれる四人であったが。
救いの手が差し伸べられるのは、もう少し先の話となる。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
安普請な茶葉が、湯気とともに、値段相応のチープな香りで鼻腔を打ってくる。
「(…タダじゃからと思ったが、やっぱダメじゃのー)」
職員室に備え付けの緑茶に内心で悪態を付きつつ、かなり濃い目に入れたそれに口をつける。
しかし、余りに安っぽいその味は、一仕事終えた後の心地よい疲労感にケチをつけてきているようで、途端に耐え切れなくなる。
「(やってられんのー、面倒じゃが、仕事上がりに西尾行って茶葉買ってくるかの)」
そんな事を思いながら、B組の小テストの採点の仕事が残っていたことを思い出し、右手を伸ばして書類の山に手をつける。
と。
「先生、少しお話が…」
快活だが聞きなれない声が、彼女の左耳を打ったため、思わずそちらに目を向ける。
だが、あくまでも用事があったのは自分ではなく、隣の卓球部顧問であったらしく、自らには目もくれずに脇の教員と話を進める。
「ゴールデンウィークの合宿についてですが、行き先は結局どちらに?」
「うーん、そうねぇ……」
迷ったような口振りをするが、考えていなかった訳では無いらしく、備え付けの簡素な電話機に貼り付けたメモをはがし、リストアップした候補地をいくつか述べだす。
「夏の遠征とか合宿の事を考えると、部費温存のためにも近場…三島とかかしら」
「(……?)」
話の内容に引っかかりを覚えた黒江は、採点に集中するフリをしながら、それとなく聞き耳を立てる。
「(三島って確かリゾート地じゃろうが。部費でそんなところ行って合宿じゃと?)」
そんな事を思っている間に、生徒が歓喜の色を声に滲ませ、待ってましたと言わんばかりの態度を示す。
「三島ですか。となると三島商業との合同合宿ですか?」
「ええ。三島商業も立派に全国区だし、練習のパートナーとしてはお互い申し分ないかなって」
真面目な話が煮詰まりつつあるが、既に黒江の耳にはそんな会話は入ってこず、都合の良い妄想が一方的に鎌首を擡げ始める。
「(何じゃ、顧問になれば学校の金使って旅行できるじゃと? そんなオプションがあったとは聞いておらんぞ)」
一度始まってしまう身勝手な想像は、中々歯止めが掛からないのが世の常であり。
採点中の手も止まり、あれやこれやと一方的に考えを巡らせ始める。
「(屋田に青宮に赤橋に新土の四人か…青宮が居るから運動部ではないじゃろうし、屋田と青宮が居ればまぁ問題は起きんじゃろ、新土の阿呆も屋田がどうにかするじゃろ)」
そうまで考えると、居てもたっても居られなくなり、辛抱溜まらんとばかりに立ち上がると、呼び出しのために放送室まで足早に駆け出してゆく。
黒江の心中など知る由も無い二人は、そんな彼女に構わず、自分たちの卓球部に関しての話のみを行い続ける。
「それにしても、ソフト部とかテニス部とかの話聞いてると、卓球部だけこんなにあっちこっち行けるだけの予算貰えて良いのかな、って不安になりますよ」
「一応、うちの高校だと、卓球部だけ全国区だしねぇ…そりゃ学校も優遇するわよ」
時折感じていた後ろめたさを吐露する卓球部部長と、複雑な面持ちをしながらも、自らに与えられた特別措置を受け入れる顧問。
そんな二人の耳朶を、珍しい黒江のアナウンスが打ち出すのは、数分後の出来事であった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
『いやっ……!』
思わず顔を見合わせた葵と瀬都子が。
『たぁぁぁぁぁぁぁ!!』
満面の笑みでハモりながら、人目をはばからずにハイタッチを交わす。
