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1-1 姉からの借り物

一年ちょっと前からPixivで展開していた小説です。

諸事情あって『小説化になろう』さんにもお世話になる事になりました。


公式HP http://sc4wdrev.wix.com/sc4wd にてキャラのイラストや設定など、

公式Twitter https://twitter.com/sc4wdofficial にて裏話や中の人の奮闘記など

とにかく様々な視点からこの作品を作り上げたり、

ミニ四駆そのものを遊び倒したりしてます。


七転八倒しながら少しずつ前に進んでいく主人公たちの物語に、

どうかお付き合い頂けますよう、心から宜しくお願い申し上げます。

イラストは三奈宮みあ先生(@pluie_37)に手がけて頂きました。

挿絵(By みてみん)


 ―ミニ四駆。

 その名の通り、世界最小の四輪駆動による走行を実現した、世界最小のモータースポーツ。

 三十年の時を経て、なお人々を魅了してやまないこの小さなマシンは、またも新たな物語を生み出し続ける―

 「な、ええやろ? 付き合うてぇなぁ」

 つい三分ほど前に終礼の鐘が鳴り、睡眠までの数時間、僅かな自由を手にした学生たち。

 素直に自宅へと戻り、更に勉学に励む者。青春を謳歌せんと、部室へと歩を進める者。何らかの目的があり、僅かな時間ながらアルバイトへと向かう者。ほんの数時間だけでも、友人達との談笑に勤しまんとする者。

 各々が各々の予定の為に散会していく中、自分もさっさと帰宅してのんびりしようかと思った所を馴染みの顔に阻まれ、先ほどから懇願攻めを受けてしまっていた。

 「…また?」

 付き合いの悪い人間だと自認した事もないし、目の前で両掌をピッタリと合わせて拝むように懇願してくる少女が嫌いな訳ではない。むしろかなり好意を寄せている部類ですらある。

 だが、目的地と目的を聞いてしまっては、流石にあっさりと首を縦に振る気にはなれなかった。

 「前も言うたやん。プラモ屋って男の人ばっかりで、一人で行くんは怖いから付いてきて、って」

 「…嫌とは言ってないけど…」

 確かに一人で行動するよりは、二人で行動した方が犯罪に巻き込まれる確率は大きく下がる。

 プラモデル屋の治安がそこまで劣悪だとは思っていないが、肝心の目的地に自分が惹かれる要素が何一つない為、満面の笑みで首を縦に振る事はできない。

 しかし。

 「(…ただプラモが欲しいだけなら、ネット通販で買うだろうし)」

 自分の為と本心を偽り、こちらに頭を下げてくる親友。

 その心の内は、遠の昔にお見通しであったが故に。

 「いいよ、ただし終わったら―――」

 「近所のモクドやな、分かっとるって♪」

 『いいよ』の一言がよほど嬉しかったのか、踊りださんばかりの勢いで立ち上がり、自席に帰り支度に向かう。

 その背を見ながら、未だ着席したままの青宮葵は、本人に聞こえないように最大限配慮した声量で、

 「…やっぱり、ただ単にプラモ欲しかっただけなのかなぁ」

 自身の確信に自信が持てなくなり、一言だけぼやいた。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 『ウイニングバードフォーミュラ、検索結果:平均値2,500円、最高落札価格3,500円、 最低落札価格…』

 額にかけた…というよりは鼻の上に軽く載せていた丸眼鏡の位置を正し、ディスプレイに表示された文字を確認し、店員に見つからぬよう、ひっそりとほくそ笑む。

 インターネットオークションの落札履歴は、手にした商品が確かな利益を自分にもたらしてくれる事を、如実に表現していた。

 「(定価は250円だけど、500円の値札が貼ってあるな…でも上手く売れば大体3,000円の儲け、下手こいても2,000円は堅い…チョロイもんだ)」

 内心で呟くと、スマートフォンの画面を消した上でポケットに無造作に突っ込み、何食わぬ顔でレジへと歩を進める。

 「おばちゃーん、これちょう……あれ?」

 ここ数カ月ですっかり顔馴染みとなった、恰幅の良い店主の姿が見えず、思わず周囲をキョロキョロと見渡す。

 「おばちゃーん?」

 「はいよー!」

 先ほどよりも声を張り上げて店主を呼ぶと、意外にも店の奥まった所から、張りの強い女性の声が威勢よく帰ってくる。

 「はいはい、ごめんね茉莉ちゃん。上得意様をお待たせする訳にはいかないからねぇ」

 客である自分の名を呼び、親しみをアピールしながら、ドスドスという足音と共に近付いてくる妙齢の女性。

 数年前にこの小鹿模型の店主であった旦那が無くなったのを機に、この店を受け継いだとのことだが、数年の時がそうさせたのか、あるいは元から才能があったのか。女店主としては中々堂に入っている、とは彼女、新土茉莉の率直な感想であった。

 「あんれ茉莉ちゃん、一か月も見ない内に、随分と髪が伸びたんじゃないかい?」

 「んー、そうかな」

 その言葉を受け、何とはなしに毛先の一束をつまみ、クルクルと回す。

 良く言えばウルフカット、悪く言えば…と言うよりそのまま表現すればズボラ故の無造作ヘアーは、生まれつきの栗色が自分でもお気に入りではあったが、かと言って特別な手入れなどは面倒で行っていなかった。

 「オモチャばっかり買ってないで、たまには美容院でも行ってらっしゃいな。美人さんが勿体ない」

 ガハハ、と豪快に笑いながら、自身の商売を冗談交じりに否定する店主。

 「アッハッハ、ホントに美人だったら、未だに彼氏も無しに寂しく一人でオモチャ買いに来たりしないっての」

 こちらも冗談半分に自らを卑下し、あっけらかんと笑ってのける。

 実際の所、彼女が中学を卒業するまで異性として見られてこなかったのには相応の理由があるが、敢えて説明するまでもない事であったので黙っていた。

 「で、今日はこれ欲しいんだけど」

 適当に会話を打ち切り、 手に持っていたビニール詰めの商品をレジの上に置く。

 会話がしたくてこの店に来たのではなく、ただ小遣い稼ぎのために来たに過ぎなかった為、できる事ならさっさと帰ってオークションの出品手続きでもしたかった為である。

 「またミニ四駆かい? 本っ当にミニ四駆が好きなんだねぇ」

 商品を一瞥し、感心というよりはやや呆れたニュアンスで、そう漏らしてくる。

 「んまぁ、彼氏もいないし、勉強もやる気無いし、部活も入ってないし。他にする事無いからねー」

 またもケラケラと笑いながら、相手の言葉を直接的に肯定も否定もせず、その実は暗に肯定するような物言いをする。

 「(…ホントはどうでもいいんだけどね、オモチャなんて。小遣い稼げりゃそれで)」

 口が裂けても出さない本心を、心中で吐露する。

 このような個人店では、店長・店員の腹積もり一つで入店禁止などの措置が下される事も決して珍しくない。

 しかし、茉莉にとって、さほど客の入りが激しくなく、商品の回転ペースも随分と遅いこの店は、格好の狩り場である。迂闊な事を言って金ヅルを手放す訳にはいかなかった。

 「けど茉莉ちゃんも嬉しいんじゃないの?」

 「? 何が?」

 釣銭をしまった財布をポケットに無造作に突っ込んだ茉莉は、商品と共にそんな言葉を渡してくる店長に、疑問符で返すしかない。

 「ミニ四駆よ。最近やたらブームになってるみたいで、ウチでも結構売れてくのよ」

 「ああー……」

 気がついてはいた。

 この店に限らず、あちこちの店で商品の変わるサイクルが速くなっていた事と、売り場スペースが拡張しつつある事、プレミアの付いていた商品の中古相場が高騰の一途をたどっている事、そして何よりあちこちの店がコースを店頭に置きだした事。

 言われてみれば、それらの要素は全て『ミニ四駆が売れだして来ている』という事を示唆していたのだが、何度も言うように茉莉は『ミニ四駆』には興味がない為、さほど深く考えても居なかった。

 「茉莉ちゃんも一緒にミニ四駆やる相手が増えて、楽しいんじゃない?」

 「いやー……」

 そもそもミニ四駆を介した交流など一度もした事がない為、どういうものか想像すら及ばず、迂闊なことを口走れずない。

 その為、何とか愛想笑いで誤魔化しているうちに、向こうが勝手に話題を変えてくれる。

 「それでねぇ、うちもブームに乗り遅れちゃマズイと思って、昔置いてたコースを倉庫から引っ張り出して来て、さっき店の奥の方に作ってたのよ。昔使ってた市販品そのまま組んだだけなんだけど」

 「なーる、それでさっきレジに居なかったのか」

 コメントしようがない為、適当に頷いて受け流す。

 「それでね、今コースの周りに置いてあるプラモデルも全部一旦余所へ移して、あの辺一帯を全部ミニ四駆とパーツ、あと改造スペース置いて完全ミニ四駆用にしちゃう上、商品も一杯増やすから、楽しみにしてて頂戴」

 「し、商売上手だねぇ…」

 僅かな時代の潮流を見逃さず、リスクを恐れずに全てをベットする。

 そのフットワークの軽さには恐れ入ったが、同時に思うところも勿論ある。

 「(…ま、今の時代、そうでもやってかなきゃ大型店とかネットに潰されていくだけか)」

 心中で軽く同情しながらも、これ以上長話に付き合わされたらいつメッキが剥がれるか分かった物ではない為、適当に切り上げる事にする。

 「んじゃ、おばちゃんも忙しいみたいだし、あたしは今日は帰るよ。今買った奴も組んでみたいし」

 「ホントにミニ四駆好きなのねぇ」

 呆れ顔を覗かせる店主を尻目に、出口へと向かう。

 「んじゃ、またその内来るから、そん時ゃよろしくー」

 「はいよー、お友達にもこの店、紹介よろしくねー」

 軽く挨拶を交わし、キイキイと煩い扉を開くと、未だに高い位置にある太陽が容赦なく照りつけてくる。

 眼鏡越しに差し込むその光に目を細め、何とはなしに呟く。

 「まだゴールデンウィークにもなってないのに、暑っついなー」

 何か予定がある訳でもないが、長期休暇が近い、という事実だけで嬉しくなる。

 本日の獲物を入れたカバンを愛用の自転車の前カゴに無造作に突っ込み、ほんのりと熱を帯びたサドルにまたがると、鼻歌交じりに我が家へと走り出した。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 「で、今日は何を買うの?」

