第7話 幻影
長期間投稿を止めてしまい申し訳ありません。
かなりのんびりなペースですが更新を再開したいと思います。
翌日。俺はハデスと一緒に俺の家に来ていた。
あの日から四日が経った。
目の前にある家は家主を失い、とても静かだった。生活の気配はおろか、そもそも人がいた様子もない。
まだあいつらの手先がいる可能性を考えて、ハデスも一緒に来ていたが、それは杞憂だったようだ。
「入ってみるかの」
ハデスはそう俺に促した。
俺も決心を固める。
おそらくだが、中は酷い状態だろう。遺体こそないかもしれないがグロテスクな光景は間違いない。
おそるおそる玄関のドアを開け中に入る――
予想に反してそこに血の海はなかった。もちろん遺体もない。
ここでなにもなかった。そう錯覚させるほどだった。
わざわざ修復したのか?
そう思いもしたが、それは違うだろう。なにしろそんなことをするメリットがない。
じゃあ何故――?
突然、ガチャリ、と玄関のドアが開く音がした。
誰だ?
その誰何よりも先に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「ひろ、き?・・・宏樹なの?」
「・・・母さん?」
ドアから入ってくる光のせいではっきりと見えなかったが、その声は間違いなく母さんのものだった。
「なに!?宏樹がいるのか?」
続けて聞こえてきたのは父さんだった。
目に熱いものがこみ上げてきた。
でも何故?
たしかに俺の眼の前で二人は殺されたはずだ。
実際、二人が倒れているところを見た。あれは絶対に見間違えではない。
「心配かけてごめんなさいね。魔法で幻覚を見せてたの」
どうやら俺の不審感が顔に出ていたらしい。母さんのフォローは俺の心を読んでいるようだった。
幻覚・・・そしたら本当に何もなかったってことなのか?
「でも・・・言ってくれれば良かったのに」
「とっさのことで言えなかったんだ。幻覚だ、と口に出すのはありえないし、あの魔法は動いたら解けてしまう類なんだ。俺と母さんは知ってたから良いけど何も知らなければ動いてしまうだろ?それならあの場から逃げてもらう方がよかったんだ」
話には納得できたが、気持ちでは納得できないままだった。
それでも、近寄ってきた二人に優しく抱きしめられると何故か安心できた。
十五歳になって両親に抱きしめられるのは少し恥ずかしいところもあるが、それを気にすることすらなかった。そんなことはどうでもいい。
肩越しに見えたハデスも俺を見て微笑んでいた。
本当に良かった。
心の底からそう思えた。
その瞬間は。
パンッと、軽くも響く、嫌な音を聞いた。
俺を抱きしめていた母さんの体が少し重くなる。
背中に回していた手に何か生温いものがかかった。
顔の前に左手を持ってくるとその手は赤黒く染まっていた。
液状のそれは俺の掌に留まらず、手首まで染め始めた。
「かあ、さん?」
それに答える声は、いつも俺に優しかったあの声は、返ってこなかった。
一拍遅れて、父さんとハデスが反応した。
犯人は玄関にいた。一丁の拳銃を片手に構えて。
「貴様ぁっ!」
「ヒロキ、伏せなさい!」
父さんは一言吠えてそいつに掴みかかった。
ハデスは俺に命令しながらそいつに青白く光る右手を向けていた。
俺は・・・伏せることすら出来なかった。
ただ、重くのしかかる母さんに押され、今の状況を受け止めきれずに膝から崩れ落ちた。
呆然とその襲撃者を見ると、父さんの拳を軽くいなし、ハデスが放つ魔法すらも同じように青白く光る右手を振るうだけで防いでいた。
そして、もう一度、パンッと発砲する音が聞こえた。
次の被害者は――父さんだった。
「ヒロキ!わしが抑える!早く逃げなさいっ!」
ハデスの切羽詰まった命令に従うように、俺は逃げ出した。
振り返ることもせず。
またか・・・。
また俺は逃げることしかできないのか・・・。
この前は幻覚だった。でも、今回は違う。
あのリアルな感触が、手についた母さんの血の温もりが、幻などではないとはっきり訴えてくる。
父さんも――
パンッと音が聞こえるのに一拍遅れて、動きが悪くなった右足がもつれ俺は倒れこんだ。
その右足を見ると、太ももから血が溢れていた。それを見て、突然痛みを感じだす。
だが、その悲鳴は上がらなかった。
倒れこんだ次の瞬間には拳銃を持った男に馬乗りになられ、空いている大きな手で口を塞がれていた。
「はぁ、はぁ。・・・ようやく追いついたぜ。一人逃げやがって」
そう言う男は、残忍な笑みを浮かべていた。
「お前が逃げてからのこと、教えてやろうか?ん?お前の親父だがな・・・泣いてお前と女の名前を呼びながら死んでいったぜ?」
そう言って男は大きな笑い声をあげた。本当にどこまでも楽しそうだった。
こいつ・・・殺して――
「いい目じゃねぇか。憎しみに染まったその表情!やっぱりこういう奴がいる方が楽しいぜ。それとな、もう一人のジジィだが、あいつも無様に泣きながら死んでいった!いい見世物だったよ」
続いて出たその言葉に、俺が辛うじて残していた理性は吹き飛んだ。自分の奥底から、ドス黒い感情が沸き起こる。
こいつは・・・絶対に許さない。
殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。
だが、この状況では何もできない。
体格差のせいもあってこいつを押しのけることはできない。
足をジタバタさせ、口を塞がれくぐもった唸り声を上げる俺に、男は単純な答えを返した。
「・・・ったく親父がクソじゃその子もめんどくさいってか。・・・少し黙ってろ」
そう呟いて拳銃を持った方の手で俺の喉に拳を叩きつけた。
強烈な一撃だった。
一瞬だけ呼吸が止まり、ひどい痛みが襲ってきた。
その一瞬だけ撃たれた足の痛みすら忘れた。
それでも喉の痛みで絶叫すらでなかった。
「ぐっ・・・!がっゲホッ、ゲホッ・・・ハァ、ハァ、ハァ・・・」
必死になって酸素を求め喘ぐ。
どうしたらこの状況を覆せる?
