第1章 椿(宮澤花)回
ゴメンね。
トイレをそっと離れながら、桐花は思った。
彼の入っている個室のドアはモップで塞いだ。これでしばらくは、時間が稼げるはずだ。
一緒にトイレに入ろう、などと言い出すからどうしようかと思ったが。彼はとても怯えていたから、ひとりであそこを出ようなんて思わないはず。
石造りの洋館の廊下は暗く、凍えるように冷たい。窓ガラスには大粒の雨が当たっては流れ落ちていく。
雪になった方が暖かだったかもしれないな、と思いながら桐花は真っ黒なガラスを見た。ぼんやりと自分の顔がそこに映りこんでいる。黒髪、黒目、平均的な日本人に見える顔立ち。
可愛いコートに白いセーター、赤いミニスカート。膝下までの編み上げブーツ。デートだから気合を入れたけれど、それも『現代日本』のドレスコードを逸脱するものではない。
クリスマスデートを楽しみたかったのだけれど。
一所懸命プランを練ってくれた彼の努力を、無駄にしたくはなかったのだけれど。
だって仕方がないではないか。
今日というこの日に、『気配』を見付けてしまったのだから。
ガラスの中の自分の顔を見つめ、桐花は、
「戻れ」
と一言呟いて。
自身にかけた戒めを解いた。
薄紫の光が廊下を包み、再び収束する。
桐花はもう一度、ガラスに映る自分の姿を眺めた。
足下まで覆う青い長い髪。透けるような白い肌。髪と同じ色の虹彩は、普通の人間と形が違う。どこかこの世ならぬ雰囲気を纏った美貌。
体格すらも変わっている。二十歳前後の女性の姿から、十四、五歳の少女の姿に。
身を包む薄紫の衣は、ぼんやりと輝き流水のように揺れ動いて見える。その間からは、少女らしいやわらかみを帯びた細い手足や、丸みを帯びた胸の谷間、臍のくぼみが露わになっている。
苦笑い。桐花は『この』世界線の人間ではない。
先程彼と一緒にいる時に遭遇した、あの怪物。あふれ出したあの怪物たちを処分するために、平行世界から派遣されてやって来た。彼女は戦士の一人なのだ。
この世界で恋に落ちてしまったのは不覚だが。彼の存在は桐花にとって、とても大切。だからこそ、彼に危害が及ばぬうちに。彼の世界を守るために。アレを、始末する。
この世界で彼女が『能力』を行使する条件は二つ。
力を纏った状態のこの姿を、知的生命体に見られてはならない。見られれば彼女は力を纏えなくなり、戦う手段を失う。
裸体を見られてもいけない。全裸を見られれば、擬態にどうしても不自然な点が出てしまう。不審に思われてしまえば、この青い髪や形の違う虹彩にも気付かれてしまい、活動に制限を受けることになるだろう。
それは……まずい。使命を全うするためだけではなく、彼の傍に少しでも長くいたいから。
だから桐花は急ぐ。
あの死体。彼には言わなかったけれど、あれは彼女と同じ『戦士』の死体だ。
先程は彼が一緒だったから、ゆっくり調べられなかったが、あの怪物にやられたのだろうか。戦士が怪物に敗れるなど、普通なら有り得ないことだが……不測の事態が起きたのか。怪物が何か特殊な能力を獲得しているのか。それとも、他の原因があるのか……?
とにかく、まずはアレを調べに行かなくてはならないだろう。
薄紫の衣を変形させ、翼のようにうち振り。彼女は暗い廊下を死体のあった場所に向かって急いだ。
ゴメンね、ちょっとだけ待っていて。
すぐに全てを終わらせて。あなたを迎えに戻るから。
=続く=
「すごい企画に参加させていただきまして、どうもありがとうございました。
第1章を受け持たせていただきましたが、プロローグ拝読して感嘆しつつ……しかし、私怪談書けないぞ!? と、あわあわ。
で、いろいろ考えた末、自分の土俵である『視点転換からの別話展開』というところに落ち着きました。
まだ拾われていないお題だけは拾っておこうかと思いましたが、2050年は何も思い付かなかったので、『ファンタジー色入れておけば何とかなるだろ』的な方向に。
そして、『青』『おっぱい』『2050年が拾えないからファンタジーで誤魔化す』をつなぎ合わせたらこうなった。
超展開しすぎたことについては、陳謝させていただきます。
皆さま申し訳ありませんでした……!!
皆さまの熱さとレベルの高さに圧倒され、とても楽しかったです。改めましてありがとうございました!」
え? 猫かぶってますか? いやいやそんな……自分が入れていったコメントを最初から読んでいくと『一貫して物語をクラッシュすることしか考えてなかった』とか、そんなことは決して(^_^;)