 健脚な人間であれば、二人の通う高校から、目的の模型店までは歩いて十分もかからない。

 しかし、やむを得ない事情により、少しばかり歩く速度がゆるやかな二人は、ゆうに十五分は歩きづめであった為、会話の種も流石に尽きてくる。

 その為、プラモデルにはとんと興味のない葵であったが、会話の種になればと瀬都子に話題を振ってみせた。

 「これこれ、この子や!」

 待ってましたと言わんばかりに、スマートフォンの画面を見せてくる。

 単に、何だかよく分からないゴテゴテした装飾をまとったロボットの画像が表示されているだけなら良かったのだが、画面の端には、様々な模様のアイコンがぽつぽつと点在している。という事は、

 「…待ち受けにしてるの?」

 ややぐったりとした面持ちで質問すると、こちらの事など知った事ではないとばかりに、興奮気味に詰め寄ってくる。

 「せやせや、スチロール戦記の超可動シリーズ、幻のNo.39オッドアイズ・マジシャンのスターダスト・ヒーローエディション!!むっちゃカッコイイと思わへん?」

 「…ゴメン、わかんない」

 素直にそういうも、既に瀬都子の耳には入っていないようで、勝手に自分だけの世界に旅立ってしまっている。

 「前に発売した時は即完売してもーて、今回の限定再販でようやく買えるんやなぁ…最終回でスターダスト・ヒーローエディションになった時はカッコよすぎて泣いてもうたんよねぇ」

 「……」

 ついて行けずに、疎外感を覚えた、次の瞬間。

 「!」

 眼前に、突如現れた、銀フレームの自転車にまたがった通行人。

 葵や瀬都子とぶつかることなく、颯爽と今二人が来た道へと進んで行ったが、明らかに乗っていた茶髪で癖っ毛の少女はこちらを見ていたし、こちらもまた彼女を一瞬だけ凝視してしまった。

 「今の、ウチらと同じ制服やよね?同級生かなぁ」

 「………かもね」

 何の気も無しに見たままを述べる瀬都子と、先ほどよりも数段沈んだ声を出す葵。

 「……人の姿見て思ったけど、こんな暑ぅなってきはったのに、いつまでも冬服はそろそろ限界よねぇ。はよ衣替えにならへんかなぁ」

 「………そうだね」

 「…………」

 何も言わずとも、瀬都子には、葵がたかだか『自転車とすれ違っただけ』で沈んでしまった理由が、痛いほどによく理解できた。

 同時に、あの地獄からこうして立ち直った目の前の小さな親友の事を、心から称賛したい気持ちで胸の中が満たされる。

 「……大丈夫。絶対、いつかはあんな風に自転車乗ったり、走ったりできるようになるから、心配せんとき」

 「…うん」

 称賛の代わりに、そっと、出会った頃から変わらぬポニーテールを携えた小さな頭を撫でる。

 「その為にこうやって毎日歩いたりして、リハビリ頑張ってるんやし、随分歩ける距離も長くなったし。絶対良い方向に転がっていくって

 「……うん…」

 思わず、限定プラモが目当てというお題目を忘れ、葵のリハビリが本当の目的であった、と自白してしまい、その事に気づいてすらいない瀬都子。

 そんな親友の姿が、一言一言がとても眩しく、とても有難く見えた葵。

 同時に、感謝の涙すら気恥ずかしさから隠してしまう自分が、とても嫌な人間のように思えてしまってならなかった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 「こんにちはー!」

 それから数分後、長い事油を差してないのか、耳触りな開閉音で人に不快感を与えるドアを勢いよく開き、すっかりいつもの調子を取り戻した瀬都子が小鹿模型の店内へと乱入する。

