第1話 邂逅
[二一五九年 二月某日]
俺は・・・どこに行けばいいんだ?
というより、どこに行こうとしているんだ?
「・・・っ!」
体のあちこちが痛い。
服はボロボロで、ところどころ血が滲んでるのが見える。
けど、寒くはない。
この世界は“科学”と“魔法”のおかげで真冬の夜でもこんな格好で居られる。百年と少し前では考えられなかったことらしい。
もちろん、今となっては環境問題などというものも存在しない。
「ちっ」
俺は自分が僅かながらにもこの世界にありがたみを感じたことを恨んだ。こんな歪んだ世界なんて・・・。
突然、目の前の景色がボヤけた。
あれ?あのビル、傾いてね?まったくどんな設計ミスだよ・・・。
・・・いや、それはない!
俺は慌てて右手に持っていた、鞘に入った刀を地面につき、倒れようとしていた体をどうにか支える。
「はぁ、はぁ、はぁ」
どうやら俺は相当消耗しているらしい。
そして結局体を支えきれずに俺はそのまま地面に倒れこんだ。
もう立つ気力さえない。
ちくしょう。周りに誰もいねぇか。
けど、それはそれでいいかもな・・・。
これで楽になれる――
そう思った時、目の前に突然誰かが現れた。
あたりが暗いせいで顔がはっきりと見えない。
そいつは俺に顔を近づけてそっと声をかけてきた。
「ギリギリ間に合ったかの。少年よ、名は何と?」
ぼんやりしている意識の中で何故かはっきりと聞こえたその老人のような声が発する言葉の意味は、一瞬理解できなかった。
何でこんな時に名前なんて?
これから死ぬ奴の名前なんて聞く必要ねぇのに・・・。
俺は・・・助かるのか?まだ生きられるのか?
それなら・・・まだ生きれる可能性が残っているのなら・・・その声に縋ってみよう。
「たち・・・ば・・な・・・・ひろ・・・き・・」
「タチバナ ヒロキ、か。良い名じゃな。・・・さて、ヒロキよ。そなたに何があった?いや、答えなくて良いぞ」
正体の分からない老人はそう言ってそっと俺の背中に手を置いた。
そして、小さく呟く声が聞こえる。
「〈マンナズ、ダエグ、過去を見せたまえ〉」
しまった!!
俺はこいつに名前を教えたことを後悔した。
『“魔法”は自分の真名を知られると、抵抗できなくなる』
そんなこと、この世界では常識だった。
いつも母さんに言われていたことを思い出す。
少しして老人は俺から手を離した。
「なるほど。これはまた辛い経験をしたのぉ」
そう呟くと再び手を置いてきた。
今度は何をする気だ?
必死になって身を捩って逃げようとするが、体がいうことを聞かない。
こいつはあいつらの手先なのか?俺は・・・殺されるのか?それとも――
「そう心配するでない。わしはお前さんに危害は加えんよ」
そんなこと信じられるか。
真名を聞く奴の言うことなんて信じられる訳がない。
俺を殺すために名を――
「はぁ、そんなに恐れんでくれ。まぁあんな経験をした後では無理かもしれんがの」
老人はどうにか逃げようとする俺をよそに再び呟いた。
「〈マンナズ、シゲル、回復を祈る〉」
「〈エオロー、この者を護りたまえ〉」
老人の紡ぐ詠唱とともに、俺の体は青白い光に包まれた。少ししてその光は薄れ、霧散した。
は?何だこれは?
体に力が入る。俺は足に力を込めて立ち上がった。傷も痛まない。ケガをしていた腕を見ると、そこには傷などなかった。
「えっ?何で・・・?」
「何でも何も、回復の魔法と保護の魔法を使ったまでじゃ」
「そうじゃなくて。何で・・・何で助けた?俺を殺すつもりだったんじゃ・・・」
「はぁ。言ったじゃろうに。わしはお前さんに危害は加えんよ」
老人はあっけらかんと言い、笑った。
何も言わない俺をよそに老人は続けて言った。
「さて、ヒロキといったな。どうじゃ?行くあてがないのなら、わしについて来ぬか?」
ついて来い、か。悪くない話だな。
もちろん危険はある。この老人がどんな人物なのかまったく分からないし、いくら命を助けられたとはいえ簡単に信用することなんてできない。
でも――
「そうだな。どうせ俺には行くあてなんてねぇんだ。ついて行かせてもらう」
断ったところでどこかでのたれ死ぬのは目に見えている。それなら危険を承知でついていく方がマシかもしれない。第一、殺すつもりなら助ける必要はなかったんだ。当面その危険はないって判断しても大丈夫だろう。
「そうか。なら、ついて来るがよい」
そう言って老人は微笑み、のんびり歩き始めた。
俺はそのあとに続いた。
それにしてもこの爺さん、どうして急に現れた?
突然現れたのはおそらく魔法だろうが・・・
「なぁ、爺さん――」
「おっと。わしとしたことが。名乗り忘れておったな。わしのことは爺さんではなくハデス、と呼んでくれ。もちろん偽名じゃがの」
そう爺さん――ハデスは楽しそうに言った。