どうしたらこいつを――
「お前に一ついいことを教えてやろう。俺の今回の目的はお前の殺害だ」
だからなんだ?結局俺を殺すことに変わりは・・・待てよ、俺の殺害?つまり――
気づいてはいけないことに、知りたくなかったことに気づかされた。
目の前にいる男はそんな俺の表情を見て頬をつり上げた。
「ようやく気づいたか?そう、あいつらはお前の傍にいたから殺した。お前を庇ったから殺された。お前さえいなければ殺されなかった」
「そん、な・・・」
父さんが、母さんが、ハデスが・・・俺のせいで死んだ?俺がここに来たから・・・俺がここに来たいと言ったから・・・
「フッ。やっぱり絶望に落ちるやつの表情は最高だよ。さぁ落ちろ!落ちろ!落ちろ!!」
そう狂ったように叫びながらさっき銃で撃った傷をグリグリと銃でえぐってくる。
俺の叫びはもはや声にすらなっていなかった。
「じゃあ俺は行くとしよう。お前らの“隠れ家”に」
そう言う男の右頬は再び高くつり上がっていた。
こいつは・・・あの子たちも・・・そうは、させないっ
既に立ち上がっていた男の足を両手で強く握った。離さないように。あそこに行かせないように。
「行かせなグッガァアッ!」
男からの返事は言葉ではなく四発の弾丸だった。四肢の関節を撃ち抜かれ、両腕の力が抜けた。
「邪魔すんじゃねーよ。・・・直にお前は死ぬことになるだろう。絶望の中で息絶えるがいい」
不敵な笑みを浮かべる男はそう言い残して去っていった。
俺は全てを奪われて死んでいくのか――
「・・・・・ぃ。ヒロ兄ぃ。ねぇヒロ兄ぃ」
少しずつ意識が覚醒してくる。
体が・・・重い。
眩しい光が差す中薄っすらと目を開けると、ここ最近で見知った顔がすぐ近くにあった。
「ハルトか?」
「あ、やっと起きた。もう、ずっと声かけてたのに。・・・うなされてたけど大丈夫?」
あれは・・・夢か・・・。
「なぁ、ハルト、ハデスを呼んできてくれないか?少し二人で話させてくれると嬉しいんだけどいいか?・・・それと早く下りてくれ。重い」
「分かった!あ、後で刀見せてね!」
そう元気よく答えてハルトはハデスを探しに行った。
しばらくしてハデスだけが部屋に入ってきた。
「どうしたんじゃ?ヒロキ。ハルトがうなされておったと言っておったが?いや、話す前に水を飲みなさい。ひどい顔をしておるの」
「〈ラグズ 、水を満たしたまえ〉」
ハデスがそう唱えると、ミナミの時と同じようにコップに水が満たされた。
「あぁ、ありがとう」
「・・・それで、何があったんじゃ?」
「簡潔に言うと随分と悪い夢を見た。・・・一つ聞きたいんだが、幻を見せる魔法って存在するのか?」
「・・・なるほどの。大体の察しはついた。じゃが残念ながらそのような魔法は聞いたことがないの。もちろん不可能とは言い切れんが極めて難しいじゃろう。事前に準備は必要な上、実体が見えなくなるわけではないしの」
その答えは俺の一縷の望みを打ち砕くには十分だった。
やっぱり父さんと母さんは・・・。
「なぁ、ハデス。俺はやっぱりあいつらを許せない。でも今の俺じゃ無理だ。だから――」
「ヒロキよ。憎しみに駆られてはならん。憎悪の炎は自らをも滅ぼすと心得よ。その憎しみを晴らした後に何が残るんじゃ?達成感かの?いや、そんなものはありはせんよ。ヒロキ、覚えておきなさい。力というものは必ず代償を伴うものじゃ。怒りのままに、憎しみのままに力を振るい、その末に全てを失う覚悟はあるかの?」
「っ・・・」
「そうならないために守るための力を得なさい。大切なものを失わずに済むようにの」