 「こんにちは」

 瀬都子の付添で何度か来た事はあったが、一度も物を買って商売に貢献した事がない為に何となく居心地の悪さを感じてしまう葵は、至極小さな声で挨拶だけする。

 が。

 「…おばちゃん、おらんなぁ」

 「…?」

 いつも威勢と恰幅の良い女店主の姿が見えず、二人でキョロキョロと目線をさまよわせてしまう。

 「表の札は?」

 「OPEN、になっとったよ」

 「だよね」

 二人で改めて記憶を照合しあい、この店が確かに客を受け入れる状態にあった事を確認する。

 それが間違いでないが故に、二人で仲良く首を捻るしかない。

 「ちょっとお手洗いに行った、とか?」

 「ああー、そうかもなぁ」

 葵の一言に、さもそれが正解であるかのように頷く瀬都子。

 「この店、おばちゃん一人でやっとるもんなぁ。そらおばちゃんもずっとレジ居れるわけじゃないもんなぁ」

 「それにしても不用心な…」

 個人商店であるが故に、ある程度のセキュリティの不備は仕方のない面もあるが、それにしても度を超え過ぎている。

 「ま、ウチ等がレジの所に立っとれば、泥棒が来ても変な気起こさへんやろ」

 「うーん…どうかなぁ」

 方や、繁華街で二分ほど突っ立ってれば何人かは見かける事ができそうなほどに、平凡な女子高生像を体現したような瀬都子。

 方や、年齢も立場も立派に女子高生のそれなのだが、未だに私服だと小学生と間違えられるほどに背丈の低い葵。

 どちらにせよ、番人のような役割を望むには、非常に心許ない存在と言える。

 「とりあえず誰かきたらうっさいドアのお陰で分かるし、さっさと新入荷プラモのコーナー行こ、な?」

 「うーん…まぁいっか」

 考えてみれば、今まで自分がこの店に来た時、瀬都子と店主以外の人間をこの店内で見かけた覚えが全くない。

 「(…そんなに流行ってないお店だし、きっと店長さんが戻ってくるまで、お客さんも来ないよね)」

 葵は、そう無理矢理自分に言い聞かせ、店をノーガードにする事への免罪符を得た。

 「えーと、キャラクタープラモはこっちやね――――」

 スキップしかねない程に軽やかな足取りの瀬都子が、お目当ての王子様の待っているハズの場所へと赴く為に、通路の最奥まで歩を進め、右折しようとする。

 そこが瀬都子お気に入りのアニメ絡みのプラモデルの定位置である事は、数度来た葵も承知していた。

 しかし。

 「わ!?」

 「きゃあっ!!?」

 瀬都子が目的の場所へと足を踏み入れる寸前、何者かの野太い叫び声が上がる。

 それに驚いたか、やけに可愛らしい悲鳴を上げると共に、その場にぺたんと尻餅をつく瀬都子。

 「セッコ!」

 大切な、無二の親友に、何らかの危機が迫っている。

 そう思うよりも先に、無意識の内に、走れる筈のない足で、たった1メートルの距離を駆け出そうとしてしまう。

 しかし―――

 「おばちゃん?おったん?」

 「あんれ瀬都子ちゃん、いつ来たんだい?」

 「……!」

 気の抜けたような二人の声が耳朶を打ち、思わずたたらを踏んでしまう葵。

 幸いだったのは、踏み出した足が、無傷の右足だった事か。

 「わ、あーちゃん、危ない危ない!」

 視界の端でその光景を捉えた瀬都子が、座り込んだまま葵の腰を抱き締め、何とか転倒を防ぐ事に成功した。

 「足悪いんやから、ムリしたらあかんってー」

 「セッコが叫び出すもんだから……」

 のんきにこちらを注意してくる瀬都子に、呆れたように反論する。

 「おや葵ちゃんもかい。いらっしゃい」

 「こ、こんにちは…」

 のんびりとした声でこちらを出迎えてくる店主に、すっかり怒るタイミングをずらされてしまい、挨拶を返す事しかできない。

 「おばちゃん、いつ来たも何も、さっきウチら挨拶したし、店内でずーっと喋っとったやん。聞こえてなかったん?」

 口を尖らせて、自分達の存在に気づいていなかった事に文句を言う瀬都子に対し、豪快に笑いながら釈明する店主。

 「ごめんごめん、年甲斐も無くこんなもん作ってたら、ついつい必死になっちゃってねぇ。今瀬都子ちゃんがこっち来るまで気付かなかったのよ」

 そう言いながら、スッと二人の眼前に差し出した右腕。

 女性の物にしてはやけに巨大な掌の上には、二人には全く見覚えのない、奇妙な何かが載っていた。

 「……?」

 一瞬、平たい板のようにも見えたが、よく見ると起伏に富んだ形状をしている。

 白を基調としたその体には、青、赤、黒、黄…様々な色を用いたシールが一見無造作に、それでいてその実秩序だった配置で貼られている。

 本体の前方部分に描かれた、ワンポイントと言うには少々巨大すぎる『豪』という一字が、二人にとても大きなインパクトをもたらした。

 「何だろ、これ?」

 「あー、ミニ四駆って奴やっけ、これ」

 全く見た事のない未知の物体を目の前に首を捻る葵とは対照的に、納得が言ったとばかりに頷いたのは瀬都子。

 「知ってるの?」

 「模型やっとるなら知らん方がおかしいで、これ」

 葵の問いかけに、何を言わんかとばかりの態度で返してくる瀬都子であったが。

 「…いや、私、プラモデル作った事無いから…」

 「そっか、それならしゃーないか」

 あっはっはー、と笑う瀬都子に呆れながらも、心のどこかに妙な引っかかりを覚えた葵は、心中で困惑していた。

 「(…?似たようなもの、確かどこかで……?)」

 一瞬だけそんな思いに囚われるも、瀬都子への次の質問に気を取られ、そんな思いはどこかへと消えてしまう。

 「で、このミニ四駆って何なの?」

 「モーターライズ…って言うても分からへんか」

 専門用語を使った所で、ニッパーすら持った事が無いような親友に理解できるはずもなく、一からの説明を試みる。

 「簡単に言えば、電池とモーターで動くプラモなんよ。ウチも戦車のモーターライズのプラモなら幾つか持っとるけど、ミニ四駆触るんは初めてやなぁー」

 「そう言えば、部屋に戦車のプラモデルあったね」

 流石にモーターくらいは知っている葵は納得するが、その一言に引っ掛かりを覚えた人物が一人いた。

 「あんれ瀬都子ちゃん、あんたミニ四駆買った事無かったのかい?」

 「うーん…」

 プラモデルと一言で表しても、車から飛行機、戦車と言った乗物から、ロボット、キャラクター、住居…多種多様な物が市場に溢れている。

 それ故、特に手を出した事が無くても不思議があった訳ではないが、瀬都子は頬を掻きながら丁寧に説明する。

 「何かなぁ、ウチ、戦車のモーターライズのプラモは大好きなんやけど、あのスピードで走るんは戦車やからカッコええって思うとって…」

 上手く言葉にできないもどかしさと戦いながらも、懸命に理由を相手に伝えてゆく。

 「せやから、なんかそんな…如何にも『レースやります!』ってな格好しとっても、モーターライズの速さって高が知れとるから、あんまり魅力感じなかったんよねぇ」

 「…確かに」

 何度か瀬都子の部屋で、彼女の作成した戦車のプラモデルを見た事がある葵も、思わず頷いてしまう。

 物欲を刺激される程では無かったが、実物の数十分の一という小さな体躯にも関わらず、あちこちの悪路を平気で進んでいく姿は勇ましく映ったが、その速度には若干のじれったさを覚えてもいた。

 「うーん…ミニ四駆と戦車って、全然別物なんだけどねぇ」

 店主は頭をガシガシと掻きながらも、百聞は一見にしかずと判断し、自身の巨大な体躯をどかし、背後が見えるように配慮する。

 「これがミニ四駆に必要な、コースって奴。ここを走らせるのがミニ四駆なんだよ」

 そのまま、自身の眼前、即ち二人の向いている方向の床を指す。

 そこには、これまた二人には全く見た事のない、巨大な楕円上の灰色の板のようなものが横たわっていた。

 「へー、何かでかいなぁ」

 無許可でそのコースにぺたぺたと手を触れ、瀬都子が見たままの感想を述べる。

 平面的な物ではなく、仕切りのようなもので三つの溝に分けられた、立体的な構造の何か。

 二人にとっては全くもって未知の存在であったが―――

 「いいかい?よく見てるんだよ」

 そう言いながら、手元のマグナムセイバーをくるりと反転させる。

 白が主体だった表とは正反対に、主に黒色で構成されたそれの上部に、店主が指を触れ、少しだけ左にずらした瞬間。

 ギュイイイイイイィィイイイイイ!

 「うわ!」

 「!」

 突如、無音だったマシンが凄まじい音を上げた事に、少しだけ驚く。

 そんな二人を尻目に、店主はそれを再度反転させて、コースに近付けた。

 「上手く走るかね…っと!」

 意味深な事を呟き、右手を大きく『パー』の形に開く。

 必然的に、支えが無くなり、コースに落下したマシンは―――

 「わ!」

 「!!」

 キュワァァァァアアア、と、猛烈なスキール音が、狭い店内に満ちる。

 しかし、二人が驚いたのは、そんな些細な事では無かった。

 「…走ってる」

 「へぇー、速いなぁー!」

 目で追えない程ではないが、本体に描かれた文字や模様などは一切判別できない程度の速度で、壁に導かれるようにコース内を疾走するマシン。

 全く未知の光景に驚き、歓声を上げる瀬都子とは裏腹に、葵の胸中には一つの確信が生まれていた。

 「(…やっぱり…!)」

 しかし、黙りこくってしまった葵に気が付いた節子は、途端に不安げな表情になり、問いかけてくる。

 「…あ、あーちゃん……」

 「…!」

 その表情から、瀬都子が何を言わんとしてるかを理解した葵は、軽くその額を小突く。

 「そんなんじゃないから。誤解しないで」

 「ご、ごめん……」

 自分には非は無いだろうに、素直に謝罪してくる親友。

 その姿がいじらしく思えた葵は、更にもう一度小突く。

 「セッコが悪い訳じゃないんだから、わざわざ謝ったりしないで」

 「ご、ごめんてぇ~」

 こちらの話を聞いているのか居ないのか。同じやりとりを繰り返す二人を見て、呆れたように店主が話しかけてくる。

 「お取り込み中の所悪いけど、二人ともちゃんと見てたの?」

 「ご、ごめんなさい」

 「見てた、見てた!すごいなぁー、それ」

 委縮しながら謝罪する葵とは対象的に、ミニ四駆自体には多大な興味を持ったらしい瀬都子が、手放しに絶賛する。

 「そんなちっちゃいのに、凄い速さで、コース?やっけ?の中走りまわって!ちっちゃいラジコンみたいやなぁ!」

 「あらま、そんなに気に入ったの?」

 未だにコースの中を疾走していたマシンをしっかりと受け止め、先ほどとは逆方向に指を滑らせて大人しくしながら、店主が瀬都子に微笑みかける。

 一方の瀬都子は、大仰に頷き、間違いなく本心からであろう賛辞を店主…というよりミニ四駆に送りまくる。

 「戦車のモーターライズはどこでも走って可愛いねんけど、スピードは断然ミニ四駆の方が上やなぁ!すごいわぁー」

 「そりゃ、比べるもんじゃないからねぇ」

 頓珍漢な比較に苦笑しながら、丁寧な説明を始める。

 「戦車のモーターライズのプラモデルは『どこでも走る事』を目的に作られてるけど、ミニ四駆は『コースを速く走る事』だけを考えて作られてるからねぇ。そりゃ単純な平面のスピードはミニ四駆の方が断然上だろうねぇ」

 「へぇー」

 実際にはレース用以外の物も存在するのだが、今説明した所でこんがらがるだろうと判断し、説明を省く店主。

 納得したように頷いた瀬都子だったが。

 「あ!」

 自分の『戦車のプラモ』という言葉に、本来ここに来た目的を誘発され、素っ頓狂な声を上げる。

 「お、おばちゃん、ミニ四駆もええけど、アレ無い?再販版のオッドアイズ・マジシャン!」

 「オッドアイズ?」

 自分の店で取り扱っている商品である筈なのに、聞き慣れない、とでも言いたげな、怪訝な表情とクエスチョンマークで返す店主。

 「ほら、今日再販の、スチロール戦記の限定の奴!」

 何とかお目当ての物を手に入れようと、必死に説明する瀬都子。

 しかし―――

 「あー、あれか!ごめんねぇ、昼頃に全部売れちゃったのよ」

 無慈悲な宣告に、膝から崩れ落ちる瀬都子。

 「そ……そんな………」

 まるで受験にでも落ちたかのような大仰なリアクションに、流石の店主も慌てたか、必死に二の句を継ぐ。

 「ご、ごめんね、瀬都子ちゃんが欲しがってるなんて知らなかったもんで…三つくらい入ったんだけど、今日の昼頃にサラリーマンっぽい人がフラっと入ってきて、全部買ってちゃったのよ」

 「…ウチの……オッドアイズ・マジシャンが……売り切れ………」

 「…ま、まぁ、ネット通販で買えるだろうし、元気出してよセッコ」

 ある意味、営業妨害に等しい慰めを不意にかけてしまう葵であったが、瀬都子がそれで立ち直るならと、店主も聞かなかったフリをせざるを得なかった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 「にしても、凄かったなぁー、あのミニ四駆って」

 何とか歩けるくらいには立ち直った瀬都子は、葵のペースに合わせて、当初からの約束であったハンバーガーショップへと足を向けていた。

 「あんなちっちゃいのに、何が何だか分からんようなスピードで走りまわるんやもん。人間ってホントに凄いもんが作れるんやなぁ」

 「…セッコ」

 自分から言い出した事を曲げるような事を言うのは不本意ではあったが、それでも言わなければ始まらない。

 葵は瀬都子の眼をしっかりと見据え、改めてお願いを一つ言いだす。

 「ごめん、今日、このまま私の家に行きたいんだけど…」

 「へ?」

 『モスドに行くんと違うん?』と言いかけた瀬都子は、一つの可能性に瞬時に行きあたり、途端に心配を全面に打ち出した表情へと変貌する。

 「あ、足、痛くなったん? おぶったげるから、家までちーっと我慢……」

 「あ、いや、そうじゃなくて」

 自分から言い出した約束を自分から無かった事にした事に怒ったりするのではなく、こちらの体調不良の可能性に思い至り、即座にそれを心配してくれる親友。

 その姿に感極まり、思わず本日二度目の涙が溢れそうになるも、必死にこらえて真意を説明する。

 「さっきのミニ四駆って奴、もしかしたら、僕持ってたかもって思って、確認したくて…」

 「………」

 黙りこくってしまったが、怒った訳ではない事は、表情を見れば明白であった。

 思案顔のまま、首を少しだけ右に傾け、しばし沈黙し―――

 「え?」

 葵の部屋には数えきれないほど訪問した事があるが、あの殺風景な部屋にそんなものがあった記憶が全く無く、思わず間の抜けた声が出る。

 しかし、部屋の主たる葵が持っている、と言うのであれば、自分の知らない所に存在していたのであろう。そう判断した瀬都子は、葵を促す事にした。

 「ええよ、それ確認しに行こっか」

 「…ありがと」

 本来ならば、ファストフード店に寄ってから行っても、何ら遅くは無い筈である。

 しかし、珍しく自分から言い出した事を曲げた葵に思う所があった瀬都子は、あっさりと予定の変更を許容した。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 「…それっぽい、なぁ」