無論、それは、難色を示していたはずの黒江が、彼女たちを呼び出して唐突に顧問就任を宣言したからに他ならなかった。
「…………やかましい」
うんざりした表情でそういった黒江は、嘆息しながら、最も話の通じそうな昴流に、必要事項の確認を取り始める。
「とりあえず新土が居らんのじゃが、貴様ら三人だけってことでいいのかの?」
「あ、えーと」
茉莉の姿が見えないことと、問題児が居ないなら居ないで押し通そうと思った黒江がそんな事を言い出すも。
渋々と言った表情で、昴流は訂正をして返した。
「すみません、先生と会いたくないと言って逃げ回ってますが、一応奴もメンバーです」
「……お前が何とか飼いならせよ、問題起こさせるなよ。儂は知らんぞ」
心底嫌そうな表情で返すも、とりあえずは茉莉が居ても問題ない公算は立てていたため、愚図らずに話を先へ進める。
「さっさと大会とか遠征とかどうするつもりかだけ教えんか。学校側に遠征費をせびらなならんのでの」
「はい」
話の転換に臨機応変に対応する昴流が、ポケットから飾り気の無いスマートフォンを取り出し、多少のタップを繰り返して教師に渡す。
「当面は、この大会に出るつもりで、私達は動いているのですが」
若干目が悪いのか、普段から不機嫌そうな形をしている瞼を更に細め、そこに表示された文字を凝視した。
「……なるほど、高校生限定のチーム戦か。それで顧問だ部活だなんじゃと必死じゃったわけか」
合点がいった、とでも言いたげな顔をしながら、昴流に向かってスマートフォンを放り投げる。
全く危なげの無い動作でそれを掴んだ昴流であったが、流石にその動作に何も思うところが無かったわけでは内容で、少しばかり眉間に皺が寄った。
「…にしても、ぶっちゃけ貴様ら、勝てる自信はあるのか? わざわざ大会出向いて1回戦落ちでした、なんて事になったら笑って済まさんぞ」
「…………」
思わず顔を見合わせる三人。
自信が全く無いといえば嘘にはなったが、昨日の大会を踏まえると、勝ち残れるかと問われても素直にイエスと言えないのが実情であった。
「し、正直―――」
少し自信が無い、と瀬都子が言おうとするが。
卓上に置いてあった、今時ある意味珍しいガラケーが、プリセットされた無機質なメロディーをあたり構わず奏で出した。
「む、ちょっと待っとれ」
よほど長い間使い続けているのか、あちこち塗装が剥げ落ちているそれを手に取ると、慣れた手つきでそれを頬に押し当てる。
「はい、もしもし黒江で―――」
いたって普通の受け答えを始めた黒江の言葉は。
『やっほー! ズッキー!? 元気元気ー!!!?』
少し離れて立っていた三人にすら聞こえるほどの大声で、途端に掻き消された。
「…………え?」
呆気にとられる昴流と瀬都子、思いっきり迷惑そうな表情を隠さない黒江とは違い。
不穏なものを感じ取った葵の表情が、少しだけ曇ってゆく。
「やかましい、まだ就業中じゃぞ」
「あっれー? ズッキーが残業なんてめっずらしいじゃーん、なんか不祥事?」
「貴様と一緒にするな!」
大声で携帯電話に向かって怒鳴りつけるその様に、何事かと職員室中の教師や生徒が遠目に野次馬を決め込むが、当人の視界には入ってないようで、そのまま会話を続ける。
「とっとと用件だけ言わんか。切るぞ」
「ごーめんごめん、ちゃんと用があって電話したんだって、冷たいなー」
よほど大声で話しているのか、一メートルほど離れた位置からでも充分に声が聞き取れたため、手持ち無沙汰な昴流と瀬都子がひそひそ声で雑談に興じ出す。
「…センセの友達かなんかかなぁ」
「…さぁ?」
一方、その真横で、その『友達』とやらの正体に何となく心当たりのある葵は、密かに冷や汗をたっぷりと背中に垂れ流していた。
「妹が最近ようやく元気になってきたみたいで顔見たいし、久々に親に顔見せなきゃだから、GWにそっち帰るつもりだから、どっかでまた飲みに行かない?」