 「…それっぽい、ね」

 所変わって、葵の自室。

 年頃の少女の部屋と言うには、聊か殺風景過ぎるとも言えたが、基本的に葵に物欲がない事の何よりの証左と言える。

 そんな部屋の、収納棚に隠された箱の中にぽつんと置かれた、失礼ながら年頃の少女の部屋には似つかわしくない程に攻撃的なフォルムをした『それ』を見て、二人が発した第一声はほぼ同じものであった。

 「さっきおばちゃんの持ってた白い奴、あれは丸っこくて可愛かったけど、こっちはなんかスマートで速そうやなぁ」

 「…うん。きっと、きっと速い……」

 葵の手に握られた、小さな、余りに小さなマシン。

 先程の物とは違い、底面が白い板で出来ており、その上に明らかにスプレーで塗装された、ライトブルーに染められた複雑な形状のプラスティックが固定されていた。

 「しかし、何か平べったくて速そうやなぁー。こいつー」

 まるで宝石か何かを扱っているかのように、慎重な手つきで全体を支えつつ、舐めまわすような目線で全体を見渡す。

 そんな瀬都子が、『いつ買うたん?』との質問を口にする前に。

 「………あ」

 その様子を微笑みながら見ていた葵は、彼女自身にとってはどうでもよかったが、瀬都子にとっては重大な筈の一つの事実に思い至り、本人に気付かせる。

 「セッコ、あの、えーと…な、何とかマジシャン、買わなくていいの?」

 「あ!」

 すっかり頭から抜け落ちて居ました、という態度をありありと示し、慌てふためく。

 「そそそ、そやったそやった!はよ探さな!探さなあかんて!」

 「パソコン使って良いから、ゆっくり探しなよ」

 大切なミニ四駆をこっそりと取り上げながら、開いている手で卓上のノートパソコンを指し示す。

 高校進学祝いに両親が買ってくれたものだが、せいぜい学校の課題を仕上げる際に利用する程度で、電源の入らない日の方が圧倒的に多く、置物に等しい存在であった。

 「お、おおきに!」

 きっちりと礼を述べ、電源ボタンを軽く押す。

 完全起動を今か今かと待ちわびるその姿を横目で見ながら、葵は心中で首を捻る。

 「(…セッコがプラモの事忘れるなんて珍しい)」

 続けて、自分の掌にすっぽりと収められた、小さなプラスティックの塊を見つめる。

 「(……ミニ四駆、か)」

 この小さなマシンの名前こそ未だに分からない物の、一体何なのか、という十年来の疑問に、ようやく終止符が打たれた事に、少しだけ安堵する。

 「(……お姉ちゃんは、どうしてこれを僕に―――)」

 思考にブレーキがかからず、答えの出る筈のない問題に、思わず腰まで浸かってしまいそうになる。

 しかし―――

 「………あかんわぁ………」

 地獄の底から鳴り響いてきたかのような、暗く、そして冷水のように冷たい声色に驚き、危うくマシンを落としかけてしまう葵。

 振り返ると、そこには机上に頭を投げ出し、徹底的なまでに脱力しきった瀬都子の姿があった。

 「ど、どうしたの、セッコ」

 「あかん……どこも売り切れとる……」

 よくよく画面を凝視すると、ブラウザには幾多ものタブが表示されているが、瀬都子の落ち込み様を見るに、心当たりのあるところは全て見て回ったに違いない。

 「何でや…何で再入荷当日やっちゅうのに、どこもかしこも売り切れてはるん……?」

 「ご、ご愁傷様……」

 他に何と言葉を掛けて良いのかが分からず、ひとまずマシンを元の位置に避難させてから、次に掛けるべき言葉を何とか模索する。

 「え、えーと…再生産、ってことは、次のチャンスを待てば…」

 「いつになるかわからんねん……そもそも限定版を特別に再生産、いう触れ込みやったしなぁ」

 ここまで沈んだ姿の瀬都子を見掛けるのは、それなりに長い付き合いの葵でも初めての事である。

 それ故に、どうしたら良いのかの正答が全く想像できず、ひたすらあれやこれやと言葉を掛けてみるしかない。

 「ね、ネットオークションとかは…」

 「ウチ、お父ちゃんとお母ちゃんがそういうもん許してくれないから、アカウント作れへんねん…」

 「ほ、ほら、明日また小鹿模型に行って、今度入荷した時には取っておいて、って店長さんに頼めば…」

 「…それしかないかなぁ」

 はぁ、と一際大きく嘆息すると、ようやく起き上がる気力が沸いてきたのか、ズルズルと上半身を起こし始める。

 「っていうか、明日も小鹿模型に行くんはええけど、あーちゃんの足は大丈夫なん?今日も痛んだりしてへん?」

 「(…自分の心配事も片付いてないのに、僕の心配、か)」

 その一言に心中で苦笑しながらも、呆れよりも感謝の方が圧倒的に勝り、正直にそれを口にする。

 「大丈夫。セッコのお陰で、最近かなり調子いいから…ありがと。」

 「そか、よかった」

 その一言には、先程までの暗く、沈んだ様子は既になく、いつもの朗らかな瀬都子へと戻っていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 「………マジか……」

 レンズ越しに映ったディスプレイと、目の前の箱が告げる現実は、酷く残酷であった。

 それを簡単には受け入れられない茉莉は、もう一度、画面と箱に視線をずらす。

 「…アバンテMk.Ⅲクリヤーボディ…これ、全然プレ値付いてないじゃん…」

 眼前のデュアルモニタの片方には、ネットオークションの出品画面。

 もう片方には、ネットオークションの落札相場価格が映し出され、茉莉に非情な現実を突きつけていた。

 「って言うか、じゃあさっきのは? 2,500円はどうなったの?」

 先程小鹿模型で確認した時は、確かに定価の十倍近くのプレミア価格が付いていた筈であり、だからこそ購入したのである。

 納得いかずに、カバンから愛用のスマートフォンを取り出し、専用アプリを起動すると、そこには更に残酷な現実が待っていた。

 「……商品、間違えたぁ……」

 検索バーに入力されていた文字列は、全く違う物であった。

 「しまったなー、ちゃんと見ないで買うから…あーもう!」

 怒りのあまり、そのまま上半身を真後ろに倒し、大の字になって自室に横たわる。

 「…なーんか疲れたし、また明日拾いに行けばいっか……どーせあんな潰れかけの模型屋、客なんか来ないっしょ」

 そう無気力に呟くと、手に持っていたスマートフォンのアプリを終了させ、別のゲームアプリを開く。

 無言のまま、画面を何度かタッチし、モンスターの討伐に勤しむも、一度もその表情に光が差す事は無かった。

 「………これもつまんなくなっちゃったなぁ」

 初めは、両親にねだったが買い与えて貰えなかったMP3プレーヤーを手に入れる為、僅かな種銭から始めた転売行為。

 いつからか、目的の物を手に入れても、惰性で続けていた為、金銭に不自由する事は滅多になかった。

 それ故に、課金すればするほどに強者となる事のできるスマートフォンのゲームアプリに暇つぶし程度に手を出したのだが、ものの一週間も持たなかった。

 「……はぁ…」

 もう一度、大きく、深く、嘆息する。

 「…何かないのかねー、楽しい事………」

 四分後に自然と睡魔に襲われるまで、彼女の暗澹とした気持ちは解消される事は無かった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 物理と数学は手ごたえ通り、かなりの好成績をマークしており、その全てにおいて予備校内で三本指に入る事はできた。

 特に元々得手としていた英語に関しては、講師すら驚愕する満点を記録。文句無しのトップである。

 しかし、苦手と自負していた国語、特に漢文の成績が若干足を引っ張り、総合得点では五指に入る程度に落ち着いてしまった現状を、屋田昴流は憂いている真っ最中であった。

 「…英語が充分過ぎた。そこのウェイトを漢文に割くべきだった」

 塾内ランキングとはいえど、県内屈指の進学校からも多数の生徒が通う塾であり、五指どころか上位十名に入れれば充分に才覚があると言える程のレベルだが、彼女の眉間に刻まれた皺は不満をありありと表現していた。

 とは言え、彼女はまだ夏休みすら迎えて居ない、入ったばかりの高校一年生。三年間という長丁場の戦いは始まったばかりであり、ここで神経を擦り減らせていては到底持たない。

 かと言って、今回の結果を受け流し、無策に過ごしていては手遅れになりかねない。将来をしっかりと見据えたその瞳は、愛用のハンチング帽の下からもハッキリと分かるほどに、野心という名の光に満ち溢れていた。

 が。

 「……どこ? ここ」

 昴流自身も自覚している、数少ない欠点の一つに、致命的なまでの方向音痴があった。

 そうでなくとも、学校から直接予備校での授業をみっちりと受け、心身ともに弱り切った状態で、まだ土地勘も満足に身に付いていない街を、上の空で歩いていたのである。迷わない方がおかしいと言えるだろう。

 「……参った」

 時刻は既に夜の十時を回っている。幾ら世界トップレベルの治安を誇る日本とは言え、女子高生が一人で迂闊に出歩いても問題のない保障など無い。

 「…電柱は」

 以前住んでいた町でも、度々迷子となった時にそうしていたように、とうに日が落ちて漆黒に満たされた街中に視線を走らせる。

 電柱に書いてある住所を頼りに、父親に連絡して迎えに来て貰おうと思ったのだが。

 「……?」

 探していた物とは全く違う物であるが、『それ』を見た瞬間、一時的に彼女の脳内から『家へ帰る』事への執着が消えてしまう。

 小走りに駆け寄り、ようやく月の光でも看板が視認できた所で、彼女は誰に言うともなく、その名を口にした。

 「…こじか……模型店?」

 小鹿とかいて『こじか』と読むのか、『おじか』と読むのか。はたまた『こしか』か『おしか』か。

 正確な知識を持ち合わせていない為、少し言い淀んでしまうが、問題はそんな所には無い。

 「ミニ四駆取扱店、か」

 既に時間が時間の為、店のシャッターは客を拒むかのように閉じられているが、そのシャッターに下賤な落書きがなされて居ない事と、恐らく閉店時に仕舞い忘れたであろう販促用の幟が、この店が未だに現役である事を如実に伝えてきていた。

 そしてその幟には、遠くからでもハッキリと視認できるほどの大文字で『ミニ四駆取扱店』と染め抜かれている。

 「…明日、少しだけ見に来よう」

 自分と対等、もしくはそれ以上の腕の人間が居るとも思えないが、一縷の希望に縋るのもたまには悪くはない。

 「…そうでもしないと」

 自分の目的は果たせない。その一言だけは、唇から洩れる事はなかった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 「おばちゃーん、こんにちはー!」

 薄桃色のオフィショルトップスと同色のミニスカートの組み合わせに、これまた薄い青色のジャケットを軽く羽織った瀬都子の姿と威勢の良さが、今の季節を実感させてくれる。

 「こんにちは!」

 それとは対照的に、紺色のカーゴパンツと黒色のカーデガンという出で立ちの葵は、極力自分という存在を前面に押し出さないように苦心しているかのようであった。

 尤も、左足の傷跡を隠す為に、丈の長いズボンの着用は仕方のない事ではあったが。

 「あら瀬都子ちゃん、それに葵ちゃんも、どうしたのこんな朝っぱらから?」

 まだ時刻は九時になって十分と経っておらず、開店してからもそのくらいしか経っていない。

 にも拘らず、元気いっぱいといった風情で現れた少女と、小さいながらもしっかりと背筋の伸びた少女のペアの存在は、店主に意外性を与えるには充分であった。

 「おばちゃん、ミニ四駆のコースって、あのおばちゃんの作った奴やのーて、ウチ等が持ってる奴も走らせてええん?」

 直球で自らの目的を語る瀬都子に、やや戸惑いながらも答える店主。

 「そりゃ勿論、コースの真横にパーツ置いて、足りなくなったり試したくなったりしたらすぐ買って試せるように…逆言えばそうやってパーツとかマシン売る為に置いてるから、一向に構わないどころか、どんどんタダで使って欲しいくらいだけど…」

 物を売る気が果たしてあるのかないのか。

 自身の目論んでいる魂胆を包み隠さず話す店主であったが、多少の困惑…もとい驚きを隠そうともしない。

 「瀬都子ちゃん、あんたミニ四駆、興味無いんじゃなかったのかい? ミニ四駆持ってたのかい」

 「あ、ウチやのーて」

 すっ、と背後の葵を見せつけるかのように、身体の角度をずらす。

 「あーちゃんがミニ四駆持っててな、それちっと走らせてみたいんよ」

 「これです」

 瀬都子の説明に応じ、少しばかりサイズの小さいエナメルバッグから、姉のマシンを取り出して店主に見えるように掲げる。

 てっきり、何の反応も示さないと思っていた葵であったが―――

 「……葵ちゃん、それ…ちょっと見せて貰って良い?」

 二人が―少なくとも葵はさほど付き合いがなかったが―見た事も無いような、複雑な表情を覗かせる店主。

 瀬都子と葵は多少驚きながらも、拒否するほどの物でもないので、おずおずとマシンを差し出した。

 「……これ……ああ、なるほど……」

 三十秒ほど、じっくりと舐めまわすようにマシンを凝視した店主は、葵にマシンを返却しながら質問を投げかけた。

 「葵ちゃん、あんた、確か名字は……」

 「…? 青宮、ですけど」

 困惑しながらも正直に答えた葵に、店主は質問を重ねる。

 「千鳥ちゃん…って、聞き覚えない?」

 「え―――」

 今度は困惑より、遥かに驚愕の色が強くなる。

 「何でお姉

 「なんでおばちゃんが、あーちゃんのお姉さんの事、知ってはるん!?」

 尤も驚愕して然るべき張本人より、本来第三者の筈の瀬都子が店主に詰め寄る。

 葵とかなり付き合いの長い彼女ですら、就職して実家を離れた、程度の情報しか知らない姉の存在を店主が知ってる事に、少なからず驚愕を覚えたからだ。

 その声に非難の色があった訳ではないが、予想外の食いつきにやや引いた様子の店主は、言い訳するように釈明を始めた。

 「むかーしね、アンタ達がそれこそ生まれる前くらいに、ミニ四駆が物凄いブームになった事があったのよ」

 「どう関係あるん?」

 「ごめんセッコ、ちょっと大人しくしてて」

 悪気無く話の進行を妨げる親友にほんの少しだけ苛立ちを感じ、気分を害さない程度に黙るよう勧める。

 「で、その頃ウチでも毎週のようにレースやっててねぇ…小学生だけが参加できる子供部門と、誰でも参加できる年齢無制限部門に分けてたんだけど、強過ぎて子供部門の参加を禁止したのに、年齢無制限でも誰も歯が立たなかった二人組の女の子が居たのよ」

 「その二人組の片方が、あーちゃんのお姉さんやったん?」

 瀬都子の問いかけに、無言で首肯する店主。

 「……そうだったんですか…」

 言われてみれば、この店は葵の家からも程近い。

 姉がミニ四駆に熱中したと言うのであれば、通い詰めてもなんら不思議ではないだろう。

 「へぇー、それ、あーちゃんのお姉さんのやったんかー」

 「……うん」

 理由はどうあれ、敬愛していた姉が他人から褒められて嬉しくない訳がない。

 若干頬を朱に染めていると、聞き忘れていたマシンの正体を把握できて、やや満足気な瀬都子が促してくる。

 「ほな、そのお姉さんの自慢?の車、走らせてみよか」

 「うん」

 促され、フレンチブルーとホワイトのコントラストで存在感を示し続けるマシンに、改めて向き合うが―――

 「…どうすれば動くんだろう?」

 「……え」

 その一言を受け、覗き込むようにしてマシンを凝視する瀬都子だが。

 「…わからんなぁ」

 「…ひっくり返しなさい」

 見るに見かねた店主がそう指示すると、四隅のタイヤ以外はほぼ白一色の、プレートのような素顔を覗かせる。

 「上の方にオンオフって書いてあるから、スイッチずらせば動くわよ」

 「あ、ほんまや」

 スイッチを確認した二人が、意気揚々とスイッチを「ON」に移動するも。

 「……動かんなぁ」

 「……動かないね」

 首を捻る二人は、昨日までミニ四駆のミの字も知らなかった上、未だに自分の力でマシンの一台、ネジの一本たりとも締めた経験のない、素人以下の存在。

 そんな彼女達が知らぬのも無理はない、否、当然だと言えたが―――

 「……電池は入れた?」

 どうしても声に呆れのニュアンスが多分に含まれる事を、店主は止める事ができなかった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 しばしば、日本は諸外国に比べてサービスが過剰である、という話を耳に挟む。

 海外に渡航した経験のない昴流には、その話の真偽は分からなかったが、少なくとも大型スーパーのような店でもない限り、入店と同時に店員の挨拶を聞くのが一般的である、という風に認識していた。

 しかし、先ほど足を踏み入れたばかりのこの小さな商店では、入店を歓迎する声どころか、レジキャスターの置いてある場所に店員の姿すら見えない。

 「(防犯意識が薄すぎる)」

 自分の知った事ではないが、胸中で毒づく。

 「(…こんな小さな店に、何があるとも思えないけど)」

 折角の休日、どうせならば朝から電車なり何なりを使って、迷子になる事を覚悟の上で大都市の大型店に行くべきだったのか。

 早くも後悔し始めた昴流であったが、突如、店の最奥から、ガリガリと高速で何かを削りだす音が聞こえてきた為、そのまま音源へと足を運ぶ事にした。

 「おー、おばちゃんの言う通り、電池入れたらちゃんと動いたで、これー!」

 「……そ、それじゃ」

 嬌声にも近い歓声と、声だけで分かるほどに緊張でガチガチになった声。

 それに、先ほどの異音を組み合わせた昴流は、瞬時に一つの可能性に思い至った。

 「(…ビギナーかな)」

 しっかりと馴染んだギヤからはする筈のない、異音交じりの回転音と、『スイッチを入れればタイヤが回る』という当たり前の現象に対する感動。

 それはまさしく、初めてミニ四駆を組み上げた人間でもなければ、まずとらないリアクションと言っても過言では無かった。

 「(という事は、ミニ四駆はあの辺りかな)」

 適当に当たりを付けて歩を進めると。

 「(やっぱり)」

 お世辞にも大きいとは言い難い商店であったが、その一角は、予想に反してかなり広大なスペースが取られていた。

 市販のセットを二つばかり組み合わせたコースに、そのコースで走らせるレーサーの為に用意された、改造用と思しき長机と付随する4脚の丸椅子。

 棚やラックにはマシン本体やパーツが置かれてはいたが、スペースを拡大したばかりで入荷が追いついていないのか、あるいは単にミニ四駆に投資できる金額の限界に達しているのか。スペースの割に品揃えはさほど良いとは言えなかった。

 一方、コースの中央の空きスペースには、この店の店員か何かと思われる、エプロン姿の巨躯の女性。それに、あどけない顔つきの、艶のあるセミロングの黒髪が特徴的な中学生くらいの少女と、やや濃い紺色のようなポニーテールが特徴的な、小学生程度に見える女児の三人が居座っていた。