「…妹?」
肝心の本件よりも気になることを言われ、ふとその口が止まり、会話の主題をそちらに移す。
「そういやそんなもん居るとかほざいとったかのー。何かあったのか」
「何かもクソもないっての」
随分と気に揉んでいたとでも言いたげに、声に一気に疲労の色を滲ませ、愚痴にも似た何かを吐き出し始める。
「一年位前に大怪我して、それが原因で最近までずーっと塞ぎ込みっぱなしでさ。ずっと励ましてくれた友達とか、最近始めたミニ四駆のお陰でようやく立ち直ったっぽくてねー」
「…………ちょっと待て」
その一言に、大いに引っかかりを感じ、一旦会話を途切れさせる。
「(……いや、このバカの妹がこんな良い子ちゃんな訳が……)」
脳内で否定しながら、目の前で突っ立っていた葵を一瞥する。
なぜか妙に悪そうな色に染め上げられたその顔は、疑念を持った上で見ると、確かに見慣れすぎた電話口の相手の面影が、意外なほどに見受けられた。
「……なぁ、貴様の妹、今幾つじゃったかの?」
「ほへ?」
急に何を聞くのか、とでも言いたげではあったものの、それでも律儀に答えが返ってくる。
「確かこの前高校に入ったって言ってたから、まだ十五歳とかその辺だと思うけど」
「…………」
先ほどと同じくらいの長さの沈黙が、辺りを支配する。
「…………なぁ、その大怪我って、もしかして足のことか?」
「へ?」
間の抜けた感が半分、意外性が半分といった感じで返事をすると、流石に家族のデリケートな部分に関わる問題のためか、やけに歯切れが悪いながらも肯定で返す。
「まぁねー。詳しくは聞いてないんだけど、とりあえず今は普通に歩けるくらいには回復したらしいけど」
「………………」
その答えに、先程よりやや長い沈黙が走る。
複数回の念押しを経て、ようやく認めたくない現実を、黒江が直視したからだ。
「……その妹、葵とか言わんか?」
「……」
今度は電話相手が沈黙し。
ややあって。
「あれー? ズッキー、アオと知り合いだっ」
答えさえわかれば上等とばかりに、通話ボタンを押し、一方的に会話を打ち切る。
そして。
「……青宮、あとおまけの二人」
「は、はい!」
唐突に名前を呼ばれた葵が、とても嫌な予感がしながらも、普段どおりに応対したが。
嫌な予感とは、往々にして的中するのが世の常であって―――
「事情が変わった。儂は貴様らの顧問なぞやらん」
『えー!!!?』
唐突な変わり身に対し、我慢ならんとでも言いたげな三人のうち、昴流と瀬都子が一斉に抗議の声を上げる。
「センセ、いきなりなんで…!」
「そうです、説明してください!」
しかし、黒江の反応は、至極冷たいものへと変貌を遂げていた。
「知ったことか。とりあえず帰れ。二度とこの話をするな」
『…………!』
余りにいきなりな発言に対し、思わず食って掛かろうとした二人であったが。
「……分かりました。失礼しました」
意外な事に、葵が、素直に身を引く一言を残す。
『!!?』
意外すぎる発言に、思わず声の主の方を振り返る二人であったが。
「……ここは僕に任せてください」
何かを言う前に、こっそりと小声でそんな事を言われ。
「…………」
顔を見合わせると、瀬都子が勝手に頷き、葵に同意する一言を教師に残していく。
「……失礼しましたー」
「……失礼しました」
一人だけ食い下がっても、事態は好転しないと判断した昴流が、更に一呼吸置いてその場を後にする。
既に他の教師や生徒の視線から開放され、三名の生徒からも解放された黒江が、一息つくとともに複雑な表情で、ポツリと漏らす。
「……血は争えん、って奴かの……」
唐突に蘇った、苦い思い出。
等の昔に忘れ去っていたはずのそれは、これからしばらく、再び彼女を苦しめることとなる。