 その中で最年少と思われる少女の右手には、相変わらず騒音をまき散らし続ける、一台のミニ四駆。

 「(………?)」

 その微笑ましい光景を眺めていた昴流の眼が、一瞬で鋭くなる。

 「(あのマシン……何?)」

 もう少し見ていれば答えが導き出せると思った、その矢先。

 「よーい、ドン!!」

 中学生の声に呼応し、マシンを掴んでいた小さな手を、パッと開いてしまう女児。

 必然的にマシンは、猛回転するタイヤから着地し―――

 「…………」

 「…………」

 四人が固唾を飲んで見守る中、定められたコースの上を従順に走り出すマシン。

 しかし―――

 「…何か、昨日のより、ちょっと遅ない……?」

 「……おかしいわね、千鳥ちゃんのミニ四駆、昔はもっと速かったような…」

 「………」

 速度に大いに不満があるのか、首を捻る一方の三人。

 が。

 「(遅い遅いって、そんだけギヤ周りがガリガリ言ってたら、ギヤが欠けてるかゴミでも入ったかブレークインしてないかのどれか…遅いのも当然)」

 素人相手に言っても仕方のない事だとは理解しているが、それでも心中で毒づくのを止める事ができない。

 何とか自制しようと、頭の上に載せているハンチング帽ごと頭を押さえつけるも、ピント外れの会話が苛立ちを誘発し続ける。

 「おばちゃん、あーちゃんのお姉さんがこれ走らせてたのって、それいつぐらいの話なん?」

 「そうねぇ…もう、かれこれ20年近く前の話になるわねぇ」

 「ほなら、昨日走らせた奴より遅いのも仕方ないんとちゃうん?古いんと新いんやったら、そら新しい方が速いんとちがうの?」

 「けどおかしいわねぇ、あれ…マグナムセイバーって言うんだけど、あれもその頃からあるマシンなんだけどねぇ…しかも改造も何もしてないし」

 中央の二人がそんな会話をしている間に、女児が手元に戻ってきた自らのマシンを手で鷲掴みにし、スイッチを切る。

 途端に店からは耳障りなガリガリ音が消え去り、だいぶ会話が響くようになった。

 「……けど、おばさんの記憶だと、この車はもっと速く走ってた…そうですよね?」

 「ええ、そりゃあ、ねぇ」

 余りにも小さな両掌の上にマシンを載せ、ぽつりと呟いた葵に同意する店主。

 ようやくマシンをハッキリと見る機会に恵まれた昴流は、この好機を逃すまいと目を細めたが―――

 「(!)」

 脳が処理した光景を、にわかには信じられず、折角細めていた目線を大きく開いてしまう。

 「(基礎はできてるのに…何て勿体ない!)」

 昴流の驚きに、というよりも昴流の存在自体に気が付いていないかのような三人は、再度ああでもないこうでもないと言葉を交わし続ける。

 「…電池がダメだったのかな…」

 「先週仕入れたばっかりのタミヤの純正品。ミニ四駆用の電池よ、それ」

 「今日はカゼひいとって、本調子やなかったとか?」

 「…生き物じゃないのよミニ四駆は」

 そんな会話を聞かされ続けるのは、昴流には、拷問に等しいと言えた。

 それ故―――――

 「…ロクにメンテもしてない、知識もない。遅いのも当然」

 つい語気を荒げて、会話に乱入してしまう。

 初めて自分の存在に気が付いた、とでも言いたげに、間抜けに口を開けてこちらを凝視してくる三人の姿を見て、少しだけ昴流の頭に上っていた血が下がった。

 「(が……我慢しようと思ったのに)」

 勢いだけで突撃してしまった事を、僅か数秒で後悔し始める。

 しかし、一度開いてしまった口を閉じる訳にも行かず、そのまま勢いに任せて喋り続ける。

 「ボディはレイホークガンマ、シャーシはXシャーシのホワイト…他のセッティングが時代遅れなのは仕方ないとして、そのマシンがその程度な…少なくともノーマルの小径フルカウルに劣る訳が無い」

 一気に捲し立てられて混乱したか、三人の眼はひたすら点のようになり続けている。

 「……れ、レイ……何?」

 「えっくす…シャーシ?」

 「え……あ、い、いらっしゃい」

 ようやく客の来店に気付いた女店主が今更過ぎる挨拶をしてくるも、昴流には既にそんな事は意識の外である。

 「(やっぱり、素人相手に説教してる、変な女って見られてる)」

 心中では今すぐにでも溶けて無くなりたい、と願うほどに追い詰められた昴流であったが、相手が気押されている今が好機とばかりに畳み掛ける。

 「せめて最低限のメンテナンス…ギヤの慣らしくらいやって。ハッキリ言って―――」

 言いたい事だけ言って去るのも勝手すぎるとは思ったが、冷静に考えれば考える程、どんどん居たたまれなくなっていく。

 その為、とどめの一言だけ言えばいいとばかりに、冷たく言い放つ。

 「―――そのマシンが可哀想。そんな扱いをされて」

 それだけ言うと、立ち去る為に、踵を返す。

 「(……なんで私は、頭に血が上ると…いつも)」

 三人には見えない角度で、思いっきり自省の副産物である渋面で、しかめ面になる。

 しかし、ここ数秒で心中に大きな変化が起きたのは、昴流に限った話では無かった。

 「(………そう、だよね)」

 突如、自分達三人の眼前に現れた、自分よりは背が高いがそれでも小柄な範疇で、ボブカットをハンチング帽の下に隠した少女。

 彼女の物言いそのものは高圧的なものであったが、それでも葵は、まるで水がスポンジに浸透するかのように、すんなりと受け入れる事ができた。

 「(……お姉ちゃんが大事にしてたミニ四駆、こんなに遅い訳無いもんね……)」

 例の一件以降、内向的で、自虐的な性格となってしまった葵。

 唐突に現れ、自身に対して罵倒に等しい言葉を投げかけてくる女性に対しても、怒るよりも自省が先に立ってしまう。

 「(私が、私がちゃんと手入れしてあげなかったから…可哀想、って言われちゃったんだよね…お姉ちゃんの大事なミニ四駆…)」

 次いで襲ってくるのは、猛烈な後悔と、掌の上の小さなマシンに対する罪悪感。

 その事に打ちひしがれかける一瞬前に、件の少女がドアの方へと歩み出すのが、視界の隅に映ってしまう。

 「ま、待って下さい!」

 その背に声を掛けると。

 「…少し言いすぎた。気分を害したら御免」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 そう言い放つと、再び歩みを再開する少女。

 巨大に―――とても巨大に見える、その細身な後ろ姿に、葵は、それ以上言葉を投げかける事ができなかった。

 「…何か、えらい怖い人やったなぁ」

 昴流の退店を知らせる、耳障りな開閉音の余韻が収まった辺りで、ようやく瀬都子が口を開く。

 「おばちゃん、あの人、誰なん?」

 「いや、見た事無い子だわねぇ…」

 首を捻りながらも、一応の答えは帰ってくる。

 一度見たら忘れ難い容姿をしていたが、それでも見覚えがないと言う事は、本当に来た事がないのであろう。

 「でも、あーちゃん、自分の車の名前すら知らんかったのに、なにもああまで言わんでもええんとちがうん?」

 明らかに初心者である事を隠そうともしなかった葵に対し、散々投げつけられた暴言。

 勿論、その言葉を放った本人も後悔している言動ではあったが、少なからず瀬都子は心中で憤慨し、同時に葵が傷ついていないかと不安になってもいた。

 しかし。

 「…けど、言っている事、本当だと思う」

 言われた葵本人が、俯きながらも、その言葉を真摯に受け止め、肯定しだす。

 えっ、と驚く二人を余所に、葵はその理由を説明しだした。

 「結局、この車…じゃなくてミニ四駆、店長さんの記憶だともっと速かったんだし、あの人の…言ってる事は全然分からなかったけど、このミニ四駆は本当はもっと速い、みたいな事言ってた」

 「…せやなぁ」

 どんなフォローを挟もうが、店主が適当に作っただけのミニ四駆に負けたという事実と、知識を持つ人間に『マシンが可哀想』と一蹴された、と言う事実。

 二つの事実は、葵を自己嫌悪に陥らせるには、十分すぎる破壊力を備えていた。

 「…けど、どうすれば、どうすればいいのかが分からない…私、『この子』の持ち主なのに、何も知らないから……!」

 姉との大切な絆の象徴とも言える、たった一台のミニ四駆。

 それをまともな管理すらできていなかった、と言う現実は、思いの外葵に暗い影を落としてしまう。

 「な、なぁ、おばちゃん!おばちゃん、この店の店長やろ!?教えてぇな、何すりゃ葵ちゃんの車、速よなるん!?」

 葵がどんどん自虐のスパイラルに陥りだす前にと、必死に葵が店主に問いかける。

 しかし、店主は、渋面を一切崩さずに、冷酷な事実を伝える。

 「とは言っても…死んだ旦那だったら、ミニ四駆も詳しかったから色々アドバイスできたんだろうけどねぇ…悪いけど、アタシはミニ四駆に関しては全然知識がないんだよ、ただ仕入れて売ってるだけで」

 「そんなー…」

 捨てられた子犬のような瞳で縋ってくる瀬都子と、俯いたままの葵。

 二人には心底申し訳なかったが、彼女とて無責任な事は言えない。

 「どうしようかしらねぇ、かと言ってアタシじゃ何とも……」

 瀬都子の困窮が伝播したか、救世主などいる筈もないだろうに、あちこちに目線を移し出す。

 すると――――

 「あー、そういやミニ四駆、奥に移すって言ってたなー。おばちゃんも手が早いこって」

 先程昴流が立ち去った方、つまり店の入り口から、三人の間に流れていた不穏な空気とはまるで真逆の雰囲気をまとった声が聞こえてくる。

 はっ、と三人が通路の方に目を向けると―――

 「あー、ここが……ん」

 三人それぞれが、何らかの形で見覚えのある、栗色の髪を好き放題に跳ねさせたままの少女の姿を同時に目にした。

 配色センスも何もなく、ただ『手近にあったから着ました』とでも言いたげな、無意味な英文がプリントされた純白のTシャツに、薄茶色のワークパンツ。

 眼鏡も丸眼鏡である、と言う事以外に特徴は無く、外見への無頓着さが如実に表れていた。

 「あら茉莉ちゃん、珍しいわねぇこんな朝早くから」

 「こんにちはー」

 「…おはようございます」

 「あ、おはよーございます」

 常連への店主の気さくな挨拶の直後、真っ先に快活な挨拶をした瀬都子と、それにつられた葵。

 それに更に引きずられた茉莉であったが、三人が三人とも、つい昨日に一瞬だけすれ違った事は既に忘却の彼方であった。

 「っと、呑気に挨拶してる場合じゃなくって。えーと、どこに移ったんだろ」

 せわしない様子で、壁際のラックに掛けられたパーツの袋を、一つ一つチェックしていく。

 「えーっと、これじゃない、これでもない…あれー?クリヤーボディこの辺だよな?」

 頭ごと目をキョロキョロさせ、目的の物を一心不乱に探し続ける。

 少なくともその姿は、素人二人の眼には、自分達と同類であるとはとても思えなかった。

 「あの人、何か詳しいっぽいなぁ。上級者なんかなぁ」

 「…さぁ」

 呆気にとられる二人を余所に。

 「あ! そうだ!」

 何事かを思いついた店主が、コースを踏まないよう細心の注意を払いながら、かつ出来る限り迅速に、茉莉の元へと急ぎ、品定め中の茉莉に対し―――

 「茉莉ちゃん、アンタミニ四駆詳しいんでしょ? ちょっとこの子らに教えてあげてくれない?」

 「は?」

 両手にそれぞれ別のパーツを持った体勢のまま、首だけを店主の方へとぐるりと向ける茉莉。

 案の定、その顔は、まるで豆鉄砲を喰らった鳩が如く、完全に不意打ちを喰らったとでも言いたげな表情を湛えていた。

 「は? え? あたしが? 何? 何て?」

 「だーかーらー」

 現状が全く呑み込めていない様子の茉莉に対し、一旦大きく嘆息すると、後ろで棒立ちしていた二人を指して一から説明をやり直す。

 「あの子ら、ミニ四駆やりたいらしいんだけど、人に貰ったマシン一台持ってるだけでなーんにも知識が無くて困ってるみたいなのよ。だから茉莉ちゃん、教えてあげてくれない?」

 「じ―――」

 冗談じゃない、と、喉から出掛かったのを何とか押しとどめる。

 「(ミニ四駆!? そんなもん転売してるだけで、あたしが人様に講釈できるほど知識ある訳ないじゃん!)」

 しかし、それをそのまま口に出す事は、即ち『この店で売られている物を転がしているだけです』と自供する事に等しい。

 犯罪行為ではないのだが、店主の印象は当然のように悪くなるだろうし、最悪の場合出入り禁止を宣告されるかもしれない。

 茉莉にとって、よき狩り場の一つであるこの店からそのような措置を取られる事は、ある意味死活問題となりかねなかった。

 「(ど、どうやって断ろう…)」

 かと言って、無下に断っても、それはそれで店主の心象が悪くなり、今後何かしらの融通が利かなくなる可能性がある。

 「あれ? いつの間にか、ウチもミニ四駆やることになっとる?」

 「え? 瀬都子ちゃんはやらないのかい?」

 「せやなー、ちょっとおもろそうやしなぁ」

 店主の興味が別の所に向いたのを良い事に、あれやこれやと策を巡らせる茉莉。

 だが。

 「(くっそー、何も策が出てこない! 『説明書でも読んでろ』じゃ解決にならないだろうし、あーもう!)」

 パニック寸前まで追い詰められている茉莉であったが、ふと、店主と会話していない方の少女、一見すると小学生くらいにしか見えない女児が、自分の眼前まで迫っていた。

 そして―――

 「お願いします! ミニ四駆の事、教えて下さい!」

 先程の、蚊の鳴くような声の挨拶からは想像もできない程、声量はさほどでもないが芯のある声で懇願しながら、同時に深々と頭を下げてきた。

 「え、えええ、ち、ちょっと待ってよ!」

 初対面の少女に、土下座一歩手前の行動を取られ、先ほどからの一連の流れもあっていっぱいいっぱいになっている茉莉だったが、葵の方はお構いなしといった感じで言葉を叩きつけていく。

 「詳しくは言えませんが、このマシン、私の凄く大切なマシンなのに、私がミニ四駆の事全く知らないから、全然自由に実力を発揮させてあげられなくて…! だからお願いします! このマシンの為に、僕にミニ四駆を教えて下さい!」

 「そ、そ、そんな事言われても……」

 マシンを片手に、深々とこちらに頭を垂れてくる少女に対し、何と言ってよいのかがさっぱり分からず、只管にうろたえるしかない。

 しかし、彼女にとって『最悪』の状況は、それに留まらなかった。

 「ウチも、ウチからもお願いします! ミニ四駆教えて下さい!」

 もう一人の、こちらは恐らく自分と同い年くらいの少女すらも、こちらに深々と頭を下げ、教えを請うてくる。

 恐らく、自分を相当な実力者だと勘違いした上で。

 「…せ、セッコ……」

 自分の為に、頭を下げるという屈辱的な行為を、一切躊躇せずに行ってしまう親友。

 その行為をどう辞めさせるべきか、一瞬葵が逡巡している間に、

 「…あーちゃんのためだけやないで。ウチもミニ四駆、ちょっと興味出て来たし、どうせなら最初っから上手い人に教えて貰った方がええしね」

 そう釘を刺しながら、屈託のない笑顔をこちらに向けてくる。

 「…………」

 たった一瞬の間に、言いたい事が洪水を作り、心中に押し寄せる。

 が、張本人が『自分の為でもある』と言ってきた以上、その気持ちに応える方法はただ一つ。

 「お願いします!」

 再度、頭を下げることしか、葵には思いつかなかった。

 「………ええー…………」

 もはや『どうやって断ろうか』という悩みすら、茉莉の頭からは消え去っていた。

 「(ど…どうすりゃいいんだろ……)」

 あれやこれやと逡巡する彼女に対し、店主が嘆息交じりに諭し出す。

 「茉莉ちゃん、この子らねぇ、ホントにミニ四駆の事ぜーんぜん知らなくて、アタシもミニ四駆は一個組み立てただけでさっぱりだから、他に頼りが居ないのよ。教えてやんなさいな」

 「……頼りがいない、か」

 その言葉を無意識のうちに反芻すると、ふと心に過る、一瞬の想い。

 「(…あたしが頼られる日が来るとは、ねぇ)」

 かと言って今すぐに教えられるような知識を持ち合わせている訳でもない為、何とか折衷案でこの場を逃れることにした。

 「そこまで言うなら教えてあげるけど…」

 その一言で、二人の表情がぱっと、瞬間的に輝きに満ちる。

 その表情が、一瞬だけ茉莉の心にも温かい何かをくれたが、そこで話を終わらせてはただの自殺行為。茉莉は冷静に、その先を続けた。

 「ただ、ちょっと今日はあたしも忙しくて、ここにも取り急ぎで必要な物買いに来ただけだから…来週のこの日、この時間でもいい?」

 ミニ四駆の事を何も知らない茉莉は、当然ながらそのシビア過ぎる世界の事など、一切知る余地も無いし想像する余地さえない。

 それ故、一週間もネットを見ていれば、充分知識を得られるだろう、と高をくくっての提案だったのだが―――

 「是非!」

 茉莉の提案に、一秒もラグを与えずに頷く葵。

 「あーちゃん、良かったなー。ウチもなんか買うとかんと」

 ホッとしたような表情を見せる二人に、内心で複雑な物を覚える茉莉であったが、勿論口には出さずに内心で呑み込んでおく。

 「良かったわねー、首を縦に振ってくれて」

 三人が、もはや茉莉には興味がないかのように、三人での会話の世界に没頭しだす。

 「(…とりあえず買うもん買って、今日はさっさと引き上げるか……)」

 今日の自由を得る為に、来週の束縛を約束してしまった茉莉は、たった数分で疲労が押し寄せてくる身体に鞭を打ち、再び棚に目を向ける。

 しかし―――

 「……あれ」

 目当ての物が―――昨日は確かに存在した、目当ての物が無い。

 「お、おばちゃん?」

 店主を手招きして呼び、一縷の希望を持ったまま、問いかける。

 「昨日あった、あの…ウイニングバードのクリアボディとか言う奴知らない……?」

 「…ウイニングバード……?」

 まるで未知の単語であるかのように呟き、首を捻る店主。

 「…良く分かんないけど、そこになきゃもう売り切れたか、昨日ミニ四駆動かした時に、どっかに紛れちゃったかだねぇ…悪いけど」

 「そ、そんなぁ……」

 今更2,000円程度の儲けなど、茉莉の総資産に比べればさしたる影響はない。

 しかし、珍しく昼前に起きて十キロの道程をわざわざ来たにもかかわらず、みすみすその金を逃した挙句に、来週に面倒な約束まで確約されたとあっては、まさしく骨折り損のくたびれ儲け以外の何物でもなかった。

 「……ごめん、おばちゃん、今日はもう帰るわー……」

 「あらら、ごめんねぇ、茉莉ちゃん…欲しがってるなんて知らなかったもんだから」

 自分に非は無い物の、相手は大事な商売相手、それも常連である。謝罪の意を表明しておく事は、商売の上でも大事な事と言えた。

 その上―――

 「重ね重ね悪いけど、来週、この子たちによろしく頼むわね。なんかその内サービスしたげるから」

 「…はーい」

 本心からすまなそうな声色で語る店主に怒るに怒れず、葵足で店を出ていく茉莉。

 「…よっぽどミニ四駆が好きなのねぇ、茉莉ちゃん」

 その様子を盛大に勘違いし、感心した声を出す店主であった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 「これなんかどう? えーと……グレートエンペラー…プレミアム。プレミアムって付いてるくらいだから速いんじゃないかな」

 「うーん」

 折角の親友の提案であったが、素直に首を縦に振る事ができず、つい否定的な言葉が漏れてしまう。

 「F1カーみたいでカッコええねんけどなぁ…なんかピンと来んなぁ」

 「じゃ、コレなんかどうかな」

 箱を傷めないよう、丁寧に棚の元の位置に戻すと、目についた次の機種を引っ張り出し、瀬都子の眼に触れられるように構える。

 「アストラルスター…なんか本物の車っぽくて、速そうに見えるけど」

 「悪ぅないねんけどなぁ…何かこう、びしーっと来んなぁ」

 頭をポリポリと掻きながら、どうにも納得の言っていない様子で、次から次へと商品を手に取り続けていく。

 「うーん…コンカラーRS……バスターソニック……ヒートエッジ……エアロマンタレイ……なんかしっくり来ないんよなぁ」

 「……」

 ああでもないこうでもないと闇雲に頭を悩ませ続けるより、方向性を絞って探した方が手っ取り早い。

 そう判断した葵は、ひとまず尋ねてみる事にした。

 「そもそも、セッコはどういうのが欲しいと思うの?」

 「うーん、せやなぁ」

 ミニ四駆の知識が一切ないので、具体的に商品名を挙げて説明できないのがもどかしいが、それでも何とか思いの丈を伝えようと奮闘する。

 「なんかこう…あーちゃんが持ってるような、シュッてなっとる、こう…いかにも速そーな奴より、もうちょっとなんか、色々ゴテゴテして、強そうな感じのがええなぁ」

 「ゴテゴテして強そう、ねぇ……」

 言われて探しだすと、明らかに他のものよりも太めのシルエットの物が、ちらほらと目についてくる。

 「あ、こんなんええなぁ」

 その一言に、無言で顔だけ横に向けると、明らかに他のものよりも数段重厚な見た目のマシンのイラストが、瀬都子の掌の上に乗っている。

 「ブロッケン…ギガントやて。なんかパイプみたいなんが一杯ついててええ感じやなぁ、これ」

 「んじゃ、それにする?」

 「そやなー……」

 一応、その箱は手に持ちつつも、足はその場を動こうとせず、視線も再度棚へと戻る。

 「(…一応他のも見ておこう、って感じかな)」

 それに倣い、自分も目線を元の位置に戻し、捜索を開始する。

 「(…とは言っても、ミニ四駆自体よく知らない上に、セッコの趣味となると………?)」

 悩みに悩み、袋小路に陥りかけていた葵の目に、一台のマシンが止まる。

 「………」

 他の商品を崩さないよう、慎重にそれを手に取り、縮小されていたイラストを改めて大きなサイズで眺める。

 「(……これなら?)」

 確証は持てないが、先に見たブロッケンギガントから推測するに、少なくとも瀬都子が嫌いそうなデザインでは無いと判断するには充分。

 そう判断した葵は、隣の瀬都子をつつき、たった今掘り出したマシンをひとまず見せることにした。

 「セッコ、これどう?」

 「んー? …………!」

 箱を見た瀬都子の瞳が、付き合いの長い葵でさえ、見た事が無いほどに輝きだすのに、数秒も時間を要しなかった。

 「こ、これや!ウチこれがええ!」

 興奮を隠そうともせず、葵の手に握られたパッケージを指し、周りの眼を一切気にせずにはしゃぎ続ける。

 「…そんなに気に入ったの?」

 「めっちゃええやん!」

 余りの喜びっぷりに圧倒される葵に詰めよると、そのままイラストに視線を固定し、あれやこれやと講釈を垂れ始める。

 「ほら、この後輪を覆っとるキャタピラみたいなんがどこでも走りそうでむっちゃカッコええし、中央のランプみたいなんも夜戦対応って感じでええ感じやし、そもそも全体的になんか戦車みたいやし、イラストも砂地を爆走しとるのがポイント高いし…もう全体的にむっちゃええわ!」

 「そ、そうなんだ……」

 余りのテンションに気押されたままの葵を余所に、熱をあげているアイドルの写真集でも見ているかのような瀬都子は、自分の世界に没頭してしまう。

 「ええなぁー、この岩山とかでもヘーキで走っていきそうなこの感じ!どんな悪路だってぜーんぜん苦にし無さそうで!」

 「悪路…ねぇ」

 思わず、背後に敷き詰められたコースを見て、そう呟く。

 ミニ四駆に関する知識がない以上、コースに関するそれも皆無ではあったが、少なくとも目の前の灰色のサーキットを『悪路』と呼ぶに相応しいとは、葵には思えなかった。

 「デザートゴーレムかぁ…砂漠の巨兵、ええ名前やなぁ…ほんまにそんな戦車ありそうやなぁ」

 「………」

 余りのテンションの高さについて行けず、つい一歩下がろうとした、その矢先。

 「決めた! ウチ、この子買う!」

 「即断!?」

 先程とは違い、一応でも他の物をチェックするそぶりすら見せず、見るからに狂喜して箱を抱き締める瀬都子。

 「あーちゃん、ありがとなー、こんなええ子見つけてくれて! ウチ、これからこの事一緒にミニ四駆頑張ってくわー!」

 「…ど、どうも…」

 スキップしそうな勢いでレジに向かうその背を見守りながら、葵の胸中に、一つの疑念が湧き出てくる。

 「(…本当に、セッコはミニ四駆をやりたいのかな……?)」

 気の良い彼女の事だ。自分に気を使って頭を下げた手前、引っ込みがつかなくなってしまった可能性も大いにあり得る。

 「……」

 しばし迷った葵であったが、正直に思いの丈を告げる事ができず、押し黙ってしまった。

 「おばちゃーん、これ、会計たのむわー」

 まごまごしている内に、瀬都子がレジへと辿りつき、勘定を済ませようと財布を取り出していた。

 「はいはい……あ、これはアレだねぇ」

 「?」

 その一方で、ようやく客と向き合い、レジに提示されたキットの片隅に視線を移した店主が、何も知らない瀬都子に、親切に―――あるいは商売上手に忠告を始める。

 「瀬都子ちゃん、これ、モーター付いてないから、ミニ四駆用のモーター買わなきゃ走らないわよ」

 「あ、これモーター付いてへんのか」

 模型に明るいが故に、一言で何が言いたいのかを理解した瀬都子は、瞬時に意図を掴んで、説明の続きを無言で促す。

 「キットの横のラックにミニ四駆用のモーターが一杯あるから、なんか好きなの選んで買っときなさいな」

 「はーい」

 とても素直な返事が返ってきた数秒後には、浮足立った瀬都子が葵の元、即ちミニ四駆専用ブースへと舞い戻って来た。

 「えーと、どれやろなぁ」

 「これじゃない?」

 何の気無しに棚を眺めていた葵が、恐らく該当の物であろうモーター類を指し、瀬都子を導く。

 「…いっぱいあって分からないけど」

 「うーん……」

 模型に明るい瀬都子なら分かるのでは、とどことなく考えていたが、流石に模型の常識がそのまま当てはまる世界ではないようで、恐らくは自分同様の困惑顔で、色とりどりのモーター類を見つめていた。

 「ぱ…パワーダッシュ? アトミック? レブチューン? ど、どれがええんやろ」

 「さ、さぁ……」

 眼下に敷き詰められたコースに目を向け、困ったように笑いかける。

 「…どれが一番良く走るのか、ぜんぜんわからんなぁ」

 「…そうだね」

 諦めたように元の位置に戻すと、尤も現実的な対策案を提示する。

 「来週教えて貰えるんだし、その時に何を選べばいいのか聞いてみればいいんじゃないかな。下手に買って、車に合わない物買っちゃったら損だし」

 「そっか、それが一番よね」

 その一言に頷いた瀬都子は、葵と共にレジへ向かい、店主にその旨を伝える。

 「ごめーんおばちゃん、やっぱ今日は車だけ買って、モーターは来週、どれがええかあの人に教えて貰ってから買うことにするわ」

 「そうかい、そりゃその方が確実だわね」

 特に気を悪くした様子もなく、瀬都子から代金を受け取ると、箱を袋に入れて手渡してくれる。

 「そういや瀬都子ちゃん達、確か星双高校の一年生だっけ?」

 手渡しながら、唐突に店主が尋ねてくる、何の脈略も無い質問。

 「? うん、ウチもあーちゃんも、そこの一年生やで」

 戸惑いつつも、首肯しつつ、瀬都子が返す。

 「うーん…だったら茉莉ちゃんの事、どっかで見た事無かった?」

 「まつり?」

 反射的に葵の方を見やるが、葵とて聞いた事のない名前であるが故、顔を横に振るしかない。

 そもそも、運良く同じクラスで入学できて以降、学校で殆どの時間を二人揃って過ごしていた為、片方が知っていてももう片方が知らない、と言う可能性は非常に低かった。

 「さっき、ミニ四駆教えてくれるって言った子よ。確かあの子も星双の一年生だったハズなんだけどねぇ」

 「へぇー」

 意外な繋がりに、二人して感嘆の溜息を洩らす。

 「あーちゃん、見た事あった?」

 「いや…ない、かなぁ」

 少し考えたが、先ほどの少女を校内で見た記憶は、葵の脳内には無かった。

 そもそも、覚えていればその場で思い出していた可能性が高かったが。

 「うちの学校、茶髪とか珍しくないし…そもそも入学してまだ一週間しか経ってないし」

 「そうやねぇ」

 比較的校則が緩めの星双高校では、派手でなければ頭髪の着色も許されていた為、葵達のクラスでも決して少なくない数の生徒が、頭髪に何らかの手を加えていた。

 それ故、茶髪など、校内で見かける事は日常茶飯事。茶髪だからと言って記憶する程、珍しい存在では無かった。

 「ほなら、学校で見かけたら、一週間と言わず、月曜にでも教えてくれるんちゃうかなぁ」

 「かもしれないね」

 以外な光明を見出した二人であったが、今日は土曜。

 どの道一日挟まなければならないという現実が、妙にじれったく感じられた。

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